カテゴリー「フランス音楽」の記事

2022年4月30日 (土)

フォーレ レクイエム A・ディヴィス

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桜満開のときの小田原城。

ライトアップされた城と桜を見てきました。

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高校時代を小田原で過ごしたけれど、お城に登城したのはほんの数回。
むしろ幼稚園や小学校の時の方がよく行っていた。
学校が終わると、音楽が早く聴きたくてお家にまっしぐらだった。

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いまや、観光地となった小田原だし、箱根の玄関口として訪れる方もたくさん。

小田原といえば、みなさん海鮮やおでんということになりますが、たしかにそれらは美味しいけれど、城下町グルメはういろうという和菓子とあじの干物に、かまぼこ。
あと、自分の思い出はレトロな昭和のデパートと喫茶店、そこで食べたホットドッグ。
そして「名曲堂」という名のレコード店。
レコードは名曲堂と、ナックというショッピングセンターにあったレコード店。

フォーレレクイエム

これほどに優しく、心の空白感や喪失感をなだめてくれる音楽はない。
と同時に哀しくないときも、心の平安を呼び覚ましてくれる音楽。

フォーレの音楽は、多くは室内楽作品やピアノ、歌曲などに佳作が多いが、いわゆるフランス音楽的なエスプリとともに、どこか没頭感のある陶酔してしまうようなパッションのようなものも感じる。
フランスはラテンなのだ。

昨今のフランスという国をみているとつくづくと思う。
植民地統治の名残から他民族国家でもありつつ、熱いパッションは変わらない。

一方で、何年か前にノートルダム寺院が火災にあったとき、フランスの人々の悲しみや喪失感を見たときに、カトリック教徒としての熱き信仰心あふれる姿も見ました。
真摯な祈りが基調の音楽は遠くルネサンス期からバロック期までさかのぼり、営々としていまにいたるまで優美ななかに感じ取ることもできると思います。

滋味にあふれるフォーレ独特の陶酔感があふれるレクイエム。

人が無意味に亡くなりすぎる悲しみの連鎖。

フォーレを無性に聴きたくなり、ニュートラルで優しいアンドリュー・デイヴィスの若き頃の演奏で聴く。

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  フォーレ レクイエム

    S:ルチア・ポップ

    Br:ジークムント・ニムスゲルン

 アンドリュー・デイヴィス指揮 フィルハーモニア管弦楽団
                アンブロージアンシンガーズ

       (1977.7 @オール・セインツ教会)
  ※ジャケット画像は借り物です

いまや、英国音楽界の重鎮となったサー・アンドリュー。
指揮活動も50周年を数年前に迎え、コンサートとオペラに味わいのある演奏をいくつも残してます。
地味な印象が先行しがちですが、はったりのない誠実な演奏が、作品の本質を素直に引き出し、大いなる感銘を与えることもしばしです。
昨今の英国音楽の貴重な録音の数々は、ヒコックスやハンドレー、B・トムソン亡きあと、貴重な存在であるとしかいえません。
英国人ではないですが、現BBC響の指揮者としてその任期も延長したサカリ・オラモ、ブラビンス、ウィッグルワース、ジョン・ウィルソンらとともに私の信頼する英国音楽の担い手であります。

ことさらに、多くを語らず、優しい語り口でそっと素直につぶやいてみたような演奏。
イギリスのオケと合唱であることも多弁にならずにいい。
このコンビで、数年前にはデュリュフレのレクイエムの名演も録音している。

のちに、ウォータン歌手となりニムスゲルンも、ここではアクの強さは控えめに、柔らかな歌唱に徹していて好感が持てる。
あとなんといっても、ルチア・ポップの楚々たる、ほどよき甘き歌い口。
ポップの声が大好きな自分にとって、まさに天国からの歌声に聴こえる・・・・

前にも書いたが、人は死ぬ時に、麻薬の症状にも似た、体を麻痺そして高揚させる何かを分泌するとかいうことを読んだことがある。
美しく平安に満ちて亡くなるご尊顔が多い。
神様がすべてを解き放つように仕向けてくれるのだろうか。

フォーレの美しすぎるレクイエム。

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あざといぐらいの色合いのイルミネーションで城門もあでやか。

でも桜は、こんなふうに鮮やかに脚色しても美しい。

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何十年かぶりに、子供時代、青年時代を過ごしたエリアで暮らすようになった日々。

思い出の連鎖はやはりとどめようがない。

さまよえる自分はここにとどまり、終止符を打つのだろうか・・・・

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2020年12月12日 (土)

アーン 「クロリスに」 スーザン・グラハム、ヒル、プティボン

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晩秋から初冬。

関東の南は、いまどきが秋が急速に終わりを告げ、冬の足音が聞こえたと思った瞬間に人々は寒さを実感し、秋は彼方へ追いやられる。

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  レイナルド・アーン 「クロリスに」

      Ms:スーザン・グラハム

    ピアノ:ロジャー・ヴィニョールズ

      (1998.1.16~19 @NY)

あまりに有名な、そしてあまりに美しいこの歌。

落葉の季節に、その写真とともに、ずっと記事に残そうと思ってもう何年も経ってしまった。

2008年のパトリシア・プティボンのリサイタルで聴いてから、私の脳裏に刻まれた歌、そしてアーンという名前。

アーンの歌曲集はいくつかあるけれど、選曲もよく、たくさん聴けるのがスーザン・グラハム盤。
アメリカ生まれのメゾ、スーザンは、フランスものが得意で、そのニュートラルでくせのない声は、清潔でストレート、とてもクリアーです。
力強さも持ち合わせていて、ベルリオーズの「トロイ人」では圧倒的なディドーを歌っておりました。

レイナルド・アーン(1875~1947)は、ドイツ系ユダヤ人の父と、バスク人の母を両親にベネズエラのカラカスに生まれました。
父親が外交官だったためですが、3歳のときにパリに移住してますので、ベネズエラは生を受けた地という以上のものはなく、ユダヤとバスクの血を引くフランス人といってよいでしょう。
交響曲を除く、広範なジャンルに作品を残し、歌曲は一番多く、オペラもいくつかあるようで、これから聴いてみたいと思ってます。
管弦楽作品を集めた1枚も持ってますので、いつか取り上げたいとも思います。
まさに、フランスのベル・エポック(よき時代)を体現したような世代であり、その素敵な音楽なのであります。

16~17世紀に活躍した詩人・劇作家、テオフィル・ド・ヴィヨーの詩による作品で、20のメロディーのなかからの1曲。
愛する恋人に語りかける優しい、夢見るような曲。
詩の内容は、ネットにたくさん出てますのでご覧ください。

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     T:マーティン・ヒル

  ピアノ:グラハム・ジョンソン

     (1981.11.27  @ロンドン)

テノールで、しかも繊細な英国テノールが歌うアーン歌曲集。
こちらの「クロリスに」も誠実で、折り目正しいフランス語の発声も美しい。

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    S:パトリシア・プティボン

  ピアノ:スーザン・マノフ

     (2013.9 @ベルリン)

英米の歌手たちによるアーンのあと、フランス語を母国語とする歌手プティボンの歌で聴くと、その美しい語感と、言葉への感情移入の違いを感じ取れます。
前2者から聴いてくると、濃厚な歌ともとれますが、そこは蠱惑のプティボン。
頭脳的な歌唱も感じられ、やはりワタクシには魅力的なのでありました。

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12年前のリサイタルでは、この曲をコンサートの冒頭に歌いまして、一挙にホールをフランスの香りで満たしてしまったものでした。

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早朝の外苑前を散策。

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このあと、神宮球場、新国立競技場を横切って、明治神宮まで歩きました。

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2020年8月 2日 (日)

麗しき組曲たち

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ようやく梅雨が明け、まぶしい日差しが戻ってきました。

さっそくに、窓外に劇的な夕暮れが展開しました。

長かった、ほんと長かった雨の日々で、首都圏では7月で雨の降らない日は1日しかなかったとか。

気持ちのいい、短めの組曲たちをテキトーにチョイスして聴きましたよ。

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  ドビュッシー 「小組曲」

   ジャン・マルティノン指揮 フランス国立放送管弦楽団

        (1973 @パリ)

ブログ初期にも取り上げたこの作品に、この演奏。
アンセルメの音源にしようかと思ったけど、行方不明に。
初期のピアノ連弾作品を、アンリ・ビュッセルが編曲。
「小舟にて」「行列」「メヌエット」「踊り」の4曲は、後年のドビュッシーにはない、若々しさとシンプルながらに、いとおしいくらいの優しさがあります。
ことに「小舟にて」のフルートは、きわめてステキであります。
おフランスのエレガンスさ、そのものにございます。
 この録音の頃は、まだ放送局のオーケストラ名となっていたのちの国立菅。
ラヴェルもパリ管だけでなく、こちらのオーケストラとも録音して欲しかったマルティノンさんでした。

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 ビゼー 小組曲「子供の戯れ」

  ダニエル・バレンボイム指揮 パリ管弦楽団

       (1972.10 @パリ)

もうひとつ、フランスから、今度はパリ管で。
ドビュッシーの「子供の領分」のカプレ編曲のオーケストラ組曲があるが、子供好きだったビゼーも、ピアノ連弾用に12曲からなる組曲があって、そこから5曲を選んで、自らオーケストレーションをしたのが、この小組曲。
「ラッパと太鼓」「子守歌」「コマ」「かわいい夫とかわいい妻」「子供の舞踏会(ギャロップ)」の5曲。
子供をモティーフした作品らしく、元気ではつらつ、そして夢見るような雰囲気にもあふれた各曲です。
「子守歌」の優しい美しさ、「かわいい夫婦」はとってもロマンティックであります。
「ギャロップ」はもう踊りだしたくなるリズムにあふれた曲で、あのハ調の交響曲の終楽章にも通じる爆発的な明るさもあり!
 若きバレンボイムとパリ管も弾んでます!

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     グリーグ 抒情組曲

  レイモンド・レッパード指揮 イギリス室内管弦楽団

       (1975年 @ロンドン)

画像は借り物ですが、やはりこの風景じゃないと、この曲は。
このグリーグの組曲も、元は同名のピアノ作品で66曲もあって、さすがに全部は聴いたことはないけれど、ギレリスやアドニのピアノでかつてよく聴いてた。
グリーグが選んだ4曲は、「羊飼いの少年」「ノルウェーの農民行進曲」「夜曲」「小人の行列」。
この作曲家ほど、北欧の、それもノルウェーの自然風土そのものを感じさせるものはありません。
哀愁と孤独感にあふれた「羊飼いの少年」、一転して、民族調の「農民行進曲」だけど、こちらもどこか寂し気で空気がとても澄んで感じる。
そして、この組曲で一番好きな「夜曲」。
まさに幻想と夢幻の合混じるえもいえない美しき音楽で、レコード時代、ジョージ・ウェルドン指揮のロイヤルフィルの演奏で、この曲を、お休み前の1曲で、聴いてから寝るということが多かった。
NHKの名曲アルバムでも、北欧の街とともにこの曲が紹介されていた。
 この夢から引き戻されるような、ユーモアあふれる「小人の行進」ですが、中間部がまたグリーグならではです。
昨年、92歳で亡くなったレッパードは、チェンバロ奏者でもあり、バロック系の指揮者とのイメージもありましたが、グリーグを得意としてました。
手兵のイギリス室内管とともに、いくつものグリーグ作品を残してくれましたが、いずれもクールさと明晰、繊細な演奏で好きです。
晩年は、アメリカのインディアナポリス響の指揮者も務めていて、廃盤も多いので、この際、見直しをはかりたい指揮者でもあります。

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  シベリウス 「カレリア」組曲

 サー・マルコム・サージェント指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1961年 @ウィーン)

フィンランドの大民族叙事詩「カレワラ」の伝承地が「カレリア」という地で、その地にある大学から英雄伝説を物語にした野外劇の付随音楽の作曲依頼を受けて書かれた作品。
ここから3曲を抜き出した簡潔な組曲がこちら。
「間奏曲」「バラード」「行進曲」の3つで、あまり有名ですな。
基調は、いずれも明るく、屈託なし。
自然の描写そのもだったグリーグに比し、強国ロシアにさいなまれ続けたフィンランドにエールを送るような音楽なのです。
でもフィンランドの厳しい自然も「バラード」では感じさせます。
 サージェントとウィーンフィルという思いもよら組合せが生んだシベリウス。
この録音のあと、ウィーンフィルはマゼールと交響曲を全部録音することになります。
マゼールよりウィーンフィルの魅力がより出ているし、「エン・サガ」などは、シベリウスの神髄が味わえる。

ちなみに、いま「カレリア」地方は、ロシアに編入されて、カレリア共和国として連邦のひとつになってしまってます。
フィンランドの一番東側です。
かつてのソ連も、いまのC国の姿と同じでありますな・・・・

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  コルンゴルト 「ロビンフッドの冒険」組曲

   アンドレ・プレヴィン指揮 ピッツバーグ交響楽団

         (80年代 @ピッツバーグ)

このCDは、この演奏ではありません。
コージアン&ユタ響の全曲盤でして、イメージのために掲載。
いずれこの1枚も取り上げるかもしれません。

で、プレヴィンのピッツバーグ時代のこの演奏は、ピッツバーグ響の放送アーカイブから録音したもので、プレヴィンはこの作品の正式な録音は残さなかったはずです。
ご存じの通り、アメリカに逃れたコルンゴルトは、ハリウッドで数々の映画のために作曲をし、その数、18作にものぼります。
「ロビンフッド」は、1938年の作品で、この音楽でコルンゴルトは自身2度目のアカデミー作曲賞を受賞。
この映画音楽から4つの場面を抜き出したのがこちらの組曲で、「古きよきイングランド」「ロビンフッドと彼の楽しい仲間たち」「愛の場面」「闘い、勝利とエピローグ」の4曲。
血沸き、肉躍る、までとは言えないまでも、スクリーンを脳裏に浮かべることができるほどに写実的で、まさに活劇の音楽でもあります。
20年前にウィーンで書いた「スルスム・コルダ」というオーケストラ作品から転用されていて、登場人物たちはライトモティーフで描きわけられているので、非常にわかりやすい。
その「スルスム・コルダ」とは、「心を高く」というような意味合いで、キリスト教初期の典礼句のひとつ「主を見上げ、心を高く」というところから来ております。
まさに、ロビンフッドという勇敢な、ある意味ヒーローに相応しい意味あいをもたらす点で、ここに転用したのかもしれません。
あと、「愛の場面」では、濃厚ロマンティックなコルンゴルトサウンドが満喫できます~

Previn

 ピッツバーグ時代のプレヴィン。
当地の放送局には、プレヴィンやヤンソンス、マゼールらの放送音源がたくさんあるはずなので、なんとかなりませんかねぇ。

Teachers

夏来りて、気分よろしく、スコッチウイスキーをちょびっと。

でも盆明けには秋来ちゃうかも。
失われた7月の夏は大きい。

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2018年2月11日 (日)

ラヴェル 「ダフニスとクロエ」 小澤征爾指揮

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海と月。

いまさら1月のスーパームーンの写真ですいません。

こういう光景に、ドビュッシーとかラヴェルの音楽を思い起こしてしまう、音楽好きのサガ。

Ravel_ozawa

  ラヴェル バレエ音楽「ダフニスとクロエ」

     小澤征爾 指揮 ボストン交響楽団
           タングルウッド音楽祭合唱団

                (1973.10 ボストン)


アバド、メータときて、70年代の若手三羽がらす、小澤さんのラヴェル。

当時の3人の写真、いや、実際に自分の目で見た3人は、とても若くて、とてもアクティブで、指揮姿もダイナミックだった。
でも、3人のうちの二人が病に倒れた。
復帰後の活動は縮小したものの、より深淵な音楽を聴かせてくれるようになった。
でも、亡きアバドも、小澤さんも、痩せて、すっかり変わってしまった。

そんななかで、メータはひとり、大病もせず、ふくよかさは増したものの、風貌からするとあまり変わらない。
カレーのパワーは大きいのだろうか・・・

雑談が過ぎましたが、「小澤のラヴェル」。
1975年、高校生のときに単発で「ボレロ」の1枚が出て、そのあと一気に4枚組の全集が発売されました。
ラヴェル生誕100年の記念の年。
高値のレコードは眺めるだけでしたが、その年、もうひとつの手兵だったサンフランシスコ響を率いて凱旋し、ダフニスとクロエ全曲をメインとする演奏会が文化会館で行われた。
前半がP・ゼルキンとブラームスの2番で、アンコールはピチカートポルカ。
テレビ放送され、食い入るように見たものでした。

あと思い出話しとして、当時、小澤さんのコンサートを聴くために、新日フィルの定期会員になっていて、ラヴェルが多く演奏され、ダフニスも聴いております。
小澤さんの指揮する後ろ姿を見ているだけで、そこに音楽がたっぷり語られているようで、ほれぼれとしていた高校・大学生でした。

小澤さんのラヴェルは、こちらの70年代のものだけで、再録音はなく、その後はオペラしか録音していないので、貴重な存在。

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抜群のオーケストラコントロールで、名門ボストン響から、しなやかで、美しい響きを引き出すとともに、ダイナミックな迫力をも感じさせる若さあふれる演奏。
ボストンの時代が、自分には親しみもあるし、後年の落ち着き過ぎたスマートすぎる演奏よりは、熱さを感じる点で、より本来の小澤らしくで好き。
だって、「燃える小澤の」というのが、当時のレコード会社のキャッチコピーだったんだから。
まだまだミュンシュの残影が残っていたボストン響。
精緻さと豪胆さを兼ね備えていたミュンシュの魂が乗り移ったと言ったら大げさか。
それに加えて、俊敏なカモシカのような、見事な走りっぷり。
「海賊たちの戦い」の場面のド迫力を追い込みは見事だし、なんたって、最後の「全員の踊り」のアップテンポ感は興奮させてくれる。
 こうした熱き場面ばかりでなく、冒頭から宗教的な踊りにかけての盛り上げの美しさ、そして当然のごとく、そして、ボストン響の名技が堪能できる夜明けとパントマイムも端麗。

30~40代の颯爽とした「小澤のラヴェル」、ほかの曲も含めて堪能しました。

小澤さんのボストン就任の前、DGはアバドとボストンと「ダフニス」第2組曲を録音しましたが、そちらの方が落ち着いた演奏に聴こえるところが面白い。
もちろん、アバドも歌にあふれた美しい演奏です。
アバドが亡くなったとき、ボストン響はのメンバーがアバドの思い出を語っている様子が、youtubeで見れます。
アバドのボストン響客演は、そんなに多くはありませんが、80年代まで続き、シューマンの4番や、マーラーの2、3番など、魅力的な演目がありました。
どこかに録音が残っていないものでしょうか。

アバド、没後4年にあわせて、70年代のメータと小澤も聴いてみました。

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2016年1月11日 (月)

ラヴェル 「ラ・ヴァルス」 ブーレーズ指揮

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1月2日、日の出から間もない、吾妻山山頂。

いつもの帰郷は、今年は川崎大師は行かなかったけれども、この晴れやかな山頂と、箱根駅伝での母校の目覚ましい活躍に、日頃の鬱憤が吹き飛ぶような想いを味わったものでした。

最近、更新が滞りななか、年始からのシリーズ造りとして、ウィーンをモティーフにしたワルツ。
そんなテーマを考えておりました矢先。

ピエール・ブーレーズの逝去の報が、飛び込んでまいりました。

90歳という年齢でしたが、常に、ハルサイを指揮し、自作も次々に作り上げる、圧倒的なパワーの持ち主に、終わりはない、と思いこんでおりました。

その突然の死去に、自分にとって、ブーレーズといえば、コレ!
という曲を、まずは、聴いて、記事にしてみました。

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          ラヴェル  ラ・ヴァルス

   ピエール・ブーレーズ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

                           (1974 NY)


わたくしが、ブーレーズを聴いたのは、クリーヴランドとのCBSハルサイからで、セルとともに来日した1970年の大阪万博の年だった。

作曲家であり、指揮者としても、近現代と前衛しかやらない、気難しい人との認識が、まず埋め込まれました。

そして、1974年、ニューヨーク・フィルの指揮者として、バーンスタインとともに再度来日。
この時、高校生のわたくしは、文化会館で聴くことができました。
プログラムは、マイスタージンガー前奏曲、メンデルスゾーン・イタリア、クルクナー・管弦楽のための音楽、ペトルーシュカ。
こんなユニークな演目で、いま思えば、ブーレーズのメンデルスゾーンなんて、極めて貴重なものでしたし、これらの曲を、70年の来日のときの写真で見て知っていた、気難しい顔のブーレーズが、腕っこきのNYPOの面々を前に、にこやかに指揮していたのでした。

バイロイトのDG「パルシファル」、CBSから出たNYPOとのワーグナー曲集なども聴き、バイロイト100周年の記念のリングの指揮者に抜擢されたブーレーズに、ワーグナー指揮者として、大いに期待をしたのも、そのすぐあとのこと。

さらに75年に、BBC響とともに来演し、NHKがそのすべてを放送してくれたものだから、ブーレーズのにこやかさ、プラス、本来の、とんがった姿をまざまざと体感できたのでした。
そのときは、自作や、ベルリオーズ、ドビュッシー、ラヴェル、バルトーク、ストラヴィンスキー、マーラー、シェーンベルク、ウェーベルン、ベルクなど、まさに、ブーレーズの顔とも呼ぶべきレパートリーの、オンパレード。
いまだに、当時のエアチェック音源は大切なコレクションとなってます!

そして、76年のバイロイト・リング。
ここからの5年間は、ブーレーズ自身も、さらの演出家シェローのリングとの格闘です。
年々、向上する演奏の質。
ぼろぼろだった初年度と、録音に残された最終年度とでは、演奏の精度と出来栄えには、雲泥の開きがありました。

演奏家としてのブーレーズの凄さを、まざまざと感じさせたのは、実は、このバイロイト・リングでした。

その後の、ブーレーズの亡くなるまでの40年の歩みは、そのすべてを聴いてはおりませんが、概ね、70年代に成し遂げたことの、正確かつ、緻密な繰り返しではなかったでしょうか。
その証左として、2004年のバイロイトでの再度の「パルシファル」で、60~70年代の演奏と変わらぬ鋭さと、新鮮さを保っていたし、何度も指揮をしたハルサイも、若き日のフランス国立放送のものより、ますます若々しくなっていったのを聴くことができました。

作曲家としての評価は、ワタクシは疎い分野なので、言及はできませんが、今後は、バーンスタインの作品のように、多くの演奏家に取り上げられ、スタンダートと化してゆくものと思います。

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クールで正確無比なラヴェルを聴きながら、そう、まさに冷たいうえに、輝くような響きを持ったブーレーズの演奏で、その逝去を偲びたいと思います。

ピエール・ブーレーズさんの、魂が永遠でありますように、ここのお祈り申し上げます。

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1月2日の日の出。

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朝一番の日差しを浴びた水仙。

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2015年6月16日 (火)

サン=サーンス 交響曲第3番「オルガン付き」 ロト指揮

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梅雨来たれども、首都圏は、中休み多し。

そして、雨でも、晴れでも、曇りでも、気温は高く、湿気が多い。
しかし、スポット的な豪雨や、九州の大雨は心配です。

 花々の咲きごろを、人間がコントロールしてしまう商業用のお花屋さんですが、野辺の花々は、あくまで、異常気象といえども、自然のままにあって欲しいもの。

音楽の演奏スタイルも、ゆっくりとですが、変化しつつあり、そして、それはそのまま多様化へとつながってます。
 そして聴き手も、さまざまなあり方で、受容の多様化を生んでますね。

楽器の仕組みそのものの問題は置いておいて、いまや、世界のオーケストラは、指揮者の要望に応じて、好むと好まざるをえずして、ピリオド奏法・ヴィブラート少なめの演奏スタイルを供出しなくてはなりません。
 それが、指揮者によっては、虚しい結果を呼ぶことともなりますが、いまや、ルネサンス・バロックを指揮する人が、同じコンサートのなかで、古楽ジャンルの音楽とともに、近現代音楽を普通に取り上げる、そんな世の中になってきたのです。

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  サン=サーンス 交響曲第3番 ハ短調 op78 「オルガン付き」

    フランソワ=クサヴィエ・ロト 指揮 レ・シエクル

              オルガン:ダニエール・ロト

             (2010.5.16@サン・シュルピース教会、パリ)


先日に、愛する神奈川フィルの圧倒的だけど、繊細かつ自在な演奏で、この曲を楽しみました。

オルガンが堂々と入ることで、この交響曲は、華々しい演奏効果を生み出す、コンサートの人気プログラムのひとつとなりましたね。

レコードでも、80年代のデジタル移行後は、各社が、こぞって、この曲を録音しましたが、それは、デジタル録音の恩恵で、重厚なオルガンと、軽やかなピアノ連弾、分厚いオーケストラが混濁せずに、すっきり・きれいに再生できるという強みが生まれたためでした。

でもしかし、わたくしは、入門時代にメータの豪華な演奏を経てからというもの、ずっとずっと、遠ざかっていて、ちょっと苦手な存在として、距離を置いてきたのです。
 大きな音響に、華美なまでの賑やかさは、聴いていて心すく快感と、解放感を呼び覚ましますが、はて、それでいいのか、そこに何があったのかと、疑念を抱くようになりました。

そんななかで、昨年、久しぶりに手にした新しい録音が、ロト指揮によるものです。
とはいっても、いまから5年前のものですが・・・

まだ45歳のロトさんは、生粋のパリっ子で、手兵のハイブリット・オーケストラである、レ・シエクルを創設してから12年。
ブールやギーレン、カンブルランの南西ドイツ放送響の指揮者を請け負ったことからわかるように、現代・前衛音楽にも、その適性を示すヒトでありました。
 そのバーデン・バーデン&フライブルクの放送響は、2016年には、シュトットガルトのオーケストラと統合されることが発表されていて、とても寂しい思いを呼び覚ましてます。
 で、その統合後のオケの指揮者は、ロトさんということになるのでしょうか。

そんな、登り調子のロトさん。
N響に続いて、読響にも客演しますね。

ロトさんと、彼のフランスのハイブリット古楽集団、レ・シエクルによる、サン=サーンス。

これが予想外に、渋くて落ち着いた演奏でした。
古楽器による演奏ですから、ピッチも低めに抑えられ、華やかさは抑制されて聴こえます。
 初めて聴いたとき、大人しめに聴こえ、面白みも薄く感じました。
でも、何度も繰り返し聴き、そしてロト指揮によるほかの演奏を、新しいものから逆に聴きだした自分、そんな耳からすると、新鮮な味わいが、このサン=サーンスの、そこかしこに発見できるのでした。

幻想やハルサイにおける斬新な切り口は、控えつつ、ロトさんの指揮は、各旋律を丹念に、じっくりと扱い、そして、敏感なリズム感でもって、従来の演奏とは異なるダイナミズムと柔軟性、そしてピリオド奏法なのに、歌心を持った演奏が出来上がりました。
 その緩徐楽章では、弦楽器が繊細に、古楽奏法らしく、ツィー、ツィーっと、弾きますが、それがときに、共感を込めて、ほどよいヴィブラートも加味して奏されるシーンは、本当に美しく、儚いです。

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この録音は、17世紀前半に建てられたパリのサン・シュルピース教会でのライブ録音で、そちらのカヴァイエ=コル作のオルガンが、そのまま演奏されてます。
このオルガンは、1862年の製造で、サン=サーンスがこの曲を完成したのが、1886年ですから、きっと作者存命中に演奏されたこともあったかもしれません。
 ともかく、豪快な音色で、教会の広い空間が圧倒的にオルガンの音色で満たされるのを感じることができます。
コンサートホールのオルガンと、教会のオルガンとの違いは、この天に突き抜けるかのような広大な空間を感じることでしょう。

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軽やかさや、音色の美しさも持ちつつ、オルガンの凄まじさに引っ張られ、このロト盤は、教会という格別な場所の強みを味わうことができる、面白い演奏となってます。
ハルサイで、小股の切れあがったような演奏をしたかと思うと、こうした壮麗な演奏も、こともなげに成し遂げるロトさん、やはりただモノではありません。

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2015年3月 6日 (金)

ベルリオーズ 幻想交響曲 バティス指揮

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3月の浜松町駅・小便小僧は、春の火災予防運動に連動して、消防服をまとってます。

顔隠れちゃってまして、かわゆす~

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まいどながら、よく出来てますね。

春先は、風も強く、乾燥してます。

みなさま、火の用心。

熱血注意?

Berlioz

ジャケットが、ちょろっとお花のカラーといい感じですな。

あらためまして、説明しますと、毎月、この小便小僧クンの衣裳替えに合わせまして、月一回の「幻想交響曲」を、いろんな演奏で取り上げてます。

この月イチ大作戦、幻想に飽き足らず、大好きなチャイコフスキーの5番も加え、月替わりでやってます。

   ベルリオーズ  幻想交響曲

     エンリケ・バティス指揮 フィルハーモニア管弦楽団

                     (1998 @ロンドン)


メキシコの謎の爆演指揮者、エンリケ・バティス(1942年生まれ)は、そこそこ聴いてますが、どうにもよくわからない。
 なにゆえ、爆演かも、さっぱり聴きとれない。

ロンドンのオケとの録音しか聴いてないので、至極まっとうにしか思えない。
メキシコのオケのもの聴かずして・・・と叱られそうですね。

クラシックを聴き始めた69年頃、ロンドンレーベルが売りだした、アルゼンチンの指揮者、カルロス・パイタも爆系と言われましたが、実際はそうでもない感じで、そのパイタとバティスが、どうもイメージ的にかぶってしまって、いまに至るまで変わりません。

 でも、今宵は、ほろ酔いで、バティスの幻想に、のめり込むようにして食い入り、聴きました。
スマートな演奏様式による「幻想」に慣れ親しんだ自分です。
よくよく聴けば、このバティスの幻想、ロンドンのオケとは思えないくらいに、荒々しい響きを引き出してます。
つーか、正直、粗い。

ゆったりと丹念な出だしの1楽章ですが、主部が始まると、怒涛のような勢いの激しい、息もつかせてくれない疾風感あふれる様相を呈し、一気に突き進みます。

ワルツは、すいすいと進むなか、意外と歌心もあって麗しい感じよ。
気持ちいい。
でも、音圧が高いし、強いとこが、この指揮者ならでは。

やる気のなさそうな感じで始まる、野の情景ですが、流れがとてもよくって、ここでも、のびのびと歌うこと、実に気持ちがイイ。

狂ったような、すっとんきょうな、木管。
エンドは、まさに、ストンと落ちちゃう断頭台の4楽章は、おもろすぎ。

さぁさぁ、来るぞと身構える終楽章のヴァルプルギス。
蠢く低弦、よじれるような奇怪な管。
ぶわーーっとくる、音圧は、激しくて、デリカシーもくそもなく、野放図すぎ。
全部フォルテは、正直、疲れるわ。

でも、おもろい。
でも、疲れるし、めんどくさい。

 といことで、いいんだか、なんだか、さっぱりわからない「幻想交響曲」を、酔っ払いが聴いてみました。。。

この演奏、ロイヤルフィルの数年前のものともいう説もアリマス。
メキシコ産のCDですからして・・・・

あっ、テキーラでも飲みながら聴いてみるんだった。

メキシコ産の「1812年」も仕入れましたので、いずれまた。
 

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2015年1月11日 (日)

新春ピアノ三重奏 Japan×France

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新春を感じさせるお花が、受付に飾られてました。

音楽と花と香り。

そんな五感をたっぷり楽しませていただける、コンサートに行ってまいりましたよ。

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 新春ピアノ三重奏

   花と共に奏でる<日本×フランス音楽>の世界

     宮城 道雄   「春の海」

     日本の四季 メドレー

     ドビュッシー  「月の光」

               映像第2集~「金色の魚」

     ラヴェル    「ツィガーヌ」

     サン=サーンス   動物の謝肉祭~「白鳥」

     フォーレ    エレジー

     ラヴェル    ピアノ三重奏曲

       アンコール  「花は咲く」

       ヴァイオリン:松尾 茉莉

       チェロ:    行本 康子

       ピアノ:     加納 裕生野

         フローリスト:元木 花香

         司会     :田添 菜穂子

                (2015.1.10 @目黒パーシモンホール)


神奈川フィルのヴァイオリン奏者であります松尾茉莉さんと、その仲間たちによるコンサート。

Megro

日本のお正月・新春に相応しい宮城道雄の「春の海」で、たおやかに始まりました。

ご覧のとおり、日本の音楽と、フランスの音楽のたくみな組み合わせ。
みなさんのソロをはさんで、最後はラヴェルの色彩的な名作で締めるという考え抜かれたプログラムでした。

日本の四季の歌の数々が「ふるさと」を前後にはさんで奏でられ、会場は、ふんわりとした優しいムードに包まれました。

そのあとの加納さんのドビュッシーは、実に美しく、情感もたっぷりで、この作曲家に打ち込む彼女ならではの桂演でした。

エキゾティックなムードと超絶技巧満載のツィガーヌは、いつも前向きな松尾さんらしい、バリッと冴えた演奏。

後半は、静かな語り口で、超有名曲と、フォーレの渋い曲を弾いてくれた行本さんのチェロでスタート。

最後は、3人の熱のこもったラヴェル。
4つの楽章を持つ30分の大曲ですが、あっと言う間の時間の経過。
1914年の作曲で、いまからちょうど100年前の第1次大戦直前の頃の音楽は、夢想的なロマンと、熱気と躍動感という、ラヴェルのいろんな顔のすべてが、ぎっしりと詰まった音楽です。
きらきら感と、3楽章の神秘的な味わいをとてもよく弾きだしていたのが加納さんのピアノ。
柔らかな音色の行本さん。
そして、松尾さんは、しなやかさと、ひとり神奈川フィルとも呼びたくなるような美音でもって、魅了してくれましたね。
 若い3人の女性奏者たちによるフレッシュで香り高いラヴェル。
堪能しました。

最後は、「花は咲く」で、うるうるさせていただきました。

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そして、香りといえば、花と香りのアロマを演出されたのが元木さん。
3人が生花をつけて演奏し、しかも、ドレスはトリコロール。
ホワイエには、檜の香りが漂い、いただいた栞にも、お花の香りが。
 おじさんのワタクシですが、音楽と香りのマッチングに、思わず、頬がほころぶのでした。

センスあふれる企画と演奏、いただきました。
 

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2014年12月13日 (土)

サン=サンース 交響曲第1番と2番 マルティノン指揮

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まるでヨーロッパを思わせるような街並みと、きらびやかなゴールド。

恵比寿のガーデンプレイス。

一番奥の高いところから俯瞰してみました。

パリのシャンゼリゼ通りみたいに、通りの奥に美しいモニュメントがあって、均整の取れた雰囲気がいいです。

そんな、おフランスの香りを、ちょこっと楽しめる若書きのフレッシュ交響曲を。

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  サン=サーンス 交響曲第1番 変ロ長調 op2

                          交響曲第2番 イ短調 op55


         ジャン・マルティノン指揮 フランス国立放送管弦楽団

                       (1972.6,11@パリ、サル・ワグラム)


カミーユ・サン=サーンス(1835~1921)の作品は、多岐にわたるジャンルに、多くの作品がありますが、特定の作品ばかりに人気が集中し、それ以外の作品には日の目があたることが少ないです。

オルガン交響曲、動物の謝肉祭、死の舞踏、ヴァイオリン協奏曲第3番、ピアノ協奏曲第2番、チェロ協奏曲第1番、サムソンとデリラ・・・・ぐらいが頭に浮かびますが、室内楽作品、器楽作品、歌曲、声楽、オペラは多数あるのにまったく知りません。
 そして、交響曲と協奏曲の他の番号は?

ということで、今回は、3番「オルガン付き」の陰にかくれた、ふたつの番号付き交響曲を。
ほかに、習作的な未完作ふたつと、完成された作品番号なしのふたつの交響曲がありますので、完全なものとしては、サン=サーンスの交響曲は5つあることになります。

 交響曲 イ長調       15歳

 交響曲第1番 op2  18歳

 交響曲「ローマ」       21歳

 交響曲第2番 op55 23歳

 交響曲第3番 op78 51歳


こうしてみると、年齢的に円熟期に書かれた3番が、作品としても、もっとも充実していることがわかりますね。

でも、サン=サーンスの音楽の魅力は、若い頃のものにも、如実にあらわれておりまして、屈託なく、明るく伸びやかな、若い人にしか書けない、そんなフレッシュさにあるんです。

ともに4楽章形式で、しっかりとした交響曲の姿を身にまとってます。

1853年に書かれた第1番、ティンパニ2基、ハープ、管も3管、サキソフォーン、シンバルを要します。
大きな編成の本格交響曲は、当時のフランス音楽界にあっては、ベルリオーズ以来かもすれず、作者の名を伏せられて、そのリハーサルから聴いた、当のベルリオーズやグノーといった先達たちを感嘆させたといいます。

堂々たる1楽章は、どこかシューマンの「ライン」を思わせる、と解説にも書いてありますが、まさにそう、それにメンデルスゾーンとベルリオーズのエッセンスを足したような感じ。
 以外に古風な、行進曲的なスケルツォを経て、この曲のもっとも魅力的な緩徐楽章たる3楽章が素晴らしいです。
クラリネットの優雅なソロに始まり、この楽章で終始活躍するハープが、美しいアルペッジョを奏でるなか、オーケストラはメロディアスに、ほんとうに美しい世界を展開します。
18歳の青年の作とは思えない、この優美な感興極まる音楽ですが、一面、心になにも残さず、流れてしまうという恨みもあります。
それでも、ともかく美しい。
最後は、すべての楽器がにぎにぎしく鳴り渡る気合のはいったもの。
若い眩しさが、一方で、若気の至りみたいに未成熟な空虚を感じさせもしますが、緩急おりまぜ、全曲を見通し、完結感を与えつつ、力強いエンディングを迎えます。

 
交響曲第2番は、1858年で、1番から5年を経て、その音楽は、若々しさを保ちつつも、よりシンプルに、その編成もずっと小さくなり、打楽器はティンパニだけ、金管もトランペットだけと、効果を狙うようなことは少なくなり、より内面的な要素が出てくるようになったと感じます。
全体に、すっきりムードがただよい、古典回帰のような雰囲気もあります。
シューマンっぽくあり、メンデルスゾーンの1番や、ビゼーの交響曲をも思い起こさせます。
 短調のムードが覆う1楽章は、どこか捉えどころがないままに、走るようにして進んで、終わり。
抒情派サン=サーンスの、ここでも面目躍如たる2楽章のアダージョ。
シンプルなロンド形式で、静かで優しい曲調は、1番と同じ調でありながら、あちらの連綿たる美しさには、かなり及ばず、物足りなさを覚えます。
 3楽章はスケルツォ。
これまたメンデルスゾーンチックなスケルツォ楽章。のんびりとした牧歌調の中間部を持ちながらも、冒頭のスケルツォに回帰せず、そこでジャンと終わってしまう面白さを持ちます。
 ついで、前楽章の雰囲気を引き継ぎつつ、タランテラの軽やかかつ、リズミカルな展開の終楽章は、なかなかに楽しい。
これも、ビゼーとメンデルスゾーンを思わせますよ。
なんとなく、イマイチ感を持ちつつ聴いてくると、この最後の楽章で、気分が高揚していい感じになりますよ。
 伝統的な交響曲を生真面目に書きたかったサン=サーンスさんでしょうか。

1番も、2番も、このように、それぞれに個性があって楽しい聴きものです。

みなさまも是非。

完成された5つの交響曲をすべて録音しているのは、マルティノンだけでしょうか。
番号付きでは、プレートル、レヴィぐらいかな。

60~70年代の、典型的なフランスのオーケストラの音色をここに感じます。
華奢でありながら、瀟洒な響きは、サン=サーンスの若い音楽にぴったり。
マルティノンは、ほんと、いい仕事をEMI&エラートに、たくさん残してくれましたね。

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2014年10月31日 (金)

ベルリオーズ 幻想交響曲 スラトキン指揮

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超、遅ればせながら、10月の小便小僧。

ハロウィンがテーマです。

迂闊にも忘れてましたが、ハロウィンだったので、ぎりぎり、当日に、しかも、魑魅魍魎のヴァルプルギスの宴、幻想交響曲こそ、相応しい、ということで

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今回も、力のこもった、まさにコスプレ仮装は、ほんとに見事です。

前後左右、完璧ですね。

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  ベルリオーズ   幻想交響曲

   レナード・スラトキン指揮 リヨン国立管弦楽団

                    (2011.8,9 @リヨン)


幻想交響曲の聴きどころは、幾多あれど、やはり衆目の多くは、最後の楽章の魔女たちを始めとする魑魅魍魎たちの宴の場面で、最後に激していって、爆発的に終焉を迎えるところかと。

わたくしも、最後にそれがあるから、それまでの、恋模様・夢・舞踏会・のどかな田園風景・処刑といった各場面が、それぞれに光彩を放って活きてくるのを楽しめるわけです。

ベートーヴェンの第9から6年後にあるベルリオーズの「幻想」は、多彩な楽器を、それこそ多彩な奏法を駆使しつつ、とうてい6年後とは思えない別次元の響きでもって存在します。
ベルリオーズの革新性に、その年月を思うと、いつも驚きです。

しかも、ライトモティーフの走りとも呼ぶべき、統一主題の巧みな使用と、繊細で、リリカルな歌心も併せ持ったオーケストレーション。
何度も聴いて、聴きあきないのが、ベルリオーズの、そして幻想の魅力であります。

もちろん、ロミオも、ファウストも、レクイエムも好きですが、長さ的に、そう何度も聴けるものではありません。
オペラ、トロイ人にチャレンジ中ですが、あれはまた長大すぎて、まだ全貌をつかめません。
いずれにせよ、おもろい作曲家ベルリオーズなんです。

 スラトキンが、二世指揮者として、彗星のように登場したのは、70年代後半。
セントルイス響を鍛え上げて、アメリカのメジャー5大オケに次ぐとまで言われるようにしてしまった。
その後に、N響に客演して、鮮やかな日本デビュー。
ラフマニノフ2番、マーラー、ショスタコ、そして幻想と、メリハリと元気のいい爆発的な指揮でもって、わたくしは、テレビにくぎ付けになりましたね。
 そのスラトキンが、N響の音楽監督候補のひとりに名があがり、最終的にはデュトワになったことも、よく覚えてます。
 スラトキンは、どうも、大きなメジャー・ポストには、無欲(無縁)のようで、セントルイス後も、ニューヨークフィルで名があがりながらも、ワシントン・ナショナル響、BBC響、ナッシュビル響、デトロイト響、そして、リヨン管という就任歴を持ってます。

器用すぎるのと、厳しすぎるのがいけないのかしら?

そのスラトキンも、もう70歳。

かつての俊敏さに加えて、この録音では、じっくりとした語り口の味わい深さを、野の情景に感じますし、ちょっとしたフレーズでも、手を抜かず、ハッとするような切り口でもって新鮮さを聴き手に与えてくれます。
南仏のオケでありながら、ちょっと渋い幻想に仕上がった感もありますよ。
そして、もっと暴れてもよかったかも・・・

コルネット付きの、第2楽章が、別トラックに収録してありまして、そちらの華やかさが妙に浮き立っているのも、面白いものでした。

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