カテゴリー「ベートーヴェン」の記事

2020年10月 8日 (木)

ベートーヴェン 交響曲第4番

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お彼岸の頃の彼岸花なので、まだ満開ではありませんが、赤と緑のコントラストが美しい。

背景の稲木干しもよろしく、この日本の原風景的な稲田は、伊勢原市の日向地区であります。

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この斜面には、同じ赤のサルビアとのコラボ。

農家の方々も、この美しい景色を見てもらいたいから解放してくれてます。
節度とマナーを保って拝見したいものです。

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今年はベートーヴェンイヤーであるとしても、そして大規模編成を要さないからといっても、再開されたコンサートのラインナップを見てるとベートーヴェンばかり。
コンサート行きは封じてはいても、それにしてもプログラムを見ているだけで食傷ぎみになる。
それに鞭打つように4番の交響曲をたくさん聴いてみた。

で、やっぱり、ベートーヴェンはいいわ、ということになりました(笑)
いちばん、印象に残った極端に違う2つの演奏を。

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 ベートーヴェン 交響曲第4番 変ロ長調 op.60

  トマス・ダウスゴー指揮 スウェーデン室内管弦楽団

       (1999.1&5 @エーレブロ、コンサートホール)

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 ベートーヴェン 交響曲第4番 変ロ長調 op.60

  サー・コリン・デイヴィス指揮 BBC交響楽団

     (1972.2 @ロンドン、ウォルサムストウ・タウンホール)

デイヴィスのベートーヴェンは、ドレスデンとの全集が有名で、オーケストラの魅力も相まって人気も高いですが、なんとワタクシは未聴です。
デイヴィスは、ボストンやコンセルトヘボウ、ドレスデン、バイエルン放送などの名門とも深いつながりを持ち、そのオーケストラの持ち味を生かした名演を数々残しましたが、重厚で落ち着きのある英国紳士としての姿を反映できたのは、自国イギリスのオーケストラとの共演。
 BBC交響楽団の首席を務めていたことから、ブーレーズが首席になって、その任を離れても録音は継続されました。
70年代半ばに企画されたデイヴィスのBBCとのベートーヴェン交響曲シリーズは、ロンドン響も一部使いながら第9以外は録音したのではなかったかな、と記憶します。
レコ芸では、月評担当の大木氏が、デイヴィスの急速な成長を認め、かなり絶賛していたけれど、私が聴けたのはCD時代になって廉価盤になったこの1枚のみ。
ほかの番号のその後の再発も、いまは絶版で入手できません。

この演奏、ともかく構えが大きく、4番にしては巨大な趣きを持つものです。
演奏時間が、その演奏の良しあしを決めるものではありませんが、37分45秒です。
クレンペラーが35分、ワルターやベームも同じくらい。
37分台では、最近聴いた、ティーレマンとドレスデンのライブがあります。
 しかし、デイヴィスはテンポがゆったりで、歩みも大きく、3番と5番に挟まれたギリシャ云々ではなく、3番と5番と等しく存在力の高い強い作品に聴こえます。
特に悠揚とした前奏から、いきいきとした主部に入り込む場面は、なかなか他の演奏では聞けないユニークさです。
ノーブルで清潔さもあるので、決して重々しさはないです。
2楽章の美しさと歌心はとても素敵です。
慌てず騒がずの終楽章も安心感のあるもので、これは立派に演奏会のトリを務めることのできる4番でありました。

デイヴィスの1回目のベートーヴェン、再発を望みます。

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デンマーク出身の指揮者、ダウスゴーは、ここ数年、注目している指揮者です。
現在、アメリカのシアトル交響楽団とBBCスコテッシュ交響楽団の首席指揮者です。
昨年秋に、BBCスコテッシュとの来日で、マーラーの5番を聴いて、とても感心しました。

プロムスやBBCRadioの放送をいくつも録音して、ダウスゴーの演奏を集めましたが、いずれの演奏もテンポを速めにとり、キビキビとかつ、颯爽としたなかに、爽快感と、意外なまでに曲の本質をついたものが多いのでした。
マーラーやシベリウス、チャイコフスキーも素晴らしく、初めて聴くような新鮮さもありました。

そのダウスゴーがかつて指揮者を務めたスウェーデン室内管弦楽団とベートーヴェン全集を録音しております。
進取の気性に富むダウスゴーですから、90年代の終わりに早くもベーレンライター版を採用してます。
ゆえにテンポ設定も速いわけですが、そこにダウスゴーの音楽性が加わって、スリリングかつ爽快極まりないベートーヴェンが生まれてます。
スウェーデン室内管という北欧のすっきりサウンドを持った、比較的小編成によるオーケストラも、ここでは実に有能でして、どこまでも機敏でかつ繊細。
演奏時間は31分42秒。
1楽章の主部への入り込みシーンなど、先のデイヴィスと真逆のさりげなさと、ナチュラルさがあります。
2楽章の透けるような抒情や、3楽章のリズムの扱いの巧みさ、そしてなんといっても疾風さながら、駆け抜けるような終楽章に快感すら覚えます。

ギリシャ云々の4番の存在ではなく、3番と5番に挟まれた気力充実期の幸せにあふれた4番というイメージです。

まだ全曲を未入手ですが、ダウスゴーのベートーヴェン、全部聴いてみたい。
あとシューマンやブラームス、ブルックナーも。
近くシュトラウス取り上げます。

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あと勢いで、4番の刷り込みレコード、カラヤンの60年代ものを聴いてみた。
繰り返しなしにもよるけど、演奏時間31分2秒。
しかし、速さは感じず、むしろ響きの豪華さと重厚さ、そして気品の高さを感じた。
 ついでに、ベルリンつながりで、アバドとのベーレンライター版による演奏。
こちらの演奏時間は、32分56秒。
これもまた速さは以外にも感じず、ふくよかな歌と端正で凛々しい奥ゆかしさを感じる。
これらもまた、4番の姿であろう。

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もうひとつ、コロナ前、2020年1月のバーミンガム市響のネット録音から。
現在、音楽監督のリトアニア出身の、ミルガ・グラジニーテ=ティーラの指揮で。
「ミルガのベートーヴェン」という番組放送だった。
当然にベーレンライター版で、これまた俊敏極まりない鮮烈な4番。
彼女のオケを導き、夢中にさせてしまう能力には脱帽だ。
演奏時間31分20秒。
ダウスゴーの演奏にも近い雰囲気だけど、エッジも効きつつ、優美さも感じるのは、女性ならではの所作による指揮さばきからでしょうか。

その彼女、2児目の赤ちゃんを身ごもりつつ、3月にコロナ陽性反応が出て治癒静養期間には、多様な書籍に目を通すなど、勉学に勤しんだそうです。
その結果、見事に完治し、8月にはめでたく出産。
この1月のベートーヴェンの演奏のときは、お腹がもう大きかったそうな。

ワインベルクのCDが大いに評価され、グラモフォン誌の賞を受賞しました。
ラトル、オラモ、ネルソンスと続いたバーミンガムの指揮者たち。
ティーラさん、いや、わたしはいつも「ミルガたん」と呼んでますが、彼女の今後の活躍とステイタスの向上を期待したいです。

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郷愁さそう風景。

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近くでみると怪しい気配の彼岸花は、曼珠沙華との名前も。

台風来ないで・・・・・ 

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2020年3月28日 (土)

癒しのベートーヴェン

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日本も、世界もたいへんなことになってしまった。

家で過ごさざるをえない状況に、いまこそ、お家で、ベートーヴェン。

思えば、3.11のあとも、こんな企画をしたな・・・

そのときは、テレビがみんなAC広告機構で、ぽぽぽ、ぽ~ん、だった。

→過去記事

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  交響曲第6番 ヘ長調 op68「田園」 第2楽章「小川のほとりの場面」

 ハンス・シュミット・イッセルシュテット指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団

困ったとき、辛いとき、寂しいときの「田園交響楽」。
そう、誰しもの心を開放し、最高の癒し効果をあげることのできる音楽。
それが「田園」。
 そして、やはりウィーンフィル。
往年の60年代のウィーンフィルの音色を楽しめるデッカ録音で。

雲雀鳴く、小川流れる日本の原風景のような田舎の風景を思い、はやく正常化することを切に祈る。

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   ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 op19 第2楽章

    スティーブン・ビショップ・コワセヴィチ

  サー・コリン・デイヴィス指揮 BBC交響楽団

ピアノ協奏曲の緩徐楽章は、みんな歌心にあふれていて素敵であります。
そのなかで、一番の穴場が2番。
こじんまりとした作品だけど、この2楽章の抒情は見逃せません。
冬の終わり、かぐわしい花の香りがただよう晩に、夜空を見上げると星が輝いていた・・・
そんなようなイメージを持っちゃいます。
若きビショップとデイヴィスの全集はレコード時代に接した思い出のベートーヴェンのひとつ。
「皇帝」らしくない「皇帝」も実にいい演奏です。

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  ヴァイオリン・ソナタ第5番 ヘ長調 op24「春」

   Vn:アリーナ・イブラギモヴァ

   Pf:セドリック・ティベルギアン

この柔和なヴァイオリンソナタからは、あのいかつめ顔のベートーヴェンの姿は想像できない。
緩徐楽章を抜き出すまでもなく、まさに「春」を感じさせる全4楽章を今日は、ほのぼのと聴きました。
「田園」もそうだけど、これを聴けば、いつでも麗らかな春の野辺を散策する気分になる。
今年は、桜見物はお預けだ・・・・

イブラギモヴァのビブラート少な目のすっきりサウンドが、実に耳にさわやか、かつ清々しい。

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  ピアノ三重奏曲第7番 変ロ長調 op97「大公」第3楽章

   Pf:アンドレ・プレヴィン

   Vn:ヴィクトリア・ムローヴァ

   Vc:ハインリヒ・シフ

「大公」という構えの大きすぎるタイトルだけど、この曲は全体に歌と豊かな感性にあふれたおおらかな作品だと思います。
第1楽章も大いに癒し効果があるが、変奏曲形式で書かれた緩徐楽章にあたる第3楽章がとても素晴らしい。
ピアノトリオという3つの楽器の溶け合いが、これほどに美しく、効果的なことを存分に楽しめる。

常設のトリオでない3人の名手。
プレヴィンの優しい下支えするようなピアノが柔和でよろしい1枚。

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 ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 op13「悲愴」第2楽章

   マウリツィオ・ポリーニ

さて超名曲、超名旋律といったらこれ。
編曲され、歌までつけられ親しまれている。
初期ベートーヴェンのほとばしる思いが、悲劇性の強い前後の楽章に挟めれた、この2楽章では、ロマン性とともに、憧れをここに封じ込めています。
なんて優しい、美しい音楽なのでしょう。
そして繰り返しますが、1楽章と2楽章の厳しさとの対比の見事さ。

成熟の極みにあるポリーニの明晰な演奏で。

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 3月21日の吾妻山の菜の花と桜。

今頃は満開。

そして、いまは家に閉じこもって音楽を聴くのみ。

各国の音楽ネット配信も多く、嬉しくも忙しい。

メットの「リング」も毎日1作、全部観れてしまった。

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後期のベートーヴェンの澄み切った境地は、なみなみならぬものがあり、ひとことで、癒し~なんて言っていられない。

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     ミサ・ソレニムス op123 ~ベネディクトゥス

 カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
           ウィーン国立歌劇場合唱団

「願わくば、心より出て、そして再び心に帰らんことを」

ベートーヴェンの信条としての「心の平安と世界の平安」。
澄み切った、透徹した心情。
とくに晩年の様式に多く反映されている。

心が疲れた時、こうした音楽は、その気持ちに寄り添うようにしてくれる。
ヴァイオリンソロを伴う、祈りの世界でもある。
ともかく、美しく、もしかしたら甘味な官能の領域すれすれのところも感じる。

ベームが自身の演奏で、会心の出来だったと語ったウィーンでの録音。
歌手・オーケストラ、合唱とすべて揃った名演。

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  ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 op109

   ウィルヘルム・バックハウス

ミサ・ソレニムスとほぼ並行して書かれた晩年の3つのソナタ。
そのなかでも、一番の抒情をたたえた曲。
そんなに長くないから、晴朗感にあふれた全曲を聴かないと。
さりげなく始まる1楽章から、ロマン派音楽の領域に踏むこんだベートーヴェンの完成された筆致を感じるが、なんといっても素晴らしのが、変奏曲形式の終楽章。

「歌え、心からの感動をもって」
こう記された、曲中最大の楽章は、まさに感動なしには聴かれない。
あるとき、ふとしたことでこの楽章を聴いたとき、私は落涙してしまったことがある。
仕事が行き詰まって生活にも苦慮していたときである・・・
最後に、主題が回帰されるところなど、安堵感とともに、心が満たされた思いになるのだ。

もちろん、残りふたつのソナタも素晴らしいけれど、心に、耳に、優しく響くのは30番・作品109のソナタです。
安心のバックハウスの演奏で。
レコード時代、私のレコード棚に百科事典のような存在で鎮座していた全集です。

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  弦楽四重奏曲第15番 イ短調 op132

    ゲヴァントハウス四重奏団

少し晦渋な領域に踏むこんだ晩年の弦楽四重奏曲にあって、一番、親しみやすい作品。
病に倒れ、そこから復調した思いが5つの楽章、45分あまりの作品の真ん中、長大な3楽章にあらわれている。

「病気が治った者の神への聖なる感謝の歌」

じわじわ来る、しみじみとした音楽。
苦境から脱するという、喜びと感謝、そしてさらなる希望。
なんと素晴らしい音楽なのでしょう。
終楽章の完結感もベートーヴェンならではかもしれません。

明晰なゲヴァントハウスSQのすっきりした演奏で。

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暮れようとする富士と桜。

日常が戻るのはいつになるのか。

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2020年3月20日 (金)

ベートーヴェン 三重協奏曲 ワルベルク指揮

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河津桜と菜の花。

神奈川県松田町の松田山から。

ほぼ日本人だけの桜の季節。

9年前の震災のときも、そして嫌な禍が降りかかってきても、等しく桜の季節はやってくる。

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ベートーヴェン ピアノ,ヴァイオリン,チェロのための協奏曲 ハ長調 op56
           ~三重協奏曲~

    ピアノ   :クロード・エルファー
    ヴァイオリン:イゴール・オジム
    チェロ   :アウローラ・ナトゥーラ

  ハインツ・ワルベルク指揮 ウィーン国立交響楽団

        (1960年代 @ウィーン)
         
なんだか地味な存在のベートーヴェンのトリプル協奏曲。
ピアノ・トリオをソリストにした協奏曲は、演奏会でもあまり取り上げられません。

また昔話ですが、ベートーヴェンの生誕200年に発売された、ソ連の巨人3人(リヒテル、オイストラフ、ロストロポーヴィチ)と西側のカラヤン&ベルリンフィルのレコードで、この曲の存在を知ることとなりましたが、当時はそのレコードを買うこともなく、CD時代になってからの入手でした。
その記事はこちら→

そして、当時、加入していた会員制レコード頒布組織「コンサートホール・ソサエティ」からも、このトリプル協奏曲は発売されました。
それがこのワルベルク盤で、CD時代に再加入してから購入したもので、かれこれ20年前。
ジャケット画像は、その時の会報誌からスキャンしたもの。

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作品番号56で、そのまえ55が「英雄」、次の57が「熱情」、58が第4ピアノ協奏曲。
こんな充実期にあった中期作品。
なのに、ちょい地味。
バロックのコンチェルト・グロッソを意識した形式ながら、その形式を取り入れることに苦心の跡があり、かえってバランスを崩してしまったのかもしれません。
ピアノは平易なのに、ヴァイオリンとチェロはなかなかの技巧を要するように書かれている。
音色的にもピアノが突出してしまうことを考えたのでしょうか。
 でも、ハ長が基本の明るくて屈託のない作品で、英雄と熱情に挟まれた健康優良児みたいな憎めない可愛い存在に感じるのだ。
長いオーケストラ前奏のあと、独奏はチェロから始まって、次はヴァイオリンで、ふたつの弦での二重奏となり、やがてそこにピアノがするするっと入ってくる。
この開始の仕方がとても好き。
そしてベートーヴェンに特有の抒情的な、まるでピアノトリオのような2楽章。
休みなく入る3楽章は、おおらかすぎかな。
 後期の様式の時代にも、もう一度チャレンジしていたら、トリプル協奏曲第2番はどんな曲になっていたでしょうか?

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懐かしの指揮者、ハインツ・ワルベルクの指揮するウィーンのオーケストラは得体のしれない名前になってますが、これはウィーン・トーンキュストラ管弦楽団のことです。
レーベルの関係で名乗れなかった。
ワルベルクはこのコンビで、コンサートホールに、いろいろ録音していて、ワーグナーやブルックナーもあって、なかなかの演奏ですが、録音がモコモコしてるのが難点です。
こちらのベートーヴェンも、録音がいまひとつですが、曲を味わうには十分です。
オケの音色にも、良き時代のウィーンの響きを感じますし、懐かしさすら感じます。
カラヤンとベルリンフィルの音とは別次元にあるこのオーケストラの音。
世界中の現代の高度なオーケストラが個性を失っていくなか、そのローカルな響きはまさにノスタルジーの世界です。
N響に何度も来てたワルベルクさん、無難さとともに、器用なところもあって、そのレパートリーは広大でした。
そしてなによりもオペラ指揮者で、合わせものは抜群にうまかった。

3人のソロの名前も渋いところが揃いましたが、いずれの奏者もコンサートホールレーベルで活躍してました。
それぞれの名前を検索すると、なかなかの奏者であったこともわかります。

ピアノのエルファーは、フランス人で、カサドシュのお弟子で、現代ものを得意にした才人。
ヴァイオリンのオジムは、旧ユーゴ・スロヴェニア出身で、音源も多く出てまして、わたくしの初「四季」は、オジムさんでした。
そののびやかで明るい音色のヴァイオリンは、いまでも耳に残ってます。
あと、チェロのナトーラは、アルゼンチン生まれの女流で、カザルス門下で、作曲家のヒナステラの奥さん。
各国さまざまな出自のソリストですが、音色の基調は明るく、ワルベルクの穏健なウィーンサウンドとよく溶け合ってます。

久しぶりに、懐かしい、そして楽しい聴きものでした。

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オマケ画像。

DGがカラヤンを貸し出したEMI音源が、日本ではソ連音源のレーベル、新世界レーベルから出た歴史感じるチラシ。
人類遺産とされました!

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早く、堂々と桜の下でお花見ができますように・・・

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2020年1月20日 (月)

ベートーヴェン 「フィデリオ」 アバド指揮

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毎度の場所ですが、お正月の吾妻山から。

富士と海と菜の花が一度に見れます。

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麓の小学校に通っていたから、子供の頃から始終登ってました。
でも、当時は山頂はこんなに整備されてませんでしたが。

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  ベートーヴェン 歌劇「フィデリオ」

 レオノーレ:ニーナ・シュティンメ
 フロレスタン:ヨナス・カウフマン
 ドン・ピッアロ:ファルク・シュトルックマン
 ドン・フェルナンド:ペーター・マッティ
 ロッコ:クリストフ・フィッシェサー
 マルツェリーネ:ラヘェル・ハルニッシュ
 ヤキーノ:クリストフ・シュトレール

  クラウディオ・アバド指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団
               マーラー・チェンバー・オーケストラ
               アルノルト・シェーンベルク合唱団
         
          (2010.8.12,15 @ルツェルン)

1月20日は、クラウディオ・アバドの命日となります。
あのショックだった2014年から、もう6年が経ちます。

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ベルリンフィルを退任後、しばらくしてスタートさせたルツェルンのスーパーオーケストラとの共演は、2003年からスタートし、マーラーを毎年連続して取り上げました。
8番は予告されながら、残念ながら取り上げなかったのですが、2010年は、マーラー・チクルスの最後の9番と、「フィデリオ」が取り上げられました。
翌2011年には、折からの東日本大震災への追悼演奏で10番のアダージョを取り上げたほか、ブルックナー・チクルスが開始され、ベートーヴェンに、やがてブラームスにと円熟のアバドのルツェルン演奏が期待されていたなかでの死去でありました。

ベートーヴェンの作品の多くを指揮してきたアバドですが、「フィデリオ」を取り上げたのは、このルツェルン2010が初めてのはず。
(アバド歴長いので、そうだと思い書いてます)
人間ドラマを伴うオペラを好み、かなりのオペラのレパートリーを持つアバドでしたが、76歳にしての初「フィデリオ」とはまた興味深いことです。

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ジングシュピールの流れをくむドイツオペラとして、このフィデリオは、セリフも多くあり、番号オペラを取り入れつつ、音楽の流れがセリフによって寸断されてしまい、オペラとして、どうも居心地のよろしくない作品だと不遜にも常々思ったりもしてました。
 苦心のあげくに行き着いた夫婦愛唱和の作品ですが、オペラに関しては、ベートーヴェンはモーツァルトのような天性の才に恵まれなかったのかもしれません。
 しかし、個々のソロや重唱、合唱に目を向ければ、抒情と激情の織り交じったベートーヴェンらしい音楽です。
マルツェリーネの可愛いアリアや、ロッコの人の好さそうなアリア、父娘にレオノーレが加わった3重唱、ピツァロのイャーゴの信条告白のような悪のアリア。
そして素晴らしいのが、レオノーレの名アリア「悪者よどこへ行くのか」と、フロレスタンの苦悩から希望へと歌い込む監獄内のアリア。
あと、やはり劇的なのが、勇敢なレオノーレの夫救出のシーン。
息詰まるほどの間一髪の場面に、その後の歓喜の爆発。
ベートーヴェンならではの感銘を与えられる個々の音楽であります。

これらの個々のシーンを、アバドはまさにライブで燃えるアバドらしく、そして絶妙の歌心でもって丁寧に、そしてドラマティックに描き分けています。
冗長なセルフも、必要最小限にカットしていて、音楽の流れが停滞することがないように、心地よいテンポで、ある意味一気呵成に仕上げてます。
最後の歓喜の満ちたエンディングでは、興奮にあふれていて、ライブならではの感興に浸ることができます。
ヴィブラート少な目で、ルツェルンの凄腕のメンバーたちに、若いマーラーチェンバーの面々が加わったことで、いい意味での緊張感と若々しさも加味されたのではないかと思う。
アバドの音楽の若々しさというのは、常日頃、若い奏者たちと楽しみながら、音楽を築きあげるという、こうしたところにもあるのだから。

旬の歌手をそろえた配役も見事な顔ぶれ。
なかでも、このオペラの主役であるシュティンメのレオノーレの声の安定感と、力強さと明晰な知的な歌唱が素晴らしくて、声質にクセもないので、聴き飽きないのがシュティンメの歌なのです。
対するカウフマン。
フィデリオにおけるフロレスタンの出番は、あまりに少なくて、ベートーヴェンにこの点はなんとかして欲しかった・・・と思わせるカウフマンです。
アバドのお気に入りだったハルニッシュのリリカルなマルツェリーネがいい。
ほかの歌手もまとまりがよく、チームとして均整がとれていることも、このルツェルン音楽祭の持つ特徴かもしれません。
でも、シュトルックマンは、ちょっとアクが強すぎるかな・・・
 あと、鮮度高いのが、アルノルト・シェーンベルク合唱団の緻密さ。

CDにはなったけど、アバドのルツェルン演奏の恒例の映像DVDは、このフィデリオにはなかった。
映像の契約元が、2010年から変わったことが影響しているのだろうか。
マーラーの9番(2010年)から、EiuroartsからAccentusに変更。

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その舞台の様子を探したところ、オーケストラの後方に低いステージを作り、合唱は観客席に置くというスタイルのようです。
衣装も均一だし、オペラの上演というよりは、やはりオラトリオ的な演奏の仕方ともいえるかもしれません。
これまでオペラ上演として「フィデリオ」を取り上げなかったアバドの考え方が、このあたりにあると思いますし、ルツェルンで若いニュートラルな奏者たちと、やりたかった気持ちもわかるような気もします。

世を去る3年と少し前。
アバドはこのように、常に挑戦と、若者たちとの共演を望み、実践し続けました。
これまでの巨匠たちにはない謙虚さと、進取の気性にあふれたアバドでした。
アバドのもとで演奏し育った若い演奏家たちが、いま、そしてこれから、世界のオーケストラの主力として活躍していきます。
そして、彼らはアバドのことをレジェンドとして心に刻み続けていくことでしょう。

フィデリオ 過去記事

 「新国立劇場公演 S・グールド、ヨハンソン」

 「ベーム&ベルリン・ドイツオペラ DVD キング、ジョーンズ、ナイトリンガー」

 

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今日は大寒。
菜の花は満開なれど、春まだ遠し・・・

アバドの新譜や音源発掘が絶えて久しい。
何度も書きますが、下記の正規音源化を強く、激しく希望。

 ①ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」
 ②ワーグナー「パルジファル」
 ③ワーグナー「ファウスト」序曲
 ④マーラー 「大地の歌」
 ⑤バッハ  「マタイ受難曲」
 ⑥バッハ  「ロ短調ミサ」
 ⑦バッハ  カンタータ ロンドンでのF・プライとの共演
 ⑧ノーノ  「プロメテオ」
 ⑨モンテヴェルディ ロンドンやベルリンでの演奏
 ⑩ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」 ベルリンフィルとのもの
   ⑪ヴェルディ 「オテロ」  ベルリンフィルとのもの
 ⑫ヴェルディ 「ナブッコ」 むかしのスカラ座とのもの
 ⑬ヴェルディ 「アイーダ」 ミュンヘンオリンピックのときの上演
 ⑭ドニゼッティ「ルチア」  むかしのスカラ座とのもの
   
  あとまだたくさん、なんでもいからお願いっ!

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2020年1月 8日 (水)

べートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 エッシェンバッハ

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2020年 新春の寿ぎを申し上げます。

神奈川の実家から、いつも登る吾妻山からみた富士山と菜の花。

1月3日の早朝、1年のうち、一番美しい冬の富士です。
菜の花の向こうは桜で、春には、菜の花が残っていればさらに素晴らしい景観が望めます。

今年、アニヴァーサリーを迎える作曲家で一番の大物は、やはり生誕150年のベートーヴェン。
あと、没後100年のブルッフ、没後150年のヨゼフ・シュトラウスあたりが切りのいい年度でしょうか。
バーンスタインも早や没後30年です。

名曲中の堂々たるコンチェルトの名曲、「皇帝」を。

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 ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」

     Pf:クリストフ・エッシェンバッハ

   小沢 征爾 ボストン交響楽団

       (1973.10 @ボストン)

いまは指揮者としての活動ががメインとなった、というよりも、数々のポストを歴任する名指揮者となったエッシェンバッハ。
1940年2月生まれだから、もうじき80歳。
そのエッシェンバッハが33歳で、ジャケット画像のとおり、ふっさふさ。

ピアノに隠れてますが、ボストン響のポストを得たばかりの小沢さん、当時38歳は、1935年生まれで、今年の9月には85歳になります。

ともにずっと聴いてきた音楽家です。
いつまでも元気に活躍してほしいと願うばかりです。

その彼らの若き「皇帝」。

まさに、「若き」という言葉が似合う「皇帝」。
溌剌として、爽やかとも言ってもいいくらいに、新春に相応しい気持ちのいい演奏だ。
エッシェンバッハは指揮を始めたばかりの頃で、この少しあとに、日本のオケにも客演してベートーヴェンを振ったりしている。
10本の指ではとうていできない表現の可能性を見出したかのように、暗い情念に裏打ちされたかのような濃厚な味付けするように、指揮を執るようになってから変貌したエッシェンバッハ。
 バレンボイムは、根っからの指揮者であったかのように変化を感じないが、アシュケナージやロストロポーヴィチなども、ソリストから指揮者に転じると構えの大きな表現者に変貌したかのようであった。

モーツァルトから、ドイツロマン派、ショパンあたりの弾き手としてドイツグラモフォンの看板ピアニストだったエッシェンバッハが指揮者を替えてベートーヴェンの協奏曲を3曲録音したものの、残念ながら全曲は残さず。
その自身の境遇などからも、マーラーに共感し、特異なマーラーやブルックナー指揮者のひとりとなりました。
そんなのちのちのことがが想像だにできないのが、この「皇帝」なのだ。

 明快な粒立ちのいいピアノは、この時期よく聴いたモーツァルトの演奏にも通じるものがあって、「堂々たる皇帝」というよりも、御世代わりの新たに即位した「若き新帝」って感じ。
でも、2楽章の叙情性や、3楽章の終わりの方などに、ちょっと立ち止まってみせて、複雑な表情を垣間見せるところがエッシェンバッハならではか・・・

 重心の軽めな小沢さんの指揮。
気配りの効いた細やかな指揮とあわせて、当時の欧米の楽壇には、極めて新鮮な音楽造りだったに違いありません。
同時期のベルリオーズやのちのラヴェルなどとともに、小沢&ボストン+DGのイメージが、わたくしには定まってますが、これもまたそれにそぐうもので、こんな気持ちのいいベートーヴェンを久しぶりに聴いて思うのは、この時期に、ボストンとDGにベートーヴェンの交響曲全集を録音して欲しかったということ。
のちのフィリップスでのこのコンビの音は、またちょっと違うものとなりましたので。

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ベートーヴェンイヤーの前回は、1970年の生誕200年。
オジサンの聴き手のわたくしは、その年のことを明快に覚えてます。
レコード会社各社は、ベートーヴェン全集をこぞって発売。

Beethoven

ジャケットには、こんなベートーヴェンのシールが貼られてました。
1770~1970、ベートーヴェン200年です。

Beethoven-1

さらにシール拡大。

そして忘れてならないのは、この年、大阪で万国博覧会が行われました。
1969年にアポロ11号が持ち帰った、月の石がアメリカ館に展示され、とんでもない行列ができたりもしました。
 この万博に合わせて、世界各国の演奏家やオーケストラ、オペラ団が来日。
カラヤン&ベルリンフィル、セル・ブーレーズ&クリーブランド、バーンスタイン・小澤&ニューヨークフィル、プレートル・ボド&パリ管、プリッチャード・ダウンズ&ニューフィルハーモニア、Aヤンソンス&レニングラード、ロヴィツキ&ワルシャワフィル、デッカー&モントリオール、ベルリン・ドイツ・オペラ、ボリショイ・オペラなどなど
 ドイツ、アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、ソ連、ポーランドと各国勢ぞろいです。
いまでは、あたりまえとなった各国オケやオペラの来日ですが、こんなに大挙して訪れたことは、当時には考えられない豪華なことでした。
 しかも、NHKがかなり放送してくれたので、小学生だったワタクシは、連日テレビの前に釘付けでした!
このなかでは、カラヤンがベートーヴェンの全曲演奏をしました。
あと国内オケでは、サヴァリッシュがN響で全曲、イッセルシュテットが読響で第9とミサソレを。

ベートーヴェン一色となった1970年でした。
2020年も多くのオケがやってきましが、ベートーヴェンは案外と少な目。

目立つのはクルレンツィスとムジカエテルナと、オリンピック関連のドゥダメルBPOの第9ぐらいか。
あえていってしまうキワモノ的なクルレンツィス。
50年前はベートーヴェンやブラームスが、コンサートの花形でありメインだった。
いまは、マーラーとブルックナーが人気。
ベートーヴェンをやるならば、新機軸を持ち込まないと・・ということでありましょうか。

そんなこんなを考えつつ、エッシェンバッハと小澤の「皇帝」を何度も聴き返し、「やっぱり気持ちいいなぁ~、これでいいんだよ~」とつぶやいてる2020年の自分がいました。

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1月の11日から、吾妻山では、「菜の花まつり」が開催されます。
ちっちゃい町で、なんにもないのがいいところ。
みんな来てね~

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2019年12月18日 (水)

ヤンソンスを偲んで ⑥ミュンヘン

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ヤンソンスを追悼する記事、最後はミュンヘン。

バイエルン放送交響楽団は、ヤンソンス最後のポストで、在任中での逝去でありました。

ミュンヘンという音楽の都市は、優秀なオペラハウスと優秀なオーケストラがあって、かつての昔より、それぞれのポストには時代を代表する指揮者たちが歴任してきた。

バイエルン国立歌劇場、ミュンヘンフィル、バイエルン放送響。
60~70年代は、カイルベルト、サヴァリッシュ、ケンペ、クーベリック、80~90年代は、サヴァリッシュ、チェリビダッケ、デイヴィス、マゼール、2000年代は、ナガノ、ペトレンコ、ティーレマン、ゲルギエフ、そしてヤンソンス。

いつかは行ってみたい音楽都市のひとつがミュンヘン。
むかし、ミュンヘン空港に降り立ったことはあるが、それはウィーンから入って、そこからバスに乗らされて観光、記憶は彼方です。

 ヤンソンスは、コンセルトヘボウより1年早く2003年から、バイエルン放送響の首席指揮者となり、2つの名門オーケストラを兼務することなり、2016年からは、バイエルン放送響のみに専念することとなりました。
 ふたつのオーケストラと交互に、日本を訪れてくれたことは、前回も書いた通りで、私は2年分聴きました。

彼らのコンビで聴いた曲は、「チャイコフスキーP協」「幻想交響曲」「トリスタン」「火の鳥」「ショスタコーヴィチ5番」「ブルッフVn協1」「マーラー5番」「ツァラトゥストラ「ブラームス1番」「ブルックナー7番」など。
あとは、これまた珠玉のアンコール集。

10年前に自主レーベルができて、ヤンソンス&バイエルン放送響の音源は演奏会がそのまま音源になるかたちで、非常に多くリリースされるようになり、コンセルトヘボウと同じ曲も聴けるという贅沢も味わえるようになりました。
さらに放送局オケの強みで、映像もネット配信もふくめてふんだんに楽しめました。

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  シベリウス 交響曲第1番

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2004.4.23 @ヘラクレスザール)

バイエルンの初期はソニーレーベルとのアライアンスで何枚か出ましたが、そのなかでも一番好きなのがシベリウスの1番。
ヤンソンスもシベリウスのなかでは、いちばん得意にしていたのではなかったろうか。
大仰な2番よりも、幻想味と情熱と抒情、このあたり、ヤンソンス向けの曲だし、オーケストラの覇気とうまくかみ合った演奏に思う。
ウィーンフィルとの同時期のライブも録音して持ってるけど、そちらもいいです。

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  R・シュトラウス 「ばらの騎士」 組曲

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2006.10 @ヘラクレスザール)

これもまたヤンソンスお得意の曲目であり、アンコールの定番だった。
本来のオペラの方ばかり聴いていて、組曲版は敬遠しがちだけど、このヤンソンス盤は、全曲の雰囲気を手軽に味わえるし、躍動感とリズム感にあふれる指揮と、オーケストラの明るさと雰囲気あふれる響きが、いますぎにでもオペラの幕があがり、禁断の火遊びの朝、騎士の到着のわくわく感、ばらの献呈や二重唱の場の陶酔感、そして優美なワルツからユーモアあふれる退場まで・・・、各シーンが脳裏に浮かぶ。
ヤンソンス、うまいもんです。
全曲版が欲しかった。。。。

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   ワーグナー 「神々の黄昏」 ジークフリートの葬送行進曲

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

          (2009.3.16 @ルツェルン、クンストハウス)

オスロフィルとのワーグナー録音は、青臭くてイマイチだったけど、バイエルンとのものは別人のような充実ぶり。
バイエルンとの来日で、「トリスタン」を聴いたが、そのときの息をも止めて集中せざるを得ない厳しい集中力と緊張感あふれる演奏が忘れられない。
そのトリスタンは、ここには収録されていないけれど、哀しみを込めて、「黄昏」から葬送行進曲を。
淡々としたなかにあふれる悲しみの表出。
深刻さよりも、ワーグナーの重層的な音の重なりと響きを満喫させてくれる演奏で、きわめて音楽的。
なによりも、オーケストラにワーグナーの音がある。
 前にも書いたけれど、オランダ人、タンホイザー、ローエングリンあたりは、演奏会形式でもいいからバイエルンで残してほしかったものです。

Gurrelieder-jansons

  シェーンベルク 「グレの歌」

   トーヴェ:デボラ・ヴォイト
   山鳩:藤村 実穂子
   ヴァルデマール:スティグ・アンデルセン ほか

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2009.9.22 @ガスタイク)

合唱付きの大作に次々に取り組んだヤンソンス。
優秀な放送合唱団に、各局の合唱団も加え、映像なので見た目の豪奢な演奏風景だが、ヤンソンスの抜群の統率力と、全体を構成力豊かにまとめ上げる手腕も確認できる。
やはり、ここでもバイエルン放送響はめちゃくちゃ巧いし、音が濁らず明晰なのは指揮者のバランス感覚ばかりでなく、オーケストラの持ち味と力量でありましょう。
濃密な後期ロマン派臭のする演奏ではなく、シェーンベルクの音楽の持つロマンティックな側面を音楽的にさらりと引き出してみせた演奏に思う。
ブーレーズの緻密な青白いまでの高精度や、アバドの歌心とウィーン世紀末の味わいとはまた違う、ロマンあふれるフレッシュなヤンソンス&バイエルンのグレ・リーダーです。
山鳩の藤村さんが素晴らしい。

Beethoven-jansons

  ベートーヴェン 交響曲第3番 「英雄」

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

         (2012.10 @ヘラクレスザール)

もっと早く、オスロやコンセルトヘボウと実現してもおかしくなかったベートーヴェン交響曲全集。
蜜月のバイエルンと満を持して実現しました。
日本公演のライブを中心とした全集も出ましたので、ヤンソンス&バイエルンのベートーヴェン全集は2種。
 そのなかから、「英雄」を。
みなぎる活力と音にあふれる活気。
心地よい理想的なテンポのなかに、オーケストラの各奏者の自発性あふれる音楽性すら感じる充実のベートーヴェン。
いろいろとこねくり回すことのないストレートなベートーヴェンが実に心地よく、自分の耳の大掃除にもなりそうなスタンダードぶり。
いいんです、この全集。
 ヤンソンスのベートーヴェン、荘厳ミサをいつか取り上げるだろうと期待していたのに無念。
いま、このとき、2楽章には泣けます。

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  ブリテン 戦争レクイエム

   S:エミリー・マギー
   T:マーク・パドモア
   Br:クリスティアン・ゲルハーヘル

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団
             バイエルン放送合唱団

       (2013.3.13 @ガスタイク)

合唱を伴った大作シリーズ、ついに、ヤンソンスはブリテンの名作を取り上げました。
毎夏、この作品をブログでも取り上げ、いろんな演奏を聴いてきましたが、作曲者の手を離れて、いろんな指揮者が取り上げ始めてまだ30年そこそこ。
そこに出現した強力コンビに演奏に絶賛のブログを書いた5年前の自分です。
そこから引用、「かつて若き頃、音楽を生き生きと、面白く聴かせることに長けたヤンソンスでしたが、いまはそれに加えて内省的な充実度をさらに増して、ここでも、音楽のスケールがさらに大きくなってます。 内面への切り込みが深くなり、効果のための音というものが一切見当たらない。 」
緻密に書かれたブリテンのスコアが、ヤンソンスによって見事に解き明かされ、典礼文とオーウェンの詩との対比も鮮やかに描きわけられる。
戦火を経て、最後の浄化と調和の世界の到来と予見には、音楽の素晴らしさも手伝って、心から感動できます。

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バイエルン放送交響楽団のホームページから。

ヤンソンスのオーケストラへの献身的ともいえる活動に対し、感謝と追悼の言葉がたくさん述べられてます。

長年のホーム、ヘラクレスザールが手狭なのと老朽化。
ガスタイクホールはミュンヘンフィルの本拠だし、こちらも年月を経た。
バイエルン放送響の新しいホールの建設をずっと訴えていたヤンソンスの念願も実り、5年先となるが場所も決まり、デザインも決定。
音響は、世界のホールの数々を手掛けた日本の永田音響設計が請け負うことに。
まさにヤンソンスとオーケストラの悲願。
そのホールのこけら落としを担当することが出来なかったヤンソンス、さぞかし無念でありましたでしょう。
きっとその新ホールはヤンソンスの名前が冠されるのではないでしょうか。。。
 →バイエルン放送のHP

Mahler-sym9-jansons

  マーラー 交響曲第9番

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2016.10.20 @ガスタイク)

コンセルトヘボウとともに、バイエルン放送響のお家芸のマーラーとブルックナー。
ここでもヤンソンスは、しっかり取り組みました。
オスロフィルとの録音から16年。
テンポが1分ぐらい早まったものの、高性能のオーケストラを得て、楽譜をそのまま音にしたような無為そのもの、音楽だけの世界となりました。
この曲に共感するように求める深淵さや、告別的な終末観は少な目。
繰りかえしますが、スコアのみの純粋再現は、音の「美」の世界にも通じるかも。
バイエルン放送響とのコンビで造り上げた、それほどに磨き抜かれ、選びぬかれた音たちの数々がここにあります。
 このような美しいマーラーの9番も十分にありだし、ともかく深刻ぶらずに、音楽の良さだけを味わえるのがいいと思う。

ヤンソンスは、「大地の歌」は指揮しなかった。
一昨年、このオーケストラが取り上げたときには、ラトルの指揮だった。
もしかしたら、この先、取り組む気持ちがあったのかもしれず、これもまた残念な結末となりました。

昨年は不調で来日が出来なかったし、今年もツアーなどでキャンセルが相次いだ。
それでも、執念のように、まさに病魔の合間をつくようにして、指揮台に立ちましたが、リアルタイムに聴けた最後の放送録音は、ヨーロッパツアーでの一環のウィーン公演、10月26日の演奏会です。
ウェーバー「オイリアンテ」序曲、R・シュトラウス「インテルメッツォ」交響的間奏曲、ブラームス「交響曲第4番」。
弛緩しがちなテンポで、ときおり気持ちの抜けたようなか所も見受けられましたが、自分的にはシュトラウスの美しさと、ヤンソンスらしい弾んだリズムとでインテルメッツォがとてもよかった。

長い特集を組みましたが、ヤンソンスの足跡をたどりながら聴いたその音楽功績の数々。
ムラヴィンスキーのもと、東側体制からスタートしたヤンソンスの音楽は、まさに「ヨーロッパ」そのものになりました。
いまや、クラシック音楽は、欧米の演奏家と同等なぐらいに、アジア・中南米諸国の音楽家たちも、その実力でもって等しく奏でるようになりました。
ヨーロッパの終焉と、音楽の国際化の完全定着、その狭間にあった最後のスター指揮者がヤンソンスであったように思います。

マリス・ヤンソンスさん、たくさんの音楽をありがとうございました。

その魂が永遠に安らかでありますよう、心よりお祈り申し上げます。

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2018年9月17日 (月)

元祖 8番はこれ!

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キバナコスモスの群生。

忙しい気象に、自然の猛威に、同じ自然の仲間の花々も、調子を乱しがち。

サイクルがみんな早くなってしまった。

 音楽界も、好まれる音楽、コンサートや劇場で取り上げられる作品、好んで録音され、CDも売れる作品、そのあたりの変遷が、ここ数年際立って変貌してきていると思われる。

ヴィヴァルデイから、バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルトまでは、古楽的な演奏様式が多くなり、通常のオーケストラスタイルでは取り上げられにくくなり、古楽に通じた指揮者がピリオド奏法を活用して、その任にあたったりするか、古楽オーケストラでしか聴けないような、そんな風潮。

常設のオーケストラコンサートの、メインは、いまや人気曲の常連、マーラーやブルックナー、R・シュトラウスを主体とする、20世紀以降の大規模かつ、自己主張の多い作品ばかり。
古典系の作品は、それらの前座を務めるばかり。

いまや、8番といえば、ドヴォルザーク、ブルックナーかマーラーが人気。

わたくしの時代では、8番は、ベートーヴェンとシューベルト。
ドヴォルザークでさえ、ちょっとあとからたしなみました。

そんな当時の8番には、これ!っていう定番がありました。
今日は、なつかしい、その定番を。

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ベートーヴェン 交響曲第8番 ヘ長調 op93

    ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮
              ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

             (1968年9月 ウィーン ゾフィエンザール)


 60年代、ウィーンフィル初のベートーヴェン全集の指揮者は、ハンス・シュミット=イッセルシュテット。
ドイツ本流の渋い指揮者を起用したデッカに感謝しなくてはなりません。
そして、日本では、8番の名演奏として広く知られるようになったのも面白いことです。
 キビキビとしたリズミカルな演奏に、慣れてしまったいまの耳には、とても新鮮に聴こえる構えの大きい演奏で、若い方には、逆におっとりとしたイメージもあるかもしれません。
でも、7番と9番とにはさまれた8番の存在意義を、音楽そのものの力で、ごり押しすることもなく、すんなりと聴かせてくれる。
そして、よくよく聴くと、いまもって高音質の録音のよさも手伝って、各楽器がそれぞれ見通し良くよく聞こえる。
バランスの良い、端正なこの8番の演奏の魅力は、あとウィーンフィルの音色にもあります。
60年代のウィーンフィルは、現在のスマートすぎるグローバル化したウィーンフィルよりも、適度に鄙びていて、木管楽器ののどかな響きなど、懐かしい思いにさせてくれる。
イッセルシュテットのベートーヴェンは、どの番号も均一に素晴らしいです。
1970年のベートーヴェン生誕200年の年に、読響に来演し、第9とミサソレを指揮してますが、第9を日本武道館で演奏するという驚きの企画でもありました。

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さて、ベートーヴェンの次はシューベルト。

  シューベルト  交響曲第8番 ロ短調 「未完成」

     ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィルハーモニック

              (1958年3月 ニューヨーク)

  
いまや、シューベルトの8番は、9番の「ザ・グレート」になり、「未完成」は、7番なんて風になったりしちゃったりで、ワタクシには、もうさっぱりわかりません。
ですから、ともかく、わたくしには、シューベルトの8番は断然「未完成」なのであります。
 「未完成」のわたくしの刷り込み演奏は、初めて買ったレコードがミュンシュ盤。
いまでも、一番好きな演奏のひとつですが、ずっと後になって聴いたのが、これも名盤といわれるワルター盤。
コロンビア響でなく、ニューヨークフィルであったことで、幽玄で、ほの暗いロマンティックな響きにおおわれていて、遠い昔の日々を懐かしむような想いにさせてくれる。
それでいながら、死の淵をかいまみるようなデモーニッシュな表現もあって、ワルターという指揮者は柔和なばかりでなく、そうマーラーの時代の人でもあって、いろんな新作を手掛けてきたオペラ指揮者であるといこともわかります。
 歌心と、厳しさと、その両方が2つの楽章の25分間にしっかりと詰まってまして、最後にはとても優しい気持ちになれるので、就寝まえの夜更けた時間にお酒でもくゆらせながら聴くのがよいと思います。

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このワルター盤、今持つCDは、同じシューベルトの5番とのカップリングですが、レコード時代は、「運命・未完成」の典型的な組み合わせの1枚でした。

どちらの8番も懐かしい~な。
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2017年12月30日 (土)

ベートーヴェン ミサ・ソレムニス クレンペラー指揮

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年も押し迫ってまいりました。

東京タワーの前にあるクリニックのイルミネーション。

星と地球、そしてラッパを吹く天使たち。

音楽が聴こえてきそうなモティーフが好きで、毎年、楽しみにしてます。

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   ベートーヴェン ミサ・ソレムニス

  S:エリザベート・ゼーダーシュトレーム A:マルガ・ヘフゲン
  T:ヴァルデマール・クメント        Bs:マルッティ・タルヴェラ

   オットー・クレンペラー指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
                     ニュー・フィルハーモニア合唱団
             合唱指揮:ヴィルヘルム・ピッツ

                  (1965.9 @キングスウェイホール ロンドン)


今年最後の記事は、ベートーヴェンの究極の名作、ミサ・ソレムニス。
「荘厳ミサ曲」と呼ぶよりは、わたくしは、「ミサ・ソレムニス」。
ずっと、不遜にも、「ミサ・ソレ」と呼んできたから。

12月に入ると、演奏会は、第9だらけ。
ほぼすべてのプロオーケストラが、等しく第9で、たまには違う第9や、声楽曲を取り上げるオーケストラがあってもいいと思うんだけど。
 それでも、今年は、共に代役だった、鈴木優人氏と、ゲッツッル氏の第9はとても気になりましたが。
 そして、クリスマスが終わると、テレビやスーパーマーケットなどのBGMは、「喜びの歌」だらけになってしまう。
もう耳を覆いたくなる・・・。
でも、第9は好きですよ、ことに3楽章までは。

で、年末に聴くのは、第9でなく、ミサ・ソレの今年なのでした。

第9が、シラーに詩の内容に沿うように、歓喜、自由、友、世界と神などを希求するものとなっているのに対し、ミサ・ソレは、ラテン語のミサ典礼文が歌詞であり、その詞からは、ミサ・ソレの音楽の内容や本質はくみ取りにくい。
 熱心なカトリック信者でもなかったベートーヴェンが、ミサ・ソレの第1曲、キリエの冒頭に書き込んだ言葉。

「願わくば、心より出て、そして再び心に帰らんことを」

これがモットーのように、ベートーヴェンの信条として、この作品を貫いている。
心の平安と世界の平安。
この想いは、ベートーヴェンの晩年の作品に共通のもので、澄み切った、透徹した心情が、その音楽に反映されているわけだ。
第9の3楽章とか、ピアノ・ソナタの最後の3作、後期弦楽四重奏曲など。

わたくしが、この偉大な作品に、初めて感動したのは、クーベリックとバイエルンのFM放送のエアチェックテープをじっくり聴いたとき。
大学卒業の春、就職を控えたある日に、何気なく聴き始めたら、集中して一気に聴き進め、ベネディクトゥスで落涙してしまった。
以来、ミサ・ソレには、厳ついイメージでなく、優しい柔和なイメージを抱くようになった。

が、しかし、社会人になり、結婚して、子ももうけ、やがて子供らも大きくなった、そのあとに、ようやく聴いたクレンペラー盤。
無言で佇む、巨大な音による造形物を前に、そのときのわたくし、言葉も感情も失い、ただただ聴き入るだけでありました。
この辛口ともいえる、厳しい演奏のなかから、ベートーヴェンの「心より、心へ」のあの言葉が立ち上ってくるのを感じる。
 どうしても耳が美しさを求めてしまいがちなベネディクトゥスでは、確かに美しい音楽が奏でられるものの、その前段にあるサンクトゥスの幽玄な美の方と、ベネディクトゥスへの移行の場面が、この演奏では極めて素晴らしかったりする。
 でもなかでも圧巻は、クレド。複雑なフーガも、厳しい指揮棒のもとに、一糸乱れず、劇的な効果など、目もくれずにひたすらに音を重ねていく感じ。
バイロイトの合唱の神様、ピッツの指揮する合唱団のすばらしさは、録音のイマイチさを突き抜けて感動させてくれる。

シュヴァルツコップでなくて、ゼーダーシュトレームだったことも、この演奏の成り立ちとしてはよかった。北欧歌手に特有のクリアで、色気の少ない歌声がいい。
タルヴェラも北欧系だが、そのふくよかバスは、滋味深いマルケ王を思い出させてしまう。
ワーグナーつながりで恐縮ながら、ヘフゲンも、ながらくバイロイトのパルジファルのアルトの歌声の方。安定的なそのお声は、こうした宗教作品とクレンペラーの演奏にふさわしい。
少し甘めクメントも、ここでは端正で凛々しい歌声。

こんな感じで、合唱も、独唱も、対抗配置のオーケストラも、クレンペラーの下に、厳しくも、真摯にとり組んだミサ・ソレムニスの巨大な名演なのでありました。

あまりに巨大なので、そう何度も繰り返し聴くことも憚れる。
ときには、ウィーンの魅力満載のベーム盤や、ふっくらした響きとオーケストラの機能的な響きが結びついたハイティンク盤、同じバイエルンで、歌心にあふれたクーベリック・エアチェック盤、意外やロマンティックなリヒター盤、ドミンゴにはずっこけながらも大らかなレヴァイン盤なども聴きます。
 そして、なんと、バーンスタインとカラヤンは、持ってない。
いずれもその新旧録音を聴いてみたい。

人類にとっての至芸の音楽のひとつである「ミサ・ソレムニス」。

年末に、思い切り聴きこんでみました。

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よいお年をお迎えください。
    

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2017年11月27日 (月)

フィリップ・ジョルダン指揮 ウィーン交響楽団演奏会 2017.11.26

Minatomirai

日曜の夜のみなとみらいは、風が強かったがゆえに、空気も澄んで見通しがよかったです。

そして、みなとみらいホールで、見通しもよく、すっきり・くっきりの快演を堪能したました。

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   ベートーヴェン  交響曲第5番

   マーラー      交響曲第1番

   J・シュトラウス  「トリッチ・トラッチ・ポルカ」

              ポルカ「雷鳴と電光」

     フィリップ・ジョルダン 指揮 ウィーン交響楽団

                (1976.11.26 @みなとみらいホール)


75年のジュリーニ、2006年のルイージに次ぐ、3度目のウィーン交響楽団の演奏会。

ウィーンのセカンドオーケストラみたいに思われてるけど、ウィーンフィルは、ウィーン国立歌劇場のコンサート用のオーケストラで、いまでこそメンバーはほぼ一定のようだが、かつては、連日続くオペラの影響も受けてメンバーも変わったりということもあり、ウィーンの正統シンフォニーオケはウィーン響で、オペラ主体で、伝統ある定期演奏会もやるのがウィーンフィルという感じだったのが70年代頃まででしょうか。

ワルターやカラヤン、ベームも始終指揮をしていたけれど、ウィーン響は、長く続く首席指揮者が意外といなかった。
長かったのは、カラヤンとサヴァリッシュで、その後はジュリーニ、ラインスドルフ、シュタインも一時、ロジェストヴェンスキー、プレートル、エッシェンバッハ、デ・ブルゴス、フェドセーエフ、ルイージと、目まぐるしく指揮者が変わっているし、独墺系の人が少ないのも特徴。

でも、そんなウィーン響が好きで、レコード時代のサヴァリッシュの印象がずっとあるから。

前置き長いですね。

だから、今後の指揮界をしょって立つひとりの、P・ジョルダンには、長くその任について欲しいと思うし、おそらく初来日のジョルダンをともかく聴きたかった。
 スイスのドイツ語圏、チューリヒの出身であり、根っからのオペラ指揮者だった、アルミン・ジョルダンを父に持つフィリップが、オペラの道から叩き上げて、いまやパリ・オペラ座に、やがてウィーン国立歌劇場の指揮者にもなり、さらにバイロイトでもおそらく中心的な指揮者になりつつあることは、サラブレットの血筋とともに、スイス人的なオールマイティぶりにもあるものと思われる。

パリ・オペラ管とのベートーヴェン全集は、映像ですでに残されていて、いくつか視聴したが、今回のウィーン響との演奏は、現在チクルスで取り組み中であり、オーケストラの違いもあって、よりジョルダンらしさが徹底されていた。
 日本来日、初音出しが、第5なのも劇的。
対抗配置で、ベーレンライター版。
心地よいほどの快速なテンポでぐいぐい進むが、せかされたり、味気なかったりという想いはまったくない。
繰り返しは省略され、1楽章と2楽章、2楽章と3楽章は、指揮棒を止めず、ほぼ連続して演奏された。
全体が一気に演奏されたわけだが、緻密なスコアがあのモティーフで全体がつながり、そして暗から明という流れも明確になり、曲の密度もぐっと増した感がある。
 大振りの若々しい指揮ながら、オーケストラを完全に掌握していて、巧みに抑制をかけたりして考え抜かれた演奏でもあった。
全曲、おそらく30分ぐらい。
息つく間もなく歓喜のエンディングで、いきなり、ブラボーも飛び交いました。

ジョルダン&ウィーン響は、ベートーヴェン全集を収録中で、ウィーン響のサイトから拝借してここに張り付けておきます。第5も少し聴けます。
 
休憩後は、マーラーの1番。
2006年のルイージとの来日でも、この曲聴きました。

当時の配置の記憶はもうないが、今回のジョルダンのマーラーは、ベートーヴェンに引き続き対抗配置。
そして、改訂版では、3楽章のコントラバスはパートのユニゾンとされ、ルイージもそのとおりに演奏し、初改訂版だったので驚いたが、今回のジョルダン指揮では、慣れ親しんだソロパートによる演奏。
このソロがまた、艶やかで美しかった!
 そして、ルイージが避けた、終楽章のホルンパートのスタンドアップ。
ジョルダンは伝統に準じ、晴れやかにホルン全員立ち上がりました。

こんなことでわかる演奏の特徴。
アバドも一部そうだけど、装飾を排し、音楽の本質にピュアに迫るルイージの姿勢。
マーラー演奏において流れてきた伝統や、オーケストラのこれまでの伝統のなかで、過度なアーティキュレーションを抑えつつ、マーラーの持つ音楽の豊かさ、歌心において、新鮮な解釈を聴かせてくれたのがジョルダンだと思う。
伝統と、父親の姿をも意識するジョルダンと、新しい音楽の風潮が、フィリップのなかで、見事に昇華されて、彼の音楽観が生まれているんだろう。
 そんななかで、普段見過ごしがちな第2楽章が極めて面白かった。
ジョルダンの刻む、弾むリズムに、オーケストラが生き生きと反応し、新鮮なレントラーだった。そこにはウィーンの響きも。
 そして当然に、一気に、でも冷静さももって突き進んだフィナーレ。
自然な盛り上げでもって、高らかなファンファーレでもって爆発的なエンディング。
 そう、ものすごいブラボーでした。。。
ひっこんだと思うと、あっというまに出てくる精力的なジョルダン。
オケ全員を、一斉に振り向かせてホール後ろの客席にもご挨拶。

そして、アンコールは、爆発的な2曲。
みなとみらいホールは、最高に熱くなりました!

2020年、ウィーン国立歌劇場の指揮者になると、当然にウィーンフィルとの関係も深くなるので、ニュー・イヤーコンサートにも登場することでしょう。
明るい雰囲気と、優れた音楽性とその背景にある音楽への愛情と確信。

P・ジョルダンとウィーン交響楽団に注目!

コンサートのあとは、野毛で一杯。

神奈川フィルもお休み続きで心苦しい。
なんときゃ行かなくちゃ。
そして、ベイファンのお店でした。

Wiener_symphoniker_2

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 「ニーベルングの指環 オーケストラハイライト パリ」

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2017年10月 9日 (月)

ベートーヴェン ピアノ協奏曲全曲 ブレンデルの古い盤

Shibaura

日の出直前の竹芝桟橋から。

日の出スポットは、もうちょっと左側だけど、倉庫やマンションが立ち並び、見えません。

あの豊洲も見えましたよ。

Beethoven_p1_brendel

     ベートーヴェン  ピアノ協奏曲全曲

       Pf:アルフレート・ブレンデル

    ヴィルフレット・ベッチャー指揮 シュトゥットガルト・フィルハーモニー(1番)

    ハインツ・ワルベルク指揮 ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団(2番)
                     ウィーン交響楽団(3、4番)

    ズビン・メータ指揮 ウィーン交響楽団(5番)

                    (1961、66、67年 ウィーン)


私の、ベートーヴェンのピアノ協奏曲の初聴きは、この1枚。
1970年のベートーヴェン生誕200年の年に出た、ダイアモンド1000のベートーヴェン・シリーズ。
当時はまだ、そんなに有名じゃなかったブレンデルの協奏曲が4枚の廉価盤で登場した。
小学生のこづかいからの千円は、とても痛かったので、ラジオで聴いて、印象的だった1番のみを購入し、すでにスター指揮者だったメータが、なんと廉価盤になっていた5番は、どうしても買えなかった(というか、皇帝をまともに聴いたことがなかった)

ともかく1番の初々しさと、豊富なメロディが好きだった。
ブレンデルの若やいだピアノも、いまもって色あせてなくて、もう48年も前の記憶のまま。
 ずっと後年、この全集を揃えたのは、社会人になってから、VOXからCD化されたもので。

目玉だったメータ指揮する5番に、ちょっとがっかり。
いまも変わらないブレンデルの豊かなピアノに、メータ指揮するオーケストラは、せかせかとハイスピードと、音圧の強さでもってがんがん進める。
まさに若気の至り、かと思いきや、2楽章はとても神妙で美しく、そして3楽章は、威勢よく終了、と。

それにしても、この一番古い、いまから半世紀も前の録音に聴くブレンデルのピアノの妙技はいかがなものだろう。
誠実に、一音一音を弾き進めながら、そこに柔和さと、デリケートさ、そして、歯切れのよさも十分。
音が、丸っこく感じるのは、録音のせいもあるが、やわらかい。

オーケストラでは、ワルベルクの指揮するものが、際立った特徴はないが、やはり安定感と、安心感がある。
ウィーン響とあるが、かつてのレコード時代は、ウィーン・プロムジカ管弦楽団とか表記されていたもんだ。

たまに聴くと、懐かしい響きに包まれていて、ホッとする、一番古いブレンデルのベートーヴェンでした。


Beethoven_brendel_haitink

   ベートーヴェン  ピアノ協奏曲全曲

         Pf:アルフレート・ブレンデル

   ベルナルト・ハイティンク指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

                     (1975、76、77 ロンドン)


前回は30代半ば、そして10年後、押しも押されぬ中堅ピアニストとなったブレンデル、2度目のベートーヴェンは、専属となったフィリップスレーベルから、ハイティンクとの共演で。
数あるベートーヴェンのピアノ協奏曲全集で、全体として一番好きなのはこれ。
ソリストと指揮者、それぞれの思いや音楽が完全に一致していて、スタイルが統一されていて、とても凛々しい。

若やいだ1番と2番から、中期の深淵さと、壮麗さのスタイルへと移ってゆく、3、4、5番と聴き進めてゆくと、この演奏の必然性がとてもよくわかる。
それぞれの番号ごとに、とてもいい演奏なのだけれど、全体としてとらえると、こうしたベートーヴェンの音楽の神髄を導き出してやまない感じがする。

とりわけ、素敵なのが、いずれの曲も、その緩徐楽章。

ギャラントだけど、美しい旋律に満ち溢れた1番と2番のそれ。
よりロマンティックに傾いた3番は、オーケストラもほんと美しい。
で、バックハウスが「神への祈り」と呼んだ4番のそれは、神妙なる調和の世界で、深みも。
華麗な楽章に挟まれた「皇帝」の2楽章もまた、神妙なる静的な世界。

ブレンデルの柔らかいピアノの音色で聴く、これらは、ほんとに素晴らしくって、秋の夜長にぴったりです。
2番なんて、もう、泣きたくなるようなピアノに、音楽であります。

もちろん、アレグロやフォルテの楽章もとても魅力的だし、いい音楽に、万全の演奏ですよ。
でも、年を経ると、こんなベートーヴェンの聴き方も、いいなぁと心から思います。

しかし、ブレンデルのピアノって、音が豊かです。
中庸の美でありながら、じっくりと聴くと、音が弾み、輝き、優しく語りかけてくる。
でもそれ以上に主張してこないから、安心して聴いていられる。

それとまったく同じことがハイティンクとロンドンフィルの、いぶし銀でありつつ、ちょっとくすんだ渋さのオーケストラと、ふくよかで、恰幅もほどよいハイティンクの作り出すサウンドがとても素晴らしい。
 ハイティンクとロンドン・フィルは、この時期にロンドンで、これら協奏曲も含めた交響曲チクルスをやっていて、そちらもコンセルトヘボウとはまた、一味違った名演になっていることはもう、みなさま、ご存じのとおりです。
 そして、「皇帝」におけるスケールの大きさは、若きメータのものと比べると、まるで大人と子供くらいに感じます。

そして、アナログ最盛期のフィリップスの深みのある名録音も、わたくしには最良のものでありました。

秋の夜、暮れ行く空を眺めながら、二日間にわたり、ブレンデルのベートーヴェンを堪能しました。

ちなみに、ブレンデルのあとふたつ(レヴァインとラトル)は、聴いたことがありません。
あと、ハイティンクの指揮では、アラウ、アシュケナージ(映像)、ペライア、シフがありますが、いずれも未聴・・・・。
ともかく、この歳になっても、あれこれ気になるもの、欲しいものが尽きませぬ・・・・
聴く時間は有限なのに。。。。
 

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