カテゴリー「ブリテン」の記事

2016年8月 7日 (日)

ブリテン 戦争レクイエム K・ナガノ指揮

Hiroshima_1

広島と長崎に原爆を落とされて71年。

無辜の民間人に対する爆撃は、単なる殺戮にすぎなかった。

同様に、日本各地、内地までへも空襲が激化し、沖縄には上陸戦も。

負けたから、それらはやむなしか。。。。

が、しかし、日本人は、歴史には学ぶが、過去にこだわり執着することはない、そんな人種だと思う。
終わったことはしょうがない、さあ、次・・・、そんな心情を誰しもがいつも持っているのでは。

現職の大統領が初めて広島の地を訪れた今年。

異論はあるかもしれないが、謝罪なくとも、その意義は大きい。
大統領退任後の反核活動のメルクマールともなろうとも・・・・

 自分の身内の死に際しても、わたくしたちは、悲しみながらも、淡々と、日本人ならではの送り方でもって、亡き人への告別をする。
その後は、いろんな折りあいをつけながらも、亡き人と心の中で交流しながらも、自分を生き、そしてまた去ってゆく。

いわば、そんな墨絵のような、派手さはないけれど、決して色あせることのない、日本人の死生観を、いまさらながらに、つくづくと思う、そんな8月。

そして、聴きます、8月は「戦争レクイエム」とヴェルディ。

K_nagano

  ブリテン  戦争レクイエム

    S:エマ・ベル        T:ランス・ライアン
    Br:ラッセル・ブラウン

 ケント・ナガノ 指揮 エーテボリ交響楽団/合唱団

                     (2013.11.22 エーテボリ)


久しぶりの更新だけど、もう書きつくしたこの名作。

優れたこの作品の構成や生い立ちなどは、過去記事にて。

ブリテンの自演盤のみが、唯一の偉大な存在だったこの曲に、多様な演奏が続々と現れるようになったのは、そんなに昔のことではない。

そして、演奏会でもよく取り上げられるようになった。

戦争をしあった国出身で、3人の歌手たちを選ぶということも、いまではあまりなされなくなったし、なによりも、指揮者もオーケストラも多様な顔触ればかりとなった。

今年の「戦争レクイエム」は、放送音源から。

スウェーデンの放送局のネット放送から以前録音したもの。

エーテボリ響の音楽監督を務めるケント・ナガノの指揮で。

ブリテンを得意とするナガノは、かつてハレ管の指揮者のときに、ブリテンをかなり取上げていたけれど、戦争レクイエムは録音しなかったんじゃないかな。
実に共感のこもった、そして緊張感の高い指揮ぶりで、ときおり唸り声も聞かれる、気合充分の演奏。
 エーテボリ響が戦争レクイエムを演奏しているということが、興味深く、聴きものかと思い、それは、親父ヤルヴィのもと、北欧・スラヴ作品ばかり演奏しているイメージがあったから。

しかし、エーテボリ響のHPをのぞいてみて、歴代指揮者を俯瞰してみたら、北欧系の指揮者はもちろんのこと、D・ディクソン、コミッショーナ、デュトワなどなど、アメリカのオケのような指揮者の布陣だったのだ。
さらに、親父ヤルヴィの長期政権のあとは、ヴェンツァーゴ、ドゥダメル君、そしてK・ナガノと続いたわけ。
 でも、残念なことに、ナガノは来年、降りることになっていて、次期指揮者はフィンランドの若手、サントゥ=マティアス・ロウヴァリという30歳のフィンランド出身の人になるらしい。
注目の指揮者のようだ。

そして、はなしは戻って、この演奏、澄んだ響きのエーテボリ響が、明晰なナガノの音楽造りとあいまって、とても耳に新鮮に響いたのだった。
威圧感なく、ブリテンの斬新な音色と、優しい目線を、申し分なく味わえる。
録音も放送とは思えないレヴェルの高さ。

歌手では、去年まで、バイロイトでジークフリートを歌っていたランス・ライアンがユニークだった。
クセのある歌声は、ときにエキセントリックに聴こえるから、戦争の異常さ、切迫感なども妙にリアルに歌いでしているように感じる。
でも、ときにやる気なさそうなところもあるのがライアンの特徴か。

清楚なソプラノ、誠実なバリトンもともによかった。

「Let us sleep now・・・・」(ともに眠ろう・・・・」

「彼らを平和の中に憩わせたまえ、アーメン」

いつ聴いても、耳をそばだて、そして両手を前に組みたくなる、感動的なラスト・シーンに、今年も胸が熱くなった。

過去記事

 「ブリテン&ロンドン交響楽団」

 「アルミンク&新日本フィル ライブ」

 「ジュリーニ&ニュー・フィルハーモニア」

 「ヒコックス&ロンドン響」

 「ガーディナー&北ドイツ放送響」

 「ヤンソンス&バイエルン放送響」

 「ネルソンス&バーミンガム市響」


おまけ

Hiroshima_obama_cat

平和祈念公園は、何度か訪れたけれど、そのたびに見かけて、写真におさめていたのが、この真黒なねこ。

そして、オバマさんが来たときも、厳戒態勢をくぐりぬけて、カメラに映りこんでました。

平和であれ。

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2016年3月30日 (水)

大好きなオペラ総集編

Tokyo_tower

桜は足踏みしたけれど、また暖かさが戻って、一気に咲きそう。

まだ寒い時に、芝公園にて撮った1枚。

すてきでしょ。

大好きなオペラ。

3月も終わりなので、一気にまとめにはいります。

Tristan

  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

ワーグナーの魔力をたっぷりと含んだ、そう魅惑の媚薬のような音楽。
この作品に、古来多くの作曲家や芸術家たちが魅かれてきたし、いまもそれは同じ。
我が日本でも、トリスタンは多くの人に愛され、近時は、歌手の進化と、オーケストラの技量のアップもあって、全曲が舞台や、コンサート形式にと、多く取り上げられるようになった。

わたくしも、これまで、9度の舞台(演奏会形式も含む)体験があります。

そして、何度も書いたかもしれませんが、初めて買ったオペラのレコードがこのトリスタンなのであります。
レコード店の奥に鎮座していた、ずしりと重いベームの5枚組を手に取って、レジに向かった中学生を、驚きの眼差しでもって迎えた店員さんの顔はいまでも覚えてますよ。

ですから、指揮も歌手も、バイロイトの響きを捉えた、そう右から第1ヴァイオリンが響いてくる素晴らしい録音も、このベーム盤がいまでも、わたくしのナンバーワンなんです。

次に聴いた、カラヤンのうねりと美感が巧みに両立したトリスタンにも魅惑された。
あとは、スッキリしすぎか、カルロスならバイロイトかスカラ座のライブの方が熱いと思わせたクライバー盤。ここでは、コロの素晴らしいトリスタンが残されたことが大きい。
 それと、いまでは、ちょっと胃にもたれるバーンスタイン盤だけど、集中力がすごいのと、ホフマンがいい。
フルトヴェングラーは、世評通りの名盤とは思うが、いまではちょっと辛いところ。

あと、病後来日し、空前絶後の壮絶な演奏を聴かせてくれたアバド。
あの舞台は、生涯忘れることなない。
1幕は前奏曲のみ、ほかの2幕はバラバラながら聴くことができる。
透明感あふれ、明晰な響きに心が解放されるような「アバドのトリスタン」。
いつかは、完全盤が登場して欲しい。

Ring_full_2

  ワーグナー 「ニーベルングの指環」

わたくしの大好きなオペラ、ナンバーワンかもしれない・・・

興にまかせて、こんな画像を作っちゃいました。

オペラ界の大河ドラマとも呼ぶべきこの4部作は、その壮大さもさることながら、時代に応じて、いろんな視点でみることで、さまざまな演出解釈を施すことができるから、常に新しく、革新的でもある。
 そして、長大な音楽は、極めて緻密に書かれているため、演奏解釈の方も、まだまださまざまな可能性を秘めていて、かつては欧米でしか上演・録音されなかったリングが、アジアや南半球からも登場するようになり、世界の潮流ともなった。

まだまだ進化し続けるであろう、そんなリングの演奏史。

でも、わたくしは、古めです。
バイロイトの放送は、シュタインの指揮から入った。

Bohm_ring1

そして、初めて買ってもらったリングは、73年に忽然と出現したベームのバイロイトライブ。
明けても覚めても、日々、このレコードばかり聴いたし、分厚い解説書と対訳に首っ引きだった。
ライブで燃えるベームの熱い指揮と、当時最高の歌手たち。
ニルソンとヴィントガッセンを筆頭に、その歌声たちは、わたくしの脳裏にしっかりと刻み付けられている。
なんといっても、ベームのリングが一番。

そして、ベーム盤と同時に、4部作がセットで発売されたカラヤン盤も大いに気になった。
でも、こちらと、定盤ショルティは、ちょっと遅れて、CD時代になって即買い求めた。
歌手にでこぼこがあるカラヤンより、総合点ではショルティの方が優れているが、それにしても、カラヤンとベルリンフィルの作り上げた精緻で美しい、でも雄弁な演奏は魅力的。

あと、忘れがたいのが、ブーレーズ盤。
シェローの演出があって成り立ったクリアーで、すみずみに光があたり、曖昧さのないラテン的な演奏だった。歌手も、いまや懐かしいな。
 歌手といえば、ルネ・コロのジークフリートが素晴らしい、そしてドレスデンの木質の渋い響きが味わえたヤノフスキ。

舞台で初めて味わったのが日本初演だったベルリン・ドイツ・オペラ公演。
G・フリードリヒのトンネルリングは、実に面白かったし、なんといっても、コロとリゲンツァが聴けたことが、これまた忘れえぬ思い出だ。

舞台ではあと、若杉さんのチクルスと、新国の2度のK・ウォーナー演出。
あと、朝比奈さんのコンサート全部。
みんな、懐かしいな。。。

以下、各国別にまとめてドン。

ドイツ

 モーツァルト   「フィガロ」「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」「魔笛」

 
 ワーグナー   「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」 「ローエングリン」
           「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
            「ニーベルングの指環」「パルシファル」

 ダルベール   「低地」

 R・シュトラウス 「ばらの騎士」「ナクソスのアリアドネ」「影のない女」「アラベラ」
            「ダフネ」「ダナエの愛」「カプリッチョ」

 ツェムリンスキー 「フィレンツェの悲劇」 (昔々あるとき、夢見るゾルゲ2作は練習中)

 ベルク      「ヴォツェック」「ルル」

 シュレーカー   「はるかな響き」 「烙印された人々」「宝探し」

 コルンゴルト  「死の都」「ヘリアーネの奇蹟」「カトリーン」

 ブラウンフェルス 「鳥たち」

 レハール    「メリー・ウィドウ」「微笑みの国」

イタリア

 ロッシーニ   「セビリアの理髪師」「チェネレントラ」

 ヴェルディ   「マクベス」「リゴレット」「シモン・ボッカネグラ」「仮面舞踏会」
           「ドン・カルロ」「オテロ」「ファルスタッフ」

 カタラーニ   「ワリー」

 マスカーニ   「イリス」

 レオンカヴァッロ  「パリアッチ」「ラ・ボエーム」

 プッチーニ   「マノン・レスコー」「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」「三部作」
           「ラ・ロンディーヌ」「トゥーランドット」

 チレーア    「アドリアーナ・ルクヴルール」

 ジョルダーノ  「アンドレア・シェニエ」「フェドーラ」

 モンテメッツィ 「三王の愛」

 ザンドナーイ  「フランチェスカ・ダ・リミニ」

 アルファーノ  「シラノ・ド・ベルジュラック」「復活」

 レスピーギ   「セミラーナ」「ベルファゴール」「炎」

フランス

 オッフェンバック 「ホフマン物語」

 ビゼー      「カルメン」

 グノー      「ファウスト」

 マスネ      「ウェルテル」

 ドビュッシー   「ペレアスとメリザンド」

イギリス
 

 パーセル   「ダイドーとエネアス」

 スマイス    「難破船掠奪者」

 ディーリアス  「コアンガ」「村のロメオとジュリエット」「フェニモアとゲルダ」

 R・V・ウィリアムズ  「毒の口づけ」「恋するサージョン」「天路歴程」

 バントック   「オマール・ハイヤーム」

 ブリテン    「ピーター・グライムズ」「アルバート・ヘリング」「ビリー・バッド」
          「グロリアーナ」「ねじの回転」「真夏の夜の夢」「カーリュー・リバー」
          「ヴェニスに死す」

ロシア・東欧

 ムソルグスキー 「ボリス・ゴドゥノフ」

 チャイコフスキー 「エフゲニ・オネーギン」「スペードの女王」「イオランタ」

 ラフマニノフ    「アレコ」

 ショスタコーヴィチ 「ムチェンスクのマクベス夫人」「鼻」

 ドヴォルザーク   「ルサルカ」

 ヤナーチェク    「カーチャ・カヴァノヴァ」「イエヌーファ」「死者の家より」
             「利口な女狐の物語」「マクロプロス家のこと」

 バルトーク     「青髭公の城」

以上、ハッキリ言って、偏ってます。

イタリア・ベルカント系はありませんし、バロックも、フランス・ロシアも手薄。

新しい、未知のオペラ、しいては、未知の作曲家にチャレンジし、じっくりと開拓してきた部分もある、わたくしのオペラ道。
そんななかで、お気に入りの作品を見つけたときの喜びといったらありません。

それをブログに残すことによって、より自分の理解も深まるという相乗効果もありました。

そして、CD棚には、まだまだ完全に把握できていない未知オペラがたくさん。

これまで、さんざん聴いてきた、ことに、長大なワーグナー作品たちを、今後もどれだけ聴き続けることができるかと思うと同時に、まだ未開の分野もあるということへの、不安と焦り。
もう若くないから、残された時間も悠久ではない。
さらに、忙しくも不安な日々の連続で、ゆったりのんびりとオペラを楽しむ余裕もなくなっている。
それがまた、焦燥感を呼ぶわけだ。

でも、こうして、総決算のようなことをして、少しはスッキリしましたよ。

リングをいろんな演奏でツマミ聴きしながら。。。。
 

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2015年8月15日 (土)

ブリテン 戦争レクイエム ネルソンス指揮

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終戦の日が巡ってくる真夏の日本。

70年が経過し、今年ほど、この年月を振り返ることが、さまざまなかたちでなされ、そして、安保法制への賛否、近隣国との関係、原爆を落とした側の非正統性などが、はっきりと議論されるようになったことはありません。

感情や、主義主張に流されることなく、公正な目線でもってそれぞれの意見を眺めなくてはいけませんが、なかなかに難しいものです。

いろんな対立軸はあるにしても、でも、戦争だけは絶対に許されざること。
この思いは共通だと信じている。

今年も、この曲を聴いて、恒久平和を胸に刻み、祈りたいと思います。

Proms2014britten

  ブリテン   戦争レクイエム

       S:スーザン・グリットン    

       T:トービー・スペンス

       Br:ハンノ・ミュラー=ブラッハマン

    アンドリス・ネルソンス指揮 バーミンガム市交響楽団
                      BBCプロムス・ユース合唱団

              (2014.8.21 @ロイヤル・アルバート・ホール)


ふたつの世界大戦は、多くの作曲家たちに、あらゆる影響を及ぼしましたが、ブリテンほどに、戦争を憎み、反戦の思いを強烈にその作品に反映させた人はいません。
 戦争レクイエムと、シンフォニア・ダ・レクイエム、英雄のバラード、これら3作がブリテンの反戦3部作といえるかも。

 イギリスの伝統としての制度、「良心的兵役忌避者」の申告をして、その条件として、音楽ボランティアに従事することを宣誓し、予芸以上の指揮とピアノで、戦時下の人々を慰め鼓舞する仕事に従事する一方、その傍らでも、熱心な創作活動を継続したブリテン。
その行動の根に常にあった「平和主義」でありました。
 いまの若者が、戦争行きたくない、と主張するのもわかるが、寝ぼけたような平和主義ではなくて、ブリテンは、骨の髄からの筋がね入りの反戦・平和主義者でした。

伝統的な「死者のためのミサ曲」の典礼文に基づく部分と、ウィルフレット・オーエンの詩による独唱による部分を巧みにつなぎわせ、「反戦」と「平和希求」をモティーフとする、独自の「レクイエム」。

1962年の初演以来、作曲者自身の指揮によるレコードが、この作品のスタンダードで、それ以外には、録音すらなかった時代が長かった。
いまでこそ、世界各国の指揮者とオーケストラによる音盤がたくさんありますが、そんな中で、作曲者以外の演奏として、大胆に登場して、驚きを持って迎えられたのが、サイモン・ラトルのEMI盤でした。

ラトル盤は、いつかベルリンか、ロンドン響で、再録音がなされるものと期待し、そのときまで取っておこうと思いまして、今年は、そのラトルが育てあげた、バーミンガムのオーケストラの今の指揮者、アンドリス・ネルソンスのライブを聴きます。
そのネルソンスも、今シーズン限りなのですが、こちらの演奏は、昨年2014年のプロムスにおけるもので、BBCのネット放送を録音したものです。

2012年には、このコンビは、戦争レクイエムが初演されたコヴェントリーの聖ミカエル教会で、初演50年の記念演奏会を開き、その模様はDVDにもなってますが、そちらは未視聴です。
その2年後の、こちらのライブは、演奏を重ね、自信も深めた結果が、よく反映されているようで、かつ気合も充分にこもった、充実の演奏となっています。

まず、その尋常でない集中力と緊張感。
それは、しばしば、言葉のひとつひとつを噛みしめるような、じっくりとしたテンポの取り方にもあらわれております。
演奏時間は、1時間30分と長め。

 重々しい足取りがやるせなくなる「レクイエム」。
さらに、のたうつような苦しみと怒りにあふれた「ディエス・イレ」は、こんなに重く、遅いのは初めてだ。
 その半面、「サンクトゥス」の壮麗さと、輝かしさの対比が活きてくる。
曲は、終結に向かうほどに感動の度合いを高めてくるのは、この素晴らしい音楽ゆえですが、このネルソンスの演奏は、ライブゆえに、巨大な会場も息をひそめて、音楽に感じ入っている様子がよくわかります。
いつもは、ざわついたりするプロムスの聴衆が、咳もろくにせずに、静まり返っている。
 最後の、感動の和解のあと、静かな祈りのうちに、このレクイエムは終わりますが、音が消えたあとも、ずっとずっと静寂のまま。
約2分の沈黙がありました・・・・・・・。

Nelsons

ヤンソンスゆずりの、演奏者と聴衆をのせてしまい、音楽を巧みに聴かせ、感動の高みを築きあげることの才能を、ネルソンスは持っています。
オペラも上手く指揮する彼は、全体を俯瞰する構成能力の才も豊かです。
 ボストン響との新たな関係を、早くも2022年まで延長したネルソンス。
まだ36歳です。

例年どおり、過去記事からコピペで、曲の概要を再び記しておきます。

「重々しく不安な感情を誘う1曲目「レクイエム」。
戦争のきな臭い惨禍を表現するテノール。
曲の締めは、第2曲、そして音楽の最後にあらわれる祈りのフレーズ。
 第2曲は長大な「ディエス・イレ」。
戦いのラッパが鳴り響き、激しい咆哮に包まれるが、後半の「ラクリモーサ」は、悲壮感あふれる素晴らしいヶ所で、曲の最後は、ここでも祈り。
 第3曲目「オッフェルトリウム」、男声ソロ二人と、合唱、二重フ―ガのような典礼文とアブラハムの旧約の物語をかけ合わせた見事な技法。
 第4曲「サンクトゥス」、ピアノや打楽器の連打は天上の響きを連想させ、神秘的なソプラノ独唱は東欧風、そして呪文のような○△※ムニャムニャ的な出だしを経て輝かしいサンクトゥスが始まる。
 第5曲は「アニュス・デイ」。
テノール独唱と合唱典礼文とが交互に歌う、虚しさ募る場面。
 第6曲目「リベラ・メ」。
打楽器と低弦による不気味な出だしと、その次ぎ訪れる戦場の緊迫感。
やがて、敵同士まみえるふたりの男声ソロによる邂逅と許し合い、「ともに、眠ろう・・・・」。
ここに至って、戦争の痛ましさは平和の願いにとって替わられ、「彼らを平和の中に憩わせたまえ、アーメン」と調和の中にこの大作は結ばれる。」

最後に至って、通常レクイエムとオーエン詩の、それぞれの創作ヶ所が、一体化・融合して、浄化されゆく場面では、聴く者誰しもを感動させずにはいない。
敵同士の許し合いと、安息への導き、天国はあらゆる人に開けて、清らかなソプラノと少年合唱が誘う。
このずっと続くかとも思われる繰り返しによる永遠の安息。
最後は、宗教的な結び、「Requiescant in pace.Amen」~彼らに平和のなかに憩わせ給え、アーメンで終結。

過去記事

 「ブリテン&ロンドン交響楽団」

 「アルミンク&新日本フィル ライブ」

 「ジュリーニ&ニュー・フィルハーモニア」

 「ヒコックス&ロンドン響」

 「ガーディナー&北ドイツ放送響」

 「ヤンソンス&バイエルン放送響」

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2014年10月23日 (木)

東京都交響楽団演奏会 ブラビンス指揮

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アーク・カラヤン広場を見渡してみました。

いまさらながらの光景ですが、調和のとれた景色ですな。

サントリーホールには、こちら側から。アプローチすることが多いですが、コンサートへのワクワク感が、ほんの少しの距離ですが、増す、そんな広場の空間であります。

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  ヴォーン・ウィリアムズ ノフォーク・ラプソディ第1番

  ブリテン          ピアノ協奏曲 op13

            ピアノ:ステーヴン・オズボーン(※)

  ウォルトン         交響曲第2番

    マーティン・ブラビンズ指揮 東京都交響楽団

                    (2014.10.20@サントリーホール)

  ※アンコール  ドビュッシー 前奏曲集第2巻 第10番「カノープ」


都響の会員ではございません。

神奈川フィル一途の昨今。

ただし、演目によって各オケに登場するわたくし。

そして、ご覧ください、このプログラム。

しかも、指揮には、英国のブラビンズ氏。
トムソン、ハンドレー、ヒコックス亡きあと、英国音楽の指揮者の伝統を受け継いでゆくべき人と、思っております。
その氏が、名古屋フィルの指揮者になったと聞いたときは、びっくりしました。
CDも、そこそこ所有してまして、それらは、いずれも珍しい曲目ばかりなところも、実に気に入ってました。
なかでも、コルンゴルトのオペラ「カトリーン」は、わたくしの大フェイバリットのひと組です。

 そんなこんなで、あるブログ仲間の方からは、○○さんのためにあるような・・・的なコメントも頂戴しまして、ウキウキほいほいで、サントリーホールにまいりました。

まずは、RVWのステキな一品、ヴィオラソロもいかにもVWな音楽。
かつて、現田さんの指揮で、聴いたことがあります。
懐かしくも、牧歌的な音楽は、民謡採取に情熱を注いだVWらしく、古風な佇まいさえも感じさせ、聴くわたくしたちを遠く目線にさせてしまう。
中間部の元気な場面との対比も明確で、ブラビンズの明快な音楽造りが際立ちました。

1曲目から、いい気分にさせていただきました。

そして、ブリテンの若書きの大作、ピアノ協奏曲。
ブリテン大好きのわたくしですが、この曲は、もっとも苦手で、唯一所有するCDを聴いて、何度か記事にしようと思ったけれど、どうにも書けなかった。
 そう、ブリテンらしさが感じなくて、さっぱり捉えどころがないのでした。
ラヴェルっぽくて、ショスタコみたいだし、プロコフィエフでもあり・・・。

今回、実演に接し、この曲が、近くに感じ、見えてきた感じで、帰宅後、CDを聴き返したとき、あそこはこんな風に弾いてたとか、オケはこんなだった、とか思い返すこともできて、曲への親しみを持つことにつながりました。

ですが、後年の厳しさと、クールさ、優しさが、それぞれ相混じったブリテンの音楽スタイルからすると、やはり弱いと思ったりもしてます。

ラヴェル風の元気のいい1楽章では、この日のソロ、オズボーンさんの、目にも鮮やかな超絶技巧に魅惑されました。
楽章の終わりの方の木管の動きに、ブリテンらしさを感じます。
 2楽章は、お洒落なワルツ。ここでもヴィオラソロが決め手で、さすがに店村さん、素晴らしい。
オケの全奏を伴いつつ奏でる中間部のワルツは、実に心地よく、体が動きそうになりました。
 一転、晦渋な雰囲気の3楽章は、沈鬱な気分にしてくれましたが、終わりの方に、ブリテンらしいヒンヤリムードが醸し出されて、いい感じになれました。
さらにまた転じて陽気な旋律が忘れられなくなる終楽章では、ブラスも打楽器も大活躍、ピアノもバリバリ。

 しかし見事なお手前だったスコットランド出身のオズボーンさんのピアノ。
完全に、この難解至極な曲を手のうちに入れてる。
表現の幅が極めて大きく、かつ繊細さも。
そんな彼の個性がさらに発揮されたのは、アンコールのドビュッシー。
このガラスのように繊細な曲を、さらに透き通るような音色で、絶妙なタッチで演奏して、満場のホールを、シーンとさせてしまった。
調べたら、ブリテンも、フランスものも、お得意なようですね。
気にいりました、オズボーンさん。

 さて、後半は、タイム的には30分と、ちょっとものたりないけれど、ゴージャスで、オケががんがん鳴るウォルトンの2番。
1番は有名ですが、2番は、めったに演奏されない。
セルの演奏がかつては有名でしたが、わたくしは、入手しやすいプレヴィン盤のみ。

今宵のブラビンズさんは、1番とカップリングした録音を残しているので、今度手にいれましょう。

さて、コンパクトな外観に関わらず、この1960年の作品は、保守的でありながら、その豪放でかつ、ゴージャスサウンドは、かつてはともかく、いまでこそ受ける類の音楽だと思います。
事実、ほとんどの方が初聴きだったかもしれない、この日。
演奏終了後、ブラボーの大歓声で、ブラビンズ氏は、何度もステージに呼び返され、最後には、ウォルトンのスコアを高く掲げ、自分の胸に抱きしめるという、ナイスなパフォーマンスまで見せてくれるというありさまになりました。

そう、ほんとに、すごいかっこいい曲であり、完全無比の演奏でした。
さすが都響の緻密さと、そのパワーは素晴らしい。
それを縦横に引き出したブラビンズさんの、的確かつ熱い指揮ぶりにも感嘆。

緊張感と切迫感あふれる第1楽章は、ウォルトンならではの疾走感がたまらない魅力。
 そして、一番ステキなのが2楽章。
この日のコンサートで、一番楽しみにしていた楽章です。
抒情と情熱が、入り混じった、クール・ビューティなブルー系のサウンドは、ウォルトンが得意とした銀幕の音楽にも通じるものがあります。
陶然とした気分で、この楽章に酔いしれてしまったワタクシです。
 転じて、これまた豪快かつ緻密・繊細で、多彩な音色や響きが楽しめる終楽章。
12音によるパッサカリア形式といいますが、そんなことは、あまり気にせず、音楽が変転しまくるさまを楽しみました。
エンディングも、チョーかっこエエsign01

名古屋フィルが羨ましく思えたブラビンズさんの、都響客演です。

あと、ウォルトン1番をメインに据えた、もう一夜のブリティッシュプログラムもまいりますnote
  

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2014年10月 2日 (木)

ブリテン 「真夏の夜の夢」 ハイティンク指揮


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真夏の夕暮れの東京タワー。

ついこの前までの暑い夏は、涼しい秋にとってかわりました。

冬から春も劇的だけど、夏から秋も、いつのまにか風が変わってしまい、朝晩に急に季節が進行したことを痛感します。

懐かしいな、夏。

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    ブリテン 歌劇「真夏の夜の夢」

 オベロン :ジェイムス・バウマン   ティターニア:イレアナ・コトルバス
 パック   :ダミエン・ナッシュ     テセウス :リーヴェ・ヴィッサー
 ヒッポリタ :クレイエ・パウエル     ライサンダー:ライランド・デイヴィス
 ディミトリアス:デイル・ディージング ハーミア:シンシア・ブキャナン
 ヘレナ  :フェリシティ・ロット       ボトム:クルト・アッペルグレン
 クィンス :ロバート・ブリソン        フルート:パトリック・パワー
 スナッグ :アンドリュー・ギャラガー スナウト:アドリアン・トンプソン
 スターヴリング:ドナルド・ベル
 妖精:蜘蛛の巣、豆の花、からしの種、我・・・・ボーイ・ソプラノ

        演出:サー・ピーター・ホール

     ベルナルト・ハイティンク指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

                        
                         (81.@グラインドボーン)

   
シェイクスピア原作の「真夏の夜の夢」。
「真夏」とありますが、本来のこの物語の季節は、夏至の頃。

そして、夏もすっかり終わった秋のいま、こうして記事にしてます。
というか、真夏に鑑賞してたのに、今頃の記事。
最近の週末は、忙しくて、以前のようにオペラ記事を書く時間がないのです。

音楽での、「真夏の夜の夢」の代表作は、メンデルスゾーンの同名の劇音楽でありましょう。
あと、古くは、パーセルの「妖精の女王」で、原作から半世紀後。
そして、英国からは、ずっと下って、ブリテンのこちらのオペラとなります。
あと、変わったところでは、コルンゴルトがメンデルスゾーンの作品を映画様にオマージュした同名の劇作品もあります。

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ブリテンのオペラは、1960年の作品。
そして、原作のシェイクスピアの戯曲は、1596年。
ほぼ400年を経て、ブリテンと朋友のピアーズは、原作にほぼ忠実に従い、幻想・ロマン・笑い・風刺・夫婦愛といった妖精を介した人間のドラマが、楽しく美しくここに描かれることとなりました。

保守的な作風だったブリテンですから、1960年という年の作品にしては、メロディも豊かで、とても聴きやすいオペラで、しかも全3幕、2時間30分という長さながら、ドラマの運びと、巧みな音楽とで、楽しみつつ、あっという間に終わってしまう。

過去に2度記事にしてますが、簡単な、あらすじ・・・。

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妖精の王オベロンと妃のティターニアが、愛しい少年をめぐって喧嘩をして、頭にきたオベロンは、遊び心で、寝て起きて最初に見た人に恋してしまうという薬草を、妖精パックに探しにいかせる。

 人間の男女4人が、それぞれ、たがいに違う相手と出てきて、恋の悩みをぶつけ合う。

それを観察するオベロンは、気を効かせて、うまく恋が成就するように、パックに、かの惚れ薬を塗るように命じるが、そそかっしいパックは、違う相手の瞼に塗ってしまい、本来の恋人希望でない女性に起こされた彼は、彼女をひと目で好きになってしまう。

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 一方、森には、演芸の出し物を練習しにきた職人たち数人。

かたわらでは、妃ティターニアが休みにつくが、パックは職人のひとりを誘い出して、その姿をロバにしてしまう。

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 翌朝、目を覚ました妃は、ロバを見て、即、恋に落ちる。

妖精たちもまじえて、平和かつ滑稽な情景が続くが、一方、ひとりの女性を巡り、大げんかとなった4人の男女の喧騒もすさまじい。

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 パックに、ひと違いをしたことに、激怒して、お仕置きをするオベロン。

パックは、4人をばらばらに呼び出し、ふたたび、惚れ薬を処方。 

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さらに、妃の魔法も解き、妖精の王夫妻と4人は、仲直りの美しい朝を迎える。

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そして、その晩は、領主の婚礼。

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合わせて、4人の祝福も同時に行い、宴の出し物は、職人たちの抱腹絶倒の寸劇。

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やがて、劇も終わり、皆が去ったあと、妖精夫妻も仲良く歌い、最後に一人になったパックが狂言回しとして、舞台の幕を締める。


 登場人物が多くて、一見、ばたばた騒ぎに見えるけれど、舞台や映像に接すれば、その思いは霧消してしまいます。

 3幕の滑稽な劇中劇も、1幕で行われる職人たちの練習風景と巧みに結びついていて、もやもやが晴れるし、なによりも、全体に巧みなライトモティーフの使用による効果があふれ出てます。
 1幕と3幕は、それぞれ夢想的な前奏曲から始まり、そこから次々に、その幕の出来事も含めて音楽が派生して、大きくドラマを築いて行くさまが聴きこむとよくわかる。
さらに、中間の第2幕は、長大なパッサカリア形式ともとれるそうです。
 そう、全体をシンフォニックに捉えることも可能なオペラなのです。

 また、原作に妖精たちとして、少年がたくさん出てくることも、ブリテンの好む素材でありましたでしょう。
オペラでも、妖精たち=少年合唱は、3つの幕でそれぞれに大活躍で、古雅なまでのコーラスを披露して、3つの幕を結びつける効果も生んでいるように思われます。

あと、狂言回しのパックちゃんですが、語りに重点を置いたシュプレヒティンメのような存在で、歌いません。
わたしの持つデイヴィス盤では青年が、観劇した舞台では女性が、そしてこちらの映像のハイティンク盤では少年が、これまた、まったく達者に機敏に演じております。

ブリテンのオペラ16作中、10番めのものですが、このオペラよりあと、旋律的なオペラに別れを告げ、東洋風な音楽も取り入れ、よりミステリアスでユニークな、ある意味感覚的な音楽の方向へと向かうのでした。

 さて、グラインドボーン時代、1980年代のハイティンクは、ロンドンフィルの指揮者という立場でもって、オペラを本格的に指揮し始めた頃で、必死にレパートリーの開拓に努めていた頃。
モーツァルトのダ・ポンテオペラや、ストラヴィンスキー、ブリテンなどの名演をこうして残してくれました。
いずれもふくよかで、穏健な解釈ながら、音楽はときに生真面目すぎたりもしましたね。
でも、シンフォニックなアプローチが、ブリテンには、ピタリと決まって、とてもスッキリしてます。
カーテンコールに出てくるその姿も、頭は一緒ですが、まだ50代だから、とても若い。
グラインドボーンのあと、デイヴィスの後を受けて、コヴェントガーデンの音楽監督となり、オペラ指揮者としての立場も完成させることになるハイティンクでした。

歌手では、お馴染みのコトルバスが素晴らしいですね。
バウマンのオベロンも見栄えもよく、完璧な歌です。

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そして、4人の人間の恋人たちの素晴らしさ。
とりわけ、若きロットとR・ディヴィス。

 最後に、演出は、ピーター・ホール。
王立シェイクスピア劇団やナショナル・シアターの監督をつとめたピーター・ホールは、劇や映画に加え、オペラ演出でもかなりの舞台を残しております。
英国で、数々実績をあげていたホールに、バイロイトが声をかけたのは、シェロー&ブーレーズの革新的な「リング」のあと。

 ショルティとともに、バイロイトに乗り込み、それまでの「フレンチ・リング」に対し、「ブリテッシュ・リング」と呼ばれたのが1983年のこと。
このブリテンの映像の頃は、もう構想・準備に入っていたものと思われます。
 具象的で、ロマンティックだったバイロイトの「リング」は、ある意味賛否両論で、前が凄すぎたのと、ショルティが、劇場の音響にうまく自分の想いを合わすことができず、1年で降板してしまったことが気の毒な評価となってしまいました。

 ですが、その後を受けたペーター・シュナイダーの指揮が素晴らしくて、歌手もベーレンスを中心に安定して、このプロダクションは成功裏に終了することとなりました。
こちらの映像は残されませんでしたが、ほんのちょっとだけ、ビデオで持ってますよ。

話が飛んでしまいましたが、ホールの造りだす舞台はとても美しくて、あらゆる人の想像の中に出てくるものと同じ感じでもって展開するので、幻想と現実の狭間をただようこの舞台を理想的な演出として評価してもいいと思います。
 リングでは、「リアルなメルヘン」と評されましたが、ここでも、まさにそう。
ある意味、原作に忠実であることの美しさです。
 もちろん、解釈により生まれる美しさや、刺激を否定するものでなく、大いに双方を受け入れたい心情に変わりはありません。

いまや、いろんな演出や演奏が登場していると思われますが、ひとつのスタンダートとして大切な映像に演奏だと思います。

それにしても、ブリテンのオペラのエンディングは、急転直下かっこいい

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「妖精さんのしでかす出来事は、いつでも、ありまぁす

by パックさん



 
過去記事

 「デイヴィス&ロンドン響」

 「名古屋二期会公演 阪 哲朗 指揮」
  

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2014年8月16日 (土)

ブリテン 戦争レクイエム ヤンソンス指揮

Takeshiba1

この夏の、暮れる前の頃の東京湾。

竹芝桟橋あたりからの眺めです。

台風の襲来も多く、このところの夏空は、雲がウロコだったり、流したようなスジだったりで、美しいけれど、ちょっと不安を感じる模様ばかり。

あの、わたくしたちの知る夏空は、どこへ行ってしまったのでしょう。

真っ青な空に、もくもくとした入道雲。

夕方には、雷雲となり、ひと雨ざっと降って、そのあとは、またスッキリと晴れて、空が染まって、日暮らしが鳴いて、夏の1日が終わってゆく。
宿題はたくさん抱えながらも、明日もまたあるさ、との思いで、夏休みを喜々として過ごした子供時代。

日本の夏って、みなさん、そんな風に過ごしてなかった?

ここ数年、ゲリラ雷雨に、台風直撃、猛暑。

地球全体が熱帯性になりつつあり、日本の季節のメリハリある情緒も、かつてのものとなりつつあります。

でも、かつてのもの、過去のものにしてはならない記憶。

それは、戦争、そして、いくつもの震災で失われた命と、それを起こしてはなならいという気持ちと、予防の準備。

ヴェルデイとともに、真夏に毎年聴く、ブリテンの戦争レクイエムに、恒久平和の思いを託したいと思います。

Britten_warrequiem_jansons

   ブリテン  戦争レクイエム

      S:エミリー・マギー

      T:マーク・パドモア

      Br:クリスティアン・ゲルハーヘル

   マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団
                   バイエルン放送合唱団
                   テルツ少年合唱団

          (2013.3.13~15 @ガスタイクホール、ミュンヘン)


 ブリテン(1913~1976)の「戦争レクイエム」は、伝統的な「死者のためのミサ曲」の典礼文に基づく部分と、ウィルフレット・オーエンの詩による独唱による部分。
 このふたつを巧みにつなぎ合わせて、ひとつの、いわば「反戦」と「平和希求」をモティーフとする、独自の「レクイエム」を作り上げた。

ふたつの世界大戦の前にあっては、戦争は国同士のいさかいや、第三国への侵略などであって、局所的な戦いであり、作曲家や音楽たちへの影響も限定的でした。

しかし、武器の威力も増した、世界規模の戦争となると、いろんな影響を音楽家たちに与えることとなりました。
 世界大戦前と、戦中・戦後においては、作曲家たちは、芸術家としても、戦争そのもに向き合わざるを得なくなりました。

そんななかにあって、ブリテンほど、戦争を心から憎み、その音楽にもその思いを熾烈なまでに反映させた作曲家はいないのではないでしょうか。
イギリスの伝統としての制度、「良心的兵役忌避者」の申告をして、そのかわりに、ボランティアとして、音楽を演奏することで戦争ですさんだ人々への慰問をし続けた。

そして、戦後、二度と戦争など引き起こしてはならない、そんな思いから、この「戦争レクイエム」が、書かれ、同時に戦没者への悼みの意味合いも、ここに込められることとなりました。

と、毎年、同じことを書いてますが、ですが、暑いこの季節に、そして終戦の日に、この音楽の持つ意義なども思いながらこの名作を聴くことに、大きな意義を感じているのです。

作曲者自身の指揮による記念碑的な演奏の呪縛から何年も抜け出すことができなかったけれど、若いラトルのチャレンジから本格化し、いまや、この作品は、不朽の名作として、世界中で取り上げられ、録音もされるようになりました。

そんななか、昨年のブリテンの生誕100年には、予想外のヤンソンス盤が登場。

体調不良もときおり報じられ、バイエルンを中心にして、仕事の量も絞りつつあるヤンソンスは、ここでも、ものすごい集中力でもって、迫真の「戦争レクイエム」を一気に聴かせる。
最近のヤンソンスは、ミュンヘンでもアムステルダムでも、合唱作品を取り上げることが多くて、そのいずれもが完成度が高くて、こんなに一生懸命な演奏ばかり繰り広げて、大丈夫かいな、と思わせるものばかり。
 
 内面への切り込みが深くなり、効果のための音というものが一切見当たらない。
かつての若き頃は、音楽を生き生きと、面白く聴かせることに長けたヤンソンスでしたが、いまは、それに加えて、内省的な充実度をさらに増して、ここでも、音楽のスケールがさらに大きくなってます。

Jansons

アメリカ人、イギリス人、ドイツ人という独唱3人は、それぞれに実績のある方たちで、贅沢な組み合わせ。
オペラ歌手としてのイメージの濃い、エミリー・マギーは抑制を効かせた思いのほか無垢の歌唱。
そして、パドモアのシリアスで、読み込みの深い歌いぶりは、もしかしたら、初演者ピアーズに迫る名唱に思います。
ゲルハーヘルは、それこそ、F=ディースカウを思わせる言葉ひとつひとつへの傾倒ぶり。
この3人の歌のレベルの高さは、実に特筆ものでした。

バイエルンのオーケストラの高性能ぶりと輝かしさは、ベルリンフィルと双璧でしょう。
そして、どちらも音の基調は明るめ。
多彩な音色のベルリンに対し、バイエルンは、南ドイツ的な暖かさを持っている。
ブリテンのような、クールな音楽に、バイエルンの機能美と、明晰な明るさは、ぴったりと思います。
最終章リベラ・メにおける緊迫感と、ミステリアスな様相から徐々に立ち込める浄化ムード。
このあたりの劇的だけど、緻密な描き方は、ふたりの男声歌唱の素晴らしさもあって、ヤンソンス率いるバイエルンの真骨頂。

過去記事からコピペで、曲の概要を再び記しておきます。

「重々しく不安な感情を誘う1曲目「レクイエム」。
戦争のきな臭い惨禍を表現するテノール。
曲の締めは、第2曲、そして音楽の最後にあらわれる祈りのフレーズ。
 第2曲は長大な「ディエス・イレ」。
戦いのラッパが鳴り響き、激しい咆哮に包まれるが、後半の「ラクリモーサ」は、悲壮感あふれる素晴らしいヶ所で、曲の最後は、ここでも祈り。
 第3曲目「オッフェルトリウム」、男声ソロ二人と、合唱、二重フ―ガのような典礼文とアブラハムの旧約の物語をかけ合わせた見事な技法。
 第4曲「サンクトゥス」、ピアノや打楽器の連打は天上の響きを連想させ、神秘的なソプラノ独唱は東欧風、そして呪文のような○△※ムニャムニャ的な出だしを経て輝かしいサンクトゥスが始まる。
 第5曲は「アニュス・デイ」。
テノール独唱と合唱典礼文とが交互に歌う、虚しさ募る場面。
 第6曲目「リベラ・メ」。
打楽器と低弦による不気味な出だしと、その次ぎ訪れる戦場の緊迫感。
やがて、敵同士まみえるふたりの男声ソロによる邂逅と許し合い、「ともに、眠ろう・・・・」。
ここに至って、戦争の痛ましさは平和の願いにとって替わられ、「彼らを平和の中に憩わせたまえ、アーメン」と調和の中にこの大作は結ばれる。」

最後に至って、通常レクイエムとオーエン詩の、それぞれの創作ヶ所が、一体化・融合して、浄化されゆく場面では、聴く者誰しもを感動させずにはいない。
敵同士の許し合いと、安息への導き、天国はあらゆる人に開けて、清らかなソプラノと少年合唱が誘う。
このずっと続くかとも思われる繰り返しによる永遠の安息。
最後は、宗教的な結び、「Requiescant in pace.Amen」~彼らに平和のなかに憩わせ給え、アーメンで終結。

 このCDのジャケットは、焼失したコヴェントリーの教会。
この教会の再築に合わせて、作曲されたのが「戦争レクイエム」。
いろいろな演奏が、いまや聴けるようになりましたが、日本人の手によるものも小澤さん、大野さんと出ております。
広島や長崎をジャケットに使用した、そんなあらたな日本人による演奏を、世界に発信していただきたいと思っておりますが、いかがでしょうか。


過去記事

 「ブリテン&ロンドン交響楽団」

 「アルミンク&新日本フィル ライブ」

 「ジュリーニ&ニュー・フィルハーモニア」

 「ヒコックス&ロンドン響」

 「ガーディナー&北ドイツ放送響」

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2014年6月24日 (火)

松本室内管弦楽団 第49回定期演奏会 山本裕康指揮

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緑の中の、音楽ホール。

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島内駅を降りて数分の松本市音楽文化ホールは、今回、2年前に続いて2度目でしたが、またも、最初は、あいにくの空模様。

・・・でしたが、駅へ着くと、雨はあがり、濡れた新緑がとてもきれい。

以前は、震災補修とのことで、小ホールでの演奏会でしたが、今回は、メインホールで、それはまた、響きの素晴らしい驚きのホールなのでした。

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席数約700のほどよい規模。
高い天井に、音はとてもきれいに溶け合って、客席に降りてくるイメージでした。

こんなホールでバッハが聴いてみたいと、聴く前からつくづく思ったりもしました。

松本室内合奏団は、1989年発足で、月2回の定期のほか、市民オペラでピットに入ったりと、地元に密着した活動を行っている団体です。

2年前の演奏会でも、活力に満ちたやる気あふれる演奏に、驚きと興奮を覚えたものです。

そして、今回も、ホールがこちらの正ホールとなったこともあり、音色の美しい、柔軟なオーケストラという印象も、それに加えて持ちました。

それも、弓を指揮棒に変えて、指揮台に立った山本裕康さんのタクトによるところも大なのではないかと思いました。
 というのも、いつもお馴染みの山本さんの奏でるチェロ、その誠実で柔和な音色、それを思わせるオーケストラの響きだったのですから。

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     モーツァルト    交響曲第29番 イ長調

    ブリテン       シンプル・シンフォニー

    メンデルスゾーン 交響曲第4番 イ長調 「イタリア」

       山本 裕康 指揮 松本室内合奏団

             (2014.6.22 ザ・ハーモニー・ホール 松本)


ブリテンの若書きを、明るい古典とロマンのふたつのイ長調で挟み込んだ秀逸なプログラム。
モーツァルト1774年、メンデルスゾーン1833年、ブリテン1934年。
メンデルスゾーンからブリテンの作品まで、160年。
時代を考えると保守的な作風だったブリテンですが、3つの作品の時代の流れを頭に置きながら聴くのも一興でした。

冒頭のほのぼのとしたモーツァルト。
この曲って、清々しくて、湧き立つような喜びも感じさせる音楽で、「モーツァルトのイ長調」ということで、好きではあるけど、自分的に、実はあんまり聴くことが少ない。
むしろ、常にセットになってる25番の方をよく聴きます。

そんな気持ちで聴き始めましたが、1楽章の前半は、指揮者も奏者もみんな緊張ぎみで、音がしっくり定まらない感じで、聴くわたくしも、耳の具合も落ち着きません。
ホールの響きに音が埋没してしまう感じで、自分の耳にも修正が必要だとも思いつつ、たおやかな2楽章へ。
ところが、ここへきて、旅の疲れか、おいしかったお昼のお蕎麦の影響か、意識がゆる~く遠のく感じ。
そんな気持ちに陥ってしまうほどに、モーツァルトの音楽は耳にも脳みそにも優しく、体も包みこまれてしまうのだ。
 このリラックス効果に、あやうく全落ちしそうになりそうなところでしたが、3楽章できりっと元通りに回復。
唯一の木管、オーボエとホルンの活躍も可愛い3楽章で目覚め、若い駿馬のような4楽章で、ようやく自分のエンジンが全開。
 こんな風に聴いてしまい、申しわけありません。
最初の部分こそ、乱れを感じさせ、慎重すぎるきらいはございましたが、美しく整ったモーツァルトを聴かせていただきました。
 充実様式へと舵を切り始めるモーツァルトのこの曲、まだ多少のギャラントな様相もあり、あとの作品ほどの深みも薄く、シンプルゆえに、難しい音楽ですね。
そういう意味で、この日、サラッと演奏したのは正解だったかも。

次は、ブリテン。

この曲から、演奏も、聴衆も、乗りはじめ、一気にブリテンならではのカッコいいサウンドに引き込まれることになりました。
 大好きなブリテンの音楽は、つねにシリアスであることが多く、ときに社会への憤りや、弱者への優しい目線であったりするのですが、初期作の「シンプル・シンフォニー」にも、そうした萌芽は垣間見ることもできます。
 そんな風に思ったのがこの日の演奏。
わたくし的には、この日のこの演奏は、完璧な出来栄えではなかったかと思います。
シニカルないたずら心すら感じる、洒落た楽章配置と、楽章への命名については、楽員さんが書かれた、コンサートの曲目解説を読むことで、楽しく共感できました。
 そして、「感傷的なサラバンド」と題された、第3楽章には、思わずホロリとしてしまいました。
従来の、格式高くノーブルな英国音楽へのオマージュともいえるような、伝統への回帰と、そこからの旅立ちのように聴きました。
 この合奏団の弦の美しさに、同時に感銘をうけました。
そして、弦を豊かに、そして優しく歌わせることにかけては、さすがは、山本さんでした。
シュナイト&神奈川フィルでも、この曲は聴いたのですが、あのときの大演奏に比べると、もっとスリムで、華奢なイメージですが、ともかく美しかった。

 中庭の緑を見て、休憩後は、とかく流麗・明朗快活のイメージがあるメンデルスゾーン。

山本さんの、紡ぎ出した第1楽章の出だしは、快速メンデルスゾーンでした。
いやはや、驚きました。
一瞬たりと乱れず着いてゆくオケも見事でした。
のほほんと、いつものメンデルスゾーンを聴いてやろうと思ってたら、いきなりガツンとやられました。
シートから背中を離して、斜め前傾姿勢で聴くべきと思い、息もつかせず、1楽章を聴き終えました。
 次ぐ2楽章は、休みを取らずにアタッカですぐさま、あの哀感に満ちた2楽章へ突入。
これもまた、新鮮な驚き。
明るいイ長調の1楽章から、憂愁ニ短調の2楽章へ。
この鮮やかな対比。
メンデルスゾーンの多面性を、あらためて思わせる秀逸な解釈ではなかったかと思います。
明るくて、晴れやかなばかりでない、「イタリア交響曲」へ斬新に切り込む、指揮者とオーケストラに拍手を送りたいです。

3楽章へは、通常のおやすみをとり、思い切り気持ちよく3拍子を堪能させてもらったあと、短めの入りで、すぐさま終楽章。
大胆なテンポや解釈は取らなかったものの、オケの自発性を引出しつつ、そこにゆだねたような、ナチュラルな盛り上がりが、音楽そのものの勢いと相まって、見事なクライマックスを造り上げました。
 ここでも、3楽章は、例のイ長調。4楽章はタランテラの、切迫感あふれるイ短調。

前半・後半の二局面を、巧みに味わうこととなりました。
メンデルスゾーンも油断ならない作曲家だと認識されたりもしましたこの演奏。

山本さんの新鮮な指揮と、やる気とフレキシビリティあふれる松本室内合奏団の、素晴らしい演奏会でした!

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コンサート終了後は、晴れ間も広がり、名城松本城へ。

どうでしょう、この清々しい佇まい。

訪れた一同、みんな、声をあげちゃいました。

そのあとは、地のものを肴に、居酒屋さんへ。

これもまた、この楽旅のおおいなる楽しみのひとつなり。

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 まずは、ビールで乾杯、それと蕎麦を揚げたものに、クリーミーなチーズソースをかけて。

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 信州サーモンのお刺身、と馬刺しですが、部位はたてがみ。これまたまったりとウマい。

お酒は、南信に単身赴任中のメンバーの推薦で、「夜明け前」。

これがまた、やばいヤツでして、とんでもなく美味かった。

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こんな分厚い「馬カツ」は初めて。

あっさりと、ジューシーに揚がってますよ、絶品なり。

今回も、音楽も酒食も、収穫の多かった松本でした。

こんどは、大学時代の友人に会う余裕をもってきたいものです。

そして、山本さん、楽団のみなさん、また機会を作ってください。

次回は弾き振りなんて、いかがでしょうか。

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一息入れたいところを、お邪魔しちゃいました。

どうもお疲れ様でした。

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2013年12月29日 (日)

ブリテン 「ヴェニスに死す」 ベッドフォード指揮

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目黒川沿いのピンクのイルミネーション。

大崎から五反田にかけての目黒川沿いの桜並木が、冬の桜並木に。

目黒川みんなのイルミネーション2013。
クリスマスで終了してます。

かつての昔は、大崎駅周辺は、工場ばかりで殺伐と、何もなかった。
品川も同じようだったけれど、いずれも再開発でオフィスビル、高層マンション、住宅地と、職住の街に変貌を遂げました。
地域から出る食用等の廃油を集めて、バイオエネルギーとして、自家発電。
その電力を使ったイルミネーションで、完全還元。
良い試みです。

しかし、どこもかしこも、木にイルミネーションを施してます。
その木々への負担はないのでしょうか。

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    ブリテン  「ヴェニスに死す」

 グスタフ・フォン・アッシェンバッハ:ピーター・ピアーズ
 旅人、初老の伊達男、老いたゴンドラ引き、ホテル支配人、理髪師
 芸人の座長、ディオニソスの声:ジョン・シャーリー=クヮーク
 アポロの声:ジェイムス・バウマン
 ホテルのポーター:ケネス・ボウエン
 その他多数

   ステュワート・ベッドフォード指揮 イギリス室内管弦楽団
                        イングリッシュ・オペラ・グループ

                      (1974.4@モールティングス、スネイプ)


ブリテン(1913~1976)の最後のオペラ。

前作オペラが、「オーウェン・ウィングレイヴ」で、そちらは1970年。
室内オケの繊細で鋭い響きを背景に、題材はゴシックロマン的なミステリーで、そこに反戦思想も交えた作品だった。
 そのあと、ブリテンは、心臓に持病をあることがわかり、あまり体調はすぐれず、手術も行っております。

そんな中で、取り上げた題材が、この「ヴェニスに死す」です。

いうまでもなく、ドイツの19世紀末、ドイツの小説家、トーマス・マンの同名の小説がその素材。
マンは、千人の交響曲の初演に立ち会い、それがもとで、われらがマーラーに知己を得て、そのマーラーが亡くなった翌年にヴェニスを家族で旅をして、そのマーラーのことを念頭において、この小説を書きあげた。

その内容は、妻に先立たれ、娘も嫁いだ、功なしとげた著名な作家がひとりヴェニスを訪れ、そこで出会ったポーランド系の一家の少年に魅せられ、そこで彼にのめり込んでいき、最後は流行りのコレラに感染し、亡くなって行くという物語。

1971年に、ルキノ・ヴィスコンティが、映画化をして、そこでは、主人公アッシェンバッハは、作家ではなく、音楽家になってました。
そして、その風貌はマーラーその人なのでした。
音楽は、第5交響曲のアダージェットが、全編効果的に使われてます。
わたくしの記憶では、クーベリックの演奏のものが使われたのではなかったかと。
当時、中学生だったので、映画の中身などは知らないわけで、でも、その音楽だけは、よく流されていて、あの弦楽による美しいメロディーに魅せられたわけです。

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そして、高校生の時に、ブリテンのこのオペラがレコード発売され、期しくも、それがブリテン追悼盤になってしまったのですが、それは買わないまでも、文庫本の小説を読んでみたわけです。
 そこで知った、オホモチックな内容に、げげっ、となってしまったわけですが、長じて、ブリテンの音楽をほぼ大系的に聴くようになって、そんな怪しいものを見るようねフィルターは、すっかりなくなり、むしろブリテンの平和を愛し、弱者を思う優しい目線と、そのカッコいい音楽に魅せられるようになったのであります。

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映画が1971年で、このオペラが1973年の完成ですが、ブリテンはその映画のことを知っていたのか、いなかったのか。
いずれにしても、この小説のオペラ化は、ブリテンにとって、きっと取りかからなくてはならない、運命的なことだったのだろうと思います。
確かに、美少年タッジオに魅せられてしまう、初老の主人公は、ブリテンそのものかもしれませんが、それはまた、少年を、「美」という概念に置き換えることで、われわれ一般人(?)も、たとえば、芸術に美を求めるわけですから、その心情はわからなくもないです。

しかし、まあ、このオペラの中で、アッシェンバッハが、タッジオのことを思い、身もだえするように、I love you、なんて歌ったりすると、背筋が寒くなって引いてしまうのも事実であります・・・・。

登場人物は、例によって男ばかり。
主人公アッシェンバッハは、お友達ピーター・ピアーズを念頭に書かれており、このオペラを「ピーターに」ということで、彼に献呈しております。
その主役テノールが、最初から最後まで出ずっぱりで、肝心の少年は登場せず、すべて彼の独白的な進行で劇が進められる。
この一人称的なあり方に、ほかの人物たちが、影のようにからみあって、その心象風景とともに立体的になるという仕組みであります。
このあたりは、毎度感心する、ブリテンの天才性とも思います。
 しかも、からみの人物は7人いて、それはすべて同じバリトンで歌われます。
ホフマン物語を思い起こしますね。

主人公テノールが、極めて難役なのに加えて、このバリトンがまた、芸達者じゃないとダメなところが、舞台上演を難しくしております。
イタリア人の床屋が、陽気にイタリア訛りの英語で歌うって、そんな歌と歌詞、信じられます?
そうかと思うと、主人公を旅にいざなう深刻な旅人や、ゴンドラ船頭などは、曰くありげな怪しさと深みを出さなきゃならないし。

そして美少年クンは、オペラ上演では、パントマイムやバレエによって演じられます。
そこらへんも、見ててイメージをちゃんと掻き立てられる人材を得ないとダメですな。
その点、映画の少年は確かに美しいし、美しすぎるわよ。

このようにして、主人公アッシェンバッハ以外は、顔を持たない実態を伴わない存在のように思います。
ですから、よけいに、ホモセクシャル的な要素を、そのまま、美の賛美に置き換えることができると思うのです。

オーケストラの方は、前作と同じように室内編成で、打楽器・鍵盤楽器をふんだんに使用してます。
その響きの面白さは、その多彩さにあって、可視的でもあります。
まさに、至れり尽せりで、音楽が、その心象と実際の出来事を雄弁に語ってやみません。
一例をあげると、イタリアまでの船旅においては、蒸気船の音を、小太鼓のブラッシング・サウンドで巧みに表現していて、それを当時のデッカのソニックステージ録音が立体的に捉えていたりするのです。
 そして、海の場面では、「ピーター・グライムス」の北海の荒涼サウンドとはまた違う、明るい、でもどこか引っかかりのある海の光景を描きだしてます。
さらに、ブリテンの音楽でお馴染み、日本や東南アジア訪問で身に付けた、東洋風なエキゾティックサウンド。そこに打楽器が混じり、ガムランのような響きも聴いてとれます。

同時代にありながら、保守的作風だったブリテンですが、どうしてどうして、ここでは斬新で近未来的な音楽ともとれますが、いかがでしょうか。
映像もいくつかあります。
ですが、これは舞台で体験してみたいものです。

Brittenpears
                   (お墓でも、お友達同士)

初演者グループによるこのCDは、作者直伝的な圧倒的な存在。
ピアーズあってこそ、そしてそのピアーズが入魂の神的歌いぶり。
完全に同一化しちゃってます。
主人公と愛するブリテンに。

最近では、ラングリッジがヒコックス盤で歌ってますし、彼亡きあとは、ポストリッジとういうことになるのでしょう。

それと、シャーリー=クヮークのバリトンがまた舌を巻くほどに見事。
この役は、アラン・オウピという、たしかカナダ出身の歌手が得意にしていて、かれはブリテンのスペシャリストであり、ワーグナーも歌う歌手です。

それから、ブリテンのもとで、ずっとアシスタントをつとめていたベッドフォードが、病で指揮が出来なかった作者に変わって初演とこの録音を残しました。
素晴らしいオーケストラに、目覚ましい録音の良さでもあります。
ベッドフォードは、このオペラの各場に置かれたオーケストラ間奏曲をつなぎ合わせて、組曲として録音しております。
わたくしは、そちらで、その音楽を耳になじませてから、オペラ本作に挑んだので、割合楽に入り込むことができました。

※今回、あらすじは、別途追加とさせていただきます。
年末で忙しいのです、わたくしも。

ヴィスコンテイの映画の予告編を貼っておきます。

 

マーラーの風貌そのままのアッシェンバッハ。

Osaki_1

これにて、ブリテンのオペラ15作(ベガーズ・オペラは編曲ものなので除外)を、すべて聴き、ブログに書くことができました。
アニヴァーサリー・イヤーに、いい思い出となりました。

そして懸案の「ベガーズ・オペラ」は、音源入手に成功しましたので、それはまた来年にでもと思っております。

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2013年12月 8日 (日)

ブリテン 「グロリアーナ」 マッケラス指揮

Mitsui

日本橋の三井本館、夜のライトアップですよ。

半沢ドラマのロケ地としても、よく登場してました。

財閥の象徴、由緒ある重要文化財でございます。

わたくしのような、へっぽこな人間には、まったく縁もゆかりもござんせん。

Britten_gloriana

  ブリテン  歌劇「グロリアーナ」

 エリザベス1世:ジョセフィーヌ・バーストゥー
 エセックス公ロベルト・デヴリュウー:フィリップ・ラングリッジ
 エセックス公夫人フランセス:デッラ・ジョーンズ
 マウントジョイ卿チャールズ・ブラント:ジョナサン・サマーズ
 エセックス公の姉レディ・リッチ、ペネロペ:イヴォンヌ・ケニー
 枢密院秘書長官ロバート・セシル卿:アラン・オウピ
 近衛隊長ウォルター・ラーレイ卿:リチャード・ヴァン・アラン
 エセックス公の従者:ブリン・ターフェル
 女王の待女:ジャニス・ワトソン  盲目のバラッド歌手:ウィラード・ホワイト
 ノリッジの判事:ジョン・シャーリー・クヮーク
 主婦:ジェネヴォーラ・ウィリアムス
 仮面劇の中の精霊:ジョン・マーク・エインズリー
 式武官:ピーター・ホーア      街の触れ役:ジェイムス・ミラー・コバーン
 マウントジョイ卿の給仕:クリストファー・コルナール
 エセックス卿の給仕:ドミニク・キル

  サー・チャールズ・マッケラス指揮ウェールズ・ナショナル・オペラ管弦楽団
                       ウェールズ・ナショナル・オペラ合唱団
                       モンマス・スクール合唱団
                       リュート:トム・フィヌカーネ

               (1992.12 @ブラングウィンホール、スヴァンシー)

16作あるブリテンのオペラ作品のうち、8番目。
これらの中で、「ベガーズ・オペラ(乞食オペラ)」は、ジョン・ゲイの作品の編曲・焼き直しなので、それを除けば15作7番目。

1953年、現女王、エリザベス2世の戴冠式奉祝として作曲された。
ちょうど、今年で60年。
ブリテンは、献辞に「この作品は、寛容なるご許可によってクィーンエリザベス2世陛下に捧げられ、陛下の戴冠式のために作曲された」としております。

原作は、リットン・ステレイチーの「エリザベスとエセックス」。
台本は、南アフリカ生まれの英国作家ウィリアム・プルーマーで、彼は「カーリューリバー」の脚本家でもあります。

1953年6月6日に、コヴェントガーデン・オペラハウスで、一般人はシャットアウトして、政府高官や王列関係者たちだけのもとで初演。
英国作曲界の寵児であったブリテンの新作オペラではあったけれど、初演の反応はさっぱりで、むしろジャーナリストたちからは、果たして女王に相応しい音楽だろうか?として攻撃を受け、連日非難が高まり、やがてこのオペラは忘れられていく存在となってしまった。
 そんな風潮も、どこ吹く風、なところがブリテンらしいところで、さらにオペラを極めてゆくこととなります。

ではなぜ、そんなスキャンダルもどきのことになったのか。

それは、オペラのあらすじをご覧いただければ一目了然。
物語の主人公はエリザベス1世、期せずして、1533年生まれ1603年没。
その別名が彼女を讃えるべく「Gloriana」グロリアーナでもあるわけです。

時は、1599年から1600年のこと。
登場人物たちは、歴史上実在の人物たち。
成功続きだった女王の治世も陰りが出てきて、生涯独身だったエリザベスにも老いが忍び寄っていた時期。
エセックス公ロベルト・デヴリューを寵愛し、彼は、一方で女王から信頼を受けていた政治の中枢、ロバート・セシルと敵対関係にあった。
ドニゼッティのオペラにも、エセックス公の名前の作品がありますね。

こんな背景を頭に置きながら、このオペラを味わうとまた一味違って聴こえます。

第1幕
 
 

 ①馬上試合の場面、エセックス公は従者とともに試合観戦中。
従者からの報告で一喜一憂。しかし結果は、マウントジョイの優勝。
女王から祝福を受ける彼をみて、エセックス公は、本来なら自分がそこに・・・と嫉妬をにじませる。
人びとは、エリザベス朝時代の女王を讃える歌「Green Leaves」を歌う。
そのマウントジョンとエセックス公は、やがて口論となり小競り合い。
そこに登場した女王のもとに、二人は跪き、彼女の仲裁で仲直りする。
人びとは、ここで再度「Green Leaves」を歌い、今度はフルオーケストラで、とくにトランペットの伴奏が素晴らしい。

「Green leaves are we,red rose our golden queen・・・・」 

この讃歌は、このオペラに始終登場して、その都度曲調を変えて出てきます。

 ②ノンサッチ宮殿にて。腹心のセシルとエリザベス。
彼は、女王に先の馬上試合での騒動の一件で、エセックス公への過度の肩入れは慎重に、と促し、女王も、それはわかっている、わたくしは、英国と結婚しています、と述べる。
 彼と入れ替わりにやってきたのは、そのエセックス公。
彼はリュートを手にして歌う。明るく楽しい「Quick music is best」を披露。
もう1曲とせがまれて、「Happy were he could finish」と歌います。
それは、寂しく孤独な感じの曲調で、ふたりはちょっとした二重唱を歌う。
オーケストラは、だんだんと性急な雰囲気になり、エセックス公はここぞとばかり、アイルランド制圧のための派兵のプランを述べ、命令を下して欲しいと懇願。
女王は、すぐさまの結論を出さず、公を退出させる。
ひとり彼女は、神よ、わたくしの信民の平和をお守りください・・・と葛藤に悩む。

第2幕

 ①ノーリッジ 訪問の御礼に市民が女王の栄光をたたえるべく、仮面劇を上演。
マスク役のテノールが主導する、この劇中劇の見事さは、さすがブリテンです。
そんな中で、結論を先延ばしにする女王に、エセックス公はいらだつ。
劇が終ると、人びとは女王のそばにいつも仕えますと、感謝の意を表明し、女王はノーリッジを生涯わすれませんと応える。
 ここでまた、Green leaves。

 ②ストランド エセックス公の城の庭
マウントジョイとエセックス公の姉ペネロペは恋仲。ふたりはロマンティックな二重唱を歌い、そこにエセックス公夫妻もやってくるが、最初は公は姉たちがわからない位置に。
エセックス公は、プンプン怒っていて、弟君は、何故怒っているのかとペネロペに問う。
自分の願いが認められなくて、イライラしてるのよ、と姉は答える。
やがてそれは4重唱になり、愛を歌う姉、どんだけ待たせるんだとの弟とマウントジョイ、自制を促すエセックス公の妻。
しまいには、女王はお歳だ、時間はどんどん彼女の手から流れ去ってしまう・・・・と3人は急ぐように歌い、ひとり妻は、ともかく慎重にと促す。

 ③ホワイトホール城の大広間 エセックス公の主催の舞踏会
パヴァーヌから開始。やがて公夫妻、マウントジョイとペネロペ入城。
夫人は豪華絢爛なドレスを纏っていて、マウントジョイにペネロペは、弟があれを着るように言ったのよとささやく。
ダンスはガイヤールに変わり、4人はそれぞれにパートナーで踊ります。
 そこに女王がうやうやしく登場。彼女は、エセクス公夫人を認めるなり、上から下まで眺めつくす。
彼女は今宵は冷えるから体を温めましょうと、イタリア調の激しい舞曲ラヴォルタをと指示。
音楽は、だんだんとフルオーケストラになり、興奮の様相を高めてゆく。
 ダンスが終ると、女王は、婦人たちは、汗をかきましたからリネン(下着)を変えましょうと提案し、それぞれ退室。その後も、モーリス諸島の現地人のダンス。
しかし、レディたちがもどってくるが、エセックス公夫人があの豪華な衣装でなく地味なまま飛び込んできて、さっきの服がない、誰かが着てると騒ぎ立てる。
そのあと、女王が大仰な音楽を伴って戻ってくる。
そのドレスは、なんとエセックス公夫人のあの豪華な衣装。
しかも、体に合わず、はちきれそう。
唖然とする面々にあって、婦人は顔を手でおおって、隅に逃げ込む。
屈辱を受けながらも、怒りに震える夫と、姉、マウントジョイには、それでも気をつけてね、相手は女王なのよ、とたしなめる健気な夫人。
 お触れの、お出ましの声で、元のドレスに戻った女王が登場。
エセックス公に、近衛隊長ラーレイが、大変な名誉であると前触れ。
そして女王が、「行け、行きなさい、アイルランドへ、そして勝利と平和を持ち帰るのです」とエセックス公に命じ、手を差し出す。
うやうやしく、その手をとり、エセックス公は感激にうちふるえ、「わたしには勝利を、貴女には平和を」と応えます。
明日、あなたは変わります、そして今宵はダンスを!クーラントを!
女王の命で、オーケストラはクーラントを奏で、やがてそれは白熱して行って終了。

第3幕

 ①ノンサッチ宮殿 女王のドレッシングルーム。
メイドたちのうわさ話。3つのグループに分かれて、オケのピチカートに乗ってかまびすしい。エセックス公のアイルランド遠征失敗のことである。
そこに当の、エセックス公が息せき切ってやってきて、女王にいますぐ会わなくてはならないという。
女王は、まだ鬘も付けず、白髪のままで、何故にそう急くのか問いただすものの、エセックス公はいまある噂は嘘の話ばかりと、まったく当を得ない返答。
何か飲んで、お食べなさい、そしてリフレッシュなさい、とエセックス公をたしなめ帰すエリザベス。
待女とメイドたちの抒情的で、すこし悲しい美しい歌がそのあと続く。

 秘書長官セシル卿を伴って女王登場。
セシルは、アイルランドはまだものになっておらず、しかもスペインやフランスの脅威も高まってますと報告。女王は、これ以上彼を信じることの危険を感じる。
女王は命令を下します。「エセックス公を管理下におき、すべて私の命に従うこと、アイルランドから引き上げさせ、よく監視すること。まだ誇りに燃えている彼の意思をつぶし、あの傲慢さを押さえこむのよ、わたくしがルールです!」と。

 ②ロンドンの路上 盲目のバラッド歌手が、ことのなりゆきを歌に比喩して歌っている。
少年たちは、セシルやラレーのようになろう、と武勇を信じ太鼓にのって勇ましく行進中。
エセックス擁護派は、王冠を守るために働いているのだ、女王は年老いたと批判、かれが何をしたのか・・・と。
バラッド歌手は、反逆者だと?彼は春を勘違いしたのさ、と。

 ③ホワイトホール宮殿 エセックス公の公判
セシルとラレーは、彼がまだ生きていることが問題と語っていて、女王が入廷すると、エセックス公に対する処刑命令が宣告される。その最終サインは女王。
「彼の運命はわたくしの手にゆだねられたのね、サインはいまはできない、考えさせて・・」と女王は判断を伸ばすが、セシルは、恐れてはいけません、と迫る。
女王は、「わたくしの責任について、よけいなことをいうのでありません」とぴしゃりと遠ざけてしまう。

ひとりになった女王は、哀しい人よ、と嘆く。
そこへ、ラレーが、エセックス公夫人、姉、マウントジョイを連れてくる。
彼らは、女王にエセックス公の助命を懇願にやってきたのだ。
まず、夫人がほかの二人に支えられて進み出て、「あなたの慈悲におすがりします。わたくしのこのお腹の子とその父をお救いください」と美しくも憐れみそそる歌を歌う。
これには、女王も心動かされ、嘆願を聞き入れる気持ちに傾く。
 その次は、エセックスの姉ペネロペが進み出て語る「偉大なエセックス公は、国を守りました・・」、その力はわたくしが授けましたと女王。姉は、まだ彼の力がこのあなたには必要なのですと説くと、和らいだ女王の心も、一挙に硬くなり、なんて不遜なのだ、と怒りだす。
食い下がるペネロペにさらに怒り、3人を追い出し、執行命令書を持ってこさせ、サインをしてしまう。

この場面での悲鳴は、エセックス公婦人、オーケストラはあまりに悲痛な叫びを発します。
ここから、音楽は急に、暗く寂しいムードにつつまれます。

女王は、大きな判断をして勝利を勝ち取りました、しかし、それは虚しい砂漠のなかのよう、と寂しくつぶやく。

遠くでは、エセックス公が、死の淵にあるいま、みじめなこの生を早く終わらせることが望みです・・・・。とセリフで語る。
以下は、セリフの場面が多く、音楽は諦念に満ちた雰囲気です。

女王は、自分はわたくしの目の前で、最後の審判をこうして行ってきました。王冠に輝く宝石は国民の愛より他になく、わたくしが長く生きる、その唯一の願いは、国の繁栄にほかなりません、と語る。
 外では、群衆の喝采が聴こえる。

  「mortua, morutua, mortua, sed non sepulta!」
 
女王がつぶやくように歌うこちら、ラテン語でしょうか、意味がわかりません。

セシルが再びあらわれ、女王に早くお休みになるように忠告するが、女王は、女王たるわたくしに、命令することはおやめなさい。それができるのは、わたくしの死のときだけと。
そしてセシルは、女王の長命をお祈りしますとかしこまります。

弦楽四重奏と木管による、寂しげな音楽のなか、女王は「わたくしには、生に執着することも、死を恐れることも、ともに、あまり重要な意味をいまや持ちません」と悲しそうに語る。

ハープに乗って静かに
「Green leaves are we,red rose our golden queen・・・・」が、合唱で歌われ、それはフェイドアウトするように消えてゆきます。

舞台では、ひとりにきりになった女王が立ちつくし、やがて光りも弱くなり、暗いなかに、その姿も消えていきます・・・・・・。

                    


このような、寂しくも哀しい結末。
老いから発せらる女王の嫉妬や、時間のないことへの焦り。
そして、ある意味、醜いまでのその立場の保全。
さらに、重臣たちの完璧さが呼ぶ、あやつり人形的な立場。

ブリテンは、エリザベス1世の人間としての姿を、正直に描きたかったのに違いありません。
一連の、ブリテンのオペラの主人公たちが持つ、その背負った宿命や悲しさ。
あがいても無駄で、そこに、はまりこんでしまう主人公たち。
その彼らへの、愛情と同情、そしてそれが生まれる社会への警告と風刺にあふれたブリテンの作り出した音楽たち。

クィーンだったエリザベス1世に対しても例外でなかったのです。
恩寵をあたえたエセックス公への思いを殺して、処刑のサインをする女王の苦しみは、短いですが、最後の10分間のエピローグに濃縮されてます。

当然に、当時の英国社会は、ふとどきな作品としてネガティブキャンペーンをはります。
音楽業界も、完全スルー。
ブリテンも、わかっていたかのように、静かにその評価を受け止めます。

まるでなかったかのように、ブリテンはその後も活動し、英国もブリテンをパーセル以来のいオペラ作曲家として処します。
大人の対応の応酬なのでした。

そして、このオペラをCDで蘇らせたのが、サー・マッケラスです。
ことしの、コヴェントガーデンで、上演もされました。
2世の御代、このオペラも冷静に受け入れられる土壌ができました。

曲中に溢れる当時の音楽や舞曲。
語りも駆使して、緊張感あふれる間をつくりだすブリテンの筆の妙。
オーケストレーションは最高に冴えてて、細かなところまで細心の注意と意志が張り巡らされた上質のオペラ作品だと思います。
後年、趣きある舞曲を中心として、このオペラから組曲を編み出してもあります。

オーケストラについては、マッケラスの繊細な目配りが行き届いてます。
歌手たちも、その名前をご覧ください。
いまにいたるまで、最高級の英国オペラ歌手たちが配されてます。

カラヤンも登用したバーストゥの位高くビンビンのソプラノは、まるでトゥーランドットのようでいて、かつ悲しそうな歌唱が十全。
ラングリッジの繊細だけど、一方的な歌も、これはきっとピアースと思わせる、そんな没頭ぶり。

ほかのおなじみの豪華歌手陣、みんな完璧でした。

編曲ものとした場合の「ベガーズオペラ」をのぞいて、ブリテンのオペラは、あと1曲。

そう、最後のオペラ「ヴェニスに死す」です・・・・・。

 
 

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2013年10月27日 (日)

ブリテン 「ノアの洪水」 デル・マー指揮

Shibaura

芝浦の高層マンション群の間を走るモノレール。

運河はもちろん海のなごり。

埋め立ての歴史は、明治後期にまでさかのぼる。

千葉から横浜まで、東京湾に広がった人工の土地。
そこにかつては大工業地帯があり、いまもそれは同じだけど、こうして人も住むようになって、商工住の街になってゆく。

すごいものだ、人間の開発欲と、その能力。

Britten_noyes_fludde

  ブリテン  歌劇「ノアの洪水」 op.59

 神の声:トレヴァー・アンソニー  ノア:オーウェン・ブラニガン
 ノアの妻:シェイラ・レックス    セム:ダイヴィット・ピント
 ハム:ダリエン・アンガディ     ヤフェト:ステファン・アレクサンダー
 セムの妻:カロライン・クラーク  ハムの妻:マリーエ・テレーズ・ピント
 ヤフェトの妻:エイリーン・オドノファン  その他

  ノーマン・デル・マー指揮 イングリッシュ・オペラ・グループ
                   イースト・サフォーク少年少女合唱

                         (1961 @オックスフォード教会)


16作あるブリテンのオペラ作品のうち、10番目。
これらの中で、「ベガーズ・オペラ(乞食オペラ)」は、ジョン・ゲイの作品の編曲・焼き直しなので、それを除けば15作9番目。

素材は、旧約聖書のなかの創世記、ノアの箱舟の物語そのもの。

多面的な素材、形式でもって、これまでの9作のオペラを書いてきたブリテン。
民話や伝説、ヴェリスモ的な現実、ミステリアスなゴシック文学などの題材に加え、今回は聖書がその素材。
このあとに、放蕩息子や燃える炉などへとつながり、さらにカーリュー・リヴァーを加えて教会という神聖なスペースでの上演を念頭に置いた、教会オペラのジャンル。
 その先駆けが、この「ノアの洪水」。
1957年の作品、「ねじの回転」と「真夏の夜の夢」というふたつの文学路線作品の間にはさまれてます。

「小さな煙突そうじ」と同じく、子供たちにも歌と演奏を委ねる、わかりやすく親しみやすい音楽の内容と規模。

大オーケストラによるものと、室内オーケストラによるもの、さらに器楽によるもの。
そんなカテゴリー分類もできるが、ノアは、最後の器楽伴奏のオペラ。

大人の弦楽五重奏(コントラバス)、リコーダー、ピアノ連弾、オルガン、打楽器。
子供の弦楽、リコーダー、鐘、打楽器、ハンドベル。

ノアとその妻、神の声は大人。
それ以外は子供たち。

こんな編成です、おもしろいでしょ。

創世記第6章の中ほどから、第9章の中ばまでを物語に。
是非、聖書を手に取って読んでみてください。

ブリテンは忠実に聖書に従ったが、唯一、ユーモアともとれる挿入か所は、ノアの妻が、井戸端会議仲間の女性たちを離れたがらず、箱舟への乗船拒否をする点。
セムを始めとする3人の息子たちが、母親を説得して、最後はノアがむりやり船に引き入れる。
 これもまたブリテン独特の社会風刺なのかも。
なにごとも信じない人、さがない人の口がもたらす間違い・・・・。

超簡単に、あらすじを述べると・・・

「世界は乱れて人々も悪に染まりつつあった。神は、世界をきれいにしようと思い、自分への忠義をいつも誓って行動しているノアを選び、あるときよびかける。
家族と動物のつがいを選んで、大きな船を建造して備えよと。
ノアはさっそく、3層構造の巨大な船を造り、神から言われたとおりに準備するが、妻だけは仲間からの誘いもあって船にのらない。しかし、ノアは息子たちとともに、無理やりに妻を船に乗せる。
しかるに、雨が40日40夜降り続き、世界は大洪水にみまわれる。
40日後、ノアは鳥を外に放ったが、外に留まるところはなく帰船。
さらに鳩を放つも同じこと。7日のちに、鳩を再び放つと、オリーブの葉を加えて戻ってきた。その7日後に鳩を放つと、もう戻ってこなかった。
 ノアは、皆で外へでて、神への感謝とともに、祭壇を築いた。
神は、二度とふたたび、生き物を殺すようなことはないであろう、と約束し虹をかける」

48分のショート教会寓意劇は、とても聴きやすい。
稚拙さもともなう子供たちの歌唱は微笑ましいし、無垢なるものを感じる。
その一方、ノア夫妻には大人の頑迷さと意思を感じる。
大人の歌唱は、ときとして、語るように歌うのでリアル感もあり。
さらに、語りだけの神さまも、その抑揚はときに音符も感じさせます。
初期第1作の「ポール・バニヤン」でも、アメリカ創世の主であるバニヤンは、語り部で、同じような効果を引き出してました。
「ノア~、ノア~」と呼びかける神さまです。

それから、動物たちの乗船の行進の場面の面白さ。
原初的なラッパのファンファーレとピアノのオスティナート的なリズムにのって、大きな動物からだんだんと小動物までがやってくる。
歌うは子供たちによる「キリエ・エレイソン」。

短いけれど、ブリテンの筆の冴えと独創性を強く感じるオペラ「ノアの洪水」でした。

作者自演ではなく、名匠ノーマン・デル・マーの指揮によるものです。
何度か書いてますが、デル・マーは、ベートーヴェンのベーレンライター版を校訂した、ジョナサン・デル・マーの親父です。

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