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2024年1月20日 (土)

ヴェルディ シモン・ボッカネグラ アバド没後10年

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わたしの育った街の海の夕暮れ。

そして40年数年を経ていま、帰ってきました。

妻子は自分の家のある隣県におりますが、年老いた親と暮らすことにしたわけです。

もうじき2年が経ちますが、この海を見て、そして小さな山に登るにつけ、帰ってきてよかったと思います。

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はるかに見渡す箱根と伊豆の山々。

子供のときからずっと見てきた景色を、歳を重ねてみるという喜び。

海を愛し、日没を愛す自分。

そんな自分が高校時代、イタリアオペラ団の公演に接し、ほかのヴェルディのオペラに勝ると劣らないくらいに好きになったのが「シモン・ボッカネグラ」

海に生き、運命に翻弄されつつも、最後は愛する人々に囲まれた、そんな男のオペラ。

このオペラをこよなく愛し好んだアバド。

ヴェルディの「シモン・ボッカネグラ」ほど、アバドが愛したオペラはなかったといえるでしょう。

アバドが旅立って10年です。

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ジョルジョ・ストレーレルの演出、エツィオ・フリジェリオの舞台美術、衣装。
シモン・ボッカネグラの名演出をともなったアバドのスカラ座時代の金字塔。
ジャケットもオペラ部門、ジャケット大賞を自分では差し上げたいくらいの名品。

スカラ座:1971年以来、1982年まで、歌手はカプッチッルリ、ギャウロウ、フレーニの3人とともにずっと上演されたプロダクション。

パリ・オペラ座1978年 お馴染みの演出と3人とでパリに客演、DVDありますね(ブルーレイ化希望!)

ウィーン国立歌劇場:1984年~1990年まで、ストレーレル演出をウィーンに持ってきて何回も上演
ブルソン、ライモンディ、リッチャレッリに歌手はかわり、のちにヌッチ、トコディ、デッシー、フルラネットなども参加

ベルリンフィル:1999年に演奏会形式、2000年にザルツブルク祝祭音楽祭でフィレンツェとの共同制作で上演
チェルノフ、コンスタンティノフ、プロキナ、グエルフィ、マッティラと歌手は顔ぶれ刷新、演出はペーター・シュタイン。

フェラーラほか、マーラー・チェンバー:2001年5月、驚きのマーラー・チェンバー起用、パルマ、ボルツァーノでも上演。
チェルノフ、コンスタンティノフ、ミシェリアコワ、スコーラ、ガロ
演出はシュタインのアシスタントだったマルデゲム。

フィレンツェ:2002年、ザルツブルクのプロダクションで、唯一のフィレンツェのピット。

このように、ベルリンフィルを勇退してルツェルンと若者との共演にシフトするまで、30年間、オペラを手掛けた間はずっとシモンを指揮し続けたことになります。
幸いなことに、いずれの「アバドのシモン」は何らかの形で聴くことができます。
つごう5種の音源・映像を保有してます。
しかしながら、痛恨なことに、日本公演のNHK放送は、放送日に観劇していたのでエアチェックが出来なかったで、わたしのライブラリにはその演奏がないのです。
でもね、いまでも脳裏にあのときの舞台とオーケストラと歌手の音は刻み込まれていて、思い起こすともできるからいいのです。

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暗い画像ですが、こちらは第1幕の後半、誘拐されたアメーリアの犯人に対し、シモンが腹心であったパオロに真犯人に呪いをかけよと命じるシーンで、恐怖に顔を歪ませ、周囲からひとり浮かび上がってしまう。
カプッチッルリのパオロに迫る迫真の歌と演技、そのあとの名パオロといっていいスキアーヴィが全身を硬直させ、その彼にスポットライトが当たり、振りおろしたアバドの指揮棒が停止、そして音楽も舞台も一瞬で止まった!!
舞台を見ていた私は、凍り付くほどのサスペンスとその完璧さに畏怖すら覚えた。

シモン・ボッカネグラは1857年に作曲されるが初演は失敗、時期的にはシチリアの晩鐘と仮面舞踏会の間ぐらい。
すでに朋友となっていたボイートによって台本の改訂を行い、改訂版が出来上がったのが1881年で、アイーダとドン・カルロの間にあたる最高期の時期。
大きな違いは、主人公のシモンに加えて、同じバリトンでも暗めの音色を要求される悪役パオロの重要性を高め、バスのフィエスコとともに、渋い低音男声3人による心理ドラマの様相を濃くしたことだ。
このあたりが、このシモンという作品が当初、大衆受けがしなかった要因で、加えて華やかなアリア的なものが少ないことも大きい。

アバドが当初よりこのオペラにこだわりをみせたのは、やはり人間ドラマを内包するヴェルディならでは渋い音楽造りに着目したからだろう。
スカラ座公演のパンフレットには、アバドが自ら解説を書いており、イヤーゴのような存在のパオロと、政治的な利害関係と個人の関係が生むドラマの対照などに言及している。
 さらに音楽のすごさとして、シモン役の最大の聴かせどころ、貴族派と市民派との衝突の危機に「市民よ、貴族よ・・・」と人々を静め、「わたしは叫びたい、平和を」と繰り返し熱く歌うシーンを細かに分析し、ヴェルディの描いたもっとも素晴らしく厳粛な場面と評価している。
あと先にあげた誘拐犯パオロに迫るシモンのレシタティーヴォ、そのオーケストレーションの巧みさにも言及。

アバドのシモンへのこだわりは、もっともっとある、そんな耳で感心しながら、これまで何度も繰り返し聴いてきました。
だから「シモン・ボッカネグラ」というオペラは、わたしにはアバド以外はダメなのです。
あとついでに、カプッチッルリ、ギャウロウ、フレーニの3人とリッチャレッリ以外は同様なんです。
ほかの演奏は避けてきたし、舞台もきっと観ることはないでしょう。

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カプッチッルリとギャウロウ、このふたりがあってこそ、アバドのシモンがあり、シモンの復興もあった。
1976年のNHKイタリアオペラでもこのふたり。
アメーリアはリッチャレッリった。
高校生だった私は巨大なNHKホールで夢中になって観劇しました。
もうひとつ、カバリエ、コソット、カレーラスのアドリアーナ・ルクヴルールも。
どちらのオペラも録音して何度も聴きまくり、すみからすみまで覚えてしまい、へたすりゃ歌えるくらいになりました。
このふたり、かっこよかった。
プロローグでフィエスコが歌うモノローグで、ギャウロウの最低音が渋くも神々しく見事に決まり、すがりつくシモンを振り切るようにマントをひるがえしました。
そのマントの音がバサリと聴こえて、その音すらまざまざと覚えてます。

そうして暖めつくしたシモンへの思いが、スカラ座来日での「アバドのシモン」の名舞台につながりました。

①1972年 スカラ座

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  シモン・ボッカネグラ:ピエロ・カプッチルリ 
  フィエスコ:ニコライ・ギャウロウ

  アメリア:ミレルラ・フレーニ      
  ガブリエーレ:ジャンニ・ライモンディ
  パオロ:ジャン・フェリーチェ・スキアーヴィ    
  ピエトロ:ジョヴァンニ・フォイアーニ
  隊長:ジャンフランコ・マンガノッティ            
  腰元:ミレナ・パウリ


 クラウディオ・アバド指揮 スカラ座管弦楽団/合唱団

       (1972.1.8 @スカラ座)

前月の12月にプリミエのアバド初のシモンの貴重な記録。
放送音源が元のようで、当然にモノラルですが、音はよろしくはなくダンゴ状態だが、視聴には充分耐えうるもの。
この頃のアバドの劇場での指揮の常として、自ら興奮に飲み込まれるようにテンポも突っ走ってアゲアゲな場面があり、当然に聴衆の興奮ぶいもうかがえる。
プロローグのエンディングの盛り上げもすさまじい、
3人の歌手といつもパオロ役で貢献しているスキアーヴィもよいが、ここではライモンディの明るく、豊かなカンタービレを聴かせるガブリエーレが素敵なものだ。
この音源、放送局にちゃんとしたものがないだろうか。。。

②1977年 スカラ座DG録音

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  シモン・ボッカネグラ:ピエロ・カプッチルリ 
  フィエスコ:ニコライ・ギャウロウ

  アメリア:ミレルラ・フレーニ      
  ガブリエーレ:ホセ・カレーラス
  パオロ:ホセ・ファン・ダム    
  ピエトロ:ジョヴァンニ・フォイアーニ
  隊長:アントニーノ・サヴァスターノ           
  腰元:マリア・ファウスタ・ガラミーニ


 クラウディオ・アバド指揮 スカラ座管弦楽団/合唱団

       (1977.1  @CTCスタジオ  ミラノ )

もういうことなしの名盤。
先にマクベスがアカデミー賞を受賞してしまったので、こちらは無冠となりましたが、総合的な出来栄えでは、こちらのシモンの方が上。
正規録音で慎重なリハーサルを重ねた結果の完璧なできばえで、もちろん、毎年のように同じメンバーで作り上げてきた作品への同じ共感度がすべてにわたって貫かれている。
ここでレコーデイングゆえに登場した新参として、カレーラスとファン・ダムがいて、彼らはスカラ座でのシモンにはまったく登場していないメンバー。
このふたりが、こんかいアバドの一連のシモンを聴いて、ちょっと立派すぎて浮いているように感じたのは贅沢な思いだろうか。
ルケッティとスキアーヴィでよかったんじゃ・・・・
  ライブにあった突っ走り感は、ここではまったくなく、ヴェルディの音楽の核心を突く表現にすみずみまで貫かれている。
合唱の素晴らしさも、ガンドルフィ率いるスカラ座コーラスならでは。
あとさらに誉めれば、DGの録音も素晴らしく、アナログの最盛期のよさが出ていて、このあとの仮面舞踏会、アイーダでの録音よりずっといいと思う。


③1981年 スカラ座 日本公演


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  シモン・ボッカネグラ:ピエロ・カプッチルリ 
  フィエスコ:ニコライ・ギャウロウ

  アメリア:ミレルラ・フレーニ      
  ガブリエーレ:ヴェリアーノ・ルケッティ
  パオロ:フェリーチェ・スキアーヴィ    
  ピエトロ:アルフレード・ジャコモッティ
  隊長:エツィオ・ディ・チェーザレ            
  腰元:ネルラ・ヴェーリ


 クラウディオ・アバド指揮 スカラ座管弦楽団/合唱団

       (1981.9.10 @東京文化会館)


ファンになって10年、やっとアバドに出会えるとワクワク感と緊張感で待ちわびた公演だった。
文化会館のピットに颯爽と登場し、目を見開いて聴衆にサッと一礼し、指揮を始めるアバドの姿。
非常灯もすべて落として、真っ暗ななかに、オケピットの明かりだけ。
装飾を施した文化会館の壁に、浮かび上がるアバドの指揮する影。
いまでも覚えているその残像。
憧れのアバドの姿を見ながら、スカラ座のオケが紡ぎだす前奏を聴いてその桁違いの音色に驚いた。
5年前のイタリアオペラ団のシモンが耳タコだったので、N響とスカラ座オケとの月とすっぽんの違いにです。
深くて、明るくて、すべての音に歌があふれている、それを最初の前奏でまざまざと見せつけられた。
シモンが愛した、アドリア海の青色をオケが表出していたのでした・・・・

この公公演は「シモン」というオペラの素晴らしさとともに、アバドのオペラ指揮者としての凄さに感じ入り、生涯忘れえぬ思い出となりました。
以下は過去記事の再掲~

「舞台も、歌手も、合唱も、そしてオーケストラも、アバドの指揮棒一本に完璧に統率されていて、アバドがその棒を振りおろし、そして止めると、すべてがピタッと決まる。背筋が寒くなるほどの、完璧な一体感。」

当時に書いていた日記~

「これは、ほんとうに素晴らしかった。鳥肌が立つほどに感動し、涙が出るばかりだった。
なんといっても、オーケストラのすばらしさ。ヴェルディそのもの、もう何もいうことはない。
あんな素晴らしいオーケストラを、僕は聴いたことがない。
そして、アバドの絶妙な指揮ぶり。舞台もさることながら、僕はアバドの指揮の方にも目を奪われることが多かった・・・・・。」

バリトンとソプラノの二重唱を愛したヴェルディの素晴らしい音楽は、父と娘とわかったときの感動シーンに凝縮されていて、そのピークをアバドは最高の情熱を降り注いで、このときの公演では、ワーグナーを聴くような陶酔感を味わいました。
そしてシモンとフィエスコの憎しみが友愛に変る邂逅のシーンも涙が出るほどに切なく感動的で、カプッチッルリとギャウロウの名唱・名演技に酔いしれた。

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娘夫妻に抱えられ、最後のときを迎えるシモン。
泣けました・・・・

こんなチラシが配布され、ピアニシモで終わる特異なオペラをしっかり味わってほしいという、アバドと主催者の思いを感じました。

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いまならアナウンスはしても、ここまではやりませんね。

これまでの音楽体験のベストワンが、私にはこのシモン・ボッカネグラです。

ちなみにベスト3は、あとは「ベルリン・ドイツ・オペラのリング」と「アバドとルツェルンのマーラー6番」であります。

④1984年 ウィーン国立歌劇場

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  シモン・ボッカネグラ:レナート・ブルソン 
  フィエスコ:ルッジェーロ・ライモンディ

  アメリア:カティア・リッチャレッリ      
  ガブリエーレ:ヴェリアーノ・ルケッティ
  パオロ:フェリーチェ・スキアーヴィ    
  ピエトロ:コンスタンチン・シフリス
  隊長:エヴァルト・アイヒベルガー            
  腰元:アンナ・ゴンダ


 クラウディオ・アバド指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団/合唱団

       (1984.3.22 @ウィーン国立歌劇場)

スカラ座からウィーンへ。
アバドはオペラの拠点を移し、当然にシモンも同じプロダクションを持っていきました。
演奏スタイルはほぼ同じく、そしてライブゆえに燃えるようなアバドの姿もあり、プロローグのラストのアッチェランドには興奮します。
同じオペラのオーケストラでありながらウィーンのヴェルディでは、ちょっと趣きが違うようにも感じます。
色香がちょっと異なるんです。少しはみ出るような味わいというか、甘味さというか、なんとも表現しにくい雰囲気です。
この音源がちゃんとした音で残されたのも幸いなことです。

歌手はいつもの3人がまったく刷新され、印象はまるで異なります。
唯一のお馴染みは、わたしにはリッチャレッリとルケッティ、スキアーヴィの3人。
ライモンディは美声ではあるが、ギャウロウのような光沢と渋さがなく、ブルソンは滑らかな優しい美声ではあるが、厳しさが不足。
贅沢なこと言っちゃうのも、あの3人がすばらし過ぎたから・・・・

⑤2000年 ザルツブルク復活祭音楽祭

      シモン・ボッカネグラ:カルロ・グエルフィ 
  フィエスコ:ジュリアン・コンスタンティノフ
  アメリア:カリタ・マッティラ      
  ガブリエーレ:ロベルト・アラーニャ
  パオロ:ルーチョ・ガッロ    
  ピエトロ:アンドレア・コンチェッティ
  隊長:ファビオ・サルトリ            
  腰元:クレア・マッカルディン

 クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
              ヨーロッパ祝祭合唱団

       (2000.4.15 @ザルツブルク)

ウィーンからベルリンへ、アバドのオペラの指揮は、カラヤンと同じくザルツブルクのイースター音楽祭に絞られ、やはり得意のシモンを取り上げることとなりました。
多忙を極めながら病におかされつつあった時期のものです。
さすがはベルリンフィル、完璧なオーケストラサウンドを聴かせますが、その基調は明るい音色で軽めです。
アバドも自在な指揮ぶりと感じさせますが、父娘の二重唱の高揚感では、あれっ?と、一瞬思うくらいに流れてしまう。
ザルツブルクの上演の前、1999年にベルリンで演奏会形式で演奏して挑んだこの公演、ウィーンでのシモン以来アバドは10年ぶり。
そんな新鮮さと、すみずみまで知り尽くした指揮者の力を感じますが、このコンビならもっとできたはずと思わせる場所も、書いた通りあります。
グエルフィ、コンスタンティノフ、マッティラの新しい3人に刷新。
いずれもかつての3人の比ではないですが、時代の流れなのか、スマートな知的な歌唱で、聴く分にはまったく問題ない。
スキアーヴィにかわる名パオロの誕生となった、ガッロがすばらしいと思う!
フィガロ役から、こうしたアクの強い役まで歌うガッロ。
新国で、イヤーゴ、ジャック・ランスなどを観劇してます。

⑥2002年 フィレンツェ歌劇場

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  シモン・ボッカネグラ:カルロ・グエルフィ 
  フィエスコ:ジュリアン・コンスタンティノフ

  アメリア:カリタ・マッティラ      
  ガブリエーレ:ヴィンチェンツォ・ラ・スコーラ
  パオロ:ルーチョ・ガッロ    
  ピエトロ:アンドレア・コンチェッティ
  隊長:エンリーコ・コッスッタ            
  腰元:カーティア・ペッレグリーノ


 クラウディオ・アバド指揮 フィレンツェ五月音楽祭管弦楽団/合唱団

       (2002.6.19 @フィレンツェ歌劇場)


映像でのアバドのシモンは、痩せてしまったがアバドの指揮姿がとても元気そうで貴重な記録となりました。
フィレンツェの聴衆からも絶大な人気と大きな喝采を浴びてまして、うれしくなります。
他流試合ではあるものの、さすがは作品を知り抜いたアバドで、アバド最後のシモンは、総決算的な出来栄えともいえます。
映像だと、どうしても舞台があり、演出があり、歌手がありで、そこに耳目が向いてしまう。
じっくり聴きたいから、一度、音源としてリニューアル化して欲しいと思いますね。
スカラ座時代にあったアバドの若さは、一同の尊厳を一気に集める高尚なる指揮ぶりとなっていて、適度に力も抜けていて、透明感すらただよいますので。。

ペーター・シュタインの演出は、いまウィーンなどでも上演されているものの原型。
スタイリッシュなもので、ストレーレルのような具象性も時代考証に応じた重厚感もなく、軽め。
古臭いことをいいますが、やはりあの舞台、またはイタリアオペラ団の古風な舞台を見てしまった自分にはなじめません。
でも群衆の動かし方や、ラストシーンの荘厳さは感動的で、最後にピット内の動きを止め、指揮棒をそっと置くアバドの姿が映されファンとしてはうれしいものです。

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アバドのシモンは、スカラ座にはじまり、ウィーン、ベルリンを経て、最後はイタリアに戻りました。
2002年のフィレンツェは、ザルツブルクとの共同制作でもあり、アバドとしてはいろいろと制約もあったかもしれない。
その前の2001年のフェラーラでの上演は、演出もシュタインでなく、アシスタントだったマルデゲムの演出はよりシンプルなもののようだった。
小ぶりな劇場で、親密な仲間である若いオケとやりたかったでしょうか。

そのときの映像を発見したので貼っておきます。



                                                   (2001年 フェラーラ)

2000年の11月と12月、病から復活を遂げた日本公演のあと、ベートーヴェンの交響曲、ファルスタッフ、マーラー7番などを精力的に指揮しつづけ、ファラーラでシモン。
アバドのヴェルデイの総決算が、シモンとファルスタッフだったこともとても意味深く思います。

アバドのシモンの最初の仲間たちは、リッチャレッリを除けば、みんな旅立ってしまいました。
10年前に悲しみを持って追悼に聴いたシモン。
10年後のいまは、ひとつの作品を突き詰めるアバドの偉大さと凄さに、思いをあらためております。
そして、自分もいい時代を生きて、最高の舞台経験が出来たことに感謝をしております。

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スカラ座のシモンのラストシーン・・・・
泣けます。

アバドが愛し、突き詰めつくしたオペラが「シモン・ボッカネグラ」で、あとは「ヴォツェック」と「ボリス・ゴドゥノフ」だったと思います。

アバドの命日の記事

2023年「チャイコフスキー 悲愴」

2022年「マーラー 交響曲第9番」

2021年「シューベルト ミサ曲第6番」

2020年「ベートーヴェン フィデリオ」

2019年「アバドのプロコフィエフ」

2018年「ロッシーニ セビリアの理髪師」

2017年「ブラームス ドイツ・レクイエム」

2016年「マーラー 千人の交響曲」

2015年「モーツァルト レクイエム」
  
2014年「さようなら、アバド」

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2023年6月26日 (月)

ヴェルディ 「ファルスタッフ」 アバド指揮

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毎年の梅雨の時期には、小田原城で紫陽花と菖蒲を楽しみます。


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そして、6月26日は、クラウディオ・アバドの90回目の誕生日。

90越えで現役のブロムシュテットとドホナーニが眩しい存在です。

2005年秋にblogを開設以来、2006年のアバドの誕生日を祝福しつつアバドの記事を書くこと、今年で17回目となりました。

さらに1972年にアバドの大ファンになって以来、今年はもう51年が経過。

つくづく永く、アバドを聴いてきたものです。

今年の生誕日には、アバドの演奏のなかでも、間違いなくトップ10に入るだろう大傑作録音、「ファルスタッフ」を取り上げました。

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  ヴェルディ 「ファルスタッフ」

   ファルスタッフ:ブリン・ターフェル   
   フォード:トマス・ハンプソン
   フェントン:ダニエル・シュトゥーダ  
   カイユス:エンリコ・ファチーニ
   バルドルフォ:アンソニー・ミー 
   ピストーラ:アナトゥーリ・コチュルガ
   フォード夫人アリーチェ:アドリアンネ・ピエチョンカ
   ナンネッタ:ドロテア・レシュマン 
   クイックリー夫人:・ラリッサ・ディアドコヴァ
   ページ夫人メグ:ステラ・ドゥフェクシス

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
               ベルリン放送合唱団

        (2001.4 @フィルハーモニー、ベルリン)


2000年の春に胃癌のため活動を停止し、その年の10月から11月にかけて、日本にやってきてくれた。
そのときの瘦せ細った姿と裏腹に、鬼気迫る指揮ぶりは今でも脳裏に焼き付いています。
その翌年2001年からフル活動のアバドは、いまDVDに残るベートーヴェンのチクルスを敢行し、そのあとザルツブルクのイースター祭で「ファルスタッフ」を上演します。
それに合わせて録音されたのが、このCD。

病後のベルリンフィル退任前の2年間は、アバドとしても、ベルリンフィルとのコンビとしても、豊穣のとき、長いコンビが相思相愛、完全に結びついた時期だったかと思います。
ベルリンフィルにカラヤン後の新たな風を吹かせた、そんなアバドの理想のヴェルディがここに完結した感がある。

一聴してわかる、音の輝かしさと明るさ伴う若々しさ。
カラヤンとは違う意味で雄弁極まりないオーケストラは、アンサンブルオペラ的なこの作品において、歌手たちの歌と言葉に、完璧に寄り添い、緻密にヴェルディの書いた音符を完璧に再現。
オーケストラも歌手も、完全にアンサンブルとして機能し、その生気たるや、いま生まれたての瑞々しさにあふれてる。
ヴェルディの音楽におけるオーケストラの完成度という意味では、アバドのファルスタッフは私にはNo.1だと思う。
カラヤンのドン・カルロもすごいけれど、あそこまで嵩にかかったオーケストラにはひれ伏すのみだが、アバドのヴェルディにおけるベルリンフィルは、しなやかさと俊敏さがあり、何度も聴いても耳に優しい。
若い恋人たちの美しいシーンはほんとうに美しいし、2幕最後の洗濯籠のシーンもオーケストラは抜群のアンサンブルを聴かせ、ワクワク感がハンパない。
各幕のエンディングの切れ味と爽快感もこのうえなし。
さらには、3幕後半の月明りのシーンの清涼感とブルー系のオケの響きも無類に美しく、そのあとのドタバタとの対比感も鮮やか!

ファルスタッフのオーケストラでいえば、カラヤンのウィーンフィルは雄弁かつオペラティックで面白いし、うまいもんだ。
同じウィーンフィルでも、バーンスタインはヴェルディを自分の方に引き寄せすぎ、でも面白い。
トスカニーニのNBCは鉄壁かつ、でも歌心満載。案外アバドの目指した境地かも・・・
ジュリーニのロスフィルは、これがあのメータのロスフィルかと思えるくらいに、落ち着きと紳士的な雰囲気。
スカラ座時代にアバドがファルスタッフを取り上げていたらどうだったろうか。
と空想にふけるのもまたファンの楽しみです。

病気あがりで、ザルツブルクでの上演前にみっちり練習を兼ねたレコーディング。
ファルスタッフのターフェルがレコ芸のインタビューで、そのときの様子を語ってました。
「彼はかなり痩せてしまい、皆とても心配していた。すると彼は音楽をすることによってエネルギーを得て、本当に元気になってしまいました。録音中、彼の瞳はきらきらと輝き、指揮をしながら飛び上がっていたのです。彼はこのオペラの生気、朗らかさを心の底から愛しているのだと思います。それが彼の健康に素晴らしい効力を発揮したのでした」
その音楽に明確な意見を持ちながら、若い歌手や演奏家たちに、完璧主義者でありながらフレンドリーで暖かく指導することで、レコーディング自体がすばらしいレッスンだったとも語ってました。
アバドの人柄と、あの大病を克服した音楽への愛を強く感じるエピソードです。

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ターフェルが36歳のときの録音で、その頃、すでにファルスタッフを持ち役にしていただけあって、その歌唱には抜群の巧さと切れ味がある。
初演の練習にずっと立ち会ったヴェルディは、歌手たちに細かい指示を出し、それはリコルディ社は書き取り記録したそうだ。
その細かな指示を歌手は反映させなくてはならず、ファルスタッフの多彩な性格の登場人物たちは、そのあたりでも役柄の描き分けが必要なわけ。
ターフェルは若い威力あふれる声を抑制しつつ、緻密な歌いぶりで、きっとアバドとの連携もしっかり生きていることでしょう。

ハンプソンのフォードも若々しく、ターフェルとの巧みなやりとりも聴きがいがある。
若すぎな雰囲気から、娘に対する頑迷な雰囲気はあまり出ないが、この歌手ならではの知的なスタイルはアバドの指揮にもよく合っている。

女声陣の中では、ナンネッタのレシュマンが断然ステキで、軽やかな美声を堪能できる。
ピエチョンカを筆頭とする夫人たちの、声のバランスもいいし、なかでは、クイックリー夫人が楽しい。
2000年当時の実力派若手歌手の組み合わせは、いまでも新鮮につきます。

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シェイクスピアと台本のボイート、そしてヴェルディの三位一体で極められた最高のオペラがファルスタッフ。
昔の栄光をいまだに忘れられない没落の士、ファルスタッフは、経済的な打開策としても、夫人たちに声をかけた。
それがしっぺ返しを食らうわけだが、思えば可哀想なファルスタッフ。
喜劇と悲劇を混在させたかのような見事なドラマと音楽に乾杯。

「世の中すべて冗談だ。
 人間すべて道化師、誠実なんてひょうろく玉よ、知性なんてあてにはならぬ。
 人間全部いかさま師!みんな他人を笑うけど、最後に笑うものだけが、ほんとうに笑う者なのだ」
                (手持ちの対訳シリーズ、永竹由幸氏訳)

皮肉に見つつも、真実を見極めた言葉に、屈託のないヴェルディの輝きあふれる音楽。
でも真摯極まりないアバドの演奏は、もしかしたら遊びの部分が少なめかも。

シェイクスピアに素材を求めたヴェルデイのオペラは、「マクベス」「オテロ」そして「ファルスタッフ」。
いずれもアバドは指揮しましたが、残念ながら「オテロ」は95~97年に3年連続でベルリンフィルと演奏してますが、録音としては残されませんでした。
オテロ役が3年で全部ことなり、レーベルのライセンスの問題もあるかもしれないし、おそらくアバドは理想のオテロ歌手に出会えなかったのかもしれません。
台本に内在する人間ドラマにもこだわる、そんなアバドが好き。
そんなアバドの高貴なヴェルディ演奏が好きなんです。

「ファルスタッフ過去記事」

「新国立劇場公演 2007」

「ジュリーニ&LAPO」

小澤征爾と二期会のファルスタッフを観劇したのが1982年。
国内上演4度目のものを体験。
先ごろ亡くなった栗山昌良さんの演出、タイトルロールは栗林義信さんだった。
日本語による上演で、今思えば悠長なものでしたが、でもわかりやすく、舞台に普通に釘付けとなりましたね。
「わっかい頃は、この俺だって・・・」とファルスタッフが自慢げに歌う場面は、日本語で歌えるくらいに覚えちゃったし、クィクリー夫人登場の挨拶は、「よろし~~く」で、もう出てくるたびに会場は笑いに包まれたものだ。
きびきびと楽しそうに指揮していた小澤さんも若かったなぁ。



Odawara-15

6月のアバドの誕生祭は、毎年、紫陽花が多め。

忙しかったので、記事は遅れ、バックデートして投稿してます。

アバド生誕祭 過去記事一覧

「ロメオと法悦の詩 ボストン響」2006

「ジルヴェスターのワーグナー」2007

「ペレアスとメリザンド 組曲」2008

「マーラー 1番 シカゴ響」2009

「ブラームス 交響曲全集」2010

「グレの歌」2011

「エレクトラ」2012

「ワーグナー&ヴェルディ ガラ」2013

「マーラー 復活 3種」2014

「シューベルト ザ・グレート」2015

「新ウィーン楽派の音楽」2016

「メンデルスゾーン スコットランド」2017

「スカラ座のアバド ヴェルディ合唱曲」2018

「ヤナーチェク シンフォニエッタ」2019

「スカラ座 その黄金時代DVD」2020

「ランスへの旅」2021

「アバド&アルゲリッチ」2022

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2022年7月 8日 (金)

ヴェルディ レクイエム アバド指揮

20220620

6月の終わりの頃のある日の夕焼け。

壮絶にすぎて、ドラマテックにすぎて、なにか起きやしないかと不安な思いを抱いた。

Verdi-requiem-abbado

  ヴェルディ  レクイエム

 S:カティア・リッチャレッリ Ms:シャーリー・ヴァーレット

 T:プラシド・ドミンゴ    Bs:ニコライ・ギャウロウ

   クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団

                ミラノ・スカラ座合唱団

         合唱指揮:ロマーノ・ガンドルフィ

           (1979.6、80.1,2  @ミラノ)

悲しみと怒りの日に、ヴェルディのレクイエムを、最愛の演奏で聴く。

怒りの日にばかり焦点が向きますが、ヴェルディのレクイエムは、死者を悼む、まさにレクイエム。
残されたひとたちへの哀歌であり、悲しみへよりそう優しい音楽。

今日の日こそ、ラクリモーサが心締め付けられるほどに響く。

アバドの誠実な指揮、豊かな歌心が、こんなときこそ泣けるほどに美しく一途でした。

日本にとってきわめて大きな喪失が本日あった。

まだ受け入れられない。

その喪失感は、世界のメディアや指導者たちの言葉を聞けばわかる。

大きな存在を失った日本は、そして大きな岐路に立たされることになった。

そのことを、しばらくしたら、国民とメディアは気が付くと思う。

「反」の人は、結構です、ずっと騙されていてください。
マスコミや「反」のひとが植え付けた悪のイメージが元凶だと思う!

安倍さん、日本を守っていただきありがとうございました。

その魂が永遠でありますこと、心よりお祈り申し上げます。
そして、天から、日本を守ってください。

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2020年3月15日 (日)

ヴェルディ ラ・トラヴィアータ スコット

Azumayama-03_20200307145901

 ベタですが、椿。

こちらも冬の吾妻山ではたくさん咲いてます。
なんたって、町の木が椿なのですからして。

Scala-verdi

  ヴェルディ ラ・トラヴィアータ

   ヴィオレッタ:レナータ・スコット
   アルフレード:ジャンニ・ライモンディ
   ジェルモン :エットーレ・バスティアニーニ
   フローラ  :ジュリアーナ・タヴァラッチーニ
   アンニーナ :アルマンダ・ボナート
   ガストン  :フランコ・リチャルディ
   ドビニー侯爵:ヴィルジリオ・カルボナーリ
   医師グランヴィル:シルヴィオ・マイオニカ
   ジュゼッペ :アンジェロ・メルクアーリ
   使者    :ジュゼッペ・モレーシ

  アントニーノ・ヴォットー指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
                 ミラノ・スカラ座合唱団

        (1962.7.2~7 @ミラノ・スカラ座)

頑張れ!イタリア!

Buona Fortuna!

そして、イタリアの名歌手、レナータ・スコットのヴィオレッタを。

先日、惜しくも亡くなられたフレーニさんの追悼特集のときにも書きましたが、永く聴いてきた往年の歌手たちの最近の動向を、ときおり検索したりして安心したりもしてます。
フレーニの訃報を聞いて、すぐに調べたのがスコットさんだったのです。

1934年サヴォーナの生まれで、2002年に引退はしたもののまだまだご健在。
2月24日にお誕生日をむかえられました。

そう、フレーニは1歳下で、彼女は27日が誕生日で、生まれもモデーナでイタリアの北の方。
レパートリーも似通っていたけれど、ライバルでもなんでもなく、オペラ界にともに君臨した名花であることに変わりはありません。
ふたりの共演盤もあったけれど、いまは廃盤の様子。

現在は、後進の指導にあたっているようで、なんと、今月3月にサヴォーナで日本人若手を招いてのマスタークラスが開催される予定でしたが、きっと中止。
http://nolimusicafestival.blogspot.com/2019/11/masterclass-con-renata-scotto-japan.html?m=0
関係者の皆様には、ほんとうにお気の毒なことです。

イタリアをはじめ、欧米、そして我が国も、ほとんどの演奏会・オペラが休止。

音楽好きからすると、多くの演奏家のことが心配です。
そして、北イタリアにいらっしゃるご高齢のスコットさんに、もしものことがあったらと思うと不安でなりません。

あくまで、ひとりの音楽好きの人間として、世界の音楽家・音楽好きの安全を願って、トラヴィアータを聴きます。

Traviata-1

1973年NHKホールの落成にあわせて上演された、第7期イタリア歌劇団の公演は、「椿姫」「アイーダ」「トスカ」「ファウスト」の4演目でした。
何度も書くことで恐縮ですが、中学生だったこのとき、テレビで全4演目を必死になって観劇しましたし、FM放送も聴きまくりました。
3年後の76年の最後のイタリア歌劇団公演には、ついに実際の舞台に接することができました。(シモンとアドリアーナ)

このときの、ヴィオレッタがスコットで、アルフレードはデビュー2年後の若手カレーラス、ジェルモンには、ベテランのブルスカンティーニという今思えば豪華なものでした。
伝統的な舞台に、華やかな衣装、そしてきらびやかな女性が、一転して悲劇のヒロインとなる。
そんな筋立てを、見事に描きわけたヴェルディの音楽に釘付けとなった中坊でした。
 ともかく、かわいそうなヴィオレッタ。
嫉妬に狂ったアルフレードが、皆の面前で、ヴィオレッタを辱める・・・、もうハラハラしました。
そして、最後は誤解も解けるも、死を覚悟して歌うヴィオレッタに涙した純情なワタクシでした。

Traviata-2

長じて、初老の身となったいま、ヴィオレッタへの同情と憐憫の気持ちは変わらねど、父ジェルモンの身勝手な行動に、腹が立つようになりました。
ついでに世間知らずのぼんぼんの息子ジェルモンにも。
以前も書いたかもしれませんが、このあたりの一工夫が、台本にもあれば、もう少し、人間心理に切り込んだヴェルディならではの音楽が別の姿で生まれたかもしれません。
もちろん、ふんだんすぎる豊富なメロディは耳にも心にもご馳走ではありますが。

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久しぶりに取り出したDGのスカラ座シリーズから。
前奏曲からして、あきらかにオーケストラの音色がヴェルディそのもので、以降もオペラを知り尽くしたオーケストラが、舞台の歌と一緒になって奏でる渾然一体の輝かしい演奏には、それこそ耳が洗われる思いがする。
ヴォットーの温厚だけれど、すべてが順当な指揮も、ここでは安心して聴ける。

若々しいスコットのヴィオレッタ。
同役でデビューした彼女は、まだ28歳の頃の声で、瑞々しさがいっぱい。
聴き手によっては、その張り切りすぎた高音がキツイという意見もありますが、私は、スコットのそんな一生懸命な歌が好きなのです。
レッジェーロからコロラトゥーラの声だったこの時分かと思います。
その最初の全盛期は、このころからあと、数年となりますが、声の変革を多大な努力のもと行い、きっとその過渡期が、日本でのヴィオレッタの舞台だったしょうか。
そして、ドラマティコ、リリコ・スピントの領域へその声も移行し、70年代後半以降、多くの録音を残したことはご存じのとおりです。
このあたり、フレーニの歩みともほぼかぶります。
 20代のスコットのヴィオレッタは、まずその声の美しさが際立ってまして、80年のムーティとの再録音に聴く落ち着きとはまた違う若々しさが魅力です。
そして、例えは稚拙ですが、スコットの声には庶民的な親しみがあるんです。
カラスやテバルディのような、圧倒的な威力と強靭な声と個性などとは大きく異なるその声。
わたしには、フレーニと同じく、ずっと聴いてきた耳に安心感のある声なのです。

そして、DGのこちらのシリーズ最大の聴きもののひとつは、バスティアニーニ。
ジェルモン向きの声ではないかな、とも思いますが、その朗々とした明快な声には痺れざるをえません。
その歌声から風光明媚なプロヴァンスの海と陸が脳裏に浮かんでくるのを感じます。
申し少し、存命だったら、と思わざるをえない。
あと録音の少ないライモンディの素直な声も、まさにアルフレードに相応しく、純正イタリアをここにも聴くことができる思いです。

録音もいまもって新鮮です。
聴き古したオペラだけれど、たまに聴くとほんと感動します。

スコットさん、いつまでもお元気で、心より祈ってます。

Jinchouge

少し前ですが、家の庭には、沈丁花が今年は早くも開いて、かぐわしい香りが。

奥には、ピンクの河津桜。

いい香りに包まれると、不安な気持ちも和らぎます。

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2018年6月26日 (火)

「スカラ座のアバド」 ヴェルディ・オペラ合唱曲集 アバド指揮

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 6月26日は、クラウディオ・アバドの誕生の日。

1933年ミラノ生まれ。

父も兄も、ミラノ・ヴェルディ音楽院の院長を務める名門の出自で、幼くして指揮者を夢見たナイーブな少年は、長じて、なるべくしてスカラ座の指揮者となりました。

ちなみに、兄マルチェロの息子、ロベルトも指揮者で、そのお顔も指揮姿も叔父クラウディオにそっくり。
クラウディオの息子ダニエーレは演出家で、生前、「魔笛」にて親子共演を果たしてます。

アバドの誕生日に、録音上のアバド&スカラ座の原点の1枚を聴きます。

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  ヴェルディ オペラ合唱曲集

 「ナブッコ」~祭りの飾りを
         行け、我が思いよ、金色の翼に乗って

 「トロヴァトーレ」~アンヴィル・コーラス

 「オテロ」~喜びの炎を

 「エルナーニ」~謀反人たちの合唱

 「アイーダ」~凱旋の合唱

 「マクベス」~しいたげられた祖国

 「十字軍のロンバルディア人」~エルサレムへ、エルサレムへ
                     おお、主よ、ふるさとの家々を

 「ドン・カルロ」~ここに明けた、輝かしき喜びの日が

    クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
                     ミラノ・スカラ座合唱団
             合唱指揮:ロマーノ・ガンドルフィ

                  (1974.11 ミラノ)


当ブログでは、この音盤について記事にするのは2度目。

アバドの誕生日に、何を聴こうか考えたときに、レコード時代、一番頻繁に聴いたものは何かなと考えたときに、この1枚がそれだった。

ちなみに、聴いた頻度の高いものを列挙すると、あとは、ウィーンでの悲愴、ベルリンとの1回目のブラームス2番、春の祭典、ショパンのピアノ協奏曲1番、ボストンとのスクリャービンとチャイコフスキー・・・・、こんな感じで、CDより、レコードの方が多く聴いてる。
すなわち、レコードが高価なものだったから、そうたくさん買えなかったし、買うならアバドだったから、こんな風になる。

       ------------

1968年にスカラ座の音楽監督に就任したアバド。
アバドのファンになってから、イタリアでのアバドの活動は、レコ芸の海外レポートを通じてしか知ることができなくて、ロンドン響とのロッシーニしかなかったオペラ録音に、いつ、スカラ座とヴェルディをやってくれるのか、それこそ首を長くして待ち望んだ、そんな高校生でした。
そこに登場したのが、この合唱曲集。
オペラ全曲盤ではないが、アバド&スカラ座のヴェルディへの渇望を満たすには充分すぎるほどの1枚で、私は喜々として、日々この1枚を何度も何度もターンテーブルの上に乗せたものです。

オペラ録音の主役はコストの関係もあって、ロンドンが中心となっていたなかでの本場イタリアの純正ヴェルディサウンド。
60年代初頭から毎年続いたDGへのスカラ座の録音も、65年のカラヤンとのカヴァ・パリ以来途絶えていただけに、74年のこの録音は、スカラ座としても久々のレコードとなり、楽員も合唱団も、気合十分。

そんなはちきれんばかりの意欲的な音が、冒頭のナブッコから満載。
みなぎる迫力と、輝かしいばかりの明るさと煌めき。
貧弱なレコード再生装置から、こんな音たちが、滔々とあふれ出してきたのです。
いまでも、あの高揚感をよく覚えてますよ。

いま聴いても、その想いは同じ。
ことに、男声合唱の力強さと、女声も含めた、声の明瞭さは、スカラ座合唱団ならではのもの。
オーケストラの精度も高く、アバドの統率のもと、一糸乱れぬアンサンブルであり、ほんのちょっとしたフレーズでも、雰囲気豊かで、アバドの指揮ゆえに、歌心もたっぷり。
オケも合唱も、ピアノ・ピアニシモの美しさは耳のご馳走でもある。

アバドは、マーラーを通じ、その音楽の高みを晩年には、自在さと透明感の頂点に持っていったけれども、一方で、ヴェルディの演奏を聴くと、生来のアバドの根源のひとつをも感じ取らせてくれるように思います。
 アバドのスカラ座との関係は、1986年に終止符を打ってしまいましたが、スカラ座からすると、ムソルグスキーやベルクばっかりに偏重する音楽監督は、芸術性の高さとは別に、大衆受けからは遠く、アバドからしたら、より自分の好きな作品を上演したいし、マーラーを主体としたシンフォニー作品をより探求したかったから、やむを得ない結末だったかもしれません。
 しかし、ファンとすると、こんなに素晴らしいヴェルディ演奏、このあと数年にわたり録音されたものを今もって聴くと、本当に残念なコンビの解消だと思います。
いまは残された、アバド&スカラ座のヴェルディに、ヴェルディ演奏の本物の神髄を味わうことができることに感謝しなくてはなりませんね。

心からありがとうございます、マエストロ・アバド。

Fl_2

CDでは、オペラ全曲盤からのものを含めた1枚が出ておりますが、それらは素晴らしい演奏ながら、全曲録音からの切り抜き。
本来のオリジナル盤の方が求心力高いです!

アイーダで、凱旋行進曲のトランペットが、右と左で、しっかり分かれて録音されているのも、この時代ならでは。
そんなシーンでも興奮しまくりの、若きわたくしでした♪

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2018年5月27日 (日)

ヴェルディ 「リゴレット」 ボニング指揮

Azuma

つつじがまだ咲いていた頃の吾妻山より。

今年の桜は早かったけど、つつじも早かった。

でも色が濃くて、美しかった今年のつつじ。

今日は、日曜日、天気も上々、暑いし、そうだ、ヴェルディ聴こう!

Rigoletto

 ヴェルディ 歌劇「リゴレット」

    マントヴァ公:ルチアーノ・パヴァロッティ  リゴレット:シェリル・ミルンズ
  ジルダ:ジョン・サザーランド         スパラフチレ:マッティ・タルヴェラ
  マッダレーナ:ユゲット・トゥランジョー   モンテローネ伯爵:クリフォート・グラント
  チェプラーノ伯爵:ジョン・ギッブス     チェプラーノ夫人:キリ・テ・カナワ
  マルロ:クリスティアン・ドゥ・プレシス   ボルサ:リッカルド・カッシネッリ
  ジョヴァンナ:ジョセフィッテ・クレメンテ 

    リチャード・ボニング 指揮 ロンドン交響楽団
                     アンブロージアン・オペラ・コーラス
                                       合唱指揮:ジョン・マッカーシー

                (1971.6 @キングスウェイホール、ロンドン)


ヴェルディ17作目のオペラ。
よりドラマに劇性を織り込み、愛国心一辺倒から、人間の心情により切り込むようになった中期の作品。
このあと、トロヴァトーレ、ラ・トラヴィアータ、シチリアの晩鐘、シモン・ボッカネグラ、仮面舞踏会、運命の力・・・・と続いてゆく。
このあたりから以降が、いまも一番上演され、聴かれているヴェルディのオペラです。
1861年、フェニーチェ劇場で初演。

ヴィクトル・ユーゴーの「王は楽しむ」が原作。
有名な話だけれど、モーツァルトとダ・ポンテがフィガロの結婚で、貴族の身勝手をチクリと刺したように、ヴェルディは、上演禁止をくらっているユーゴーの戯曲に着目した。
ただ、それは王の横暴よりは、醜く、毒舌の道化師と、その美しい娘、その父娘の清らかな愛とその悲劇に着目したわけだ。

場所や立場は変えたものの、ヴェルディの描き出した愛憎あふれるドラマに付した音楽は素晴らしい。
公爵への愛を愛を諦めず、疑わないジルダに、娘の目を覚ますために、公爵がマッダレーナを誘惑する姿を見せつけ、悲しむ娘に復讐を誓うリゴレット。
この高名な四重唱の、役柄それぞれの異なる心情を、あの軽やかともいえるメロディにのせたヴェルデイ、ほんとにすごいと思う。

 でも、娘ジルダの優しさと深い愛は、さらに高次元だった。
急転直下のラストシーンに、呪いの恐怖と、なによりも娘を失い、ひとりとなったリゴレットの悲劇が浮き上がる仕組み。

極めてよくできたオペラだと思います。

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でも、懲りない女好きにすぎるマントヴァ公には困ったもので、観る側にとって、感情移入のしにくい役柄だ。
しかし、全盛期のパヴァロッティの朗らかかつ、あっけらかんとした美声と危なげない歌声を聴いちゃうと、憎めなくなる(笑)
この録音のあった1971年に、パヴァロッティは、NHKのイタリアオペラ団で来日し、マントヴァ公を歌っていて、私もテレビで見た記憶がうっすらとある。
この時の指揮は、マタチッチ。
マタチッチは、同時に、トゥーランドットも指揮していたので、これらのライブとか復活しないものだろうか。

あと、今日の音源で、実は一番好きなのが、ミルンズのリゴレット。
マッチョで、ヒロイックなミルンズの声が大好きで、さらに心情の襞の濃いカプッチッルリとともに、リゴレット役としてはすぐれたものの一つと思う。
意気軒高だった前半、しかし、娘をかどわかされ怒りを爆発させつつ涙を誘う、このあたりのドラマテックなミルンズはことに素晴らしく、すべてを失う悲劇に満ちた最後もいい。

サザーランドの美声も久々に聴くと新鮮なもんだ。
ときに機械のようで不感症チックに感じるときもあったが、そうでばかりでもないのかな、サザーランド。
ベルカント系が苦手だから、あまり聴いてこなかった歌手のひとりだ。

タルヴェラの美声のスパラフチレもいいし、今年、亡くなってしまったカナダのマッダレーナのトゥランジョー、いろんなオペラ録音にその名をみることが多かった。

思えば、主要なこの盤の歌手は、もうみな物故してしまった。
ミルンズは83歳で、まだ健在。
ロンドン響から、オペラティックな雰囲気の音を引き出しているボニングも、88歳ながら健在。

個性豊かな往年の歌手たちの時代、よかったぁ~

今は映像主体だし、劇場からも遠のいているから、最近の歌手たちを覚えきれないし、ロシア系やバルト系などの振興もあって、よけいにその名前をおぼられない焦燥の思いをいだいてます・・・・

久々の、休日のヴェルデイ。
気分がよかった。

Azumayama3

新緑が眩しい。

梅雨の足音も近い。

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2018年2月24日 (土)

高崎保男先生を偲んで

Tamachi_2

最後まで残っていた冬のイルミネーションですが、バレンタインの終わった週末を限りに、こちらも終了してしまいました。

このあたりは、旧薩摩藩の敷地で、幕末の出来事と所縁のある場所。
ビルの立ち並ぶエリアに、ぽつんと、勝海舟と西郷隆盛の会ったところ、などの表示があったりします。

Abbado_requiem

音楽評論家の高崎保男先生が、12月にお亡くなりなっていたそうです。

レコード芸術で、目立たぬように静かに記事になっていました。

故人のご遺志とのこと。

近年、ただでさえ、オペラの新譜が、ことに国内盤ではまったく発売されなくなり、レコ芸オペラ担当の、高崎さんの名評論がまったく読むことができなくなっていた。
しかし、ときおり出るソロCDなどで、今度は高崎先生の名前が見られなくなっていたので、ちょっと心配をしておりました。

そして、この訃報。

静かに去られた高崎先生。

わたくしが生まれて間もないころからずっとレコ芸のオペラ担当をされていらっしゃいました。
わたくしがオペラが好きになったのも、それから、クラウディオ・アバドが大好きになったのも、高崎先生の数々の文章があってのもの。

心に残るいくつかの記事を思いおこすと、今後活躍する指揮者の特集での「アバド」の記事。
オペラ評論での、「アバドのチェネレントラ」「カラヤンのトリスタン」「ベームのリング」「ヴェルデイ、オペラ合唱曲、アバド・スカラ座」「アバドのマクベス」「アバドのシモンボッカネグラ」・・・・数限りなくあります。

オールドファンの域に達しつつあるわたくし。
音楽を活字と共に味わう世代だったかもしれません。
今のように、あふれかえる音源を自由自在に受け止めることのできる時代とはまったく違う世の中だった。
高額だった1枚のレコードを擦り減るように聴き、そしてそれを買うにも、大切な指標となったのが評論家の先生の記事。
自分の想いと、波長のあう方のご意見なら間違いないと思う先生の存在がうれしかった。

そんな高崎先生でした。

同じレコ芸の、今度は巻末の訃報欄に、同じく音楽評論家の岩井宏之さんがお亡くなりなった記事が出てました。
岩井さんも、好きな音楽評論家でした。
やはり、アバドのことを高く評価し、さらには、神奈川フィルの役員もつとめられた方。

時の流れを大きく感じます。

高崎、岩井、両先生に感謝をいたしますとともに、その魂の安らかならんことをお祈りいたします。

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2016年8月14日 (日)

ヴェルディ レクイエム アバド スカラ座

Shibapark

ここ数十年、夏のおやすみ、すなわちお盆休みは、いまから31年前に起きた惨劇、日本航空機の御巣鷹山墜落事故の日の記憶から始まり、終戦の日を迎えることとなり、それこそ人の命の尊さを、真夏の暑さのなかに、しっかりと噛みしめることとなっている。。。。

あの事故の日、まだ社会人になって4年目。
都内の冷房もない暑いワンルームに帰って、テレビをつけたら飛び込んできたニュースだった。

またもっと遡ると、テレビを通じての惨禍の記憶は、1972年のミュンヘンオリンピック事件。
9月5日、パレスチナゲリラが、イスラエル選手たちを人質にとり、空港で銃撃戦となり選手を含む多くが亡くなった。
男子バレーや体の金メダルラッシュで、浮かれていた中学生だったが、血なまぐさい事件に凍りついたものだった。
 さらに、追悼セレモニーで、ルドルフ・ケンペの指揮するミュンヘン・フィルが競技場で、英雄交響曲の葬送行進曲を演奏した場面もはっきりと覚えている。

これらの悲しい出来事は、戦争を知らない私の、夏の惨事の記憶である。

世界を見渡せば、とんでもないテロリズムが蔓延し、日本でもどこかを踏みたがえた人間が惨劇を起こしたりもして、右も左も、かつては考えにくい悪夢を生んでいる。

もう、夏の記憶を血で塗り込めるのは勘弁してほしいものだ、いや、夏ばっかりじゃないけど。

そんなこんなを思いつつ、夏の「ヴェルディのレクイエム」を聴く。

Abbado_scala

 ヴェルディ    レクイエム

    S:ミレルラ・フレーニ    Ms:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
    T:ヴェリアーノ・ルケッティ Bs:ニコライ・ギャウロウ

    S:アンナ・トモワ・シントウ Ms:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
    T:ヴェリアーノ・ルケッティ Bs:ニコライ・ギャウロウ


  クラウディオ・アバド 指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団/合唱団

                  (1981.9.3/11 東京文化会館)


NHKFMのエアチェックテープをCDR化した、私家盤です。

忘れもしない、これも夏の記憶。

音楽監督クラウディオ・アバドに率いられて、大挙来日したスカラ座。
しかもアバドの朋友、カルロス・クライバーの帯同という超豪華な引っ越し公演だった。
スカラ座は、その後も何度も来日しているが、アバドがやってきたのは、この年、1981年だけだった。

もう、何度も書いているが、アバドは、シモンとセビリアの理髪師。
カルロスは、オテロとボエーム。
多くの聴衆は、カルロス・クライバーの指揮に飛びついたが、アバド・ファンのわたくしは、一念発起して、アバドの「シモン・ボッカネグラ」を最上の席にて観劇することだけに、新入社員の薄給のすべてをかけた。。。。

だがしかし、NHK様が、すべての公演と、2度のレクイエム、そしてガンドルフィが指揮したロッシーニのミサ曲までも、テレビ・FM放送をしてくれるという素晴らしいことをしてくださった。

おかげで、わたくしのエアチェック・ライブラリーには、「シモン」を除く、そのすべてが今でも健在なのであります。(シモンは、放送日が観劇日だったのです。。。。)

そして、そんなに悪くない音質で残されたふたつのレクイエムを、久しぶりに、続けて聴いてみた。

この引っ越し公演で、ヴェルディの二つのオペラのヒロインをつとめた、ふたりのソプラノ、フレーニと、トモワ・シントウ。
それ以外のソロは、3人共通。

フレーニは、シモンのマリア。シントウは、オテロのデスデモーナ。
真摯でひたむき、そして耳も洗われるような正統ベルカント歌唱を聞かせるフレーニ。
ドラマテッィクで、ちょっとのヴィブラートが劇性を醸し出すシントウ。
どちらかといえばフレーニの方が好きだけど、どちらも、甲乙つけがたい名歌唱。

そして要のような存在感を示すギャウロウの朗々としたバス。
51歳で早世してしまった、テッラーニの琥珀に輝やく、そして、少しの陰りをもったメゾ。
あと、元気のいい、でも、思い切りテノール馬鹿を感じさせつつも、まばゆいルケッティ。
欲をいえば、ルケッティとダブルで、ドミンゴかアライサも聴きたかったものだ。

このふたつの演奏に通じる、音楽の密度の濃さ。
そして、途切れることのない緊張感と集中力は、曲が後半に進むにしたがい増してゆき、聴き手をやがて呪縛してしまうことになる。
それを生みだしているのがアバドの指揮なのだ。
ことに、2度目の11日の演奏の、ものすごい熱さといったらない。
絶叫するかのような合唱は、アバドの気迫の指揮と一体化し、かつ絶妙なピアニシモでは、完璧にコントロールされたオーケストラとともに耳が釘付けになる。
 いつものように、静寂やピアニシモで歌う、そんなアバドの真骨頂がここにある。

スカラ座、ウィーン、ベルリンの3つの正規(ライブ)録音に比べてもそん色ない名演奏に思う。
いつか正規音源化を望みたい。
あと、アバドには、ローマでの若き日の演奏(youtubeあり)や、ロンドンでの演奏など、ヴェルレクは数々あり。
あと、かえすがえすも、ルツェルンでも取上げて欲しかったものです。。。。。

「バーンスタイン&ロンドン響 DVD」

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2016年3月30日 (水)

大好きなオペラ総集編

Tokyo_tower

桜は足踏みしたけれど、また暖かさが戻って、一気に咲きそう。

まだ寒い時に、芝公園にて撮った1枚。

すてきでしょ。

大好きなオペラ。

3月も終わりなので、一気にまとめにはいります。

Tristan

  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

ワーグナーの魔力をたっぷりと含んだ、そう魅惑の媚薬のような音楽。
この作品に、古来多くの作曲家や芸術家たちが魅かれてきたし、いまもそれは同じ。
我が日本でも、トリスタンは多くの人に愛され、近時は、歌手の進化と、オーケストラの技量のアップもあって、全曲が舞台や、コンサート形式にと、多く取り上げられるようになった。

わたくしも、これまで、9度の舞台(演奏会形式も含む)体験があります。

そして、何度も書いたかもしれませんが、初めて買ったオペラのレコードがこのトリスタンなのであります。
レコード店の奥に鎮座していた、ずしりと重いベームの5枚組を手に取って、レジに向かった中学生を、驚きの眼差しでもって迎えた店員さんの顔はいまでも覚えてますよ。

ですから、指揮も歌手も、バイロイトの響きを捉えた、そう右から第1ヴァイオリンが響いてくる素晴らしい録音も、このベーム盤がいまでも、わたくしのナンバーワンなんです。

次に聴いた、カラヤンのうねりと美感が巧みに両立したトリスタンにも魅惑された。
あとは、スッキリしすぎか、カルロスならバイロイトかスカラ座のライブの方が熱いと思わせたクライバー盤。ここでは、コロの素晴らしいトリスタンが残されたことが大きい。
 それと、いまでは、ちょっと胃にもたれるバーンスタイン盤だけど、集中力がすごいのと、ホフマンがいい。
フルトヴェングラーは、世評通りの名盤とは思うが、いまではちょっと辛いところ。

あと、病後来日し、空前絶後の壮絶な演奏を聴かせてくれたアバド。
あの舞台は、生涯忘れることなない。
1幕は前奏曲のみ、ほかの2幕はバラバラながら聴くことができる。
透明感あふれ、明晰な響きに心が解放されるような「アバドのトリスタン」。
いつかは、完全盤が登場して欲しい。

Ring_full_2

  ワーグナー 「ニーベルングの指環」

わたくしの大好きなオペラ、ナンバーワンかもしれない・・・

興にまかせて、こんな画像を作っちゃいました。

オペラ界の大河ドラマとも呼ぶべきこの4部作は、その壮大さもさることながら、時代に応じて、いろんな視点でみることで、さまざまな演出解釈を施すことができるから、常に新しく、革新的でもある。
 そして、長大な音楽は、極めて緻密に書かれているため、演奏解釈の方も、まだまださまざまな可能性を秘めていて、かつては欧米でしか上演・録音されなかったリングが、アジアや南半球からも登場するようになり、世界の潮流ともなった。

まだまだ進化し続けるであろう、そんなリングの演奏史。

でも、わたくしは、古めです。
バイロイトの放送は、シュタインの指揮から入った。

Bohm_ring1

そして、初めて買ってもらったリングは、73年に忽然と出現したベームのバイロイトライブ。
明けても覚めても、日々、このレコードばかり聴いたし、分厚い解説書と対訳に首っ引きだった。
ライブで燃えるベームの熱い指揮と、当時最高の歌手たち。
ニルソンとヴィントガッセンを筆頭に、その歌声たちは、わたくしの脳裏にしっかりと刻み付けられている。
なんといっても、ベームのリングが一番。

そして、ベーム盤と同時に、4部作がセットで発売されたカラヤン盤も大いに気になった。
でも、こちらと、定盤ショルティは、ちょっと遅れて、CD時代になって即買い求めた。
歌手にでこぼこがあるカラヤンより、総合点ではショルティの方が優れているが、それにしても、カラヤンとベルリンフィルの作り上げた精緻で美しい、でも雄弁な演奏は魅力的。

あと、忘れがたいのが、ブーレーズ盤。
シェローの演出があって成り立ったクリアーで、すみずみに光があたり、曖昧さのないラテン的な演奏だった。歌手も、いまや懐かしいな。
 歌手といえば、ルネ・コロのジークフリートが素晴らしい、そしてドレスデンの木質の渋い響きが味わえたヤノフスキ。

舞台で初めて味わったのが日本初演だったベルリン・ドイツ・オペラ公演。
G・フリードリヒのトンネルリングは、実に面白かったし、なんといっても、コロとリゲンツァが聴けたことが、これまた忘れえぬ思い出だ。

舞台ではあと、若杉さんのチクルスと、新国の2度のK・ウォーナー演出。
あと、朝比奈さんのコンサート全部。
みんな、懐かしいな。。。

以下、各国別にまとめてドン。

ドイツ

 モーツァルト   「フィガロ」「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」「魔笛」

 
 ワーグナー   「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」 「ローエングリン」
           「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
            「ニーベルングの指環」「パルシファル」

 ダルベール   「低地」

 R・シュトラウス 「ばらの騎士」「ナクソスのアリアドネ」「影のない女」「アラベラ」
            「ダフネ」「ダナエの愛」「カプリッチョ」

 ツェムリンスキー 「フィレンツェの悲劇」 (昔々あるとき、夢見るゾルゲ2作は練習中)

 ベルク      「ヴォツェック」「ルル」

 シュレーカー   「はるかな響き」 「烙印された人々」「宝探し」

 コルンゴルト  「死の都」「ヘリアーネの奇蹟」「カトリーン」

 ブラウンフェルス 「鳥たち」

 レハール    「メリー・ウィドウ」「微笑みの国」

イタリア

 ロッシーニ   「セビリアの理髪師」「チェネレントラ」

 ヴェルディ   「マクベス」「リゴレット」「シモン・ボッカネグラ」「仮面舞踏会」
           「ドン・カルロ」「オテロ」「ファルスタッフ」

 カタラーニ   「ワリー」

 マスカーニ   「イリス」

 レオンカヴァッロ  「パリアッチ」「ラ・ボエーム」

 プッチーニ   「マノン・レスコー」「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」「三部作」
           「ラ・ロンディーヌ」「トゥーランドット」

 チレーア    「アドリアーナ・ルクヴルール」

 ジョルダーノ  「アンドレア・シェニエ」「フェドーラ」

 モンテメッツィ 「三王の愛」

 ザンドナーイ  「フランチェスカ・ダ・リミニ」

 アルファーノ  「シラノ・ド・ベルジュラック」「復活」

 レスピーギ   「セミラーナ」「ベルファゴール」「炎」

フランス

 オッフェンバック 「ホフマン物語」

 ビゼー      「カルメン」

 グノー      「ファウスト」

 マスネ      「ウェルテル」

 ドビュッシー   「ペレアスとメリザンド」

イギリス
 

 パーセル   「ダイドーとエネアス」

 スマイス    「難破船掠奪者」

 ディーリアス  「コアンガ」「村のロメオとジュリエット」「フェニモアとゲルダ」

 R・V・ウィリアムズ  「毒の口づけ」「恋するサージョン」「天路歴程」

 バントック   「オマール・ハイヤーム」

 ブリテン    「ピーター・グライムズ」「アルバート・ヘリング」「ビリー・バッド」
          「グロリアーナ」「ねじの回転」「真夏の夜の夢」「カーリュー・リバー」
          「ヴェニスに死す」

ロシア・東欧

 ムソルグスキー 「ボリス・ゴドゥノフ」

 チャイコフスキー 「エフゲニ・オネーギン」「スペードの女王」「イオランタ」

 ラフマニノフ    「アレコ」

 ショスタコーヴィチ 「ムチェンスクのマクベス夫人」「鼻」

 ドヴォルザーク   「ルサルカ」

 ヤナーチェク    「カーチャ・カヴァノヴァ」「イエヌーファ」「死者の家より」
             「利口な女狐の物語」「マクロプロス家のこと」

 バルトーク     「青髭公の城」

以上、ハッキリ言って、偏ってます。

イタリア・ベルカント系はありませんし、バロックも、フランス・ロシアも手薄。

新しい、未知のオペラ、しいては、未知の作曲家にチャレンジし、じっくりと開拓してきた部分もある、わたくしのオペラ道。
そんななかで、お気に入りの作品を見つけたときの喜びといったらありません。

それをブログに残すことによって、より自分の理解も深まるという相乗効果もありました。

そして、CD棚には、まだまだ完全に把握できていない未知オペラがたくさん。

これまで、さんざん聴いてきた、ことに、長大なワーグナー作品たちを、今後もどれだけ聴き続けることができるかと思うと同時に、まだ未開の分野もあるということへの、不安と焦り。
もう若くないから、残された時間も悠久ではない。
さらに、忙しくも不安な日々の連続で、ゆったりのんびりとオペラを楽しむ余裕もなくなっている。
それがまた、焦燥感を呼ぶわけだ。

でも、こうして、総決算のようなことをして、少しはスッキリしましたよ。

リングをいろんな演奏でツマミ聴きしながら。。。。
 

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2015年8月13日 (木)

ヴェルディ レクイエム バーンスタイン指揮

Uminohoshi_2

前回の記事(ジル・レクイエム)のときに書いた、わたしの育った町にある幼稚園のカトリック教会。

とてもシンプルで、整然とした美しさ。

宗派は異なっても、教会とは、このように静かに、自分に向き合うところでもあるから、ありすぎない方がいい。

レクイエムは、カトリック典礼のミサで、その作曲者の奉じる宗派によっては、「レクイエム」とは無縁の人もいました。
だから、おのずとカトリックの多い、南の方の国にレクイエムは多いように思います。
 それでも、レクイエムの持つ、追悼と癒しの観念から、ブラームスやディーリアス、ブリテンのように、典礼文から離れた作品を残したり、声楽なしで、楽器だけのレクイエムを残した方もたくさんいます。

今日は、ブリテンとともに、毎年、この時期に聴く、ヴェルディのレクイエムを。

この作品こそ、ラテン系の正統レクイエムの最高傑作です。

Verdi_bernstein

    ヴェルディ  レクイエム

         S:マルティナ・アーロヨ   Ms:ジョセフィーヌ・ヴィージー

   
         T:プラシド・ドミンゴ      Bs:ルッジェーロ・ライモンディ

    レナード・バーンスタイン指揮 ロンドン交響楽団
                        ロンドン交響合唱団
                        ジョン・オールディス合唱指揮

               (1970.2.25 @セント・ポール教会、ロンドン)


毎夏聴く、ヴェルディのレクイエムですが、バーンスタインのヴェルレクは、記事として、今回が2度目。
最初は音源、今回は映像記録です。

1969年にニューヨーク・フィルの音楽監督を退任し、その活動の軸足を、ヨーロッパに向けだしたのが、1970年。
 もちろん、バーンスタインに一目惚れし、相思相愛となった街、ウィーンは、60年代半ばより定期的に客演する関係でしたが、ベートーヴェン生誕200年の記念の年、1970年あたりからは、さらに蜜月の度合いを深めていきました。

 同じく、バーンスタインを愛したオーケストラであり、愛した街がロンドン。
ロンドン交響楽団とは、桂冠指揮者の関係を得て、多くの録音や、音楽祭への出演があり、このオーケストラの豊かなフレキシヴィリティに、バーンスタインが大いなる共感と親近感を抱いてました。

1970年2月にバーンスタインは、そのロンドンに腰を据えて、ヴェルディのレクイエムに取り組みました。
 解説書の記録によれば、2月19~21日に、ロイヤル・アルバート・ホール(RAH)でリハーサル、22日にコンサート本番、23、24日に、レコーディング。
25日には、場所をセント・ポール教会に移して映像収録。
26日に、RAHに戻って録音の手直し。
という具合に、1週間に渡って密なる取り組みがなされたようです。

Verreq_4

すでに取り上げた、音盤を聴いての印象と演奏の内容は、基本は、同じに思います。

演奏時間90分は、他盤にくらべて長め。
 後年、ぐっとテンポが粘りぎみになる時代のものにくらべると、遅さと速さが同居していていながら、じっくりとやる場所は、思い入れも深く、早いヶ所は、より速く、その対比が実に鮮やか。
 そして、全編にあふれる覇気は、なみなみならず、こんなに、気合いと、強い思いを感じさせる演奏はありません。
 それらが映像で、バーンスタインの熱い指揮ぶりを見ながら聴くとなおさら。

 全曲、暗譜で指揮をするバーンスタイン。このとき、52歳。
まだお腹も出てないし、髪の毛も白さはほどほどで、銀髪の映画俳優のようなカッコよさ。
怒涛のように、のたうち、そして軽やかに踊るように舞い、祈るように、心を込めたその鮮やかな指揮ぶり。
この時代のレニーの本質の姿を本当に久しぶりにつぶさに見て、感激してしまいました。

Verreq_5

 前にも書きましたが、この映像は、NHKが、71年か2年の、8月のこの時期に放送しまして、当時、中学生だった自分は、「ヤング・ピープルズ・コンサート」で、バーンスタインの指揮は、つぶさに観て知っていたのですが、ここで、彼の指揮する「ディエス・イレ=怒りの日」の音楽の凄まじさに、目も耳も、すっかり奪われたのを覚えてます。

 以来、この作品を愛し、永く聴いてきましたが、劇的な激しさとともに、そこにある歌心と優しい抒情、その方にこそ、感銘を見出すようになって久しいです。

 そんな目線や聴き方で、一見、派手なバーンスタインのヴェルレクを聴くと、真摯な独唱者や合唱たちの姿も相まって、熱くて切ないほどの祈りの気持ちが響いてきます。

 ことに、「ラクリモーサ」は、バーンスタイン独特の世界が展開され、痛切なる思いに浸ることとなりました。
 二人の女声の歌声にしびれる「レコルダーレ」、若々しいドミンゴの歌う「インジェミスコ」、滑らかな美しいライモンディの「コンフタティス」・・・、いずれも、イタリアオペラ的でない、バーンスタインの流儀のカンタービレは、歌と感情に即した、音楽の万国人たる、ユニークな感じ方ではないかと・・・。

 そして、太鼓が教会の残響を豊かに伴って鳴り渡る「ディエス・イレ」は、CDのコンサート会場のものとは違って、勇軍かつ、劇的な雰囲気を作りだしてます。

Verreq_2

 若かった歌手たちのなかでは、わたくしは、J・ヴィージーのまっすぐの歌声が、その気品あふれるお姿を拝見しながら聴くことによって、一番よかったです。
カラヤンの選んだフリッカである彼女、まだ85歳で健在のようです。

 アーロヨさんも、まだ78歳でお元気の様子で、声のピークは、この頃ではなかったでしょうか。ヴェルディ歌手としての本領を感じますが、もう少し突き抜けるような軽さが欲しいかしらね。

 で、まだまだ元気のドミンゴとライモンディの同年コンビは、73,4歳。
おふたりともに、その美声は、後年よりもより引き立ってますし、そのお姿も若い。

 話は、少しそれますが、かつての昔は、オーケストラの中には、女性奏者を入団させず、男性だけのオーケストラが多くありました。
 今では、とうてい考えられないことですが、歴史的にもいろんなワケがあって、そうした妙な伝統として、近年まで守りぬかれていたことですが・・・・
 その代表格は、ウィーン・フィルとベルリン・フィル。
ベルリンでは、ザビーネ・マイヤーを入団させようとしたカラヤンとオーケストラの間で、大きな軋轢が生まれたことは、高名な話です。
 さらに、ニューヨークフィル、ロンドン響、レニングラードフィル、読響なども思い浮かびます。
 今回、映像により、ロンドン響の演奏姿を拝見したわけですが、たしかに、男性奏者だけ。
83年に、アバドとの来日公演を全部聴きましたが、記憶は不確かですが、そのときは、女性奏者はちらほら。
しかし、その公演にもいたお馴染みの、有名奏者たちが、この70年の演奏にも、見受けることができて、とても懐かしかったです。

Verreq_3

バーンスタインが健在なら、いまや96歳。
今年は、没後15年を迎えます。

年月の経るの早いものです。

この映像の冒頭に、バーンスタイン自身のナレーションが入ります。

1940年の4万人の死者を出したロンドン大空襲において、被災しなかった、セント・ポール教会で、多くの爆撃を受けた人々に哀悼をささげる。
 (あらゆる)戦禍と迫害は、忌まわしい非人道的行為であり、過去の犠牲者のみならず、現代と未来の我々のためにも、この演奏を捧げる。
過去の死者のためのみらなず、いま、生きる者の苦悩のためにも・・・

2度の世界大戦、朝鮮、ベトナム、ナイジェリアなどの戦争の名をあげ、さらに、指導者の暗殺などにも言及しています。

ヒューマニスト、バーンスタインならではの思いの発露でありましょう。

 あくまで、私見ですが、この当時は、敗戦国日本への大空襲や原爆にふれることは、きっとタブーだったはずだし、その実態も隠されていたものと思われます。
東京大空襲だけで、11万7千人、二度の原爆で20万人超、全国に空襲は広がり、50~100万とも・・・・。
 情報公開がしっかりしているアメリカから、最近になって、驚きの報がいくつも出てきます。

バーンスタインは、のちに、広島に訪れ、心からの追悼の念を持って、みずからの「カデッシュ交響曲」を指揮しました。

 レニーが、いま健在だったら、テロや憎しみ、隣国同士の恨み、それらを見て、どのような行動を起こすでしょうか・・・・。

過去記事 ヴェルディ「レクイエム」

「アバド&ミラノ・スカラ座」

「バーンスタイン&ロンドン響」

「ジュリーニ&フィルハーモニア」

「リヒター&ミュンヘン・フィル」

「シュナイト&ザールブリュッヘン放送響」

「アバド&ウィーン・フィル」

「バルビローリ&ニューフィルハーモニア」

「カラヤン&ベルリン・フィル」

「アバド&ベルリン・フィル」

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