カテゴリー「ブリテン」の記事

2017年8月30日 (水)

ブリテン 戦争レクイエム ハイティンク指揮

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この画像を、ここに載せるのは、もう何度になるでしょうか。

ガラスのうさぎ。

夏には、多くの千羽鶴が寄せられるようになり、平和祈願の発祥地のようにもなってます。
私の育った神奈川の小さな町。
終戦直前、近くの平塚市には、軍需工場があり、すさまじい空襲を受けたが、この町には何もない。
にもかかわらず、駅に停車していた貨物車を狙い機銃掃射。
疎開していた親子に着弾し、お父さんが亡くなった。
 いまは、建て替えられたけど、子供の頃の駅舎には、銃痕が残っていました。

ともかく、戦争忌避の思いは誰もあり、そして過去を反省する思いは、人類がみな共用すべきものと思います。
そのうえで、日々緊迫する世界情勢に対応するための施策を、施政者は批判を恐れずになして欲しい。

毎夏に聴く音楽。

そして、年とともに、この音楽への共感が増し、その都度の感銘を深めていく。

画像は、コンセルトヘボウらしいものとして拾いました。

Haitink

   ブリテン  戦争レクイエム

     S:フェイ・ロビンソン    T:アンソニー・ロルフ=ジョンソン
     Br:ベンジャミン・ラクソン

   ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
                      アムステルダム・コンセルトヘボウ合唱団
                       オランダ少年合唱団

                    (1985.10.27@コンセルトヘボウ)

カセットテープに残した、NHKFMの放送音源。

山ほどある段ボールのなかのカセットテープとVHS。

この先の人生も考え、取捨選択をするように心がけ、がんがん処分、そしていかにして、自らのライブラリーに残すか。

音源については簡単だった。
ヤマハのCDライターが壊れてしまい、超シンプルな、USBカセットテープ再生マシーンを導入できて、さくさくPCへ取り込み中。

真っ先に取り込んだのが、「ハイティンクの戦争レクイエム」だ。

これがまた、実に素晴らしい演奏だったのだから!

ともかく美しい。
ハイティンクとコンセルトヘボウが、もっとも蜜月に結ばれていて、指揮者の個性も、オーケストラの音色も、そしてコンセルトヘボウというホールの響きも、完全に一体化している時期のものゆえの美しさ。

ふっくらした音を、入念に醸し出すハイティンクとコンセルトヘボウが、ブリテンの緻密に書かれた音楽の、優しさと、デリケートな繊細さを素晴らしく描きつくすのだ。
ディエス・イレでの強烈な咆哮は、録音のせいもあるが控えめ。
そう、この曲に、痛切さや、壮大さ、そして、強いメッセージ性を求める向きには、このハイティンクとコンセルトヘボウの柔らかな響きは、もの足りなく思えるかもしれない。

でも徹底した平和主義者で、弱者のことに目線を多く向けたブリテンの優しさを、この演奏には感じることができるかもしれない。
カセットテープから起こした音源だから、音に芯が少なく、もっといい録音状態であったら、いますこし印象はかわるのかもしれないが。

3人のイギリス人歌手たちは、それはもう素晴らしく、完璧。
ことに、ロルフ・ジョンソンの鬼気迫る歌と、ラクソンの美声は聴きものだった。

オランダ放送協会のデジタル録音でした、とのアナウンスまで入っている、このNHKFM音源。本家での正規音源化はならぬものだろうか。
東ベルリン時代にベルリン響に客演した、A・ギブソンの録音ももってます。
あと、サヴァリッシュとN響、シュライヤー、FD夫妻のものなんかも。

60年代は、作曲者本人の自演盤のみしかなく、それが絶対とされた「戦争レクイエム」。
いまいくつのCDが出てることだろうか。
作者の手を離れて、多くの演奏家たちによって、この作品が、どんどん名曲として確立してゆき、聴き手の心を世界中で揺さぶるようになった。

平和を唱えていても、相手があることだから、一方的に事を起こされる不条理もある。
でも、戦争はご免だ。
この曲、あの大きな国で演奏されちゃったりするんだろうか??

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2017年6月22日 (木)

ブリテン イギリス民謡組曲「過ぎ去りし時・・・」 ラトル指揮

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少し前の東京タワーと芝公園。

都心は狭いもので、歩いていろんな場所へ行けちゃうけど、ほんのちょっと移動するだけで、そこに普段住まう方や、勤務する方のカラーがまったく違って見える。

大使館などもあれば、外国の方の人種や雰囲気もすぐに違ってみえる。

狭いけど、大きすぎる東京は、行き過ぎた都会だな。

疲れちゃうよ。

私が、神奈川の片田舎から、都内に初めて出てくるようになったのは、幼稚園ぐらいのことかしら。
親戚の家が板橋にあったので、内部がまだ木製の湘南電車に乗って、東京駅まで出て、そこから丸の内線で池袋。
活気あふれる高度成長時代、車の排気ガスなんか、へっちゃらで、渋滞だらけで、カローラとサニー、いすゞN360とかが走りまくってた。

当時の写真は、みんなモノクロだけど、いまやそれもセピア色に変じてしまった。

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    ブリテン イギリス民謡組曲「過ぎ去りし時」

     サー・サイモン・ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団

                (1984.5@ワーウィック大学、コヴェントリー)

ブリテン(1913~1976)最後の管弦楽作品。

1974年秋に完成させ、翌年のオールドバラ音楽祭にて初演。
その翌年には、63歳で亡くなってしまうブリテン。

最晩年にいたって、イギリス民謡を扱った作品を残し、英国作曲家の先達の伝統に回帰した。
それもそのはず、この作品は、パーシー・グレインジャーに捧げられている。

三浦淳史先生の解説を参考に記します。

 この作品の副題は、トマス・ハーディの詩「生まれる前と死んでから」よりとられていて、この詩をもとに、ブリテンは、「冬の言葉」という名歌曲を編んでいる。

 誰にもおそらく想像がつくように そして地上のさまざまな証拠が示すように

 意識というものが生まれる前 万事はうまくいっていた・・・・・

 しかし、感じるという病がおこった 

 そして原始の正しさは間違った色に染まり始めた

 いったい無知が再認識されるのは あとどれくらいの時間がかかるのだろうか


                   ハーディ 命の芽生えの前とあと

なるほどのの、なかなかに深い詩、だけど、明快なテーマ。

 そして組曲は、5つからなる。

  ①「美果と美酒」 Cakes and Ale

  ②「にがいヤギ」  The Bitter withy

  ③「まぬけのハンキン」 Hankin Boody

  ④「リスを追え」 Hunt the squirrel

  ⑤「メルバーン卿」 Lord Melbourne


17~8分の、いたって平易でシンプルな音楽で、とても聴きやすい。

勇ましい感じの①、ちょっと、まさに苦みあふれる雰囲気の②は、ハープの美しさがアクセント。
舞曲調で、シニカルでドラムも効いてる③
面白いのは④、弦楽器でバグパイプそのものを再現してしまった。
そして、一番深みあふれるのが⑤
コールアングレの物哀しいソロが、懐かしさを誘い、どこかに忘れてきてしまった、そして記憶のどこか遠くにあるものを思い覚ますような、そんな淡さをもった音楽。

 この曲、初めて聴いたのは、バーンスタインの演奏で、初演間もないNYPOとの録音だった。

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FMでの録音だったけど、後年、CDで買い直して聴いてみて、明快なバーンスタインの指揮と、ブリテンへの共感にあふれた演奏が素晴らしいと思った。
それとこのバーンスタイン盤は、「ピーター・グライムズ」からの「4つの海の前奏曲」と「パッサカリア」がとてつもなくいい演奏だ。

それと、ラトル盤。
シンフォニア・ダ・レクイエムの名演に隠れてカップリングされたこの曲に喜んだものだ。
ラトルの音楽への切り込みの鮮やかさは、バーミンガム時代の方が、いまよりもずっと上ではないかと思ったりもする。
フィルハーモニアとの初来日を聴いて、ラトルのCDを聴きまくったけれど、ベルリンフィルになってから、ほとんど持ってません(笑)
ちゃんと聴かなくては、と思いつつ、いまに至る。

で、過去を振り返るのでありました。

 

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2017年6月14日 (水)

ビエロフラーヴェクとJ・テイトを偲んで

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梅雨入りはしたけれど、なんだか、シトシトとはいかない風情のなくなってしまった、近年の日本の6月。

そんな梅雨入りまえ、現役で活躍していたいぶし銀的な指揮者が、相次いで亡くなった。

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チェコの指揮者、イルジー・ビェロフラーヴェク、享年71歳。

5月31日に亡くなりました。

例年、ロンドンのプロムスに出ていたのに、昨年と今年はなしということで、どうしたのかな、と思っていた。
でも、今年秋には、チェコフィルと来日が予定されていたので、さほど気にはしていなかったところへの、訃報。

すぐさま、海外のニュースや、チェコフィルのサイトを見てびっくりした。
別人と思うような、スキンヘッドの姿がそこにあって、闘病後の復活の指揮姿だったのだ。
それにしても若い。

チェコフィルの首席に若くしてなったあと、やむなく短期で、アルブレヒトに交代。
そのあと、20年ぶりにチェコフィルに復帰、ついに、両者一体化した、稀なるコンビが完成したのに・・・。

ビエロフラーヴェクが躍進したのは、1度目のチェコフィルのあと、BBC響との関係を築いてからだと思う。
広大なレパートリーと、豊富なオペラ経験が、マルチなロンドンでの活動に活かされた。
チェコ音楽の専門家と思われる向きもあるかもしれないが、プロムスではお祭り騒ぎのラストナイトを何度も指揮していたし、当然に、英国音楽も多く指揮したし、マーラーやショスタコーヴィチ、さらに、グラインドボーンでは、素晴らしいトリスタンの映像も残してくれた。

日フィルとN響とも関係が深く、何度も来日してます。
日フィルとの「わが祖国」のチケットを手にしながら、仕事で行けなくなってしまったことも、いまや痛恨の出来事です。

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ドヴォルザーク  交響曲第9番「新世界より」

   イルジー・ビェロフラーヴェク指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

                         (1989.9 @プラハ)


1度目の新世界。
最近出た新しいものはまだ未聴なので、なんとしても全曲が欲しいところ。
若々しい、そして、注目したいのが、この録音の年月。

同年秋に起こる、ビロード革命直前。
東ヨーロッパの共産主義崩壊の前夜ともいうべき頃合い。
いったい、どのような気持ちで「新世界」交響曲を演奏していたのでありましょうか。
 が、しかし、この演奏は、清新でさわやかでさえある。
純粋に音楽に打ち込む、指揮者の姿が目に浮かぶようだ。
若き日のビエロフラーヴェクを思いつつ、ラルゴを聴いてたら、ジーンとしてきた。

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 ブリテン 「ピーター・グライムズ」 4つの海の前奏曲

  イルジー・ビエロフラーヴェク指揮 BBC交響楽団

                        (2007.7 ロンドン)


BBC響とのプロムス・ライブより。
クールで、シャープだけれども、優しい目線を感じるブリテンの音楽を、違和感なく柔軟に仕上げています。
錯綜する音が、キレイに聴こえるのも、ビエロフラーヴェクの耳の良さで、BBCのオケの巧さも抜群。
このコンビの相性は、ほんとよかったと思う。

それにしても、チェコ楽壇にとっては、とてつもなく大きなビエロフラーヴェクの逝去。
チェコフィルは、どうなる・・・・

 

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イギリスの指揮者、サー・ジェフリー・テイト、享年74歳。

こちらは、6月2日に亡くなってしまいました。

医学専攻から、音楽家へ転身、オペラハウスから叩き上げの、オペラ指揮者であり、モーツァルト指揮者でもあった。
テイトの名前を知ったのは、シェロー&ブーレーズのバイロイト・リングで、副指揮者を務めていたことから。
メイキングビデオにも映っていた。
 そのテイトが、イギリス室内管の指揮者となり、交響曲を手始めに、内田光子との協奏曲など、モーツァルト指揮者として80年代以降活躍し始めたときは、ワーグナーやオペラ指揮者との認識があっただけに驚いたものだ。

その後、ロッテルダムフィルの指揮者もつとめ、亡くなるまでは、ハンブルク響。
あと、オペラの指揮者としては、コヴェントガーデンに、ナポリ・サンカルロにポストを持ち、メトやドレスデンなど、大活躍をしたテイト。
生まれながらの二分脊椎症というハンデを追いながら、そんなことはもろともせず、常に集中力と、音の透明さを引き出すことに心がけ、クリーンな音楽を作り出す名指揮者だったと思う。

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   モーツァルト  交響曲第40番 ト短調

    サー・ジェフリー・テイト指揮 イギリス室内管弦楽団

                        (1984 @ロンドン)


最初に手にしたテイトのモーツァルト。
もう何度も聴きました。
モダン楽器の室内オケで聴くブリテッシュ・モーツァルト。
清潔で、明るく、さらりとしていながら、歌心はたっぷり。
ともかく美しく、無垢で、その嫌味のない音楽は、当時も今も変わらず、飽きのこない、私の理想のモーツァルト演奏のひとつ。


Wagner

  ワーグナー 「パルジファル」 前奏曲

    サー・ジェフリー・テイト指揮 バイエルン放送交響楽団

                        (1987 @ミュンヘン)


ハンブルク響との「黄昏」抜粋は、未聴。
いまのところ唯一の、テイトのワーグナー。
バイエルン放送響という名器を得て、おおらかかつ、悠然としたワーグナーとなった。
しかし、そこはテイト。
これも、オーケストラの明るさを生かしつつ、明晰で、濁りのない、美しいワーグナーなのだ。
おまけに、「コロンブス」と「ファウスト」という、珍しい序曲が、一級の演奏で聴けるという喜び。
この1枚を聴くと、なにゆえに、レコード会社は、テイトによるワーグナー全曲録音を残してくれなかったのか、と怒りたくなる。

その変わり、テイトには、シュトラウスやベルク、フンパーディンクのオペラ録音があります・・・・・。
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       エルガー  「ソスピリ」

    サー・ジェフリー・テイト指揮 ロンドン交響楽団

                   (1990 @ロンドン)


最後は、この曲で。

エルガーの哀しみのいっぱいつまった音楽で。

ふたりの名指揮者の追悼にかえさせていただきます。

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2016年8月 7日 (日)

ブリテン 戦争レクイエム K・ナガノ指揮

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広島と長崎に原爆を落とされて71年。

無辜の民間人に対する爆撃は、単なる殺戮にすぎなかった。

同様に、日本各地、内地までへも空襲が激化し、沖縄には上陸戦も。

負けたから、それらはやむなしか。。。。

が、しかし、日本人は、歴史には学ぶが、過去にこだわり執着することはない、そんな人種だと思う。
終わったことはしょうがない、さあ、次・・・、そんな心情を誰しもがいつも持っているのでは。

現職の大統領が初めて広島の地を訪れた今年。

異論はあるかもしれないが、謝罪なくとも、その意義は大きい。
大統領退任後の反核活動のメルクマールともなろうとも・・・・

 自分の身内の死に際しても、わたくしたちは、悲しみながらも、淡々と、日本人ならではの送り方でもって、亡き人への告別をする。
その後は、いろんな折りあいをつけながらも、亡き人と心の中で交流しながらも、自分を生き、そしてまた去ってゆく。

いわば、そんな墨絵のような、派手さはないけれど、決して色あせることのない、日本人の死生観を、いまさらながらに、つくづくと思う、そんな8月。

そして、聴きます、8月は「戦争レクイエム」とヴェルディ。

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  ブリテン  戦争レクイエム

    S:エマ・ベル        T:ランス・ライアン
    Br:ラッセル・ブラウン

 ケント・ナガノ 指揮 エーテボリ交響楽団/合唱団

                     (2013.11.22 エーテボリ)


久しぶりの更新だけど、もう書きつくしたこの名作。

優れたこの作品の構成や生い立ちなどは、過去記事にて。

ブリテンの自演盤のみが、唯一の偉大な存在だったこの曲に、多様な演奏が続々と現れるようになったのは、そんなに昔のことではない。

そして、演奏会でもよく取り上げられるようになった。

戦争をしあった国出身で、3人の歌手たちを選ぶということも、いまではあまりなされなくなったし、なによりも、指揮者もオーケストラも多様な顔触ればかりとなった。

今年の「戦争レクイエム」は、放送音源から。

スウェーデンの放送局のネット放送から以前録音したもの。

エーテボリ響の音楽監督を務めるケント・ナガノの指揮で。

ブリテンを得意とするナガノは、かつてハレ管の指揮者のときに、ブリテンをかなり取上げていたけれど、戦争レクイエムは録音しなかったんじゃないかな。
実に共感のこもった、そして緊張感の高い指揮ぶりで、ときおり唸り声も聞かれる、気合充分の演奏。
 エーテボリ響が戦争レクイエムを演奏しているということが、興味深く、聴きものかと思い、それは、親父ヤルヴィのもと、北欧・スラヴ作品ばかり演奏しているイメージがあったから。

しかし、エーテボリ響のHPをのぞいてみて、歴代指揮者を俯瞰してみたら、北欧系の指揮者はもちろんのこと、D・ディクソン、コミッショーナ、デュトワなどなど、アメリカのオケのような指揮者の布陣だったのだ。
さらに、親父ヤルヴィの長期政権のあとは、ヴェンツァーゴ、ドゥダメル君、そしてK・ナガノと続いたわけ。
 でも、残念なことに、ナガノは来年、降りることになっていて、次期指揮者はフィンランドの若手、サントゥ=マティアス・ロウヴァリという30歳のフィンランド出身の人になるらしい。
注目の指揮者のようだ。

そして、はなしは戻って、この演奏、澄んだ響きのエーテボリ響が、明晰なナガノの音楽造りとあいまって、とても耳に新鮮に響いたのだった。
威圧感なく、ブリテンの斬新な音色と、優しい目線を、申し分なく味わえる。
録音も放送とは思えないレヴェルの高さ。

歌手では、去年まで、バイロイトでジークフリートを歌っていたランス・ライアンがユニークだった。
クセのある歌声は、ときにエキセントリックに聴こえるから、戦争の異常さ、切迫感なども妙にリアルに歌いでしているように感じる。
でも、ときにやる気なさそうなところもあるのがライアンの特徴か。

清楚なソプラノ、誠実なバリトンもともによかった。

「Let us sleep now・・・・」(ともに眠ろう・・・・」

「彼らを平和の中に憩わせたまえ、アーメン」

いつ聴いても、耳をそばだて、そして両手を前に組みたくなる、感動的なラスト・シーンに、今年も胸が熱くなった。

過去記事

 「ブリテン&ロンドン交響楽団」

 「アルミンク&新日本フィル ライブ」

 「ジュリーニ&ニュー・フィルハーモニア」

 「ヒコックス&ロンドン響」

 「ガーディナー&北ドイツ放送響」

 「ヤンソンス&バイエルン放送響」

 「ネルソンス&バーミンガム市響」


おまけ

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平和祈念公園は、何度か訪れたけれど、そのたびに見かけて、写真におさめていたのが、この真黒なねこ。

そして、オバマさんが来たときも、厳戒態勢をくぐりぬけて、カメラに映りこんでました。

平和であれ。

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2016年3月30日 (水)

大好きなオペラ総集編

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桜は足踏みしたけれど、また暖かさが戻って、一気に咲きそう。

まだ寒い時に、芝公園にて撮った1枚。

すてきでしょ。

大好きなオペラ。

3月も終わりなので、一気にまとめにはいります。

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  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

ワーグナーの魔力をたっぷりと含んだ、そう魅惑の媚薬のような音楽。
この作品に、古来多くの作曲家や芸術家たちが魅かれてきたし、いまもそれは同じ。
我が日本でも、トリスタンは多くの人に愛され、近時は、歌手の進化と、オーケストラの技量のアップもあって、全曲が舞台や、コンサート形式にと、多く取り上げられるようになった。

わたくしも、これまで、9度の舞台(演奏会形式も含む)体験があります。

そして、何度も書いたかもしれませんが、初めて買ったオペラのレコードがこのトリスタンなのであります。
レコード店の奥に鎮座していた、ずしりと重いベームの5枚組を手に取って、レジに向かった中学生を、驚きの眼差しでもって迎えた店員さんの顔はいまでも覚えてますよ。

ですから、指揮も歌手も、バイロイトの響きを捉えた、そう右から第1ヴァイオリンが響いてくる素晴らしい録音も、このベーム盤がいまでも、わたくしのナンバーワンなんです。

次に聴いた、カラヤンのうねりと美感が巧みに両立したトリスタンにも魅惑された。
あとは、スッキリしすぎか、カルロスならバイロイトかスカラ座のライブの方が熱いと思わせたクライバー盤。ここでは、コロの素晴らしいトリスタンが残されたことが大きい。
 それと、いまでは、ちょっと胃にもたれるバーンスタイン盤だけど、集中力がすごいのと、ホフマンがいい。
フルトヴェングラーは、世評通りの名盤とは思うが、いまではちょっと辛いところ。

あと、病後来日し、空前絶後の壮絶な演奏を聴かせてくれたアバド。
あの舞台は、生涯忘れることなない。
1幕は前奏曲のみ、ほかの2幕はバラバラながら聴くことができる。
透明感あふれ、明晰な響きに心が解放されるような「アバドのトリスタン」。
いつかは、完全盤が登場して欲しい。

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  ワーグナー 「ニーベルングの指環」

わたくしの大好きなオペラ、ナンバーワンかもしれない・・・

興にまかせて、こんな画像を作っちゃいました。

オペラ界の大河ドラマとも呼ぶべきこの4部作は、その壮大さもさることながら、時代に応じて、いろんな視点でみることで、さまざまな演出解釈を施すことができるから、常に新しく、革新的でもある。
 そして、長大な音楽は、極めて緻密に書かれているため、演奏解釈の方も、まだまださまざまな可能性を秘めていて、かつては欧米でしか上演・録音されなかったリングが、アジアや南半球からも登場するようになり、世界の潮流ともなった。

まだまだ進化し続けるであろう、そんなリングの演奏史。

でも、わたくしは、古めです。
バイロイトの放送は、シュタインの指揮から入った。

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そして、初めて買ってもらったリングは、73年に忽然と出現したベームのバイロイトライブ。
明けても覚めても、日々、このレコードばかり聴いたし、分厚い解説書と対訳に首っ引きだった。
ライブで燃えるベームの熱い指揮と、当時最高の歌手たち。
ニルソンとヴィントガッセンを筆頭に、その歌声たちは、わたくしの脳裏にしっかりと刻み付けられている。
なんといっても、ベームのリングが一番。

そして、ベーム盤と同時に、4部作がセットで発売されたカラヤン盤も大いに気になった。
でも、こちらと、定盤ショルティは、ちょっと遅れて、CD時代になって即買い求めた。
歌手にでこぼこがあるカラヤンより、総合点ではショルティの方が優れているが、それにしても、カラヤンとベルリンフィルの作り上げた精緻で美しい、でも雄弁な演奏は魅力的。

あと、忘れがたいのが、ブーレーズ盤。
シェローの演出があって成り立ったクリアーで、すみずみに光があたり、曖昧さのないラテン的な演奏だった。歌手も、いまや懐かしいな。
 歌手といえば、ルネ・コロのジークフリートが素晴らしい、そしてドレスデンの木質の渋い響きが味わえたヤノフスキ。

舞台で初めて味わったのが日本初演だったベルリン・ドイツ・オペラ公演。
G・フリードリヒのトンネルリングは、実に面白かったし、なんといっても、コロとリゲンツァが聴けたことが、これまた忘れえぬ思い出だ。

舞台ではあと、若杉さんのチクルスと、新国の2度のK・ウォーナー演出。
あと、朝比奈さんのコンサート全部。
みんな、懐かしいな。。。

以下、各国別にまとめてドン。

ドイツ

 モーツァルト   「フィガロ」「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」「魔笛」

 
 ワーグナー   「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」 「ローエングリン」
           「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
            「ニーベルングの指環」「パルシファル」

 ダルベール   「低地」

 R・シュトラウス 「ばらの騎士」「ナクソスのアリアドネ」「影のない女」「アラベラ」
            「ダフネ」「ダナエの愛」「カプリッチョ」

 ツェムリンスキー 「フィレンツェの悲劇」 (昔々あるとき、夢見るゾルゲ2作は練習中)

 ベルク      「ヴォツェック」「ルル」

 シュレーカー   「はるかな響き」 「烙印された人々」「宝探し」

 コルンゴルト  「死の都」「ヘリアーネの奇蹟」「カトリーン」

 ブラウンフェルス 「鳥たち」

 レハール    「メリー・ウィドウ」「微笑みの国」

イタリア

 ロッシーニ   「セビリアの理髪師」「チェネレントラ」

 ヴェルディ   「マクベス」「リゴレット」「シモン・ボッカネグラ」「仮面舞踏会」
           「ドン・カルロ」「オテロ」「ファルスタッフ」

 カタラーニ   「ワリー」

 マスカーニ   「イリス」

 レオンカヴァッロ  「パリアッチ」「ラ・ボエーム」

 プッチーニ   「マノン・レスコー」「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」「三部作」
           「ラ・ロンディーヌ」「トゥーランドット」

 チレーア    「アドリアーナ・ルクヴルール」

 ジョルダーノ  「アンドレア・シェニエ」「フェドーラ」

 モンテメッツィ 「三王の愛」

 ザンドナーイ  「フランチェスカ・ダ・リミニ」

 アルファーノ  「シラノ・ド・ベルジュラック」「復活」

 レスピーギ   「セミラーナ」「ベルファゴール」「炎」

フランス

 オッフェンバック 「ホフマン物語」

 ビゼー      「カルメン」

 グノー      「ファウスト」

 マスネ      「ウェルテル」

 ドビュッシー   「ペレアスとメリザンド」

イギリス
 

 パーセル   「ダイドーとエネアス」

 スマイス    「難破船掠奪者」

 ディーリアス  「コアンガ」「村のロメオとジュリエット」「フェニモアとゲルダ」

 R・V・ウィリアムズ  「毒の口づけ」「恋するサージョン」「天路歴程」

 バントック   「オマール・ハイヤーム」

 ブリテン    「ピーター・グライムズ」「アルバート・ヘリング」「ビリー・バッド」
          「グロリアーナ」「ねじの回転」「真夏の夜の夢」「カーリュー・リバー」
          「ヴェニスに死す」

ロシア・東欧

 ムソルグスキー 「ボリス・ゴドゥノフ」

 チャイコフスキー 「エフゲニ・オネーギン」「スペードの女王」「イオランタ」

 ラフマニノフ    「アレコ」

 ショスタコーヴィチ 「ムチェンスクのマクベス夫人」「鼻」

 ドヴォルザーク   「ルサルカ」

 ヤナーチェク    「カーチャ・カヴァノヴァ」「イエヌーファ」「死者の家より」
             「利口な女狐の物語」「マクロプロス家のこと」

 バルトーク     「青髭公の城」

以上、ハッキリ言って、偏ってます。

イタリア・ベルカント系はありませんし、バロックも、フランス・ロシアも手薄。

新しい、未知のオペラ、しいては、未知の作曲家にチャレンジし、じっくりと開拓してきた部分もある、わたくしのオペラ道。
そんななかで、お気に入りの作品を見つけたときの喜びといったらありません。

それをブログに残すことによって、より自分の理解も深まるという相乗効果もありました。

そして、CD棚には、まだまだ完全に把握できていない未知オペラがたくさん。

これまで、さんざん聴いてきた、ことに、長大なワーグナー作品たちを、今後もどれだけ聴き続けることができるかと思うと同時に、まだ未開の分野もあるということへの、不安と焦り。
もう若くないから、残された時間も悠久ではない。
さらに、忙しくも不安な日々の連続で、ゆったりのんびりとオペラを楽しむ余裕もなくなっている。
それがまた、焦燥感を呼ぶわけだ。

でも、こうして、総決算のようなことをして、少しはスッキリしましたよ。

リングをいろんな演奏でツマミ聴きしながら。。。。
 

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2015年8月15日 (土)

ブリテン 戦争レクイエム ネルソンス指揮

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終戦の日が巡ってくる真夏の日本。

70年が経過し、今年ほど、この年月を振り返ることが、さまざまなかたちでなされ、そして、安保法制への賛否、近隣国との関係、原爆を落とした側の非正統性などが、はっきりと議論されるようになったことはありません。

感情や、主義主張に流されることなく、公正な目線でもってそれぞれの意見を眺めなくてはいけませんが、なかなかに難しいものです。

いろんな対立軸はあるにしても、でも、戦争だけは絶対に許されざること。
この思いは共通だと信じている。

今年も、この曲を聴いて、恒久平和を胸に刻み、祈りたいと思います。

Proms2014britten

  ブリテン   戦争レクイエム

       S:スーザン・グリットン    

       T:トービー・スペンス

       Br:ハンノ・ミュラー=ブラッハマン

    アンドリス・ネルソンス指揮 バーミンガム市交響楽団
                      BBCプロムス・ユース合唱団

              (2014.8.21 @ロイヤル・アルバート・ホール)


ふたつの世界大戦は、多くの作曲家たちに、あらゆる影響を及ぼしましたが、ブリテンほどに、戦争を憎み、反戦の思いを強烈にその作品に反映させた人はいません。
 戦争レクイエムと、シンフォニア・ダ・レクイエム、英雄のバラード、これら3作がブリテンの反戦3部作といえるかも。

 イギリスの伝統としての制度、「良心的兵役忌避者」の申告をして、その条件として、音楽ボランティアに従事することを宣誓し、予芸以上の指揮とピアノで、戦時下の人々を慰め鼓舞する仕事に従事する一方、その傍らでも、熱心な創作活動を継続したブリテン。
その行動の根に常にあった「平和主義」でありました。
 いまの若者が、戦争行きたくない、と主張するのもわかるが、寝ぼけたような平和主義ではなくて、ブリテンは、骨の髄からの筋がね入りの反戦・平和主義者でした。

伝統的な「死者のためのミサ曲」の典礼文に基づく部分と、ウィルフレット・オーエンの詩による独唱による部分を巧みにつなぎわせ、「反戦」と「平和希求」をモティーフとする、独自の「レクイエム」。

1962年の初演以来、作曲者自身の指揮によるレコードが、この作品のスタンダードで、それ以外には、録音すらなかった時代が長かった。
いまでこそ、世界各国の指揮者とオーケストラによる音盤がたくさんありますが、そんな中で、作曲者以外の演奏として、大胆に登場して、驚きを持って迎えられたのが、サイモン・ラトルのEMI盤でした。

ラトル盤は、いつかベルリンか、ロンドン響で、再録音がなされるものと期待し、そのときまで取っておこうと思いまして、今年は、そのラトルが育てあげた、バーミンガムのオーケストラの今の指揮者、アンドリス・ネルソンスのライブを聴きます。
そのネルソンスも、今シーズン限りなのですが、こちらの演奏は、昨年2014年のプロムスにおけるもので、BBCのネット放送を録音したものです。

2012年には、このコンビは、戦争レクイエムが初演されたコヴェントリーの聖ミカエル教会で、初演50年の記念演奏会を開き、その模様はDVDにもなってますが、そちらは未視聴です。
その2年後の、こちらのライブは、演奏を重ね、自信も深めた結果が、よく反映されているようで、かつ気合も充分にこもった、充実の演奏となっています。

まず、その尋常でない集中力と緊張感。
それは、しばしば、言葉のひとつひとつを噛みしめるような、じっくりとしたテンポの取り方にもあらわれております。
演奏時間は、1時間30分と長め。

 重々しい足取りがやるせなくなる「レクイエム」。
さらに、のたうつような苦しみと怒りにあふれた「ディエス・イレ」は、こんなに重く、遅いのは初めてだ。
 その半面、「サンクトゥス」の壮麗さと、輝かしさの対比が活きてくる。
曲は、終結に向かうほどに感動の度合いを高めてくるのは、この素晴らしい音楽ゆえですが、このネルソンスの演奏は、ライブゆえに、巨大な会場も息をひそめて、音楽に感じ入っている様子がよくわかります。
いつもは、ざわついたりするプロムスの聴衆が、咳もろくにせずに、静まり返っている。
 最後の、感動の和解のあと、静かな祈りのうちに、このレクイエムは終わりますが、音が消えたあとも、ずっとずっと静寂のまま。
約2分の沈黙がありました・・・・・・・。

Nelsons

ヤンソンスゆずりの、演奏者と聴衆をのせてしまい、音楽を巧みに聴かせ、感動の高みを築きあげることの才能を、ネルソンスは持っています。
オペラも上手く指揮する彼は、全体を俯瞰する構成能力の才も豊かです。
 ボストン響との新たな関係を、早くも2022年まで延長したネルソンス。
まだ36歳です。

例年どおり、過去記事からコピペで、曲の概要を再び記しておきます。

「重々しく不安な感情を誘う1曲目「レクイエム」。
戦争のきな臭い惨禍を表現するテノール。
曲の締めは、第2曲、そして音楽の最後にあらわれる祈りのフレーズ。
 第2曲は長大な「ディエス・イレ」。
戦いのラッパが鳴り響き、激しい咆哮に包まれるが、後半の「ラクリモーサ」は、悲壮感あふれる素晴らしいヶ所で、曲の最後は、ここでも祈り。
 第3曲目「オッフェルトリウム」、男声ソロ二人と、合唱、二重フ―ガのような典礼文とアブラハムの旧約の物語をかけ合わせた見事な技法。
 第4曲「サンクトゥス」、ピアノや打楽器の連打は天上の響きを連想させ、神秘的なソプラノ独唱は東欧風、そして呪文のような○△※ムニャムニャ的な出だしを経て輝かしいサンクトゥスが始まる。
 第5曲は「アニュス・デイ」。
テノール独唱と合唱典礼文とが交互に歌う、虚しさ募る場面。
 第6曲目「リベラ・メ」。
打楽器と低弦による不気味な出だしと、その次ぎ訪れる戦場の緊迫感。
やがて、敵同士まみえるふたりの男声ソロによる邂逅と許し合い、「ともに、眠ろう・・・・」。
ここに至って、戦争の痛ましさは平和の願いにとって替わられ、「彼らを平和の中に憩わせたまえ、アーメン」と調和の中にこの大作は結ばれる。」

最後に至って、通常レクイエムとオーエン詩の、それぞれの創作ヶ所が、一体化・融合して、浄化されゆく場面では、聴く者誰しもを感動させずにはいない。
敵同士の許し合いと、安息への導き、天国はあらゆる人に開けて、清らかなソプラノと少年合唱が誘う。
このずっと続くかとも思われる繰り返しによる永遠の安息。
最後は、宗教的な結び、「Requiescant in pace.Amen」~彼らに平和のなかに憩わせ給え、アーメンで終結。

過去記事

 「ブリテン&ロンドン交響楽団」

 「アルミンク&新日本フィル ライブ」

 「ジュリーニ&ニュー・フィルハーモニア」

 「ヒコックス&ロンドン響」

 「ガーディナー&北ドイツ放送響」

 「ヤンソンス&バイエルン放送響」

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2014年10月23日 (木)

東京都交響楽団演奏会 ブラビンス指揮

Suntry

アーク・カラヤン広場を見渡してみました。

いまさらながらの光景ですが、調和のとれた景色ですな。

サントリーホールには、こちら側から。アプローチすることが多いですが、コンサートへのワクワク感が、ほんの少しの距離ですが、増す、そんな広場の空間であります。

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  ヴォーン・ウィリアムズ ノフォーク・ラプソディ第1番

  ブリテン          ピアノ協奏曲 op13

            ピアノ:ステーヴン・オズボーン(※)

  ウォルトン         交響曲第2番

    マーティン・ブラビンズ指揮 東京都交響楽団

                    (2014.10.20@サントリーホール)

  ※アンコール  ドビュッシー 前奏曲集第2巻 第10番「カノープ」


都響の会員ではございません。

神奈川フィル一途の昨今。

ただし、演目によって各オケに登場するわたくし。

そして、ご覧ください、このプログラム。

しかも、指揮には、英国のブラビンズ氏。
トムソン、ハンドレー、ヒコックス亡きあと、英国音楽の指揮者の伝統を受け継いでゆくべき人と、思っております。
その氏が、名古屋フィルの指揮者になったと聞いたときは、びっくりしました。
CDも、そこそこ所有してまして、それらは、いずれも珍しい曲目ばかりなところも、実に気に入ってました。
なかでも、コルンゴルトのオペラ「カトリーン」は、わたくしの大フェイバリットのひと組です。

 そんなこんなで、あるブログ仲間の方からは、○○さんのためにあるような・・・的なコメントも頂戴しまして、ウキウキほいほいで、サントリーホールにまいりました。

まずは、RVWのステキな一品、ヴィオラソロもいかにもVWな音楽。
かつて、現田さんの指揮で、聴いたことがあります。
懐かしくも、牧歌的な音楽は、民謡採取に情熱を注いだVWらしく、古風な佇まいさえも感じさせ、聴くわたくしたちを遠く目線にさせてしまう。
中間部の元気な場面との対比も明確で、ブラビンズの明快な音楽造りが際立ちました。

1曲目から、いい気分にさせていただきました。

そして、ブリテンの若書きの大作、ピアノ協奏曲。
ブリテン大好きのわたくしですが、この曲は、もっとも苦手で、唯一所有するCDを聴いて、何度か記事にしようと思ったけれど、どうにも書けなかった。
 そう、ブリテンらしさが感じなくて、さっぱり捉えどころがないのでした。
ラヴェルっぽくて、ショスタコみたいだし、プロコフィエフでもあり・・・。

今回、実演に接し、この曲が、近くに感じ、見えてきた感じで、帰宅後、CDを聴き返したとき、あそこはこんな風に弾いてたとか、オケはこんなだった、とか思い返すこともできて、曲への親しみを持つことにつながりました。

ですが、後年の厳しさと、クールさ、優しさが、それぞれ相混じったブリテンの音楽スタイルからすると、やはり弱いと思ったりもしてます。

ラヴェル風の元気のいい1楽章では、この日のソロ、オズボーンさんの、目にも鮮やかな超絶技巧に魅惑されました。
楽章の終わりの方の木管の動きに、ブリテンらしさを感じます。
 2楽章は、お洒落なワルツ。ここでもヴィオラソロが決め手で、さすがに店村さん、素晴らしい。
オケの全奏を伴いつつ奏でる中間部のワルツは、実に心地よく、体が動きそうになりました。
 一転、晦渋な雰囲気の3楽章は、沈鬱な気分にしてくれましたが、終わりの方に、ブリテンらしいヒンヤリムードが醸し出されて、いい感じになれました。
さらにまた転じて陽気な旋律が忘れられなくなる終楽章では、ブラスも打楽器も大活躍、ピアノもバリバリ。

 しかし見事なお手前だったスコットランド出身のオズボーンさんのピアノ。
完全に、この難解至極な曲を手のうちに入れてる。
表現の幅が極めて大きく、かつ繊細さも。
そんな彼の個性がさらに発揮されたのは、アンコールのドビュッシー。
このガラスのように繊細な曲を、さらに透き通るような音色で、絶妙なタッチで演奏して、満場のホールを、シーンとさせてしまった。
調べたら、ブリテンも、フランスものも、お得意なようですね。
気にいりました、オズボーンさん。

 さて、後半は、タイム的には30分と、ちょっとものたりないけれど、ゴージャスで、オケががんがん鳴るウォルトンの2番。
1番は有名ですが、2番は、めったに演奏されない。
セルの演奏がかつては有名でしたが、わたくしは、入手しやすいプレヴィン盤のみ。

今宵のブラビンズさんは、1番とカップリングした録音を残しているので、今度手にいれましょう。

さて、コンパクトな外観に関わらず、この1960年の作品は、保守的でありながら、その豪放でかつ、ゴージャスサウンドは、かつてはともかく、いまでこそ受ける類の音楽だと思います。
事実、ほとんどの方が初聴きだったかもしれない、この日。
演奏終了後、ブラボーの大歓声で、ブラビンズ氏は、何度もステージに呼び返され、最後には、ウォルトンのスコアを高く掲げ、自分の胸に抱きしめるという、ナイスなパフォーマンスまで見せてくれるというありさまになりました。

そう、ほんとに、すごいかっこいい曲であり、完全無比の演奏でした。
さすが都響の緻密さと、そのパワーは素晴らしい。
それを縦横に引き出したブラビンズさんの、的確かつ熱い指揮ぶりにも感嘆。

緊張感と切迫感あふれる第1楽章は、ウォルトンならではの疾走感がたまらない魅力。
 そして、一番ステキなのが2楽章。
この日のコンサートで、一番楽しみにしていた楽章です。
抒情と情熱が、入り混じった、クール・ビューティなブルー系のサウンドは、ウォルトンが得意とした銀幕の音楽にも通じるものがあります。
陶然とした気分で、この楽章に酔いしれてしまったワタクシです。
 転じて、これまた豪快かつ緻密・繊細で、多彩な音色や響きが楽しめる終楽章。
12音によるパッサカリア形式といいますが、そんなことは、あまり気にせず、音楽が変転しまくるさまを楽しみました。
エンディングも、チョーかっこエエsign01

名古屋フィルが羨ましく思えたブラビンズさんの、都響客演です。

あと、ウォルトン1番をメインに据えた、もう一夜のブリティッシュプログラムもまいりますnote
  

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2014年10月 2日 (木)

ブリテン 「真夏の夜の夢」 ハイティンク指揮


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真夏の夕暮れの東京タワー。

ついこの前までの暑い夏は、涼しい秋にとってかわりました。

冬から春も劇的だけど、夏から秋も、いつのまにか風が変わってしまい、朝晩に急に季節が進行したことを痛感します。

懐かしいな、夏。

Brittem_midsummer_night

    ブリテン 歌劇「真夏の夜の夢」

 オベロン :ジェイムス・バウマン   ティターニア:イレアナ・コトルバス
 パック   :ダミエン・ナッシュ     テセウス :リーヴェ・ヴィッサー
 ヒッポリタ :クレイエ・パウエル     ライサンダー:ライランド・デイヴィス
 ディミトリアス:デイル・ディージング ハーミア:シンシア・ブキャナン
 ヘレナ  :フェリシティ・ロット       ボトム:クルト・アッペルグレン
 クィンス :ロバート・ブリソン        フルート:パトリック・パワー
 スナッグ :アンドリュー・ギャラガー スナウト:アドリアン・トンプソン
 スターヴリング:ドナルド・ベル
 妖精:蜘蛛の巣、豆の花、からしの種、我・・・・ボーイ・ソプラノ

        演出:サー・ピーター・ホール

     ベルナルト・ハイティンク指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

                        
                         (81.@グラインドボーン)

   
シェイクスピア原作の「真夏の夜の夢」。
「真夏」とありますが、本来のこの物語の季節は、夏至の頃。

そして、夏もすっかり終わった秋のいま、こうして記事にしてます。
というか、真夏に鑑賞してたのに、今頃の記事。
最近の週末は、忙しくて、以前のようにオペラ記事を書く時間がないのです。

音楽での、「真夏の夜の夢」の代表作は、メンデルスゾーンの同名の劇音楽でありましょう。
あと、古くは、パーセルの「妖精の女王」で、原作から半世紀後。
そして、英国からは、ずっと下って、ブリテンのこちらのオペラとなります。
あと、変わったところでは、コルンゴルトがメンデルスゾーンの作品を映画様にオマージュした同名の劇作品もあります。

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ブリテンのオペラは、1960年の作品。
そして、原作のシェイクスピアの戯曲は、1596年。
ほぼ400年を経て、ブリテンと朋友のピアーズは、原作にほぼ忠実に従い、幻想・ロマン・笑い・風刺・夫婦愛といった妖精を介した人間のドラマが、楽しく美しくここに描かれることとなりました。

保守的な作風だったブリテンですから、1960年という年の作品にしては、メロディも豊かで、とても聴きやすいオペラで、しかも全3幕、2時間30分という長さながら、ドラマの運びと、巧みな音楽とで、楽しみつつ、あっという間に終わってしまう。

過去に2度記事にしてますが、簡単な、あらすじ・・・。

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妖精の王オベロンと妃のティターニアが、愛しい少年をめぐって喧嘩をして、頭にきたオベロンは、遊び心で、寝て起きて最初に見た人に恋してしまうという薬草を、妖精パックに探しにいかせる。

 人間の男女4人が、それぞれ、たがいに違う相手と出てきて、恋の悩みをぶつけ合う。

それを観察するオベロンは、気を効かせて、うまく恋が成就するように、パックに、かの惚れ薬を塗るように命じるが、そそかっしいパックは、違う相手の瞼に塗ってしまい、本来の恋人希望でない女性に起こされた彼は、彼女をひと目で好きになってしまう。

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 一方、森には、演芸の出し物を練習しにきた職人たち数人。

かたわらでは、妃ティターニアが休みにつくが、パックは職人のひとりを誘い出して、その姿をロバにしてしまう。

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 翌朝、目を覚ました妃は、ロバを見て、即、恋に落ちる。

妖精たちもまじえて、平和かつ滑稽な情景が続くが、一方、ひとりの女性を巡り、大げんかとなった4人の男女の喧騒もすさまじい。

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 パックに、ひと違いをしたことに、激怒して、お仕置きをするオベロン。

パックは、4人をばらばらに呼び出し、ふたたび、惚れ薬を処方。 

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さらに、妃の魔法も解き、妖精の王夫妻と4人は、仲直りの美しい朝を迎える。

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そして、その晩は、領主の婚礼。

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合わせて、4人の祝福も同時に行い、宴の出し物は、職人たちの抱腹絶倒の寸劇。

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やがて、劇も終わり、皆が去ったあと、妖精夫妻も仲良く歌い、最後に一人になったパックが狂言回しとして、舞台の幕を締める。


 登場人物が多くて、一見、ばたばた騒ぎに見えるけれど、舞台や映像に接すれば、その思いは霧消してしまいます。

 3幕の滑稽な劇中劇も、1幕で行われる職人たちの練習風景と巧みに結びついていて、もやもやが晴れるし、なによりも、全体に巧みなライトモティーフの使用による効果があふれ出てます。
 1幕と3幕は、それぞれ夢想的な前奏曲から始まり、そこから次々に、その幕の出来事も含めて音楽が派生して、大きくドラマを築いて行くさまが聴きこむとよくわかる。
さらに、中間の第2幕は、長大なパッサカリア形式ともとれるそうです。
 そう、全体をシンフォニックに捉えることも可能なオペラなのです。

 また、原作に妖精たちとして、少年がたくさん出てくることも、ブリテンの好む素材でありましたでしょう。
オペラでも、妖精たち=少年合唱は、3つの幕でそれぞれに大活躍で、古雅なまでのコーラスを披露して、3つの幕を結びつける効果も生んでいるように思われます。

あと、狂言回しのパックちゃんですが、語りに重点を置いたシュプレヒティンメのような存在で、歌いません。
わたしの持つデイヴィス盤では青年が、観劇した舞台では女性が、そしてこちらの映像のハイティンク盤では少年が、これまた、まったく達者に機敏に演じております。

ブリテンのオペラ16作中、10番めのものですが、このオペラよりあと、旋律的なオペラに別れを告げ、東洋風な音楽も取り入れ、よりミステリアスでユニークな、ある意味感覚的な音楽の方向へと向かうのでした。

 さて、グラインドボーン時代、1980年代のハイティンクは、ロンドンフィルの指揮者という立場でもって、オペラを本格的に指揮し始めた頃で、必死にレパートリーの開拓に努めていた頃。
モーツァルトのダ・ポンテオペラや、ストラヴィンスキー、ブリテンなどの名演をこうして残してくれました。
いずれもふくよかで、穏健な解釈ながら、音楽はときに生真面目すぎたりもしましたね。
でも、シンフォニックなアプローチが、ブリテンには、ピタリと決まって、とてもスッキリしてます。
カーテンコールに出てくるその姿も、頭は一緒ですが、まだ50代だから、とても若い。
グラインドボーンのあと、デイヴィスの後を受けて、コヴェントガーデンの音楽監督となり、オペラ指揮者としての立場も完成させることになるハイティンクでした。

歌手では、お馴染みのコトルバスが素晴らしいですね。
バウマンのオベロンも見栄えもよく、完璧な歌です。

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そして、4人の人間の恋人たちの素晴らしさ。
とりわけ、若きロットとR・ディヴィス。

 最後に、演出は、ピーター・ホール。
王立シェイクスピア劇団やナショナル・シアターの監督をつとめたピーター・ホールは、劇や映画に加え、オペラ演出でもかなりの舞台を残しております。
英国で、数々実績をあげていたホールに、バイロイトが声をかけたのは、シェロー&ブーレーズの革新的な「リング」のあと。

 ショルティとともに、バイロイトに乗り込み、それまでの「フレンチ・リング」に対し、「ブリテッシュ・リング」と呼ばれたのが1983年のこと。
このブリテンの映像の頃は、もう構想・準備に入っていたものと思われます。
 具象的で、ロマンティックだったバイロイトの「リング」は、ある意味賛否両論で、前が凄すぎたのと、ショルティが、劇場の音響にうまく自分の想いを合わすことができず、1年で降板してしまったことが気の毒な評価となってしまいました。

 ですが、その後を受けたペーター・シュナイダーの指揮が素晴らしくて、歌手もベーレンスを中心に安定して、このプロダクションは成功裏に終了することとなりました。
こちらの映像は残されませんでしたが、ほんのちょっとだけ、ビデオで持ってますよ。

話が飛んでしまいましたが、ホールの造りだす舞台はとても美しくて、あらゆる人の想像の中に出てくるものと同じ感じでもって展開するので、幻想と現実の狭間をただようこの舞台を理想的な演出として評価してもいいと思います。
 リングでは、「リアルなメルヘン」と評されましたが、ここでも、まさにそう。
ある意味、原作に忠実であることの美しさです。
 もちろん、解釈により生まれる美しさや、刺激を否定するものでなく、大いに双方を受け入れたい心情に変わりはありません。

いまや、いろんな演出や演奏が登場していると思われますが、ひとつのスタンダートとして大切な映像に演奏だと思います。

それにしても、ブリテンのオペラのエンディングは、急転直下かっこいい

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「妖精さんのしでかす出来事は、いつでも、ありまぁす

by パックさん



 
過去記事

 「デイヴィス&ロンドン響」

 「名古屋二期会公演 阪 哲朗 指揮」
  

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2014年8月16日 (土)

ブリテン 戦争レクイエム ヤンソンス指揮

Takeshiba1

この夏の、暮れる前の頃の東京湾。

竹芝桟橋あたりからの眺めです。

台風の襲来も多く、このところの夏空は、雲がウロコだったり、流したようなスジだったりで、美しいけれど、ちょっと不安を感じる模様ばかり。

あの、わたくしたちの知る夏空は、どこへ行ってしまったのでしょう。

真っ青な空に、もくもくとした入道雲。

夕方には、雷雲となり、ひと雨ざっと降って、そのあとは、またスッキリと晴れて、空が染まって、日暮らしが鳴いて、夏の1日が終わってゆく。
宿題はたくさん抱えながらも、明日もまたあるさ、との思いで、夏休みを喜々として過ごした子供時代。

日本の夏って、みなさん、そんな風に過ごしてなかった?

ここ数年、ゲリラ雷雨に、台風直撃、猛暑。

地球全体が熱帯性になりつつあり、日本の季節のメリハリある情緒も、かつてのものとなりつつあります。

でも、かつてのもの、過去のものにしてはならない記憶。

それは、戦争、そして、いくつもの震災で失われた命と、それを起こしてはなならいという気持ちと、予防の準備。

ヴェルデイとともに、真夏に毎年聴く、ブリテンの戦争レクイエムに、恒久平和の思いを託したいと思います。

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   ブリテン  戦争レクイエム

      S:エミリー・マギー

      T:マーク・パドモア

      Br:クリスティアン・ゲルハーヘル

   マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団
                   バイエルン放送合唱団
                   テルツ少年合唱団

          (2013.3.13~15 @ガスタイクホール、ミュンヘン)


 ブリテン(1913~1976)の「戦争レクイエム」は、伝統的な「死者のためのミサ曲」の典礼文に基づく部分と、ウィルフレット・オーエンの詩による独唱による部分。
 このふたつを巧みにつなぎ合わせて、ひとつの、いわば「反戦」と「平和希求」をモティーフとする、独自の「レクイエム」を作り上げた。

ふたつの世界大戦の前にあっては、戦争は国同士のいさかいや、第三国への侵略などであって、局所的な戦いであり、作曲家や音楽たちへの影響も限定的でした。

しかし、武器の威力も増した、世界規模の戦争となると、いろんな影響を音楽家たちに与えることとなりました。
 世界大戦前と、戦中・戦後においては、作曲家たちは、芸術家としても、戦争そのもに向き合わざるを得なくなりました。

そんななかにあって、ブリテンほど、戦争を心から憎み、その音楽にもその思いを熾烈なまでに反映させた作曲家はいないのではないでしょうか。
イギリスの伝統としての制度、「良心的兵役忌避者」の申告をして、そのかわりに、ボランティアとして、音楽を演奏することで戦争ですさんだ人々への慰問をし続けた。

そして、戦後、二度と戦争など引き起こしてはならない、そんな思いから、この「戦争レクイエム」が、書かれ、同時に戦没者への悼みの意味合いも、ここに込められることとなりました。

と、毎年、同じことを書いてますが、ですが、暑いこの季節に、そして終戦の日に、この音楽の持つ意義なども思いながらこの名作を聴くことに、大きな意義を感じているのです。

作曲者自身の指揮による記念碑的な演奏の呪縛から何年も抜け出すことができなかったけれど、若いラトルのチャレンジから本格化し、いまや、この作品は、不朽の名作として、世界中で取り上げられ、録音もされるようになりました。

そんななか、昨年のブリテンの生誕100年には、予想外のヤンソンス盤が登場。

体調不良もときおり報じられ、バイエルンを中心にして、仕事の量も絞りつつあるヤンソンスは、ここでも、ものすごい集中力でもって、迫真の「戦争レクイエム」を一気に聴かせる。
最近のヤンソンスは、ミュンヘンでもアムステルダムでも、合唱作品を取り上げることが多くて、そのいずれもが完成度が高くて、こんなに一生懸命な演奏ばかり繰り広げて、大丈夫かいな、と思わせるものばかり。
 
 内面への切り込みが深くなり、効果のための音というものが一切見当たらない。
かつての若き頃は、音楽を生き生きと、面白く聴かせることに長けたヤンソンスでしたが、いまは、それに加えて、内省的な充実度をさらに増して、ここでも、音楽のスケールがさらに大きくなってます。

Jansons

アメリカ人、イギリス人、ドイツ人という独唱3人は、それぞれに実績のある方たちで、贅沢な組み合わせ。
オペラ歌手としてのイメージの濃い、エミリー・マギーは抑制を効かせた思いのほか無垢の歌唱。
そして、パドモアのシリアスで、読み込みの深い歌いぶりは、もしかしたら、初演者ピアーズに迫る名唱に思います。
ゲルハーヘルは、それこそ、F=ディースカウを思わせる言葉ひとつひとつへの傾倒ぶり。
この3人の歌のレベルの高さは、実に特筆ものでした。

バイエルンのオーケストラの高性能ぶりと輝かしさは、ベルリンフィルと双璧でしょう。
そして、どちらも音の基調は明るめ。
多彩な音色のベルリンに対し、バイエルンは、南ドイツ的な暖かさを持っている。
ブリテンのような、クールな音楽に、バイエルンの機能美と、明晰な明るさは、ぴったりと思います。
最終章リベラ・メにおける緊迫感と、ミステリアスな様相から徐々に立ち込める浄化ムード。
このあたりの劇的だけど、緻密な描き方は、ふたりの男声歌唱の素晴らしさもあって、ヤンソンス率いるバイエルンの真骨頂。

過去記事からコピペで、曲の概要を再び記しておきます。

「重々しく不安な感情を誘う1曲目「レクイエム」。
戦争のきな臭い惨禍を表現するテノール。
曲の締めは、第2曲、そして音楽の最後にあらわれる祈りのフレーズ。
 第2曲は長大な「ディエス・イレ」。
戦いのラッパが鳴り響き、激しい咆哮に包まれるが、後半の「ラクリモーサ」は、悲壮感あふれる素晴らしいヶ所で、曲の最後は、ここでも祈り。
 第3曲目「オッフェルトリウム」、男声ソロ二人と、合唱、二重フ―ガのような典礼文とアブラハムの旧約の物語をかけ合わせた見事な技法。
 第4曲「サンクトゥス」、ピアノや打楽器の連打は天上の響きを連想させ、神秘的なソプラノ独唱は東欧風、そして呪文のような○△※ムニャムニャ的な出だしを経て輝かしいサンクトゥスが始まる。
 第5曲は「アニュス・デイ」。
テノール独唱と合唱典礼文とが交互に歌う、虚しさ募る場面。
 第6曲目「リベラ・メ」。
打楽器と低弦による不気味な出だしと、その次ぎ訪れる戦場の緊迫感。
やがて、敵同士まみえるふたりの男声ソロによる邂逅と許し合い、「ともに、眠ろう・・・・」。
ここに至って、戦争の痛ましさは平和の願いにとって替わられ、「彼らを平和の中に憩わせたまえ、アーメン」と調和の中にこの大作は結ばれる。」

最後に至って、通常レクイエムとオーエン詩の、それぞれの創作ヶ所が、一体化・融合して、浄化されゆく場面では、聴く者誰しもを感動させずにはいない。
敵同士の許し合いと、安息への導き、天国はあらゆる人に開けて、清らかなソプラノと少年合唱が誘う。
このずっと続くかとも思われる繰り返しによる永遠の安息。
最後は、宗教的な結び、「Requiescant in pace.Amen」~彼らに平和のなかに憩わせ給え、アーメンで終結。

 このCDのジャケットは、焼失したコヴェントリーの教会。
この教会の再築に合わせて、作曲されたのが「戦争レクイエム」。
いろいろな演奏が、いまや聴けるようになりましたが、日本人の手によるものも小澤さん、大野さんと出ております。
広島や長崎をジャケットに使用した、そんなあらたな日本人による演奏を、世界に発信していただきたいと思っておりますが、いかがでしょうか。


過去記事

 「ブリテン&ロンドン交響楽団」

 「アルミンク&新日本フィル ライブ」

 「ジュリーニ&ニュー・フィルハーモニア」

 「ヒコックス&ロンドン響」

 「ガーディナー&北ドイツ放送響」

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2014年6月24日 (火)

松本室内管弦楽団 第49回定期演奏会 山本裕康指揮

Matsumoto_harmonyhall2

緑の中の、音楽ホール。

Shimauchi

島内駅を降りて数分の松本市音楽文化ホールは、今回、2年前に続いて2度目でしたが、またも、最初は、あいにくの空模様。

・・・でしたが、駅へ着くと、雨はあがり、濡れた新緑がとてもきれい。

以前は、震災補修とのことで、小ホールでの演奏会でしたが、今回は、メインホールで、それはまた、響きの素晴らしい驚きのホールなのでした。

Matsumoto_harmonyhall

席数約700のほどよい規模。
高い天井に、音はとてもきれいに溶け合って、客席に降りてくるイメージでした。

こんなホールでバッハが聴いてみたいと、聴く前からつくづく思ったりもしました。

松本室内合奏団は、1989年発足で、月2回の定期のほか、市民オペラでピットに入ったりと、地元に密着した活動を行っている団体です。

2年前の演奏会でも、活力に満ちたやる気あふれる演奏に、驚きと興奮を覚えたものです。

そして、今回も、ホールがこちらの正ホールとなったこともあり、音色の美しい、柔軟なオーケストラという印象も、それに加えて持ちました。

それも、弓を指揮棒に変えて、指揮台に立った山本裕康さんのタクトによるところも大なのではないかと思いました。
 というのも、いつもお馴染みの山本さんの奏でるチェロ、その誠実で柔和な音色、それを思わせるオーケストラの響きだったのですから。

Matsumoto_chamber_2

     モーツァルト    交響曲第29番 イ長調

    ブリテン       シンプル・シンフォニー

    メンデルスゾーン 交響曲第4番 イ長調 「イタリア」

       山本 裕康 指揮 松本室内合奏団

             (2014.6.22 ザ・ハーモニー・ホール 松本)


ブリテンの若書きを、明るい古典とロマンのふたつのイ長調で挟み込んだ秀逸なプログラム。
モーツァルト1774年、メンデルスゾーン1833年、ブリテン1934年。
メンデルスゾーンからブリテンの作品まで、160年。
時代を考えると保守的な作風だったブリテンですが、3つの作品の時代の流れを頭に置きながら聴くのも一興でした。

冒頭のほのぼのとしたモーツァルト。
この曲って、清々しくて、湧き立つような喜びも感じさせる音楽で、「モーツァルトのイ長調」ということで、好きではあるけど、自分的に、実はあんまり聴くことが少ない。
むしろ、常にセットになってる25番の方をよく聴きます。

そんな気持ちで聴き始めましたが、1楽章の前半は、指揮者も奏者もみんな緊張ぎみで、音がしっくり定まらない感じで、聴くわたくしも、耳の具合も落ち着きません。
ホールの響きに音が埋没してしまう感じで、自分の耳にも修正が必要だとも思いつつ、たおやかな2楽章へ。
ところが、ここへきて、旅の疲れか、おいしかったお昼のお蕎麦の影響か、意識がゆる~く遠のく感じ。
そんな気持ちに陥ってしまうほどに、モーツァルトの音楽は耳にも脳みそにも優しく、体も包みこまれてしまうのだ。
 このリラックス効果に、あやうく全落ちしそうになりそうなところでしたが、3楽章できりっと元通りに回復。
唯一の木管、オーボエとホルンの活躍も可愛い3楽章で目覚め、若い駿馬のような4楽章で、ようやく自分のエンジンが全開。
 こんな風に聴いてしまい、申しわけありません。
最初の部分こそ、乱れを感じさせ、慎重すぎるきらいはございましたが、美しく整ったモーツァルトを聴かせていただきました。
 充実様式へと舵を切り始めるモーツァルトのこの曲、まだ多少のギャラントな様相もあり、あとの作品ほどの深みも薄く、シンプルゆえに、難しい音楽ですね。
そういう意味で、この日、サラッと演奏したのは正解だったかも。

次は、ブリテン。

この曲から、演奏も、聴衆も、乗りはじめ、一気にブリテンならではのカッコいいサウンドに引き込まれることになりました。
 大好きなブリテンの音楽は、つねにシリアスであることが多く、ときに社会への憤りや、弱者への優しい目線であったりするのですが、初期作の「シンプル・シンフォニー」にも、そうした萌芽は垣間見ることもできます。
 そんな風に思ったのがこの日の演奏。
わたくし的には、この日のこの演奏は、完璧な出来栄えではなかったかと思います。
シニカルないたずら心すら感じる、洒落た楽章配置と、楽章への命名については、楽員さんが書かれた、コンサートの曲目解説を読むことで、楽しく共感できました。
 そして、「感傷的なサラバンド」と題された、第3楽章には、思わずホロリとしてしまいました。
従来の、格式高くノーブルな英国音楽へのオマージュともいえるような、伝統への回帰と、そこからの旅立ちのように聴きました。
 この合奏団の弦の美しさに、同時に感銘をうけました。
そして、弦を豊かに、そして優しく歌わせることにかけては、さすがは、山本さんでした。
シュナイト&神奈川フィルでも、この曲は聴いたのですが、あのときの大演奏に比べると、もっとスリムで、華奢なイメージですが、ともかく美しかった。

 中庭の緑を見て、休憩後は、とかく流麗・明朗快活のイメージがあるメンデルスゾーン。

山本さんの、紡ぎ出した第1楽章の出だしは、快速メンデルスゾーンでした。
いやはや、驚きました。
一瞬たりと乱れず着いてゆくオケも見事でした。
のほほんと、いつものメンデルスゾーンを聴いてやろうと思ってたら、いきなりガツンとやられました。
シートから背中を離して、斜め前傾姿勢で聴くべきと思い、息もつかせず、1楽章を聴き終えました。
 次ぐ2楽章は、休みを取らずにアタッカですぐさま、あの哀感に満ちた2楽章へ突入。
これもまた、新鮮な驚き。
明るいイ長調の1楽章から、憂愁ニ短調の2楽章へ。
この鮮やかな対比。
メンデルスゾーンの多面性を、あらためて思わせる秀逸な解釈ではなかったかと思います。
明るくて、晴れやかなばかりでない、「イタリア交響曲」へ斬新に切り込む、指揮者とオーケストラに拍手を送りたいです。

3楽章へは、通常のおやすみをとり、思い切り気持ちよく3拍子を堪能させてもらったあと、短めの入りで、すぐさま終楽章。
大胆なテンポや解釈は取らなかったものの、オケの自発性を引出しつつ、そこにゆだねたような、ナチュラルな盛り上がりが、音楽そのものの勢いと相まって、見事なクライマックスを造り上げました。
 ここでも、3楽章は、例のイ長調。4楽章はタランテラの、切迫感あふれるイ短調。

前半・後半の二局面を、巧みに味わうこととなりました。
メンデルスゾーンも油断ならない作曲家だと認識されたりもしましたこの演奏。

山本さんの新鮮な指揮と、やる気とフレキシビリティあふれる松本室内合奏団の、素晴らしい演奏会でした!

Matsumoto_castel

コンサート終了後は、晴れ間も広がり、名城松本城へ。

どうでしょう、この清々しい佇まい。

訪れた一同、みんな、声をあげちゃいました。

そのあとは、地のものを肴に、居酒屋さんへ。

これもまた、この楽旅のおおいなる楽しみのひとつなり。

Kuranomukou_1 Kuranomukou_4

 まずは、ビールで乾杯、それと蕎麦を揚げたものに、クリーミーなチーズソースをかけて。

Kuranomukou_2 Kuranomukou_3

 信州サーモンのお刺身、と馬刺しですが、部位はたてがみ。これまたまったりとウマい。

お酒は、南信に単身赴任中のメンバーの推薦で、「夜明け前」。

これがまた、やばいヤツでして、とんでもなく美味かった。

Kuranomukou_5a

こんな分厚い「馬カツ」は初めて。

あっさりと、ジューシーに揚がってますよ、絶品なり。

今回も、音楽も酒食も、収穫の多かった松本でした。

こんどは、大学時代の友人に会う余裕をもってきたいものです。

そして、山本さん、楽団のみなさん、また機会を作ってください。

次回は弾き振りなんて、いかがでしょうか。

Hiroyasu_yamamoto

一息入れたいところを、お邪魔しちゃいました。

どうもお疲れ様でした。

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