カテゴリー「ヴェルディ」の記事

2016年8月14日 (日)

ヴェルディ レクイエム アバド スカラ座

Shibapark

ここ数十年、夏のおやすみ、すなわちお盆休みは、いまから31年前に起きた惨劇、日本航空機の御巣鷹山墜落事故の日の記憶から始まり、終戦の日を迎えることとなり、それこそ人の命の尊さを、真夏の暑さのなかに、しっかりと噛みしめることとなっている。。。。

あの事故の日、まだ社会人になって4年目。
都内の冷房もない暑いワンルームに帰って、テレビをつけたら飛び込んできたニュースだった。

またもっと遡ると、テレビを通じての惨禍の記憶は、1972年のミュンヘンオリンピック事件。
9月5日、パレスチナゲリラが、イスラエル選手たちを人質にとり、空港で銃撃戦となり選手を含む多くが亡くなった。
男子バレーや体の金メダルラッシュで、浮かれていた中学生だったが、血なまぐさい事件に凍りついたものだった。
 さらに、追悼セレモニーで、ルドルフ・ケンペの指揮するミュンヘン・フィルが競技場で、英雄交響曲の葬送行進曲を演奏した場面もはっきりと覚えている。

これらの悲しい出来事は、戦争を知らない私の、夏の惨事の記憶である。

世界を見渡せば、とんでもないテロリズムが蔓延し、日本でもどこかを踏みたがえた人間が惨劇を起こしたりもして、右も左も、かつては考えにくい悪夢を生んでいる。

もう、夏の記憶を血で塗り込めるのは勘弁してほしいものだ、いや、夏ばっかりじゃないけど。

そんなこんなを思いつつ、夏の「ヴェルディのレクイエム」を聴く。

Abbado_scala

 ヴェルディ    レクイエム

    S:ミレルラ・フレーニ    Ms:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
    T:ヴェリアーノ・ルケッティ Bs:ニコライ・ギャウロウ

    S:アンナ・トモワ・シントウ Ms:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
    T:ヴェリアーノ・ルケッティ Bs:ニコライ・ギャウロウ


  クラウディオ・アバド 指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団/合唱団

                  (1981.9.3/11 東京文化会館)


NHKFMのエアチェックテープをCDR化した、私家盤です。

忘れもしない、これも夏の記憶。

音楽監督クラウディオ・アバドに率いられて、大挙来日したスカラ座。
しかもアバドの朋友、カルロス・クライバーの帯同という超豪華な引っ越し公演だった。
スカラ座は、その後も何度も来日しているが、アバドがやってきたのは、この年、1981年だけだった。

もう、何度も書いているが、アバドは、シモンとセビリアの理髪師。
カルロスは、オテロとボエーム。
多くの聴衆は、カルロス・クライバーの指揮に飛びついたが、アバド・ファンのわたくしは、一念発起して、アバドの「シモン・ボッカネグラ」を最上の席にて観劇することだけに、新入社員の薄給のすべてをかけた。。。。

だがしかし、NHK様が、すべての公演と、2度のレクイエム、そしてガンドルフィが指揮したロッシーニのミサ曲までも、テレビ・FM放送をしてくれるという素晴らしいことをしてくださった。

おかげで、わたくしのエアチェック・ライブラリーには、「シモン」を除く、そのすべてが今でも健在なのであります。(シモンは、放送日が観劇日だったのです。。。。)

そして、そんなに悪くない音質で残されたふたつのレクイエムを、久しぶりに、続けて聴いてみた。

この引っ越し公演で、ヴェルディの二つのオペラのヒロインをつとめた、ふたりのソプラノ、フレーニと、トモワ・シントウ。
それ以外のソロは、3人共通。

フレーニは、シモンのマリア。シントウは、オテロのデスデモーナ。
真摯でひたむき、そして耳も洗われるような正統ベルカント歌唱を聞かせるフレーニ。
ドラマテッィクで、ちょっとのヴィブラートが劇性を醸し出すシントウ。
どちらかといえばフレーニの方が好きだけど、どちらも、甲乙つけがたい名歌唱。

そして要のような存在感を示すギャウロウの朗々としたバス。
51歳で早世してしまった、テッラーニの琥珀に輝やく、そして、少しの陰りをもったメゾ。
あと、元気のいい、でも、思い切りテノール馬鹿を感じさせつつも、まばゆいルケッティ。
欲をいえば、ルケッティとダブルで、ドミンゴかアライサも聴きたかったものだ。

このふたつの演奏に通じる、音楽の密度の濃さ。
そして、途切れることのない緊張感と集中力は、曲が後半に進むにしたがい増してゆき、聴き手をやがて呪縛してしまうことになる。
それを生みだしているのがアバドの指揮なのだ。
ことに、2度目の11日の演奏の、ものすごい熱さといったらない。
絶叫するかのような合唱は、アバドの気迫の指揮と一体化し、かつ絶妙なピアニシモでは、完璧にコントロールされたオーケストラとともに耳が釘付けになる。
 いつものように、静寂やピアニシモで歌う、そんなアバドの真骨頂がここにある。

スカラ座、ウィーン、ベルリンの3つの正規(ライブ)録音に比べてもそん色ない名演奏に思う。
いつか正規音源化を望みたい。
あと、アバドには、ローマでの若き日の演奏(youtubeあり)や、ロンドンでの演奏など、ヴェルレクは数々あり。
あと、かえすがえすも、ルツェルンでも取上げて欲しかったものです。。。。。

「バーンスタイン&ロンドン響 DVD」

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2016年3月30日 (水)

大好きなオペラ総集編

Tokyo_tower

桜は足踏みしたけれど、また暖かさが戻って、一気に咲きそう。

まだ寒い時に、芝公園にて撮った1枚。

すてきでしょ。

大好きなオペラ。

3月も終わりなので、一気にまとめにはいります。

Tristan

  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

ワーグナーの魔力をたっぷりと含んだ、そう魅惑の媚薬のような音楽。
この作品に、古来多くの作曲家や芸術家たちが魅かれてきたし、いまもそれは同じ。
我が日本でも、トリスタンは多くの人に愛され、近時は、歌手の進化と、オーケストラの技量のアップもあって、全曲が舞台や、コンサート形式にと、多く取り上げられるようになった。

わたくしも、これまで、9度の舞台(演奏会形式も含む)体験があります。

そして、何度も書いたかもしれませんが、初めて買ったオペラのレコードがこのトリスタンなのであります。
レコード店の奥に鎮座していた、ずしりと重いベームの5枚組を手に取って、レジに向かった中学生を、驚きの眼差しでもって迎えた店員さんの顔はいまでも覚えてますよ。

ですから、指揮も歌手も、バイロイトの響きを捉えた、そう右から第1ヴァイオリンが響いてくる素晴らしい録音も、このベーム盤がいまでも、わたくしのナンバーワンなんです。

次に聴いた、カラヤンのうねりと美感が巧みに両立したトリスタンにも魅惑された。
あとは、スッキリしすぎか、カルロスならバイロイトかスカラ座のライブの方が熱いと思わせたクライバー盤。ここでは、コロの素晴らしいトリスタンが残されたことが大きい。
 それと、いまでは、ちょっと胃にもたれるバーンスタイン盤だけど、集中力がすごいのと、ホフマンがいい。
フルトヴェングラーは、世評通りの名盤とは思うが、いまではちょっと辛いところ。

あと、病後来日し、空前絶後の壮絶な演奏を聴かせてくれたアバド。
あの舞台は、生涯忘れることなない。
1幕は前奏曲のみ、ほかの2幕はバラバラながら聴くことができる。
透明感あふれ、明晰な響きに心が解放されるような「アバドのトリスタン」。
いつかは、完全盤が登場して欲しい。

Ring_full_2

  ワーグナー 「ニーベルングの指環」

わたくしの大好きなオペラ、ナンバーワンかもしれない・・・

興にまかせて、こんな画像を作っちゃいました。

オペラ界の大河ドラマとも呼ぶべきこの4部作は、その壮大さもさることながら、時代に応じて、いろんな視点でみることで、さまざまな演出解釈を施すことができるから、常に新しく、革新的でもある。
 そして、長大な音楽は、極めて緻密に書かれているため、演奏解釈の方も、まだまださまざまな可能性を秘めていて、かつては欧米でしか上演・録音されなかったリングが、アジアや南半球からも登場するようになり、世界の潮流ともなった。

まだまだ進化し続けるであろう、そんなリングの演奏史。

でも、わたくしは、古めです。
バイロイトの放送は、シュタインの指揮から入った。

Bohm_ring1

そして、初めて買ってもらったリングは、73年に忽然と出現したベームのバイロイトライブ。
明けても覚めても、日々、このレコードばかり聴いたし、分厚い解説書と対訳に首っ引きだった。
ライブで燃えるベームの熱い指揮と、当時最高の歌手たち。
ニルソンとヴィントガッセンを筆頭に、その歌声たちは、わたくしの脳裏にしっかりと刻み付けられている。
なんといっても、ベームのリングが一番。

そして、ベーム盤と同時に、4部作がセットで発売されたカラヤン盤も大いに気になった。
でも、こちらと、定盤ショルティは、ちょっと遅れて、CD時代になって即買い求めた。
歌手にでこぼこがあるカラヤンより、総合点ではショルティの方が優れているが、それにしても、カラヤンとベルリンフィルの作り上げた精緻で美しい、でも雄弁な演奏は魅力的。

あと、忘れがたいのが、ブーレーズ盤。
シェローの演出があって成り立ったクリアーで、すみずみに光があたり、曖昧さのないラテン的な演奏だった。歌手も、いまや懐かしいな。
 歌手といえば、ルネ・コロのジークフリートが素晴らしい、そしてドレスデンの木質の渋い響きが味わえたヤノフスキ。

舞台で初めて味わったのが日本初演だったベルリン・ドイツ・オペラ公演。
G・フリードリヒのトンネルリングは、実に面白かったし、なんといっても、コロとリゲンツァが聴けたことが、これまた忘れえぬ思い出だ。

舞台ではあと、若杉さんのチクルスと、新国の2度のK・ウォーナー演出。
あと、朝比奈さんのコンサート全部。
みんな、懐かしいな。。。

以下、各国別にまとめてドン。

ドイツ

 モーツァルト   「フィガロ」「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」「魔笛」

 
 ワーグナー   「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」 「ローエングリン」
           「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
            「ニーベルングの指環」「パルシファル」

 ダルベール   「低地」

 R・シュトラウス 「ばらの騎士」「ナクソスのアリアドネ」「影のない女」「アラベラ」
            「ダフネ」「ダナエの愛」「カプリッチョ」

 ツェムリンスキー 「フィレンツェの悲劇」 (昔々あるとき、夢見るゾルゲ2作は練習中)

 ベルク      「ヴォツェック」「ルル」

 シュレーカー   「はるかな響き」 「烙印された人々」「宝探し」

 コルンゴルト  「死の都」「ヘリアーネの奇蹟」「カトリーン」

 ブラウンフェルス 「鳥たち」

 レハール    「メリー・ウィドウ」「微笑みの国」

イタリア

 ロッシーニ   「セビリアの理髪師」「チェネレントラ」

 ヴェルディ   「マクベス」「リゴレット」「シモン・ボッカネグラ」「仮面舞踏会」
           「ドン・カルロ」「オテロ」「ファルスタッフ」

 カタラーニ   「ワリー」

 マスカーニ   「イリス」

 レオンカヴァッロ  「パリアッチ」「ラ・ボエーム」

 プッチーニ   「マノン・レスコー」「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」「三部作」
           「ラ・ロンディーヌ」「トゥーランドット」

 チレーア    「アドリアーナ・ルクヴルール」

 ジョルダーノ  「アンドレア・シェニエ」「フェドーラ」

 モンテメッツィ 「三王の愛」

 ザンドナーイ  「フランチェスカ・ダ・リミニ」

 アルファーノ  「シラノ・ド・ベルジュラック」「復活」

 レスピーギ   「セミラーナ」「ベルファゴール」「炎」

フランス

 オッフェンバック 「ホフマン物語」

 ビゼー      「カルメン」

 グノー      「ファウスト」

 マスネ      「ウェルテル」

 ドビュッシー   「ペレアスとメリザンド」

イギリス
 

 パーセル   「ダイドーとエネアス」

 スマイス    「難破船掠奪者」

 ディーリアス  「コアンガ」「村のロメオとジュリエット」「フェニモアとゲルダ」

 R・V・ウィリアムズ  「毒の口づけ」「恋するサージョン」「天路歴程」

 バントック   「オマール・ハイヤーム」

 ブリテン    「ピーター・グライムズ」「アルバート・ヘリング」「ビリー・バッド」
          「グロリアーナ」「ねじの回転」「真夏の夜の夢」「カーリュー・リバー」
          「ヴェニスに死す」

ロシア・東欧

 ムソルグスキー 「ボリス・ゴドゥノフ」

 チャイコフスキー 「エフゲニ・オネーギン」「スペードの女王」「イオランタ」

 ラフマニノフ    「アレコ」

 ショスタコーヴィチ 「ムチェンスクのマクベス夫人」「鼻」

 ドヴォルザーク   「ルサルカ」

 ヤナーチェク    「カーチャ・カヴァノヴァ」「イエヌーファ」「死者の家より」
             「利口な女狐の物語」「マクロプロス家のこと」

 バルトーク     「青髭公の城」

以上、ハッキリ言って、偏ってます。

イタリア・ベルカント系はありませんし、バロックも、フランス・ロシアも手薄。

新しい、未知のオペラ、しいては、未知の作曲家にチャレンジし、じっくりと開拓してきた部分もある、わたくしのオペラ道。
そんななかで、お気に入りの作品を見つけたときの喜びといったらありません。

それをブログに残すことによって、より自分の理解も深まるという相乗効果もありました。

そして、CD棚には、まだまだ完全に把握できていない未知オペラがたくさん。

これまで、さんざん聴いてきた、ことに、長大なワーグナー作品たちを、今後もどれだけ聴き続けることができるかと思うと同時に、まだ未開の分野もあるということへの、不安と焦り。
もう若くないから、残された時間も悠久ではない。
さらに、忙しくも不安な日々の連続で、ゆったりのんびりとオペラを楽しむ余裕もなくなっている。
それがまた、焦燥感を呼ぶわけだ。

でも、こうして、総決算のようなことをして、少しはスッキリしましたよ。

リングをいろんな演奏でツマミ聴きしながら。。。。
 

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2015年8月13日 (木)

ヴェルディ レクイエム バーンスタイン指揮

Uminohoshi_2

前回の記事(ジル・レクイエム)のときに書いた、わたしの育った町にある幼稚園のカトリック教会。

とてもシンプルで、整然とした美しさ。

宗派は異なっても、教会とは、このように静かに、自分に向き合うところでもあるから、ありすぎない方がいい。

レクイエムは、カトリック典礼のミサで、その作曲者の奉じる宗派によっては、「レクイエム」とは無縁の人もいました。
だから、おのずとカトリックの多い、南の方の国にレクイエムは多いように思います。
 それでも、レクイエムの持つ、追悼と癒しの観念から、ブラームスやディーリアス、ブリテンのように、典礼文から離れた作品を残したり、声楽なしで、楽器だけのレクイエムを残した方もたくさんいます。

今日は、ブリテンとともに、毎年、この時期に聴く、ヴェルディのレクイエムを。

この作品こそ、ラテン系の正統レクイエムの最高傑作です。

Verdi_bernstein

    ヴェルディ  レクイエム

         S:マルティナ・アーロヨ   Ms:ジョセフィーヌ・ヴィージー

   
         T:プラシド・ドミンゴ      Bs:ルッジェーロ・ライモンディ

    レナード・バーンスタイン指揮 ロンドン交響楽団
                        ロンドン交響合唱団
                        ジョン・オールディス合唱指揮

               (1970.2.25 @セント・ポール教会、ロンドン)


毎夏聴く、ヴェルディのレクイエムですが、バーンスタインのヴェルレクは、記事として、今回が2度目。
最初は音源、今回は映像記録です。

1969年にニューヨーク・フィルの音楽監督を退任し、その活動の軸足を、ヨーロッパに向けだしたのが、1970年。
 もちろん、バーンスタインに一目惚れし、相思相愛となった街、ウィーンは、60年代半ばより定期的に客演する関係でしたが、ベートーヴェン生誕200年の記念の年、1970年あたりからは、さらに蜜月の度合いを深めていきました。

 同じく、バーンスタインを愛したオーケストラであり、愛した街がロンドン。
ロンドン交響楽団とは、桂冠指揮者の関係を得て、多くの録音や、音楽祭への出演があり、このオーケストラの豊かなフレキシヴィリティに、バーンスタインが大いなる共感と親近感を抱いてました。

1970年2月にバーンスタインは、そのロンドンに腰を据えて、ヴェルディのレクイエムに取り組みました。
 解説書の記録によれば、2月19~21日に、ロイヤル・アルバート・ホール(RAH)でリハーサル、22日にコンサート本番、23、24日に、レコーディング。
25日には、場所をセント・ポール教会に移して映像収録。
26日に、RAHに戻って録音の手直し。
という具合に、1週間に渡って密なる取り組みがなされたようです。

Verreq_4

すでに取り上げた、音盤を聴いての印象と演奏の内容は、基本は、同じに思います。

演奏時間90分は、他盤にくらべて長め。
 後年、ぐっとテンポが粘りぎみになる時代のものにくらべると、遅さと速さが同居していていながら、じっくりとやる場所は、思い入れも深く、早いヶ所は、より速く、その対比が実に鮮やか。
 そして、全編にあふれる覇気は、なみなみならず、こんなに、気合いと、強い思いを感じさせる演奏はありません。
 それらが映像で、バーンスタインの熱い指揮ぶりを見ながら聴くとなおさら。

 全曲、暗譜で指揮をするバーンスタイン。このとき、52歳。
まだお腹も出てないし、髪の毛も白さはほどほどで、銀髪の映画俳優のようなカッコよさ。
怒涛のように、のたうち、そして軽やかに踊るように舞い、祈るように、心を込めたその鮮やかな指揮ぶり。
この時代のレニーの本質の姿を本当に久しぶりにつぶさに見て、感激してしまいました。

Verreq_5

 前にも書きましたが、この映像は、NHKが、71年か2年の、8月のこの時期に放送しまして、当時、中学生だった自分は、「ヤング・ピープルズ・コンサート」で、バーンスタインの指揮は、つぶさに観て知っていたのですが、ここで、彼の指揮する「ディエス・イレ=怒りの日」の音楽の凄まじさに、目も耳も、すっかり奪われたのを覚えてます。

 以来、この作品を愛し、永く聴いてきましたが、劇的な激しさとともに、そこにある歌心と優しい抒情、その方にこそ、感銘を見出すようになって久しいです。

 そんな目線や聴き方で、一見、派手なバーンスタインのヴェルレクを聴くと、真摯な独唱者や合唱たちの姿も相まって、熱くて切ないほどの祈りの気持ちが響いてきます。

 ことに、「ラクリモーサ」は、バーンスタイン独特の世界が展開され、痛切なる思いに浸ることとなりました。
 二人の女声の歌声にしびれる「レコルダーレ」、若々しいドミンゴの歌う「インジェミスコ」、滑らかな美しいライモンディの「コンフタティス」・・・、いずれも、イタリアオペラ的でない、バーンスタインの流儀のカンタービレは、歌と感情に即した、音楽の万国人たる、ユニークな感じ方ではないかと・・・。

 そして、太鼓が教会の残響を豊かに伴って鳴り渡る「ディエス・イレ」は、CDのコンサート会場のものとは違って、勇軍かつ、劇的な雰囲気を作りだしてます。

Verreq_2

 若かった歌手たちのなかでは、わたくしは、J・ヴィージーのまっすぐの歌声が、その気品あふれるお姿を拝見しながら聴くことによって、一番よかったです。
カラヤンの選んだフリッカである彼女、まだ85歳で健在のようです。

 アーロヨさんも、まだ78歳でお元気の様子で、声のピークは、この頃ではなかったでしょうか。ヴェルディ歌手としての本領を感じますが、もう少し突き抜けるような軽さが欲しいかしらね。

 で、まだまだ元気のドミンゴとライモンディの同年コンビは、73,4歳。
おふたりともに、その美声は、後年よりもより引き立ってますし、そのお姿も若い。

 話は、少しそれますが、かつての昔は、オーケストラの中には、女性奏者を入団させず、男性だけのオーケストラが多くありました。
 今では、とうてい考えられないことですが、歴史的にもいろんなワケがあって、そうした妙な伝統として、近年まで守りぬかれていたことですが・・・・
 その代表格は、ウィーン・フィルとベルリン・フィル。
ベルリンでは、ザビーネ・マイヤーを入団させようとしたカラヤンとオーケストラの間で、大きな軋轢が生まれたことは、高名な話です。
 さらに、ニューヨークフィル、ロンドン響、レニングラードフィル、読響なども思い浮かびます。
 今回、映像により、ロンドン響の演奏姿を拝見したわけですが、たしかに、男性奏者だけ。
83年に、アバドとの来日公演を全部聴きましたが、記憶は不確かですが、そのときは、女性奏者はちらほら。
しかし、その公演にもいたお馴染みの、有名奏者たちが、この70年の演奏にも、見受けることができて、とても懐かしかったです。

Verreq_3

バーンスタインが健在なら、いまや96歳。
今年は、没後15年を迎えます。

年月の経るの早いものです。

この映像の冒頭に、バーンスタイン自身のナレーションが入ります。

1940年の4万人の死者を出したロンドン大空襲において、被災しなかった、セント・ポール教会で、多くの爆撃を受けた人々に哀悼をささげる。
 (あらゆる)戦禍と迫害は、忌まわしい非人道的行為であり、過去の犠牲者のみならず、現代と未来の我々のためにも、この演奏を捧げる。
過去の死者のためのみらなず、いま、生きる者の苦悩のためにも・・・

2度の世界大戦、朝鮮、ベトナム、ナイジェリアなどの戦争の名をあげ、さらに、指導者の暗殺などにも言及しています。

ヒューマニスト、バーンスタインならではの思いの発露でありましょう。

 あくまで、私見ですが、この当時は、敗戦国日本への大空襲や原爆にふれることは、きっとタブーだったはずだし、その実態も隠されていたものと思われます。
東京大空襲だけで、11万7千人、二度の原爆で20万人超、全国に空襲は広がり、50~100万とも・・・・。
 情報公開がしっかりしているアメリカから、最近になって、驚きの報がいくつも出てきます。

バーンスタインは、のちに、広島に訪れ、心からの追悼の念を持って、みずからの「カデッシュ交響曲」を指揮しました。

 レニーが、いま健在だったら、テロや憎しみ、隣国同士の恨み、それらを見て、どのような行動を起こすでしょうか・・・・。

過去記事 ヴェルディ「レクイエム」

「アバド&ミラノ・スカラ座」

「バーンスタイン&ロンドン響」

「ジュリーニ&フィルハーモニア」

「リヒター&ミュンヘン・フィル」

「シュナイト&ザールブリュッヘン放送響」

「アバド&ウィーン・フィル」

「バルビローリ&ニューフィルハーモニア」

「カラヤン&ベルリン・フィル」

「アバド&ベルリン・フィル」

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2015年5月19日 (火)

茅ヶ崎交響楽団演奏会 永峰大輔指揮

Chigasaki

暑かった日曜日。

電話ボックスを撮ったワケじゃないけれど、なかなかいい角度でホールを俯瞰することができなかった。

ここは、茅ヶ崎市民文化会館。

都内を発して、茅ヶ崎へ下車し、茅ヶ崎交響楽団を聴いて、電車でちょっとの実家には寄らずに、千葉のお家へトンボ帰りして、用事をすませて、また都内へ戻るという、妙に慌ただしい相模湾・東京湾の旅でした。

でも、とても清々しい演奏会が聴けて、疲れなんて、少しも感じなかった日曜でしたね。

神奈川フィルの前副指揮者の永峰大輔さんが、茅ヶ崎のオケに客演すると聞きおよび、出かけたわけです。

子供時代、ハレの日の買物は、通常は平塚のデパートで、ときおり、藤沢か横浜。
そして、茅ヶ崎は、ディスカウントストアの走りのようなチェーン店、「ダイクマ」が駅近にあったので、釣り好きの父親とよく行ったもので、茅ヶ崎は、わたくしには、加山雄三や、のちのサザンではなく、ダイクマの印象が強いのです。

釣り具も豊富だったけれど、オーディオも妙に充実していて、ダイヤトーンのでっかいスピーカーで、メータ&ロスフィルの「ツァラトストラ」を鳴らしてもらって、堪能したのは中学生だった自分です。
そう、レコードもクラシックは、そこそこ置いてあったのですよ。

そんな音楽との出合いも、茅ヶ崎というと思い起こすこと。

前置きが長くなりましたが、茅ヶ崎で、アマオケとはいえ、本格的なプログラムによるコンサートを味わうとは、当時は思ってもみなかったことですね。

Chigasaki_2

  ヴェルディ     歌劇「ナブッコ」 序曲

  サン=サーンス  「アルジェリア」組曲

  シベリウス     交響曲第2番 ニ長調

             アンダンテ・フェスティーボ(アンコール)

       永峰 大輔 指揮  茅ヶ崎交響楽団

                    (2015.5.17 @茅ヶ崎市民文化会館)

どうです、なかなか意欲的な曲の並びでしょう。
生誕180年のサン=サーンス、同じく150年のシベリウス。

茅ヶ崎交響楽団は、1983年発足で、今回で63回目の定期演奏会を迎え、地元・茅ヶ崎に根差し積極的な活動をしている団体です。

そして、お馴染みの永峰さんの経歴をここでご案内しますと、洗足学園音大を経て、フランツ・リスト音楽院や、ドイツ北部のメクレンブルク学び、海外各地での経験も豊か。
首都圏・関西圏での活動のなかでは、2012年から務めた神奈川フィルの副指揮者として、多方面での活躍が、印象に新しいところです。
その間、ウクライナ、アトランタ、それぞれの指揮コンクールで、最優秀指揮者に選ばれていて、今後の活躍もますます期待される若手です。

ステージをよく見れば、神奈川フィルのおなじみのメンバーも発見♪

 冒頭にヴェルディの、イケイケ系の序曲を持ってきたのは正解ですね。
ただでさえ固くなりがちなコンサートのスタートに、オケも聴衆も、熱い歌で一気に、緊張もほぐれるというものです。

 次ぐサン=サーンスの曲は、実は初めて聴きました。
「アルジェを目指して」、「ムーア風狂詩曲」、「夕べの幻想 ブリダにて」、「フランス軍隊行進曲」の4曲からなる、まさに南国風かつ南欧風のエキゾチックなムードの曲です。
 この中では、砂漠のオアシスの熱い夜を思わせる、ムーディなヴィオラソロが入る3曲目が、曲も演奏も聴かせました。
最後の威勢のいい行進曲は、フランスの植民政策が背景にあったかの時代を思わせはしますが、ラ・マルセイエーズが寸どまり気味に顔を出して面白かったです。
演奏も、最後は、永峰さんのリズムさばきが見事で、軽快かつ盛り上がった演奏となりました。

後半は、シベリウスの大曲。
1と2楽章をアタッカでつなげて、3・4と連続する楽章との対比と、構成感を巧みに表出しました。
細かなところで、いろんなことは起こりますし、ありますが、ですが、演奏する皆さんの真剣さと、熱い思いが、ジワジワと滲み出てきて、感動を呼んだのが第2楽章。
 前日に聴いたヴァイオリン協奏曲でもそうですが、シベリウスの音楽は、緩徐楽章や静かな場面が、北欧ならではの我慢強さや、熱い信念、厳しい冬との対峙などを感じることが出来て、大好きです。
また、そこには、だれしもが思い描くことのできる、北欧フィンランドの森と湖の光景が、そのまま音になっていることを感じる。
 この楽章で、トランペットのソロが寂しさも感じられ、素敵でした。

そして、思いきり爽快だった終楽章。
みなさん、これまでの練習の成果と、これが最後だという思いからでしょう、気持ちよさそうに弾いてらっしゃるし、永峰さんも、楽員さんの思いをしっかり受けて、解放してゆくような指揮ぶりでした。
音楽には、力強さと、うねりも感じられ圧巻のエンディングです。

 アンコールは、渋いところで、弦楽だけの、これまたじっくりジワジワ感動が来る曲、「アンダンテ・フェスティーボ」。
桂曲・桂演、湘南の地に相応しい、爽やかな風、届きました。

終演後は、この日集まった、We Love神奈川フィルのメンバーとともに、楽屋口に、永峰さんを訪れ、ご挨拶いたしました。

神奈川と、千葉のアマオケも、これから要チェック。
そして、永峰さんとともに、その先代、伊藤翔さんも、神奈フィル・ファミリーとして、その活躍をお祈りするとともに、これからも、聴いて行きましょう。

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2015年3月22日 (日)

ヴェルディ 「オテロ」 神奈川県民ホール・オペラシリーズ2015

1

久しぶりのオペラ観劇。

やっぱり、オペラはいい。

ドラマの展開と、音楽の進行に、どんどん自分が引き込まれてゆくのがわかる。

幕間に、ロビーに出て、同じ思いを多くの観客と共有できていることもわかる。

そして、上出来のほぼ完璧な舞台に、歌唱に、演奏だった。

 ヴェルディの「オテロ」、3度目の観劇体験でした。

1度目は、はるか昔、今回と同じ二期会のプロデュース。
若杉弘さんの指揮で、日本人キャストに、日本語上演というものでした。
千両役者オテロの登場は、「よろこーーべ・・・・」でしたね。

2度目は、新国。ヴェネツィアの水辺を、リアルに水をはった鏡面的な美しい舞台で展開される悲劇は、タイトル・ロールのステファン・グールドの劇演でもってすさまじい体験でした。

そして、3度目は、今回。
なんといっても、絶賛応援、神奈川フィルがピットに入ることが、わたくしにとっての最大のアドバンテージ。
その神奈川フィルの、オペラにおける実力はこれまで、なんども体験してきて既知のものでしたが、さらに、今回は、実力派の日本人歌手たちの素晴らしい歌唱も加わり、身も震えるほどの感銘を受けました。

Otello

   ヴェルディ   歌劇「オテロ」

     オテロ:福井  敬       デスデモーナ:砂川 涼子
     イヤーゴ:黒田 博      エミリーア:小林 由桂
     カッシオ:清水 徹太郎    ロデリーゴ:二塚 直紀
     ロドヴィーコ:斉木 健詞    モンターノ:松森  治
     伝令 :的場 正剛
    
     沼尻 竜典 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
                びわ湖ホール声楽アンサンブル
                二期会合唱団
                赤い靴スタジオ
         合唱指揮:佐藤 宏

         演出:粟國 淳

                  (2015.3.21@神奈川県民ホール)


シェイクスピアの原作も、ヴェルディのオペラも、とことん突き詰められた心理描写の人間ドラマを内包しているものだから、その演出にあたっては、無駄な解釈は不要。

演出:  粟國さんの演出は、新たな解釈はしていないけれど、そうした意味では、余計なことはまったくせずに、ともかく、オテロという男が、ひとりの女性を愛するあまりに、突き進んでゆく悲劇をまっすぐに捉えたシンプルなものでした。

それは、誰が観てもわかりやすく、幕の進行とともに、緊張感の増してゆくもので、最後には、幸福の絶頂の1幕の2重唱が、懐かしく思い起こされるという按配。
 オテロが、息も絶え絶えに、デスデモーナに最後の口づけをしようとする場面。
口づけの主題が、オーケストラにあらわれるとき、わたくしは、儚くなって、涙が滲んできてしまった。
 副官イヤーゴに翻弄され、すべてを失ってしまったオテロの孤独が、最後の最後に、愛を取り戻した瞬間が、自分の死であり、死でもって成就した愛は、まるで、トリスタン的なものを感じてしまいました。
 ベットに横たわる二人だけに、スポットライトがあたり、まるで、レクイエムのように、浄化されたエンディングでした。

15世紀半ばのヴェネツィアの時代に忠実な衣装デザイン。
ちょっと殺伐とした荒々しい舞台装置は、島と海も感じました。
あと、舞台の中心には、8角形のステージがつねに据えられていたけど、ここで繰り広げられる愛憎のやりとりのうえで、とても効果的だと思いました。
 こうした段差があったり、急階段を上り下りしたりと、昨今のオペラ歌手たちは、たいへんだな、とも感じたり。

3


歌手: 主役3人に人を得ました。

あんまり期待してなかったと言ったら怒られちゃいますが、福井さんのオテロが、実に素晴らしかった。
最初から最後まで、出ずっぱり、つねに強い声をはり出さなくてはならない難役を、スタミナ配分もしっかりとって、完璧な歌唱でした。
冒頭の「Esultate!」の力強い一声で、今日は、決まったな、と確信しました。
そして、疑心にとらわれ、最後の悲劇にむかって、徐々に正気を失っていくさまも、見事で、エキセントリックな一本調子にならずに、必然性があるかのような、ある意味冷静なる歌唱に思いました。日本人歌手ならではの、、丁寧なきめの細やかさともいえるかも。

さらに、すばらしかったのが砂川さんのデスデモーナ。
オテロに倒され、真横になって歌っても、その、まっすぐな声は、しっかり届く。
最後の、「柳の歌~アヴェ・マリア」では、その凛とした歌声が、まったくの不純物なく、こちらの耳に届きました。
堅実かつ、感動的な彼女の歌唱に、わたくしは、フレーニの歌声を思い起こしてしまった。
透明感ある、彼女のベルカント歌唱をわたくしは、初聴きでしたが、これから注目して聴きたいと存じます。

イヤーゴの黒田さん。声の威力は少し物足りませんが、邪悪さよりは、スタイリッシュで、頭脳犯的なクールなイヤーゴを歌いだしていたように思います。
オペラグラスで、ときおり拝見してましたが、その眼光や顔の表情ひとつに、細やかな演技が伴っていて、さすがと思わせました!

あと、わたくしのお気に入りのメゾ、小林さんのエミリーリア。
以前に、「ナクソスのアリアドネ」の作曲家を聴いて、その誠実な歌が好きになりました。
今回も献身的な歌と演技で、最後には、ついに、イヤーゴに抑えつけられていた思いを爆発させる強さも見せてくれました。
 カッシオの清水さんの明るい声もよかったです。

オーケストラ:的確なる沼尻さんの指揮に、有機的なオーケストラ

ドイツのリューベック歌劇場での活動も評判のオペラ指揮者としての沼尻さん。
オーケストラをあおったりすることもなく、舞台の歌手たちが歌いやすいように、ある意味、穏健な棒さばきで、全体の流れを作り、その中にドラマを構築してゆくという感じ。
職人的なさばき方や、棒のテクニックがドイツで受けるのは、若杉さんを思わせるからかな。
不満はないけれど、もっと、音楽が熱くなってもよかった。
乗りきらないところや、聴衆が温まってなかったからか、最初の方は、ちょっと温度不足。
激する、オテロとイヤーゴの二重唱と、そのあとの激情的な後奏は、それこそ、もっと激しくやって欲しかった。
でも、3幕、4幕は、そんな自分の思いこみの不満も、まったくなくって、緊張感ある音楽造りに、魅せられるようになりました。

 そんな指揮に、われらが神奈川フィルは、機敏に応えつつ、このところ痛感するようになった、オケ全体の有機的な存在としての響きを醸し出しています。
今回は、ピットのなかの、オペラのオーケストラとして、舞台の出来事、歌手たちの発する声とその背景に、たくみに反応して、ヴェルディの円熟の筆致を聴き手に味わわせてくれたように思います。
 上からのぞいてましたから、その演奏ぶりも確認できましたよ。
1幕の愛の二重唱の前奏、門脇さんの素敵なソロを中心とする4人のチェロ、美音でした。
うごめく低弦のクリアーさ、炸裂する打楽器、そして歌心を持った、木管に、弦楽。
ヴェルディならではの、バンダもともなった金管のスリムな輝き。
 ステージの神奈フィルも好きですが、オケピットのなかの神奈フィルも大好きであります。

好きなオペラのことだから、ついつい、長文になってしまいました。

来年のこのシリーズは、「さまよえるオランダ人」です。
そして、今年は、9月に「トゥーランドット」、12月に「金閣寺」があります。
楽しみ~

 「オテロ」過去記事

「ヴィントガッセン&F=ディースカウ」

「メータ&メトロポリタン」

「フリッツァ、石井 @新国」

「クライバー&スカラ座」

2

ホールから見えた、大桟橋に停泊中の旅客船「飛鳥」。

3幕の途中あたりで、出港したようです。

あと、4幕、各幕終了ごとの20分の休憩は、ちょっと、流れが阻害されたかも・・・。
もちろん、舞台変換と、歌手の負担を考えたら、そうなのですが。

素晴らしいロケーションの県民ホール。
デッドな響きがふだんは辛いところですが、ピットに入ると、とても音がよく響きます。
今回は、3階のライト前方で、ここは上にひさしもなく、音が溶け合って上に届くから、とてもよいのです。
あとは、1階の出来るだけ前方かな。

ご参考まで・・・・

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2014年12月 2日 (火)

グィネス・ジョーンズ オペラ・リサイタル

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12月になりました。

街は、集中しすぎの感はありますが、都会を中心に明るく着飾っております。

そして、昭和はますます遠ざかる思いをいだかせる著名人たちの訃報。
一方で、選挙も始まり、かまびすしく、流行語大賞も、レコードアカデミー賞もはやくも決まり、なんだかんだで、慌ただしいのであります。

そんななかで、暗くなると、そわそわしてきて、街を徘徊するオジサンひとり。

そうです、ワタクシ、イルミネーション大好きおじさんです。
そんなルミ男がワクワクしながら訪れたのは、恵比寿のガーデンプレイス。

ここは素晴らしい。

いまのところ、今年のイルミ大賞候補ですわ。

バカラのシャンデリアをいくつか組み合わせた、超ゴージャスなもの。
そして、ここへのアプローチは、イルミ並木に、ツリーが。

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 グィネス・ジョーンズ オペラティック・リサイタル

   ベートーヴェン 「フィデリオ」

      〃      コンサート・アリア「ああ、不実な人よ」

    ケルビーニ   「メディア」

   ワーグナー   「さまよえるオランダ人」

    ヴェルディ    「イル・トロヴァトーレ」

      〃     「運命の力」

      ソプラノ:デイム・グィネス・ジョーンズ

    アルジョ・クアドリ 指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団

                       (1966.11@ウィーン)


ウェールズ生まれの名歌手、グィネス・ジョーンズ、30歳のときの録音。

一般に、ギネス・ジョーンズと呼んでますが、Gwyneth Jonesなので、グゥィネスとか読んだ方が正しい。
ビールのギネスは、Guinnessで、こちらも微妙。
ジョーンズさん本人も、若い頃は、ギネスと呼ばれるので、その都度、「グゥイネス」と、正していたそうな。

70~80年代を代表するワーグナー歌手で、そのレパートリーは、ワーグナーにとどまらず広大で、R・シュトラウス、ヴェルディ、プッチーニまで。
そう、ビルギット・ニルソンに近い存在です。

でも、デイム・グィネスのその声は、人によっては賛否両論。
高音が強いので、耳にきつく響きます。
そのあたりが時として、声の威力に頼って、大味な印象にも結び付くからでしょうね。

しかし、わたくしは、昔から好きですよ彼女の声。

なんどか書いてますが、そのキンキンの高音と裏腹に、彼女の低音のグローリアスなまでの美しさは、極めて魅力的なんです。
だから、声のレンジが広い役柄が、もっとも素敵。
ブリュンヒルデ、ゼンタ、クンドリー、マルシャリン、バラクの妻、エジプトのヘレナ、トゥーランドットなどです。

わたくしは、彼女のイゾルデ、バラクの妻で、その舞台に接してますが、圧倒的なその声は、豊かな声量もさることながら、細やかでかつ体当たり的な迫真の演技とともに、いまでも忘れえぬ経験として、この身に刻まれております。
さすがは演劇の国、彼女の演技がまた素晴らしいのでした。
いくつも残された、DVDでそのあたりは確認できると思います。

そんな充実期の体験なのですが、この音盤は、まだ彼女が売りだしの頃で、コヴェントガーデンを中心に活躍し、ウィーンやベルリンでも歌いはじめたころ。
またバイロイトへの登場も、この年で、いきなりジークリンデでデビューしてます。
 ちなみに、翌67年には、NHKのイタリア・オペラ団の一員として来日して、「ドン・カルロ」でもって、日本デビューしてます。

 輝き始めのこちらの、彼女の声は、その魅惑の中低音域は、この頃からその片鱗がうかがえます。
静かな場面での、その歌声は、やはり、とても素敵なものでした。
しかし、強い箇所では、その強音が絶叫のように感じられ、まだそのあまりある声とパワーをコントロールできていないように感じます。
でも、30歳のビンビンの声は、それはそれで魅力で、ピチピチしてますよ。
ことに、ヴェルディがことのほか素晴らしかったです。
それと歌いなれた、フィデリオの迫真性と優しさ。
ゼンタのいっちゃってる感も素敵。

 それとこの音盤の魅力は、ウィーンのオケと、それを指揮する懐かしい名前、クアドリさん。
日本によくオペラを振りに来てましたね。
東京フィルにも再三登場。
雰囲気豊かなオーケストラは、やはり、オケピットの響きがしますし、この頃のデッカの強力録音陣は、豪華な音がします。
そう、エリック・スミスとゴードン・パリーの名前がクレジットされてますよ。
ショルティのリングの頃ですからね。

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         (バイロイトでのエヴァ:1968)

デイム・グィネス・ジョーンズの声に、若い力をいただいたような思いです。
78歳を迎える彼女、いつまでも元気でいて欲しいです!

最後に、ゴージャス恵比寿を1枚。

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2014年8月14日 (木)

ヴェルディ レクイエム アバド指揮

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都会のど真ん中に静かに佇むマリアさま。

カトリック神田教会。
1874年、明治7年創設の歴史あるこの教会は、維新後、禁教令が解かれ、すぐさま布教の足がかりとして築かれたものです。
フランシスコ・ザビエルに捧げられ、ザビエル教会ともされてます。

いまある、この堅牢な聖堂は、昭和3年のもので、国の有形文化財。

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聖堂内部は、撮影禁止ですが、ほんのちょっとだけ。

ステンドグラスを反映した光りが、とても美しく、静かな空間がそこにありました。

一度、こちらのパイプオルガンや、聖堂コンサートを聴いてみたく思ってます。

 8月の今頃は、毎年、ヴェルディのレクイエムを聴いております。

典礼的には、死者のためのミサ曲ですから、カトリック系の音楽となりますが、これほどの作品になると、カトリックもプロテスタントもないです。
ですが、教会で演奏するとなると、円柱にかたどられたロマネスク様式のカトリック教会の方が、相応しく思います。

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   ヴェルディ  レクイエム

     S:アンジェラ・ゲオルギュー  Ms:ダニエッラ・バルチェローナ

     T:ロベルト・アラーニャ     Bs:ジュリアン・コンスタンティノフ

   クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
                   スウェーデン放送合唱団
                   エリック・エリクソン室内合唱団
                   オルフェオン・ドノスティアーラ合唱団

                 (2001.1.25,27 @ベルリン)


ことしの、ヴェルデイのレクイエムを弔いの念を持って、アバド盤を聴くことになるとは。

EMIに数枚残されたアバドの録音のうちのひとつですが、このライブ録音には、いつかの側面があります。

①アバド3回目の録音。
79・80年ミラノスカラ座、91年ウィーンフィル、2001年ベルリンフィルと、ほぼ10年おきに、その時の手兵で持ってレコーディングして、世に問うてきた、アバドの勝負曲であること。
その間にも、ロンドン響とも60年代から演奏してますし、なんといっても、わたくしたち日本人にとって忘れ得ないのは、81年のスカラ座との来日で、ソプラノを変えて2公演指揮してくれました。
このふたつは、わたくしの放送音源の中でもお宝のひとつとなってます。

②2013年は、生誕200年でしたが、2001年は、没後100年のヴェルディ。
ジルヴェスターでは、「ヴェルディナイト」を指揮。
そして1月に、このレクイエムで、さらにイースター祭では「ファルスタッフ」を上演。
アバドが、ヴェルディを集中的に取り上げた最後の機会となってしまいました。
 ベルリンの次のステージ、ルツェルンでのヴェルレクを夢見ていたのですが、それは叶わぬものとなってしまいました。

③病からの復帰。前年に胃癌となり、大半の演奏会をキャンセルして治療に専念し、復帰し、秋には、すっかり痩せ細って日本のわれわれの前にあらわれたアバド。
執念の「トリスタン」については、これまで何度も書いてきました。

その翌年1月のヴェルディ「レクイエム」が演奏されたのは、1月27日。
ヴェルディ100回目の命日、その日でした。

そして、今年、その演奏の14年後、期しくも、同じ1月の20日にアバドは旅立ってしまいました。

病を克服したことで、アバドの演奏は、透徹感にくわえ、壮絶なまでの音楽への集中と自己の命を削った代償としてのような燃焼度の高い、神々しい演奏を作り上げるようになった。

そして、そこに、感じたのは、アバドの若返り。

テンポもゆったりとなり、悠然たる巨匠風の大演奏となると思いきや、マーラーやブルックナーでは、快速テンポをとりつつ、覇気とオケ奏者を奮い立たせる気合にあふれた演奏を繰り広げるようになりました。
ですから、よけいに、ルツェルン時代のヴェルレクがどのようになったか、想像だけでも、泣けてきます。

 こちら、ベルリンフィル・ライブでのアバドは、もの凄い集中力と統率力でもって、ソロと合唱をも、ベルリンフィルの持つ輝かしい音色のもとに、引きつけてしまっている。
ピリピリとした緊張感は、これまでの2盤以上。
全員が、アバドの指揮棒のもとに帰依している感じ。

 ライブで、これだけ、精度が高く、迫真に富み、ダイナミックで、歌にもあふれ、美しい演奏って、絶対にあり得ないと思う。

ただ、ほんとうの贅沢だけど、注文をつけさせていただければ、EMIのキンキンとした録音が、どうにも気にいらない。
 そして、EMIになった要因かもしれない、ゲオルギューとアラーニャが、アバドの明るい禁欲的世界からすると異質で、歌にのめり込みすぎ。
それ自体は、素晴らしい歌唱なのですが・・・・。
 バスのブルガリアのコンスタンティノフも、声の揺れがどこか不安を感じさせ、どうしてもギャウロウのピシッと1本筋の通った歌声を聴きなれている身しては、ミスキャストの感は否めない。
バルチェローナは、まったくすばらしい。

合唱は、技量も音への集中度も完璧。
そう、この完璧度合いも、全体のバランスを考えるとどうかなと思ってしまう、そんな贅沢すぎる自分。

歌と知性にあふれ、病後の異常なまでの集中力を感じさせる演奏なのですが、オケ・独唱・合唱が、高性能ながら、どこか個性が違いすぎる、そんなアバド3度目のヴェルレクでした。

でも、アバド好きとしては、これもこれ。
ベルリンフィルの超絶高性能ぶりと、カラヤンになかった歌心と透明感には、ほとほと感心してしまいます。

アバドのヴェルレクなら、やはり、スカラ座。
無垢な清らかさと、すべて全員が同じ方向を希求している真の美しさ。

過去記事 ヴェルディ「レクイエム」

「アバド&ミラノ・スカラ座」

「バーンスタイン&ロンドン響」

「ジュリーニ&フィルハーモニア」

「リヒター&ミュンヘン・フィル」

「シュナイト&ザールブリュッヘン放送響」

「アバド&ウィーン・フィル」

「バルビローリ&ニューフィルハーモニア」

「カラヤン&ベルリン・フィル」

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2014年1月23日 (木)

ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」 アバド指揮

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クラウディオ・アバドは、私の音楽を聴いて楽しむという人生のうえでの、最大の支柱であり、心から敬愛し、思慕した人でした。

訃報に接し、嗚咽し、二日の間、晩には涙にくれました。

今日は、ボローニャでの、アバドの棺を担ぐ、アバドゆかりの人々の画像も確認しました。

悲しみは、悲しみとして受け入れなくてはなりません。

クラシック聴き始めの頃から、アバドは常に、私のそばに存在していた気がします。

最初のレコードは、71年に買ったアルゲリッチとのショパンとリストの協奏曲でした。

以来ずっと親しく聴いてきました。

そんな歴史を、顧みつつ、アバドを偲んで、しばらくの間、アバドを聴いていきたいと思います。

神奈川フィルの演奏会がありますので、そちらも挟んで。

アバドの世代以降の指揮者は、コンクールで優勝して、成功をつかみ、音楽界にデビューして行くというパターンが生まれました。
劇場の下積みで、一歩一歩叩きあげてゆくということでなしに、いきなり華やかにメジャーデビューしたりし始めたわけです。

アバドも同じく、名門一家の出自ながら、コンクールで賞を得て、バーンスタインやカラヤンに推されてニューヨークフィルやウィーンフィルを指揮するようになったわけです。
しかし、アバドの違うところは、根っからのオペラ指揮者であったことです。

早い時期から、オペラでも成功を導きだし、故郷のミラノ・スカラ座に迎えられました。

作品への深い洞察と、周到な準備に基づく完璧な表現と解釈。
限られたレパートリーを掘り下げ尽し、何度も挑戦しては、パーフェクトの度合いを深めていった。

その代表が、ヴェルディの「シモン・ボッカネグラ」。

この演奏は、アバドの残した録音の最高傑作といってはばかりません。

それどころか、あらゆるオペラ録音の中にあっても最上級の評価に値する最大傑作だと思ってます。

70年代初めから取り組み始めた「シモン」。
何度も何度も上演し、折しも、イタリア経済界苦境のおり、スカラ座も予算が少なく、再演に次ぐ再演で、アバドは「チェネレントラ」とともに、この「シモン」を執拗なまでに取り上げました。

そのピークに録音されたのが、この音源。

さらに、その4年後、今度は、スカラ座を伴って来日して、この完璧に出来上がった「シモン」を、東京文化会館で上演してくれました。

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  ヴェルディ 歌劇「シモン・ボッカネグラ」

  シモン:ピエロ・カプッチルリ    フィエスコ:ニコライ・ギャウロウ
  ガブリエーレ:ホセ・カレーラス  アメーリア:ミレルラ・フレーニ
  ピエトロ:ホセ・ファン・ダム     パオロ:ジョヴァンニ・フォイアーニ
  隊長:アントニーノ・サヴァスターノ 腰元:マリア・ファウスタ・ガラミーニ

     クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
                      ミラノ・スカラ座合唱団

                        (1977.1 @ミラノ CTCスタジオ)


知情意、三拍子そろった、耳と心洗われるヴェルディ演奏の真髄。

紺碧の地中海を思わせる、透明感と深みさえもった、緩やかな序奏を聴いた瞬間、私はいつも、この素晴らしい演奏と音楽に耳が釘付けになり、全曲を一気に通して聴かざるをえなくなる。

そして、常に思い出すのは、颯爽とピットに登場し、聴衆にサッと一礼し、指揮を始めるアバドの姿。
非常灯もすべて落として、真っ暗ななかに、オケピットの明かりだけ。
文化会館の壁に、浮かび上がるアバドの指揮する影。

1981年9月の初アバド体験は、「シモン」というオペラの素晴らしさとともに、アバドのオペラ指揮者としての凄さを見せつけられ、生涯忘れえぬ思い出となったのでした。

舞台も、歌手も、合唱も、そしてオーケストラも、アバドの指揮棒一本に完璧に統率されていて、アバドがその棒を振りおろし、そして止めると、すべてがピタッと決まる。
背筋が寒くなるほどの、完璧な一体感。

当時のつたないメモを、ここに記しておきます。

「これは、ほんとうに素晴らしかった。鳥肌が立つほどに感動し、涙が出るばかりだった。
なんといっても、オーケストラのすばらしさ。ヴェルディそのもの、もう何もいうことはない。
あんな素晴らしいオーケストラを、僕は聴いたことがない。
そして、アバドの絶妙な指揮ぶり。舞台もさることながら、僕はアバドの指揮の方にも目を奪われることが多かった・・・・・。」

ちょうど、そのひと月前、ベームが亡くなって、音楽界は巨匠の時代から、その次の世代へと主役の座が移りつつあり、アバドはその先端にあった指揮者のひとりなのでした。

海を愛し、イタリアを愛し、しかし、運命の歯車にその生涯を狂わせれた男の物語。
この渋いオペラをアバドは、スカラ座でも、ウィーンに移ってからも、そのあともずっと指揮し続けました。
「シモン」がアバドのおかげで、いまのようなメジャーな存在になったといっていいかもしれません。
こうした、運命に翻弄される人物や、心理的な内面を語るようなドラマ性をもったオペラ作品を、アバドは好んで取り上げました。
「ヴォツェック」「ボリス・ゴドゥノフ」もそれと同様の存在でした。

最後の場面で、シモンが体に毒が回るなか、窓を大きく開き、愛する海を眺めて歌うモノローグ。
そのあとの敵フィエスコとの邂逅、そして家族に囲まれて迎える死。
シモンは愛娘に手を差しのばしながら倒れ、フィエスコは、民衆にその死を伝える。

この静かなレクイエムのような終結部が、今ほど心に沁みることはありません。

アバドを送る、追悼として、心より捧げたいと思います。

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音楽を愛し、音楽のためだけに生きたアバド。

その魂が、いつまでも安らかでありますように。
             
  

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2013年12月23日 (月)

ヴェルディ 「ファルスタッフ」 ジュリーニ指揮

Nakadori

丸の内仲通りの一隅に、ちょっとした庭園スペースがあって、いつもそこは素敵なのでした。

このシーズンは、プーさんたちのイエローなツリー。

ツリーには、蜜蜂の巣が飾られてますよ。

Verdi_falstaff_giulini

    ヴェルディ  「ファルスタッフ」

 ファルスタッフ:レナート・ブルソン   フォード:レオ・ヌッチ
 フェントン:ダルマチオ・ゴンザレス  カイユス:マイケル・セルス
 バルドルフォ:フランシス・エガートン ピストーラ:ウィリアム・ウィルダーマン
 フォード夫人アリーチェ:カーティア・リッチャレッリ
 ナンネッタ:バーバラ・ヘンドリックス 
 クイックリー夫人:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
 ページ夫人メグ:ブレンダ・ブーザー

  カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニック管弦楽団
                      ロサンゼルス・マスターコラール

            (1982.4 @ロサンゼルス、ミュージックセンター ライブ)


ヴェルディ(1813~1901)最後のオペラは、喜劇となりました。

1892年に完成、翌年80歳の年にスカラ座で初演。
もしかしたら、これが最後のオペラとわかっていた聴衆は、熱狂的な歓声と称賛をイタリアオペラの最大の作曲家に浴びせた。

ワーグナーは、半音階の大悲恋楽劇「トリスタン」と、ハ長の喜・楽劇「マイスタージンガー」を対のようにして重ねて作曲した。

ヴェルディも、悲劇的な「オテロ」と、そのあとは喜劇の「ファルスタッフ」を晩年に、対のようにして創作。
ともに、シェイクスピアの原作で、ボイートの台本。
晩年に巡り合った、彼らは、後世のわたしたちに、このような素晴らしいオペラの傑作を残してくれました。
ですから、いまだに恵まれない、作曲家としてのボイート、ことにオペラ「メフィストフェーレ」なんかは、ちゃんと聴いて評価しなくてはいけません。

この大傑作オペラの記事を、自分ではたくさん書いてるつもりだったけど、よくみたら、新国の観劇記事しか残してないことに気が付きました。
音源は、それこそたくさん持っているのに。
カラヤン、バーンスタイン、ショルティ、ジュリーニ、アバド。

ともかくヴェルディ指揮者でなくても、このオペラを好んで指揮する大家が多い。

それは、「オテロ」とともに、シンフォニックなアプローチが可能な作品だからだろうか。
作曲を進化させたヴェルディは、先にワーグナーが到達したように、そしてお互いが影響しあったように、「オペラ」を旧弊の概念から脱却させ、音楽優位の総合芸術としての概念で確立させた。

「オテロ」以降、アリアという歌手の見せ場が、劇の中で突出してしまわないように、ドラマと音楽の流れの中に、しっかりと埋め込んでしまった。
モノローグ(独白)とも言うべき、登場人物の心情吐露に変わったわけで、そこにはアリアのような形式はなく、長さも長短あり、劇の流れの効果のなかで、歌われる。
したがって、歌手の名技性をひけらかしたり、大むこうを唸らせるような派手な歌はなくなりました。
そうして生れた、ある意味自由な心情吐露は、素晴らしい旋律を伴って、プッチーニに受け継がれたのであります。

このような背景から、オテロとファルスタッフに、交響的な演奏も可能なのでして、歌手を楽器のようにして扱った、カラヤンが、この二つのオペラを得意にしたのもうなずけます。
バーンスタインの快活な演奏にも、その流れを感じますが、ショルティはまたちょっと複雑で、軸足はオペラ指揮者かもしれません。

シンフォニー指揮者としても練達であるジュリーニとアバドは、ともにシンフォニーオーケストラを指揮しながら、オペラの呼吸をオーケストラに完全に植えつけてしまい、歌手たちもそれを背景に生き生きと振る舞っているのが聴いてとれます。
そして、ともに過去、レコード・アカデミー賞を受賞(アバドは大賞)しております。

それに反して記事が少ないことを反省し、これからちょくちょく書こうかと思ってます。

このオペラの舞台経験は、さほど多くなくて、82年の二期会(小澤征爾指揮)と、2007年新国立(ダン・エッティンガー指揮)の2回だけ。
どちらも鮮明に覚えてます。
舞台にすると、まさに喜劇としての色合いを濃く感じ、そこに、若い恋人のロマンスと、夫婦の倦怠期と愛情、そして男の遊び心と、それより上手の女性の強さ・優しさ・したたかさ、こんなもろもろのことを、目の当たりにし、楽しめることができます。

このオペラの詳細は、「オテロ」もそうですが、全曲チクルスの中で、また来年か、再来年の記事で取り上げたいと思います。

今日の音源は、それこそ、元オペラ指揮者だったジュリーニが、オペラからはしばらく足を洗い、その後、長らくを経て、ロサンゼルスフィル時代に、ロスフィルをピットに入れて上演した記念碑的なライブ録音であります。

最初の開始音から感じる明るく、軽い響き。
見通しがよく、透明感にあふれている。
いずれ取り上げる、アバドとベルリン・フィルも同じようなイメージを持つ。

ともに行き着いた境地。
でも、弾むような若さを持つのはアバドの特徴だけど、ジュリーニの演奏には、いつものようなゆったりとしたテンポの運びのなかに、もしかしたら貴族?と、ほんとうに思わせるノーブルさを、サー・ジョンに感じさせもする面白さがあります。

このオペラで大切な、いくつもある重唱。
歌手たちのハーモニーをくっきりと響かせ、オーケストラも混濁することなく、しっかりつけてゆく、この熟練の手腕は、オペラ指揮者ジュリーニそのものです。
ロスフィルの音色も、ここではヴェルディにピタリ!
メータの、プレヴィンの、サロネンの、いまやドゥダメルのロスフィルの音。
ずっと好きだったけど、ジュリーニ時代がもっと長ければ、きっとこのオケはもっとスゴイ存在になっていたかも。

豪華な歌手たちに、いまさら、なにを言えばいいでしょう。
でも以外に一番好きなのは、リッチャレルリのアリーチェ。
ふるいつきたいほどの豊かな声です。

それと当時絶頂期だったゴンザレスのフェントンは、驚きの美声。
故テッラーニのもったいないくらいのクイックリー夫人。
同じく、ミスター・フォードのヌッチの凛々しさ。

ブルソンのファルスタッフは、当初からその豊穣な声が素晴らしいと思ってました。
でも何度も聴くと、そこにややドラマ性の空虚さを感じる場面があったりします。
今年、ブルソンをいろいろ聴いてきて、そんな思いを抱くようになりました。
カプッチルリやヌッチを聴いて、思うブルソンなのですが、その声自体は極めて立派で、しかも美声。素晴らしいと思います。

しかし、「オテロ」と「ファルスタッフ」、このふたつの傑作は、こうして連続して聴くと、その完璧な出来上がりに感服しまくりです。

過去記事

 「新国立劇場 D・エッティンガー指揮」

Nakadori2

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2013年12月22日 (日)

ヴェルディ 「オテロ」 クライバー指揮

Yurakucho

有楽町マリオンの吹き抜けです。

有楽町センタービルというのが正式名匠だそうですが、この建物が出来て、もう30年近くになる。

当初は、西武と阪急というふたつの百貨店が2館入居するとうバブリーな存在でしたが、いまでは映画館はそのままに、西武は撤退し、JR系のルミネと阪急のメンズ系の商業施設となってます。

まったく、時の流れとその変化は速いものであります。

ここの吹き抜けは、銀座方面と有楽町駅とを結ぶ通路にもなってますから、いつも結構な人ごみであります。

さて、ワーグナー、ヴェルディ、ブリテンのアニヴァーサリーの今年も、冬至の今日、あと数日となりました。

最初にうちたてた、大計画は半ば達し、半ば崩壊。

ワーグナーの自身数度目になる全曲記事は、音源と映像で2度やろうと思ったけど挫折。
ヴェルディは、オペラ全曲をやろうと思ったけど、いまだ半分。
ブリテンは、あと1作でこちらはなんとか。

という訳でして、持ち越しのヴェルディ、せっかくの生誕200年なので、後期の大傑作をふたつ聴くことにしました。
その全曲順番聴きとしては、来年にまた取り上げることになります。

Verdi_ottelo_kleiber

  ヴェルディ  「オテロ」

 オテロ:プラシド・ドミンゴ      デスデモーナ:ミレッラ・フレーニ
 イヤーゴ:ピエロ・カプッチルリ   カッシオ:ジュリアーノ・チャンネッラ
 ロデリーゴ:ダーノ・ラファンティ  ロドヴィーゴ:ルイジ・ローニ
 モンターノ:オラツィオ・モーリ   伝令:ジュェッペ・モレッリ
 エミーリア:ジョネ・ジョッリ
 

 

  カルロス・クライバー指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
                    ミラノ・スカラ座合唱団
 
              合唱指揮:ロマーノ・ガンドルフィ

                     (1976.12.7 @ミラノ・スカラ座)


日曜の朝から、こんな高エネルギーの音楽と演奏を聴いていいのだろうか。

ヴェルディが最後期73歳で完成した「オテロ」は、その音楽も、シェイクスピアの戯曲をもとにしたボイートの台本も、いずれも高密度で、どこをとってもひとつも無駄がなく、文字通り完璧の一字に尽きる傑作であります。

ムーア人の将軍が英雄から、ひとりの直情的な男として、嫉妬と疑念に狂ってゆき、やがて自滅してゆく、そんな男の悲劇を描き尽くした2時間のドラマ。

カルロス・クライバーの、それこそ、切れば血の吹き出るような圧倒的な興奮と輝きに満ち溢れた指揮。
最後の、透徹したオテロの死の場面に向かって、その音楽はひたすら真っすぐに突き進んでゆく。
 そうした直載な突き進む推進力もありながら、物語の各所に応じた場面場面での切り込みの深さ。
毎度おなじみ、羽毛のように柔らかくそっと、時に理不尽なほどに強烈に、時に抒情と濃厚なロマンを・・・・。
すべての着地点がいずれもK点越えでして、もう嫌になっちゃう。

不満は、もうこれに慣れると他が聴けなくなってしまうところか。
そして、あまりにも強過ぎる演奏なので、疲れてしまう。
だから、わたくしは、この盤をあんまり聴かないようににてます。
ただ、主役のオテロだけは、デル・モナコという絶対的存在があるので、それだけは打ち消すことができません。

Ottelo4_2

1981年、クライバーはアバド率いるスカラ座引っ越し公演に同行し、この「オテロ」と、「ボエーム」を指揮しました。
当時、新入社員だったわたくしは、薄給に鞭うって初アバドということで、「シモン・ボッカネグラ」をS席で購入するのがやっと。
音楽人生の失敗のいくつかのひとつ。ここで、財布を空にしても、クライバーの「オテロ」を観ておくんだった・・・・。

Ottelo2

 そのかわり、NHK様が、スカラ座公演は全部、FM生放送と、テレビ放送をやってくれた。
クライバーの自在な指揮に見入り、ドミンゴの迫真の演技と口角泡を飛ばさんばかりの歌いぶりに食い入るようにしたものです。
カセット録音も全部の公演がいい状態で残せましたので、自家製CDRは、今でも、わたくしの宝物のひとつです。
 
 当時のFM放送の解説は、黒田恭一さんだったでしょうか、クライバーが登場して、最初の一振りをたとえて、オーケストラピットから虹がかかった・・・かのようなことをおっしゃってました。
まさに、その言葉どおり、拍手が鳴り終わるやすぐさま指揮棒を振りおろし、あの嵐の場面の激しい冒頭のサウンドが響きわたりました。

このスカラ座音源は、モノラル非正規録音ながら、鮮明に全貌を捉えておりまして、かえってリアルさにかけては、NHKホールのステレオライブよりは上に感じます。

シーズンオープニングだったこともあり、聴衆も含めた全体の熱気たるや、並々ではありません。
燃えて燃え尽くすカルロスの指揮、冒頭もすごいが、2幕で、イヤーゴにそそのかされて、怒りに突き進む場面での凄まじさは、例えようがなく、火の玉のようなオーケストラに、これでもかと燃焼し尽くすドミンゴとカプッチルリ。
これぞ、ヴェルディの醍醐味。

起・承・転・結の4つの幕が、クライバーの一見、奔流のような勢いの中にしっかりと、その性格ぶりをみてとれる。
そして、それこそが、超高みに達したヴェルディの錬熟の技、そのもの。
4つの楽章の、シンフォニックなアプローチでありながら、前述のとおり、オペラティックな感興に満ち溢れた素晴らしい演奏。
こんなオペラ演奏・上演は、クライバーをもって、ほかにはないものと思います。

Ottelo1

ドミンゴのオテロは、この頃が一番よかった。
5年後のNHKでは、そのありあまる豊饒な声が、ちょっと硬質な感じに傾きつつあり、以降、巧みに、どんな役柄でも巧く歌うことに完璧になっていった。
その半面に失われっていった、ドラマティックな情熱。
そんな前の、ドミンゴが60年代最後半から持ち合わせていた、豊麗な声に、プラス、ドラマティコな声が。
レヴァインの同時期のスタジオ録音より、そのバカっぷりと、すべてを含んだ最終諦念は、よくあらわれていると思います。

対する、カプッチルリのイヤーゴ。
全曲盤では、まともな録音がない、まさに不世出の大歌手のイヤーゴは、ここでも豊かな声を武器に、硬派でありながら、美声でもって、全身全霊のすさまじさとなっております。
この歌手は、どんなオペラでも感心されっぱなしです。
ゴッピとはまた違う、本来のいい人的な歌手が歌うイヤーゴの、悪の裏の姿を極め尽くしたかのようなカプッチルリの歌唱。

あとひとり、フレーニのデスデモーナの、女の鏡みたいな存在を思わせる、優しくも全人的な存在。
正直いって、フレーニを越えるヴェルディとプッチーニ歌手はおりません。
歌い回しの一節、ひとふしに、暖かな共感がともり、聴く人の共感度数も常にあがっていく。
わたくしにとって理想的なヴェルディ歌唱です。

いずれの将来、クライバーのオテロが、正規なライブ音源として登場することを夢にまでみます。

Yurakucho2

 過去記事

「ヴィントガッセン&F=ディースカウ」

「メータ&メトロポリタン」

「フリッツァ、石井 @新国」

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