カテゴリー「ベートーヴェン」の記事

2020年1月 8日 (水)

べートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 エッシェンバッハ

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2020年 新春の寿ぎを申し上げます。

神奈川の実家から、いつも登る吾妻山からみた富士山と菜の花。

1月3日の早朝、1年のうち、一番美しい冬の富士です。
菜の花の向こうは桜で、春には、菜の花が残っていればさらに素晴らしい景観が望めます。

今年、アニヴァーサリーを迎える作曲家で一番の大物は、やはり生誕150年のベートーヴェン。
あと、没後100年のブルッフ、没後150年のヨゼフ・シュトラウスあたりが切りのいい年度でしょうか。
バーンスタインも早や没後30年です。

名曲中の堂々たるコンチェルトの名曲、「皇帝」を。

Emperor

 ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」

     Pf:クリストフ・エッシェンバッハ

   小沢 征爾 ボストン交響楽団

       (1973.10 @ボストン)

いまは指揮者としての活動ががメインとなった、というよりも、数々のポストを歴任する名指揮者となったエッシェンバッハ。
1940年2月生まれだから、もうじき80歳。
そのエッシェンバッハが33歳で、ジャケット画像のとおり、ふっさふさ。

ピアノに隠れてますが、ボストン響のポストを得たばかりの小沢さん、当時38歳は、1935年生まれで、今年の9月には85歳になります。

ともにずっと聴いてきた音楽家です。
いつまでも元気に活躍してほしいと願うばかりです。

その彼らの若き「皇帝」。

まさに、「若き」という言葉が似合う「皇帝」。
溌剌として、爽やかとも言ってもいいくらいに、新春に相応しい気持ちのいい演奏だ。
エッシェンバッハは指揮を始めたばかりの頃で、この少しあとに、日本のオケにも客演してベートーヴェンを振ったりしている。
10本の指ではとうていできない表現の可能性を見出したかのように、暗い情念に裏打ちされたかのような濃厚な味付けするように、指揮を執るようになってから変貌したエッシェンバッハ。
 バレンボイムは、根っからの指揮者であったかのように変化を感じないが、アシュケナージやロストロポーヴィチなども、ソリストから指揮者に転じると構えの大きな表現者に変貌したかのようであった。

モーツァルトから、ドイツロマン派、ショパンあたりの弾き手としてドイツグラモフォンの看板ピアニストだったエッシェンバッハが指揮者を替えてベートーヴェンの協奏曲を3曲録音したものの、残念ながら全曲は残さず。
その自身の境遇などからも、マーラーに共感し、特異なマーラーやブルックナー指揮者のひとりとなりました。
そんなのちのちのことがが想像だにできないのが、この「皇帝」なのだ。

 明快な粒立ちのいいピアノは、この時期よく聴いたモーツァルトの演奏にも通じるものがあって、「堂々たる皇帝」というよりも、御世代わりの新たに即位した「若き新帝」って感じ。
でも、2楽章の叙情性や、3楽章の終わりの方などに、ちょっと立ち止まってみせて、複雑な表情を垣間見せるところがエッシェンバッハならではか・・・

 重心の軽めな小沢さんの指揮。
気配りの効いた細やかな指揮とあわせて、当時の欧米の楽壇には、極めて新鮮な音楽造りだったに違いありません。
同時期のベルリオーズやのちのラヴェルなどとともに、小沢&ボストン+DGのイメージが、わたくしには定まってますが、これもまたそれにそぐうもので、こんな気持ちのいいベートーヴェンを久しぶりに聴いて思うのは、この時期に、ボストンとDGにベートーヴェンの交響曲全集を録音して欲しかったということ。
のちのフィリップスでのこのコンビの音は、またちょっと違うものとなりましたので。

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ベートーヴェンイヤーの前回は、1970年の生誕200年。
オジサンの聴き手のわたくしは、その年のことを明快に覚えてます。
レコード会社各社は、ベートーヴェン全集をこぞって発売。

Beethoven

ジャケットには、こんなベートーヴェンのシールが貼られてました。
1770~1970、ベートーヴェン200年です。

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さらにシール拡大。

そして忘れてならないのは、この年、大阪で万国博覧会が行われました。
1969年にアポロ11号が持ち帰った、月の石がアメリカ館に展示され、とんでもない行列ができたりもしました。
 この万博に合わせて、世界各国の演奏家やオーケストラ、オペラ団が来日。
カラヤン&ベルリンフィル、セル・ブーレーズ&クリーブランド、バーンスタイン・小澤&ニューヨークフィル、プレートル・ボド&パリ管、プリッチャード・ダウンズ&ニューフィルハーモニア、Aヤンソンス&レニングラード、ロヴィツキ&ワルシャワフィル、デッカー&モントリオール、ベルリン・ドイツ・オペラ、ボリショイ・オペラなどなど
 ドイツ、アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、ソ連、ポーランドと各国勢ぞろいです。
いまでは、あたりまえとなった各国オケやオペラの来日ですが、こんなに大挙して訪れたことは、当時には考えられない豪華なことでした。
 しかも、NHKがかなり放送してくれたので、小学生だったワタクシは、連日テレビの前に釘付けでした!
このなかでは、カラヤンがベートーヴェンの全曲演奏をしました。
あと国内オケでは、サヴァリッシュがN響で全曲、イッセルシュテットが読響で第9とミサソレを。

ベートーヴェン一色となった1970年でした。
2020年も多くのオケがやってきましが、ベートーヴェンは案外と少な目。

目立つのはクルレンツィスとムジカエテルナと、オリンピック関連のドゥダメルBPOの第9ぐらいか。
あえていってしまうキワモノ的なクルレンツィス。
50年前はベートーヴェンやブラームスが、コンサートの花形でありメインだった。
いまは、マーラーとブルックナーが人気。
ベートーヴェンをやるならば、新機軸を持ち込まないと・・ということでありましょうか。

そんなこんなを考えつつ、エッシェンバッハと小澤の「皇帝」を何度も聴き返し、「やっぱり気持ちいいなぁ~、これでいいんだよ~」とつぶやいてる2020年の自分がいました。

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1月の11日から、吾妻山では、「菜の花まつり」が開催されます。
ちっちゃい町で、なんにもないのがいいところ。
みんな来てね~

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2019年12月18日 (水)

ヤンソンスを偲んで ⑥ミュンヘン

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ヤンソンスを追悼する記事、最後はミュンヘン。

バイエルン放送交響楽団は、ヤンソンス最後のポストで、在任中での逝去でありました。

ミュンヘンという音楽の都市は、優秀なオペラハウスと優秀なオーケストラがあって、かつての昔より、それぞれのポストには時代を代表する指揮者たちが歴任してきた。

バイエルン国立歌劇場、ミュンヘンフィル、バイエルン放送響。
60~70年代は、カイルベルト、サヴァリッシュ、ケンペ、クーベリック、80~90年代は、サヴァリッシュ、チェリビダッケ、デイヴィス、マゼール、2000年代は、ナガノ、ペトレンコ、ティーレマン、ゲルギエフ、そしてヤンソンス。

いつかは行ってみたい音楽都市のひとつがミュンヘン。
むかし、ミュンヘン空港に降り立ったことはあるが、それはウィーンから入って、そこからバスに乗らされて観光、記憶は彼方です。

 ヤンソンスは、コンセルトヘボウより1年早く2003年から、バイエルン放送響の首席指揮者となり、2つの名門オーケストラを兼務することなり、2016年からは、バイエルン放送響のみに専念することとなりました。
 ふたつのオーケストラと交互に、日本を訪れてくれたことは、前回も書いた通りで、私は2年分聴きました。

彼らのコンビで聴いた曲は、「チャイコフスキーP協」「幻想交響曲」「トリスタン」「火の鳥」「ショスタコーヴィチ5番」「ブルッフVn協1」「マーラー5番」「ツァラトゥストラ「ブラームス1番」「ブルックナー7番」など。
あとは、これまた珠玉のアンコール集。

10年前に自主レーベルができて、ヤンソンス&バイエルン放送響の音源は演奏会がそのまま音源になるかたちで、非常に多くリリースされるようになり、コンセルトヘボウと同じ曲も聴けるという贅沢も味わえるようになりました。
さらに放送局オケの強みで、映像もネット配信もふくめてふんだんに楽しめました。

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  シベリウス 交響曲第1番

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2004.4.23 @ヘラクレスザール)

バイエルンの初期はソニーレーベルとのアライアンスで何枚か出ましたが、そのなかでも一番好きなのがシベリウスの1番。
ヤンソンスもシベリウスのなかでは、いちばん得意にしていたのではなかったろうか。
大仰な2番よりも、幻想味と情熱と抒情、このあたり、ヤンソンス向けの曲だし、オーケストラの覇気とうまくかみ合った演奏に思う。
ウィーンフィルとの同時期のライブも録音して持ってるけど、そちらもいいです。

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  R・シュトラウス 「ばらの騎士」 組曲

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2006.10 @ヘラクレスザール)

これもまたヤンソンスお得意の曲目であり、アンコールの定番だった。
本来のオペラの方ばかり聴いていて、組曲版は敬遠しがちだけど、このヤンソンス盤は、全曲の雰囲気を手軽に味わえるし、躍動感とリズム感にあふれる指揮と、オーケストラの明るさと雰囲気あふれる響きが、いますぎにでもオペラの幕があがり、禁断の火遊びの朝、騎士の到着のわくわく感、ばらの献呈や二重唱の場の陶酔感、そして優美なワルツからユーモアあふれる退場まで・・・、各シーンが脳裏に浮かぶ。
ヤンソンス、うまいもんです。
全曲版が欲しかった。。。。

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   ワーグナー 「神々の黄昏」 ジークフリートの葬送行進曲

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

          (2009.3.16 @ルツェルン、クンストハウス)

オスロフィルとのワーグナー録音は、青臭くてイマイチだったけど、バイエルンとのものは別人のような充実ぶり。
バイエルンとの来日で、「トリスタン」を聴いたが、そのときの息をも止めて集中せざるを得ない厳しい集中力と緊張感あふれる演奏が忘れられない。
そのトリスタンは、ここには収録されていないけれど、哀しみを込めて、「黄昏」から葬送行進曲を。
淡々としたなかにあふれる悲しみの表出。
深刻さよりも、ワーグナーの重層的な音の重なりと響きを満喫させてくれる演奏で、きわめて音楽的。
なによりも、オーケストラにワーグナーの音がある。
 前にも書いたけれど、オランダ人、タンホイザー、ローエングリンあたりは、演奏会形式でもいいからバイエルンで残してほしかったものです。

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  シェーンベルク 「グレの歌」

   トーヴェ:デボラ・ヴォイト
   山鳩:藤村 実穂子
   ヴァルデマール:スティグ・アンデルセン ほか

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2009.9.22 @ガスタイク)

合唱付きの大作に次々に取り組んだヤンソンス。
優秀な放送合唱団に、各局の合唱団も加え、映像なので見た目の豪奢な演奏風景だが、ヤンソンスの抜群の統率力と、全体を構成力豊かにまとめ上げる手腕も確認できる。
やはり、ここでもバイエルン放送響はめちゃくちゃ巧いし、音が濁らず明晰なのは指揮者のバランス感覚ばかりでなく、オーケストラの持ち味と力量でありましょう。
濃密な後期ロマン派臭のする演奏ではなく、シェーンベルクの音楽の持つロマンティックな側面を音楽的にさらりと引き出してみせた演奏に思う。
ブーレーズの緻密な青白いまでの高精度や、アバドの歌心とウィーン世紀末の味わいとはまた違う、ロマンあふれるフレッシュなヤンソンス&バイエルンのグレ・リーダーです。
山鳩の藤村さんが素晴らしい。

Beethoven-jansons

  ベートーヴェン 交響曲第3番 「英雄」

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

         (2012.10 @ヘラクレスザール)

もっと早く、オスロやコンセルトヘボウと実現してもおかしくなかったベートーヴェン交響曲全集。
蜜月のバイエルンと満を持して実現しました。
日本公演のライブを中心とした全集も出ましたので、ヤンソンス&バイエルンのベートーヴェン全集は2種。
 そのなかから、「英雄」を。
みなぎる活力と音にあふれる活気。
心地よい理想的なテンポのなかに、オーケストラの各奏者の自発性あふれる音楽性すら感じる充実のベートーヴェン。
いろいろとこねくり回すことのないストレートなベートーヴェンが実に心地よく、自分の耳の大掃除にもなりそうなスタンダードぶり。
いいんです、この全集。
 ヤンソンスのベートーヴェン、荘厳ミサをいつか取り上げるだろうと期待していたのに無念。
いま、このとき、2楽章には泣けます。

Britten-warrequiem-jansons

  ブリテン 戦争レクイエム

   S:エミリー・マギー
   T:マーク・パドモア
   Br:クリスティアン・ゲルハーヘル

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団
             バイエルン放送合唱団

       (2013.3.13 @ガスタイク)

合唱を伴った大作シリーズ、ついに、ヤンソンスはブリテンの名作を取り上げました。
毎夏、この作品をブログでも取り上げ、いろんな演奏を聴いてきましたが、作曲者の手を離れて、いろんな指揮者が取り上げ始めてまだ30年そこそこ。
そこに出現した強力コンビに演奏に絶賛のブログを書いた5年前の自分です。
そこから引用、「かつて若き頃、音楽を生き生きと、面白く聴かせることに長けたヤンソンスでしたが、いまはそれに加えて内省的な充実度をさらに増して、ここでも、音楽のスケールがさらに大きくなってます。 内面への切り込みが深くなり、効果のための音というものが一切見当たらない。 」
緻密に書かれたブリテンのスコアが、ヤンソンスによって見事に解き明かされ、典礼文とオーウェンの詩との対比も鮮やかに描きわけられる。
戦火を経て、最後の浄化と調和の世界の到来と予見には、音楽の素晴らしさも手伝って、心から感動できます。

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バイエルン放送交響楽団のホームページから。

ヤンソンスのオーケストラへの献身的ともいえる活動に対し、感謝と追悼の言葉がたくさん述べられてます。

長年のホーム、ヘラクレスザールが手狭なのと老朽化。
ガスタイクホールはミュンヘンフィルの本拠だし、こちらも年月を経た。
バイエルン放送響の新しいホールの建設をずっと訴えていたヤンソンスの念願も実り、5年先となるが場所も決まり、デザインも決定。
音響は、世界のホールの数々を手掛けた日本の永田音響設計が請け負うことに。
まさにヤンソンスとオーケストラの悲願。
そのホールのこけら落としを担当することが出来なかったヤンソンス、さぞかし無念でありましたでしょう。
きっとその新ホールはヤンソンスの名前が冠されるのではないでしょうか。。。
 →バイエルン放送のHP

Mahler-sym9-jansons

  マーラー 交響曲第9番

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2016.10.20 @ガスタイク)

コンセルトヘボウとともに、バイエルン放送響のお家芸のマーラーとブルックナー。
ここでもヤンソンスは、しっかり取り組みました。
オスロフィルとの録音から16年。
テンポが1分ぐらい早まったものの、高性能のオーケストラを得て、楽譜をそのまま音にしたような無為そのもの、音楽だけの世界となりました。
この曲に共感するように求める深淵さや、告別的な終末観は少な目。
繰りかえしますが、スコアのみの純粋再現は、音の「美」の世界にも通じるかも。
バイエルン放送響とのコンビで造り上げた、それほどに磨き抜かれ、選びぬかれた音たちの数々がここにあります。
 このような美しいマーラーの9番も十分にありだし、ともかく深刻ぶらずに、音楽の良さだけを味わえるのがいいと思う。

ヤンソンスは、「大地の歌」は指揮しなかった。
一昨年、このオーケストラが取り上げたときには、ラトルの指揮だった。
もしかしたら、この先、取り組む気持ちがあったのかもしれず、これもまた残念な結末となりました。

昨年は不調で来日が出来なかったし、今年もツアーなどでキャンセルが相次いだ。
それでも、執念のように、まさに病魔の合間をつくようにして、指揮台に立ちましたが、リアルタイムに聴けた最後の放送録音は、ヨーロッパツアーでの一環のウィーン公演、10月26日の演奏会です。
ウェーバー「オイリアンテ」序曲、R・シュトラウス「インテルメッツォ」交響的間奏曲、ブラームス「交響曲第4番」。
弛緩しがちなテンポで、ときおり気持ちの抜けたようなか所も見受けられましたが、自分的にはシュトラウスの美しさと、ヤンソンスらしい弾んだリズムとでインテルメッツォがとてもよかった。

長い特集を組みましたが、ヤンソンスの足跡をたどりながら聴いたその音楽功績の数々。
ムラヴィンスキーのもと、東側体制からスタートしたヤンソンスの音楽は、まさに「ヨーロッパ」そのものになりました。
いまや、クラシック音楽は、欧米の演奏家と同等なぐらいに、アジア・中南米諸国の音楽家たちも、その実力でもって等しく奏でるようになりました。
ヨーロッパの終焉と、音楽の国際化の完全定着、その狭間にあった最後のスター指揮者がヤンソンスであったように思います。

マリス・ヤンソンスさん、たくさんの音楽をありがとうございました。

その魂が永遠に安らかでありますよう、心よりお祈り申し上げます。

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2018年9月17日 (月)

元祖 8番はこれ!

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キバナコスモスの群生。

忙しい気象に、自然の猛威に、同じ自然の仲間の花々も、調子を乱しがち。

サイクルがみんな早くなってしまった。

 音楽界も、好まれる音楽、コンサートや劇場で取り上げられる作品、好んで録音され、CDも売れる作品、そのあたりの変遷が、ここ数年際立って変貌してきていると思われる。

ヴィヴァルデイから、バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルトまでは、古楽的な演奏様式が多くなり、通常のオーケストラスタイルでは取り上げられにくくなり、古楽に通じた指揮者がピリオド奏法を活用して、その任にあたったりするか、古楽オーケストラでしか聴けないような、そんな風潮。

常設のオーケストラコンサートの、メインは、いまや人気曲の常連、マーラーやブルックナー、R・シュトラウスを主体とする、20世紀以降の大規模かつ、自己主張の多い作品ばかり。
古典系の作品は、それらの前座を務めるばかり。

いまや、8番といえば、ドヴォルザーク、ブルックナーかマーラーが人気。

わたくしの時代では、8番は、ベートーヴェンとシューベルト。
ドヴォルザークでさえ、ちょっとあとからたしなみました。

そんな当時の8番には、これ!っていう定番がありました。
今日は、なつかしい、その定番を。

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ベートーヴェン 交響曲第8番 ヘ長調 op93

    ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮
              ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

             (1968年9月 ウィーン ゾフィエンザール)


 60年代、ウィーンフィル初のベートーヴェン全集の指揮者は、ハンス・シュミット=イッセルシュテット。
ドイツ本流の渋い指揮者を起用したデッカに感謝しなくてはなりません。
そして、日本では、8番の名演奏として広く知られるようになったのも面白いことです。
 キビキビとしたリズミカルな演奏に、慣れてしまったいまの耳には、とても新鮮に聴こえる構えの大きい演奏で、若い方には、逆におっとりとしたイメージもあるかもしれません。
でも、7番と9番とにはさまれた8番の存在意義を、音楽そのものの力で、ごり押しすることもなく、すんなりと聴かせてくれる。
そして、よくよく聴くと、いまもって高音質の録音のよさも手伝って、各楽器がそれぞれ見通し良くよく聞こえる。
バランスの良い、端正なこの8番の演奏の魅力は、あとウィーンフィルの音色にもあります。
60年代のウィーンフィルは、現在のスマートすぎるグローバル化したウィーンフィルよりも、適度に鄙びていて、木管楽器ののどかな響きなど、懐かしい思いにさせてくれる。
イッセルシュテットのベートーヴェンは、どの番号も均一に素晴らしいです。
1970年のベートーヴェン生誕200年の年に、読響に来演し、第9とミサソレを指揮してますが、第9を日本武道館で演奏するという驚きの企画でもありました。

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さて、ベートーヴェンの次はシューベルト。

  シューベルト  交響曲第8番 ロ短調 「未完成」

     ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィルハーモニック

              (1958年3月 ニューヨーク)

  
いまや、シューベルトの8番は、9番の「ザ・グレート」になり、「未完成」は、7番なんて風になったりしちゃったりで、ワタクシには、もうさっぱりわかりません。
ですから、ともかく、わたくしには、シューベルトの8番は断然「未完成」なのであります。
 「未完成」のわたくしの刷り込み演奏は、初めて買ったレコードがミュンシュ盤。
いまでも、一番好きな演奏のひとつですが、ずっと後になって聴いたのが、これも名盤といわれるワルター盤。
コロンビア響でなく、ニューヨークフィルであったことで、幽玄で、ほの暗いロマンティックな響きにおおわれていて、遠い昔の日々を懐かしむような想いにさせてくれる。
それでいながら、死の淵をかいまみるようなデモーニッシュな表現もあって、ワルターという指揮者は柔和なばかりでなく、そうマーラーの時代の人でもあって、いろんな新作を手掛けてきたオペラ指揮者であるといこともわかります。
 歌心と、厳しさと、その両方が2つの楽章の25分間にしっかりと詰まってまして、最後にはとても優しい気持ちになれるので、就寝まえの夜更けた時間にお酒でもくゆらせながら聴くのがよいと思います。

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このワルター盤、今持つCDは、同じシューベルトの5番とのカップリングですが、レコード時代は、「運命・未完成」の典型的な組み合わせの1枚でした。

どちらの8番も懐かしい~な。
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2017年12月30日 (土)

ベートーヴェン ミサ・ソレムニス クレンペラー指揮

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年も押し迫ってまいりました。

東京タワーの前にあるクリニックのイルミネーション。

星と地球、そしてラッパを吹く天使たち。

音楽が聴こえてきそうなモティーフが好きで、毎年、楽しみにしてます。

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   ベートーヴェン ミサ・ソレムニス

  S:エリザベート・ゼーダーシュトレーム A:マルガ・ヘフゲン
  T:ヴァルデマール・クメント        Bs:マルッティ・タルヴェラ

   オットー・クレンペラー指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
                     ニュー・フィルハーモニア合唱団
             合唱指揮:ヴィルヘルム・ピッツ

                  (1965.9 @キングスウェイホール ロンドン)


今年最後の記事は、ベートーヴェンの究極の名作、ミサ・ソレムニス。
「荘厳ミサ曲」と呼ぶよりは、わたくしは、「ミサ・ソレムニス」。
ずっと、不遜にも、「ミサ・ソレ」と呼んできたから。

12月に入ると、演奏会は、第9だらけ。
ほぼすべてのプロオーケストラが、等しく第9で、たまには違う第9や、声楽曲を取り上げるオーケストラがあってもいいと思うんだけど。
 それでも、今年は、共に代役だった、鈴木優人氏と、ゲッツッル氏の第9はとても気になりましたが。
 そして、クリスマスが終わると、テレビやスーパーマーケットなどのBGMは、「喜びの歌」だらけになってしまう。
もう耳を覆いたくなる・・・。
でも、第9は好きですよ、ことに3楽章までは。

で、年末に聴くのは、第9でなく、ミサ・ソレの今年なのでした。

第9が、シラーに詩の内容に沿うように、歓喜、自由、友、世界と神などを希求するものとなっているのに対し、ミサ・ソレは、ラテン語のミサ典礼文が歌詞であり、その詞からは、ミサ・ソレの音楽の内容や本質はくみ取りにくい。
 熱心なカトリック信者でもなかったベートーヴェンが、ミサ・ソレの第1曲、キリエの冒頭に書き込んだ言葉。

「願わくば、心より出て、そして再び心に帰らんことを」

これがモットーのように、ベートーヴェンの信条として、この作品を貫いている。
心の平安と世界の平安。
この想いは、ベートーヴェンの晩年の作品に共通のもので、澄み切った、透徹した心情が、その音楽に反映されているわけだ。
第9の3楽章とか、ピアノ・ソナタの最後の3作、後期弦楽四重奏曲など。

わたくしが、この偉大な作品に、初めて感動したのは、クーベリックとバイエルンのFM放送のエアチェックテープをじっくり聴いたとき。
大学卒業の春、就職を控えたある日に、何気なく聴き始めたら、集中して一気に聴き進め、ベネディクトゥスで落涙してしまった。
以来、ミサ・ソレには、厳ついイメージでなく、優しい柔和なイメージを抱くようになった。

が、しかし、社会人になり、結婚して、子ももうけ、やがて子供らも大きくなった、そのあとに、ようやく聴いたクレンペラー盤。
無言で佇む、巨大な音による造形物を前に、そのときのわたくし、言葉も感情も失い、ただただ聴き入るだけでありました。
この辛口ともいえる、厳しい演奏のなかから、ベートーヴェンの「心より、心へ」のあの言葉が立ち上ってくるのを感じる。
 どうしても耳が美しさを求めてしまいがちなベネディクトゥスでは、確かに美しい音楽が奏でられるものの、その前段にあるサンクトゥスの幽玄な美の方と、ベネディクトゥスへの移行の場面が、この演奏では極めて素晴らしかったりする。
 でもなかでも圧巻は、クレド。複雑なフーガも、厳しい指揮棒のもとに、一糸乱れず、劇的な効果など、目もくれずにひたすらに音を重ねていく感じ。
バイロイトの合唱の神様、ピッツの指揮する合唱団のすばらしさは、録音のイマイチさを突き抜けて感動させてくれる。

シュヴァルツコップでなくて、ゼーダーシュトレームだったことも、この演奏の成り立ちとしてはよかった。北欧歌手に特有のクリアで、色気の少ない歌声がいい。
タルヴェラも北欧系だが、そのふくよかバスは、滋味深いマルケ王を思い出させてしまう。
ワーグナーつながりで恐縮ながら、ヘフゲンも、ながらくバイロイトのパルジファルのアルトの歌声の方。安定的なそのお声は、こうした宗教作品とクレンペラーの演奏にふさわしい。
少し甘めクメントも、ここでは端正で凛々しい歌声。

こんな感じで、合唱も、独唱も、対抗配置のオーケストラも、クレンペラーの下に、厳しくも、真摯にとり組んだミサ・ソレムニスの巨大な名演なのでありました。

あまりに巨大なので、そう何度も繰り返し聴くことも憚れる。
ときには、ウィーンの魅力満載のベーム盤や、ふっくらした響きとオーケストラの機能的な響きが結びついたハイティンク盤、同じバイエルンで、歌心にあふれたクーベリック・エアチェック盤、意外やロマンティックなリヒター盤、ドミンゴにはずっこけながらも大らかなレヴァイン盤なども聴きます。
 そして、なんと、バーンスタインとカラヤンは、持ってない。
いずれもその新旧録音を聴いてみたい。

人類にとっての至芸の音楽のひとつである「ミサ・ソレムニス」。

年末に、思い切り聴きこんでみました。

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よいお年をお迎えください。
    

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2017年11月27日 (月)

フィリップ・ジョルダン指揮 ウィーン交響楽団演奏会 2017.11.26

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日曜の夜のみなとみらいは、風が強かったがゆえに、空気も澄んで見通しがよかったです。

そして、みなとみらいホールで、見通しもよく、すっきり・くっきりの快演を堪能したました。

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   ベートーヴェン  交響曲第5番

   マーラー      交響曲第1番

   J・シュトラウス  「トリッチ・トラッチ・ポルカ」

              ポルカ「雷鳴と電光」

     フィリップ・ジョルダン 指揮 ウィーン交響楽団

                (1976.11.26 @みなとみらいホール)


75年のジュリーニ、2006年のルイージに次ぐ、3度目のウィーン交響楽団の演奏会。

ウィーンのセカンドオーケストラみたいに思われてるけど、ウィーンフィルは、ウィーン国立歌劇場のコンサート用のオーケストラで、いまでこそメンバーはほぼ一定のようだが、かつては、連日続くオペラの影響も受けてメンバーも変わったりということもあり、ウィーンの正統シンフォニーオケはウィーン響で、オペラ主体で、伝統ある定期演奏会もやるのがウィーンフィルという感じだったのが70年代頃まででしょうか。

ワルターやカラヤン、ベームも始終指揮をしていたけれど、ウィーン響は、長く続く首席指揮者が意外といなかった。
長かったのは、カラヤンとサヴァリッシュで、その後はジュリーニ、ラインスドルフ、シュタインも一時、ロジェストヴェンスキー、プレートル、エッシェンバッハ、デ・ブルゴス、フェドセーエフ、ルイージと、目まぐるしく指揮者が変わっているし、独墺系の人が少ないのも特徴。

でも、そんなウィーン響が好きで、レコード時代のサヴァリッシュの印象がずっとあるから。

前置き長いですね。

だから、今後の指揮界をしょって立つひとりの、P・ジョルダンには、長くその任について欲しいと思うし、おそらく初来日のジョルダンをともかく聴きたかった。
 スイスのドイツ語圏、チューリヒの出身であり、根っからのオペラ指揮者だった、アルミン・ジョルダンを父に持つフィリップが、オペラの道から叩き上げて、いまやパリ・オペラ座に、やがてウィーン国立歌劇場の指揮者にもなり、さらにバイロイトでもおそらく中心的な指揮者になりつつあることは、サラブレットの血筋とともに、スイス人的なオールマイティぶりにもあるものと思われる。

パリ・オペラ管とのベートーヴェン全集は、映像ですでに残されていて、いくつか視聴したが、今回のウィーン響との演奏は、現在チクルスで取り組み中であり、オーケストラの違いもあって、よりジョルダンらしさが徹底されていた。
 日本来日、初音出しが、第5なのも劇的。
対抗配置で、ベーレンライター版。
心地よいほどの快速なテンポでぐいぐい進むが、せかされたり、味気なかったりという想いはまったくない。
繰り返しは省略され、1楽章と2楽章、2楽章と3楽章は、指揮棒を止めず、ほぼ連続して演奏された。
全体が一気に演奏されたわけだが、緻密なスコアがあのモティーフで全体がつながり、そして暗から明という流れも明確になり、曲の密度もぐっと増した感がある。
 大振りの若々しい指揮ながら、オーケストラを完全に掌握していて、巧みに抑制をかけたりして考え抜かれた演奏でもあった。
全曲、おそらく30分ぐらい。
息つく間もなく歓喜のエンディングで、いきなり、ブラボーも飛び交いました。

ジョルダン&ウィーン響は、ベートーヴェン全集を収録中で、ウィーン響のサイトから拝借してここに張り付けておきます。第5も少し聴けます。
 
休憩後は、マーラーの1番。
2006年のルイージとの来日でも、この曲聴きました。

当時の配置の記憶はもうないが、今回のジョルダンのマーラーは、ベートーヴェンに引き続き対抗配置。
そして、改訂版では、3楽章のコントラバスはパートのユニゾンとされ、ルイージもそのとおりに演奏し、初改訂版だったので驚いたが、今回のジョルダン指揮では、慣れ親しんだソロパートによる演奏。
このソロがまた、艶やかで美しかった!
 そして、ルイージが避けた、終楽章のホルンパートのスタンドアップ。
ジョルダンは伝統に準じ、晴れやかにホルン全員立ち上がりました。

こんなことでわかる演奏の特徴。
アバドも一部そうだけど、装飾を排し、音楽の本質にピュアに迫るルイージの姿勢。
マーラー演奏において流れてきた伝統や、オーケストラのこれまでの伝統のなかで、過度なアーティキュレーションを抑えつつ、マーラーの持つ音楽の豊かさ、歌心において、新鮮な解釈を聴かせてくれたのがジョルダンだと思う。
伝統と、父親の姿をも意識するジョルダンと、新しい音楽の風潮が、フィリップのなかで、見事に昇華されて、彼の音楽観が生まれているんだろう。
 そんななかで、普段見過ごしがちな第2楽章が極めて面白かった。
ジョルダンの刻む、弾むリズムに、オーケストラが生き生きと反応し、新鮮なレントラーだった。そこにはウィーンの響きも。
 そして当然に、一気に、でも冷静さももって突き進んだフィナーレ。
自然な盛り上げでもって、高らかなファンファーレでもって爆発的なエンディング。
 そう、ものすごいブラボーでした。。。
ひっこんだと思うと、あっというまに出てくる精力的なジョルダン。
オケ全員を、一斉に振り向かせてホール後ろの客席にもご挨拶。

そして、アンコールは、爆発的な2曲。
みなとみらいホールは、最高に熱くなりました!

2020年、ウィーン国立歌劇場の指揮者になると、当然にウィーンフィルとの関係も深くなるので、ニュー・イヤーコンサートにも登場することでしょう。
明るい雰囲気と、優れた音楽性とその背景にある音楽への愛情と確信。

P・ジョルダンとウィーン交響楽団に注目!

コンサートのあとは、野毛で一杯。

神奈川フィルもお休み続きで心苦しい。
なんときゃ行かなくちゃ。
そして、ベイファンのお店でした。

Wiener_symphoniker_2

ジョルダン過去記事


 「ニーベルングの指環 オーケストラハイライト パリ」

 「バイロイト音楽祭 ニュルンベルクのマイスタージンガー」

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2017年10月 9日 (月)

ベートーヴェン ピアノ協奏曲全曲 ブレンデルの古い盤

Shibaura

日の出直前の竹芝桟橋から。

日の出スポットは、もうちょっと左側だけど、倉庫やマンションが立ち並び、見えません。

あの豊洲も見えましたよ。

Beethoven_p1_brendel

     ベートーヴェン  ピアノ協奏曲全曲

       Pf:アルフレート・ブレンデル

    ヴィルフレット・ベッチャー指揮 シュトゥットガルト・フィルハーモニー(1番)

    ハインツ・ワルベルク指揮 ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団(2番)
                     ウィーン交響楽団(3、4番)

    ズビン・メータ指揮 ウィーン交響楽団(5番)

                    (1961、66、67年 ウィーン)


私の、ベートーヴェンのピアノ協奏曲の初聴きは、この1枚。
1970年のベートーヴェン生誕200年の年に出た、ダイアモンド1000のベートーヴェン・シリーズ。
当時はまだ、そんなに有名じゃなかったブレンデルの協奏曲が4枚の廉価盤で登場した。
小学生のこづかいからの千円は、とても痛かったので、ラジオで聴いて、印象的だった1番のみを購入し、すでにスター指揮者だったメータが、なんと廉価盤になっていた5番は、どうしても買えなかった(というか、皇帝をまともに聴いたことがなかった)

ともかく1番の初々しさと、豊富なメロディが好きだった。
ブレンデルの若やいだピアノも、いまもって色あせてなくて、もう48年も前の記憶のまま。
 ずっと後年、この全集を揃えたのは、社会人になってから、VOXからCD化されたもので。

目玉だったメータ指揮する5番に、ちょっとがっかり。
いまも変わらないブレンデルの豊かなピアノに、メータ指揮するオーケストラは、せかせかとハイスピードと、音圧の強さでもってがんがん進める。
まさに若気の至り、かと思いきや、2楽章はとても神妙で美しく、そして3楽章は、威勢よく終了、と。

それにしても、この一番古い、いまから半世紀も前の録音に聴くブレンデルのピアノの妙技はいかがなものだろう。
誠実に、一音一音を弾き進めながら、そこに柔和さと、デリケートさ、そして、歯切れのよさも十分。
音が、丸っこく感じるのは、録音のせいもあるが、やわらかい。

オーケストラでは、ワルベルクの指揮するものが、際立った特徴はないが、やはり安定感と、安心感がある。
ウィーン響とあるが、かつてのレコード時代は、ウィーン・プロムジカ管弦楽団とか表記されていたもんだ。

たまに聴くと、懐かしい響きに包まれていて、ホッとする、一番古いブレンデルのベートーヴェンでした。


Beethoven_brendel_haitink

   ベートーヴェン  ピアノ協奏曲全曲

         Pf:アルフレート・ブレンデル

   ベルナルト・ハイティンク指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

                     (1975、76、77 ロンドン)


前回は30代半ば、そして10年後、押しも押されぬ中堅ピアニストとなったブレンデル、2度目のベートーヴェンは、専属となったフィリップスレーベルから、ハイティンクとの共演で。
数あるベートーヴェンのピアノ協奏曲全集で、全体として一番好きなのはこれ。
ソリストと指揮者、それぞれの思いや音楽が完全に一致していて、スタイルが統一されていて、とても凛々しい。

若やいだ1番と2番から、中期の深淵さと、壮麗さのスタイルへと移ってゆく、3、4、5番と聴き進めてゆくと、この演奏の必然性がとてもよくわかる。
それぞれの番号ごとに、とてもいい演奏なのだけれど、全体としてとらえると、こうしたベートーヴェンの音楽の神髄を導き出してやまない感じがする。

とりわけ、素敵なのが、いずれの曲も、その緩徐楽章。

ギャラントだけど、美しい旋律に満ち溢れた1番と2番のそれ。
よりロマンティックに傾いた3番は、オーケストラもほんと美しい。
で、バックハウスが「神への祈り」と呼んだ4番のそれは、神妙なる調和の世界で、深みも。
華麗な楽章に挟まれた「皇帝」の2楽章もまた、神妙なる静的な世界。

ブレンデルの柔らかいピアノの音色で聴く、これらは、ほんとに素晴らしくって、秋の夜長にぴったりです。
2番なんて、もう、泣きたくなるようなピアノに、音楽であります。

もちろん、アレグロやフォルテの楽章もとても魅力的だし、いい音楽に、万全の演奏ですよ。
でも、年を経ると、こんなベートーヴェンの聴き方も、いいなぁと心から思います。

しかし、ブレンデルのピアノって、音が豊かです。
中庸の美でありながら、じっくりと聴くと、音が弾み、輝き、優しく語りかけてくる。
でもそれ以上に主張してこないから、安心して聴いていられる。

それとまったく同じことがハイティンクとロンドンフィルの、いぶし銀でありつつ、ちょっとくすんだ渋さのオーケストラと、ふくよかで、恰幅もほどよいハイティンクの作り出すサウンドがとても素晴らしい。
 ハイティンクとロンドン・フィルは、この時期にロンドンで、これら協奏曲も含めた交響曲チクルスをやっていて、そちらもコンセルトヘボウとはまた、一味違った名演になっていることはもう、みなさま、ご存じのとおりです。
 そして、「皇帝」におけるスケールの大きさは、若きメータのものと比べると、まるで大人と子供くらいに感じます。

そして、アナログ最盛期のフィリップスの深みのある名録音も、わたくしには最良のものでありました。

秋の夜、暮れ行く空を眺めながら、二日間にわたり、ブレンデルのベートーヴェンを堪能しました。

ちなみに、ブレンデルのあとふたつ(レヴァインとラトル)は、聴いたことがありません。
あと、ハイティンクの指揮では、アラウ、アシュケナージ(映像)、ペライア、シフがありますが、いずれも未聴・・・・。
ともかく、この歳になっても、あれこれ気になるもの、欲しいものが尽きませぬ・・・・
聴く時間は有限なのに。。。。
 

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2016年2月27日 (土)

ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」 フルトヴェングラー指揮

Hatskooda_1

何年も前に行った八甲田山。

大学生のときに観た同名の映画は、史実に基づく、寒々しくも、でも忠義に尽す明治の軍人たちの物語だった。

Hatskooda_2

ここで立ちながらにして凍死した隊員たち。

前にテレビで観たけれど、夜になると行軍する霊たちがあらわれるという・・・・・・

Hatskooda_3

  ベートーヴェン 交響曲第3番 変ホ長調 「英雄」

    ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ウィーンフィルハーモニー

                               (1953)


またしても、鼓舞されそうな曲を選んで、しかも、大昔にクラシック道に導いてくれた従兄の家で、レコードで聴いた演奏で。

CDで全集を揃えてみたけれど、ほったらかし。

そして、聴いてみたよ、フルヴェンのエロイカ。

そしたら、なんだか、遠い世界の音楽に聴こえた。

まるで、過去から忽然とあらわれた武士のようで、一部は落ち武者のように感じた。

しかし、終楽章は実に素晴らしく自在だ。

レコードをパチパチいわせながら聴いたらまた違う印象かも。

CDでは、情感がのっぺりしすぎて聴こえてしまうのか。
自分の耳も、変化し、多様な演奏や演奏様式を聴けるようになった今、不遜にも、これは辛い演奏に感じた。
 おまけに、雄大さ、悠揚さが辛かった。
鼓舞されず、意欲は逡巡した。

ファンの方々、すいません。
5番も6番も辛かった。
第9は、聴く意欲がありません。

ワーグナーは無条件にOKなんだけど。

もしかしたら、ブラームスは。
ぶら4でも確認してみよっと。
またいずれ。

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2016年2月25日 (木)

ベートーヴェン 交響曲第5番 クライバー指揮

Tokyo_tower

久しぶりの東京タワーは、公園の足元灯が色とりどりになっていて、きれいでした。

そして、河津桜が満開。

Beethoven_5

  ベートーヴェン 交響曲第5番 ハ短調

    カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

        
                       (1974.3 ウィーン)


自分を奮い立たせるために聴いた。

ピリオドもくそもない。

自分には、いつでも鮮度高いカルロスの第5。

「いまさらカルロスの第5、されど、カルロスの第5。」

以上、おわり。

ドラえも~ん、運命の扉をちょーーだ~い

 当ブログ史上、一番短いヤツ書いてやった。

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2015年8月19日 (水)

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第4番 ミケランジェリ

Shikenjyo

実家近くの裏山の竹藪。

竹は、こうして見ていてとても美しく趣きがあるのですが、その成長と、他を圧する生存能力には脱帽です。

先だって、テレビでもやってましたが、放置された田畑が竹に浸食されて、おまけに地中でつながっているものだから、傾斜地では、表面の地表が地滑りを起こす危険性もあるといいます。
稚竹のうちに、どんどん収穫して食べてしまえばいいんでしょうけど、竹の有効活用を含め、数々あるそうですが、なかなか人手と経済性が伴わないらしいです。

難しいものです。

今夜は、若竹のように、新鮮で活きのいい音楽を。

Beethoven4

   ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第4番 変ホ長調 Op7

        アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ

                     (1971.7 @ミュンヘン)


ベートーヴェンのピアノソナタシリーズ。
作品2の1~3番に引き続き、第4番は、単独で、作品番号7。

作品2では、あとのものほど、規模と充実度を増し、ここ4番では、さらにスケールアップし、ベートーヴェンの意気込みも、大いに増していることを感じ取ることができます。
その大きさから、出版当初は、グランド・ソナタとの命名もされていたそうな。

作品2の翌年、1796~7年の作曲。
当時ベートーヴェンが住んでいた家のお向かいの貴族、ケーグレヴィッチ伯爵令嬢にピアノを教えていて、事実、彼女は、弟子としても優れたピアニストだったらしい。
 レッスンにやってくるときは、ときおり、ベットガウンにスリッパに、トンガリ帽子という奇異ないでたちで訪れたりしたらしく、そんなベートーヴェンが微笑ましく思えたりしますな。

その彼女に、このソナタは、捧げられ、この曲は、当時、「愛する女」と名付けられたとされますが、そのあたりの因果関係は今は不明であります。

曲は4つの楽章からなり、変ホ長調という調性から、大らかさと伸びやかさが支配し、後年の深刻さやヒロイックな様相は、まったくうかがえませんね。

1楽章は、アレグロ・モルト・エ・コン・ブリオですから、まいどお馴染み、ベートーヴェンの第1楽章って感じの表記です。
スケールの大きさは、最初から、しっかり発揮されていて、活力に富んでいながら、しなやかさも見せる魅力的な楽章です。

2楽章は、少しばかり瞑想的なラルゴ。
ベートーヴェンの緩徐楽章の抒情を充分に感じとれますね。

3楽章は、普通にアレグロで、3部形式ながら、スケルツォでもなし、メヌエットでもなし、とかつてより評されてますが、親しみあふれるフレーズが続出。

そして、終楽章は、ロンド形式。トリルの目立つ楽章で、終わりを飾るスケール感はないものの、緩急が豊かで、長調と短調のやりとりの面白さを感じます。
次の5番へのステッアップへの布石も。

地味ながら、青年ベートーヴェンの姿を味わうに相応しい桂曲だと思いました。

今回は、ミケランジェリの懐かしの名演で。
このレコードが出たときは、ミケランジェリのDGデビューのひとつではなかったでしょうか。

贅沢にも、これ1曲で、1枚のレコード。
演奏時間にして、31分。
ほかの演奏では、23~5分ぐらいなのに、この演奏時間。
そう、全体にゆったりめで、丹念に弾いている結果です。
しかし、造型は堅固で、一部の隙もなく、完璧な仕上がりながら、冷たさは一切なく、明晰さからくる明るいカラーが全体を支配してます。
 イタリアの音楽家らしい「明晰な美」への追及が際立った演奏ではないかと。
この演奏、CD時代になって、シューベルトのソナタや、ブラームスのバラードなんかもカップリングされて、さらにお安くなって、かねてとは隔世感を味わわせてくれたりもしてます。

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2015年7月 6日 (月)

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第1~3番 バックハウス

Zojyoji

出たり引っ込んだり、関東では、今年の梅雨も7月の上旬に、いよいよ本番。

紫陽花は、もう見ごろのピークを終えてしまいましたか・・・

いろんな色があるけれど、やっぱりブルーですかね。

そして、新鮮なブルーに似合うのが、ベートーヴェンの初期作品の清々しさ。

Beethoven_backhaus

  ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第1番 ヘ短調 op2-1

                ピアノ・ソナタ第2番 イ長調  op2-2

        
             ピアノ・ソナタ第3番 ハ長調 op2-3


        Pf:ウィルヘルム・バックハウス

                      (1963.10 1968.3 1969.4
                         @ジュネーヴ、ヴィクトリア・ホール)


ベートーヴェンは、1795年(25歳)、作品番号2の3曲のピアノ・ソナタを完成させ、師ハイドンの前で、演奏しました。
 その3曲の前にも、5曲ほど、ソナタないしはソナチネは書かれているが、番号付きとしては、これらの3つがスタートとなります。

ウィーンに出てきたばかりの頃のベートーヴェンは、当時のウィーンの大御所、ハイドンの門をくぐり、勉強をしたものの、血気あふれるベートーヴェンからすると、師のもとでの授業は、予想外に退屈なものだったらしい。
 
 むこうみずにも、別な先生のもとに走ったベートーヴェンは、さすがに、師ハイドンに対して気兼ねし、感情的な行き違いを、なんとか解消しようとして、師に捧げるべく、これらの3つのソナタを作曲したわけです。

ですから、この3曲は、意欲的な顔、師への感謝を込めた明朗な顔、そして、のちの大きなソナタへの先駆けのようなシンフォニックな顔、いずれも異なる気分が横溢している。

1番は、いきなり短調という悲劇色の濃い作品。
短いけれど、ベートーヴェンの野心がにじみ出たソナタです。
短調の両端楽章にはさまって、2楽章と3楽章は、軽やかで、装飾性も豊かで古典的。
終楽章は、のちの、熱情ソナタみたいですね。

2番は、1番とかわって、明るいイ長調。
短調のあとには、明朗快かいたる、長調がやってくる。
これも、後年のベートーヴェンの常かもです。
ちょっと掴みどころがないけど、流れるような優美さと、弾むリズムの対比がいい1楽章。
内省的な面持ちをもった2楽章は、これも後年、ベートーヴェンの美しい緩徐楽章の典型の走りと感じます。
低音で、ずっと続くスタッカートも印象的。
 そして、この曲で、はやくも、軽やかにスケルツォが登場。
さらに4楽章も流れがよく、明るく、のびのびした若々しさを感じます。
この2番のソナタは、結構好きですよ。

さて、一挙に規模を大きくした3番
ハ長調ならではの、壮麗さと、がっしりした印象をあたえる構成感。
よく演奏される曲だし、耳馴染みもいい。
 なんたって、1楽章は、アレグロ・コン・ブリオ。
いかにも、ベートーヴェンらしい。
アダージョ楽章は、ずいぶんとロマンティックで、古典派の枠をすでに超えた雰囲気もあり、なかなかに詩的であります。
この楽章は、好き。
 短めのスケルツォは、弾みがよろしく、続く華麗なフィナーレの前段として、交響曲の中の同じ存在のように聴ける。
ダイナミックで、技巧的でもある終楽章は、意欲に燃えるベートーヴェンらしく、元気はつらつ♪

 レコード時代、一気に全集で購入したバックハウスのソナタ全集。
当時は、ドイツものだったら、なんでもバックハウスとケンプだった。
そののちに、ブレンデルやアシュケナージ、ポリーニがやってきたのだったが、CD化された同じ全集を、あらためて、入手して、ことあるごとに聴いていますが、揺るぎない威厳と格調の高さが、こうした初期作でも感じるのは、バックハウスならでは。

最近の演奏家たちのような、鮮烈さや、タッチの冴え、考え抜かれた多彩な解釈などとは、一線を画するバックハウスの演奏ですが、やっぱり、わたくしには、別格の存在であります。
梅雨の長雨のなか、とても麗しい時間を過ごせた夜です。

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