2008年6月14日 (土)

ヴェルディ 「椿姫」 ラ・トラヴィアータ 新国立歌劇場

今朝、東北地方を襲った地震。まだ不明の方もおられ、心配は尽きないが心からお見舞い申し上げます。
こんな時にオペラというのも不謹慎ながら・・・・。

Traviata 故水野さんではないけれど、いやぁ~、オペラってほんとにいいもんですね

そんな言葉が思わず言いたくなる。


新国立歌劇場、今シーズン最後の公演、ヴェルディ椿姫を観劇。
椿姫と呼ぶよりは、トラヴィアータと呼んだ方が好きだから、そうします。  実は、ドイツものばかりで、若い頃に夢中になったヴェルディから少し遠ざかっていた私にとって、苦手なオペラのひとつで、いまさら、トラヴィアータでもないだろう、とたかをくくっていた。
何故苦手か?
まずは、台本が弱いのか、登場人物達の描かれかたが浅い。気の毒なのは、ヴィオレッタひとりだけで、浅はかなジェルモン親子に翻弄されっぱなしなのだ。
もう少し親子の心理描写などが深く描かれていれば・・・。
それに付随して、ヴィオレッタに与えられたアリアとメロディは最高だけど、親子のノーテンキなアリアとのギャップが大きい。
あと、ジプシーの歌と闘牛士の歌の居心地の悪さ。

のっけから、こんなこと書いちゃって、このオペラのファンに叱られそうだけど、今日の新国で涙ちょちょぎらしてたのは、どこのどいつだいアタシだよ

やはり、舞台で観るとあれやこれは、感じなくなる。なんといっても、泉のように溢れ出すヴェルディの音楽の素晴らしさ。
加えて、アバドのスカラ座時代を支えた演出家の一人、ロンコーニの重厚かつ的確な演出と、3人の優れた主役達に、上岡ワールドともよぶべきユニークなオーケストラ。

Ki_20001171_1 3度目のプロダクションらしいが、初見。というか、わたくしトラヴィアータ・生デビューなんです。古い人間なものだから、NHKイタリアオペラの73年公演のテレビ放送が刷り込み。
その時は、スコット、カレーラス、ブルスカンティ-ニというキャストで、カレーラスはデビューしたてのほぼ無名状態。
 そんなイタオペ旧世代派には、ロンコーニのオーソドックスな演出は無難でよろしい。
新国自慢のスライド舞台が大活躍。それが、見ていて滑稽にも思えるところも散見されたが、ドラマの連続性をよく機能的に表出していた。
でも、私のようなドイツ派からすると、細切れに起きる拍手には、ちょっと戸惑う。
そっちの方でのドラマと音楽の緊張感の寸断は考え物かも・・・・。

  ヴィオレッタ:エレーナ・モシェク   アルフレート:ロベルト・サッカ
  ジェルモン :ラード・アタネッリ    フローラ  :林 美智子
  ガストン子爵:樋口達哉        ドゥフォール男爵:小林由樹

      上岡敏之 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
                  新国立歌劇場合唱団
                 演出:ルカ・ロンコーニ
                           (6.14@新国立劇場)

上岡氏の指揮は、賛否両論あるかもしれない。
テンポの揺れがあり、一定していないし、前奏曲や3幕前奏曲も快速で味気ない。
時には歌手にはおかまいなしに、、前倒ししてしまうカ所もあった。
それでも私が気にいったのは、各所にデリケートともいうべきニュアンス豊かな場面も多々あったということ。
Ki_20001171_11_2 一例で言えば、ヴィオレッタのモシュクとの合意に基づく共同作業やに思うが、このオペラの見せ場、2幕での身勝手親父ジェルモンとのやりとりで失意に暮れるヴィオレッタが苦しげに歌う場面。そこでのオーケストラは、極限までにピアニシモで押さえ、唯一オーボエのみがヴィオレッタの歌をなぞる。この場面の美しさといったらなかった。
  それと、同じ幕でのアルフレートとの別れのシーン。ここでは思い切りテンポを落とし、ヴィオレッタの思いのたけを表わすかのような表現。私の涙腺はダム決壊状態だったのはいうまでもない。
全体の完成度という点では、課題があるかもしれないが、表現意欲に溢れた上岡氏、作秋聴いたヴッパータールの繊細で長大なブルックナーの指揮者であることを思い起させてくれた。もっとこの人のオペラを、いろいろと聴いてみたいものだ。
東フィルもいつになく精度の高い素晴らしさだった。

Ki_20001171_12 モシュクのヴィオレッタが、とても素晴らしかった。
きれいで繊細な高音は、聴くわれわれ観客誰をも唸らせてしまったと思う。
その声をホールの隅々に響かせていたのは、上岡氏のオケの押さえ方でもあったかと。
 モーツァルト歌いの印象のあった、サッカのアルフレートはとても音楽的でよかったし、アタネッリの見た目、兄のようなジェルモンもいい声を響かせていた。
それと、横浜の「バラ騎士」で一挙にファンとなった、林美智子さんの存在感。樋口氏も同様で、他の諸役を、日本の実力派たちが固めていて万全の舞台であった。

気が付くと、すっかり感激して楽しんでいる自分。文句言うんじゃなかった。
でも、次回は、もう少し斬新な舞台が見たい。
ジェルモンが実は、ヴィオレッタに目が眩んで、横取りしようとしまうとかね・・・・。ありそう。


   

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2008年6月 1日 (日)

ヴェルディ 「仮面舞踏会」 アバド指揮

Tadachi 今日は素晴らしい天気。
外で子供とちょっと運動したたでけで、汗だくになってしまった。

こんな日は、こんな緑と清流のかたわらで、ビールをシュパっと開けて、「そうめん」などをするっと食べると最高だな。

最近知合った仕事仲間で、海外にもよく行く方がいて、外国から来たお客さんをもてなすのに、自宅で「そうめん」を食べさせるそうな。
白くて細く長い麺に、皆、目をしろくろさせているが、「これは、日本の宮廷のやんごとなき食べ物であ~る」と宣言するそうな。
すると、外人たちは箸を使いながら神妙に、音を立てずに、そろりそろりとお食べになるそうな。実際に、宮廷食だったこともあるそうだが、まあ意地悪なこと。

Verdi_un_ballo_in_maschera_abbado

今日は、久しぶりにヴェルディのオペラを。
仮面舞踏会」は、ヴェルディ中期43歳の作品。
26作あるヴェルディのオペラ、初期のものは「マクベス」を除いてちょっと苦手だが、でもその溢れ出すメロディの宝庫には、魅力を禁じえない。

前作の「シモンボッカネグラ」あたりから、祖国愛ばかりでなく、登場人物の苦悩や葛藤といった心理的な描き方が深みを持ち始めた。
オーケストラも、大きな音を響かせる一方で、輝かしさと、内省的な渋さが目立ってくる。

「運命の力」「ドン・カルロ」「アイーダ」「オテロ」「ファルスタッフ」と、後期の充実作品へと、さらにヴェルディの筆は磨きがかかることとなる。

有名な作品だから、超概略。舞台はボストン。本来のスクリーブの台本は、スウェーデンのギュスタフ三世を扱っていて、実際にあった話。
ナポリで初演をしようとした際に、イタリア人によるナポレオン三世暗殺未遂事件があり、その情勢から、舞台と人物を移し変えて上演せざるをえなかったらしい。

 第1幕
ボストンの知事リッカルドは、秘書レナートの妻アメーリアに想いを寄せている。
その知事を暗殺せんとする、サムエルとトムの2人組み。そのふたりを見張るレナート。
給仕のオスカルが、占い女のウルリカの助命を求めてくるので、リッカルドはウルリカに会いにゆく。リッカルドを占ったウルリカは、最初に握手をした友人に殺される運命にあると言う。そこへ、レナートが現れ、知事の安全を知り握手する・・・・。

 第2幕
ボストンの郊外の野辺。アメーリアは、恋を忘れる薬草を探している。そこへ、リッカルドが現れ、陶酔的な素晴らしい二重唱となる。
そこへ、危険を知らせにレナート登場。アメーリアをレナートに託し、リッカルド去る。
そこへ、サムエル&トム登場。自分の妻とも知らずに・・・とからかう二人。
ヴェールを脱がすと、何と妻。レナートは、リッカルドの暗殺計画に加担することに。

 第3幕
レナートの部屋。アメーリアは死を決意し、レナートは素晴らしいアリアで応酬。
2人組との打ち合わせで、レナートは自らが刺すことを決定。
一方、知事室では思い悩んだリッカルドが、レナート夫妻を本国に帰すことで、この問題解決をはかることを決意。オスカルが、仮面舞踏会は危険との手紙を持ち込む。
 さて舞踏会場では、仮面のためレナートはリッカルドを見つけられない。
オスカルに重要な用件として、姿を聞き出したレナート。
おりから、危険を知らせるアメーリアに会ったリッカルドをレナートは剣で刺してしまう。
絶え絶えのリッカルドは、二人を移動させようとしていたこと、アメーリカは無実であることを語り息絶える。

  リッカルド:プラシド・ドミンゴ   アメーリア:カーティア・リッチャレッリ
  レナート :テナート・ブルソン  オスカル :エディタ・グルベローヴァ
  ウルリカ :エレナ・オブラスツォワ サムエル:ルッジェーロ・ライモンディ
  トム   :ジョヴァンニ・フォイアーニ

     クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
                       ミラノ・スカラ座合唱団 
                                    (79・80年ミラノ)

Abbado_2  アバドスカラ座時代に残したヴェルディ録音は、「マクベス」「シモン」「仮面」「アイーダ」「ドンカルロ」の4作のみで、その数の少なさは残念極まりない。でも、レパートリーの選択に慎重だったアバドは、ヴェルディで取り上げたのは、あとは「ナブッコ」くらい。
「オテロ」と「ファルスタッフ」は、ベルリン時代だったから、機が熟すのを待っていたのか。
ついでに、スカラ座時代のレパートリーは、「フィガロ」、「セビリア」、「チェネレントラ」、「ルチア」、「カプレーキとモンテッキ」、ヴェルディ諸作、「ローエングリン」、「ボリス」、「ホヴァンシチナ」、「カルメン」、「ヴォツェック」、「3つのオレンジ」など。
いかにもアバドらしい演目ばかり、こんな内容でイタリアの殿堂スカラ座を束ねていたのだから、その手腕と地元出身者の強みを感じざるを得ない。

歌に偏重すると、ヴェルディが取り組みだした大胆な和声や響きがおろそかになる、そんな難しい「仮面舞踏会」だが、アバドはそんな難題に見事に応えているように思う。
アバドの得意な歌うピアニシモ、その反面のダイナミクスの幅の大きさ。たたみかけるような迫力や抜群なテンポ感も充分。
2幕のワーグナーをも思わせるようなロマンテックな響き。
幕切れもペシミステックになりすぎず、冷静な節度を保っているのがいい。
そんな熱くならないヴェルディが面白くなければ、アバドよりはムーティを聴けばいい。

このオペラの主役は、真面目なテノールがいい。かつてはベルゴンツィ、そしてここで歌うミンゴが理想的。この頃は、イキがよく、何を歌ってもそれは見事なものだった。
その相手役リッチャレッリも、若く美しく、苦悩する役を真摯に歌っている。
もともとドラマテックな声でない彼女、無理せずに身の丈にあった歌いぶりだが、2幕のアリアなどでは、さらに強い声を求めたくなるのも事実。
ブルソンは当時もうベテランだったが、この録音が本格的なメジャーデビューではなかったかと記憶する。後年の彫りの深い声とは違って、美声だけが目立つ気もしなくはない。
カプッチルリだったらば・・・・・。
オブラスツォワは、あきらかに異質。でも、グルベローヴァライモンディが贅沢にも脇をしめていて、彼らがちょこっと歌うと場が引き立つ思いだ。

スター歌手を揃えながら、それぞれの出来栄えが微妙にしっくり来ない。

アバドは後年、ウィーンのニューイヤーコンサートで、J・シュトラウスの作になる「仮面舞踏会」のカドリーユを、むちゃくちゃ楽しそうに、そして唖然とするほど見事に指揮していた。
いずれも、アバドの一時代の記録であろう。

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2008年5月 7日 (水)

ヴェルディ 「運命の力」序曲

2 3 まだ続くで、名古屋東海の味シリーズ。
今日は「きしめん」だがね。
この、ひらひらの麺の由来は諸説あるらしいが、尾張伝統の平打ち麺は歴史も古く、いかにもお得感(名古屋では、お値打ち)漂う食べ物である。
アツアツに、かつを節をたっぷりかけて、そのかつを節が踊るなか、一気にズルジュルっと食べちゃう。アツアツも冷たいのも、どちらもたまらなくうまい!
この店は、尾張旭市でふらっと入った店だけれど、定食を頼んだら、付け合わせに、スパゲッティサラダかと思ったら、これまで「きしめん」だった。その徹底した潔さに感服だわ。
名古屋の麺は、蕎麦ではなく、うどん文化。ほかに、煮込み、ころ、伊勢と、いろいろあるでね。

Abbado_verdi_rca ヴェルディのオペラは、愛国心に燃えたものや、純文学を素材にしたものなど、バラエティに溢れているが、まさに天性の劇場の人ならではで、観る人・聴く人の心をとらえて離さないものがある。

ヴェルディはオペラ全体を視聴するのが一番ながら、その序曲や前奏曲だけをオーケストラで楽しむだけでも、なかなかに気分が盛り上がるもんだ。
後期作品は、ドラマの緊迫感をより高めるために短い前奏曲や、前奏のみであるが、中期作品は、オペラ全体の主題を駆使したなかなかに聴き応えある序曲が付属している。
そのもっともたる作品が、「運命の力」や「シチリア島の晩鐘」、「ナブッコ」などであろう。
なかでも「運命の力」は、オーケストラ・ピースとして、単独に聴いてもなかなかに優れた作品に思う。コンサートのアンコールなどでも、盛り上がるので、よく取り上げられる。
そのアンコールで、忘れ得ないのは、75年のムーティの初来日時のウィーン・フィルを振った演奏。ベームとともにやってきたムーティ。ベームのチケットが、抽選で応募したけれど全滅で、ムーティのみが簡単に当たった。
ブラームスの二重協奏曲と新世界というプロで、若獅子ムーティは大人しかったが、アンコールにそのナポリ魂を全開させた!すさまじいまでの迫力と猛烈な歌は、その後の原典尊重主義で厳格になりすぎたムーティには聴けなくなった若々しい叫びであった・・・。

8分あまりのドラマテックなこの序曲で、私の好きな演奏は、このアバドロンドン響のもの。数年後のベルリン・フィルとの輝かしい演奏も同様に素晴らしいが、スカラ座で日々ヴェルディを演奏していた頃の旧盤の方が、歌心が豊かに感じる。
意のままになるロンドン響との組合わせということもある。
じわじわと盛り上がってゆくクレッシェンド、歌いまくる木管群、気品を失わない金管群。
ヴェルディには、熱狂や歌とともに、気品も必須だ。
短い序曲に泣けます。

カラヤンもいいが、燦然としすぎだし、シノーポリはちょっと暴れすぎ、ムーティは録音ではいまひとつ、あとは以外にシャイー(ナショナルフィル)が好きであります。
皆さんのお薦めは?

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2007年8月27日 (月)

ヴェルディ 「オテロ」 メータ指揮

Hachioji_von_nobu 珍しいイタリアのビール
メナブレア」は、ピエモンテ地方の幻のビールとされ、かの地でなければ手に入らないとされる。検索すると出てきます。
幻のくせに通販で入手可能のようですぜ。

私はこれを、なんと八王子のイタリアンで飲んだ。

Hachioji_von_nobu_3ヴァン・ノブ」という店。
メニューによってムラはあるが、そこそこいける。
前菜のこちらで、先のメナブレア・ビールをいただくと最高であった。

なんだかんだで、イタリアは、おいしい。

Otello_mehta そしてなんだかんだで、「ヴェルディのオテロ」である。
もうじき9月。忘れもしない、1981年のスカラ座来日は、まだ残暑厳しい9月初頭だった。
アバドとクライバーに率いられたスカラ座公演は、本場のものすごさと、二人の天才的なオペラ指揮者の実力をいやというほど見せ付けてくれたもんだ。
「シモン」しか観劇出来なかったが、しずれもNHKでFMライブ放送とテレビ放送がなされ、もうたまったもんじゃなかった。

クライバーのオテロ」は、最盛期のドミンゴの下唇だらりの熱演もあって、どうしようもなく素晴らしい名演だった。カラヤンの巧みに計算された新旧盤の劇性とは、まったく異なった即興的なドラマ。どこまでフォルテやピアノが用意されているかわからない・・・・。

いやはや、思い出に浸るばかりじゃ本題から遠のく。

    オテロ :ジェイムス・マックラッケン  デスデモーナ:モンセラ・カバリエ
    イヤーゴ:ティト・ゴッピ          カッシオ   :エルマンノ・ロレンツィ

      ズビン・メータ 指揮 メトロポリタン・オペラ管弦楽団/合唱団
                                (1967年3月録音)

面白い組み合わせの「オテロ」を入手した。
メータは、ロスフィルと活躍を始めた頃、EMIに「アイーダ」を録音したり、イタリア各地でオペラをちょろちょろ指揮してたが、おそらくオテロはこれが初挑戦かも。
若さゆえの暴走は、まったくない。貧弱な音ながら、堂々とした大人びた落ち着きに不敵なものを感じる。だが、この上手な指揮ぶりに、にカラヤンやクライバーが描き出したような苦悩と愛情の二律背反するドラマは感じ取れない。

メータよりは、むしろ主役3人のユニークな歌唱が、このCDのおもしろいところ。
まずなんといっても、ゴッピの主役を完全に食ってしまったイヤーゴがすごい。
明瞭な発声で、憎々しく歌われるクレドなどは、もう快感を感じるくらい。
ちょっと、ぼんくらのオテロを組み敷いてしまっている。すさまじい。
その食われてしまったオテロのマックラッケンは、重々しく力強いが、鈍重にすぎるような気がする。気が付かなすぎるのもある意味、一方的なオテロの一面ではあるけれど。
バルビローリ盤でも、フィッシャー・ディースカウの狡猾なイヤーゴにやられっぱなしのマックラッケン、なんだか憎めない人でもアリマス。
 巨漢になるまえのカバリエのデスデモーナはいい。
巨漢後も、映像なしなら、まったく問題ない彼女だから、こちらでもある意味、後年とまったく変わりないピアニッシモを聴かせてくれる。

録音は正直悪い。音が揺れたり、モノながら左右に流れる。
メータのオテロは、ウィーンでのライブが正規に出るらしいが、ゴッピと鈍行マックラッケンゆえ、お好きな方にはお薦めしときます。

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