カテゴリー「ベートーヴェン」の記事

2023年12月10日 (日)

デイヴィス ベートーヴェン全集

Izumo-01

短い秋でしたが、花々はありがたく四季を保って咲きました。

手水舎に手向けられたとりどりの菊の花が美しかった。

Izumo-03

比較的、温暖の地にいるものだから、ちょっと走ると日当たりのいい斜面には、みかん畑があり、いま最盛期を迎えてます。

このグリーンとオレンジの色の電車がかつての湘南電車のカラー。
大洋ホエールズのユニフォームもかつてはこのカラーリングだった。

コリン・デイヴィス「Beethoven Odyssey」、12枚のCDを毎日順番に聴きました。

Beethoven-odyssey-daivis

 ベートーヴェン 交響曲第1番 (1975.12)

                   交響曲第2番 (1975.12)

          交響曲第3番「英雄」(1970.9)

          交響曲第4番 (1975.2)

          交響曲第5番 (1972.12)

          交響曲第6番「田園」 (1974.12)

              交響曲第8番 (1973.3)

     サー・コリン・デイヴィス指揮 BBC交響楽団

          交響曲第7番  (1976.4)

      サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団

          交響曲第9番 (1985.7)

     S:ヘレン・ドナート  Ms:トゥルーデリーゼ・シュミット
     T:クラウス・ケーニヒ Nr:サイモン・エステス

    サー・コリン・デイヴィス指揮 バイエルン放送交響楽団
                   バイエルン放送合唱団

         交響曲第6番「田園」(1962..4)

         「プロメテウスの創造物」序曲 (1962.4)

         「レオノーレ」序曲第2番 (1962.4)

                          「レオノーレ」序曲第3番  (1976.4)

    サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団

          「エグモント」序曲 (1974.12)

          「コリオラン」序曲 (1970.9)

          「レオノーレ」序曲第1番 (1970.9)

       サー・コリン・デイヴィス指揮 BBC交響楽団

コリン・デイヴィス(1927~2013)のベートーヴェンといえば、ドレスデンとの90年代初頭の交響曲全集があり、世評が高いが、私はそちらはまだ聴いたことがありません。
そのまえに、ロンドンでの選集をなんとかして聴きたかった。
4・8番のみ持っていたが、バイエルンとの第9と併せて、これまで未CD化だったものがすべてまとめられ、さらにはスティーブン・ビショップとのピアノ協奏曲全集も一括して収められた。

レコ芸の熱心な愛読者だった若い頃、デイヴィスが70年代半ば頃から力をつけ、評論でも次々に高評価を得るようになりました。
それらのきっかけは、ボストンとのシベリウス、コンセルトヘボウとのストラヴィンスキー、そしてBBCとのベートーヴェンだったと思う。
そのとき以来、ずっと気になっていたデイヴィスのベートーヴェン、レコード発売を見守って以来45年ぶりに、それこそ番号順に1日ずつ楽しみながら聴き、毎晩至福の時を過ごした。

総じていうと、ベーレーンライター版や古楽的なアプローチとは無縁の70年代当時の、極めて堂々たる正統派ベートーヴェン。
いまや、これが新鮮に聴こえるといういまの時代を生きている自分。
当時の黄ばんでしまったレコ芸を眺めつつも、眼前で鳴っているベートーヴェンは、デイヴィスならではの、ベルリオーズで聴かせてくれたような情熱と知性のバランスのとれた極めて高水準の演奏ばかり。

1967~71年まで首席指揮者だったBBC交響楽団とは長い関係をずっと続けけれど、アンサンブルの整然とした正確さと音色の渋さなど、より上質なロンドン交響楽団と同じぐらいの実力を感じさせる。
「BBC響のベートーヴェン?」と思う方は、だまされたと思って聴いてみて欲しい。
75年にブーレーズとグローヴズに率いられて日本にやってきたとき、NHKFMでそのほとんどを聴くことができたが、そのプログラムの多彩さはいま見ても新鮮だ。
ロンドン響も含めて、そんなフレキシブルなオーケストラのベートーヴェン。

1番はすっきりと、古典の残滓残るなかにも、キリっとした厳しさもある。
2番は、その2楽章の美しさが引立ち、リズム感も抜群で、おおらかさもある。

Beethoven-sym-3-davis-1

素晴らしかったのが3番で、目だったことはしていないが、正攻法の真っ直ぐな演奏でひとつもブレのないところは清々しく感動的でもあった。
以前にも記事にしたことのある4番は、堂々たるその導入部が、3番のあとにある立派な存在だということを意識させてくれる。
転じて5番の剛毅さはデイヴィスらしい重心の低さもあって活力みなぎる演奏で爽快。
ゆったりとした6番は、管楽器のうまさ、音色の良さも堪能でき、美しく清々しい演奏だ。
イギリスの田園風景をこの演奏でもって感じるというのも一興だ。
62年録音の旧盤は、録音が丸っこく感じるが、こちらも雰囲気ある演奏。
デイヴィスは田園がお好きだったようで、晩年にもLSOとプロムスで演奏してました。
そのLSOとの7番は、リズムのよさと、これまたデイヴィスらしい粘りの良さも加味され、克明であるとともに強靭な演奏となった。
転じて小気味よさの引立つ8番、内声部を強調したりして、あれっ?と思わせ、次の第9も感じさせる場面も初めて気が付いた。
2008年に記事にしていたバイエルンとの第9。
今回も感じた3楽章以降のテンポアップ。
でもロンドンのオケのあとに聴くと、不思議とミュンヘンのオケの方が音色が明るく感じてしまう。
1.2楽章がデイヴィスらしい粘りの聴いた名演。
終楽章は歌手のバランスがよろしくなく、エステスの声がワーグナーで聴きすぎたか、オランダ人に聴こえてしまった。

レオノーレ3曲も含め、主要な序曲がすべて聴ける。
これらも誠実かつ熱意あふれる桂演で、のちのバイエルンでの再録音も聴いてみたいと思わせる。

交響曲のなかで、気に入ったのは、3番、5番、6番です。   

70年代のイギリスのオーケストラは、録音の面からいくと、シンフォニーに協奏曲に、オペラにとおおいに重宝され、なんでも屋さんみたいな色のないイメージを与えてしまうことが多かった。
極めて思い切り大雑把にとらえれば、アングロサクソンのイギリス人は、ドイツ人と同根で、ユトレヒト・オランダもそれに近い民族といえる。
イギリスのオーケストラのフレキシビリティの高さは、まさに英国人であるからが故だと思います。
歴史的に大国として、悪しき評価も残ることをたくさんしてきましたが、文明国として先端を走り、音楽においては輸入大国だった。
そんななかで、楚々としつつも輝いていた英国音楽がわたしはずっと好きなのであります。
そして、オーケストラも指揮者も英国は多彩で柔軟な存在なのです。

Beethoven-misa-solemnis-daivis-1

故人となったコリン・デイヴィスをとてもよく聴くようになった。
モーツァルトもベルリオーズも、そしてここで聴くベートーヴェンも、みんな誠実な演奏であり、その音楽は堅固で揺るぎない。
硬派で揺るぎない音楽造りだけれど、歌に対する思い入れは強く、声楽作品では流麗で思わぬ透明感もかもしだす。
このセットで聴いた、ミサ・サレムニスは丁寧な仕上げで、極めて美しい演奏だった。
最後は思わず涙ぐんでしまった。

Beethoven-poano-con-1-bishop-davis

かつては、スティーブン・ビショップ、いまはスティーブン・コヴァセヴィチの若き日のピアノ協奏曲全集。
こちらも端正で、リリシズムあふれる流麗な演奏で、デイヴィスの寄り添うような優しいオケもすてきなものだ。
いつか5曲をレビューしたい。

Beethoven-violincon-grumiaux-davis-1

まさに、コンセルトヘボウとにっこりしたくなるグリュミオーとのヴァイオリン協奏曲。
シェリングとハイティンク盤との聴き比べも楽しい、極めて美しき演奏。

1か月にわたって、全部を楽しみながら聴いたデイヴィスのベートーヴェン。
終わってしまってちょっと寂しい。

Izumo-02

| | コメント (0)

2023年9月25日 (月)

ヴィオッティ&東京交響楽団演奏会

Tso-04

休日の土曜、14時でもなく、19時でもなく、18時の開演で間違えそうになったサントリーホール。

「英雄」とタイトルされたふたつの作品の重厚プログラムで、ホールはほぼ満席。

Tso-01 

ひときわ目立つ華麗な花飾りには、ブルガリからの指揮者ヴィオッティへのメッセージ。

そう、イケメンのヴィオッティはブルガリの公式モデルをしているのです。

この日、それ風の外国人美女がチラホラいましたので、そうした関係なのかもしれません。

でも、ヴィオッティはそうした外面的な存在だけではありません、将来を嘱望される本格派指揮者なのです。

2世指揮者で、父親は早逝してしまったオペラの名手、マルチェロ・ヴィオッティ(1954~2005)で、ローザンヌ生まれのスイス人です。
母親もヴァイオリニスト、姉もメゾソプラノ歌手(マリーナ・ヴィオッテイ、美人さん)という音楽一家で、音楽家になるべくして育ったロレンツォ君は、自身も打楽器奏者からスタートしている。
現在はネザーランド・フィル、オランダオペラの首席指揮者として活動中で、ヨーロッパの名だたるオーケストラにも客演を続けている。
海外のネット放送でも、ヴィオッテイを聴く機会が多く、私が聴いたのは、ツェムリンスキーのオペラ「こびと」、「人魚姫」、コルンゴルト「シンフォニエッタ」、ヴェルディ「聖歌四篇」、チャイコフスキー「悲愴」、ドビュッシー「夜想曲」、ウィーンでのマーラーなどなど。
このレパートリー的に、私の好むエリアを得意としそうな気がして、ずっと着目していたところだ。

Tso-02

  ベートーヴェン   交響曲第3番 変ホ長調 「英雄」

  R・シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」

    ロレンツォ・ヴィオッテイ指揮 東京交響楽団

     ソロ・コンサートマスター:グレブ・ニキティン

          (2023.9.23 @サントリーホール)

イタリア語由来の「英雄」はエロイカ。
ドイツ語で「英雄の生涯」は、ヘルデン・レーベン。
英雄的テノールということで、ヘルデンテノールがある。
これが英語では、「ヒーロー」になる。

こんな風に「英雄」由来の2作品を並べた果敢なプログラムを組んだ東響とヴィオッテイにまずは賛辞を捧げたい。

冒頭に置いたエロイカ、若いヴィオッテイならガツンと勢いよく、意気込んでくるだろうと思ったら、まったく違って、肩すかしをくった。
軽いタッチで、スピーディーに、サクっと始まったし、そのあとも滑らかに、流れのいいスムースな演奏に終始。
角の取れたソフィスティケートなエロイカは、わたしにはまったく予想もしなかった新鮮なものに感じられた。
くり返しもしっかり行いつつ、力強さとはほど遠い流麗さで終始した1楽章。
音が薄すぎるという点もあったが、わたしは美しい演奏だと思った。
その思いは、デリケートな2楽章に至って、さらに募った。
弱音を意識しつつ、間が静寂ともとれる葬送行進曲は、2階席で急病の方が出たらしいが、見事な集中力でもって聴かせてくれた。
ホルンが実に見事だった3楽章では、若々しいヴィオッテイのリズムの良さが際立ち、ホルンも完璧!
ギャラントな雰囲気をかもし出した終楽章。
メイン主題が木管で出る前、弦4部のソロが四重奏を軽やかに奏でたが、これが実に効果的で、指揮者は棒を振らずに4人のカルテットを楽しむの図で、そのあとに主旋律がサラッと入ってくるもんだから感動したのなんの。
エンディングも勇ましさとは無縁にさらりと終わってしまう。
アンチヒーローとも呼ぶべき美しくも、しなやかなエロイカだった。

後期ロマン派系の音楽を得意にするヴィオッテイのベートーヴェンはこうなるのか、と思いました。

さて、シュトラウスの方のヘルデンは。

これはもう掛け地なしで誰もが認める抜群のシュトラウスサウンド満載の好演。
すべての楽器が鳴りきり、思いの丈をぶつけてくるくらいに、ヴィオッテイはオーケストラを解放してしまった。
エロイカでの爆発不足を補うかのような爽快かつヒロイックな冒頭。
あとなんたってベテランのニキティンの自在なソロにみちびかれ、陶酔境に誘われた甘味なる伴侶とのシーンは、ヴィオッテイの歌心が満載で、これもまた美しすぎた。
闘いにそなえ、準備万端盛り上がっていくオーケストラを抑制しつつ着実にクライマックスに持っていく手腕も大したものだ。
ステージから裏に回るトランペット奏者たち、また帰ってきて大咆哮に参加し、打楽器がいろんなことをし、木管も金管もめまぐるしく活躍し、弦楽器も力を込めてフルに弾く、そんな姿を眺めつつ聴くのがこの作品のライブの楽しみだ。
その頂点に輝かしい勝利の雄たけびがある。
感動のあまり打ち震えてしまう自分が、この日もありました。
 その後の回顧シーン、さまざまな過去作の旋律をいかにうまく浮かびあがらせたり、明滅させたりとするかは、シュトラウス指揮者の肝であろう。
以前聴いた、ノットの演奏がこの点すばらしくて、移り行くオペラのひとコマを見ているかのようだった。
シュトラウスサウンドを持っている同じ東響の見事な木管もあり、ヴィオッテイのこのシーンも実に細部に目の行き届いた鮮やかなもので、過去作メロディ探しも自分的に楽しかった。
このあとの隠遁生活をむかえるしみじみ感は、さすがに老練さはないものの、テンポを思いのほか落として、でもだれることなくストレートな解釈で、まだまだこの先も続くシュトラウスに人生を見越したかのような明るい、ポジティブなさわやかな結末を導きだしたのでした。
すべての音がなり終わっても拍手は起こらず、静寂につつまれたサントリーホール。
ヴィオッテイが静かに腕をおろして、そのあと間をおいてブラボーとともに、大きな拍手で満たされたのでした。

俊英ヴィオッテイの力量と魅力を認めることのできたコンサート。
東響との相性もよく、もちろんシュトラウスは東響と思わせる一夜でした。



OKでたので撮影、喝采に応えて、最後はシュトラウスのスコアをかかげるヴィオッテイ。

おまけ、ブルガリのヴィオッティ。



イケメンもほどほどにして欲しいが、引く手あまたの人気者。
東響の「ポスト・ノット」をウルバンスキとともに目されるヴィオッテイ。
オランダの忙しいポスト次第かと。
そのオランダでは、初ワーグナー、ローエングリンを振るそうだ。

Tso-03

ふつうのイケてないオジサンは、新橋で焼き鳥をテイクアウトして、東海道線の車内を炭火臭でぷんぷんにさせながら帰ってきて、ビールをプシュッ🍺

| | コメント (2)

2023年8月 6日 (日)

フェスタサマーミューザ ヴァイグレ&読響 「リング」

Muza-20230901-c

ベートーヴェンさんも、ヴァケーションを謳歌中。

にやり、としつつも、ほんとはあんまり嬉しくないのかも(笑)

真夏の音楽祭、フェスタサマーミューザのコンサートへ。

Muza-20230901-a
  
  ベートーヴェン 交響曲第8番 ヘ長調

  ワーグナー   楽劇「ニーベルングの指環」
           ~オーケストラル・アドヴェンチャー~
            ヘンク・デ・フリーヘル編

   セバスティアン・ヴァイグレ指揮 読売日本交響楽団

           コンサートマスター:日下紗矢子

         (2023.8.1 @ミューザ川崎シンフォニーホール)

いうまでもなく、聴衆のねらいは、「リング」。
フランクフルト歌劇場をながく率い、リングの録音もあるし、バイロイトでの経験もあるヴァイグレのワーグナーですから。

しかし、65分ぐらいのサイズは演奏会の後半向きで、前半になにをやるかが、プログラム作成上のおもしろさでしょう。
これまで2度のコンサート鑑賞歴がありますが、ペーター・シュナイダーと東京フィルでは、今回の同じベートーヴェンで4番。
デ・ワールトとN響のときは、シュトラウスの「4つの最後の歌」で、このとき歌ったスーザン・ブロックは、ブリュンヒルデとしても自己犠牲のシーンに登場するという本格ぶりでした。
あと、いけなかったけど、神奈川フィルではスコットランド系の指揮者で、前半はエルガーの「南国から」を演奏している。

そんな前半のベートーヴェン8番は、さわやかで、肩の力がぬけた桂演で、7番と対をなすリズムの交響曲であることも実感できました。
コンサート前、ヴァイグレさんが、プレトークに登場し、この8番のおもしろさを歌いながら語ってくれました。
ヴァイグレさん、いい声ですね、テノールの声域で口ずさむメロディも見事につきます。
日本語もほぼ理解されてるようで、心強い!
ワーグナーの解説では、ワーグナーというと身構える方も多いかもですが、ともかく聴いて、面白いと思ったら帰ったらネットで物語の内容を調べて、長大な音楽にチャレンジを!と語ってました。

低弦から始まる「ラインの黄金」の前奏からリアル・オケリングが眼前で楽しめました。
フリーヘルの編曲は、ヴァイグレさんも語ってましたが、いつのまにか他の場面に自然につながっていく巧みなもので、休止なく、ラストのブリュンヒルデンの自己犠牲に65分でたどり着く、まさにアドヴェンチャー体験です。
ヴァイグレの指揮は、流麗で早めのテンポ設定を崩さず、流れを重視したもので、聴き手は安心して身を任せて聴き入ることができます。
その分、ワーグナーのうねりや、コクの深さのようなものは感じられず、すっきりスマートな今風のワーグナーだと思いまろんした。
もちろんフリーヘルの編曲が、名場面とジークフリートの自然描写的な場面が重きをおいているので、そうしたワーグナーの要素を求めるのは無理かもしれませんが。
そんななかでも、葬送行進曲は、わたしにはサラサラと流れ過ぎて、クライマックスでいつも求める痺れるような感銘はなかったし、最後の大団円でも、あざといタメのようなものも求めたかった。
それでも、全体感と通しで聴きおおせたときの感動はかなり大きく、最後の和音が清らかに鳴り終わったあとも、ヴァイグレさんは指揮する両手を上に掲げつつ、しばし静止し、オーケストラも微動だにしない時間が続いた。
まんじりとしないホール内。
ゆっくりと腕を下ろして、しばし後に巻き起こるブラボーと盛大な拍手。
実によきエンディングでした。
昨今、無謀な早計な拍手やブラボーを非とするSNSなどの書き込みを拝見してますが、今宵はそんなのまったく信じがたい、実に心地よく感動的な大団円でした。
救済の動機を奏でるヴァイオリンの音色が、ハープに伴われてミューザの天井に舞い上がって行くのを耳と目でも実感してしまった。
涙がでるほど美しかった。

鳴りやまぬ拍手に、楽員が引いたあと、ヴァイグレさんは見事だったホルン首席を伴って登場し喝采を浴びてました。

Muza-20230901-b

来年からはワーグナーさんも混ぜてあげて・・・・

短すぎる65分と思う人々に、4楽章形式での「リング」交響曲を提案したい(笑)

Ⅰ「ラインの黄金」 序とかっこいい入城シーンをラストとする第1楽章
Ⅱ「ワルキューレ」 緩除楽章として兄妹の二重唱とウォータンの告別、勇ましい騎行はこの際なし
Ⅲ「ジークフリート」スケルツォ楽章、剣を鍛えるシーンに恐竜退治に森のシーン
Ⅳ「神々の黄昏」  夜明け→ラインの旅→ギービヒ家→裏切りとジークフリートの死→自己犠牲でフィナーレ

1時間45分、マーラーの3番、ブライアンのゴシックなどのサイズでいかがでしょうか。

あとフリーヘル編、存命だったら指揮して欲しかった指揮者はカラヤンですな。

Muza-20230901-d

帰宅してから乾杯。

ヴァイグレさん、アイスラーやるんだ。
歌手が豪華ですよ、さすがオペラの人のコネクション。
ガブラー、マーンケ、ヘンシェル、シュトゥルクルマン。
行こうと思うが平日なのが・・・・

フランクフルトオペラを引退したヴァイグレさんの後任は、注目の若手、グッガイス。
ヴァイグレさんは、どこかほかの劇場に行かないのかな、気になるところです。

| | コメント (0)

2023年6月11日 (日)

平塚フィルハーモニー 第32回定期演奏会

Hiratsuka-po-202306

 ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第5番 ニ長調

 ベートーヴェン     交響曲第6番 ヘ長調 「田園」 Op.68

                                    「プロメテウスの創造物」から「パストラーレ」

    田部井 剛 指揮  平塚フィルハーモニー管弦楽団

          (2023.6.11 @ひらしん平塚文化芸術ホール)

本格的なアマチュアオーケストラ、全国に多くのアマオケがあるけれど、平塚フィルほど果敢なプログラムで勝負をし、そして一般の市民リスナーも、マニアも、ともに満足させてくれるオーケストラはないと思う。
といっても、私は隣町に帰ってきたばかりなので、まだ2回目ですが、前回はしべリウスの5番とブルックナー4番。
過去演を見ても、オール・エルガープログラムとかいろいろやってる。

そして大好きな曲ばかりの本日も、幸せな気持ちにさせてくれる演奏でした。

「祈りと平安」がこの2曲のモットーだろう。
2曲を通じて、大きなフォルテの回数はほんとうに少なく、優しさと安らぎにあふれた音楽たち。
プログラミングの妙です。

V・ウィリアムズの音楽のなかでもとりわけ大好きな5番。
癒しの音楽としても、コロナ禍以降、さらにアニバーサリー年もあったので、演奏会での機会も世界的に増えている。
もうだいぶ経ちますが、プレヴィンとノリントンの指揮で、ともにN響で聴いてます。
巨大なNHKホールでなく、ほどよい規模の響きのいいホールで聴くRVW。
ほんとに美しく、哀しく、愛らしい音楽だとつくづく思った。
とりわけ、切々と歌う哀歌のような3楽章は、曲のよさに加え、平塚フィルの心のこもった演奏に涙が出そうになった。
この楽章の旋律、亡きエリザベス女王の葬儀でオルガンでひっそりと、しめやかに演奏されました・・・
終楽章の、浄化されていくようなエンディングも、指揮者とオケが一体になって、感動的で素晴らしかった。

静かに田部井さんの指揮棒が降りて、完全に静止。
普通に、わたくしは拍手をしましたが、誰も拍手せず、フライング拍手みたいになってしまった。
多くの方が、きっと初聴きで、とまどっておられました。
遠慮がちな拍手は、指揮者が袖に消えると止まってしまった。
わたしは、ひとり頑張って拍手してたけど、ひとりだけ。
オーケストラの面々も戸惑いを隠せません。
わたしの後方の方が、難しいとつぶやかれました・・・

がんばれ、平塚フィル、このような果敢なプログラムで、クラシック音楽にはいろんな曲があること、もっともっと素敵な音楽があることを広めて欲しい!!

Hiratsuka-po-202306-a

過度に鳴りすぎない、ナチュラルな響きのホールです。

後半の「田園」は、聴衆との呼吸も一体感も際立った安定・安心の演奏。
オケの木管、特にフルートとクラリネットが素敵だ。
ヴァイオリンもしなやかで美しい。
桃源郷のような2楽章と、平安に満ちた終楽章。
田園っていいな、名曲は名曲ならでは、ほんといい曲だなぁ~と堪能しました。
うって変わってブラボー飛びかう後半となりました。

アンコールがひとひねりあって、これがまた平塚フィルのなせる技。
プロメテウスから、まさかのパストラーレ。
快活・爽快なベートーヴェン、田園詩情で幕となりました。

楽しかった、ほぼ地元でこんな素敵な演奏会を味わえるなんて。
次はなにを演奏してくれるかな。

Hiratsuka-po-202306-b

ホール正面にあったかぐわしいラベンダー。

イギリス音楽に相応しい。

| | コメント (0)

2022年12月30日 (金)

交響曲第9番 ジュリーニ指揮

Fujimi

散歩してたら見つけた富士が紅葉ごしに見えるスポット。

まだ散る前で、完全に染まっていなかったけれど、満足のいく1枚。

Fujimi-1

今年は生活環境がまったく変化したのだけれど、便利さは犠牲にしても、こんな光景がすぐ近くにあるという幸せ。

2022年もおしまいです。

ジュリーニの第9シリーズを振り返ります。

一部は過去記事を編集して再掲します。

Beethoven-sym9-giulini-1

 ベートーヴェン 交響曲第9番 ニ短調

  S:カラン・アームストロング Ms:アンナ・レイノルズ
  T:ロバート・ティアー     Bs:ジョン・シャーリー・クヮーク

   カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ロンドン交響楽団/合唱団

          (1972.11 @キングスウェイホール)

70年代後半に、ジュリーニはさまざまな第9交響曲を取り上げ、録音しました。
ベートーヴェンも先駆けて録音しましたが、8番と同時に録音された2枚組のレコードは、EMIに継続していたベートーヴェンの交響曲の一環という意味あいの方が強かった。
EMIには、6~9番が録音されたわけですが、この第9はテンポをゆったりととる悠揚スタイルのコクのあるジュリーニと言う意味あいでは、次に来る第9シリーズと同様ですが、やや集中度も浅く、細部の克明さにも欠くように感じられる。
しかし3楽章の透明感と流動性は、ジュリーニならではで、1楽章の激遅と2楽章の超快速との対比が面白いし、終楽章の堂々たる歩みも数年後の超巨匠としての刻印を感じさせる。
オケはいいけど、合唱がいまいちかな。

Bruckner-sym9-giullini-cso

 ブルックナー 交響曲第9番 ニ短調

  カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

     (1976.12 @メディナ・テンプル シカゴ)

EMIへのベートーヴェン第9から4年、しかし、その間ジュリーニはウィーン交響楽団の首席指揮者になり、ウィーンにゆかりのある作曲家の作品を格段と指揮するようになった。
74年には、ウィーン響とブルックナーの2番を録音。
NHKFMでも大曲をさかんにとりあげるジュリーニとウィーン響の演奏が放送され、エアチェックにも暇がなかった。
いつしか気になるコンビになっていたジュリーニとウィーン響が日本にやってきた1975年秋、春に来たベーム・ウィーンフィルのチケットが落選となっていた腹いせもあり、東京公演を見事聴くことができた。
演目は、ウェーベルンのパッサカリア、モーツァルトの40番と、ブラームスの1番、アンコールに青きドナウ。
このときから、アバドの兄貴分、ジュリーニが好きになった。

その次の年から始まったジュリーニの「第9シリーズ」
録音順ではマーラーが先んじているが、これはDGの専属となる契約の関係上か。
後年のウィーンとの再録音よりも5分ほど速く、63分でのキリリと引き締まった、そして緊張感にあふれる演奏。
それでいて柔和な微笑みもある歌心にも欠けていないので、おおらかな気持ちにもさせてくれる。
シカゴのブラスの圧倒的な輝かしさは録音のせいもあるかもしれないが眩しすぎと感じるのもご愛敬か。
ウィーン盤とともに、この作品の代表的な1枚かと思いますね。

Mahler-9-giullini_20221228093701

 マーラー 交響曲第9番 ニ長調

  カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

     (1976.4 @メディナ・テンプル シカゴ)

ジュリーニとシカゴ響のマーラー第9のLPは、アバドの復活とともに、発売時に入手してマーラーにのめり込んでいく当時の自分の指標のような存在だった。
シカゴということもあり、明るい音色が基調となっていて歌に満ちあふれているが、しっかりした構成感の元、堅固な造型の中にあるので、全体像が実に引き締まっている。
テンポはゆったりと、沈着で、品格が漂い、緻密であり清澄。
音の重なり合いの美しさはジュリーニならではで、優秀なオーケストラがあってこそ保たれる緊張感のある美的な演奏だと思う。
久々に聴きなおして、このようにともかく美しいと思った。
若い頃のレコードで聴いていた時期は、音楽にまず平伏してしまって「マーラーの第9」は凄い、が真っ先にきてしまって、ジュリーニの音楽がこんなに美しく歌に満ちていたなんて思わなかった。
歳を経て、この思いはますます増してきた。

Schubert-sym9-giulini

 シューベルト 交響曲第9番 ハ長調

  カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

     (1977.4 @オーケストラホール シカゴ)

これもまた学生時代に買ったレコードで、渋谷の東邦生命ビルにあったショップで購入したもの。
このジャケットにあるように指揮棒を握りしめるようにして、熱く歌うジュリーニの音楽。
遅いテンポで重々しい雰囲気を与えがちな晩年のものに比べ、テンポは遅めでも、どこか軽やかな足取りもあり、横へ横へと広がる豊かな歌謡性が実に心地よい。

2楽章のどこまでも続くような歌、また歌。いつまでも浸っていたい。
同じく3楽章の中間部も思わず、体がゆっくりと動いてしまうようなこれまた歌。
1楽章の主部へ入ってからのテヌートぶりも、いまや懐かしい。

レコードで聴いたときは、当時聴いてたワルターやベームとのあまりの違いにびっくりしたものだが、ジュリーニのこのやり方がすぐに好きになり、頭の中で反芻できるくらいになってしまった。
終楽章では、はちきれるほどの推進力で、シカゴのブラスの輝かしさを堪能できます。
現在、シューベルトは後期の番号でも、軽やかにキビキビと演奏するのが主流となりましたが、ジュリーニの堂々としながらも歌がみなぎる演奏は、極めて心地がよく清新なものでした。

Dvorak-giulini_20221226214401

 ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 「新世界から」

  カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

     (1977.4 @オーケストラホール シカゴ)

シカゴ響から引き出したジュリーニの「新世界」の響きは、一点の曇りもなく、明晰でありながら、全体に荘重な建造物のごとくに立派なもの。
全曲に渡って指揮者の強い意志を感じさせ、聴きつくしたお馴染みの「新世界」がこんなに立派な音楽だったとは!と驚かせてくれる。
第2楽章ラルゴは、旋律線をじっくりと歌いむ一方、背景との溶け合いもが実に見事で、ほんとに美しいです。
終楽章も決してカッコいい描き方でなく、堅実にじっくりとまとめあげ、こうでなくてはならぬ的な決意に満ちた盛り上げやエンディングとなっている。

マルティノンの時代から、ジュリーニはシカゴへの客演が多く、EMIにも素敵な録音が60年代からなされていた。
ショルティがシカゴ響の音楽監督になるとき、ショルティが要望したことのひとつは、ジュリーニが主席客演指揮者となることだったらしい。
同時にアバドもシカゴとは相思相愛で、ショルティは後任にはアバドとの思いもあったくらい。

わたしはジュリーニは70年代が一番好きで、シカゴとロスフィル時代が併せて一番好きです。
へそまがりなので、CBSに移ってからの再録音の数々はほとんど聴いていない。

自身の指揮者としてのキャリアと歩みを確かめるようにして70年代に残した「第9シリーズ」。
シカゴという伴侶があってほんとうによかったと思うし、ジュリーニという指揮者の一番輝いていた時期を捉えてくれたことにも感謝したいです。

Fujimi-2

季節外れの紅葉ですが、やはり日本の景色や風物には欠かせない美しさがあります。

2022年最後の記事となりますが、週1を目途としてきたblog更新。
blogはオワコンみたいに思われて久しいですが、一時休止はあったものの、こうして続けて、またあとで見返して、そのとき自分はどうだったか、どんな音楽を聴いていたのかなどという風に自分の記録を残すことが大切だから続けます。
オペラなどは念入りに調べてから文書を起こすので手間暇がかかりますが、自分の記事を読んで、またあとで聴くときの参考になったりもするし、よくこんなこと書けたな、と自分で驚いたりすることもあります(笑)。

来年もマイペースで、できれば更新頻度を上げたいな。

2023年もよろしくお願いいたします。

| | コメント (2)

2020年12月31日 (木)

ベートーヴェン 交響曲第9番 アバド指揮

Roppongi-08

冬の六本木、けやき坂。

今年もきれいに輝いてました。

Roppongi-09

コンサートから遠ざかって久しいですが、さすがに日本の年末は第9大国であります。
各オーケストラは、対策を万全に施しつつ、第9をこぞって演奏。
海外指揮者組も来日してくれたのも心強い限りです。
演奏側も、聴き手側も、今年の第9、歓喜の歌は、万感の思いでありましたことでしょう。

わたくしの方は、今年最後の記事を兼ねつつ、敬愛するアバドの指揮で第9を。

 ベートーヴェン 交響曲第9番 ニ短調 op.125

Beethoven-sym-9-abbado

 クリムトのベートーヴェン・フリーズをジャケットにあしらった、アバド1回目の第9は、85年のライブ録音。
そのまえ、1981年に毎年恒例のウィーン交響楽団の第9に登場して指揮したものがアバドの第9、1号です。

  S:マーガレット・プライス     MS:ヘルガ・デルネッシュ
  T:ジークフリート・イェルサレム B:ゴットフリート・ホルニク

    クラウディオ・アバド指揮 ウィーン交響楽団
                  ウィーン・ジンクアカデミー
              (19811.1 @ウィーン


ウィーンフィルでないウィーンのオケを指揮した他流試合ですが、より自在を感じるし、思い切った表情付けもあり、そして劇的な高まりも素晴らしい。
あとワーグナー歌手を揃えた豪華な歌手陣も!

  S:ガブリエラ・ヴェニャチコヴァ Ms:マリアナ・リポヴシェク
  T:エスタ・ウィンベルイ     Br:ヘルマン・プライ

    クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
                 ウィーン国立歌劇場合唱団
               (1986.5 @ウィーン)

長年聴きなじんだ安心感すら感じる自分にとって安心のアバドの第9はこれ。
やはり、ウィーンフィルの音色、ムジークフェラインの響きは魅力的だし、アバドの歌心も活きてる。

  S:カリタ・マッテラ     Ms:マルフレーダ・ホジソン
  T:ウォーレン・エルスワース  Br:ハルトムート・ウェルカー

     クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
                  日本プロ合唱連盟
                 (1987.5.28  @サントリーホール)

わたくしのお宝の秘蔵ライブ。
87年5月に、ニューヨークと東京で、アバドとウィーンフィルは、ベートーヴェンチクルスを行いました。
サントリーホールでのその演奏は、NHKFMですべて生放送され、全部録音できました。
自家製CDRにして、大切に保管してますが、久しぶりに第9だけ聴いてみたら、これが実に素晴らしい。
ウィーンでのDG盤より、燃え盛っていて、アメリカと日本のツアー最後という意気込みも入って、ライブで熱くなるアバドの指揮ぶりをまともにとらえてます。
この時のベートーヴェンチクルス、正規音源化したら、世界遺産級のものになると思いますね。

Roppongi-11

Beethoven-sym9-abbado-bpo-salz

  S:ジェーン・イーグレン   Ms:ワルトラウト・マイヤー
  T:ベン・ヘップナー      Br:ブリン・ターフェル

     クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
                  スウェーデン放送合唱団
                  エリック・エリクソン室内合唱団

                 (1996.4.2  @ザルツブルク)

ウィーンでの録音から10年後。
ザルツブルクイースター音楽祭での演奏会に合わせて、会場で録音したのでライブではありませんが、演奏会の前なので、やや慎重さはあるものの、盛り上がりは十分。
なによりも、ベーレンライター版を参照しており、流れるようなテンポで流麗さも感じる解釈。
ロマン派のベートーヴェンだったウィーンとくらべ、やや古典に傾いた感じのベルリン盤。
スウェーデンから連れてきた合唱団の精度が高く、ピリリとしており、ここでもソロ歌手たちの声が光るが、ターフェル君、歌いすぎ。

Abbado-beetohoven-bpo1Abbado-beetohoven-bpo2

  S:カリタ・マッテラ   Ms:ヴィオレタ・ウルマーナ
  T:トマス・モーザー    Br:トマス・クヴァストフ

     クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
                  スウェーデン放送合唱団
                  エリック・エリクソン室内合唱団

                 (2000.5.4  @ベルリン)

4年前のザルツブルク録音より、ベーレンライター版をより徹底している演奏。
ベルリンフィルとの全集をライブ録音するという一貫なので、それはさらにそうした意気込みも感じる。
この全集が出たとき、即購入して聴いてみたが、自分にとって初のベーレンライター版ベートーヴェン全集で、その速いテンポと切り詰めた響きにショックを受け、アバドよお前もか・・・・的に思った当時の自分。
いまきけば、そんな思いはまったくなく、ピリオド奏法になれた今の自分の耳からしたら、全然普通に聴こえるのも時代の流れか。
フル編成でない第9は、とてもすっきりしてて、ぜい肉が完全にそぎ落とされスリムだ。
このベルリン盤を聴くと、96年のザルツブルク盤は、まだまだ手ぬるいと感じるくらいに、集中力と緊張感は増し、ベートーヴェンの厳しさ優しさもともに完全表出。
同時にアバドならではの淡麗さと、しなやかさ、そして速い中にも優美な歌を聴かせる3楽章が美しい。
終楽章のスウェーデンの合唱団の透徹した歌声も素晴らしい。
そして、ベルリンフィルはベルリンフィルだ、機能性と分厚さ、そして音色の明るさも!
 病で倒れる前のベルリンでのライブ録音、そして、その病を克服して2001年2月にローマでも全曲チクルスを映像収録。
この映像の音声をCD化した全集も出ましたが、第9のみは、同じベルリンでのライブが採用されました。
ローマでの演奏も聴いてはみたいですね。
合唱がローマの聖チェチーリアのものだったので、そのあたりに、アバドの思いがあったのかもしれません・・・・
映像でのローマの全集でも、第9は、DGライブと違う日、ヨーロッパコンサートで演奏されたものが収録されていて、バリトン歌手のみウィレム・シュルテに代わってます。

2000年の5月の第9演奏、その頃、私は秋にやってくるアバドの「トリスタン」のチケット争奪戦に参戦してまして、その発売日が子供の運動会の当日だったものですから、大きな声援のなか、シートの上で携帯でヒソヒソ電話してめでたくチケットゲットしたものでした。
ところが、そのあと6月に、アバドは病気療養のため静養します、との報が舞い込み大ショックを受けました。
トリスタンはともかく、アバドの無事を祈るばかり。
そして、11月の末に、アバドは痩せこけた姿でしたが、日本のわれわれの前に帰ってきてくれました!
文化会館のピットに現れたアバドを見て、わたしは泣きました・・・・・

Beethovensymphonyno9

  S:メラニー・ディーナー   Ms:アンナ・ラーソン
  T:ヨナス・カウフマン    Br:ラインハルト・ハーゲン

     クラウディオ・アバド指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団
                                                マーラー・チェンバー・オーケストラ

                  バイエルン放送合団
                 (2007.8.10  @ルツェルン)  

ベルリンフィルを退任して、アバドの元に集まった名手たちとルツェルンで毎夏コンサートを開くようになりました。
2003年から始まった、ルツェルン音楽祭でのマーラーシリーズ。
2007年には、3番と併せて、ベートーヴェンの第9を取り上げました。
この前年、アバドとルツェルンは、日本にやってきて、マーラー6番とブルックナー4番を演奏。
そのどちらも聴きましたが、これがアバドとのお別れになろうとは、その時は思いもしなかった。

そしてこちらの第9は、DVDにもならず、正規には発売されませんでしたが、さる方のご厚意で聴くことができてます。
ベルリンでベーレンライター版での解釈の到達点を達成したアバド、ここでは、厳しさは柔和さにとってかわり、全曲にわたって微笑むようにして指揮する、笑顔のアバドが感じられます。
タイム的には、ウィーンの頃に戻ったように感じますが、音楽の表情はより多彩で、かつ自然。
このナチュラルさが、ルツェルン時代のアバドだったように感じます。
余計な解釈は施さずに、以心伝心の気の合う仲間と無垢なまでに音楽そのものに向き合う姿。
そこには透明感や無の世界を感じます。
ことさらに3楽章は絶品でありました。
ウィーンの日本ライブのような熱狂は最後ありませんが、それでも堂々とした着実な歩みを感じさせる終楽章に、アバドの到達した高みを感じ取ることができます。

Abbado-9
   ※ウィーン87は、古いカセットテープが音源ですので、回転速度がやや早いとも思われます・・・

アバドの第9を聴くこと6種。
版を変えたことも大きいですが、アバドの音楽の歩みを感じとることもできたその変化に驚きでした。
常に進化をやまなかったアバドに敬意を表したい思いでいっぱいです。

Roppongi-13

今年は、たいへんな年となってしまいました。
でもおかげで室内で過ごすことが多くなり、海外のネットストリーミングで数多くのオペラを見ることもでき、見聞がまた広まりました。
観劇したオペラの数、数えること200あまり!
どんだけ見てんだよ、2日にひとつはオペラ見てるって・・・
音楽はやめられない、そのためにも、心も身体も健康で元気にいることが命題です。

良い年になりますように。

| | コメント (7)

2020年10月 8日 (木)

ベートーヴェン 交響曲第4番

Hinata-05

お彼岸の頃の彼岸花なので、まだ満開ではありませんが、赤と緑のコントラストが美しい。

背景の稲木干しもよろしく、この日本の原風景的な稲田は、伊勢原市の日向地区であります。

Hinata-01

この斜面には、同じ赤のサルビアとのコラボ。

農家の方々も、この美しい景色を見てもらいたいから解放してくれてます。
節度とマナーを保って拝見したいものです。

  ----------------------------

今年はベートーヴェンイヤーであるとしても、そして大規模編成を要さないからといっても、再開されたコンサートのラインナップを見てるとベートーヴェンばかり。
コンサート行きは封じてはいても、それにしてもプログラムを見ているだけで食傷ぎみになる。
それに鞭打つように4番の交響曲をたくさん聴いてみた。

で、やっぱり、ベートーヴェンはいいわ、ということになりました(笑)
いちばん、印象に残った極端に違う2つの演奏を。

Beethoven-sym45-dausgaard

 ベートーヴェン 交響曲第4番 変ロ長調 op.60

  トマス・ダウスゴー指揮 スウェーデン室内管弦楽団

       (1999.1&5 @エーレブロ、コンサートホール)

Beethoven-sym48-daivis

 ベートーヴェン 交響曲第4番 変ロ長調 op.60

  サー・コリン・デイヴィス指揮 BBC交響楽団

     (1972.2 @ロンドン、ウォルサムストウ・タウンホール)

デイヴィスのベートーヴェンは、ドレスデンとの全集が有名で、オーケストラの魅力も相まって人気も高いですが、なんとワタクシは未聴です。
デイヴィスは、ボストンやコンセルトヘボウ、ドレスデン、バイエルン放送などの名門とも深いつながりを持ち、そのオーケストラの持ち味を生かした名演を数々残しましたが、重厚で落ち着きのある英国紳士としての姿を反映できたのは、自国イギリスのオーケストラとの共演。
 BBC交響楽団の首席を務めていたことから、ブーレーズが首席になって、その任を離れても録音は継続されました。
70年代半ばに企画されたデイヴィスのBBCとのベートーヴェン交響曲シリーズは、ロンドン響も一部使いながら第9以外は録音したのではなかったかな、と記憶します。
レコ芸では、月評担当の大木氏が、デイヴィスの急速な成長を認め、かなり絶賛していたけれど、私が聴けたのはCD時代になって廉価盤になったこの1枚のみ。
ほかの番号のその後の再発も、いまは絶版で入手できません。

この演奏、ともかく構えが大きく、4番にしては巨大な趣きを持つものです。
演奏時間が、その演奏の良しあしを決めるものではありませんが、37分45秒です。
クレンペラーが35分、ワルターやベームも同じくらい。
37分台では、最近聴いた、ティーレマンとドレスデンのライブがあります。
 しかし、デイヴィスはテンポがゆったりで、歩みも大きく、3番と5番に挟まれたギリシャ云々ではなく、3番と5番と等しく存在力の高い強い作品に聴こえます。
特に悠揚とした前奏から、いきいきとした主部に入り込む場面は、なかなか他の演奏では聞けないユニークさです。
ノーブルで清潔さもあるので、決して重々しさはないです。
2楽章の美しさと歌心はとても素敵です。
慌てず騒がずの終楽章も安心感のあるもので、これは立派に演奏会のトリを務めることのできる4番でありました。

デイヴィスの1回目のベートーヴェン、再発を望みます。

    -------------------------

デンマーク出身の指揮者、ダウスゴーは、ここ数年、注目している指揮者です。
現在、アメリカのシアトル交響楽団とBBCスコテッシュ交響楽団の首席指揮者です。
昨年秋に、BBCスコテッシュとの来日で、マーラーの5番を聴いて、とても感心しました。

プロムスやBBCRadioの放送をいくつも録音して、ダウスゴーの演奏を集めましたが、いずれの演奏もテンポを速めにとり、キビキビとかつ、颯爽としたなかに、爽快感と、意外なまでに曲の本質をついたものが多いのでした。
マーラーやシベリウス、チャイコフスキーも素晴らしく、初めて聴くような新鮮さもありました。

そのダウスゴーがかつて指揮者を務めたスウェーデン室内管弦楽団とベートーヴェン全集を録音しております。
進取の気性に富むダウスゴーですから、90年代の終わりに早くもベーレンライター版を採用してます。
ゆえにテンポ設定も速いわけですが、そこにダウスゴーの音楽性が加わって、スリリングかつ爽快極まりないベートーヴェンが生まれてます。
スウェーデン室内管という北欧のすっきりサウンドを持った、比較的小編成によるオーケストラも、ここでは実に有能でして、どこまでも機敏でかつ繊細。
演奏時間は31分42秒。
1楽章の主部への入り込みシーンなど、先のデイヴィスと真逆のさりげなさと、ナチュラルさがあります。
2楽章の透けるような抒情や、3楽章のリズムの扱いの巧みさ、そしてなんといっても疾風さながら、駆け抜けるような終楽章に快感すら覚えます。

ギリシャ云々の4番の存在ではなく、3番と5番に挟まれた気力充実期の幸せにあふれた4番というイメージです。

まだ全曲を未入手ですが、ダウスゴーのベートーヴェン、全部聴いてみたい。
あとシューマンやブラームス、ブルックナーも。
近くシュトラウス取り上げます。

  ---------------------------

あと勢いで、4番の刷り込みレコード、カラヤンの60年代ものを聴いてみた。
繰り返しなしにもよるけど、演奏時間31分2秒。
しかし、速さは感じず、むしろ響きの豪華さと重厚さ、そして気品の高さを感じた。
 ついでに、ベルリンつながりで、アバドとのベーレンライター版による演奏。
こちらの演奏時間は、32分56秒。
これもまた速さは以外にも感じず、ふくよかな歌と端正で凛々しい奥ゆかしさを感じる。
これらもまた、4番の姿であろう。

5561272027341287x836

もうひとつ、コロナ前、2020年1月のバーミンガム市響のネット録音から。
現在、音楽監督のリトアニア出身の、ミルガ・グラジニーテ=ティーラの指揮で。
「ミルガのベートーヴェン」という番組放送だった。
当然にベーレンライター版で、これまた俊敏極まりない鮮烈な4番。
彼女のオケを導き、夢中にさせてしまう能力には脱帽だ。
演奏時間31分20秒。
ダウスゴーの演奏にも近い雰囲気だけど、エッジも効きつつ、優美さも感じるのは、女性ならではの所作による指揮さばきからでしょうか。

その彼女、2児目の赤ちゃんを身ごもりつつ、3月にコロナ陽性反応が出て治癒静養期間には、多様な書籍に目を通すなど、勉学に勤しんだそうです。
その結果、見事に完治し、8月にはめでたく出産。
この1月のベートーヴェンの演奏のときは、お腹がもう大きかったそうな。

ワインベルクのCDが大いに評価され、グラモフォン誌の賞を受賞しました。
ラトル、オラモ、ネルソンスと続いたバーミンガムの指揮者たち。
ティーラさん、いや、わたしはいつも「ミルガたん」と呼んでますが、彼女の今後の活躍とステイタスの向上を期待したいです。

Hinata-06

郷愁さそう風景。

Hinata-03

近くでみると怪しい気配の彼岸花は、曼珠沙華との名前も。

台風来ないで・・・・・ 

| | コメント (0)

2020年3月28日 (土)

癒しのベートーヴェン

Azuma-sakura-03

日本も、世界もたいへんなことになってしまった。

家で過ごさざるをえない状況に、いまこそ、お家で、ベートーヴェン。

思えば、3.11のあとも、こんな企画をしたな・・・

そのときは、テレビがみんなAC広告機構で、ぽぽぽ、ぽ~ん、だった。

→過去記事

Beethoven-6-vpo-1

  交響曲第6番 ヘ長調 op68「田園」 第2楽章「小川のほとりの場面」

 ハンス・シュミット・イッセルシュテット指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団

困ったとき、辛いとき、寂しいときの「田園交響楽」。
そう、誰しもの心を開放し、最高の癒し効果をあげることのできる音楽。
それが「田園」。
 そして、やはりウィーンフィル。
往年の60年代のウィーンフィルの音色を楽しめるデッカ録音で。

雲雀鳴く、小川流れる日本の原風景のような田舎の風景を思い、はやく正常化することを切に祈る。

Beethoven-24-bishop

   ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 op19 第2楽章

    スティーブン・ビショップ・コワセヴィチ

  サー・コリン・デイヴィス指揮 BBC交響楽団

ピアノ協奏曲の緩徐楽章は、みんな歌心にあふれていて素敵であります。
そのなかで、一番の穴場が2番。
こじんまりとした作品だけど、この2楽章の抒情は見逃せません。
冬の終わり、かぐわしい花の香りがただよう晩に、夜空を見上げると星が輝いていた・・・
そんなようなイメージを持っちゃいます。
若きビショップとデイヴィスの全集はレコード時代に接した思い出のベートーヴェンのひとつ。
「皇帝」らしくない「皇帝」も実にいい演奏です。

Beethoven-sonata-2-ibragimova

  ヴァイオリン・ソナタ第5番 ヘ長調 op24「春」

   Vn:アリーナ・イブラギモヴァ

   Pf:セドリック・ティベルギアン

この柔和なヴァイオリンソナタからは、あのいかつめ顔のベートーヴェンの姿は想像できない。
緩徐楽章を抜き出すまでもなく、まさに「春」を感じさせる全4楽章を今日は、ほのぼのと聴きました。
「田園」もそうだけど、これを聴けば、いつでも麗らかな春の野辺を散策する気分になる。
今年は、桜見物はお預けだ・・・・

イブラギモヴァのビブラート少な目のすっきりサウンドが、実に耳にさわやか、かつ清々しい。

Beethoven-previn-mullova-1

  ピアノ三重奏曲第7番 変ロ長調 op97「大公」第3楽章

   Pf:アンドレ・プレヴィン

   Vn:ヴィクトリア・ムローヴァ

   Vc:ハインリヒ・シフ

「大公」という構えの大きすぎるタイトルだけど、この曲は全体に歌と豊かな感性にあふれたおおらかな作品だと思います。
第1楽章も大いに癒し効果があるが、変奏曲形式で書かれた緩徐楽章にあたる第3楽章がとても素晴らしい。
ピアノトリオという3つの楽器の溶け合いが、これほどに美しく、効果的なことを存分に楽しめる。

常設のトリオでない3人の名手。
プレヴィンの優しい下支えするようなピアノが柔和でよろしい1枚。

Beethoven-pollini

 ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 op13「悲愴」第2楽章

   マウリツィオ・ポリーニ

さて超名曲、超名旋律といったらこれ。
編曲され、歌までつけられ親しまれている。
初期ベートーヴェンのほとばしる思いが、悲劇性の強い前後の楽章に挟めれた、この2楽章では、ロマン性とともに、憧れをここに封じ込めています。
なんて優しい、美しい音楽なのでしょう。
そして繰り返しますが、1楽章と2楽章の厳しさとの対比の見事さ。

成熟の極みにあるポリーニの明晰な演奏で。

Azuma-sakura-01

 3月21日の吾妻山の菜の花と桜。

今頃は満開。

そして、いまは家に閉じこもって音楽を聴くのみ。

各国の音楽ネット配信も多く、嬉しくも忙しい。

メットの「リング」も毎日1作、全部観れてしまった。

   ------------------

後期のベートーヴェンの澄み切った境地は、なみなみならぬものがあり、ひとことで、癒し~なんて言っていられない。

Missa-sole-bohm

     ミサ・ソレニムス op123 ~ベネディクトゥス

 カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
           ウィーン国立歌劇場合唱団

「願わくば、心より出て、そして再び心に帰らんことを」

ベートーヴェンの信条としての「心の平安と世界の平安」。
澄み切った、透徹した心情。
とくに晩年の様式に多く反映されている。

心が疲れた時、こうした音楽は、その気持ちに寄り添うようにしてくれる。
ヴァイオリンソロを伴う、祈りの世界でもある。
ともかく、美しく、もしかしたら甘味な官能の領域すれすれのところも感じる。

ベームが自身の演奏で、会心の出来だったと語ったウィーンでの録音。
歌手・オーケストラ、合唱とすべて揃った名演。

00-beethoven-backhaus

  ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 op109

   ウィルヘルム・バックハウス

ミサ・ソレニムスとほぼ並行して書かれた晩年の3つのソナタ。
そのなかでも、一番の抒情をたたえた曲。
そんなに長くないから、晴朗感にあふれた全曲を聴かないと。
さりげなく始まる1楽章から、ロマン派音楽の領域に踏むこんだベートーヴェンの完成された筆致を感じるが、なんといっても素晴らしのが、変奏曲形式の終楽章。

「歌え、心からの感動をもって」
こう記された、曲中最大の楽章は、まさに感動なしには聴かれない。
あるとき、ふとしたことでこの楽章を聴いたとき、私は落涙してしまったことがある。
仕事が行き詰まって生活にも苦慮していたときである・・・
最後に、主題が回帰されるところなど、安堵感とともに、心が満たされた思いになるのだ。

もちろん、残りふたつのソナタも素晴らしいけれど、心に、耳に、優しく響くのは30番・作品109のソナタです。
安心のバックハウスの演奏で。
レコード時代、私のレコード棚に百科事典のような存在で鎮座していた全集です。

Bbetoven-sq-gevanthaus-1

  弦楽四重奏曲第15番 イ短調 op132

    ゲヴァントハウス四重奏団

少し晦渋な領域に踏むこんだ晩年の弦楽四重奏曲にあって、一番、親しみやすい作品。
病に倒れ、そこから復調した思いが5つの楽章、45分あまりの作品の真ん中、長大な3楽章にあらわれている。

「病気が治った者の神への聖なる感謝の歌」

じわじわ来る、しみじみとした音楽。
苦境から脱するという、喜びと感謝、そしてさらなる希望。
なんと素晴らしい音楽なのでしょう。
終楽章の完結感もベートーヴェンならではかもしれません。

明晰なゲヴァントハウスSQのすっきりした演奏で。

Azuma-sakura-02

暮れようとする富士と桜。

日常が戻るのはいつになるのか。

| | コメント (0)

2020年3月20日 (金)

ベートーヴェン 三重協奏曲 ワルベルク指揮

Matsuda-d

河津桜と菜の花。

神奈川県松田町の松田山から。

ほぼ日本人だけの桜の季節。

9年前の震災のときも、そして嫌な禍が降りかかってきても、等しく桜の季節はやってくる。

Beethoven-triple

ベートーヴェン ピアノ,ヴァイオリン,チェロのための協奏曲 ハ長調 op56
           ~三重協奏曲~

    ピアノ   :クロード・エルファー
    ヴァイオリン:イゴール・オジム
    チェロ   :アウローラ・ナトゥーラ

  ハインツ・ワルベルク指揮 ウィーン国立交響楽団

        (1960年代 @ウィーン)
         
なんだか地味な存在のベートーヴェンのトリプル協奏曲。
ピアノ・トリオをソリストにした協奏曲は、演奏会でもあまり取り上げられません。

また昔話ですが、ベートーヴェンの生誕200年に発売された、ソ連の巨人3人(リヒテル、オイストラフ、ロストロポーヴィチ)と西側のカラヤン&ベルリンフィルのレコードで、この曲の存在を知ることとなりましたが、当時はそのレコードを買うこともなく、CD時代になってからの入手でした。
その記事はこちら→

そして、当時、加入していた会員制レコード頒布組織「コンサートホール・ソサエティ」からも、このトリプル協奏曲は発売されました。
それがこのワルベルク盤で、CD時代に再加入してから購入したもので、かれこれ20年前。
ジャケット画像は、その時の会報誌からスキャンしたもの。

  -------------------

作品番号56で、そのまえ55が「英雄」、次の57が「熱情」、58が第4ピアノ協奏曲。
こんな充実期にあった中期作品。
なのに、ちょい地味。
バロックのコンチェルト・グロッソを意識した形式ながら、その形式を取り入れることに苦心の跡があり、かえってバランスを崩してしまったのかもしれません。
ピアノは平易なのに、ヴァイオリンとチェロはなかなかの技巧を要するように書かれている。
音色的にもピアノが突出してしまうことを考えたのでしょうか。
 でも、ハ長が基本の明るくて屈託のない作品で、英雄と熱情に挟まれた健康優良児みたいな憎めない可愛い存在に感じるのだ。
長いオーケストラ前奏のあと、独奏はチェロから始まって、次はヴァイオリンで、ふたつの弦での二重奏となり、やがてそこにピアノがするするっと入ってくる。
この開始の仕方がとても好き。
そしてベートーヴェンに特有の抒情的な、まるでピアノトリオのような2楽章。
休みなく入る3楽章は、おおらかすぎかな。
 後期の様式の時代にも、もう一度チャレンジしていたら、トリプル協奏曲第2番はどんな曲になっていたでしょうか?

  -------------------

懐かしの指揮者、ハインツ・ワルベルクの指揮するウィーンのオーケストラは得体のしれない名前になってますが、これはウィーン・トーンキュストラ管弦楽団のことです。
レーベルの関係で名乗れなかった。
ワルベルクはこのコンビで、コンサートホールに、いろいろ録音していて、ワーグナーやブルックナーもあって、なかなかの演奏ですが、録音がモコモコしてるのが難点です。
こちらのベートーヴェンも、録音がいまひとつですが、曲を味わうには十分です。
オケの音色にも、良き時代のウィーンの響きを感じますし、懐かしさすら感じます。
カラヤンとベルリンフィルの音とは別次元にあるこのオーケストラの音。
世界中の現代の高度なオーケストラが個性を失っていくなか、そのローカルな響きはまさにノスタルジーの世界です。
N響に何度も来てたワルベルクさん、無難さとともに、器用なところもあって、そのレパートリーは広大でした。
そしてなによりもオペラ指揮者で、合わせものは抜群にうまかった。

3人のソロの名前も渋いところが揃いましたが、いずれの奏者もコンサートホールレーベルで活躍してました。
それぞれの名前を検索すると、なかなかの奏者であったこともわかります。

ピアノのエルファーは、フランス人で、カサドシュのお弟子で、現代ものを得意にした才人。
ヴァイオリンのオジムは、旧ユーゴ・スロヴェニア出身で、音源も多く出てまして、わたくしの初「四季」は、オジムさんでした。
そののびやかで明るい音色のヴァイオリンは、いまでも耳に残ってます。
あと、チェロのナトーラは、アルゼンチン生まれの女流で、カザルス門下で、作曲家のヒナステラの奥さん。
各国さまざまな出自のソリストですが、音色の基調は明るく、ワルベルクの穏健なウィーンサウンドとよく溶け合ってます。

久しぶりに、懐かしい、そして楽しい聴きものでした。

Triple-karajan_20200318094801  

オマケ画像。

DGがカラヤンを貸し出したEMI音源が、日本ではソ連音源のレーベル、新世界レーベルから出た歴史感じるチラシ。
人類遺産とされました!

Matsuda-e

早く、堂々と桜の下でお花見ができますように・・・

| | コメント (0)

2020年1月20日 (月)

ベートーヴェン 「フィデリオ」 アバド指揮

Azumayama-24a

毎度の場所ですが、お正月の吾妻山から。

富士と海と菜の花が一度に見れます。

Azumayama-31a

麓の小学校に通っていたから、子供の頃から始終登ってました。
でも、当時は山頂はこんなに整備されてませんでしたが。

Fidelio_20200118093601

  ベートーヴェン 歌劇「フィデリオ」

 レオノーレ:ニーナ・シュティンメ
 フロレスタン:ヨナス・カウフマン
 ドン・ピッアロ:ファルク・シュトルックマン
 ドン・フェルナンド:ペーター・マッティ
 ロッコ:クリストフ・フィッシェサー
 マルツェリーネ:ラヘェル・ハルニッシュ
 ヤキーノ:クリストフ・シュトレール

  クラウディオ・アバド指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団
               マーラー・チェンバー・オーケストラ
               アルノルト・シェーンベルク合唱団
         
          (2010.8.12,15 @ルツェルン)

1月20日は、クラウディオ・アバドの命日となります。
あのショックだった2014年から、もう6年が経ちます。

Fidelioabbadolucerne

ベルリンフィルを退任後、しばらくしてスタートさせたルツェルンのスーパーオーケストラとの共演は、2003年からスタートし、マーラーを毎年連続して取り上げました。
8番は予告されながら、残念ながら取り上げなかったのですが、2010年は、マーラー・チクルスの最後の9番と、「フィデリオ」が取り上げられました。
翌2011年には、折からの東日本大震災への追悼演奏で10番のアダージョを取り上げたほか、ブルックナー・チクルスが開始され、ベートーヴェンに、やがてブラームスにと円熟のアバドのルツェルン演奏が期待されていたなかでの死去でありました。

ベートーヴェンの作品の多くを指揮してきたアバドですが、「フィデリオ」を取り上げたのは、このルツェルン2010が初めてのはず。
(アバド歴長いので、そうだと思い書いてます)
人間ドラマを伴うオペラを好み、かなりのオペラのレパートリーを持つアバドでしたが、76歳にしての初「フィデリオ」とはまた興味深いことです。

   --------------------------

ジングシュピールの流れをくむドイツオペラとして、このフィデリオは、セリフも多くあり、番号オペラを取り入れつつ、音楽の流れがセリフによって寸断されてしまい、オペラとして、どうも居心地のよろしくない作品だと不遜にも常々思ったりもしてました。
 苦心のあげくに行き着いた夫婦愛唱和の作品ですが、オペラに関しては、ベートーヴェンはモーツァルトのような天性の才に恵まれなかったのかもしれません。
 しかし、個々のソロや重唱、合唱に目を向ければ、抒情と激情の織り交じったベートーヴェンらしい音楽です。
マルツェリーネの可愛いアリアや、ロッコの人の好さそうなアリア、父娘にレオノーレが加わった3重唱、ピツァロのイャーゴの信条告白のような悪のアリア。
そして素晴らしいのが、レオノーレの名アリア「悪者よどこへ行くのか」と、フロレスタンの苦悩から希望へと歌い込む監獄内のアリア。
あと、やはり劇的なのが、勇敢なレオノーレの夫救出のシーン。
息詰まるほどの間一髪の場面に、その後の歓喜の爆発。
ベートーヴェンならではの感銘を与えられる個々の音楽であります。

これらの個々のシーンを、アバドはまさにライブで燃えるアバドらしく、そして絶妙の歌心でもって丁寧に、そしてドラマティックに描き分けています。
冗長なセルフも、必要最小限にカットしていて、音楽の流れが停滞することがないように、心地よいテンポで、ある意味一気呵成に仕上げてます。
最後の歓喜の満ちたエンディングでは、興奮にあふれていて、ライブならではの感興に浸ることができます。
ヴィブラート少な目で、ルツェルンの凄腕のメンバーたちに、若いマーラーチェンバーの面々が加わったことで、いい意味での緊張感と若々しさも加味されたのではないかと思う。
アバドの音楽の若々しさというのは、常日頃、若い奏者たちと楽しみながら、音楽を築きあげるという、こうしたところにもあるのだから。

旬の歌手をそろえた配役も見事な顔ぶれ。
なかでも、このオペラの主役であるシュティンメのレオノーレの声の安定感と、力強さと明晰な知的な歌唱が素晴らしくて、声質にクセもないので、聴き飽きないのがシュティンメの歌なのです。
対するカウフマン。
フィデリオにおけるフロレスタンの出番は、あまりに少なくて、ベートーヴェンにこの点はなんとかして欲しかった・・・と思わせるカウフマンです。
アバドのお気に入りだったハルニッシュのリリカルなマルツェリーネがいい。
ほかの歌手もまとまりがよく、チームとして均整がとれていることも、このルツェルン音楽祭の持つ特徴かもしれません。
でも、シュトルックマンは、ちょっとアクが強すぎるかな・・・
 あと、鮮度高いのが、アルノルト・シェーンベルク合唱団の緻密さ。

CDにはなったけど、アバドのルツェルン演奏の恒例の映像DVDは、このフィデリオにはなかった。
映像の契約元が、2010年から変わったことが影響しているのだろうか。
マーラーの9番(2010年)から、EiuroartsからAccentusに変更。

Lucerne__fidelio

その舞台の様子を探したところ、オーケストラの後方に低いステージを作り、合唱は観客席に置くというスタイルのようです。
衣装も均一だし、オペラの上演というよりは、やはりオラトリオ的な演奏の仕方ともいえるかもしれません。
これまでオペラ上演として「フィデリオ」を取り上げなかったアバドの考え方が、このあたりにあると思いますし、ルツェルンで若いニュートラルな奏者たちと、やりたかった気持ちもわかるような気もします。

世を去る3年と少し前。
アバドはこのように、常に挑戦と、若者たちとの共演を望み、実践し続けました。
これまでの巨匠たちにはない謙虚さと、進取の気性にあふれたアバドでした。
アバドのもとで演奏し育った若い演奏家たちが、いま、そしてこれから、世界のオーケストラの主力として活躍していきます。
そして、彼らはアバドのことをレジェンドとして心に刻み続けていくことでしょう。

フィデリオ 過去記事

 「新国立劇場公演 S・グールド、ヨハンソン」

 「ベーム&ベルリン・ドイツオペラ DVD キング、ジョーンズ、ナイトリンガー」

 

Azumayama-01a

今日は大寒。
菜の花は満開なれど、春まだ遠し・・・

アバドの新譜や音源発掘が絶えて久しい。
何度も書きますが、下記の正規音源化を強く、激しく希望。

 ①ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」
 ②ワーグナー「パルジファル」
 ③ワーグナー「ファウスト」序曲
 ④マーラー 「大地の歌」
 ⑤バッハ  「マタイ受難曲」
 ⑥バッハ  「ロ短調ミサ」
 ⑦バッハ  カンタータ ロンドンでのF・プライとの共演
 ⑧ノーノ  「プロメテオ」
 ⑨モンテヴェルディ ロンドンやベルリンでの演奏
 ⑩ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」 ベルリンフィルとのもの
   ⑪ヴェルディ 「オテロ」  ベルリンフィルとのもの
 ⑫ヴェルディ 「ナブッコ」 むかしのスカラ座とのもの
 ⑬ヴェルディ 「アイーダ」 ミュンヘンオリンピックのときの上演
 ⑭ドニゼッティ「ルチア」  むかしのスカラ座とのもの
   
  あとまだたくさん、なんでもいからお願いっ!

| | コメント (12)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

いぬ ねこ アイアランド アバド アメリカオケ アメリカ音楽 イギリス音楽 イタリアオペラ イタリア音楽 ウェーベルン エッシェンバッハ エルガー オペラ カラヤン クラシック音楽以外 クリスマス クレー コルンゴルト コンサート シェーンベルク シベリウス シマノフスキ シュナイト シュレーカー シューベルト シューマン ショスタコーヴィチ ショパン スクリャービン スーク チャイコフスキー チャイ5 ツェムリンスキー テノール ディーリアス ディーヴァ トリスタンとイゾルデ ドビュッシー ドヴォルザーク ハイティンク ハウェルズ バス・バリトン バックス バッハ バルビローリ バレンボイム バーンスタイン ヒコックス ビートルズ ピアノ フィンジ フォーレ フランス音楽 ブラームス ブリテン ブルックナー プッチーニ プティボン プレヴィン プロコフィエフ ヘンデル ベイスターズ ベネデッティ ベルク ベルリオーズ ベートーヴェン ベーム ホルスト ポップ マリナー マーラー ミンコフスキ ムソルグスキー メータ モーツァルト ヤナーチェク ヤンソンス ラフマニノフ ランキング ラヴェル ルイージ レクイエム レスピーギ ロシア系音楽 ロッシーニ ローエングリン ワーグナー ヴェルディ ヴォーン・ウィリアムズ 北欧系音楽 古楽全般 器楽曲 小澤征爾 尾高忠明 幻想交響曲 料理 新ウィーン楽派とその周辺 旅行・地域 日本の音楽 日記・コラム・つぶやき 映画 書籍・雑誌 東欧系音楽 歌入り交響曲 現田茂夫 神奈川フィル 第5番 若杉 弘 趣味 音楽 飯守泰次郎 R・シュトラウス