カテゴリー「ブリテン」の記事

2021年8月14日 (土)

ブリテン 戦争レクイエム マルヴィッツ&ティーラ

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靖国神社の外苑の慰霊の庭には、こうした桜をモティーフにした陶板があります。

東京の開花宣言の標本木があるように、靖国神社といえば、「桜」でもあります。

各都道府県の土を実際に使用して、各都道府県の陶芸家が作成。

こちらは茨城県笠間市。

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夜間は中にある照明で、うっすらと輝きまして、とても美しいのです。

こちらは兵庫県丹波篠山。

靖国神社は国のために命を燃やした英霊たちを祀ってますが、坂本龍馬や吉田松陰、高杉晋作ら、幕末の志士たちも含まれてます。

戦士した方も、一般の戦没者も、終戦の日には、心から慰霊の念を込めて黙祷します。

毎年、ブリテンの「戦争レクイエム」をこの時期に聴きます。

1961年に作曲完成、1962年に初演。
今年と来年で60年となります。
心からの反戦主義者であったブリテンが、オーウェンの詩とラテン語典礼文を巧みにつなぎ合わせて作った平和希求のレクイエム。
ブリテンの見て思った戦争は、ヨーロッパ戦線でしょうが、日本の太平洋戦争はあまり視野にはなかったかもしれない。
ヨーロッパの街々が戦場となりましたが、終戦から15年を経過したイギリスにいたブリテンに、焦土と化した被爆地や無差別爆撃を受けた街の様子は届いていたでしょうか。

しかし、日本には、戦争レクイエムの22年前、シンフォニア・ダ・レクイエムを奉じてます。
皇期2600年の祝典になにごとぞ、ということにはなりましたが、結果としてはそちらも鎮魂曲として、平安を祈る音楽となっていて、ブリテン好きの日本人としてはありがたい思いです。

今年は女性指揮者たちによる「戦争レクイエム」を。
いずれも海外のネット配信を録音して個人的に楽しんでいる音源です。
 ついにバイロイトにも女性指揮者が登場し、世界のオーケストラのシェフにも女性の名前が目立つようになりました。
女性だから、ということでなく、真に実力のある指揮者たちが、ここ数年で多く輩出され、第一線で活躍するようになった。

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  ブリテン 戦争レクイエム

         S:アンネ・デロアード
       T:タデウシュ・シュレンキェール
      Br:サンミン・リー

  ヨアナ・マルヴィッツ指揮 ニュルンベルク州立フィルハーモニー
               ニュルンベルク州立劇場合唱団
               ハンス・ザックス合唱団
               ニュルンベルク・コンサート合唱団
               テルツ少年少女合唱団

      (2019.7.13 @マイスタージンガー・ハレ、ニュルンベルク)

1986年生まれ、ヴァイオリンとピアノを学びつつ、指揮にも興味を持ち、ハノーヴァーでピアノに加え、指揮の勉強もします。
ここでは放送フィルハーモニーにいた大植英次にも学んでます。
ハイデルベルクの劇場でオペラデビュー、次席指揮者となり、さらに次はエアフルトのオペラハウスへと移り女性初の音楽監督となる。
ここでは、座付きオーケストラを、コンサートオーケストラとしても機能させる仕組みをつくります。
ピアノのソロをつとめつつ指揮を行うコンサートも評判に。
そして、2018年には、さらにステップアップして、ニュルンベルク州立劇場の音楽監督に就任し、現在に至ります。
シーズン最初の演目は、プロコフィエフ「戦争と平和」「ローエングリン」で、その後「ピーター・グライムズ」「ドン・カルロ」も指揮。
地方のハウスから、州立劇場の指揮者に、かつてのドイツのオペラ指揮者のような叩き上げ方式の躍進ぶりです。
2000年には、ザルツブルク音楽祭初の女性オペラ指揮者として、コロナ禍の「コジ・ファン・トウッテ」を指揮したことはご存知のとおり。
しかし、先ごろ、マルヴィッツは、ニュルンベルクのポストを継続せず、任期の2023年に終了させることを発表しました。
妊娠したこと、それから、そろそろまた後のことを考えるため、と語っているそうで。

すぐれた芸術家は、先を見据えた考えや行動がとれるものです。
子育てをしながらも、次はどんなポストに就くのか、その生き方とともに、とても楽しみです。

マルヴィッツの演奏は、CDとしては「メリー・ウィドウ」がありますが、そちらは未聴。
ザルツブルクの「コジ」は視聴済み。
ネット放送で、シューベルトやベートーヴェン、悲愴、夏の野外コンサートでのガーシュインやバーンスタインなど、記事にしたローエングリンなどを聴いてますが、いずれも明快・率直でオーケストラもよく鳴らせて気持ちのいい演奏です。

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凛々しいマルヴィッツさん。

指揮姿も長身で、腕も長くピアニストならでは、指先までもニュアンスゆたか。

ブリテンの音楽のひっ迫感とのっぴきならない緊張感をみごとに引き出してる。
オペラの道を歩む指揮者として、劇性も豊かにダイナミックで、聴いていてレクイエムにはなんですが、わくわくさせてくれるし、ニュルンベルクのオケのブラスセクションの迫力と優秀さをも感じさせてくれます。
ドイツの「戦争レクイエム」という感じで、次に取り上げる、ザルツブルクの演奏とはちょっと違ったローカル感もあり。
ソロ歌手3人は、劇場の専属メンバーで、ややオペラ風に傾くところが、とくにバリトンの方がなんではありますが、合唱もふくめ、日ごろのチームをしっかりまとめ上げ、きっとおそらく、みんなが初めて戦争レクイエムを演奏したであろう方々を、見事に率いたマルヴィッツの実力は間違いないと思います。
 ドレスデンとの契約を満了後は更新しないと言うティーレマンのあととか、バイロイトとか・・・・・
勝手に妄想中。

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   ブリテン 戦争レクイエム

         S:エレナ・スキティナ
       T:アラン・クレイトン
      Br:フローリアン・ベッシュ

   ミルガ・グラジニーテ=ティーラ指揮

        グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラ
                        ウィーン放送交響楽団
        ウィーン学友合唱団
        ウォルフガンク・ゲーッ合唱団

        ザルツブルク音楽祭、劇場少年少女合唱団

  (2021.7.18 @フェゼンライトシューレ、ザルツブルク音楽祭)

演奏会の冒頭に、メンデルスゾーンの短いカンタータ「私たちに平和を与えてください」が穏やかに演奏されて、そのまま静かに「戦争レクイエム」が始まります。
グラジニーテ=ティーラは、コンサートのプログラミングがとてもうまく、その切れ味のいい音楽造りとともに、いつも驚きを与えてくれる指揮者であります。

1986年生れなので、マルヴィッツと同い年です。
リトアニアの音楽一家のもとに生まれ、チューリヒ、ライプチヒ、ボローニャ、グラーツ各地で学び、2011年にハイデルベルクの劇場指揮者からキャリアスタート。
ベルン、ザルツブルクのそれぞれの劇場を経て、オペラキャリアも積み、アメリカではシアトル、サンディエゴ、そしてロスフィルも指揮して、ロサンゼルスでは2014~16年に、ドゥダメルのもとで副指揮者となります。
同時にザルツブルク州立劇場の音楽監督となり、ザルツブルク音楽祭でも、マーラー・ユーゲントを指揮してデビューします。
2015年にネルソンスのもとでバーミンガム市交響楽団の首席客演指揮者となり、2016年にはバーミンガムの音楽監督に就任。
こんな風に、その実力に裏付けられたキャリアを着実に歩むティーラさんなんです。

昨年は、第2子を身ごもりながら、コロナ感染してしまい、しかし、それも見事に完治し、赤ちゃんも生み育てるしっかりものです。
DGと専属契約も結び、CDも徐々に出始めてますが、残念ながら、バーミンガムのポストは任期満了となる2022年には更新しないと発表してます。
一部情報によると、ザルツブルクで子供たちと過ごすなか、イギリスのEU離脱で、イギリス入国手続きが煩雑になったことなどがあげられてます。バーミンガムは首席客演指揮者となって良好な関係は継続するとしてます。
 それにしても、バーミンガムは、ラトル、オラモ、ネルソンスと実力指揮者が次々と歴任し、それぞれに録音にも恵まれました。

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さて、今年のザルツブルク音楽祭の開幕をかざったミルガの「戦争レクイエム」。
昨年、本拠地バーミンガムでの演奏がコロナ禍で中止となり、今年はザルツブルク音楽祭に手兵を引き連れて凱旋する予定だった。
しかし、これもまたコロナ対策で、待機スケジュールがうまく取れず、バーミンガムの訪墺が不可となり、マーラー・ユーゲントとオーストリア放送響との演奏になりました。
劇的なマルヴィッツに比べ、ホールの響きの違いもありながら、ミルガさんの演奏は、流麗さを感じる美しいものに感じました。
ことに典礼文を歌う合唱部分の静けさ・美しさは特筆で、ラスト、「リベラ・メ」の「彼らを平安のなかに、憩わせたまえ・・・」には涙がでるほどに感動した。
この終結部に至り、冒頭のメンデルスゾーンの清らかな音楽と、ブリテンの切実な音楽とが、しっかりとつながり、関連付けられるのも実に見事なものでした。

実績ある、3人の歌手たちは、それぞれ、ロシア、イギリス、ドイツと初演のときと同じ国柄を採用していて、いかにも国際色豊かな音楽祭であります。
なかでも、スキティナのソプラノがきらりと光ってます。

ふたりの若い女性指揮者の「戦争レクイエム」、どちらも捨てがたい桂演でした。
先輩指揮者の、シモーネ・ヤングさんや、オールソップさんの演奏も聴いてみたいものです。

作曲者自身の63年の録音を原典として、作者以外の指揮による録音は83年のラトルまでなされなかった。
ブリテンのオペラも含めて、いまや、指揮者や劇場のレパートリーとして定着しました。
ブリテンの死後、いやラトルによる録音後に生を受けている女性指揮者たちが、こうしてブリテンの名作を取り上げていることに、隔世の感を抱くとともに、音楽をこうして聴いてきて、こんな多彩な楽しみができることに大きな喜びを禁じえません。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以下は、毎度の再掲。
我ながら、よくまとまってるので、自分で聴くときに参照にしたりしてます。

3人の独唱、合唱、少年合唱、ピアノ・オルガン、多彩な打楽器各種を含む3管編成大オーケストラに、楽器持替えによる12人の室内オーケストラ。
レクイエム・ミサ典礼の場面は、ソプラノとフルオーケストラ、合唱・少年合唱。
オーエン詩による創作か所は、テノール・バリトンのソロと室内オーケストラ。

この組み合わせを基調として、①レクイエム、②ディエス・イレ、③オッフェルトリウム、④サンクトゥス、⑤アニュス・デイ、⑥リベラ・メ、という通例のレクイエムとしての枠組み。
この枠組みの中に、巧みに組み込まれたオーエンの詩による緊張感に満ちたソロ。
それぞれに、この英語によるソロと、ラテン語典礼文による合唱やソプラノソロの場面が、考え抜かれたように、網の目のように絡み合い、張り巡らされている。

「重々しく不安な感情を誘う1曲目「レクイエム」。
 戦争のきな臭い惨禍を表現するテノール。
 曲の締めは、第2曲、そして音楽の最後にあらわれる祈りのフレーズ。

②第2曲は長大な「ディエス・イレ」。
 戦いのラッパが鳴り響き、激しい咆哮に包まれるが、後半の「ラクリモーサ」は、悲壮感あふれる素晴らしいヶ所で、曲の最後は、ここでも祈り。

③第3曲目「オッフェルトリウム」。
 男声ソロ二人と、合唱、二重フ―ガのような典礼文とアブラハムの旧約の物語をかけ合わせた見事な技法。

④第4曲「サンクトゥス」。
 ピアノや打楽器の連打は天上の響きを連想させ、神秘的なソプラノ独唱は東欧風、そして呪文のような○△※ムニャムニャ的な出だしを経て輝かしいサンクトゥスが始まる。

⑤第5曲は「アニュス・デイ」。
 テノール独唱と合唱典礼文とが交互に歌う、虚しさ募る場面。

⑥第6曲目「リベラ・メ」。
 打楽器と低弦による不気味な出だしと、その次ぎ訪れる戦場の緊迫感。
やがて、敵同士まみえるふたりの男声ソロによる邂逅と許し合い、「ともに、眠ろう・・・・」。
ここに至って、戦争の痛ましさは平和の願いにとって替わられ、「彼らを平和の中に憩わせたまえ、アーメン」と調和の中にこの大作は結ばれる。

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3つ並んだ東京、神奈川、千葉の桜。

この1都2県を行ったり来たりしてる自分です。

過去記事

「ブリテン&ロンドン交響楽団」

 「アルミンク&新日本フィル ライブ」

 「ジュリーニ&ニュー・フィルハーモニア」

 「ヒコックス&ロンドン響」

 「ガーディナー&北ドイツ放送響」 

 「ヤンソンス&バイエルン放送響」

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「K・ナガノ&エーテボリ交響楽団」

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「デイヴィス&ロンドン響」

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「パッパーノ&ローマ聖チェチーリア」

Ninomiya

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2021年5月14日 (金)

ブリテン 「ねじの回転」 ヒコックス&ハーディング

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三田の坂の上にある三井倶楽部。(さんだ、の三田ではありません)

三井グループの関係者だけが利用できる迎賓館で、明治10年にここに設置。
財閥の巨大さを感じ取れる施設ですが、終戦後は当然のように米軍に利用権を独占された歴史があるという。

この周辺、港区一体には、各国の大使館があってそれぞれの国柄によって警備の度合いもまちまち。
日本にとっての友好国は、おまわりさんが一人もいないし、お国の魅力を伝える掲示物もたくさんあって、異国情緒を味わえる。
そうでない国は・・・・C・K・R云々、げふんごほん。。。。

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その斜め向かいには、かつて、郵政の簡易保険事務センター、昭和初期の旧逓信省貯金局庁舎の瀟洒な建物がありましたが、跡形もありません。
その建物は歴史的な文化遺産とも呼べたかもしれません。
アールデコ調のとてもヨーロピアンな建物で、ここを通るときにはよく眺めたものです。

ここが三井不動産に売却され大型マンションとなるようで。
この坂下にも大型高級マンションが次々に建ってきて、どんどん空が狭くなる東京。

この記事の最後に2008年頃に撮った写真を載せときます。

今日はブリテン(
1913~1976)のオペラ。

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    ブリテン 歌劇「ねじの回転」

アメリカに生まれ、英国で活躍した作家ヘンリー・ジェイムズ(1843~1916)が書いた同名の小説に基づくもの。

「ねじの回転」とは?
ねじは、ひとつの方向に回すことで、閉まるし緩まる。
そう、どちらかの方向に回りだしたら、もう後戻りできずに、ゆっくりでも事は進行してしまう、ある意味止められない、という意味合い。
いい方向にも、悪い方向にも・・・・

無意識の心理学を発見・確立したフロイト以前にそうした意識の流れを小説に取り入れた点で、革新性のある作家とされます。
人物たちの深層にある意識の流れが、とどまることなく、いろんな外形的な出来事の進行を通じて、思いもよらぬ、でもその心理に応じた結果をもたらすというもの。
また、郊外の壮麗な屋敷を舞台とすることから、英国のゴシック・ロマン小説の流れもあり。
以前の記事で、「次は小説も手にとってみよう」とか自分で書いてるけど、結局読んでない怠け者でありました。
今回は映像で2作視聴したので、作品への理解もひとしおでした。

「ねじの回転」は第9作目。
1954年にヴェネチア・ヴィエンナーレでブリテン指揮するイングリッシュ・オペラ・グループによって初演。
楽器持ち替えを含む13名程度の室内楽団と、ソプラノ、ボーイ・ソプラノ、テノールの6人の登場人物だけの室内オペラ。
こうした室内オペラは、これで3作目で、生涯好んだジャンルでもある。
器楽的な編成も含めた、室内編成オペラは、16作のオペラ中10作もあります。
大編成のオペラも、ピーター・グライムズやビリー・バッド、グロリアーナや真夏の夜の夢など、ともかく多彩で魅力的な世界がブリテンのオペラなのであります。

少年と少女、その少年を誘惑する幽霊がテノールで、当然にピーター・ピアーズが念頭。
欲求不満という悩める女家庭教師が主役。
こうしたいかにも的・ブリテン的な内容でありますが、無垢と邪悪との対比と闘い。
ブリテンが生涯貫いたテーマであります。
第2幕の最初に、幽霊組のふたり、クゥイントとジェスル婦人が悪だくみを語りあうシーンがあるのですが、そこで口にする言葉「The Celemony of innocence」。
これを打ち負かしてやるぜ、と話します。
「純粋・無垢な作法」とでも訳せましょうか。
ラストで、クゥイントと少年が直接対決し、それを女教師が必死に守り、少年は打ち勝ちますが、しかし魂は抜かれてしまった。
無垢な世界の敗北なのか、それとも死と引き換えに打ち破って、その魂は清らかに昇天したのか?
オペラでは、リアルに登場する幽霊たちの姿が見えることから、女教師の心理から、少年が死に至るという、ある意味事件性は薄くなっているが、そのあたりにメスを入れる演出も出てくるかもしれない。
「The Celemony of innocence」という言葉は、イェーツの詩から引かれたもの。
「再臨(Second Comming)」という詩で、キリストの循環再臨を詠った。
原作も、ブリテンの解釈も、いろんなものに読める、謎多きオペラかと思いますが、音楽はクールでありながら、かつ優しく、極めて緻密に書かれています。
 繰り返しですが、そのあたりの理解のためにも原作を読まねばなりませんな・・・・

プロローグ
  テノール独唱が、ピアノ伴奏を受けて物語の前段を語る。
 若い女教師が、二人の子供の後見人から、高給を約束しつつ、二人の世話を一切任せ、自分は手を引くことを、募集に応じてから聞かされた。
その後見人は、唯一の親族でかつハンサムだった。
家庭教師は、やる気に溢れて申し出を受け入れる。

第1幕
 郊外の邸宅に家庭教師は着任する。そこには、兄マイルズと妹フローラの二人の子供と、家政婦グロース婦人がいるのみ。子供たちは、カワユク美しく、利発で、家庭教師も気にいる。
うまくいくかと思った数日後、マイルズの学校の校長から、暴力をふるったとして退校処分の手紙が来る。
その後、家庭教師は、屋敷の一角の塔に男の姿を認め、恐怖にかられる。
さらに再びその男を見てしまい、グロース婦人に聞くと、かつての使用人のクイントではないかという。クイントは、マイルズをかわいがりすぎていたこと、前任の女教師ジェスルとも親しくしていたが、凍った道路で転倒して死に、ジェスルも自殺した旨を聞かされる。

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ある日、マイルズは勉強中に不思議な歌を歌う。
夜、マイルズはベッドから出て、塔の元までクイントに惹き付けられる。
一方、フローラは、邸内の湖のほとりから呼ぶジェスルからも呼ばれている。
二人の幽霊から再び戻ることを約束させられたところで、家庭教師と婦人に見つかり戻される

第2幕
 幽霊二人は、生前と同様に、子供たちを手にいれようと、意気投合している。怪しい会話。
日曜の教会、マイルズは、家庭教師にいつになったら学校に戻れるのか?と語るが、家庭教師は、それを挑戦と感じ、孤独感につつまれる。
ジェスルとの直接対決もあったがますます、困惑し、かつ子供たちを守ろうと決意する家庭教師。禁じられていた後見人への手紙を書くことを決心し、書き上げる。
マイルズから、クイントのことを聞き出そうとするが、クイントはマイルズしか聞こえない声で、口止めしたり、手紙を盗むことを指示する。

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 ある日、ピアノの練習中のマイルズ。やたらにうまい。
ところが一緒にいたはずのフローラがいない。
大人二人は、クイントのせいと思い、湖畔に探しに走る。そこで遊ぶフローラと遠くにジェスルの姿を認めた家庭教師はフローラを責める。
フローラは、先生なんか大嫌いと言い、家庭教師は大いに落ち込む。
 その夜、フローラはグロース婦人と過ごし、妙なことを口走るフローラに気がつき、家庭教師のいうとおりの異常に気付き、フローラを連れて去る。

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 さて、残った家庭教師とマイルズ。大いに決意し、マイルズからすべてを聞きだそうとするが、マイルズは答えない。さらにクイントは、マイルズを呼び苦しめる。
その狭間で苦しむ少年。
つにに、マイルズは「ピーター・クイント、you devil!」と叫び、教師の胸に飛び込む。
「おおマイルズ、救われたわ。もう大丈夫。二人で彼をやっつけたわ!」と家庭教師。
「おおマイルズ、もう終わりだ。お別れだマイルズ。お別れだ・・・・」とクイント。
「マイルズ、マイルズ、どうしたの?どうして答えないの?」・・・・・。
マイルズを抱きかかえる彼女。彼はこときれていた。
彼を静かに降ろし、家庭教師は、かつてマイルズが歌った不思議な歌を寂しく歌う・・・・・。

           幕

各幕ともに、8つの場からなっており、それぞれに短い間奏がついている。
この間奏は、プロローグの後の最初の12音技法による前奏曲の変奏曲になっていて15ある。
各役の没頭的な歌も特徴的で、ことにテノールによって歌われる幽霊と、無垢の少年の対話や対決は背筋が寒くなる雰囲気でヒヤヒヤする。
思わず、少年、ダメだ頑張れと声をあげたくなります。

初めて聴いたとき、少年の死は、かなりショックだった。

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    家庭教師  :リサ・ミルン      
    クゥイント :マーク・パドモア
    ジェスル婦人:カトリーン・ウィン・ダヴィース      
    グローズ婦人:ダイアナ・モンタギュー
    マイルズ  :ニコラス・カービー・ジョンソン        
    フローラ  :キャロライン・ワイズ
    語り      :フィリップ・ラングリッジ

 サー・リチャード・ヒコックス指揮 シティ・オブ・ロンドン・シンフォニア

                 (2004年制作)

BBCによるシネマ化で、リアル感満載の映像作品。
英国の郊外の少しばかり荒廃した舘が、リアルに舞台になっていて明るい暖色系の色彩は避けるようにして褐色の世界になっている。

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水辺のシーンとか、荒涼とした野辺とか、もうほんとに英国音楽好きならたまらない景色もありました。
 でも、怖いんです。
とくに、ジェスル婦人・・・・、歌も演技も、そのお姿もあの世の感じがよく出てる

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パドモアのクゥイントは、そんなにおっかなくなくて、いい人に見えるのは、いろんな演奏や映像でパドモアを多く見てきて慣れちゃったからか。
包容力ある家庭教師役のミルンも、そのクリアボイスは、英国音楽にはぴったりと思わせるし、おなじみのベテラン、モンタギューもいい味だしてる。
 ヒコックスの共感あふれるブリテン演奏は、ここでも安定感ある。
子供たちは、演技が本格的なもので、だんだんと、クゥイントとジェスルに取り込まれて行くさまが、とてもよく表出されてるし、歌も素敵。
迫真のラストシーンは、哀しみもひとしおで、舘の中に舞い込んだ枯葉が巻き戻しのようにして、クゥイントとともに去るところなど秀逸な映像でありました。

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    家庭教師    :ミレイユ・ドゥランシュ      
    クゥイント :マーリン・ミラー
    ジェスル婦人:マリー・マクラクリン      
    グローズ婦人:ハンナ・シェア
    マイルズ:グレゴリー・モンク        
    フローラ  :ナザン・フィクレット
    語り      :オリヴィエ・デュメ

  ダニエル・ハーディング指揮 マーラー・チェンバー・オーケストラ
       
       演出:リュック・ボンディ
                              
             (2001.7 @エクサン・プロヴァンス音楽祭

シネマと違い、実際の舞台で上演するには、幽霊的な存在のふたりをどう扱うか?
複雑な舘の中の複数の部屋で起きるシーンをどう描きわけるか?
こんな難点を、ボンディの演出では、シンプルすぎるやり方で簡単に解決してしまった感じだ。
全体のカラーは、こちらはブルー系で、幽霊たちもシルバーからブルー。
教師と家政婦さんは黒、子供たちは白。
このあたりもよく考えらえている。
空間を狭く仕切ったり、ときに縦に広く扱ったり、ドアで他空間との仕切りや分断を表現したりと、極めて緊迫感の作り方がうまいと感じた。

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若きハーディングの意欲あふれる指揮は、若いオケから切れ味抜群のサウンドを引き出していて、穏当なヒコックス盤に比べ、ヒリヒリするような緊張感を導きだしている。
このあたりは、劇場上演の強みでもあろうか。
それにしても、アバドに似てる。

 古楽のジャンルでも素敵な歌唱をたくさん残してるドゥランシュがブリテンを歌うとは、最初は驚きましたが、彼女は膨大なレパートリーを持ち、ここでも完全に役柄になり切って、期待が不安と恐怖に変わり、やがてうち勝とうとする強い意志を持つ女性へと、まったく見事な演技と歌唱であります。
ドゥランシュの過去記事

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クゥイントの不気味さをうまく歌ったミラー氏、美人なマクラクリンのジェスルさんは、その出現がおっかなすぎで、貞子だった・・・
画面奥の方から、にじるようにして登場する恐怖の美人ジェスルさん。
気の毒な雰囲気ありありのグロース婦人。
ヒコックス盤の子供たちに比べると、その迫真性がやや劣るものの、こちらの二人も気の毒さにかけては秀逸。
ラストは、ここでも辛い悲しさだった。

Italy

こちらはイタリア大使館。

ものものしい警備はゼロで、周辺も閑静な雰囲気におおわれてます。

職員の宿舎も隣接してるので、散歩してると、ときおり本場もんのイタリア語を話しながら歩く皆さんに会うこともあります。

六本木方面のロシア大使館でも、職員さんや家族に出くわすことがあり、生ロシア語を聞けますが、声がデカいです・・・

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2020年8月15日 (土)

ブリテン 戦争レクイエム パッパーノ指揮

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こちらは靖国神社の境内の奥にある日本庭園。

今年は、みたま祭りが中止となり、その時分に行ったけれど、ひと気は少なく、とても静かでした。

静謐な中、漂う清らかな雰囲気。

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  ブリテン 「戦争レクイエム」

    S :アンナ・ネトレプコ
    T :イアン・ボストリッジ
    Br:トマス・ハンプソン

  サー・アントニオ・パッパーノ指揮
  
   ローマ聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団/合唱団

       (2013.6.25~29 @ローマ)

 58年前に初演のブリテンの反戦への思いが詰まった「戦争レクイエム」

1961年、戦火で焼失したコヴェントリーの聖ミカエル大聖堂の再築落成に合わせて作曲された「戦争レクイエム」。
翌62年の同地での初演は、戦いあった敵国同士の出身歌手をソロに迎えて計画されたものの、ご存知のように、英国:ピアーズ、独:F=ディースカウ、ソ連:ヴィジネフスカヤの3人が予定されながら、当局が政治的な作品とみなしたことで、ヴィジネフスカヤは参加不能となり、英国組H・ハーパーによって行われた。
翌63年のロンドン再演では、ヴィジネフスカヤの参加を得て、かの歴史的な録音も生まれたわけであります。

この再演での作曲者自身の指揮によりロンドン交響楽団との録音が、長らくこの作品の犯しがたき名盤として君臨してきましたが、20年後の1983年、サイモン・ラトルの録音を皮切りに、多くの録音が行われるようになり、演奏会でも頻繁に取り上げられるようになりました。
毎年、少しづつその音源を増やし、エアチェックやネット録音も含めて15種。
昨年はついに女性指揮者マルヴィッツの放送も追加。
今年のブログは、まだ取り上げてなかったパッパーノ盤です。

サーの称号も得ているイギリス人で、両親はイタリア人、音楽の勉強はアメリカ、指揮者としては劇場から叩き上げ。
そんなパッパーノも若い若いと思ってたら、もう60歳。
コヴェントガーデンでのオペラ上演の数々や、ローマでのレコーディングを聴くにつけ、最近のパッパーノは若い頃の、イキの良さはそのままに、知的な音楽づくりながら、音が実に雄弁に語り出す恰幅の良さも感じてます。
オテロやリングなどの放送、とても感銘を受けました。
そしてともかくレパートリーが広い。

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 この戦争レクイエムは、手兵のイタリアのオーケストラを指揮して、歌手はロシア、イギリス、アメリカと、顔触れにドイツこそないものの、ブリテンの初演時の思いのように、戦った国同士のメンバーということになります。
パッパーノの明晰な音楽は、ここでも際立っていて、ローマのオーケストラから透明感あふれる響きを引き出していて、ダイナミックな劇的なシーンも濁ることのない鮮烈さを味わうことができました。
 3人のなかで、いちばん声が重たいのがなんとネトレプコ。
レパートリーも拡充して、ドラマティコになっていった時期のもので、悲壮感ただようその歌声はなかなかに際立ってる。
いつものように繊細な歌い口のボストリッジに、友愛感じるハンプソンのあたたかなバリトンもとてもよかった。

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この時期に、この曲の持つ、戦没者への追悼という意味合いととともに、ブリテンが熱く希求し続けた反戦平和の思いをあらためて強く受け止め、考えてみるのもいいことです(毎年この思いは綴っているのでi以下も含めまして再褐となります。)

しかし、この曲は、ほんとうによく出来ている。
その編成は、3人の独唱、合唱、少年合唱、ピアノ・オルガン、多彩な打楽器各種を含む3管編成大オーケストラに、楽器持替えによる12人の室内オーケストラ。
レクイエム・ミサ典礼の場面は、ソプラノとフルオーケストラ、合唱・少年合唱。
オーエン詩による創作か所は、テノール・バリトンのソロと室内オーケストラ。

この組み合わせを基調として、①レクイエム、②ディエス・イレ、③オッフェルトリウム、④サンクトゥス、⑤アニュス・デイ、⑥リベラ・メ、という通例のレクイエムとしての枠組み。
この枠組みの中に、巧みに組み込まれたオーエンの詩による緊張感に満ちたソロ。
それぞれに、この英語によるソロと、ラテン語典礼文による合唱やソプラノソロの場面が、考え抜かれたように、網の目のように絡み合い、張り巡らされている。

「重々しく不安な感情を誘う1曲目「レクイエム」。
 戦争のきな臭い惨禍を表現するテノール。
 曲の締めは、第2曲、そして音楽の最後にあらわれる祈りのフレーズ。

②第2曲は長大な「ディエス・イレ」。
 戦いのラッパが鳴り響き、激しい咆哮に包まれるが、後半の「ラクリモーサ」は、悲壮感あふれる素晴らしいヶ所で、曲の最後は、ここでも祈り。

③第3曲目「オッフェルトリウム」。
 男声ソロ二人と、合唱、二重フ―ガのような典礼文とアブラハムの旧約の物語をかけ合わせた見事な技法。

④第4曲「サンクトゥス」。
 ピアノや打楽器の連打は天上の響きを連想させ、神秘的なソプラノ独唱は東欧風、そして呪文のような○△※ムニャムニャ的な出だしを経て輝かしいサンクトゥスが始まる。

⑤第5曲は「アニュス・デイ」。
 テノール独唱と合唱典礼文とが交互に歌う、虚しさ募る場面。

⑥第6曲目「リベラ・メ」。
 打楽器と低弦による不気味な出だしと、その次ぎ訪れる戦場の緊迫感。
やがて、敵同士まみえるふたりの男声ソロによる邂逅と許し合い、「ともに、眠ろう・・・・」。
ここに至って、戦争の痛ましさは平和の願いにとって替わられ、「彼らを平和の中に憩わせたまえ、アーメン」と調和の中にこの大作は結ばれる。」


この映像を見ると、上記の、オーケストラ編成や合唱の配置のことがよくわかります。
ネトレプコは契約の関係か、収録時いなかったのか、登場しません。

※初演後の60年代の演奏状況は、コリン・デイヴィス(62独初演)、ラインスドルフ(63米初演)、ハイティンク(64蘭初演)、ケルテス(64墺初演)、アンセルメ(65瑞初演)、サヴァリッシュ(65独再演)、ウィルコックス(65日本初演~読響)
2022年の初演60年の年には、日本でもどんな「戦争レクイエム」が聴けることでしょうか。
希望を込めて、J・ノット指揮、露・英または米・独の歌手、日本のオケと合唱で。
これぞ、ブリテンの思いの理想の結実かと!

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実際のドンパチはないものの、世界は戦争状態に近いと思います。
反目しあう国と国、人種と人種、宗教と宗教、思想と思想 etc・・・・
争いはずっとずっと絶えることはない。
それがデイリーに可視化されて見えてしまういまのネット社会は、便利なのか、ストレス発生装置なのか、むしろ情報過多でわからない。

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2020年2月 9日 (日)

ブリテン セレナード ピアーズ&ブリテン

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冬の海の夕暮れ。

相模湾に遠くの伊豆半島。

Britten-serenade

  ブリテン セレナード

        ~テノール独唱、ホルン、弦楽のための~

   T:ピーター・ピアーズ

   Hr:バリー・タックウェル

  ベンジャミン・ブリテン指揮 ロンドン交響楽団

       (1963.12 @キングスウェイホール、ロンドン)

深い絆で結ばれたブリテンとピアーズ。
歌手ピアーズがいなかったら、ブリテンの数々のオペラの名作や、多彩な声楽曲はこれほどに生まれなかったかもしれない。

そんなピアーズと、伝説級のホルンの名手デニス・ブレインのために書かれた作品が、ホルンとテノールと弦楽のための「セレナード」。

この作品は、美しく、そして怜悧なクールさも秘めた、月の浮かぶ冬の夜空のような名曲だ。

フランク・ブリッジにその才能を磨かれ、シンプル・シンフォニーで作曲家として認められた若きブリテンは、ピアーズとも知り合い、お互いに平和を希求する心を高めあっていった。
その気持ちに沿うようにして、ふたりは戦雲を立ち込めつつあったイギリスとヨーロッパから脱出するように、アメリカに渡り、そこで作曲活動をするようになった。
 このアメリカ時代は、1939年から1942年で、ブリテンのこの活動は、イギリスでは、良心的兵役拒否として認められるところとなった。

帰国後の1943年に書かれたのが、「セレナード」で、そのあと「ピーター・グライムズ」「ルクレツィアの凌辱」など、数々の作品の創作の森に踏み込んでいくのでした。
作曲年に、ロンドンにて、ピアーズとブレイン、ワルター・ゲールの指揮により初演。
このゲールという指揮者は、シェーンベルクの弟子で、ユダヤ系であったため、イギリスに渡り、同国とオランダにて活躍した人。
会員制のレコード頒布組織のコンサートホールに加入していたので、その名前はよく見て覚えていたし、協奏曲のレコードなどいくつか持ってました。

8曲からなる連作歌曲集で、その8曲のうち、曲の冒頭と最後の8曲目は、ホルンのソロだけ、という極めてユニークかつ印象的な構成になっている。
全編に際立つ名技性を伴ったホルンの活躍、技術的なことはわかりませんが、自然倍音だけで奏されるソロだけの部分は、夜のしじまに鳴り響くエコーのようで一度聴くと、耳にずっと残って忘れられないものがあります。
またテノールの音域とホルンの音色の絶妙なブレンドの妙と掛け合いの巧みな筆致。
あと、弦楽器の背景色のパレットは、各曲の詩の内容を描きだすようなブリテンならではの、雄弁さと淡さを感じる。

そして主役のテノールは、熱くもあり、情熱を感じる一方で、どこか醒めたような立ち位置から英国の風物を歌うような風情がある。
このあと書かれるあの没頭的な「ピーター・グライムズ」の主役のテノールとはまた違う、クールなテノールの歌曲集に思う。

英国詩を代表する詩人たちの作品をそれぞれ選択。
①プロローグ(ホルンソロ)②パストラール(チャールズ・コットン)③ノクターン(アルフレッド・テニスン)④エレジー(ウィリアム・ブレイク)⑤追悼の歌(作者不詳)⑥讃歌(ベン・ジョンソン)⑦ソネット(ジョン・キーツ)⑧エピローグ(ホルンソロ)
自然、四季、死と祈りなど、英国の市井に即した詩たちです。

繊細かつ知的な抑制も効いたピアーズの歌。
作品と恐ろしいまでに同化している。
それと、タックウェルの艶やかな音色と、難しさを感じさせない技巧の冴え。
初演者のブレインは、1957年に交通事故死してしまったので、この作品のステレオ録音は残せなかった。
それを補ってあまりあるタックウェルの本盤の演奏のすばらしさです。

そのバリー・タックウェルも、先ごろ、2020年1月16日に亡くなってしまいました。
オーストラリア出身で、ロンドン響の首席を長く務めた名手、晩年は指揮者として活動してました。
ブレインとタックウェル、そして、アラン・シヴィルは、ほぼ同じような年代で、ロンドンのオーケストラに咲いたホルンの華でありました。
そうそう、シヴィルは、ビートルズの曲でもステキなホルンを吹いてました。

タックウェルの追悼もかねて、取り上げたセレナード。
ブリテンには、同様のオーケストラ付きの歌曲として、あと「イリュミナシオン」と「夜想曲」がありまして、それらもいろんな音盤で聴いてますので、いずれまた取り上げることにしましょう。

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2019年12月18日 (水)

ヤンソンスを偲んで ⑥ミュンヘン

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ヤンソンスを追悼する記事、最後はミュンヘン。

バイエルン放送交響楽団は、ヤンソンス最後のポストで、在任中での逝去でありました。

ミュンヘンという音楽の都市は、優秀なオペラハウスと優秀なオーケストラがあって、かつての昔より、それぞれのポストには時代を代表する指揮者たちが歴任してきた。

バイエルン国立歌劇場、ミュンヘンフィル、バイエルン放送響。
60~70年代は、カイルベルト、サヴァリッシュ、ケンペ、クーベリック、80~90年代は、サヴァリッシュ、チェリビダッケ、デイヴィス、マゼール、2000年代は、ナガノ、ペトレンコ、ティーレマン、ゲルギエフ、そしてヤンソンス。

いつかは行ってみたい音楽都市のひとつがミュンヘン。
むかし、ミュンヘン空港に降り立ったことはあるが、それはウィーンから入って、そこからバスに乗らされて観光、記憶は彼方です。

 ヤンソンスは、コンセルトヘボウより1年早く2003年から、バイエルン放送響の首席指揮者となり、2つの名門オーケストラを兼務することなり、2016年からは、バイエルン放送響のみに専念することとなりました。
 ふたつのオーケストラと交互に、日本を訪れてくれたことは、前回も書いた通りで、私は2年分聴きました。

彼らのコンビで聴いた曲は、「チャイコフスキーP協」「幻想交響曲」「トリスタン」「火の鳥」「ショスタコーヴィチ5番」「ブルッフVn協1」「マーラー5番」「ツァラトゥストラ「ブラームス1番」「ブルックナー7番」など。
あとは、これまた珠玉のアンコール集。

10年前に自主レーベルができて、ヤンソンス&バイエルン放送響の音源は演奏会がそのまま音源になるかたちで、非常に多くリリースされるようになり、コンセルトヘボウと同じ曲も聴けるという贅沢も味わえるようになりました。
さらに放送局オケの強みで、映像もネット配信もふくめてふんだんに楽しめました。

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  シベリウス 交響曲第1番

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2004.4.23 @ヘラクレスザール)

バイエルンの初期はソニーレーベルとのアライアンスで何枚か出ましたが、そのなかでも一番好きなのがシベリウスの1番。
ヤンソンスもシベリウスのなかでは、いちばん得意にしていたのではなかったろうか。
大仰な2番よりも、幻想味と情熱と抒情、このあたり、ヤンソンス向けの曲だし、オーケストラの覇気とうまくかみ合った演奏に思う。
ウィーンフィルとの同時期のライブも録音して持ってるけど、そちらもいいです。

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  R・シュトラウス 「ばらの騎士」 組曲

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2006.10 @ヘラクレスザール)

これもまたヤンソンスお得意の曲目であり、アンコールの定番だった。
本来のオペラの方ばかり聴いていて、組曲版は敬遠しがちだけど、このヤンソンス盤は、全曲の雰囲気を手軽に味わえるし、躍動感とリズム感にあふれる指揮と、オーケストラの明るさと雰囲気あふれる響きが、いますぎにでもオペラの幕があがり、禁断の火遊びの朝、騎士の到着のわくわく感、ばらの献呈や二重唱の場の陶酔感、そして優美なワルツからユーモアあふれる退場まで・・・、各シーンが脳裏に浮かぶ。
ヤンソンス、うまいもんです。
全曲版が欲しかった。。。。

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   ワーグナー 「神々の黄昏」 ジークフリートの葬送行進曲

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

          (2009.3.16 @ルツェルン、クンストハウス)

オスロフィルとのワーグナー録音は、青臭くてイマイチだったけど、バイエルンとのものは別人のような充実ぶり。
バイエルンとの来日で、「トリスタン」を聴いたが、そのときの息をも止めて集中せざるを得ない厳しい集中力と緊張感あふれる演奏が忘れられない。
そのトリスタンは、ここには収録されていないけれど、哀しみを込めて、「黄昏」から葬送行進曲を。
淡々としたなかにあふれる悲しみの表出。
深刻さよりも、ワーグナーの重層的な音の重なりと響きを満喫させてくれる演奏で、きわめて音楽的。
なによりも、オーケストラにワーグナーの音がある。
 前にも書いたけれど、オランダ人、タンホイザー、ローエングリンあたりは、演奏会形式でもいいからバイエルンで残してほしかったものです。

Gurrelieder-jansons

  シェーンベルク 「グレの歌」

   トーヴェ:デボラ・ヴォイト
   山鳩:藤村 実穂子
   ヴァルデマール:スティグ・アンデルセン ほか

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2009.9.22 @ガスタイク)

合唱付きの大作に次々に取り組んだヤンソンス。
優秀な放送合唱団に、各局の合唱団も加え、映像なので見た目の豪奢な演奏風景だが、ヤンソンスの抜群の統率力と、全体を構成力豊かにまとめ上げる手腕も確認できる。
やはり、ここでもバイエルン放送響はめちゃくちゃ巧いし、音が濁らず明晰なのは指揮者のバランス感覚ばかりでなく、オーケストラの持ち味と力量でありましょう。
濃密な後期ロマン派臭のする演奏ではなく、シェーンベルクの音楽の持つロマンティックな側面を音楽的にさらりと引き出してみせた演奏に思う。
ブーレーズの緻密な青白いまでの高精度や、アバドの歌心とウィーン世紀末の味わいとはまた違う、ロマンあふれるフレッシュなヤンソンス&バイエルンのグレ・リーダーです。
山鳩の藤村さんが素晴らしい。

Beethoven-jansons

  ベートーヴェン 交響曲第3番 「英雄」

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

         (2012.10 @ヘラクレスザール)

もっと早く、オスロやコンセルトヘボウと実現してもおかしくなかったベートーヴェン交響曲全集。
蜜月のバイエルンと満を持して実現しました。
日本公演のライブを中心とした全集も出ましたので、ヤンソンス&バイエルンのベートーヴェン全集は2種。
 そのなかから、「英雄」を。
みなぎる活力と音にあふれる活気。
心地よい理想的なテンポのなかに、オーケストラの各奏者の自発性あふれる音楽性すら感じる充実のベートーヴェン。
いろいろとこねくり回すことのないストレートなベートーヴェンが実に心地よく、自分の耳の大掃除にもなりそうなスタンダードぶり。
いいんです、この全集。
 ヤンソンスのベートーヴェン、荘厳ミサをいつか取り上げるだろうと期待していたのに無念。
いま、このとき、2楽章には泣けます。

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  ブリテン 戦争レクイエム

   S:エミリー・マギー
   T:マーク・パドモア
   Br:クリスティアン・ゲルハーヘル

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団
             バイエルン放送合唱団

       (2013.3.13 @ガスタイク)

合唱を伴った大作シリーズ、ついに、ヤンソンスはブリテンの名作を取り上げました。
毎夏、この作品をブログでも取り上げ、いろんな演奏を聴いてきましたが、作曲者の手を離れて、いろんな指揮者が取り上げ始めてまだ30年そこそこ。
そこに出現した強力コンビに演奏に絶賛のブログを書いた5年前の自分です。
そこから引用、「かつて若き頃、音楽を生き生きと、面白く聴かせることに長けたヤンソンスでしたが、いまはそれに加えて内省的な充実度をさらに増して、ここでも、音楽のスケールがさらに大きくなってます。 内面への切り込みが深くなり、効果のための音というものが一切見当たらない。 」
緻密に書かれたブリテンのスコアが、ヤンソンスによって見事に解き明かされ、典礼文とオーウェンの詩との対比も鮮やかに描きわけられる。
戦火を経て、最後の浄化と調和の世界の到来と予見には、音楽の素晴らしさも手伝って、心から感動できます。

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バイエルン放送交響楽団のホームページから。

ヤンソンスのオーケストラへの献身的ともいえる活動に対し、感謝と追悼の言葉がたくさん述べられてます。

長年のホーム、ヘラクレスザールが手狭なのと老朽化。
ガスタイクホールはミュンヘンフィルの本拠だし、こちらも年月を経た。
バイエルン放送響の新しいホールの建設をずっと訴えていたヤンソンスの念願も実り、5年先となるが場所も決まり、デザインも決定。
音響は、世界のホールの数々を手掛けた日本の永田音響設計が請け負うことに。
まさにヤンソンスとオーケストラの悲願。
そのホールのこけら落としを担当することが出来なかったヤンソンス、さぞかし無念でありましたでしょう。
きっとその新ホールはヤンソンスの名前が冠されるのではないでしょうか。。。
 →バイエルン放送のHP

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  マーラー 交響曲第9番

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2016.10.20 @ガスタイク)

コンセルトヘボウとともに、バイエルン放送響のお家芸のマーラーとブルックナー。
ここでもヤンソンスは、しっかり取り組みました。
オスロフィルとの録音から16年。
テンポが1分ぐらい早まったものの、高性能のオーケストラを得て、楽譜をそのまま音にしたような無為そのもの、音楽だけの世界となりました。
この曲に共感するように求める深淵さや、告別的な終末観は少な目。
繰りかえしますが、スコアのみの純粋再現は、音の「美」の世界にも通じるかも。
バイエルン放送響とのコンビで造り上げた、それほどに磨き抜かれ、選びぬかれた音たちの数々がここにあります。
 このような美しいマーラーの9番も十分にありだし、ともかく深刻ぶらずに、音楽の良さだけを味わえるのがいいと思う。

ヤンソンスは、「大地の歌」は指揮しなかった。
一昨年、このオーケストラが取り上げたときには、ラトルの指揮だった。
もしかしたら、この先、取り組む気持ちがあったのかもしれず、これもまた残念な結末となりました。

昨年は不調で来日が出来なかったし、今年もツアーなどでキャンセルが相次いだ。
それでも、執念のように、まさに病魔の合間をつくようにして、指揮台に立ちましたが、リアルタイムに聴けた最後の放送録音は、ヨーロッパツアーでの一環のウィーン公演、10月26日の演奏会です。
ウェーバー「オイリアンテ」序曲、R・シュトラウス「インテルメッツォ」交響的間奏曲、ブラームス「交響曲第4番」。
弛緩しがちなテンポで、ときおり気持ちの抜けたようなか所も見受けられましたが、自分的にはシュトラウスの美しさと、ヤンソンスらしい弾んだリズムとでインテルメッツォがとてもよかった。

長い特集を組みましたが、ヤンソンスの足跡をたどりながら聴いたその音楽功績の数々。
ムラヴィンスキーのもと、東側体制からスタートしたヤンソンスの音楽は、まさに「ヨーロッパ」そのものになりました。
いまや、クラシック音楽は、欧米の演奏家と同等なぐらいに、アジア・中南米諸国の音楽家たちも、その実力でもって等しく奏でるようになりました。
ヨーロッパの終焉と、音楽の国際化の完全定着、その狭間にあった最後のスター指揮者がヤンソンスであったように思います。

マリス・ヤンソンスさん、たくさんの音楽をありがとうございました。

その魂が永遠に安らかでありますよう、心よりお祈り申し上げます。

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2019年12月 1日 (日)

ブリテン 聖ニコラス ブリテン指揮

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国内も、国外も、身の回りの狭い社会にも、いろんなことが日々、ハイスピードで起きてることを感じてしまうのは、SNSなど、ネット社会の行きつきつつある、ひとつの現象だろうし、これからも、ますます加速する流れだと思います。

四季のメリハリもなくなりつつあるなか、必ずやってくる私の大好きなクリスマスシーズン。

有楽町駅前の、毎年おなじみの交通会館のイルミネーションです。
ほどよく華美でありながら、銀座の入り口のひとつでもあるので、その落ち着きが美しい。

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  ブリテン 聖ニコラス

   T:ピーター・ピアーズ

   BS:デイヴィット・ヘミングス

 ベンジャミン・ブリテン指揮 オールドバラ祝祭管弦楽団・合唱団 ほか

         (1955.4.14 @オールドバラ 教区教会)

「聖ニコラス」、すなわち、サンタクロースの起源として知られるギリシア人司教「ミラのニクラウス」のことであります。
正教会と西側西方教会とで、その伝説の中身が違ったりもしますが、基本は、弱気ものを密かに助けるという聖人の姿。
貧しいものや、罪を着せられたものに、施しを授ける伝承から生まれたサンタクロース伝は、あまねく世界にプレゼントを配る、おおらかなあのお姿に昇華され、さらには商業的なキャラクターにもなって、愛されキャラとして確立したものと思います。

戦後、1948年、ブリテンは、サセックスのランシングカレッジ100周年記念のために、この聖ニクラウス伝説をもとにした平易なカンタータを作曲。
いつものように、ピーター・ピアーズを前提としたテノール独唱に、合唱、少年合唱、弦楽合奏、オルガン、ピアノ、打楽器といった、ブリテンならではの編成。
このピアーズのソロ、弦楽合奏と打楽器以外は、アマチュア音楽家を想定しているというところもまた、ブリテンらしいところです。
オペラでも、こうした楽器編成を取ってますが、ブリテン独特のミステリアスでクールな響き、でも暖かい音楽といった二律背反的な音楽がここにもあります。
全編、50分を要する意外な大作。

9つの部分からなりますが、概要は次のとおり。

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①イントロダクション
 いまを生きる人々よりの、ニコラスへの呼びかけ。
 ニコラスの話をしよう。

②ニコラスの誕生
 ニコラスは母親のお腹のなかから叫んだ、「God be glorified!」
 明るく、ホッピングするような曲。
 ブリテンが、その叫ぶ声に選んだのは、少年合唱のなかの最少年者で、その拙さがまたピュアに聴こえます

③ニコラスの神への献身
 成長したニコラスは、テノールソロによって歌われ、
 そのテノールと弦楽だけの③
 かなりシリアスなムードにおおわれる。
 両親が亡くなり、家に一人、そして広い世界と人間の過ちを知る。
 神への奉仕の人生を歩む。

④パレスチナ(エルサレム)への旅へ
 ニコラスの航海が描かれるが、男声による船員。
 かれらは、聖人に敬意を払わない
 その報いとして海は大荒れ、船員は絶望に
 嵐は、少女たちの声が代弁、なかなかに荒涼たるサウンドが展開。
 しかし、ニコラスは祈りで船員たちを落ち着かせ、そして神に向かって祈り、静かに終わる

⑤ニコラスはマイラへ、そして司教に
 マイラ(ミラ、現トルコ内)に到着したニコラスは、その地で司教に選出。
 ニコラスは、神の前に誓い、そして讃美歌に包まれる。

 Old Hundred=詩編第100編からの讃美歌が全員で歌われ、きわめて感動的。

 「世に住むすべての人々は、明るい声で主に歌いましょう
  彼は喜んで使える、その称賛は語り継がれる
  あなた方は、彼の前に来て喜びなさい・・」

⑥獄舎からのニコラス
 ローマの支配下となり8年。相次ぐ迫害。
 獄舎でのパンの施しの孤独な秘蹟を行いつつも、この現状を憂うニコラス。
  罪なき市民の処刑を助けた伝説からの場面。
 ここでは、③のようにニコラスのテノールと弦による少し切迫した音楽。

⑦ニコラスと漬物少年(ピックルスボーイ)
 凍てつく冬、旅行者たちが空腹のため食事をとろうとする。
 ニコラスにも勧める。
 しかし、ニコラスはそれを制止し、行方不明の3人の名前を呼びかける。
 すると肉屋に殺された少年たちが蘇り、ハレルヤを歌いだす。
  これもニコラス伝説のひとつ。
 子供たちの守護聖人であること、サンタクロース伝説であります。
 ここでは行進曲調の音楽と、子供たちを憂う母の女声合唱、そしてニコラスの祈り。
 そして、子供たちの純真な「アレルヤ」がオルガンを伴って広がり、
 最後は、明るい行進調で曲を閉める。

⑧敬意と素晴らしき業績
 40年に及ぶ、ニコラスの慈悲、善意、慈善の行い、優しさなどを、いくつものエピソードで短く回顧。
 ト長調の平和なムードの音楽で、ピアノのアルペッジョと弦の優しい背景のなか、合唱と少年少女たちが掛け合いのようにニコラスを称えい合います。

⑨ニコラスの死
 死を前にしたニコラスは、畏れと歓喜とともに、天で待つ神への愛に熱くなり、そして受け入れます。
 テノールの絶叫のようなソロで始まり、合唱も伴い熱いソロです。
  そして、それが鎮まると、オルガンが静かに序奏し、そこから超感動的な讃美歌が始まる。

  「神は神秘的な方法で動く 実践するその不思議
   彼は彼の足跡を海に植え そして嵐に乗る。・・・・ 」

 こちらは、⑤の讃美歌Oldと違って、New Londonとして編されてます。
 暗闇から輝く光、これを讃えたもの。

 この堪えようもない、感動をどう捉えようか。
 ブリテンの作品、彼のオペラにも通じる、エンディングのマジックです。
 聴衆には、この讃美歌をご一緒に、という一言もあります。
 荘厳に鳴り響くオルガン、輝くシンバル、とどろくティンパニを伴った心浮き立つ讃美歌。

このように、シンプルながら見事に構成された作品で、聴くほどに味わいがあります。
無垢の子供たち、気の毒な人々を愛した博愛のブリテンならではの、素材選びだし、それにつけられた音楽も素晴らしいものとなりました。

取り上げたCD盤は、モノラルなので、教会的な空間の広がりはここに求めることはできませんが、デッカならではの鮮明でリアルな録音で、曲の良さは十分に堪能できる。
なによりも、特徴的なピアーズののめり込んだような歌唱がいい。
そして、作曲者の直伝の指揮は、この曲のモニュメンタルな存在として、今後の指標にもずっとなるものでしょう。

ほかにもいくつか録音はありますが、まだそれらは聴いてません。
あとよかったのは、今年BBCのネットで録音した、クレオバリーのキングスカレッジ勇退のライブ。
ケンブリジのキングズ・カレッジ教会の響きが心地よく、実の神々しい感じでステキな演奏だった。

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今年のクリスマスシーズンは、天皇陛下のご即位や、新元号のスタートなどがありながらも、多かった災害なども身近に感じたりして、どうもきらびやかさは控えめのように感じます。
特に、千葉県民だから、そう思うのか、県内の商業施設など少し抑制ぎみ。

静かに過ごしたい12月ですが、きっと慌ただしくなるのでしょうねぇ・・・・

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2019年8月15日 (木)

ブリテン 戦争レクイエム ハーデング指揮

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もう何度か、ご紹介している少女像。

毎夏、町内はおろか、各地から寄せられる千羽鶴が飾られる。

家族が営むガラス工場が東京大空襲にあい、母と妹を失った少女。焼け跡から出てきたガラスのうさぎを手に、父と神奈川県二宮町に疎開。
駅に停めてあった貨物車両を狙った米軍の機銃掃射が、駅舎も襲い、そこで父を失う。
その時、亡くなったのは無辜の人々、5人。

二宮駅のホーム屋根の鉄骨には、今だ銃弾の跡があります。
わたくしの育った、小さな町も、海沿いということもあってか、相模湾方面から米軍機が終戦末期には飛来しました。
もちろん、お隣の平塚市が、軍事工場が多かったこともあって、空襲の被害はとても大きかったし、神奈川はもちろん横浜の空襲被害が大きかった。
そして、東京、名古屋、大阪の大都市圏も甚大な被害を受け、南方が陥落され、爆撃機が容易に本土各地にやってくるようになり、空襲被害は各地に拡大。
工場に加え、隣接する街々民家も、日本では木造であることこら、焼夷弾が使われ、一般国民の恐怖を煽る戦術を展開した。
 最期は、広島と長崎への原爆投下。
ふたつの原爆は、種類が異なり、アメリカはソ連に先んじて、投じることの効果も、さらに実験的な実証の狙いもあったわけだ。
空襲被害を受けていない、都市を選んでの、残酷な仕打ち。

一般人をこれほどまでに殺害したことは、戦争犯罪にほかなりません。
ドイツにはここまでやらなかったのは、民族差別的な思想もあったはずだ。
もちろん、日本軍もなにがしかの戦禍による、一般人の犠牲を巻き起こしたこともあるのは事実でしょう。

強い国であらんとしなくてはならない、アメリカは、日本の本気の強さ、手ごわさを身をもって知り、日本という国が二度とはむかってこないように、制度、教育、報道、あらゆる場面で、日本がすべて悪かったとの自虐思想を植え付けた。
 
戦後70年以上を経て、アメリカは、大切なパートナーとして、真の同盟国としての日本に、本当の意味での独立を促してます。
心優しい、われわれ日本人は、過去のことは水に流して、今をともに生きることを由とします。

二度と戦争になってはいけない。
日本がしたくなくても、強大化する某国が、太平洋への出口を狙っている。
そのための、ちゃんとした議論を正々堂々としていただきたい。
国民にも、すべてを知らして、理解させながら、反対意見もちゃんと聞きつつ、そんな国の運営を期待したい。

ちょっと保守的な、さまよえるクラヲタ人が、終戦の日に「戦争レクイエム」を聴きつつ、いつにないことを綴ってます。
もっと、もっと書いてしまいそうですが、レフト方面からボールが飛んできそうなので、これ以上、やめときます。

ただひとつ。
このガラスの少女像は、事実です。
どこかの国の少女像とは違います。

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ガラスのうさぎ

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   ブリテン 戦争レクイエム

     S:エマ・ベル
     T:アンドリュー・ステイプルス
     Br:クリスティアン・ゲルハーヘル

  ダニエル・ハーディング指揮 パリ管弦楽団
                ウィーン学友協会合唱団
                ウィーン国立歌劇場合唱団

         (2019.5.27 @ウィーン・コンツェルトハウス)

ハーディングとパリ管の、戦争レクイエムを引っさげてのヨーロッパ公演のうち、ウィーンでの演奏会をオーストリア放送協会のライブ放送で聴いたものを録音しました。
もん何度も聴きました。
これは、迫真の名演です。

ソプラノとテノールは、イギリス。
バリトンは、ドイツ人で、イギリス人が、フランスのオーケストラを指揮して、合唱はオーストリア。
まさに、ブリテンが望んだ、かつて戦った連合国と枢軸国の人々たちによる演奏。
ついでに、パリ管には日本人もいらっしゃいます。

音楽の演奏行為じたいもインターナショナル化した現在、ブリテンが作曲し、初演した当時と世界の枠組みはまったく変化してますし、こうした組み合わせも容易に仕立てることもできます。
それでも、超がつくくらいの集中力を感じさせ、全体をリードしていくハーディングの指揮振りには、なみなみならないものを感じます。
迫力あるディエスイレ、弦の刻みも克明で、パリ管の金管のシャウトもすさまじい。
一方で、ラクリモーサの哀しみも切度たかく、続く祈りも静謐。
ウィーンのお馴染みの合唱団も、とてもうまくて、絶叫にならずに、バランスもよろしく、とてもすてきです。
最期の、敵兵同士の邂逅と許しあいの感動的なシーンも、音楽を明快に聴かせるハーデングらしく、とても端麗な仕上がりだし、そのあとの平安に満ち、浄化されゆくエンディングも緊張を糸が途切れず、素晴らしいです。
会場をつつむ静寂も音楽の一部のようで、ライブならではの雰囲気を共有できるものです。

ちょっと歌いまわしが巧すぎるゲルハーヘルに、いかにも英国テナーらしい、透明感あるステイプルスの声の溶け合いのバランスもいいし、ワーグナーを得意とするベルの真摯なソプラノも好ましい。

あと、ウィーンの響きの豊かなホールもよく録音で捉えられてます。
ネット放送のありがたみをここでも満喫できました。

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敵同士が戦場でまみえ、やがてともに、許しあいながら眠っていく・・・というこのレクイエムの最期のシーン。
最前線の兵士の戦場の場面をオーエンの詩に託し、あと、死者を弔うことは、ラテン語の通常典礼文にて描ききったブリテンの名作です。
作者自身の手を離れて、つぎつぎに名演・桂演が生まれます。
これもまた、名曲たるゆえんでありましょう。

過去記事

「ブリテン&ロンドン交響楽団」

 「アルミンク&新日本フィル ライブ」

 「ジュリーニ&ニュー・フィルハーモニア」

 「ヒコックス&ロンドン響」

 「ガーディナー&北ドイツ放送響」 

 「ヤンソンス&バイエルン放送響」

 「ネルソンス&バーミンガム市響」

「K・ナガノ&エーテボリ交響楽団」

「ハイティンク&アムステルダム・コンセルトヘボウ」


「デイヴィス&ロンドン響」


毎年、おんなじような記事内容です・・・


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8月15日。
すべての戦没者に捧ぐ。

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2018年8月12日 (日)

ブリテン 戦争レクイエム コリン・デイヴィス指揮

Yasukuni

 

みたままつりの晩、靖国では、こんな美しい夕焼けが見ることができました。

 

今年の夏は、気温が高いのと、湿度が高いのとで、こんなオレンジから濃いピンクにかけての夕焼けが見られることが多いです。

 

そして、ことしもめぐってまいりました、日本の8月。

 

毎年、この時期聴きます、ヴェルディのレクイエムか、ブリテンの戦争レクイエム。

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    ブリテン  戦争レクイエム

       S:スーザン・アンソニー
       T:イアン・ポストリッジ
       Br:サイモン・キーリンサイド

     サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団
                        ロンドン交響合唱団
             フィンチリー・チルドレンズ・ミュージック・グループ

              (2004.8.1 @ロイヤル・アルバート・ホール)


プロムス2004でのライブ録音。
サー・コリンは、ブリテンの作品を多く指揮し、自演をすべてに残した作曲者以外の初録音の偉業があるのもデイヴィス。
残された録音、「ピーター・グライムズ」「ねじの回転」「真夏の夜の夢」のオペラ三作は、傑作オペラに新たな視線を向けさせた名盤です。

それなのに、「戦争レクイエム」に正規な録音を残すことがなかった。
しかし、2004年のプロムスにての演奏がNHKで放送され、それを録音したものが、いまやわたしにとって貴重な音源となった。

デイヴィスが亡くなったのは、2013年4月。
その亡くなる9年前の演奏。
LSOの自前レーベルでも商品化はされなかったが、2011年に、J・ノセダ指揮したバービカンでのライブは、シャンドスから発売された。
しかも、ポストリッジとキーリンサイドの二人の歌手は共通。
もしかしたら、いろんな経緯があってのことでしょうが、それゆえに貴重なプロムスライブなんです。

演奏は、デイヴィスらしい、音楽への渾身の打ち込みぶりのなかに、緊張感あふれる厳しさと、剛毅なダイナミズムを強く感じるものとなっている。
歌を主体として全体像を大きく構成しつつ、そのなかに、個々の曲の細部を歌を主体に掘り下げてゆく、まさに、オペラや声楽作品を得意とした指揮者、デイヴィスならではと思います。
最後の「リベラ・メ」、平和のなかに憩わせたまえ、アーメンと調和理に、静かに閉じたあと、静寂につつまれ、拍手が起きるまでの長い沈黙が支配し、ホール全体が大きな感動につつまれたことを実感する。

 14年まえの放送録音、思いきりのフォルティッシモが混濁してしまうのはやむをえない。
ここ数年の、プロムスやバイロイトのネット放送が音質の面でも、相当に進化しているものと感じる。

ソプラノはアメリカ、男声ふたりはイギリス。
ともに、連合国側の歌手たちで、敵国同士を混合してなどという初演時の考えは、異物化してしまったし、実際にそのような企画を貫き通すのも都度都度では難しくなっている。
それよりも、この作品が生まれて57年。
終戦から73年。
年月の経過とともに、反戦と平和希求のこの作品の根本概念はそのままに、演奏行為が一般の作品と同じように普遍化したことを、昨今痛感します。
日本やイタリアのオーケストラが普通に演奏し、録音する名曲のひとつなのです。

ポストリッジの誠実かつ、切実なテノールに、ともに性格的な歌い込みぶりだが、より劇的なキーリンサイド。
このふたりの個性的な歌唱にくらべると、S・アンソニーの歌は、ちょっと踏み込みが不足するが、懸命さと必死さはとても好ましい。

オケも合唱も、LSO、うまいもんです。

というわけで、サー・コリン・デイヴィスの「戦争レクイエム」を感動とともに味わった、2018年の盛夏です。

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以下、「戦争レクイエム」の作品の概略を、過去記事から引用。

以下、「戦争レクイエム」の作品の概略を、過去記事から引用。

 

 

1961年、戦火で焼失したコヴェントリーの聖ミカエル大聖堂の再築落成に合わせて作曲された「戦争レクイエム」。
翌62年の同地での初演は、戦いあった敵国同士の出身歌手をソロに迎えて計画されたものの、ご存知のように、英国:ピアーズ、独:F=ディースカウ、ソ連:ヴィジネフスカヤの3人が予定されながら、当局が政治的な作品とみなしたことで、ヴィジネフスカヤは参加不能となり、英国組H・ハーパーによって行われた。
翌63年のロンドン再演では、ヴィジネフスカヤの参加を得て、かの歴史的な録音も生まれたわけであります。
戦争は終わったものの、国の信条の違いによる冷戦は、まだしばらく続行した、そんな歴史を私たちは知っております。
この曲が生まれてから50年。
世界各処、いや、いまの日本のまわりでも、思いの違いや立場の違いから諍いは堪えません。

年に1度、この時期に、この曲の持つ、戦没者への追悼という意味合いととともに、ブリテンが熱く希求し続けた反戦平和の思いをあらためて強く受け止め、考えてみるのもいいことです。

しかし、この曲は、ほんとうによく出来ている。
その編成は、3人の独唱、合唱、少年合唱、ピアノ・オルガン、多彩な打楽器各種を含む3管編成大オーケストラに、楽器持替えによる12人の室内オーケストラ。
レクイエム・ミサ典礼の場面は、ソプラノとフルオーケストラ、合唱・少年合唱。
オーエン詩による創作か所は、テノール・バリトンのソロと室内オーケストラ。

この組み合わせを基調として、①レクイエム、②ディエス・イレ、③オッフェルトリウム、④サンクトゥス、⑤アニュス・デイ、⑥リベラ・メ、という通例のレクイエムとしての枠組み。
この枠組みの中に、巧みに組み込まれたオーエンの詩による緊張感に満ちたソロ。
それぞれに、この英語によるソロと、ラテン語典礼文による合唱やソプラノソロの場面が、考え抜かれたように、網の目のように絡み合い、張り巡らされている。


「重々しく不安な感情を誘う1曲目「レクイエム」。
 戦争のきな臭い惨禍を表現するテノール。
 曲の締めは、第2曲、そして音楽の最後にあらわれる祈りのフレーズ。

②第2曲は長大な「ディエス・イレ」。
 戦いのラッパが鳴り響き、激しい咆哮に包まれるが、後半の「ラクリモーサ」は、悲壮感あふれる素晴らしいヶ所で、曲の最後は、ここでも祈り。

③第3曲目「オッフェルトリウム」。
 男声ソロ二人と、合唱、二重フ―ガのような典礼文とアブラハムの旧約の物語をかけ合わせた見事な技法。

④第4曲「サンクトゥス」。
 ピアノや打楽器の連打は天上の響きを連想させ、神秘的なソプラノ独唱は東欧風、そして呪文のような○△※ムニャムニャ的な出だしを経て輝かしいサンクトゥスが始まる。

⑤第5曲は「アニュス・デイ」。
 テノール独唱と合唱典礼文とが交互に歌う、虚しさ募る場面。

⑥第6曲目「リベラ・メ」。
 打楽器と低弦による不気味な出だしと、その次ぎ訪れる戦場の緊迫感。
やがて、敵同士まみえるふたりの男声ソロによる邂逅と許し合い、「ともに、眠ろう・・・・」。
ここに至って、戦争の痛ましさは平和の願いにとって替わられ、「彼らを平和の中に憩わせたまえ、アーメン」と調和の中にこの大作は結ばれる。」

 

 

 

 

1961年、戦火で焼失したコヴェントリーの聖ミカエル大聖堂の再築落成に合わせて作曲された「戦争レクイエム」。
翌62年の同地での初演は、戦いあった敵国同士の出身歌手をソロに迎えて計画されたものの、ご存知のように、英国:ピアーズ、独:F=ディースカウ、ソ連:ヴィジネフスカヤの3人が予定されながら、当局が政治的な作品とみなしたことで、ヴィジネフスカヤは参加不能となり、英国組H・ハーパーによって行われた。
翌63年のロンドン再演では、ヴィジネフスカヤの参加を得て、かの歴史的な録音も生まれたわけであります。
戦争は終わったものの、国の信条の違いによる冷戦は、まだしばらく続行した、そんな歴史を私たちは知っております。
この曲が生まれてから50年。
世界各処、いや、いまの日本のまわりでも、思いの違いや立場の違いから諍いは堪えません。

年に1度、この時期に、この曲の持つ、戦没者への追悼という意味合いととともに、ブリテンが熱く希求し続けた反戦平和の思いをあらためて強く受け止め、考えてみるのもいいことです。

しかし、この曲は、ほんとうによく出来ている。
その編成は、3人の独唱、合唱、少年合唱、ピアノ・オルガン、多彩な打楽器各種を含む3管編成大オーケストラに、楽器持替えによる12人の室内オーケストラ。
レクイエム・ミサ典礼の場面は、ソプラノとフルオーケストラ、合唱・少年合唱。
オーエン詩による創作か所は、テノール・バリトンのソロと室内オーケストラ。

この組み合わせを基調として、①レクイエム、②ディエス・イレ、③オッフェルトリウム、④サンクトゥス、⑤アニュス・デイ、⑥リベラ・メ、という通例のレクイエムとしての枠組み。
この枠組みの中に、巧みに組み込まれたオーエンの詩による緊張感に満ちたソロ。
それぞれに、この英語によるソロと、ラテン語典礼文による合唱やソプラノソロの場面が、考え抜かれたように、網の目のように絡み合い、張り巡らされている。


「重々しく不安な感情を誘う1曲目「レクイエム」。
 戦争のきな臭い惨禍を表現するテノール。
 曲の締めは、第2曲、そして音楽の最後にあらわれる祈りのフレーズ。

②第2曲は長大な「ディエス・イレ」。
 戦いのラッパが鳴り響き、激しい咆哮に包まれるが、後半の「ラクリモーサ」は、悲壮感あふれる素晴らしいヶ所で、曲の最後は、ここでも祈り。

③第3曲目「オッフェルトリウム」。
 男声ソロ二人と、合唱、二重フ―ガのような典礼文とアブラハムの旧約の物語をかけ合わせた見事な技法。

④第4曲「サンクトゥス」。
 ピアノや打楽器の連打は天上の響きを連想させ、神秘的なソプラノ独唱は東欧風、そして呪文のような○△※ムニャムニャ的な出だしを経て輝かしいサンクトゥスが始まる。

⑤第5曲は「アニュス・デイ」。
 テノール独唱と合唱典礼文とが交互に歌う、虚しさ募る場面。

⑥第6曲目「リベラ・メ」。
 打楽器と低弦による不気味な出だしと、その次ぎ訪れる戦場の緊迫感。
やがて、敵同士まみえるふたりの男声ソロによる邂逅と許し合い、「ともに、眠ろう・・・・」。
ここに至って、戦争の痛ましさは平和の願いにとって替わられ、「彼らを平和の中に憩わせたまえ、アーメン」と調和の中にこの大作は結ばれる。」

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最後に至って、通常レクイエムとオーエン詩の、それぞれの創作ヶ所が、一体化・融合して、浄化されゆく場面では、聴く者誰しもを感動させずにはいない。

敵同士の許し合いと、安息への導き、天国はあらゆる人に開けて、清らかなソプラノと少年合唱が誘う。
このずっと続くかとも思われる繰り返しによる永遠の安息。
最後は、宗教的な結び、「Requiescant in pace.Amen」~彼らに平和のなかに憩わせ給え、アーメンで終結。

この楽園への誘いによる平安に満ちた場面は、ドラマティックでミステリアスなこの壮絶かつ壮大な作品の、本当に感動的なか所で、いつ聴いても、大いなる感銘を受けることとなります。
オペラでも器楽作品、声楽作品でも、ブリテンの音楽のその終結場面は、感動のマジックが施されていて、驚きと涙を聴き手に約束してくれます。

 

 

 

Yasukunijinjya

 過去記事

 

「ブリテン&ロンドン交響楽団」

 「アルミンク&新日本フィル ライブ」

 「ジュリーニ&ニュー・フィルハーモニア」

 「ヒコックス&ロンドン響」

 「ガーディナー&北ドイツ放送響」

 「ヤンソンス&バイエルン放送響」

 「ネルソンス&バーミンガム市響」

「K・ナガノ&エーテボリ交響楽団」

「ハイティンク&アムステルダム・コンセルトヘボウ」

 

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2017年8月30日 (水)

ブリテン 戦争レクイエム ハイティンク指揮

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この画像を、ここに載せるのは、もう何度になるでしょうか。

ガラスのうさぎ。

夏には、多くの千羽鶴が寄せられるようになり、平和祈願の発祥地のようにもなってます。
私の育った神奈川の小さな町。
終戦直前、近くの平塚市には、軍需工場があり、すさまじい空襲を受けたが、この町には何もない。
にもかかわらず、駅に停車していた貨物車を狙い機銃掃射。
疎開していた親子に着弾し、お父さんが亡くなった。
 いまは、建て替えられたけど、子供の頃の駅舎には、銃痕が残っていました。

ともかく、戦争忌避の思いは誰もあり、そして過去を反省する思いは、人類がみな共用すべきものと思います。
そのうえで、日々緊迫する世界情勢に対応するための施策を、施政者は批判を恐れずになして欲しい。

毎夏に聴く音楽。

そして、年とともに、この音楽への共感が増し、その都度の感銘を深めていく。

画像は、コンセルトヘボウらしいものとして拾いました。

Haitink

   ブリテン  戦争レクイエム

     S:フェイ・ロビンソン    T:アンソニー・ロルフ=ジョンソン
     Br:ベンジャミン・ラクソン

   ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
                      アムステルダム・コンセルトヘボウ合唱団
                       オランダ少年合唱団

                    (1985.10.27@コンセルトヘボウ)

カセットテープに残した、NHKFMの放送音源。

山ほどある段ボールのなかのカセットテープとVHS。

この先の人生も考え、取捨選択をするように心がけ、がんがん処分、そしていかにして、自らのライブラリーに残すか。

音源については簡単だった。
ヤマハのCDライターが壊れてしまい、超シンプルな、USBカセットテープ再生マシーンを導入できて、さくさくPCへ取り込み中。

真っ先に取り込んだのが、「ハイティンクの戦争レクイエム」だ。

これがまた、実に素晴らしい演奏だったのだから!

ともかく美しい。
ハイティンクとコンセルトヘボウが、もっとも蜜月に結ばれていて、指揮者の個性も、オーケストラの音色も、そしてコンセルトヘボウというホールの響きも、完全に一体化している時期のものゆえの美しさ。

ふっくらした音を、入念に醸し出すハイティンクとコンセルトヘボウが、ブリテンの緻密に書かれた音楽の、優しさと、デリケートな繊細さを素晴らしく描きつくすのだ。
ディエス・イレでの強烈な咆哮は、録音のせいもあるが控えめ。
そう、この曲に、痛切さや、壮大さ、そして、強いメッセージ性を求める向きには、このハイティンクとコンセルトヘボウの柔らかな響きは、もの足りなく思えるかもしれない。

でも徹底した平和主義者で、弱者のことに目線を多く向けたブリテンの優しさを、この演奏には感じることができるかもしれない。
カセットテープから起こした音源だから、音に芯が少なく、もっといい録音状態であったら、いますこし印象はかわるのかもしれないが。

3人のイギリス人歌手たちは、それはもう素晴らしく、完璧。
ことに、ロルフ・ジョンソンの鬼気迫る歌と、ラクソンの美声は聴きものだった。

オランダ放送協会のデジタル録音でした、とのアナウンスまで入っている、このNHKFM音源。本家での正規音源化はならぬものだろうか。
東ベルリン時代にベルリン響に客演した、A・ギブソンの録音ももってます。
あと、サヴァリッシュとN響、シュライヤー、FD夫妻のものなんかも。

60年代は、作曲者本人の自演盤のみしかなく、それが絶対とされた「戦争レクイエム」。
いまいくつのCDが出てることだろうか。
作者の手を離れて、多くの演奏家たちによって、この作品が、どんどん名曲として確立してゆき、聴き手の心を世界中で揺さぶるようになった。

平和を唱えていても、相手があることだから、一方的に事を起こされる不条理もある。
でも、戦争はご免だ。
この曲、あの大きな国で演奏されちゃったりするんだろうか??

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2017年6月22日 (木)

ブリテン イギリス民謡組曲「過ぎ去りし時・・・」 ラトル指揮

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少し前の東京タワーと芝公園。

都心は狭いもので、歩いていろんな場所へ行けちゃうけど、ほんのちょっと移動するだけで、そこに普段住まう方や、勤務する方のカラーがまったく違って見える。

大使館などもあれば、外国の方の人種や雰囲気もすぐに違ってみえる。

狭いけど、大きすぎる東京は、行き過ぎた都会だな。

疲れちゃうよ。

私が、神奈川の片田舎から、都内に初めて出てくるようになったのは、幼稚園ぐらいのことかしら。
親戚の家が板橋にあったので、内部がまだ木製の湘南電車に乗って、東京駅まで出て、そこから丸の内線で池袋。
活気あふれる高度成長時代、車の排気ガスなんか、へっちゃらで、渋滞だらけで、カローラとサニー、いすゞN360とかが走りまくってた。

当時の写真は、みんなモノクロだけど、いまやそれもセピア色に変じてしまった。

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    ブリテン イギリス民謡組曲「過ぎ去りし時」

     サー・サイモン・ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団

                (1984.5@ワーウィック大学、コヴェントリー)

ブリテン(1913~1976)最後の管弦楽作品。

1974年秋に完成させ、翌年のオールドバラ音楽祭にて初演。
その翌年には、63歳で亡くなってしまうブリテン。

最晩年にいたって、イギリス民謡を扱った作品を残し、英国作曲家の先達の伝統に回帰した。
それもそのはず、この作品は、パーシー・グレインジャーに捧げられている。

三浦淳史先生の解説を参考に記します。

 この作品の副題は、トマス・ハーディの詩「生まれる前と死んでから」よりとられていて、この詩をもとに、ブリテンは、「冬の言葉」という名歌曲を編んでいる。

 誰にもおそらく想像がつくように そして地上のさまざまな証拠が示すように

 意識というものが生まれる前 万事はうまくいっていた・・・・・

 しかし、感じるという病がおこった 

 そして原始の正しさは間違った色に染まり始めた

 いったい無知が再認識されるのは あとどれくらいの時間がかかるのだろうか


                   ハーディ 命の芽生えの前とあと

なるほどのの、なかなかに深い詩、だけど、明快なテーマ。

 そして組曲は、5つからなる。

  ①「美果と美酒」 Cakes and Ale

  ②「にがいヤギ」  The Bitter withy

  ③「まぬけのハンキン」 Hankin Boody

  ④「リスを追え」 Hunt the squirrel

  ⑤「メルバーン卿」 Lord Melbourne


17~8分の、いたって平易でシンプルな音楽で、とても聴きやすい。

勇ましい感じの①、ちょっと、まさに苦みあふれる雰囲気の②は、ハープの美しさがアクセント。
舞曲調で、シニカルでドラムも効いてる③
面白いのは④、弦楽器でバグパイプそのものを再現してしまった。
そして、一番深みあふれるのが⑤
コールアングレの物哀しいソロが、懐かしさを誘い、どこかに忘れてきてしまった、そして記憶のどこか遠くにあるものを思い覚ますような、そんな淡さをもった音楽。

 この曲、初めて聴いたのは、バーンスタインの演奏で、初演間もないNYPOとの録音だった。

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FMでの録音だったけど、後年、CDで買い直して聴いてみて、明快なバーンスタインの指揮と、ブリテンへの共感にあふれた演奏が素晴らしいと思った。
それとこのバーンスタイン盤は、「ピーター・グライムズ」からの「4つの海の前奏曲」と「パッサカリア」がとてつもなくいい演奏だ。

それと、ラトル盤。
シンフォニア・ダ・レクイエムの名演に隠れてカップリングされたこの曲に喜んだものだ。
ラトルの音楽への切り込みの鮮やかさは、バーミンガム時代の方が、いまよりもずっと上ではないかと思ったりもする。
フィルハーモニアとの初来日を聴いて、ラトルのCDを聴きまくったけれど、ベルリンフィルになってから、ほとんど持ってません(笑)
ちゃんと聴かなくては、と思いつつ、いまに至る。

で、過去を振り返るのでありました。

 

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