カテゴリー「シューベルト」の記事

2021年1月20日 (水)

シューベルト ミサ曲第6番 アバド指揮

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真冬の水仙は、鮮やかな花がないこの時期にあって、その甘い香りとともに癒しです。

そして、今年もめぐってきました、クラウディオ・アバドの旅立ちの日。

2014年1月20日から、もう7年が経ちました。

あの日の衝撃と悲しみ、自分のブログをよく読み返して思いでをなぞることがよくありますが、そのときの記事ほど、悲しいものはありません。

「さよなら、アバド」

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 シューベルト ミサ曲第6番 変ホ長調 D.950

  S:カリタ・マッティラ Ms:マリアナ・リポヴシェク
  T:ジェリー・ハドレー T:ヨルゲ・ピタ
  Bs:ローベルト・ホル

 クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
              ウィーン国立歌劇場合唱団
        合唱指揮:ワルター・ハーゲン-グロル

         (1986.11.1 @ムジークフェライン)  

アバドはシューベルトが大好きでした。
ご存じのとおり、交響曲全集、いくつかの交響曲録音、ロザムンデ、ミサ曲を数度、オペラにオーケストラ伴奏付き歌曲まで、多くの録音があります。
そんななかから、これまでブログで取り上げてなかったミサ曲第6番を。

ウィーンとの蜜月時代、86年に「万霊節(オールセインツ・諸聖人)」コンサートで取り上げた演目のライブで、このときは、モーツァルトの宗教作品も演奏してます。
同じ演奏が映像化されていて、さらに2012年のザルツブルク音楽祭でも演奏していて、こちらも映像化されてます。
こちらもモーツァルト作品と組み合わせていて「孤児院ミサ」です。
 1986年の頃は、アバドとウィーンフィルはベートーヴェンチクルスに取り組んでいた、まさにその年です。

6曲あるシューベルトのミサ曲。
なかでも、5番と6番は後期ミサ曲として規模も大きく、内容も深いため、昨今人気のある作品。
早逝のシューベルト、最後の年1828年の作で、生前は演奏されず、翌年に初演されたとのこと。
歌曲の人、シューベルトにとって典礼文のあるミサ曲・宗教曲は、きっと手ごわいカテゴリーだったと思いますが、そのためにも、対位法をしっかり身につけようと、この時期のシューベルトは懸命に勉強していたとのこと。
グロリアの最後におかれたフーガ形式の部分など、壮大な伽藍をのようで感銘を受けます。
そんな真摯なシューベルトの孤高の作品として、最後の3つのピアノソナタに通じるものもありまして、時間が許せばその3作を後で聴いてみたいと思ってます。
シューベルトが、もっと生きていたら、そのあとどんな作品を生んでくれたでしょうか?音楽史はまったく変わっていたかもしれません。

ベートーヴェンに取り組んでいたこの時期のアバドとウィーンフィルの演奏。
やはりベートーヴェンに近づいたシューベルトになっていると思います。
アバドらしく、流麗で歌にあふれた音楽ですが、フーガの部分など、かなり克明に描いていてスケールの大きさも感じさせるのがそうしたところです。
そう、シューベルトの晩年のスタイルに沿うような演奏がアバドの指揮なのです。
ほかの演奏を多くは聴いてませんが、もっとシューベルトらしい緩やかさや素朴さを感じさせるものはあるかもしれませんが、アバドのシューベルトのミサ曲は、シューベルトが次に向かおうとしていた世界を感じさせるような、そんな演奏でした。
オペラ歌手でそろえた独唱者もそんな意向がうかがえますが、ちょっと立派すぎたかも・・・。
同じことは、重厚な国立歌劇場の合唱団にもいえます。
 しかし、こともあろうに、2012年のザルツブルクライブはまだ未視聴であることは痛恨です。(買わねば!)
若いモーツァルト・オーケストラに、俊敏なシェーンベルク合唱団、大物のいないソロとのシューベルトは、きっとアバドがやりたかった、また別のシューベルト像の演奏かもしれません。
そちらはいずれ視聴して記事に残したいと思います。

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このCDと同じ演奏がDVDになってまして、そちらも併せて聴いております。
若々しいアバドの指揮姿は、颯爽としていて気持ちがいいものです。
前半のモーツァルトの宗教作品も含めて、アバドは全部、暗譜。
譜面を置いて、見ながらの指揮よりも、演奏者側は常に指揮者に見られてるいるという意識もあるので、逆に集中力も上がるし、緊張感も増すとは思いますが、でもアバドの柔らかな流れるような指揮にはなんらの威圧感もなく、出てくる音楽はいつもしなやかです。
もちろん、譜面に顔を突っ込んでいたと思うと、時にギロっと睨まれると、それに備えて奏者たちも常に緊張しますから、おっかない指揮者の場合は効果抜群です(笑)

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 あとは懐かしいウィーンフィルの面々。
そして、年齢層高めな国立歌劇場の合唱団の皆様(笑)。
女性陣の髪型は、この時代ならではで、カーリーヘアとかソバージュみたいなヘアスタイルがみられて、なんだか懐かしくもあり。
そして、日本はこの頃はバブルの真っただ中でございました。

いまでは、いろんな指揮者が取り上げるミサ曲6番ですが、アバドが録音した頃は、まだそんなにメジャー作品ではなかったです。
確か、記憶では、ジョルダン&スイス・ロマンドも同時期に発売され、珍しい曲が同時に、なんて話題になった記憶があります。

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アバドの旅立ちの日に、すてきなシューベルトをじっくりと聴きました。
あらためて、クラウディオ・アバドは素晴らしい指揮者です♬

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2020年10月16日 (金)

シューベルト 交響曲第9番「ザ・グレート」 ベーム指揮

Yellow

黄色い彼岸花。

White

白い彼岸花。

今年の彼岸花は、赤ばかりでなく、白と黄色も各所で見ることができました。
1週間ぐらいで枯れちゃう、儚い花でもあります。
秋は短し。

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  シューベルト 交響曲第9番 ハ長調 「ザ・グレート」

 カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

            (1975.3.19 @NHKホール)

伝説のベーム&ウィーンフィルのNHKホールでの名演を、もしかしたら40年ぶりくらいに聴く。
少しまえに入手したCD。
高校生だったあの頃、NHKが生放送でFM中継をしてくれたので、そのずべてを必死にカセットテープに収めました。
驚くほどの生々しい高音質で、エアチェックの喜悦に浸る日々でした。
プログラムは4つ。

①ベートーヴェン 4番・7番 (両国国歌演奏あり)
②ベートーヴェン レオノーレ3番 火の鳥 ブラームス1番
③シューベルト 未完成・グレート
④モーツァルト ジュピター / ウィンナワルツ

大切にしてきたカセットを、自家用CD化にしようとしたが、驚くべきことに②と④が紛失。
でもどこかにあるはずなんだけど・・・・

この公演は、NHK招聘ということもあり、大人気で、チケットは往復はがきで申し込む抽選スタイル。
ワタクシは、全部はずれ、でも当然に(?)ムーテイ様だけ当選。
若獅子ムーティの新世界を聴くことができました(アンコールの運命の力が絶品だった)。

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ライブで燃えるベームは、バイロイトの録音で多くのファンが知っていたけど、このときの来日ほど、聴衆を熱狂させた公演は日本でもあまりないのでは。
体をちょっと上下して、ぴょんぴょんしつつ、目を引んむくようにしてオーケストラに迫るベーム。
お馴染みのベテランも、若い奏者も、みんな必死に指揮にくらいつくウィーンフィル。
ともに、手抜きなしの、火花散る真剣勝負。
テレビに大写しにされたベームの形相を今でも忘れられない。

ベームとウィーンフィルは、このあと77年と80年にも来日しているが、身体・気力ともに充実していたのは、やはり75年の来日公演。
ベームは、63年のベルリン・ドイツ・オペラとの来日以来。
そして、ウィーンフィルは、いまなら毎年来てて、当たり前になったけど、この75年の日本への来日はまだ5度目。
そんなことで、大人気を呼び、先に書いた通り抽選に当たるなんて、とんでもなくラッキーなことだった。
いまでも、悔しい!!(笑)

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ほんと久しぶりに聴いたNHKホールでの演奏。
さすがに手持ちのカセット音源とは大違いで、あの時の実況放送に近いし、もう少し柔らかくなっている気がするし、とうてい45年前の録音とは思えない生々しさもあのときのまま。

演奏はもちろん素晴らしい。
巨大な歩みの第1楽章。
以外にテンポよく、歌にのめりこむことなく進む第2楽章は、いかにもべーム博士だ。
推進力豊かに、意外なほどにリズム感あふれる3楽章と終楽章。
特にジワジワと高まる終楽章の流れは、やはり興奮誘うもの。

ウィーンフィルの柔らかな音色、木管やホルンの特徴豊かな響きもこの時代ならではで、いまでは少しばかり遠のいてしまったウィーンの音がここに聴かれるのも、あらためてうれしく感じます。

あのとき、自分も若かったなぁ・・・

少し前にオイルショックはあったけれど、レコード業界は大盛況で、歌手以外で俯瞰すると、DGからは、ベームとウィーンフィル、カラヤンとベルリンフィルがしのぎを削っていたし、小澤&ボストン、アバド、バレンボイム、クーベリック、ポリーニ、アルゲリッチ、リヒター、エッシェンバッハ、などなど。
そこに登場したクライバーがやたらと新鮮だった。
デッカはショルテイ&シカゴ、メータ&ロスフィル、マゼール&クリーヴランドア、シュケナージ。
EMIは、プレヴィン&LSOのフレッシュコンビに、ケンペ、ヨッフム、サヴァリッシュ、マルティノンのいぶし銀ラインナップ。
フィリップスでは、ハイティンク&コンセルトヘボウ、デイヴィス&ロンドンのオケ+ボストン、コンセルトヘボウ、マリナー&アカデミー、シェリング、アラウ、ブレンデル。
CBSは、バーンスタン、ブーレーズ、スターンで、ビクターは、旧メロディア系のソ連の演奏者に強かった。

 ともかくレーベルはたくさんあって、みんなそれぞれに、特徴があって、競争も激しかった。
繰り返しますが、なんていい時代だったんだろ。
毎月、こうしたアーティストたちの新譜が、続々と発売される
 こんな時代へのノスタルジーが、もしかしたら、自分の音楽ライフの根源の一部かと思ったりしてます。

その最たるモニュメントが、75年のウィーンフィルだったのかもしれません。
ベームをFMとテレビで視聴しつくし、俊敏な若きムーティの実演にも接した経験が、いまでも自分の音楽ライフに大きな影響を与えたものだと確信してます。

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いつ、ぽっくり逝ってもいいように、こうした音源や記録は、秩序だって整理しておこうと思います。
でも誰がそれを受け継ぐんだろ。
なんの得にもならないけれど、この先の短い人生、悩みは尽きないのであります。

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最後に、赤いの。

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2019年12月27日 (金)

ペーター・シュライアーを偲んで

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ペーター・シュライアーが亡くなりました。

ドレスデンにて、享年84歳。

こうしてまた、ずっと親しんできた歌手の一人が去ってしまいました。

親しみやすい、そして朗らかでそのリリックな声は、完全に自分の脳裏に刻まれております。
そんな思いを共にする聞き手も多いのではないでしょうか。

1935年、マイセンの生まれ。(2020.03.03訂正)
オペラ歌手、リート歌手、宗教音楽歌手、いずれにもシュライアーの功績は、舞台にステージに、そして数々の録音に深々と刻まれております

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バイエルン放送局の追悼ページには、「福音史家とワーグナー」とあります。
そう、ミュンヘンでは、リヒターやサヴァリッシュのバッハとワーグナーの演奏には、シュライアーはかかせませんでした。

ことしの1月には、テオ・アダムが亡くなってます。
シュライアーよりも年上のアダムでしたが、ふたりともドレスデン聖十字架協会の聖歌隊に所属。
ともにバッハの音楽で育ったところもあります。
そして、ふたりの共演も多かった。

福音史家としての録音はいくつかありますが、「マタイ」でいえば、リヒターとの録音は未聴のまま。
歌いすぎなところの批評を読んでから手を出せずに今日に至る。
抑制の効いたシュライアーらしいマタイといえば、マウエスベルガー盤です。
あとは、リヒターとのカンタータの数々。

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わたしには、シュライアーは、「タミーノとダーヴィッド」です。
初めてのシュライアーのレコードは、「ベームのトリスタン」の若い水夫です。
これは正直、この役のすりこみです。
シュライアーの歌が終わると、切迫したオケがきて、ニルソンのイゾルデの一声、そしてルートヴィヒのブランゲーネがきます。
もう、完全に脳内再生できるくらいに聴きこんでる。

 そして、シュライアーは、「ザ・タミーノ」といっても過言ではなかった存在です。

Zauberflote

手持ちの「魔笛」でもスウィトナー、サヴァリッシュ、デイヴィスの3種のものがあります。
思えば、みんな亡くなってしまった指揮者たち。
指揮者の声は残らないけれど、演奏全体として残る。
でも歌手たちの声はずっと耳に、その人の声として残るので寂しさもひとしお。

 シュライアーのダーヴィットは2回聴くことができました。
ここでも、指揮はスウィトナーとサヴァリッシュ。
ベルリン国立歌劇場とバイエルン国立歌劇場の来演におけるものです。
舞台を飛び回る若々しいシュライアーのダーヴィッドは、その芸達者ぶりでもって、マイスタージンガーのステージを引き締めました。
ヴァルターにレクチャーする長丁場の歌、喧嘩に飛び込む無鉄砲ぶり、ザックスとの軽妙なやりとり、歌合戦での見事なダンス・・・
いまでも覚えてます。
そして、ワーグナーが書いたもっとも美しいシーンのひとつ、5重唱の場面。

Meistersinger
             (バイエルン国立歌劇場の来日公演)

日本には何度も訪問してましたが、リートでシュライアーの歌声を聴くことはできませんでした。

「美しき水車屋の娘」は、これもシュライアーの得意な歌曲集でした。
この作品も思えば、シュライアーの歌声が自分にはすりこみ。
レコード時代のオルベルツ盤で親しみましたがCDで探してみたいと思います。
ギター伴奏による水車屋も、シュライアーならではのものでした・・・

Schubert-schreier

歌がいっぱい詰まった、シュライアーのシューベルト、ゲーテ歌曲集を今夜は取り出して聴いてみることとしよう。

年末の朝。目覚めたら一番に接した訃報に、急ぎ思いを残しました。

悲しい逝去の報が続きます。

ペーター・シュライアーさんの魂が、安らかでありますこと、お祈りいたします。

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2019年10月24日 (木)

シューベルト 「楽興の時」 グルダ

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グスタフ・クリムトの作、「ピアノを弾くシューベルト」。

1899年の作品。

クリムトといえば、世紀末ウィーンにあって、マーラーと1歳違いだし、アルマとも関係があったし、ウィーン分離派を結成し、エゴン・シーレやココシュカなどとも関連した美術家であった。

マーラーや、シェーンベルク、ウェーベルン、ベルク、ツェムリンスキーなどのレコードジャケットには、クリムトたちの絵が使われることも多いのは、同時代を生き、同じウィーンの世紀末の空気を吸った音楽家たちだから。

この「シューベルト」の肖像を中心とする油絵は、多くの音楽ファンのCD棚のなかにある、「カルロス・クライバーの未完成」のジャケットであるということで、ご存じかもしれません。
私は、レコード時代に買って、スピーカーの上に飾ったりして、ナイーブなシューベルトの横顔を見ながらその音楽を楽しんだものです。

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ところが、この絵の原本は、作曲家たちに貼ったと同じような、退廃芸術家というレッテルをクリムトも浴びてしまったものだから、ナチスによって多くの作品が没収・収蔵されてしまい、終戦間際の連合軍の攻撃の際に、ナチス自らが放った火災によって消失してしまったとのことである。

 わたくしの、唯一のウィーン旅行は1989年、東側体制の崩壊間近の年でして、ともかくこの絵が欲しくて、市内の楽譜・音楽関連書籍の「ドブリンガー」に出向き、絵葉書でしたが入手しました。

さて、クリムトが描いたシューベルトは、なんの曲を弾いているんだろう

今日は、それをテーマに、シューベルトのピアノ作品を選んでみました。

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  シューベルト 「楽興の時」D780 op94

    フリードリヒ・グルダ

      (1963.09 @ジュネーヴ)

この絵を見ながら考えました。
ソナタだと重すぎるし、形式がしっかりしているので、シューベルトとはいえ、無理がある。
奥の難しそうなお顔の紳士だけなら、ソナタやさすらい人幻想曲でもいいけど、女性たちの三様の服装やお顔からすると、より多様性に富んだ曲の方がいい。
目を閉じて聴き入る方、楽譜かなにかに見入る方、そして、正面を向いて、シューベルトを見つめるというよりも、描き手のクリムトを見つめるかのような方。
即興曲だと、幻想味が強すぎるし、曲によっては深みが強すぎる、ということで、より自由で明るい「楽興の時」が一番のお似合いということで、この作品にしました。

正面を見据える女性は、実在のモデルがいて、クリムトの愛人だったそうな。
2006年作の映画「クリムト」を見たことがありますが、そこで描かれていたのは、奔放にすぎるクリムトの女性遍歴で、そこにはふんだんに、ヌードも現れて、ついつい目が奪われがち(笑)になったが、登場人物が女性も、ほかの同時代人もそっくりで、エゴン・シーレなんてうりふたつ。しかし、奔放さと発想の奇抜さばかりが目立つような映画の作り方で、クリムトの内面や、ウィーンの先鋭さなどはあまり感じさせてくれなかったように記憶してます。

いずれにせよ、女性を描くことでは天才的だったクリムトが、当時のモードを纏った、ここで登場させた3人を眺めながら聴く「楽興の時」。
それはとても楽しく、かつ、シューベルトなのに、ウィーンの世紀末に想いを馳せてしまう、そんな思いにさせてくれました。

市井の人々と音楽。
音楽は、権力者や金持ち・貴族たちのものばかりでない、という存在であることを示した存在がシューベルト以降の作曲家たち。
市民たちが築きあげた爛熟した文化・芸術のウィーン世紀末の、意外な結束点は、元をたどるとシューベルトにあったかもしれません。
 ちなみに、ジョナサン・ノットのシューベルトの交響曲のCDのジャケットは、このクリムト。
ノットのマーラーのジャケットは、ココシュカでありました。

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薄命のシューベルトの、比較的晩年の作品で、数年かけて作曲した6つの小品を「楽興の時」としてまとめたもの。
「Moments Musicaux」というフランス語タイトルになっていて、友人でもあった、出版商のライデスドルフの発案とも言われている。

6曲ともに、とてもさりげなく、構えることなく聴ける音楽だけど、いずれもが曲想がまったく異なり、詩的でありつつ、自由奔放な曲想にあふれていて、演奏の仕方によっては深淵なる世界を見せることもできるし、平易なメロディでもあることから、弾き方によっては、家庭的な日常の音楽とも聴いてとれる。
 NHKAMの「音楽の泉」のテーマ曲として、長年親しまれてきたのが、3曲目のアレグロ・モデラート。
6曲の中間に、こんな風にリズミカルで優しい音楽を置きつつ、ほかは、瞑想感すら与える、ただごとでない雰囲気も醸し出すことができる、そんなシューベルトの「死の淵」をもが、ここにはあるのではないかと思ってしまう。

でも、繰り返しますが、そんな想いが脳裏を過りつつも、シューベルティアーデで仲間と楽しむ作曲者の姿もここにはあり、クリムトが描いた幻影のようなシューベルトの姿も、ここにはあるのかもしれません。

そう、楽興のおもむくまま、聴くがいいのです。

コンサートホール・レコードの会員だったころの1枚。
CD化されたものには、即興曲が抜けていて残念ですが、響き少な目のリアルなピアノサウンズが、グルダの唸り声とともに、耳元で直接響きます。
そう、ウィーン生まれのグルダの、まろやかかつ、自由なシューベルト。
目の前で弾いているような感じの演奏であり、録音です。

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1989年のウィーン旅行のときに、ゼセッション=分離派会館に行きました。

ユーゲント・シュティール様式に満たされた建物。

クリムトの「ベートーヴェン・フリーズ」を見たことが忘れられません。

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2019年1月 1日 (火)

シューベルト 交響曲第5番・第8番「未完成」   アバド指揮

2019

2019年、平成31年の始まりに。

今年は、御代替わりの年で、自分とほぼ同世代の天皇陛下がご即位される。

自分にとっても、こうして年を重ねてきて、感慨深い1年となりそうです。

かつて停止したこともありました。

いまでは自分の音楽の体験録ともいえるようなこのブログですが、14年目となる今年も、ゆっくりとですが、稚拙ながらの言葉を連ねてまいりたいと思います。

今年の1枚目は、まさかの新譜登場、アバドの若き日のシューベルトです。

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   シューベルト 交響曲第8番「未完成」

            交響曲第5番


   クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1971.5.31 @ムジークフェラインザール、ウィーン)


2018年に、突然登場したアバドの新譜ですが、実はこれ、わたくしはかつての昔に聴いていたのです。

音楽にひたすらのめり込んでいた高校時代。
FM放送の番組表をメインとするFMファンや、週刊FMを購読してましたが、NHKFMの番組表のなかに、アバドとウィーンフィルの「未完成」がプログラムのひとつにのってました。

「あれ? アバドとウィーンには、未完成のレコードはないはず?」
73年か74年だったかと思う。
完全なアバドファンだった自分は、アバドの録音のすべてを把握していたから、その当時、「アバドの未完成」の録音はない、というのが、当たり前の前提でした。

平日の昼時のレコードでのクラシック番組でしたが、運よく、テスト週間で早帰りで、疑心暗鬼で聴くことができました。
しっかり「アバドとウィーンフィルの演奏で」と放送されました。
 でも、当時より、アバドの全てを知っていたつもりのわたくしは、これは間違いだ、ベートーヴェンの8番とデータを取り違えているんだと思いつつ聴き、聴き終え、クリップスとウィーンフィルの演奏であろうということで、納得させた当時の自分でした。

でも、こうして、71年のオーストリア放送協会での録音の復刻を聴いてみると、時代的な裏付けもふまえても、きっとあのNHK放送は、この音源であったろうということを確信したのが、これを聴いた昨秋のことなどでありました。
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そう、ウィーン情緒を感じ取れる、まさにクリップス風の柔らかなシューベルト。

でも、ここにある歌心は、アバドの知的ななかにもあるイタリア心とも裏返しにあり、柔らかな中にも、劇的な局面も聴いてとれます。

「未完成」においては、遠い昔の自らの懐かしの記憶でありますミュンシュとクリップス、その間にあるような演奏だと、このアバド盤を聴いて思ったりもしました。

「第5」は、もう、ウィーンフィルのウィーンフィルである音色が満載。
CDのリブレットに、当時のオーケストラメンバーの一覧が掲載されてますが、をれを見ても懐かしいウィーンフィル。
いまや絶滅危惧種的と化した、オーケストラの個性的な味わいがここにあると聴いてとれました。
グローバル化したオーケストラの世界。
ウィーンフィルも例外でなく、70年代は、まだまだかつてのウィーンの音色を保ってました。
鄙びたオーボエ、柔和なフルート、甘味なクラリネット、もっこりしたファゴット。
ホルンも丸くて耳に美味。
そして琥珀の弦楽器は、ムジークフェラインの響きそのもの。
そして、歌、また歌のアバドの指揮。
あぁ、なんて美しいんだろう。

正月1日の朝から、耳のご馳走をたらふくいただきました。

もう帰ってこない組み合わせのシューベルトでした。
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本年もよろしくお願いいたします。

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2018年9月17日 (月)

元祖 8番はこれ!

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キバナコスモスの群生。

忙しい気象に、自然の猛威に、同じ自然の仲間の花々も、調子を乱しがち。

サイクルがみんな早くなってしまった。

 音楽界も、好まれる音楽、コンサートや劇場で取り上げられる作品、好んで録音され、CDも売れる作品、そのあたりの変遷が、ここ数年際立って変貌してきていると思われる。

ヴィヴァルデイから、バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルトまでは、古楽的な演奏様式が多くなり、通常のオーケストラスタイルでは取り上げられにくくなり、古楽に通じた指揮者がピリオド奏法を活用して、その任にあたったりするか、古楽オーケストラでしか聴けないような、そんな風潮。

常設のオーケストラコンサートの、メインは、いまや人気曲の常連、マーラーやブルックナー、R・シュトラウスを主体とする、20世紀以降の大規模かつ、自己主張の多い作品ばかり。
古典系の作品は、それらの前座を務めるばかり。

いまや、8番といえば、ドヴォルザーク、ブルックナーかマーラーが人気。

わたくしの時代では、8番は、ベートーヴェンとシューベルト。
ドヴォルザークでさえ、ちょっとあとからたしなみました。

そんな当時の8番には、これ!っていう定番がありました。
今日は、なつかしい、その定番を。

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ベートーヴェン 交響曲第8番 ヘ長調 op93

    ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮
              ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

             (1968年9月 ウィーン ゾフィエンザール)


 60年代、ウィーンフィル初のベートーヴェン全集の指揮者は、ハンス・シュミット=イッセルシュテット。
ドイツ本流の渋い指揮者を起用したデッカに感謝しなくてはなりません。
そして、日本では、8番の名演奏として広く知られるようになったのも面白いことです。
 キビキビとしたリズミカルな演奏に、慣れてしまったいまの耳には、とても新鮮に聴こえる構えの大きい演奏で、若い方には、逆におっとりとしたイメージもあるかもしれません。
でも、7番と9番とにはさまれた8番の存在意義を、音楽そのものの力で、ごり押しすることもなく、すんなりと聴かせてくれる。
そして、よくよく聴くと、いまもって高音質の録音のよさも手伝って、各楽器がそれぞれ見通し良くよく聞こえる。
バランスの良い、端正なこの8番の演奏の魅力は、あとウィーンフィルの音色にもあります。
60年代のウィーンフィルは、現在のスマートすぎるグローバル化したウィーンフィルよりも、適度に鄙びていて、木管楽器ののどかな響きなど、懐かしい思いにさせてくれる。
イッセルシュテットのベートーヴェンは、どの番号も均一に素晴らしいです。
1970年のベートーヴェン生誕200年の年に、読響に来演し、第9とミサソレを指揮してますが、第9を日本武道館で演奏するという驚きの企画でもありました。

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さて、ベートーヴェンの次はシューベルト。

  シューベルト  交響曲第8番 ロ短調 「未完成」

     ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィルハーモニック

              (1958年3月 ニューヨーク)

  
いまや、シューベルトの8番は、9番の「ザ・グレート」になり、「未完成」は、7番なんて風になったりしちゃったりで、ワタクシには、もうさっぱりわかりません。
ですから、ともかく、わたくしには、シューベルトの8番は断然「未完成」なのであります。
 「未完成」のわたくしの刷り込み演奏は、初めて買ったレコードがミュンシュ盤。
いまでも、一番好きな演奏のひとつですが、ずっと後になって聴いたのが、これも名盤といわれるワルター盤。
コロンビア響でなく、ニューヨークフィルであったことで、幽玄で、ほの暗いロマンティックな響きにおおわれていて、遠い昔の日々を懐かしむような想いにさせてくれる。
それでいながら、死の淵をかいまみるようなデモーニッシュな表現もあって、ワルターという指揮者は柔和なばかりでなく、そうマーラーの時代の人でもあって、いろんな新作を手掛けてきたオペラ指揮者であるといこともわかります。
 歌心と、厳しさと、その両方が2つの楽章の25分間にしっかりと詰まってまして、最後にはとても優しい気持ちになれるので、就寝まえの夜更けた時間にお酒でもくゆらせながら聴くのがよいと思います。

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このワルター盤、今持つCDは、同じシューベルトの5番とのカップリングですが、レコード時代は、「運命・未完成」の典型的な組み合わせの1枚でした。

どちらの8番も懐かしい~な。
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2017年4月13日 (木)

松尾茉莉 ヴァイオリン・リサイタル2017

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毎年、桜と同じ時期に満開のきれいな椿。

奥には、ぼんやりと、これまた満開の桜。

寒くて、春は一進一退の今年、先の週末は、雨ばかりの菜種梅雨。

ゆっくりと開いて、長く楽しめたのかもしれない今年の桜です。

そして、雨模様のその日曜日、久方ぶりのコンサートへ。

 実は、その前日は、神奈川フィルの、今シーズンオープニング定期公演で、その演目も、サロネンの「フォーリン・ボディーズ」という曲と、マーラーの1番という、ともに大規模編成のまばゆいコンサートで、大盛況だったそうな。

土曜が主体となった神奈川フィルだけど、わが方は、仕事が不芳だったり、その土曜も開けられなかったりすることが多くなり、ここ1年以上、聴けなくなってしまった。

この葛藤たるやいかばかりか。

そんな喝を癒してくれるかのようなコンサート。
しかも日曜だったので、行けました。

神奈川フィルのヴァイオリン奏者であります、松尾茉莉さん(旧姓・平井さん)のリサイタルに行ってきました。

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 松尾茉莉 ヴァイオリン・リサイタル 2017

   シューベルト ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第1番 ニ長調 D384

   モーツァルト ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 変ロ長調 K378

       サラサーテ ツィゴイネルワイゼン

   フランク   ヴァイオリン・ソナタ イ長調

            アンコール曲

   岩田匡史  「Mari」

   モンティ   「チャールダッシュ」~お楽しみアレンジ付き

         ヴァイオリン:松尾 茉莉

         ピアノ    :加納 裕生野

                            (2017.4.9 @鶴見区文化センター サルビアホール)


前半が、ウィーンの古典派の流れ、後半は、近代ロマン派のそれも民族派的な作品。
よきコントラストと、有名曲も配置した素敵なプログラムです。

フランクは、「ヴァイオリン・ソナタ」だけど、前半2曲は、「ヴァイオリンとピアノ」とのタイトルに。
それも、順序が違う。

そう、モーツァルトの時代は、ピアノが主役的な立場で、ヴァイオリンは随伴者的であったのが、「ヴァイオリン・ソナタ」のありかた。
ベートーヴェンも、そんなスタイルを踏襲したが、中期の「クロイツェル・ソナタ」あたりから、ヴァイオリンに明らかに主軸が移り、より劇的になり、完全に「ヴァイオリン・ソナタ」になった。

でも、ベートーヴェンのあとのシューベルトは、初期のソナチネでは、モーツァルトを思わせる、ピアノ中心スタイルに逆戻り。
でも、後年のシューベルトは、ちゃんとした(というのも変な言い方だけど)、ヴァイオリン・ソナタに行きついている。
しかし、そんなシューベルトのソナチネやソナタには、シューベルトならではの、「歌」の世界があふれていて、ピアノも、ヴァイオリンも、簡潔だけれど、麗しい歌が振り当てられている。

そんなシューベルトを、快活に、そして伸びやかに演奏したお二人。
冒頭から、息のぴったりとあった演奏を危なげなくスタートさせましたね。
聴いてて、とても気持ちのいいシューベルトでした。

そして、シューベルトからモーツァルトへ。
同じ「歌」でも、この時期のモーツァルトには、ギャラントな華やぎがある。
そして、可愛い。
あと、ふっと見せる短調の哀愁が、さりげなく散りばめられてる。
 柔らかなピアノがステキな加納さんに、天真爛漫の茉莉ちゃんのヴァイオリン。
いいモーツァルト、聴かせてもらった。

 後半は、いきなり「ツィゴイネルワイゼン」。
どこもかしこも有名。
でも、面と向かって聴くのは、ほんとに久しぶり。
哀愁とジプシー風な濃厚サウンドと超絶技巧。
バリバリと、でも心をこめて弾きまくってくれました。

最後は、大好きなフランクのソナタ。
この曲との出会いは、中学生の頃、クリスティアン・フェラスのEMIのテスト盤で、解説もなにもなく、曲のこともまったくわからず、聴きまくってた。
終楽章と激しい2楽章ばかりを中心に。
でも、歳を経ると、冒頭の楽章と、幻想的な3楽章が大いに気に入り、その交響曲と併せて、フランクの渋さと晦渋さを楽しめるようになりました。

さて、この日のお二人は。
MCで、とても好きな曲、とお話されてた茉莉ちゃん。
これまでの3曲と違う、落ち着きと、内省的な表現に心をさいて演奏している様子が、その音からも、充分にうかがうことができました。
色合いのそれぞれ異なる4つの楽章が、これほど身近に、眼前で、響きのいいホールでもって聴けることの幸せ。
 お二人とも、母になり、生活も内面も、一歩踏み出し、そして守り、愛し愛されるものを持った充足感。
ちょっと飛躍した想いかもしれませんが、人はこうして変化し成長してくんだなぁ、なんて風に思いながら聴いてました。
 自分を表現できる手段をお持ちの音楽家の皆さんが、羨ましくも思ったりした一日です。

アンコールは、オリジナル曲をほんわかと、それから、この日の4曲を、バラエティ豊かに取込み、鳥さんの小笛までも愛嬌こめて披露してくれた「チャールダッシュ」
エンディングは、フランクに回帰して、喝采のもとに、ステキなコンサートは終了しました。

鶴見は、いい居酒屋がいっぱい。

一杯ひっかけて帰りましたよ。

Tsurumi Tsurumi_1

ポテチの突き刺さった魅惑のポテサラと、紫蘇ジュース割りに、鳥わさ
   

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2015年6月26日 (金)

シューベルト 交響曲第9番「ザ・グレート」 アバド指揮

Azumayamatop_1

ここは、わたくしのもっとも好きな場所。

自分が育った町と海を見下ろせる小高い山の上です。
 

どこまでも澄んだ青空、高い空、緑。

気持ちも、心も、飛翔するような気持ちになります。

あの高みに昇っていった、敬愛やまないクラウディオ・アバドの誕生日が6月26日です。

  シューベルト 交響曲第9番 ハ長調 D944

    クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

              (2011.9.19~25 ボローニャ、ボルツァーノ)


アバドの新譜が、こうして出てくることが、いつも通りに感じる。

マエストロからの、素敵な贈り物のように。

そして、いつも、アバドの新譜が出ると、喜々として手にして、封を開けるのももどかしく、そして、でも慎重にターンテーブルや、トレイに、ディスクを置いて、ワクワクしながら、その音を待ち受けてきた。
そんなことを繰り返しながら、もう45年も経ってしまった。

そして、つい先ごろ登場した、シューベルトの大交響曲。

2011年、いまから4年前のライブ録音で、若き手兵、オーケストラ・モーツァルトの本拠地ボローニャと、ボローニャから北へ220kmほどのボルツァーノという街、その2か所での演奏会のライブ録音です。
このときに、それぞれ演奏されたのが、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番と第27番で、ピアノは、ジョアオ・ピリスです。
そう、もうすでにCDになってるあの名盤です。

ボルツァーノについて気になったので調べてみました。

Bozen

オーストリア・アルプスを背に、国境も近く、地図で見ると、インスブルックやミュンヘンもそんなに遠くなく感じます。
アバドの生まれたミラノよりも北。
そして、このボルツァーノから、西へスイス国境を超えて向かえば、クラウディオが永久に眠る場所ということになります。
 アバドは、晩年は、ボローニャから北、このあたりからスイスにかけてを、ずっと愛していたのですね。
 イタリアは、日本と同じく、南北に長い国。
同じ国でも、北と南では、その気質も全然違う。
そんなことを、こうした地図を眺めてみて、よくわかることです。
 そう、アバドとムーティの違いなんかもね。

いつか、このあたりを旅してみたいものです。

Abbado_3

こんな美しい青空のとおりに、けがれなく、澄みきった透明感にあふれたシューベルト。

アバドの行きついた高みは、まるで無為の境地にあるようで、何もそこにはないように感じ、あるのは、音楽だけ。
シューベルトその人の顔すら思い浮かばせることもない。

どこまでも自然そのもので、音楽を愛し抜き、全霊を込めて信じたアバドの、いわば、なにごともなさざる指揮に、若いピュアな演奏家たちが、心を無にして従っただけ。

ただひとつ、晩年のアバドの様式として、古典ものは、ヴィブラートを抑えめに、表情もつつましやかに演奏することが多く、ここでも、弦楽器は、滔々と歌うというよりは、きめ細やかに緻密な歌い回しが目立ちます。
特に、第2楽章では、ヴィブラート少なめの弦が綾なす、繊細かつ敏感な音色が、静謐な響きと雰囲気を出していて、その得もいわれぬ場面に、わたくしは、涙ぐんでしまうのでした。

全楽章、繰り返しをしっかり行っていて、全曲で62分54秒。

堂々と、ロマン派交響曲として演奏される典型の第1楽章も、楚々たる様相で、足取りは着実かつ静か。
オーケストラのバランスも美しく、各楽器のやりとりが透けて見えるようで、聴いていて、いろんな発見があったりします。

リズム感は、さすがと思わせる3楽章。
伸びやかなトリオの大らかさは、アバドの笑顔が思い浮かびます。

そして、通常、大オーケストラでは、晴れやかかつ、歓喜にあふれた4楽章を描きだし、大団円としてのフィナーレとなります。
しかし、このアバドの指揮では、そんな風には聴こえず、ここでも淡々と、スコアをあるがままに鳴らし、そして室内オーケストラとしての機能性を活かし、響きは、どこまでも、緻密かつ透明です。
ふだん、大きなオーケストラでの演奏に聴きなれている方は、この終楽章には、もしかしたら、肩すかしをくらうかもしれません。
柔らかく、優しい眼差しと、微笑みでもって包まれるような、そんなアバドのシューベルトのフィナーレでした・・・・・。
 ここで、また涙が出てしまいました。

アバドには、もうひとつの正規録音、1987年のヨーロッパ室内管弦楽団との全集録音のものがあります。
こちらは、新シューベルト全集が、この曲までは、まだ刊行されていない年代だったので、アバドは、自筆譜と出版譜との照合を、当時のこのオーケストラ団員だったステファーノ・モッロと共同で行い、新たな解釈を施しました。
 結果、とくに、第2楽章では、オーボエの旋律が、いままで聴いたことのないフレーズになっていたり、強弱が、目新しいものになったりと、新鮮だけど、何度も聴くには、ちょっとスタンダードじゃないな、的な演奏になってました。
 ここでの演奏は、キビキビとしていて、大胆な表現意欲にもあふれ、シューベルトへの愛情を思いきり表出したような活気と歌心にあふれたものです。

しかし、1991年、ECOと来日してシューベルト・チクルスを行ったとき、わたくしは、この曲を聴きましたが、それは、その改訂版ではなく、従来の版での演奏で、すごく安心し、かつ颯爽とした名演に酔いしれたものでした。

それともうひとつ、FM録音の自家製CDRで、88年のウィーンフィルとの演奏もあります。
こちらは、ムジークフェラインにおけるウィーンフィルの丸っこい響きが全面に押し出された、ウィーンのシューベルトという感じで、さらにライブで燃えるアバドならでは。
すごい推進力と、とてつもないエネルギーを感じます。
これはこれで、あの次期の充実しきったアバドらしい名演です。
これも正規盤にならないかな。。。

次のアバドの新譜は、なにが出てくるかな・・・・・

アバドの誕生日に。

 アバド誕生日 過去記事一覧

2006「チャイコフスキー ロメオとジュリエット、スクリャービン 法悦の詩」 

2007「ワーグナー ベルリン・ジルヴェスター・コンサート」

2008「ドビュッシー ペレアスとメリザンド組曲」

2009「マーラー 交響曲第1番<巨人> CSO」

2010「ブラームス 交響曲全集 1回目」

2011「シェーンベルク グレの歌」

2012「R・シュトラウス エレクトラ」

2013「ワーグナー&ヴェルディ」

2014「マーラー 交響曲第2番<復活> 3種」

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2015年1月30日 (金)

シューベルト 交響曲第8番「未完成」 アバド指揮

Hibiki

和と洋。

暖色系の明かりのなかに、すてきな仲間たちと過ごしました。

アバド・ファンの皆さまたちと。

暦の上では、もう1年。

中学生のときから43年間、ずっと追いかけてきた、わたくしにとっての兄貴的な存在だった、クラウディオ・アバドが、ちょっとそこまで、旅に出てから、ほぼ1年。

アバドの応援にかけては、日本一。
もしかしたら世界一かもしれないお方に知りあってから、わたくしの、アバド好きも、さらなる幅が広がり、多方面での仲間が増えました。

ありがとう、感謝をこめて、「コングラ」さま

Hibiki2

会場は、サントリーホールの近く。

これまで、マエストロ・アバドは、ウィーン、ベルリン、ヨーロッパ室内管、ルツェルンと、オーケストラをさまざまに変えて、この先にある、サントリー・ホールにやってきてくれました。

そこで飲み語る、このひとときは、集まったメンバー、それぞれの思いでとともに、感慨深いものがございました。

いつまでも、ずっと、ずっと、アバドのことだけを話していたかった、そんなメンバーだし、アバドを愛することにかけては、みんなが、それぞれに世界一のみんなでした。

 今宵は、放送音源から、「未完成」を。

    シューベルト  交響曲第8番 「未完成」

       クラウディオ・アバド指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団

                         (2013.8.23 @ルツェルン)


この音源は、BBCが、逝去の報を受けて放送したものを、録音したもので、あくまで個人のみで楽しんでいるものです。

2013年の最後のルツェルンのプログラムはふたつ。

 ①ブラームス       「悲劇的」序曲

   シェーンベルク   「グレの歌」から

   ベートーヴェン   交響曲第3番「英雄」

  ②シューベルト    交響曲第8番「未完成」

  ブルックナー     交響曲第9番


これらの演奏演目を携えて、その秋に日本訪問予定だった、アバド&ルツェルン。

その半年も経ないうちに、旅だってしまいました。

②のプロは、ヴァントが晩年に、何度もチャレンジした、それぞれの作曲家のラストを飾った未完演目でして、アバドが、こうして取り上げたことに、いろんな意味での符合と、宿命を感じます。

そして、いまは、一方で、わたくしが、心から愛するオーケストラ、神奈川フィルの首席客演指揮者で、親子でウィーンフィルのヴァイオリン奏者だったゲッツェルが、先ごろ、横浜・川崎・相模原で繰り広げた、最高の演奏の、その演目が、「英雄」と「ブル9」。
 第1ヴァイオリン奏者として、アバドやクライバーのもとで、演奏していたゲッツェル氏のお姿は、当時の映像を見ると、いくつか確認できます。
 そんな彼と、フレンドリーに、肩を抱きながら、お写真を撮っていただいたことも、むちゃくちゃ嬉しい、そんな1月の神奈フィルなんです。

ちょっと、脱線しましたが、アバドが旅立つまえの、最後の演奏の二つは、いずれも、正規に、目と耳で確認できるようになりましたが、「未完成」だけは、まだ公式化されてません。
 いずれの機会に、カップリング曲と合わせて、正規化されると思いますが、それまで待てない自分は、この「未完成」を、おりにふれ、聴いているんです。

あくまで、放送から、起こした音源ですから、自分の思い出の一環にのみとどめたいと思いますし、みなさまにおかれましては、いずれ実現する正規音源化をご期待いただきたいと存じます。

ふたつの楽章で、ほぼ28分。

かなり、ゆったりめのテンポをとりました。

とくに1楽章でしょうか。
慎重かつ、ドラマティックな運びは、完全なるロマン派の音楽としての、「未完成」を意識させます。
重々しくなりがちな、ロ短調ですが、重心は、ずっと上の方にあります。
続く2楽章とともに、表情は明るく、そして軽やか。
 

こんな風に、柔軟でしなやか、そして、全曲わたって、歌が行き届いてます。
ブルックナーにおいて、ほんの、ごく少し、力が抜けて感じたところは、ここでは、清らかとも思えるう「歌」によって補完されてます。

大らかでありながら、深さも充分に持ち合わせた、歌ある「未完成」。

アバドならではの、歌うシューベルト、今宵も、昨日のことなど思い起こしつつ、堪能いたしました。

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2014年4月 9日 (水)

アバド追悼演奏会 ルツェルン

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4月6日に行われた、ルツェルン春の音楽祭における、クラウディオ・アバド追悼演奏会。

日本時間、同日晩に、慎んでネット観劇いたしました。

こちらは、終演後の聴衆を映したもの。

このパンフレッウトだけでも、グッときてしまう。

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 シューベルト  交響曲第8番「未完成」 第1楽章

          ルツェルン祝祭管弦楽団

 ヘルダーリン  

          語り:ブルーノ・ガンツ

 ベルク      ヴァイオリン協奏曲

          Vn:イザベル・ファウスト

 

 マーラー    交響曲第3番 第6楽章

    アンドリス・ネルソンス指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団

                       (2014.4.6 @ルツェルン)


アバドの音楽への想いを集約したような選曲。

あと、ここに、モーツァルトとベートーヴェン、そしてブラームスとヴェルディがあれば完璧と思うのは贅沢で不謹慎すぎること。

ルツェルンのクンストハウスのホールの、あるじなしの指揮台。

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オーケストラだけで、演奏された「未完成」の第1楽章。
痛切すぎる、涙にぬれたような未完成は、聴いてて辛くなった。
コンマス(この人、名前が出てこない)が、大きな身ぶりで主導しつつも、各セクションは、アバドの指揮でもあったように、お互いに聴きあいつつ、目線を交わしながらの演奏。

次いでのヘルダーリンは、まったく不明、わかりません。
ガンツさんは、アバドとの共演歴も長く、CDやDVDでも多く一緒に出てます。

そして、ベルク。

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イザベルさんとのベルクは、先年、モーツァルト管とのライブが出たばかり。
CD音源での精度の高さには及ばぬものの、彼女の熱い思いを込めたベルクは、切実で、静かに始まりつつ、後半の憑かれたような演奏には、驚きと感動を禁じえませんでした。
きっと、アバドとの共演を、思い描きながら弾いていたのでしょう。

そのアバドへの想いが、とてつもなく、最高度に高まり、神々しくも、侵しがたい雰囲気にホール全体が包まれてしまったマーラー。

アバドが愛したマーラーの、しかも、「愛がわたしに語るもの」。

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追悼を通り越して、これはもう、クラウディオ・アバドという名伏しがたい存在に対する、人々の想いの昇華であり、彼を失ったことに対する、人々それぞれの想いの結実なのかもしれません。

観て聴いて、ずっと不条理に哀しんでいた自分のなかで、オケも聴衆も、等しく涙する姿で、ようやく一体感を持って、アバドとの現生の告別を済ませることができた気持ちです。

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いつもの金管セクション。
フリードリヒさん。
2006年の来日でのリハーサルで、マーラー6番で、見事ひっくり返った。
繰り返しでは、完全復調。
アバドに投げキッスをされて、顔を真っ赤にして、嬉しそうにしていたフリードリヒ。
いつも必ず、彼はアバドの指揮の時には主席を吹いてます!

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涙・・・・

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そして、涙。


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ルツェルン名物、楽員同士のハグも、今回は、涙。


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やむことのない拍手。

ネルソンスの頬にも涙。

そして、スタンディングの聴衆にも・・・・・

オーケストラが去ったあとも、拍手はずっと、ずっと、放送中、止むことはありませんでした。

あと、数日後に、アバド仲間のみんなとお会いする予定です。

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