カテゴリー「シューベルト」の記事

2015年6月26日 (金)

シューベルト 交響曲第9番「ザ・グレート」 アバド指揮

Azumayamatop_1

ここは、わたくしのもっとも好きな場所。

自分が育った町と海を見下ろせる小高い山の上です。
 

どこまでも澄んだ青空、高い空、緑。

気持ちも、心も、飛翔するような気持ちになります。

あの高みに昇っていった、敬愛やまないクラウディオ・アバドの誕生日が6月26日です。

  シューベルト 交響曲第9番 ハ長調 D944

    クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

              (2011.9.19~25 ボローニャ、ボルツァーノ)


アバドの新譜が、こうして出てくることが、いつも通りに感じる。

マエストロからの、素敵な贈り物のように。

そして、いつも、アバドの新譜が出ると、喜々として手にして、封を開けるのももどかしく、そして、でも慎重にターンテーブルや、トレイに、ディスクを置いて、ワクワクしながら、その音を待ち受けてきた。
そんなことを繰り返しながら、もう45年も経ってしまった。

そして、つい先ごろ登場した、シューベルトの大交響曲。

2011年、いまから4年前のライブ録音で、若き手兵、オーケストラ・モーツァルトの本拠地ボローニャと、ボローニャから北へ220kmほどのボルツァーノという街、その2か所での演奏会のライブ録音です。
このときに、それぞれ演奏されたのが、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番と第27番で、ピアノは、ジョアオ・ピリスです。
そう、もうすでにCDになってるあの名盤です。

ボルツァーノについて気になったので調べてみました。

Bozen

オーストリア・アルプスを背に、国境も近く、地図で見ると、インスブルックやミュンヘンもそんなに遠くなく感じます。
アバドの生まれたミラノよりも北。
そして、このボルツァーノから、西へスイス国境を超えて向かえば、クラウディオが永久に眠る場所ということになります。
 アバドは、晩年は、ボローニャから北、このあたりからスイスにかけてを、ずっと愛していたのですね。
 イタリアは、日本と同じく、南北に長い国。
同じ国でも、北と南では、その気質も全然違う。
そんなことを、こうした地図を眺めてみて、よくわかることです。
 そう、アバドとムーティの違いなんかもね。

いつか、このあたりを旅してみたいものです。

Abbado_3

こんな美しい青空のとおりに、けがれなく、澄みきった透明感にあふれたシューベルト。

アバドの行きついた高みは、まるで無為の境地にあるようで、何もそこにはないように感じ、あるのは、音楽だけ。
シューベルトその人の顔すら思い浮かばせることもない。

どこまでも自然そのもので、音楽を愛し抜き、全霊を込めて信じたアバドの、いわば、なにごともなさざる指揮に、若いピュアな演奏家たちが、心を無にして従っただけ。

ただひとつ、晩年のアバドの様式として、古典ものは、ヴィブラートを抑えめに、表情もつつましやかに演奏することが多く、ここでも、弦楽器は、滔々と歌うというよりは、きめ細やかに緻密な歌い回しが目立ちます。
特に、第2楽章では、ヴィブラート少なめの弦が綾なす、繊細かつ敏感な音色が、静謐な響きと雰囲気を出していて、その得もいわれぬ場面に、わたくしは、涙ぐんでしまうのでした。

全楽章、繰り返しをしっかり行っていて、全曲で62分54秒。

堂々と、ロマン派交響曲として演奏される典型の第1楽章も、楚々たる様相で、足取りは着実かつ静か。
オーケストラのバランスも美しく、各楽器のやりとりが透けて見えるようで、聴いていて、いろんな発見があったりします。

リズム感は、さすがと思わせる3楽章。
伸びやかなトリオの大らかさは、アバドの笑顔が思い浮かびます。

そして、通常、大オーケストラでは、晴れやかかつ、歓喜にあふれた4楽章を描きだし、大団円としてのフィナーレとなります。
しかし、このアバドの指揮では、そんな風には聴こえず、ここでも淡々と、スコアをあるがままに鳴らし、そして室内オーケストラとしての機能性を活かし、響きは、どこまでも、緻密かつ透明です。
ふだん、大きなオーケストラでの演奏に聴きなれている方は、この終楽章には、もしかしたら、肩すかしをくらうかもしれません。
柔らかく、優しい眼差しと、微笑みでもって包まれるような、そんなアバドのシューベルトのフィナーレでした・・・・・。
 ここで、また涙が出てしまいました。

アバドには、もうひとつの正規録音、1987年のヨーロッパ室内管弦楽団との全集録音のものがあります。
こちらは、新シューベルト全集が、この曲までは、まだ刊行されていない年代だったので、アバドは、自筆譜と出版譜との照合を、当時のこのオーケストラ団員だったステファーノ・モッロと共同で行い、新たな解釈を施しました。
 結果、とくに、第2楽章では、オーボエの旋律が、いままで聴いたことのないフレーズになっていたり、強弱が、目新しいものになったりと、新鮮だけど、何度も聴くには、ちょっとスタンダードじゃないな、的な演奏になってました。
 ここでの演奏は、キビキビとしていて、大胆な表現意欲にもあふれ、シューベルトへの愛情を思いきり表出したような活気と歌心にあふれたものです。

しかし、1991年、ECOと来日してシューベルト・チクルスを行ったとき、わたくしは、この曲を聴きましたが、それは、その改訂版ではなく、従来の版での演奏で、すごく安心し、かつ颯爽とした名演に酔いしれたものでした。

それともうひとつ、FM録音の自家製CDRで、88年のウィーンフィルとの演奏もあります。
こちらは、ムジークフェラインにおけるウィーンフィルの丸っこい響きが全面に押し出された、ウィーンのシューベルトという感じで、さらにライブで燃えるアバドならでは。
すごい推進力と、とてつもないエネルギーを感じます。
これはこれで、あの次期の充実しきったアバドらしい名演です。
これも正規盤にならないかな。。。

次のアバドの新譜は、なにが出てくるかな・・・・・

アバドの誕生日に。

 アバド誕生日 過去記事一覧

2006「チャイコフスキー ロメオとジュリエット、スクリャービン 法悦の詩」 

2007「ワーグナー ベルリン・ジルヴェスター・コンサート」

2008「ドビュッシー ペレアスとメリザンド組曲」

2009「マーラー 交響曲第1番<巨人> CSO」

2010「ブラームス 交響曲全集 1回目」

2011「シェーンベルク グレの歌」

2012「R・シュトラウス エレクトラ」

2013「ワーグナー&ヴェルディ」

2014「マーラー 交響曲第2番<復活> 3種」

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2015年1月30日 (金)

シューベルト 交響曲第8番「未完成」 アバド指揮

Hibiki

和と洋。

暖色系の明かりのなかに、すてきな仲間たちと過ごしました。

アバド・ファンの皆さまたちと。

暦の上では、もう1年。

中学生のときから43年間、ずっと追いかけてきた、わたくしにとっての兄貴的な存在だった、クラウディオ・アバドが、ちょっとそこまで、旅に出てから、ほぼ1年。

アバドの応援にかけては、日本一。
もしかしたら世界一かもしれないお方に知りあってから、わたくしの、アバド好きも、さらなる幅が広がり、多方面での仲間が増えました。

ありがとう、感謝をこめて、「コングラ」さま

Hibiki2

会場は、サントリーホールの近く。

これまで、マエストロ・アバドは、ウィーン、ベルリン、ヨーロッパ室内管、ルツェルンと、オーケストラをさまざまに変えて、この先にある、サントリー・ホールにやってきてくれました。

そこで飲み語る、このひとときは、集まったメンバー、それぞれの思いでとともに、感慨深いものがございました。

いつまでも、ずっと、ずっと、アバドのことだけを話していたかった、そんなメンバーだし、アバドを愛することにかけては、みんなが、それぞれに世界一のみんなでした。

 今宵は、放送音源から、「未完成」を。

    シューベルト  交響曲第8番 「未完成」

       クラウディオ・アバド指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団

                         (2013.8.23 @ルツェルン)


この音源は、BBCが、逝去の報を受けて放送したものを、録音したもので、あくまで個人のみで楽しんでいるものです。

2013年の最後のルツェルンのプログラムはふたつ。

 ①ブラームス       「悲劇的」序曲

   シェーンベルク   「グレの歌」から

   ベートーヴェン   交響曲第3番「英雄」

  ②シューベルト    交響曲第8番「未完成」

  ブルックナー     交響曲第9番


これらの演奏演目を携えて、その秋に日本訪問予定だった、アバド&ルツェルン。

その半年も経ないうちに、旅だってしまいました。

②のプロは、ヴァントが晩年に、何度もチャレンジした、それぞれの作曲家のラストを飾った未完演目でして、アバドが、こうして取り上げたことに、いろんな意味での符合と、宿命を感じます。

そして、いまは、一方で、わたくしが、心から愛するオーケストラ、神奈川フィルの首席客演指揮者で、親子でウィーンフィルのヴァイオリン奏者だったゲッツェルが、先ごろ、横浜・川崎・相模原で繰り広げた、最高の演奏の、その演目が、「英雄」と「ブル9」。
 第1ヴァイオリン奏者として、アバドやクライバーのもとで、演奏していたゲッツェル氏のお姿は、当時の映像を見ると、いくつか確認できます。
 そんな彼と、フレンドリーに、肩を抱きながら、お写真を撮っていただいたことも、むちゃくちゃ嬉しい、そんな1月の神奈フィルなんです。

ちょっと、脱線しましたが、アバドが旅立つまえの、最後の演奏の二つは、いずれも、正規に、目と耳で確認できるようになりましたが、「未完成」だけは、まだ公式化されてません。
 いずれの機会に、カップリング曲と合わせて、正規化されると思いますが、それまで待てない自分は、この「未完成」を、おりにふれ、聴いているんです。

あくまで、放送から、起こした音源ですから、自分の思い出の一環にのみとどめたいと思いますし、みなさまにおかれましては、いずれ実現する正規音源化をご期待いただきたいと存じます。

ふたつの楽章で、ほぼ28分。

かなり、ゆったりめのテンポをとりました。

とくに1楽章でしょうか。
慎重かつ、ドラマティックな運びは、完全なるロマン派の音楽としての、「未完成」を意識させます。
重々しくなりがちな、ロ短調ですが、重心は、ずっと上の方にあります。
続く2楽章とともに、表情は明るく、そして軽やか。
 

こんな風に、柔軟でしなやか、そして、全曲わたって、歌が行き届いてます。
ブルックナーにおいて、ほんの、ごく少し、力が抜けて感じたところは、ここでは、清らかとも思えるう「歌」によって補完されてます。

大らかでありながら、深さも充分に持ち合わせた、歌ある「未完成」。

アバドならではの、歌うシューベルト、今宵も、昨日のことなど思い起こしつつ、堪能いたしました。

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2014年4月 9日 (水)

アバド追悼演奏会 ルツェルン

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4月6日に行われた、ルツェルン春の音楽祭における、クラウディオ・アバド追悼演奏会。

日本時間、同日晩に、慎んでネット観劇いたしました。

こちらは、終演後の聴衆を映したもの。

このパンフレッウトだけでも、グッときてしまう。

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 シューベルト  交響曲第8番「未完成」 第1楽章

          ルツェルン祝祭管弦楽団

 ヘルダーリン  

          語り:ブルーノ・ガンツ

 ベルク      ヴァイオリン協奏曲

          Vn:イザベル・ファウスト

 

 マーラー    交響曲第3番 第6楽章

    アンドリス・ネルソンス指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団

                       (2014.4.6 @ルツェルン)


アバドの音楽への想いを集約したような選曲。

あと、ここに、モーツァルトとベートーヴェン、そしてブラームスとヴェルディがあれば完璧と思うのは贅沢で不謹慎すぎること。

ルツェルンのクンストハウスのホールの、あるじなしの指揮台。

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オーケストラだけで、演奏された「未完成」の第1楽章。
痛切すぎる、涙にぬれたような未完成は、聴いてて辛くなった。
コンマス(この人、名前が出てこない)が、大きな身ぶりで主導しつつも、各セクションは、アバドの指揮でもあったように、お互いに聴きあいつつ、目線を交わしながらの演奏。

次いでのヘルダーリンは、まったく不明、わかりません。
ガンツさんは、アバドとの共演歴も長く、CDやDVDでも多く一緒に出てます。

そして、ベルク。

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イザベルさんとのベルクは、先年、モーツァルト管とのライブが出たばかり。
CD音源での精度の高さには及ばぬものの、彼女の熱い思いを込めたベルクは、切実で、静かに始まりつつ、後半の憑かれたような演奏には、驚きと感動を禁じえませんでした。
きっと、アバドとの共演を、思い描きながら弾いていたのでしょう。

そのアバドへの想いが、とてつもなく、最高度に高まり、神々しくも、侵しがたい雰囲気にホール全体が包まれてしまったマーラー。

アバドが愛したマーラーの、しかも、「愛がわたしに語るもの」。

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追悼を通り越して、これはもう、クラウディオ・アバドという名伏しがたい存在に対する、人々の想いの昇華であり、彼を失ったことに対する、人々それぞれの想いの結実なのかもしれません。

観て聴いて、ずっと不条理に哀しんでいた自分のなかで、オケも聴衆も、等しく涙する姿で、ようやく一体感を持って、アバドとの現生の告別を済ませることができた気持ちです。

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いつもの金管セクション。
フリードリヒさん。
2006年の来日でのリハーサルで、マーラー6番で、見事ひっくり返った。
繰り返しでは、完全復調。
アバドに投げキッスをされて、顔を真っ赤にして、嬉しそうにしていたフリードリヒ。
いつも必ず、彼はアバドの指揮の時には主席を吹いてます!

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涙・・・・

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そして、涙。


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ルツェルン名物、楽員同士のハグも、今回は、涙。


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やむことのない拍手。

ネルソンスの頬にも涙。

そして、スタンディングの聴衆にも・・・・・

オーケストラが去ったあとも、拍手はずっと、ずっと、放送中、止むことはありませんでした。

あと、数日後に、アバド仲間のみんなとお会いする予定です。

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2014年2月 1日 (土)

シューベルト 交響曲第3番 アバド指揮

Coe_abbado

若い演奏家との共演を楽しんだアバド。

早くから、ECユース・オーケストラの創設に関わり、そちらのオーケストラとはザルツブルクでの78年ライブもCD化されてます。
 さらに遡ること73年の、英国だけの全英ユースオケを指揮したFM放送音源をわたくしは持っております。
このアバドの取り組みは、亡くなるまでずっとかわらなかった。

まさに、新時代のマエストロといっていいかもしれません。

そのECユースオケの出身者を中心に81年に、アバドによって結成されたのが、ヨーロッパ室内管弦楽団です。
 ロンドン響を卒業し、ウィーンとミラノを活動の中心に据えたアバドが、古典や現代ものを心置きなく指揮できたのが、この若くて機能的な室内オーケストラだったのです。

Chamber Orchestra of Europe(COE)のホームページには、アバドを偲んで、設立時の全体写真が掲載されてました。
いかにも、80年代風の雰囲気ですが、アバドの若々しいこと!

アバドとCOEには、素晴らしい録音がたくさん。
ハイドン、シューベルトの交響曲、ロザムンデ、ロッシーニの序曲や「ランス」「セビリア」、モーツァルトの協奏曲に「ドン・ジョヴァンニ」、シューベルト「フィエラブラス」、ウィーンモデルンでの現代もの、シェーンベルク・・・・充実した音源ばかりです。

そんな中から、やはりこのコンビはシューベルトでしょう。

Abbado_schubert

  シューベルト 交響曲第3番 ニ長調

   クラウディオ・アバド指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団

           (1987.8 @ワトフォードタウンホール、ロンドン)


交響曲全集として、一気に発売されたこの一組。

番号付きの作品に加えて、ヨアヒムの編曲したピアノデュオ曲をも取り上げ、さらに、オーボエ奏者で、研究家でもあったD・ボイドの校訂を経た、シューベルト自筆草稿の再現という意味でも話題を呼んだ全集だった。

全曲ともども、清々しい、若葉のような演奏ですが、なかでも曲のイメージとぴったりなのが、1~3番の、ちょっと地味で大人しい交響曲。
 アバドは、ほかのオーケストラでも若い頃から、この初期の交響曲をよく取り上げておりました。
高校・大学と、エアチェックマニアだったので、毎度古い音源ですが、ウィーンフィルとの1番は、いまでも大好きな演奏のひとつです。

シューベルトの3番といえば、カルロス・クライバーの「未完成」のB面なのですが、実は「未完成」より、その3番の方が、鮮やかなな身のこなしの痛快演奏でした。

アバドは、カルロスよりは、落ち着きがありますが、明るく駿馬のように駆け抜ける爽快感に溢れてます。
リズムは軽やかで、柔和なムードに満ちていて、溢れる歌心は、聴く人の心を解放し気持ちよくしてしまいます。
早過ぎるクライバーの2楽章に比べて、アバドのそれは、にこやかで、ほのぼのしてます。

 アバドの、あの人懐こい笑顔が偲ばれる、心やさしいシューベルトです。

Coe_abbado_japan


アバドとCOEは、日本には2度やってきました。

そのうちの1991年の公演のひとつを聴くことができました。

ペライアを独奏に迎えて、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲と、シューベルトの交響曲全曲を組み合わせたチクルス公演。
ちょうど、サントリーホール5周年にもあたってました。

わたくしが聴いたのは、ベートーヴェンの2番と、シューベルトの9番。

前から2列目、アバドを見上げるような位置で、その息遣いすら感じる席で。

ともかく、イキがよくって、ブラスが加わっても、全体の見通しがよくて、透明感あふれる小気味のいいシューベルト。
記憶は不確かですが、CDでは、2楽章のオーボエのフレーズがまったく聴きなれない風になっていましたが、この演奏会では通常のものだったような記憶があります。

そして、いまでも覚えてる終楽章の高揚感。
さらに、ベートーヴェンの2楽章における、ペライアの透明なタッチ。
ホール全体が、息を詰めて、そのピアノに集中しましたし、アバドが巧みにつけているのが、その指揮姿をみていて丸わかりのすごさでした。

粋なコンサートでした。

COEからは、アバドはベルリンの仕事が始まってから遠ざかり、変わりに、マーラー・ユーゲントを育て、マーラー・チェンバーへと注力していくこととなります。
COEは、変わって、アーノンクールや、クリヴィン、ハイティンクが主力として引き継いでいくようになりました。

Abbado_perahia

ふたりとも凛々しいです。

もう聴くことはできないコンビ。

アバドの本領は、室内オケとの、こんなコンサートにもあるのでした。

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2014年1月 8日 (水)

シューベルト ピアノ五重奏曲「ます」 ギレリス&アマデウスSQ

Azumayama_4

毎度の画像ですが、お正月の吾妻山は、相模湾を背景に菜の花が咲き誇っております。

春まで、この菜の花は一部頑張って、桜の花と華麗な饗宴を行います。

初夏にはつつじ、紫陽花、夏にはいち早くコスモス。

今日の名曲は、室内楽から、心弾むような素敵なメロディのこの曲を。

Trout_gilels_1jpg


  シューベルト ピアノ五重奏曲 イ長調 「ます」

         Pf:エミール・ギレリス

         Cb:ライナー・ツェペリッツ

   
         アマデウス弦楽四重奏団

    
                  (1975.8 @トゥルク、フィンランド)


シューベルトの音楽には、どこもかしこにも「歌」がある。

その朗らかな「歌」と裏腹に、どこか悲しい死の影のようなものも聴いてとれる。

でも、この「ます」には、ちょっと風変わりな編成ということもって、家族的な雰囲気も漂ってます。

1919年の秋口に書かれたこの作品は、オーストリア北部の町で鉱山業を営み、音楽を愛するアマチュア・チェリスト、パウムガルトナーさんの依頼によって書かれました。
ときに、シューベルト22歳。
その生涯は、あと9年しかありません。

昨日のショパンは、19歳の作品で、39歳の生涯。
モーツァルト35歳、シューマン46歳、メンデルスゾーン38歳。
早世の作曲家たちのなかでも、シューベルトは一番若くして亡くなり、そして、オールジャンルにわたったその作品数も非常に多い。

歌曲「ます」の旋律を第4楽章の主題として、変奏曲形式として、全体が5つの楽章に。
ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの編成。
だから、この曲は、低音域が厚みがあり、その分、ピアノの軽やかさと、高音域が引き立つように聴こえて、見事な5という数字のバランスを保っています。

Trout_1

「ます」の旋律は、まず弦楽だけで、優しく、親しみを持って奏でられます。

Trout_2


そして、第1変奏から、ピアノが登場。
弦が、さながら水のさざ波のように、たゆたう中、ピアノは、その中を泳ぐ鱒のように、ときにトリルを聴かせながら、気持ちよさそうにメインテーマを弾くのです。

こんな素敵な旋律と、その変奏の展開って、ちょっとないですよ。

歌の人、シューベルトに脱帽です。

きっと初演で、チェロを弾いたであろう依頼者のパウムガルトナーさんは、幸せな気持ちで、一家団欒のようにして、こお曲を楽しんだことでしょう。

ほかの4つの楽章も、みんな素敵ですよ。

思わず深呼吸したくなるような、みずみずしい第1楽章に、さわやかで、次々に転調していって微細にムードが変わる2楽章は、いつまでも浸っていたくなります。
快活なスケルツォの3楽章、陽気な終楽章でおしまい。

今宵の演奏も、ちょっと古めだけど、思い出の1枚。
高校生の時に、よく聴いたものです。
硬派なイメージのギレリスは、西側に出てきてDGに録音をたくさんし始めて、柔和さと、音の深い探求ぶりとで、実は凄いピアニストなのだということを痛感したものです。
ブラームスやモーツァルトの協奏曲に、ベートーヴェンのソナタなど。

アマデウスとのコラボレーションが、とても新鮮だったこの1枚。
全員が、生真面目にこの曲に取り組みながらも、どこか微笑みを絶やさす、まろやかな美しさにあふれた名演だと思います。
ベルリンフィルの名物コンバス奏者、ツェペリッツも嬉しい。

ブレンデルやペルルミュテールもよく聴いてきた1枚ですね。

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こちら側の海は、三浦半島。

子供たちが寒いのに、薄着で元気に、縄跳びで遊んでいました。

お正月の光景です。

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2013年11月14日 (木)

シューベルト 交響曲第4番「悲劇的」 マリナー指揮

Yudepea

いきなり、いつになく食材にて失礼しますよ。

ビールはわかりますね。

そして、その相方は、落花生。

今が旬、冬には炬燵入って、ぬくぬくとして、落花生とみかんで、お茶。

こちらは、その落花生を煮た、「ゆで落花生」。

わたしたちは、それを「ゆでピー」と呼びます。

その落花生の最大の産地は、千葉県八街市。
その街に、うちの息子は通ってます。
そして、私のいま住むお家は、そのほぼ隣。

そもそも落花生は、中国から伝わり、日本で初の栽培地は、神奈川県大磯町。
いまでは大磯では、さほどではありませんが、より土壌が適した内陸の秦野市が、神奈川県の落花生の生産中心地。
それに次ぐのが、わたしの育った二宮町。

というわけで、わたしの人生には、落花生が着いてまわっているのです。

子供時代、学校から家まで、何軒も落花生屋さんがって、豆を炒る香ばしい匂いと、機械の音を毎日聞いて過ごしました。

Syoutou_daining

地鶏としめじ、にんにくの焼き物、自家製さつま揚げ。

これも肴に飲むんだな。

ゆで落花生とともに、こんな素敵なツマミで楽しめる店を渋谷でみつけてしまった。

学生時代を過ごした若者の街なのに、いつしか敬遠してた渋谷で、こんな大人も楽しめるお店を確保した喜びは、思わず、朗らかにシューベルトを聴きたくなる心境ですよ。

Schubert_marriner

  シューベルト  交響曲第4番 ハ短調 「悲劇的」

   サー・ネヴィル・マリナー指揮
     
       アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

                        (1981@ロンドン)


「悲劇的」というタイトル。
なんで悲劇的なんだろうと思う。
抒情性と優しさが、ハ短調という非劇の曲調に勝っていると思う。

なのに、なぜか、シューベルト自身が、この曲の完成後、「悲劇的」のタイトルを自ら冠した。

同じ「悲劇的」の名前を持つ身近な曲は、ブラームスの「悲劇的序曲」がニ短調、マーラーの交響曲第6番がイ短調。
シューベルトは、ハ短調で、思えばベートーヴェンのようでもあります。

それでも、悲劇的な様相は、マーラーがいちばん。
ついで、いつもいかつめらしいブラームス、そしてなによりも苦虫かみつぶしたベートーヴェンさんは、悲劇的というタイトルはないけれど、やたらと暗の部分でのマイナス嗜好がその音楽に現れてます。
もちろん、その半面の突き抜けた勝利や、明晰さが生きてくるのがベートーヴェンなのですが。

そして、われらがシューベルトは、自分が悲劇と思いつつも、その音楽の底には必ず、豊かな抒情に裏打ちされた優しさがあるものだから、決して暗くもないし、切実さもありません。
でも、どこかに死の影を見出すことにもなる。

そんな優しさと、陰りのあるシューベルトが大好きです。

そして、アバドとサヴァリッシュとともに、マリナーのこの交響曲演奏は、スマートできびきびとしつつ、英国的なノーブルな清々しさがありまして、こちらもとても大好きなのです。
陰りの部分は、ちょっと弱め。

第2楽章の滔々たる抒情の素晴らしさは、いつまでも浸っていたい、緩やかなる慈しみの世界です。マリナーのさりげなさが実にいい。
終楽章の、ちょっと不安を感じさせ、ちょっと先を急ぐかのような風情は、アカデミーの俊敏なサウンドが実によく生きてます。

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2013年7月 5日 (金)

シューベルト 交響曲第9番 ハイティンク指揮

Shiba_rose

茶色系のシックなバラ。

ちょいと調べたら「ジュリア」という品種だそうな。

なんか好きですよ、この色合いも。

今日聴くシューベルトの演奏にぴったりの感じ。

Schubert9_haiteink

   シューベルト  交響曲第9番「ザ・グレート」

 ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

                        (1975.@アムステルダム)


シューベルトのいまは、8番とも呼ばれる長大な交響曲。

やはり、第9番ハ長調「ザ・グレート」という名前こそが相応しい。

未完成の次にやってきたこの曲。

中学生の時に買ったワルターのレコードが、完全なる刷り込み演奏で、その優しく歌心にあふれた演奏が基準となっております。
以来数々聴いてきたけれど、ベームとジュリーニ、そしてハイティンクの3つがいまでも、わたくしの「グレート4」であります。

ところが、ハイティンク盤はCD初期に廉価盤化されたのみで、しかも文庫っぽいジャケットで、手が出ぬままに、そちらが廃盤久しく、CDとしては89年に一度出たっきり。
ハイティンクのもう1枚のシューベルト、5番と8番も同じ運命。
76年に発売された、ハイティンクのシューベルトシリーズは、天使の無垢な教会内の彫像がジャケットとしてあしらわれていて、とても美しく、シューベルトらしい雰囲気が出ているものだった。
こちらが宝物のようにしている、そのレコード・ジャケットです。

そして、先日、もう何年も探していたかつての廉価盤を、某中古ショップにて見つけました。
ドキドキしました。
すぐに手にとり、ウソだろ!とつぶやいてました。
価格も驚きのワンコイン。しめしめとばかりに、人に見られないようにこっそりレジへ急行。
思えば、隠れる必要はないのですが・・・・・。

レコードを聴ける環境でないので、もう35年ぶりぐらいに、聴いた「ハイティンクのザ・グレート」。
もう、もう、涙が出ましたよ。

なんて美しいんだろ。なんて立派なんだろ、そしてなんて無為無策のように何もせずして、こんなる音楽的なんだろ。
レコードで聴いたときから思っていたこと。
まるで、スルメのように噛めば噛むほど味わいが増す音楽であり演奏。
繰り返しなし、ほぼ50分の遅滞ないテンポは、推進力とともに、いじらしいぐらいにさりげない歌にあふれていて、第2楽章の中間部の切実かつ壮絶な響きと、そのあとにくる優しい、心の襞をそっとなぞるような流麗な美しい展開。
もうこれこそが天国的でありましょう。
ハイティンクがワルターに近づいた瞬間だと思いました。

そして、毎度のことながら、コンセルトヘボウにおけるフィリップス録音の芯がありながらマイルドで空間が響きで埋まる瞬間をとらえた鋭敏かつ雰囲気豊かな録音。
この録音と、コンセルトヘボウという稀有なオーケストラ有機体が音の上でも表裏一体になっていることを強く認識できます。
日本に何度もやってきたこのコンビを、学生時代に聴くことができなかったのが残念ですが、放送を通じ聴いた響きは、驚くべきことに、これらのフィリップス録音と同じものだった。
指揮者・オーケストラ・レーベルが三位一体となった存在の結果なのだと痛感します。

加えて、ハイティンクは70年代ロンドン・フィルハーモニーの指揮者も兼務するのですが、LPOもコンセルトヘボウ的な音色を一時出していたと思います。
その後、ショルティやテンシュテットとなって失われてしまった、くすんだヴェルベット・トーンです。

全曲、どこをとっても素晴らしい、これはハイティンク&COAの大傑作ではないかと思います。
何度も繰り返し聴いた大学・社会人初期のころの印象と寸分たがわず同じでした。
馥郁たるシューベルト。
リズムのよさも、もたれないテンポ感も、冒頭のホルンの瑞々しさも、オーボエのメランコリーも、終楽章の着実なフィナーレも、すべてにおいて最高でした。
昨日2回、今日も2回聴いてます。

明日もハイティンク&コンセルトヘボウ。

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2013年5月14日 (火)

シューベルト 交響曲第9番 ジュリーニ指揮

Kitashinagawa

都会の真ん中でみつけた、こんな和風のオアシス的一服の眺め。

涼しげで静けさも漂います。

近隣はやかましいですが、日本人でホントよかったと思います。

Schubert_sym9_giuliini

  シューベルト 交響曲第9番「ザ・グレート」

   カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

                  (1977.4 @オーケストラホール、シカゴ)


わたしにとって懐かしい1枚を久々に聴きました。

廉価CD化されたジュリーニのグレートが、ネットでなんと691円ですよ。

ちょっと呆れつつも、円安のなかですし、安いにこしたことない。

上のレコードジャケットには、カメラ構えるワタクシが映ってますよ。

このレコードが発売された78年、大学生でした。
渋谷の東邦生命ビルにあったレコード屋さんで買った海外盤でして、薄手のジャケットはピカピカで、しかもとてもいいにおいでした(?)。
レコードは国内盤では2800円。輸入盤は確か1890円とかいう値段じゃなかったかしら。

学生には高価なレコードを慈しむように何度も何度も聴いたのです。
いまのあふれかえるCDとは格段に扱いや聴き方が違いました。

EMIからDGに移籍したジュリーニは、その端境期に、第9シリーズをやってくれました。
ベートーヴェン、ブルックナー、マーラー、シューベルト、ドヴォルザークと。
いずれもジュリーニが大巨匠として、巨大な足跡を記し始めた70年代後半の名演ばかり。
その後、重要なレパートリーであるこれらは、何度か再録音をしておりますが、私には、初回のこれらの演奏がいまもってジュリーニのベストであり、後のものは聴いてもいないものもありますが、そう確信してます。

なんといっても、オーケストラとの相性があると思います。
ベートーヴェンこそロンドン響ですが、ほかは全部シカゴ響。
後年の、コンセルトヘボウやバイエルン、ウィーンより、ずっとオーケストラが愚直なまでにジュリーニの棒に応えています。
アメリカの超一流オケのなせる技でしょうか。

それゆえに、指揮棒を握りしめるようにして、熱く歌うジュリーニの音楽がまったく素直に反映されていて、遅いテンポで重々しい雰囲気を与えがちな晩年のものに比べ、テンポは遅めでも、どこか軽やかな足取りもあり、横へ横へと広がる豊かな歌謡性が実に心地よいのです。
2楽章のどこまでも続くような歌、また歌。いつまでも浸っていたい。
同じく3楽章の中間部も思わず、体がゆっくりと動いてしまうようなこれまた歌。
1楽章の主部へ入ってからのテヌートぶりも、いまや懐かしいです。
レコードで聴いたときは、当時聴いてたワルターやベームとのあまりの違いにびっくりしたものですが、ジュリーニのこのやり方がすぐに好きになり、頭の中で反芻できるくらいになりました。
いま聴いてもその新鮮さは変わりないです。
終楽章では、はちきれるほどの推進力で、シカゴのブラスの輝かしさを堪能できます。

いま、シューベルトは後期の番号でも、軽やかにキビキビと演奏するのが主流となりましたが、ジュリーニの堂々としながらも歌がみなぎる演奏は、極めて心地がよく清新なものでした。
大学生のときから進歩していないのかな、わたくしの耳は。

(byあまちゃんにハマってる、70~80年代男より)

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2013年4月30日 (火)

シューベルト 交響曲第8番「未完成」 ブリテン指揮

1

都内某所にて、ヤマツツジ。

どこにもあるけれど、よく見ればびっしり咲いた小ぶりの花が美しい。

新緑と青い空に合います。

今日の都内は、ふだんの7割ぐらいでしょうか。

月末だったこともあり、次の連休に備えて銀行は行列でした。

わたくしは平常運転中。

Mozart_schubert_britten

  シューベルト 交響曲第8番「未完成」

   ベンジャミン・ブリテン指揮 イギリス室内管弦楽団

     (1970.スネイプ・モールティングス、サフォーク州オールドバラ)


今年、生誕100年のブリテンは、英国の大作曲家として名を残しておりますが、一方で、指揮者として、ピアニストとしても超一流の存在でした。

自作の初演やレコーディングは当然として、バロックから同時代の作曲家までの音楽を盛んに指揮して、それも録音に残しました。
ピアニストとしては、気心の知れた仲間の伴奏ということで、室内楽や歌曲の伴奏などで、こちらも録音が残されてます。

こうした録音が残された背景は、自身が開設したオールドバラ音楽祭があったことが大きくて、そこで自作のみならず、数々の先輩・同世代作品を自ら指揮し、ピアノ伴奏もし、ということで、まさにブリテン音楽祭が生み出した賜物なのです。

今日は、それらの中から、「未完成」を。
「ブリテンの未完成」なんていうと、ちょっとキワモノっぽく思われてしまいそうですが、ところがどうしてどうして、きりっと美しいロマン派ならでは息吹きを感じる魅力的な演奏なのです。
全曲25分の標準テンポで、いつもさわやかなイギリス室内管弦楽団を隅々まで鳴らしていて、妙に暗かったり、立ち止まったりすることなく、ともかくオーケストラの響かせ方が気持ちがよい。

奏法にこだわったり、時代考証に走ることもなく、ここに聴かれるのはシューベルトの美しい自然な歌だけ。
こんなに普通で、てらいの感じさせないナチュラル未完成は今ではちょっとないかも。

40年以上経過しているものの、録音がまたホールの響きをうまく捉えていて素晴らしい。
この時代、室内管弦楽団によるロマン派の演奏というのはあまりなかったが、そのまさに室内楽的ともいえる透明感とすっきり感もよく捉えられています。

併録の「プラハ」交響曲も、実に清々しく、胸のすくような演奏です。

いまよくよく見たら、ブリテンと私の誕生日は1日違い。
なんだか嬉しい。
でも、ワタクシは、あっちの方はまったく毛嫌いするほどですぞ。
そっちはワタクシが普通です。
あっちだか、こっちだか、そっちだか、わけわからないけれど(?)
普通が一番!

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2013年1月18日 (金)

シューベルト 「冬の旅」 プレガルディエン

2013114

今週14日の雪景色。

自宅からのぞんだ景色は、雪国のようでした。

午前中は激しい雨と風。

午後から雪となりかなり積もりました。

降雪時は完全にモノトーンの世界。

一夜明けての晴天では、眩しい白と青空が美しかった。

雪に慣れた方々には申し訳ないくらいに高揚感がありました・・・・。

Schubert_witerreise_pregardien

  シューベルト 歌曲集「冬の旅」

      T:クリストフ・プレガルディエン

      Fp:アンドレアス・シュタイアー

               (1996.3 @ケルン)


真冬のいまに「冬の旅」。

今年の冬はともかく寒くて、心身ともに堪えます。

少し前までは、暑いのが苦手で、寒さは全然平気だったけれど、昨年くらいから、暑さばかりか、寒さにもダメになってきて、ガクガクして体が縮こまってしまい、肩が凝ってならない。
この寒さには細心の注意を払ってます。
急にバタンは困りますからね。

でも、寒い時期ほど、寒い方向へと旅がしたくなります。
東へ、北へです。
かつて仕事柄、東北・北海道への出張が多かったから、そのときは、旅気分も半分でした。
野辺地方面に電車で移動したとき、吹雪いて景色はすべて真っ白。
駅に着いて、地元の高校生がドアをプシュ~と空けて外へ出てゆくと、雪が風とともに車内に巻き込んでくる。そんな外へ、もちろん彼らは自宅へと帰ってゆく姿に、毎日晴天の地域から来た私は、逞しさと一抹の旅情を感じたものです。

あぁ、自分も、こんな雪の中に足を踏み入れ、なんのしがらみのない白い世界に入り込んでしまいたい・・・・・・、そう思ったのは現実からの逃避ばかりでなく、見知らぬ場所への「旅」の憧れからだったと思うのです。

シューベルト(1797~1828)の晩年、といってもまだ30歳の時分に作曲された傑作「冬の旅」。
つねに死と背中合わせのような陰りをその音符の裏側に感じさせるシューベルトの作品の数々。
その中でも、もっとも絶望的で、死とそして希望への憧れに満ちた陶酔的なまでの歌曲集。
歳とともに、この作品集が好きになってきた。
若い頃は、それこそ若者の気持ちを代弁するかのようなナイーヴな「美しき水車屋の娘」が、「春から秋」の青春の情景のように感じて好みだった。
でもいまは、それ以上に、人生「冬の旅」状態となり、こちらの歌曲集にこそ共感の度合いが強まってきている。

水車屋と同じくして、ミューラーの詩による全24曲の歌曲集。
そのすべてに味わいと含蓄が、その詩とともにあり、どこがどうということはおこがましくて私には言及できませんが、有名な「菩提樹:Der Lindenbaum」を例えると、その歌の美しい素晴らしさは当然として、ピアノ伴奏の主人公によりそうようにして、長調と短調を行きつ戻りつ、連音を奏でる鮮やかにして深遠なる運び。
時に伴奏に着目して聴いていると、思わずはっと、するときがあるのもシューベルトならでは。
この曲集の半ばで歌われる第16曲「最後の希望」
 

  とうとう葉は、地に落ちた
  それとともに、希望も尽きた
  ぼくは地面に膝をつき、たおれて
  落ちた葉の上で、泣き伏せた・・・・・・


ここを機に、主人公は希望もついえ、絶望を友にさすらうのですが、ここのフレーズのほんの一節の壮絶なる素晴らしさ。
シューベルトの最高の音楽は、ロマン主義の完璧なる発露であるかと思います。
歴代の歌手たちが、ここに熱き思いを込めて歌っているような気がします。

すなわち、F=ディ-スカウ、プライやホッターで聴くことの多い「冬の旅」。
でも、最近、テノールでの、シュライアーやヘフリガーで聴くことでも、あらたな「冬の旅」の素顔を見るような思いがしてます。
遅ればせながら、昨冬以来、しみじみと聴く機会のおおかったのが、今宵のプレガルティエン盤。
思えば、先にあげたテノールは、名エヴァンゲリストで、そのあとを継いだのがプレガルティエンなのです。
レオンハルトの禁欲的かつ暖かなマタイでの福音士家は、プレガルティエンです。
あのときのエヴァンゲリストの印象そのままに、主人公に同質化してしまって感じるプレガルティエンの歌唱は、最初の「おやすみ」からして、わたしの心と耳をとらえて離しませんでした。
ドイツ語の発声が美感に感じるほどの美しさ。
テノールの域にとどまらず、時に感じるバリトン的な深み。
そして、なによりも誠実で生真面目な歌い回しが、淡々としたなかに、ロマンと自在な思い入れを爽やかに載せていて、シューベルトの描いた主人公の苦渋をしっかりと捉えているように思います。
 加えて、シュタイアーのピアノがグランドピアノほどに語りもせず、とはいえ、シンプルななかにも明確な語り口があって、ほんのちょっとした語り口の中にも、切なくも素敵なのでした。

やはりこの季節は、求心的なシューベルトの音楽、「冬の旅」がお似合いです。
久しぶりに泣けました。

 過去記事

  「ハンス・ホッター&エリック・ウェルバ」

 「ルネ・コロ&オリヴァー・ポウル」

 「ヘルマン・プライ&ウォルフガンク・サヴァリッシュ」 

 

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