カテゴリー「シューベルト」の記事

2019年1月 1日 (火)

シューベルト 交響曲第5番・第8番「未完成」   アバド指揮

2019

2019年、平成31年の始まりに。

今年は、御代替わりの年で、自分とほぼ同世代の天皇陛下がご即位される。

自分にとっても、こうして年を重ねてきて、感慨深い1年となりそうです。

かつて停止したこともありました。

いまでは自分の音楽の体験録ともいえるようなこのブログですが、14年目となる今年も、ゆっくりとですが、稚拙ながらの言葉を連ねてまいりたいと思います。

今年の1枚目は、まさかの新譜登場、アバドの若き日のシューベルトです。

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   シューベルト 交響曲第8番「未完成」

            交響曲第5番


   クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1971.5.31 @ムジークフェラインザール、ウィーン)


2018年に、突然登場したアバドの新譜ですが、実はこれ、わたくしはかつての昔に聴いていたのです。

音楽にひたすらのめり込んでいた高校時代。
FM放送の番組表をメインとするFMファンや、週刊FMを購読してましたが、NHKFMの番組表のなかに、アバドとウィーンフィルの「未完成」がプログラムのひとつにのってました。

「あれ? アバドとウィーンには、未完成のレコードはないはず?」
73年か74年だったかと思う。
完全なアバドファンだった自分は、アバドの録音のすべてを把握していたから、その当時、「アバドの未完成」の録音はない、というのが、当たり前の前提でした。

平日の昼時のレコードでのクラシック番組でしたが、運よく、テスト週間で早帰りで、疑心暗鬼で聴くことができました。
しっかり「アバドとウィーンフィルの演奏で」と放送されました。
 でも、当時より、アバドの全てを知っていたつもりのわたくしは、これは間違いだ、ベートーヴェンの8番とデータを取り違えているんだと思いつつ聴き、聴き終え、クリップスとウィーンフィルの演奏であろうということで、納得させた当時の自分でした。

でも、こうして、71年のオーストリア放送協会での録音の復刻を聴いてみると、時代的な裏付けもふまえても、きっとあのNHK放送は、この音源であったろうということを確信したのが、これを聴いた昨秋のことなどでありました。
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そう、ウィーン情緒を感じ取れる、まさにクリップス風の柔らかなシューベルト。

でも、ここにある歌心は、アバドの知的ななかにもあるイタリア心とも裏返しにあり、柔らかな中にも、劇的な局面も聴いてとれます。

「未完成」においては、遠い昔の自らの懐かしの記憶でありますミュンシュとクリップス、その間にあるような演奏だと、このアバド盤を聴いて思ったりもしました。

「第5」は、もう、ウィーンフィルのウィーンフィルである音色が満載。
CDのリブレットに、当時のオーケストラメンバーの一覧が掲載されてますが、をれを見ても懐かしいウィーンフィル。
いまや絶滅危惧種的と化した、オーケストラの個性的な味わいがここにあると聴いてとれました。
グローバル化したオーケストラの世界。
ウィーンフィルも例外でなく、70年代は、まだまだかつてのウィーンの音色を保ってました。
鄙びたオーボエ、柔和なフルート、甘味なクラリネット、もっこりしたファゴット。
ホルンも丸くて耳に美味。
そして琥珀の弦楽器は、ムジークフェラインの響きそのもの。
そして、歌、また歌のアバドの指揮。
あぁ、なんて美しいんだろう。

正月1日の朝から、耳のご馳走をたらふくいただきました。

もう帰ってこない組み合わせのシューベルトでした。
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本年もよろしくお願いいたします。

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2018年9月17日 (月)

元祖 8番はこれ!

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キバナコスモスの群生。

忙しい気象に、自然の猛威に、同じ自然の仲間の花々も、調子を乱しがち。

サイクルがみんな早くなってしまった。

 音楽界も、好まれる音楽、コンサートや劇場で取り上げられる作品、好んで録音され、CDも売れる作品、そのあたりの変遷が、ここ数年際立って変貌してきていると思われる。

ヴィヴァルデイから、バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルトまでは、古楽的な演奏様式が多くなり、通常のオーケストラスタイルでは取り上げられにくくなり、古楽に通じた指揮者がピリオド奏法を活用して、その任にあたったりするか、古楽オーケストラでしか聴けないような、そんな風潮。

常設のオーケストラコンサートの、メインは、いまや人気曲の常連、マーラーやブルックナー、R・シュトラウスを主体とする、20世紀以降の大規模かつ、自己主張の多い作品ばかり。
古典系の作品は、それらの前座を務めるばかり。

いまや、8番といえば、ドヴォルザーク、ブルックナーかマーラーが人気。

わたくしの時代では、8番は、ベートーヴェンとシューベルト。
ドヴォルザークでさえ、ちょっとあとからたしなみました。

そんな当時の8番には、これ!っていう定番がありました。
今日は、なつかしい、その定番を。

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ベートーヴェン 交響曲第8番 ヘ長調 op93

    ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮
              ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

             (1968年9月 ウィーン ゾフィエンザール)


 60年代、ウィーンフィル初のベートーヴェン全集の指揮者は、ハンス・シュミット=イッセルシュテット。
ドイツ本流の渋い指揮者を起用したデッカに感謝しなくてはなりません。
そして、日本では、8番の名演奏として広く知られるようになったのも面白いことです。
 キビキビとしたリズミカルな演奏に、慣れてしまったいまの耳には、とても新鮮に聴こえる構えの大きい演奏で、若い方には、逆におっとりとしたイメージもあるかもしれません。
でも、7番と9番とにはさまれた8番の存在意義を、音楽そのものの力で、ごり押しすることもなく、すんなりと聴かせてくれる。
そして、よくよく聴くと、いまもって高音質の録音のよさも手伝って、各楽器がそれぞれ見通し良くよく聞こえる。
バランスの良い、端正なこの8番の演奏の魅力は、あとウィーンフィルの音色にもあります。
60年代のウィーンフィルは、現在のスマートすぎるグローバル化したウィーンフィルよりも、適度に鄙びていて、木管楽器ののどかな響きなど、懐かしい思いにさせてくれる。
イッセルシュテットのベートーヴェンは、どの番号も均一に素晴らしいです。
1970年のベートーヴェン生誕200年の年に、読響に来演し、第9とミサソレを指揮してますが、第9を日本武道館で演奏するという驚きの企画でもありました。

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さて、ベートーヴェンの次はシューベルト。

  シューベルト  交響曲第8番 ロ短調 「未完成」

     ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィルハーモニック

              (1958年3月 ニューヨーク)

  
いまや、シューベルトの8番は、9番の「ザ・グレート」になり、「未完成」は、7番なんて風になったりしちゃったりで、ワタクシには、もうさっぱりわかりません。
ですから、ともかく、わたくしには、シューベルトの8番は断然「未完成」なのであります。
 「未完成」のわたくしの刷り込み演奏は、初めて買ったレコードがミュンシュ盤。
いまでも、一番好きな演奏のひとつですが、ずっと後になって聴いたのが、これも名盤といわれるワルター盤。
コロンビア響でなく、ニューヨークフィルであったことで、幽玄で、ほの暗いロマンティックな響きにおおわれていて、遠い昔の日々を懐かしむような想いにさせてくれる。
それでいながら、死の淵をかいまみるようなデモーニッシュな表現もあって、ワルターという指揮者は柔和なばかりでなく、そうマーラーの時代の人でもあって、いろんな新作を手掛けてきたオペラ指揮者であるといこともわかります。
 歌心と、厳しさと、その両方が2つの楽章の25分間にしっかりと詰まってまして、最後にはとても優しい気持ちになれるので、就寝まえの夜更けた時間にお酒でもくゆらせながら聴くのがよいと思います。

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このワルター盤、今持つCDは、同じシューベルトの5番とのカップリングですが、レコード時代は、「運命・未完成」の典型的な組み合わせの1枚でした。

どちらの8番も懐かしい~な。
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2017年4月13日 (木)

松尾茉莉 ヴァイオリン・リサイタル2017

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毎年、桜と同じ時期に満開のきれいな椿。

奥には、ぼんやりと、これまた満開の桜。

寒くて、春は一進一退の今年、先の週末は、雨ばかりの菜種梅雨。

ゆっくりと開いて、長く楽しめたのかもしれない今年の桜です。

そして、雨模様のその日曜日、久方ぶりのコンサートへ。

 実は、その前日は、神奈川フィルの、今シーズンオープニング定期公演で、その演目も、サロネンの「フォーリン・ボディーズ」という曲と、マーラーの1番という、ともに大規模編成のまばゆいコンサートで、大盛況だったそうな。

土曜が主体となった神奈川フィルだけど、わが方は、仕事が不芳だったり、その土曜も開けられなかったりすることが多くなり、ここ1年以上、聴けなくなってしまった。

この葛藤たるやいかばかりか。

そんな喝を癒してくれるかのようなコンサート。
しかも日曜だったので、行けました。

神奈川フィルのヴァイオリン奏者であります、松尾茉莉さん(旧姓・平井さん)のリサイタルに行ってきました。

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 松尾茉莉 ヴァイオリン・リサイタル 2017

   シューベルト ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第1番 ニ長調 D384

   モーツァルト ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 変ロ長調 K378

       サラサーテ ツィゴイネルワイゼン

   フランク   ヴァイオリン・ソナタ イ長調

            アンコール曲

   岩田匡史  「Mari」

   モンティ   「チャールダッシュ」~お楽しみアレンジ付き

         ヴァイオリン:松尾 茉莉

         ピアノ    :加納 裕生野

                            (2017.4.9 @鶴見区文化センター サルビアホール)


前半が、ウィーンの古典派の流れ、後半は、近代ロマン派のそれも民族派的な作品。
よきコントラストと、有名曲も配置した素敵なプログラムです。

フランクは、「ヴァイオリン・ソナタ」だけど、前半2曲は、「ヴァイオリンとピアノ」とのタイトルに。
それも、順序が違う。

そう、モーツァルトの時代は、ピアノが主役的な立場で、ヴァイオリンは随伴者的であったのが、「ヴァイオリン・ソナタ」のありかた。
ベートーヴェンも、そんなスタイルを踏襲したが、中期の「クロイツェル・ソナタ」あたりから、ヴァイオリンに明らかに主軸が移り、より劇的になり、完全に「ヴァイオリン・ソナタ」になった。

でも、ベートーヴェンのあとのシューベルトは、初期のソナチネでは、モーツァルトを思わせる、ピアノ中心スタイルに逆戻り。
でも、後年のシューベルトは、ちゃんとした(というのも変な言い方だけど)、ヴァイオリン・ソナタに行きついている。
しかし、そんなシューベルトのソナチネやソナタには、シューベルトならではの、「歌」の世界があふれていて、ピアノも、ヴァイオリンも、簡潔だけれど、麗しい歌が振り当てられている。

そんなシューベルトを、快活に、そして伸びやかに演奏したお二人。
冒頭から、息のぴったりとあった演奏を危なげなくスタートさせましたね。
聴いてて、とても気持ちのいいシューベルトでした。

そして、シューベルトからモーツァルトへ。
同じ「歌」でも、この時期のモーツァルトには、ギャラントな華やぎがある。
そして、可愛い。
あと、ふっと見せる短調の哀愁が、さりげなく散りばめられてる。
 柔らかなピアノがステキな加納さんに、天真爛漫の茉莉ちゃんのヴァイオリン。
いいモーツァルト、聴かせてもらった。

 後半は、いきなり「ツィゴイネルワイゼン」。
どこもかしこも有名。
でも、面と向かって聴くのは、ほんとに久しぶり。
哀愁とジプシー風な濃厚サウンドと超絶技巧。
バリバリと、でも心をこめて弾きまくってくれました。

最後は、大好きなフランクのソナタ。
この曲との出会いは、中学生の頃、クリスティアン・フェラスのEMIのテスト盤で、解説もなにもなく、曲のこともまったくわからず、聴きまくってた。
終楽章と激しい2楽章ばかりを中心に。
でも、歳を経ると、冒頭の楽章と、幻想的な3楽章が大いに気に入り、その交響曲と併せて、フランクの渋さと晦渋さを楽しめるようになりました。

さて、この日のお二人は。
MCで、とても好きな曲、とお話されてた茉莉ちゃん。
これまでの3曲と違う、落ち着きと、内省的な表現に心をさいて演奏している様子が、その音からも、充分にうかがうことができました。
色合いのそれぞれ異なる4つの楽章が、これほど身近に、眼前で、響きのいいホールでもって聴けることの幸せ。
 お二人とも、母になり、生活も内面も、一歩踏み出し、そして守り、愛し愛されるものを持った充足感。
ちょっと飛躍した想いかもしれませんが、人はこうして変化し成長してくんだなぁ、なんて風に思いながら聴いてました。
 自分を表現できる手段をお持ちの音楽家の皆さんが、羨ましくも思ったりした一日です。

アンコールは、オリジナル曲をほんわかと、それから、この日の4曲を、バラエティ豊かに取込み、鳥さんの小笛までも愛嬌こめて披露してくれた「チャールダッシュ」
エンディングは、フランクに回帰して、喝采のもとに、ステキなコンサートは終了しました。

鶴見は、いい居酒屋がいっぱい。

一杯ひっかけて帰りましたよ。

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ポテチの突き刺さった魅惑のポテサラと、紫蘇ジュース割りに、鳥わさ
   

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2015年6月26日 (金)

シューベルト 交響曲第9番「ザ・グレート」 アバド指揮

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ここは、わたくしのもっとも好きな場所。

自分が育った町と海を見下ろせる小高い山の上です。
 

どこまでも澄んだ青空、高い空、緑。

気持ちも、心も、飛翔するような気持ちになります。

あの高みに昇っていった、敬愛やまないクラウディオ・アバドの誕生日が6月26日です。

  シューベルト 交響曲第9番 ハ長調 D944

    クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

              (2011.9.19~25 ボローニャ、ボルツァーノ)


アバドの新譜が、こうして出てくることが、いつも通りに感じる。

マエストロからの、素敵な贈り物のように。

そして、いつも、アバドの新譜が出ると、喜々として手にして、封を開けるのももどかしく、そして、でも慎重にターンテーブルや、トレイに、ディスクを置いて、ワクワクしながら、その音を待ち受けてきた。
そんなことを繰り返しながら、もう45年も経ってしまった。

そして、つい先ごろ登場した、シューベルトの大交響曲。

2011年、いまから4年前のライブ録音で、若き手兵、オーケストラ・モーツァルトの本拠地ボローニャと、ボローニャから北へ220kmほどのボルツァーノという街、その2か所での演奏会のライブ録音です。
このときに、それぞれ演奏されたのが、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番と第27番で、ピアノは、ジョアオ・ピリスです。
そう、もうすでにCDになってるあの名盤です。

ボルツァーノについて気になったので調べてみました。

Bozen

オーストリア・アルプスを背に、国境も近く、地図で見ると、インスブルックやミュンヘンもそんなに遠くなく感じます。
アバドの生まれたミラノよりも北。
そして、このボルツァーノから、西へスイス国境を超えて向かえば、クラウディオが永久に眠る場所ということになります。
 アバドは、晩年は、ボローニャから北、このあたりからスイスにかけてを、ずっと愛していたのですね。
 イタリアは、日本と同じく、南北に長い国。
同じ国でも、北と南では、その気質も全然違う。
そんなことを、こうした地図を眺めてみて、よくわかることです。
 そう、アバドとムーティの違いなんかもね。

いつか、このあたりを旅してみたいものです。

Abbado_3

こんな美しい青空のとおりに、けがれなく、澄みきった透明感にあふれたシューベルト。

アバドの行きついた高みは、まるで無為の境地にあるようで、何もそこにはないように感じ、あるのは、音楽だけ。
シューベルトその人の顔すら思い浮かばせることもない。

どこまでも自然そのもので、音楽を愛し抜き、全霊を込めて信じたアバドの、いわば、なにごともなさざる指揮に、若いピュアな演奏家たちが、心を無にして従っただけ。

ただひとつ、晩年のアバドの様式として、古典ものは、ヴィブラートを抑えめに、表情もつつましやかに演奏することが多く、ここでも、弦楽器は、滔々と歌うというよりは、きめ細やかに緻密な歌い回しが目立ちます。
特に、第2楽章では、ヴィブラート少なめの弦が綾なす、繊細かつ敏感な音色が、静謐な響きと雰囲気を出していて、その得もいわれぬ場面に、わたくしは、涙ぐんでしまうのでした。

全楽章、繰り返しをしっかり行っていて、全曲で62分54秒。

堂々と、ロマン派交響曲として演奏される典型の第1楽章も、楚々たる様相で、足取りは着実かつ静か。
オーケストラのバランスも美しく、各楽器のやりとりが透けて見えるようで、聴いていて、いろんな発見があったりします。

リズム感は、さすがと思わせる3楽章。
伸びやかなトリオの大らかさは、アバドの笑顔が思い浮かびます。

そして、通常、大オーケストラでは、晴れやかかつ、歓喜にあふれた4楽章を描きだし、大団円としてのフィナーレとなります。
しかし、このアバドの指揮では、そんな風には聴こえず、ここでも淡々と、スコアをあるがままに鳴らし、そして室内オーケストラとしての機能性を活かし、響きは、どこまでも、緻密かつ透明です。
ふだん、大きなオーケストラでの演奏に聴きなれている方は、この終楽章には、もしかしたら、肩すかしをくらうかもしれません。
柔らかく、優しい眼差しと、微笑みでもって包まれるような、そんなアバドのシューベルトのフィナーレでした・・・・・。
 ここで、また涙が出てしまいました。

アバドには、もうひとつの正規録音、1987年のヨーロッパ室内管弦楽団との全集録音のものがあります。
こちらは、新シューベルト全集が、この曲までは、まだ刊行されていない年代だったので、アバドは、自筆譜と出版譜との照合を、当時のこのオーケストラ団員だったステファーノ・モッロと共同で行い、新たな解釈を施しました。
 結果、とくに、第2楽章では、オーボエの旋律が、いままで聴いたことのないフレーズになっていたり、強弱が、目新しいものになったりと、新鮮だけど、何度も聴くには、ちょっとスタンダードじゃないな、的な演奏になってました。
 ここでの演奏は、キビキビとしていて、大胆な表現意欲にもあふれ、シューベルトへの愛情を思いきり表出したような活気と歌心にあふれたものです。

しかし、1991年、ECOと来日してシューベルト・チクルスを行ったとき、わたくしは、この曲を聴きましたが、それは、その改訂版ではなく、従来の版での演奏で、すごく安心し、かつ颯爽とした名演に酔いしれたものでした。

それともうひとつ、FM録音の自家製CDRで、88年のウィーンフィルとの演奏もあります。
こちらは、ムジークフェラインにおけるウィーンフィルの丸っこい響きが全面に押し出された、ウィーンのシューベルトという感じで、さらにライブで燃えるアバドならでは。
すごい推進力と、とてつもないエネルギーを感じます。
これはこれで、あの次期の充実しきったアバドらしい名演です。
これも正規盤にならないかな。。。

次のアバドの新譜は、なにが出てくるかな・・・・・

アバドの誕生日に。

 アバド誕生日 過去記事一覧

2006「チャイコフスキー ロメオとジュリエット、スクリャービン 法悦の詩」 

2007「ワーグナー ベルリン・ジルヴェスター・コンサート」

2008「ドビュッシー ペレアスとメリザンド組曲」

2009「マーラー 交響曲第1番<巨人> CSO」

2010「ブラームス 交響曲全集 1回目」

2011「シェーンベルク グレの歌」

2012「R・シュトラウス エレクトラ」

2013「ワーグナー&ヴェルディ」

2014「マーラー 交響曲第2番<復活> 3種」

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2015年1月30日 (金)

シューベルト 交響曲第8番「未完成」 アバド指揮

Hibiki

和と洋。

暖色系の明かりのなかに、すてきな仲間たちと過ごしました。

アバド・ファンの皆さまたちと。

暦の上では、もう1年。

中学生のときから43年間、ずっと追いかけてきた、わたくしにとっての兄貴的な存在だった、クラウディオ・アバドが、ちょっとそこまで、旅に出てから、ほぼ1年。

アバドの応援にかけては、日本一。
もしかしたら世界一かもしれないお方に知りあってから、わたくしの、アバド好きも、さらなる幅が広がり、多方面での仲間が増えました。

ありがとう、感謝をこめて、「コングラ」さま

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会場は、サントリーホールの近く。

これまで、マエストロ・アバドは、ウィーン、ベルリン、ヨーロッパ室内管、ルツェルンと、オーケストラをさまざまに変えて、この先にある、サントリー・ホールにやってきてくれました。

そこで飲み語る、このひとときは、集まったメンバー、それぞれの思いでとともに、感慨深いものがございました。

いつまでも、ずっと、ずっと、アバドのことだけを話していたかった、そんなメンバーだし、アバドを愛することにかけては、みんなが、それぞれに世界一のみんなでした。

 今宵は、放送音源から、「未完成」を。

    シューベルト  交響曲第8番 「未完成」

       クラウディオ・アバド指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団

                         (2013.8.23 @ルツェルン)


この音源は、BBCが、逝去の報を受けて放送したものを、録音したもので、あくまで個人のみで楽しんでいるものです。

2013年の最後のルツェルンのプログラムはふたつ。

 ①ブラームス       「悲劇的」序曲

   シェーンベルク   「グレの歌」から

   ベートーヴェン   交響曲第3番「英雄」

  ②シューベルト    交響曲第8番「未完成」

  ブルックナー     交響曲第9番


これらの演奏演目を携えて、その秋に日本訪問予定だった、アバド&ルツェルン。

その半年も経ないうちに、旅だってしまいました。

②のプロは、ヴァントが晩年に、何度もチャレンジした、それぞれの作曲家のラストを飾った未完演目でして、アバドが、こうして取り上げたことに、いろんな意味での符合と、宿命を感じます。

そして、いまは、一方で、わたくしが、心から愛するオーケストラ、神奈川フィルの首席客演指揮者で、親子でウィーンフィルのヴァイオリン奏者だったゲッツェルが、先ごろ、横浜・川崎・相模原で繰り広げた、最高の演奏の、その演目が、「英雄」と「ブル9」。
 第1ヴァイオリン奏者として、アバドやクライバーのもとで、演奏していたゲッツェル氏のお姿は、当時の映像を見ると、いくつか確認できます。
 そんな彼と、フレンドリーに、肩を抱きながら、お写真を撮っていただいたことも、むちゃくちゃ嬉しい、そんな1月の神奈フィルなんです。

ちょっと、脱線しましたが、アバドが旅立つまえの、最後の演奏の二つは、いずれも、正規に、目と耳で確認できるようになりましたが、「未完成」だけは、まだ公式化されてません。
 いずれの機会に、カップリング曲と合わせて、正規化されると思いますが、それまで待てない自分は、この「未完成」を、おりにふれ、聴いているんです。

あくまで、放送から、起こした音源ですから、自分の思い出の一環にのみとどめたいと思いますし、みなさまにおかれましては、いずれ実現する正規音源化をご期待いただきたいと存じます。

ふたつの楽章で、ほぼ28分。

かなり、ゆったりめのテンポをとりました。

とくに1楽章でしょうか。
慎重かつ、ドラマティックな運びは、完全なるロマン派の音楽としての、「未完成」を意識させます。
重々しくなりがちな、ロ短調ですが、重心は、ずっと上の方にあります。
続く2楽章とともに、表情は明るく、そして軽やか。
 

こんな風に、柔軟でしなやか、そして、全曲わたって、歌が行き届いてます。
ブルックナーにおいて、ほんの、ごく少し、力が抜けて感じたところは、ここでは、清らかとも思えるう「歌」によって補完されてます。

大らかでありながら、深さも充分に持ち合わせた、歌ある「未完成」。

アバドならではの、歌うシューベルト、今宵も、昨日のことなど思い起こしつつ、堪能いたしました。

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2014年4月 9日 (水)

アバド追悼演奏会 ルツェルン

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4月6日に行われた、ルツェルン春の音楽祭における、クラウディオ・アバド追悼演奏会。

日本時間、同日晩に、慎んでネット観劇いたしました。

こちらは、終演後の聴衆を映したもの。

このパンフレッウトだけでも、グッときてしまう。

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 シューベルト  交響曲第8番「未完成」 第1楽章

          ルツェルン祝祭管弦楽団

 ヘルダーリン  

          語り:ブルーノ・ガンツ

 ベルク      ヴァイオリン協奏曲

          Vn:イザベル・ファウスト

 

 マーラー    交響曲第3番 第6楽章

    アンドリス・ネルソンス指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団

                       (2014.4.6 @ルツェルン)


アバドの音楽への想いを集約したような選曲。

あと、ここに、モーツァルトとベートーヴェン、そしてブラームスとヴェルディがあれば完璧と思うのは贅沢で不謹慎すぎること。

ルツェルンのクンストハウスのホールの、あるじなしの指揮台。

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オーケストラだけで、演奏された「未完成」の第1楽章。
痛切すぎる、涙にぬれたような未完成は、聴いてて辛くなった。
コンマス(この人、名前が出てこない)が、大きな身ぶりで主導しつつも、各セクションは、アバドの指揮でもあったように、お互いに聴きあいつつ、目線を交わしながらの演奏。

次いでのヘルダーリンは、まったく不明、わかりません。
ガンツさんは、アバドとの共演歴も長く、CDやDVDでも多く一緒に出てます。

そして、ベルク。

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イザベルさんとのベルクは、先年、モーツァルト管とのライブが出たばかり。
CD音源での精度の高さには及ばぬものの、彼女の熱い思いを込めたベルクは、切実で、静かに始まりつつ、後半の憑かれたような演奏には、驚きと感動を禁じえませんでした。
きっと、アバドとの共演を、思い描きながら弾いていたのでしょう。

そのアバドへの想いが、とてつもなく、最高度に高まり、神々しくも、侵しがたい雰囲気にホール全体が包まれてしまったマーラー。

アバドが愛したマーラーの、しかも、「愛がわたしに語るもの」。

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追悼を通り越して、これはもう、クラウディオ・アバドという名伏しがたい存在に対する、人々の想いの昇華であり、彼を失ったことに対する、人々それぞれの想いの結実なのかもしれません。

観て聴いて、ずっと不条理に哀しんでいた自分のなかで、オケも聴衆も、等しく涙する姿で、ようやく一体感を持って、アバドとの現生の告別を済ませることができた気持ちです。

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いつもの金管セクション。
フリードリヒさん。
2006年の来日でのリハーサルで、マーラー6番で、見事ひっくり返った。
繰り返しでは、完全復調。
アバドに投げキッスをされて、顔を真っ赤にして、嬉しそうにしていたフリードリヒ。
いつも必ず、彼はアバドの指揮の時には主席を吹いてます!

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涙・・・・

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そして、涙。


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ルツェルン名物、楽員同士のハグも、今回は、涙。


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やむことのない拍手。

ネルソンスの頬にも涙。

そして、スタンディングの聴衆にも・・・・・

オーケストラが去ったあとも、拍手はずっと、ずっと、放送中、止むことはありませんでした。

あと、数日後に、アバド仲間のみんなとお会いする予定です。

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2014年2月 1日 (土)

シューベルト 交響曲第3番 アバド指揮

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若い演奏家との共演を楽しんだアバド。

早くから、ECユース・オーケストラの創設に関わり、そちらのオーケストラとはザルツブルクでの78年ライブもCD化されてます。
 さらに遡ること73年の、英国だけの全英ユースオケを指揮したFM放送音源をわたくしは持っております。
このアバドの取り組みは、亡くなるまでずっとかわらなかった。

まさに、新時代のマエストロといっていいかもしれません。

そのECユースオケの出身者を中心に81年に、アバドによって結成されたのが、ヨーロッパ室内管弦楽団です。
 ロンドン響を卒業し、ウィーンとミラノを活動の中心に据えたアバドが、古典や現代ものを心置きなく指揮できたのが、この若くて機能的な室内オーケストラだったのです。

Chamber Orchestra of Europe(COE)のホームページには、アバドを偲んで、設立時の全体写真が掲載されてました。
いかにも、80年代風の雰囲気ですが、アバドの若々しいこと!

アバドとCOEには、素晴らしい録音がたくさん。
ハイドン、シューベルトの交響曲、ロザムンデ、ロッシーニの序曲や「ランス」「セビリア」、モーツァルトの協奏曲に「ドン・ジョヴァンニ」、シューベルト「フィエラブラス」、ウィーンモデルンでの現代もの、シェーンベルク・・・・充実した音源ばかりです。

そんな中から、やはりこのコンビはシューベルトでしょう。

Abbado_schubert

  シューベルト 交響曲第3番 ニ長調

   クラウディオ・アバド指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団

           (1987.8 @ワトフォードタウンホール、ロンドン)


交響曲全集として、一気に発売されたこの一組。

番号付きの作品に加えて、ヨアヒムの編曲したピアノデュオ曲をも取り上げ、さらに、オーボエ奏者で、研究家でもあったD・ボイドの校訂を経た、シューベルト自筆草稿の再現という意味でも話題を呼んだ全集だった。

全曲ともども、清々しい、若葉のような演奏ですが、なかでも曲のイメージとぴったりなのが、1~3番の、ちょっと地味で大人しい交響曲。
 アバドは、ほかのオーケストラでも若い頃から、この初期の交響曲をよく取り上げておりました。
高校・大学と、エアチェックマニアだったので、毎度古い音源ですが、ウィーンフィルとの1番は、いまでも大好きな演奏のひとつです。

シューベルトの3番といえば、カルロス・クライバーの「未完成」のB面なのですが、実は「未完成」より、その3番の方が、鮮やかなな身のこなしの痛快演奏でした。

アバドは、カルロスよりは、落ち着きがありますが、明るく駿馬のように駆け抜ける爽快感に溢れてます。
リズムは軽やかで、柔和なムードに満ちていて、溢れる歌心は、聴く人の心を解放し気持ちよくしてしまいます。
早過ぎるクライバーの2楽章に比べて、アバドのそれは、にこやかで、ほのぼのしてます。

 アバドの、あの人懐こい笑顔が偲ばれる、心やさしいシューベルトです。

Coe_abbado_japan


アバドとCOEは、日本には2度やってきました。

そのうちの1991年の公演のひとつを聴くことができました。

ペライアを独奏に迎えて、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲と、シューベルトの交響曲全曲を組み合わせたチクルス公演。
ちょうど、サントリーホール5周年にもあたってました。

わたくしが聴いたのは、ベートーヴェンの2番と、シューベルトの9番。

前から2列目、アバドを見上げるような位置で、その息遣いすら感じる席で。

ともかく、イキがよくって、ブラスが加わっても、全体の見通しがよくて、透明感あふれる小気味のいいシューベルト。
記憶は不確かですが、CDでは、2楽章のオーボエのフレーズがまったく聴きなれない風になっていましたが、この演奏会では通常のものだったような記憶があります。

そして、いまでも覚えてる終楽章の高揚感。
さらに、ベートーヴェンの2楽章における、ペライアの透明なタッチ。
ホール全体が、息を詰めて、そのピアノに集中しましたし、アバドが巧みにつけているのが、その指揮姿をみていて丸わかりのすごさでした。

粋なコンサートでした。

COEからは、アバドはベルリンの仕事が始まってから遠ざかり、変わりに、マーラー・ユーゲントを育て、マーラー・チェンバーへと注力していくこととなります。
COEは、変わって、アーノンクールや、クリヴィン、ハイティンクが主力として引き継いでいくようになりました。

Abbado_perahia

ふたりとも凛々しいです。

もう聴くことはできないコンビ。

アバドの本領は、室内オケとの、こんなコンサートにもあるのでした。

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2014年1月 8日 (水)

シューベルト ピアノ五重奏曲「ます」 ギレリス&アマデウスSQ

Azumayama_4

毎度の画像ですが、お正月の吾妻山は、相模湾を背景に菜の花が咲き誇っております。

春まで、この菜の花は一部頑張って、桜の花と華麗な饗宴を行います。

初夏にはつつじ、紫陽花、夏にはいち早くコスモス。

今日の名曲は、室内楽から、心弾むような素敵なメロディのこの曲を。

Trout_gilels_1jpg


  シューベルト ピアノ五重奏曲 イ長調 「ます」

         Pf:エミール・ギレリス

         Cb:ライナー・ツェペリッツ

   
         アマデウス弦楽四重奏団

    
                  (1975.8 @トゥルク、フィンランド)


シューベルトの音楽には、どこもかしこにも「歌」がある。

その朗らかな「歌」と裏腹に、どこか悲しい死の影のようなものも聴いてとれる。

でも、この「ます」には、ちょっと風変わりな編成ということもって、家族的な雰囲気も漂ってます。

1919年の秋口に書かれたこの作品は、オーストリア北部の町で鉱山業を営み、音楽を愛するアマチュア・チェリスト、パウムガルトナーさんの依頼によって書かれました。
ときに、シューベルト22歳。
その生涯は、あと9年しかありません。

昨日のショパンは、19歳の作品で、39歳の生涯。
モーツァルト35歳、シューマン46歳、メンデルスゾーン38歳。
早世の作曲家たちのなかでも、シューベルトは一番若くして亡くなり、そして、オールジャンルにわたったその作品数も非常に多い。

歌曲「ます」の旋律を第4楽章の主題として、変奏曲形式として、全体が5つの楽章に。
ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの編成。
だから、この曲は、低音域が厚みがあり、その分、ピアノの軽やかさと、高音域が引き立つように聴こえて、見事な5という数字のバランスを保っています。

Trout_1

「ます」の旋律は、まず弦楽だけで、優しく、親しみを持って奏でられます。

Trout_2


そして、第1変奏から、ピアノが登場。
弦が、さながら水のさざ波のように、たゆたう中、ピアノは、その中を泳ぐ鱒のように、ときにトリルを聴かせながら、気持ちよさそうにメインテーマを弾くのです。

こんな素敵な旋律と、その変奏の展開って、ちょっとないですよ。

歌の人、シューベルトに脱帽です。

きっと初演で、チェロを弾いたであろう依頼者のパウムガルトナーさんは、幸せな気持ちで、一家団欒のようにして、こお曲を楽しんだことでしょう。

ほかの4つの楽章も、みんな素敵ですよ。

思わず深呼吸したくなるような、みずみずしい第1楽章に、さわやかで、次々に転調していって微細にムードが変わる2楽章は、いつまでも浸っていたくなります。
快活なスケルツォの3楽章、陽気な終楽章でおしまい。

今宵の演奏も、ちょっと古めだけど、思い出の1枚。
高校生の時に、よく聴いたものです。
硬派なイメージのギレリスは、西側に出てきてDGに録音をたくさんし始めて、柔和さと、音の深い探求ぶりとで、実は凄いピアニストなのだということを痛感したものです。
ブラームスやモーツァルトの協奏曲に、ベートーヴェンのソナタなど。

アマデウスとのコラボレーションが、とても新鮮だったこの1枚。
全員が、生真面目にこの曲に取り組みながらも、どこか微笑みを絶やさす、まろやかな美しさにあふれた名演だと思います。
ベルリンフィルの名物コンバス奏者、ツェペリッツも嬉しい。

ブレンデルやペルルミュテールもよく聴いてきた1枚ですね。

Azumayama_5

こちら側の海は、三浦半島。

子供たちが寒いのに、薄着で元気に、縄跳びで遊んでいました。

お正月の光景です。

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2013年11月14日 (木)

シューベルト 交響曲第4番「悲劇的」 マリナー指揮

Yudepea

いきなり、いつになく食材にて失礼しますよ。

ビールはわかりますね。

そして、その相方は、落花生。

今が旬、冬には炬燵入って、ぬくぬくとして、落花生とみかんで、お茶。

こちらは、その落花生を煮た、「ゆで落花生」。

わたしたちは、それを「ゆでピー」と呼びます。

その落花生の最大の産地は、千葉県八街市。
その街に、うちの息子は通ってます。
そして、私のいま住むお家は、そのほぼ隣。

そもそも落花生は、中国から伝わり、日本で初の栽培地は、神奈川県大磯町。
いまでは大磯では、さほどではありませんが、より土壌が適した内陸の秦野市が、神奈川県の落花生の生産中心地。
それに次ぐのが、わたしの育った二宮町。

というわけで、わたしの人生には、落花生が着いてまわっているのです。

子供時代、学校から家まで、何軒も落花生屋さんがって、豆を炒る香ばしい匂いと、機械の音を毎日聞いて過ごしました。

Syoutou_daining

地鶏としめじ、にんにくの焼き物、自家製さつま揚げ。

これも肴に飲むんだな。

ゆで落花生とともに、こんな素敵なツマミで楽しめる店を渋谷でみつけてしまった。

学生時代を過ごした若者の街なのに、いつしか敬遠してた渋谷で、こんな大人も楽しめるお店を確保した喜びは、思わず、朗らかにシューベルトを聴きたくなる心境ですよ。

Schubert_marriner

  シューベルト  交響曲第4番 ハ短調 「悲劇的」

   サー・ネヴィル・マリナー指揮
     
       アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

                        (1981@ロンドン)


「悲劇的」というタイトル。
なんで悲劇的なんだろうと思う。
抒情性と優しさが、ハ短調という非劇の曲調に勝っていると思う。

なのに、なぜか、シューベルト自身が、この曲の完成後、「悲劇的」のタイトルを自ら冠した。

同じ「悲劇的」の名前を持つ身近な曲は、ブラームスの「悲劇的序曲」がニ短調、マーラーの交響曲第6番がイ短調。
シューベルトは、ハ短調で、思えばベートーヴェンのようでもあります。

それでも、悲劇的な様相は、マーラーがいちばん。
ついで、いつもいかつめらしいブラームス、そしてなによりも苦虫かみつぶしたベートーヴェンさんは、悲劇的というタイトルはないけれど、やたらと暗の部分でのマイナス嗜好がその音楽に現れてます。
もちろん、その半面の突き抜けた勝利や、明晰さが生きてくるのがベートーヴェンなのですが。

そして、われらがシューベルトは、自分が悲劇と思いつつも、その音楽の底には必ず、豊かな抒情に裏打ちされた優しさがあるものだから、決して暗くもないし、切実さもありません。
でも、どこかに死の影を見出すことにもなる。

そんな優しさと、陰りのあるシューベルトが大好きです。

そして、アバドとサヴァリッシュとともに、マリナーのこの交響曲演奏は、スマートできびきびとしつつ、英国的なノーブルな清々しさがありまして、こちらもとても大好きなのです。
陰りの部分は、ちょっと弱め。

第2楽章の滔々たる抒情の素晴らしさは、いつまでも浸っていたい、緩やかなる慈しみの世界です。マリナーのさりげなさが実にいい。
終楽章の、ちょっと不安を感じさせ、ちょっと先を急ぐかのような風情は、アカデミーの俊敏なサウンドが実によく生きてます。

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2013年7月 5日 (金)

シューベルト 交響曲第9番 ハイティンク指揮

Shiba_rose

茶色系のシックなバラ。

ちょいと調べたら「ジュリア」という品種だそうな。

なんか好きですよ、この色合いも。

今日聴くシューベルトの演奏にぴったりの感じ。

Schubert9_haiteink

   シューベルト  交響曲第9番「ザ・グレート」

 ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

                        (1975.@アムステルダム)


シューベルトのいまは、8番とも呼ばれる長大な交響曲。

やはり、第9番ハ長調「ザ・グレート」という名前こそが相応しい。

未完成の次にやってきたこの曲。

中学生の時に買ったワルターのレコードが、完全なる刷り込み演奏で、その優しく歌心にあふれた演奏が基準となっております。
以来数々聴いてきたけれど、ベームとジュリーニ、そしてハイティンクの3つがいまでも、わたくしの「グレート4」であります。

ところが、ハイティンク盤はCD初期に廉価盤化されたのみで、しかも文庫っぽいジャケットで、手が出ぬままに、そちらが廃盤久しく、CDとしては89年に一度出たっきり。
ハイティンクのもう1枚のシューベルト、5番と8番も同じ運命。
76年に発売された、ハイティンクのシューベルトシリーズは、天使の無垢な教会内の彫像がジャケットとしてあしらわれていて、とても美しく、シューベルトらしい雰囲気が出ているものだった。
こちらが宝物のようにしている、そのレコード・ジャケットです。

そして、先日、もう何年も探していたかつての廉価盤を、某中古ショップにて見つけました。
ドキドキしました。
すぐに手にとり、ウソだろ!とつぶやいてました。
価格も驚きのワンコイン。しめしめとばかりに、人に見られないようにこっそりレジへ急行。
思えば、隠れる必要はないのですが・・・・・。

レコードを聴ける環境でないので、もう35年ぶりぐらいに、聴いた「ハイティンクのザ・グレート」。
もう、もう、涙が出ましたよ。

なんて美しいんだろ。なんて立派なんだろ、そしてなんて無為無策のように何もせずして、こんなる音楽的なんだろ。
レコードで聴いたときから思っていたこと。
まるで、スルメのように噛めば噛むほど味わいが増す音楽であり演奏。
繰り返しなし、ほぼ50分の遅滞ないテンポは、推進力とともに、いじらしいぐらいにさりげない歌にあふれていて、第2楽章の中間部の切実かつ壮絶な響きと、そのあとにくる優しい、心の襞をそっとなぞるような流麗な美しい展開。
もうこれこそが天国的でありましょう。
ハイティンクがワルターに近づいた瞬間だと思いました。

そして、毎度のことながら、コンセルトヘボウにおけるフィリップス録音の芯がありながらマイルドで空間が響きで埋まる瞬間をとらえた鋭敏かつ雰囲気豊かな録音。
この録音と、コンセルトヘボウという稀有なオーケストラ有機体が音の上でも表裏一体になっていることを強く認識できます。
日本に何度もやってきたこのコンビを、学生時代に聴くことができなかったのが残念ですが、放送を通じ聴いた響きは、驚くべきことに、これらのフィリップス録音と同じものだった。
指揮者・オーケストラ・レーベルが三位一体となった存在の結果なのだと痛感します。

加えて、ハイティンクは70年代ロンドン・フィルハーモニーの指揮者も兼務するのですが、LPOもコンセルトヘボウ的な音色を一時出していたと思います。
その後、ショルティやテンシュテットとなって失われてしまった、くすんだヴェルベット・トーンです。

全曲、どこをとっても素晴らしい、これはハイティンク&COAの大傑作ではないかと思います。
何度も繰り返し聴いた大学・社会人初期のころの印象と寸分たがわず同じでした。
馥郁たるシューベルト。
リズムのよさも、もたれないテンポ感も、冒頭のホルンの瑞々しさも、オーボエのメランコリーも、終楽章の着実なフィナーレも、すべてにおいて最高でした。
昨日2回、今日も2回聴いてます。

明日もハイティンク&コンセルトヘボウ。

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