2008年7月13日 (日)

チャイコフスキー 「エウゲニ・オネーギン」 レヴァイン&ショルティ

Tschaikowsky_eugene_onegin_levineチャイコフスキー(1840~1893)は、未完のものも含めてオペラを11作も残しているが、それらの中で今でも盛んに上演されて人気があるのは、「ウゲニ・オネーギン」と「スペードの女王」の2作品。
あと強いてあげれば、「イオランタ」「オルレアンの少女」「マゼッパ」ぐらいか・・・。

単にオペラと呼ばずに、チャイコフスキーは「抒情的情景」と名付けた。
作曲は、交響曲第4番と相前後する頃で、文通上の精神的支柱となっていたフォン・メック婦人の励ましもあってこの大作は完成したという。
熱烈に求愛された女性との短い結婚生活と破局によってダメージを受け、作曲が中断したそうだ。
原作は、プーシキン。「スペードの女王」もプーシキンだし、「ルスランとリュドミラ」「ボリス・ゴドゥノフ」「皇帝サルタン」「モーッァルトとサリエリ」などもそう。
ロシアオペラに次々と題材を送り込んだプーシキンもなかなか破天荒な人生だった由。

Onegin_bolshoi その交響曲ほどに、オペラは熱心に聴いてはいないのは、うにゃむにゃ聴こえるロシア語の持つ雰囲気がちょっと苦手なせいもある。
かつて万博の年、ボリショイオペラが大挙来日し、ソ連邦の威信を掛けたゴージャスな舞台を繰り広げた。
「オネーギン」「スペードの女王」「ボリス」「イーゴリ公」の4作品を、ロストロポーヴィチ、ロジェストヴェンスキー、シモノフらが指揮した。
テレビで、オネーギンとボリスを観たことが、はるか彼方の印象として残っている。こちらが文化会館での公演の模様。柱は本場では丸い支柱だったが、上野では見せかけのみ・・・。
音源としては、DGのレヴァイン盤しか所有しないが、舞台や映像は未体験。
9月の二期会公演のチケットを押さえたものの、演出はなんと「コンヴィチュニー」だ。
何をやらかしてくれるか、大いに楽しみだけど、オーソドックスな舞台も頭にいれておかなくてはなるまいと思い、ショルティ指揮のオペラ映画のDVDを購入した次第。

1820年頃のロシアの農村と終幕はサンクトペテルブルク。
ナポレオンを撃退した乗っている頃のロシアの貴族社会。

第1幕
 田舎の領主の娘、タチャーナとオリガは美人姉妹。母と乳母ともに、夏のテラスで楽しんでいるところへ、オリガと恋仲のレンスキー公が、友人オネーギンを連れてやってくる。
タチャーナは、一目でオネーギンに恋心を感じてしまう。
その晩、タチャーナは寝付かれずに、オネーギンへの告白の手紙をドキドキしながらしたため、翌朝乳母に手渡す。乳母は、不安そうである・・・。
 そしてオネーギンが、やってきて、庭で待つタチャーナに、説教じみた話をして、自分は結婚には向かない人間だといって去る。ショックに立ち尽くすタチャーナ。

第2幕
 タチャーナの命名日、客人たちが集まり大パーティ。
有名なワルツやマズルカが踊られる。フランスからやってきた爺さんがクープレを歌ったりする。オネーギンは、タチャーナの腕をとり、ワルツを踊るが、すぐに他の男性に渡してしまう。次に、レンスキーの腕から、オリガを取って、二人楽しそうに踊りまくる。
嫉妬に狂うレンスキーとそれがわからないオネーギンとの間でいさかいが始まり、オネーギンはレンスキーに「狂っている」と言い、侮辱されたレンスキーは決闘を申し込む。
 雪の日の早朝、決闘の場。
レンスキーは、「わが春の黄金の日々よ、どこへいってしまったのか・・・」と嘆き歌う。
遅れてきた、オネーギン。二人の心内をお互いが歌いあう。後悔と回顧は、もう手遅れ。
古式にのっとりピストルで打ち合うが、レンスキーが倒れ絶命する。
茫然とするオネーギン。

第3幕
 サンクトペテルブルクの広大な館の大広間。
これまた有名なポロネーズで、紳士淑女たちが踊る。
オネーギンが何も得られなかった放浪の末に、主クレーミン公に誘われ、この宴に姿をあらわす。そこに現れた、公爵夫人は高貴な姿となったタチャーナ。
目を疑うオネーギンに、グレーミン公は結婚の経緯とその幸福を歌う。
公に紹介され、お互いかつてご近所だったことを認めあい、二人は離れる。タチャーナは努めて冷静さを装っているが心中おだやかでない。
一人になったオネーギンは、今更ながらにタチャーナへの熱い思いを燃え上がらせる。
なんて野郎だ!
 応接間に押しかけ、その思いを切々と歌うオネーギンに、何度も心が打ち負かされそうになるタチャーナ。でも最後は、きっぱりと、今の夫を思いオネーギンをしりぞける。
「何たる不名誉、苦しみ、哀れな運命よ!」オネーギンは走り去る・・・・。

  タチャーナ:ミレルラ・フレーニ  オルガ:アンネ・ゾフィー・オッター
  オネーギン:トーマス・アレン   レンスキー:ニール・シコフ
  グレーミン公:パータ・ブルチュラーゼ ラリーナ:ローズマリー・ラング
  トリケ:ミシェル・セネシャル

  ジェイムズ・レヴァイン指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団/合唱団
                           (87年録音)
Tschaikowsky_eugene_onegin_solti_2
こちらは、オペラ映画版DVD。
音源はショルティコヴェントガーデンのメンバーによるものを使用し、専門の役者が口パクで、本場のロケーションを行なったもの。(実際はミュンヘンらしいが、雪の光景はロシアのイメージそのもの)
74年頃の録音だったかと思う。
豪気なショルティが、チャイコフスキーの抒情オペラを録音するなんて・・・・と思ったが、実際は小沢が舞台で成功したプロダクションだったらしい。

この映画版は、実にゴージャスかつリアル。
最初に味わうならば、こうした美しいドラマの背景があった方がいい。
チャイコフスキーの音楽とロシアの光景は切ってもきれないから。農民たちのダンスや林檎を摘む娘たち、美しい夏の野原に、朝焼けの光景。
豪華な大広間に舞踏会、おいしそうな食事に酒のグラス(!)、決闘の場面での雪の草原。馬車で遅れてやってくるオネーギンにあわせて、雪がちらつき始める。
ほんとうに、美しい映像で、原作の原典ともいえるかもしれない。
プーシキンがあえて背を向けた、貴族社会の裏に泣く民衆の姿は全くなく、終始上流階級社会での出来事であることが超リアルに描かれている。
そこに矛盾を感じ、振舞ってしまうオネーギンとそれが出来なかったレンスキー。
純朴なロシアの少女から、一躍トップレディになってしまうタチャーナ。
そんな様子が、このDVDではありありと楽しめる。

  タチャーナ:テレサ・クビアク    オルガ:ユリア・ハマリ
  オネーギン:ベルント・ヴァイクル  レンスキー:ステュワート・バロウズ
  グレーミン公:ニコライ・ギャウロウ ラリーナ:アンナ・レイノルズ
  トリケ:ミシェル・セネシャル

   ゲオルグ・ショルティ指揮コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団
                   ジョン・オールディス合唱団

Tschaikowsky_eugene_onegin_solti2 非ロシア系の歌手と指揮、オーケストラによる演奏はそれぞれ甲乙つけがたい。
難点はどちらの演奏も綺麗にまとまりすぎていることか。
ロストロポーヴィチあたりの演奏がCDに復刻されないものだろうか。
でもドレスデンのくすんだ響きは、なかなかに魅力的で、レヴァインのオペラティックな指揮が巧みに雰囲気をかもし出している。
 歌手では、フレーニがピカいちで、ぬくもりある優しい女性と揺れ動く心象を歌いだしていて群を抜いた存在感を示している。チャイコフスキーは、タチャーナを主人公に見立ててもいるから尚更に聴こえる。
 オネーギンは、アレンヴァイクルもどちらもいい。身勝手ぶりでは、アレン卿の方が一枚上で、ヴァイクルは紳士的。シコフバロウズも、ともに粘っこい歌いぶりがまさに適役。
ギャウロウの声には痺れるし、両盤登場のセネシャルのKY的な歌も味がありすぎ。

それにしても、いい旋律が満載のオペラ。
タチャーナの「手紙のアリア」、レンスキーの決闘を前にしたアリア、グレーミン公のおのろけアリア、ワルツにマズルカにポロネーズ、合唱の数々。
面白いところでは、繰返しの魔術で、一度聴いたら忘れられない場面もある。
1幕の農民の合唱が盛り上がってゆき、最後は爆発するが、私にはどう聞いても「まいど、まいど、まいど、まいど、ま~いど!」と聞こえる。こりゃ忘れらんないよ。

さて、コンヴィチュニー先生、どう料理してくれますか?

  

 

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2008年5月26日 (月)

チャイコフスキー 弦楽セレナード マリナー指揮

Kiyamachi_1 5月って、こんな暑かったっけ?
先週訪れた京都も暑かった。

暑いけれど、夜になって京の街へ一人くりだすと、そんな気分は吹き飛んでしまう。

鴨川沿いを散策し、高瀬川を木屋町に下る。
先斗町には、おりから鴨川踊りをはねた芸者衆が急ぎ足で店へ急ぐ姿がちらほら・・・・・。

ええですなぁ。。。。でへへ。

Academy このところ、ヘヴィーな音楽を聴いてきたので、そんな時のために重宝している、マリナー&アカデミーの演奏を。

チィコフスキー楽セレナード」
これを聴くたびに、「オー、ジンジ~!」と連鎖してしまうほどに、強烈な印象を与え続けた冒頭部分。
このところ下火になったので、こちらも安心して堂々と聴ける。
モーツァルトを愛したチャイコフスキーが、アイネクライネにならって、気持ちを込めて書いたセレナーデ。
1楽章の特徴的な出だしは、この曲のほんのひとさわり。
その序奏に続く主旋律部分からの弦のからみの美しさと、チャイコフスキーならではの美しい旋律の綾が堪能できる。
それとなんといっても、圧巻は2楽章のワルツ。
古今東西の名旋律のひとつといってもいい。
ほろ酔いのワタシなんぞ、この音楽に合わせて上半身がゆらゆらと動いてしまう。
その優美なこと(音楽です)といったらない。
3楽章エレジーの静やかな音楽もまた、この曲の白眉。チャイコフスキーのバレエ音楽のデュエットのような愛に満ちた美しい旋律。
4楽章、ロシア風の舞曲が支配するが、常にやさしく親しげで、にこやか。
最後には、「オー!ジンジ」でエンド。

こんな旋律の宝庫の名曲は、サー・ネヴィル・マリナーアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ(長ぁっ!)のすっきり、さわやかな演奏がこのうえなく気分よろしくたのしめちゃう。
このコンビの録音は、いくつかあるが、デッカに録音し始めた、初期の1968年物がいい。
ロンドンでの録音。かのビートルズが最終章を迎えていた頃、ロンドンのクラシック界では、こんな粋な室内オーケストラが始動し始めていたのだ。
マリナーは指揮したり、リーダーを務めたり。
英国ならではの、フレキシブルでオールマイティな指揮者とオーケストラ。
彼らの初期の初々しい演奏を聴くのも、初夏の季節、悪くはない。

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2008年5月 9日 (金)

チャイコフスキー マンフレッド交響曲 シモノフ指揮

2aq3_2まだしつこく名古屋の味シリーズ。
ネタはそろそろ、おしまい。
お菓子系がないのが悔やまれます。

今回は、「手羽先」。
から揚げにした手名先に独特の甘辛い味付けがしてある。
これぞまさに、ビールのつまみ。手でワイルドに食らい、ビールを流し込む。
1 「うみゃぁ~」と叫ぶこと請け合い。名古屋出張の帰りは、名鉄の地下にある「風来坊」のテイクアウトを購入している。新幹線で、カバンにうまいこと収納しないと、匂いがプンプン。
家に持ち帰ると、お父さんのツマミに残るのはほんのわずか。
子供たちの餌食となってしまう。酒飲みの子供に生まれた、こいつらの将来が頼もしい(恐ろしい)。
名古屋のコンビニで見つけた、手羽先味のキャラメル。これまた有名な「世界の山ちゃん」。甘辛いキャラメルは初めて食ったぞ。この山ちゃんの顔、瓜二つの上司がかつていた。しかもそのヒトも山ちゃんだったんだわ。

Tchaikovsky_manfred_simonov 昨晩に続いてチャイコフスキー
バイロン(英)の詩劇「マンフレッド」に題材を求めた同名の表題音楽的な交響曲である。
1885年の作品は、第4と第5の交響曲の間。
オルガンも鳴る大規模な編成による4楽章の作品は、ベルリオーズやリスト、後年のR・シュトラウスのように大音響を伴なう極めて劇的なもの。

アルプス山中の城の主マンフレッドは、懐疑的思想に取り付かれ、絶望のうちに魔女から妖術を学び取る。これで救いを得られないマンフレッドは山中をさまよい死を追い求めるが、それも与えられない。やがて、かつての恋人で自殺したアスタルテの亡霊と会うが苦悩のうちに救われないまま死を迎える・・・、という訳わからん物語。

あまり深く考えずに、チャイコフスキーの劇的かつメロディアスで甘い旋律を楽しむに限る。

今日の演奏は、これまた昨晩に続いての爆演指揮者「ユーリ・シモノフ」指揮のロンドン交響楽団のもの。
シモノフは、知る人ぞ知る爆演オジサンで、その指揮姿もユニークで体中が音楽のカタマリみたいな指揮者だ。
これまた知る人ぞ知る、駅ワゴンやホームセンターで超廉価(300円)で売っている「ロイヤル・コレクション」というロイヤル・フィルの演奏する正規CDの常連さんでもあるのだ。
春祭、プロコ・ロメジュリ、くるみ割り、1812年・・・・シンジラレナイような、すさまじい迫力の名演がこれまた名録音で出ているのだ!

シモノフは、もうベテラン指揮者となったが、1970年万博の年、ボリショイオペラの正指揮者として30歳くらいの時に来日し、「ボリスゴドゥノフ」や「イーゴリ公」を指揮した。
NHKテレビでの放送を観た記憶があるし、若いシモノフの名前も覚えてしまった。
 その後の出会いは、時はるか下って「極私的マエストロ」というサイト。こちらを拝見して、はたと膝を打ち、かつゲラゲラと笑ってしもうた。是非ご覧くだされ、素晴らしいです。

そして、激安CDを集め、そのユニーク名演に感心し、おりからの来日公演にも行った。
N響や題名のない音楽会でチロチロと登場してはいたが、いつも伴奏ばかり。
せっかくのモスクワ・フィルとの来日なのに、○○コ・へ○○グの伴奏や、ビジュアル系の歌手や奏者のこれまた伴奏ばかりじゃん。
そんな中で、唯一あったちゃんとしたコンサート。
前半に第5交響曲、後半に「白鳥の湖」抜粋というチャイコフスキー・プロで、え?逆じゃん!とか思ってたけど、間違いでなく、いきなり素晴らしい交響曲をゴンゴン演奏してしまった。そして、それ以上に、素晴らしかった白鳥の湖。
有名曲をあえてはずしたかのような選曲だったが、バレエが踊れるかのようなノリの良さと劇場空間の創出。オケの音がまた風圧すら感じさせる凄まじい迫力。
終曲なんぞ、目も眩むような凄さ。
そして、かのサイトにも書かれているとおりの、シモノフのパフォーマンス豊かな指揮姿。
踊り子かつストリート・パフォーマーなのだ。オケも慣れているだろうけど、よく吹き出さないもんだ。極私的マエストロに書かれているとおりの動きが展開され、こちらも期待以上の動きに満足の極みだった。「あっちみてホイ」は、やたらとやっていたな・・・。
アンコールに、白鳥の湖であえてはぶいた有名曲を数曲。
何度も呼び出されながらも、イヤイヤをしたり、ポケットから懐中時計を取り出して眺めてみせたりで、ほんと楽しかった。
是非皆さん、味わってみてください。

それでもって、このマンフレッド。爆演というよりは、まとまりのよさと、音楽を聴かせるツボを心得た心にくい演奏か。それでも、大音響ではビックリするくらいにテンション高いっす。
この曲は、ハイティンクの大人の演奏も好き。昨日のロストロさんはどうかしら。

1970年来日時から、銀髪のロシアン・マフィアのようなオヤジへの変貌ぶり。
Simonov

     
Simonov_3

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2008年5月 8日 (木)

チャイコフスキー 交響曲第5番 ロストロポーヴィチ指揮

Misokatsu 今日は、「みそかつ」で参ろうか。
いうまでもなく、とんかつに、八丁味噌の味噌だれをたっぷりとかけたもの。
東海三県のとんかつやさんには必ずあるメニュー。
甘辛いタレは、一度食べると、クセになるけれど、私などは、ビールがないとつらいかも。
そんなこと言って、みそかつ丼をがっつり食べてしもうた。
スーパーの惣菜コーナーをのぞくと、このソースがしこたまかかったとんかつや、串カツがたくさん売っとる。
名古屋のみそかつの名店「矢場とん」も東京銀座に進出しておるでね。

Tchaikovsky_rostoropovich 昨年亡くなったロストロポーヴィチ
そのロストロポーヴィチの待望久しいチャイコフスキー全集が格安にて復活し、店頭に並んでいる。
私が大学時代、一挙に全集で発売されたが、貧乏学生ゆえ、そんな全集なんて手もでなかった。
FM放送のエアチェックで済ませていたもんだ。
オリジナルジャケットは、陶酔するロストロさんの指揮姿の大写しだったように記憶するが、今回の復活盤は、チャイコフスキーそのもののお顔で、これはこれだが、ちょっと残念。

すごいのは、格安に加えて6曲の交響曲、マンフレッド、ロメオ、フランチェスカなどが収録されての5CD。楽章の切れ目で、CDを替えなくてはならず、あと1枚増やしてもよかったかも・・・・。

この中から、何を聴こうか、大好きな1番を、とも思ったが、定番の第5交響曲から聴くことにしよう。
全曲52分。タイムを見れば通常45~7分ゆえ、遅い演奏ではないかと思う。
でも単に遅いのではなく、緩急のつけ方が大きいのだ。
ここぞというところで、思い切り感情移入しているから、速くてかつ遅くなる。
切々たる2楽章が特にそう。最後の金管の咆哮など、のたうつような趣きがあり、その後の慰めにも満ちた部分との対比が鮮やか。
終楽章の旋律は、ことさらじっくりと克明に奏でられ、終始このペースで進みあまりにも堂々たるフィナーレを迎えるこことなる。
いやはや、甘くも辛く、ユニークかつ熱い演奏だった。残りの曲や管弦楽曲が楽しみ。
フランチェスカ・ダ・リミニなんぞ、どうなってしまうのだろうか。

1976年の録音。いまはもうないキングスウェイホールの芯のある素晴らしい響きは、EMIにしては破格によい録音。
当時、ロンドン・フィルは、ハイティンクを音楽監督に、次期監督のショルティやジュリーニ、ヨッフム、テンシュテット、バレンボイム、そしてロストロポーヴィチなどを常連にして、充実した演奏や録音を次々に残していた。
くすんだ弦に、マイルドな管、ブリリアントな金管、まるで、コンセルトヘボウのような音色だった。
ヨーロピアンなオケに、ロシアに軸足を持った指揮者の稀なるコンビによるチャイコフスキー。
ロストロさんには、あとパリ管ともチャイコフスキー全集をやって欲しかった。

追)われ、ハイティンク/ロンドンフィルのベートーヴェン全集+ピアノ協奏曲(ブレンデル)の復活を待ち望む。

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2008年1月11日 (金)

チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 アルゲリッチ

2 これが行列で有名な「クリスピー・ドーナッツ」
年末、年賀代わりにと思って早朝より並ぶこと1時間。
ついにゲットした。
新宿の1号店の行列は、いつも横目でみるだけだった。
有楽町の「イトシア」に入店した2号店は、通勤の途上でもあるし、地下なので寒空に並ぶこともない。
混雑時は2時間待ちはザラ。
なんでこんなに並ぶのか。

並ぶ間に、アツアツを試食して納得。ともかく甘い!そして食感が優しく、口の中で溶けてしまうくらい。
このベタベタの甘さは、時代に逆らうようだが、食感の新感覚は他にはないもの。
確かにおいしい。この甘さに裏付けられた食感は、快感なれど、アメリカ産とはいえ、これに酔うようにして群がる我々の食文化は大丈夫なのだろうか。はてさて
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Argerich_tchaiko2  今日は、昨晩が、どシブだったので、名曲を。
誰もが聴くチャイコフスキーのピアノ協奏曲を。
一見甘いけれど、なかなかにビターな音楽。

「チャイコのピアコン」とかよく言ってたっけ。

私のこの曲との出会いは、大阪万博の年にパリ管弦楽団がやってきた時のテレビ放送。
ピアノがワイセンベルク、指揮は、話題のプレートルだった。
ワイセンベルクのもの凄い技巧にびっくり。

 ついで会員になった会員制レコード頒布組織の「コンサートホール」で購入した、ニキタ・マガロフとウィレム・ヴァン・オッテルローの演奏のレコード。
このレコードこそ擦り切れるほど聴いた。
スコアまで購入して、冒頭部分の和音を弾けるようにまで研究したもんだ。

こうした名曲には、皆さんこんな思い出がたくさんあるのでは。

その後たくさん聴いた演奏で、思い出の一端をしっかり担っているのが、アルゲリッチの演奏。1970年の録音で、国内では71年に発売された。
その広告を画像に載せてみた。

当時茶髪など想像もつかなかった日本で、アルゼンチン系の彼女の長い黒髪が、親しみと憧れの女性の対象となった。シンジランナイでしょ。
共演は、まだ無名に近かったデュトワ指揮するロイヤル・フィルハーモニー
この頃、二人は夫婦だったはず。
アルゲリッチは、離婚後何人かのピアニストと浮名を流したし、デュトワも、チョン・キョン・ファと結婚したりして、お盛んだった。やるもんだねぇ。
数年前、有楽町のビックカメラで、買い物をする、デュトワと諏訪内晶子を、伸ばせば手の届く(?)距離で遭遇した・・・・。デュトワは、フィラデルフィアに次いで、ロイヤル・フィルの主席指揮者になる。

アルゲリッチというと、奔放なイメージが強いが、このデュトワとの1度目の録音では、かなり落ち着いて堂々とした、かつしっとりとした演奏となっている。
そして技巧の冴えが抜群なので、硬軟とりまぜて表現の幅が、実に広い。
デュトワの壮麗かつ伸び伸びしたバックもさわやかですらあって、実によろしい。
29歳のアルゲリッチの素適な録音。

コンドラシンとのライブを経て、デュトワから24年後、1994年に朋友アバドとベルリン・フィルとのライブ録音を残した。
こちらは、驚くほどの熱気と自在さに満ちた演奏で、どちらが後年の演奏か区別がつかない。おまけにライブの人でもあるアバドのやぶれかぶれの指揮ぶりもすごい。
アバドはそれ以前の録音であるポゴレリチ盤では、もっと堂々と落ちついていた。

旧盤が35分22秒に対し、新盤が32分00秒。

アバド盤も素晴らしいが、落ち着いて聴けるのは、デュトワ盤の方。
リヒテル&カラヤン&ウィーン響とともに、私のお気に入り。

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2007年12月11日 (火)

チャイコフスキー 交響曲第1番「冬の日の幻想」 メータ指揮

25 またまた、札幌のイルミネーション。
札幌は例年どおりだけど、今年あたりから街の明かりの様子が変わってきた。
原油高による節電・省エネも意識としてはあろうが、それ以上に明るすぎる街を見直すというトレンドがあるように思う。
以前新聞でそんな記事を読んだこともある。

最近オープンする最新のビルやブランド・ビルは一様に照明も間接的で、派手さはない。店名やビル名もどこにも書いてない。
パチンコ店も最近は、派手なネオンなどなくシックであったりする。
例年楽しみだったサントリーホールも寂しいし、繁華街も少し暗くなってきた感じがする。
昔は、都会でも一歩脇道に入ると暗闇があった。
そんな暗さに人はまた安堵感を覚えるようになってきたのだろうか・・・・。
一方で、殺伐とした事件も暗闇でまた起きている。
昔はいい、と皆が思いながらも、もう戻れなくなるところまで来てしまっている・・・・・・。

Mehta_tyhaikovsky前置きが違う方向に行ってしまった。
チャイコフスキーの交響曲は、なんだかんだで好きなんやけど、誰もが大好き5番に次いで、1番が好きなんや。

冬の日の幻想」なんて季節感と、地方感まるだしのタイトルからして惹かれてしまう。
むせ返るような憂愁のかわりに、さらさら感のあるパウダー・スノーのような軽やかな抒情がある。
この曲がわれわれ音楽ファンに親しみをもって定着したのは、M・T・トーマスとボストン響のDG盤ではなかったろうか。
あれは、この曲の理想的な名盤。
私もMMT盤でこの曲に開眼した。

26歳の若さで書かれたこの曲。
素晴らしい旋律が全編みなぎっていて、いつも夢中になって聴いてしまう。
冒頭の木管で奏される旋律からしていい。2楽章のメランコリックなオーボエの歌とそれに続く夢みるような展開、3楽章のスケルツォ中間部の素晴らしくも憧れに満ちた場面。
そして全曲ファンファーレのような元気のいい終楽章は、くどいくらいのエンディングが用意されている。
いい曲なのである。

ズビン・メータとロサンゼルス・フィルのコンビは1978年頃に、一気に全集録音をした。
このコンビでイメージできる音楽が、そのままここのおさめられている。
ちょっと元気が良すぎる場面もあるが、意外にしっとりと演奏されていて気持ちがいい。
弦・木管・金管、それぞれがしっとりと融合しながら、ツヤツヤした美しい音色になっていて、音を磨き上げるメータならでは。
MMT盤は当然として、さっぱりしたマリナー盤も大好きな1番である。

21 この全集のCD化は鶴首ものだっが、数ヵ月前ようやく入手しながら放置中であったもの。
新橋の某ディスカウント店で、3千円ちょっとで購入した。安いでしょ。
通勤途中の駅ながら、最近久しぶりに行ってみたら、ショップの名前はそのままに、携帯屋兼ブランド・ショップになってしまっていた・・・・。
どこへ消えた!!あのクラシック専門の売場は?
新譜輸入盤でも、千円台の半ばで買えたのによう!シクシク・・・・・。

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2007年7月 4日 (水)

チャイコフスキー 幻想序曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」 ハイティンク指揮

Heitink_tchaikovsky 今日の首都圏は雨模様。
千葉の自宅の駅に着くと、ものすごい雨。
傘はあってもずぶ濡れ状態に、こちらも歩いていて、ヤケクソになってしまう。帰宅早々、発泡酒をぐびぐびっとあおり、軽い食事をしても、まだヤケクソがおさまらない。

よっしゃ、景気のいい曲を聴くべぇ!!

と取り出した、ハイテンクのチャイコフスキー全集。

付録のように収録された、管弦楽曲から「1812年」を、と思ったが、「待てよ、今週は小品とはいえ、憂愁かました音楽を自分は求めているんだっけか?」と思い直し、より劇音楽的でメランコリックな「フランチェスカ・ダ・リミニ」を選択した。

同じ幻想序曲の「ロメオとジュリエット」と兄弟のような、文学作品に題材をとった曲。
交響詩といってもいい。
ロメオが29歳の1869年、フランチェスカが36歳の1876年の作品。
ともにロマンと情熱が隅ずみまでみなぎった熱い音楽だ。ロメオは愛の場面が、かなりの時間を占める甘い作品であるが、フランチェスカは原作が陰惨なだけに、荒れ狂うような奔放な響きが横溢するドラマテックな作品になっている。

原作はかの「ダンテ」。
リミニの国の領主の娘フランチェカは好きでもない政略結婚をさせられ、その男の弟パオロと恋に落ちてしまう・・・・・。結末は、暴君である亭主の刃に二人ともかかって死んでしまう

「ハイティンクとコンセルトヘボウ」の作り出す音楽は、あまりにも立派である。
整然と、チャイコフスキーが書いた情念の音楽をありのままに示してくれる。
ともかくオーケストラのびっしりと目の詰まった響きが素晴らしすぎる。
そこになんの気負いもないハイティンクが、きっちりとした枠組みを作り出している。
そこから匂いたつような、ヨーロッパ調のチャイコフスキーが生まれるわけだ。
このコンビの最良のコラボレーションではなかろうか!
ハイティンクのチャイコフスキー全集は、すべてがこんな具合に素適な演奏。

画像は単独発売のレコード。やたらに音がよかった。1812年も、私のボロ装置が実に良く鳴ってくれたもんだ。

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2007年5月30日 (水)

チャイコフスキー 交響曲第3番「ポーランド」 アバド指揮

Biei 初春の北海道
4月でもこんなに寒々しい。

美瑛から富良野のあたり。
夏とはまさに別世界。訪れる人とてなく、閉ざされたまま。

北国は、街はオールシーズンだけれども、それ以外は一年の1/3が隔絶されてしまう。

日本は広いわ。

Abbado_tchaikovsky3 チャイコフスキーの交響曲第3番は、6曲の交響曲のなかでも一番地味だ。
私がこの曲を聴いたのは6曲の中でも一番最後で、間違えてB面から聴いても、さっぱりわからなかった。交響曲というより、バレエ音楽かいな?と思った。

余談ながら、今度タワーレコードが復刻する寄せ集め的、交響曲全集の3番は「アツモンとウィーン響」だ。
これは、DGが70年代に目論んだ「大交響曲全集」のチャイコフスキー編の一部で、当初「ムラヴィンスキー様」に全部録音してもらおうとしたが、当然無理で、1番=T・トーマス、2番=アバド、3番=アツモン、後期3曲=ムラヴィンスキー、という、それこそ元祖寄せ集め全集になってしまった。この中の唯一新録音が、アツモン盤で、記憶によれば単独発売はされていないはず。だから、このアツモンの3番買いで、タワーのチャイコ全集はお薦めですよ!

やれやれ、昔ばなしは止まらないのだ・・・・。

3番は、有名なピアノ協奏曲と白鳥の湖の狭間に書かれた交響曲で、5楽章の変則。
シューマンの影響と、ふたつ並んだスケルツォ的楽章は、メンデルゾーンの影響もあるという。そうした、外見はともかく、音楽はまさに、豪華でかっこよく、ほどよく民族的、まさに日頃聴いてる親しみあふれるチャイコフスキーの音楽そのもの。
しみじみ聴けば、ほんといい曲。あまり深刻でないのもいい。
「ポーランド」の名称は、終楽章がポロネーズのリズムで出来ているためという。
まだお聴きでない方は、是非一聴をおすすめします。

アバド/シカゴ響の全集の最後の1枚。1番とともに、アバドがこんな曲を振るなんてもうありえない貴重な1枚。
これが、あのシカゴ? と思わせる軽やかで、しなやかな音。
みんな半分くらいしか力を出していないのではないの?と思わせるくらいに、肩の力が抜けていて、聴いてて実に気持ちがいい。
でもシカゴの威力はそこここに聴いてとれる。最後のしつこいくらいのクライマックスは、さすがと思わせる。
一方で、3楽章アンダンテの寂しい抒情も、アバドらしい歌が満ちた桂演。

この曲のあとに痛快な「1812年」が、カップリングされていて、ついにシカゴ・パワーが炸裂する!

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2007年4月 7日 (土)

チャイコフスキー 交響曲第5番 アバド指揮

Asakusa_sakura_1 桜のある風景。
今日は、昨日撮った「浅草」のアサヒビールの○○○ビルを背景の1枚をどうぞ。

浅草には幸運なことに、隔週くらいで訪問しています。
しかも、訪問先はこの画像の近く。
隅田川沿いのビルの上階で、いつも厳しい打ち合わせを行いながらも、窓の外はこの○○○が鎮座していて、心和ませてくれるのであります。
ここからは、お花見も、隅田川の花火大会もベランダから臨むことができて、夢のような立地なのであります。そして、近くには、「カミヤバー」を始め、有名な店がたくさん。
そして、浅草は、日本人の各地のなまりばかりか、世界中の言語に満ち溢れる国際観光地なのであります。
だから○○○は、このオブジェ本来の意味であるところの「炎」。そう前進を意味する「躍進」をかたどっていると、ここに宣言しておかなくてはなりませんね。

Abbado_tyaiko5 今日の1枚は、そんな「炎」ような「躍進」が音楽の隅々に感じられる演奏を。
超メジャーとなった名曲、チャイコフスキーの第5交響曲を、「アバド指揮ロンドン交響楽団」で。

1970年、アバド38歳の録音。
そう、日本は万博の年で、大阪フェスティバルホールに、キラ星のごとく世界中から名オーケストラやオペラ団が訪れた。

当時はアバドは、デッカに数枚録音していたが、日本では「若い俊英」と評されるだけであった。

カラヤンやベームのドイツ系ばかりが本格扱いされ、イタリアの若い指揮者などは、「イタリア人らしくよく歌う」とか「明るい」とかいうレッテルしか貼られず、あまり聴かれなかったように思う。

そんなアバドを強力にサポートしたのが、DGである。
ロンドン、ベルリン、ウィーン、ボストンで、名門オケを相手にロッシーニは別として、カラヤンのレパートリーを次々に録音していった。
スカラ座とのヴェルディ、シカゴとのマーラーは、もう少しあとのはなし。
今日のチャイコフスキーもまさに、カラヤンの得意分野。
これ以前にニュー・フィルハーモニアと2番、このあと、ウィーンフィルと6番4番を録音したが、DGでは全集に至らなかった。
後に、全集の一環として、シカゴ響と。さらにベルリンフィルとも録音しているが、このロンドン響とのものは、アバドとの出会いの頃の、私にとって一番大切な1枚である。

響きが豊かで、かつ全体がしっかりとまとまっていて、交響曲としての枠組みが完璧なカタチで示されている。
でも、節度を保った豊かな歌に満ちていて、オケがニュートラルなものだから、しなやかな雰囲気は聴いていてホンワカとしてしまう。特に第2楽章。
終楽章も前途豊かな希望に満ちていて、前へ進む力に満ちているが、強引さは少しもなく、オペラの一場面のように劇的であると同時に、自然な感情の高まりが音に現れていると思う。

円熟の極にある、アバドという指揮者をこうした過去の演奏で聴いていただくのも、アバドが昔から変わらなかったことが認識できるものと思う。

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2007年3月26日 (月)

チャイコフスキー 交響曲第4番 アバド指揮ウィーンフィル

Byoudouin_sakura2 いきなり春がやってきちゃった。どこ行ってたの?という感じもあるけど、来たらうれしい春。
先日、大阪出張のおり、宇治にも仕事があり、いつもの癖で空いた時間で周辺を散策。
「宇治」といえば、「宇治川」に「平等院」。
平等院の枝垂れ桜は、ちらほらと花開いていた。う~ん、ええなぁあ。

Uji_river Byoudouinなみなみと豊富な水量の宇治川沿いを散策し、夕刻迫る平等院へ。
平等院なんて、中学の修学旅行以来。
記憶の中の平等院、いや名勝のどこもかしこも、もっと大きく広々としていたはずなのに、こうして訪れてみると以外に小ぶりなサイズ。
この感覚は不思議。自分が幼少時代過ごした場所、まして幼稚園などを訪問すると、まさに箱庭のよう。
こんな感覚は誰もが経験していると思う。
だからよけいに、今、このときが大事なのよね!

Photo_3 アバドがチャイコフスキーの後期交響曲を録音したのは70年代前半。
DGの大交響曲全集には間に合わなかったけれど、75年に録音したこの4番で後期が完結。同じ「ウィーンフィルとの悲愴」は73年の録音。
76年に国内発売されたこのレコードが、私のチャイコ4番の初レコード。
以来、悲愴と同じく、擦り切れるくらい聴いた1枚。

後年、シカゴ響との再録音は、オーケストラの優秀さもあって、強靭な歌と鋭いエッジに満ちた名演に思うが、こちらはなんといってもウィーンフィル。
アバドの柔らかな指揮振りに、随所にウィーンらしいまろやかさや、ホルンや木管の独特の響きが聞かれ、オペラの一場面のような豊かな歌に全編満ちている。

ウィーンフィルでも、カラヤンはうま過ぎて鼻に付くし、ゲルギエフはやりすぎて、オケが軋んでしまいかわいそう。
私としては、やはりアバドやプレヴィンがいい。
第2楽章の木管の響きとアバドの敏感な指揮ぶり、終楽章の明るく、冷静ななかにもおおらかな歌声の満ちた爆発的なエンディング。

過去の演奏を懐かしむというよりは、今を確かめながら過去の演奏を確認する。
そしてそこに大いなる喜びを見出す。音楽はそうして、いつも新しい何かを自分に与えてくれるものと思う。(な~んてね)

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2007年3月 8日 (木)

「ロメオとジュリエット」3作 小沢征爾指揮

Romeo_ozawa あの頃は良かった・・・・・。
悔悛とともに、若き日々を思い起こすのもいいものだ。
音楽家も年を重ねて熟成して行くが、年を重ねて逆に面白みが薄れて行く音楽家もいるかもしれない。

ああ、こんなこと書いていいのだろうか!だからやめとく。これ以上は怒られそうだから。

今日は、小沢征爾のサンフランシスコ時代の名録音「ロミオとジュリエット」3作品。

すなわち、「チャイコフスキーの幻想序曲」、「プロコフィエフのバレエ音楽から5曲」、「ベルリオーズの劇的交響曲から愛の情景」、これらを1枚に収めたナイスなCD。
「この企画ずっとあたためていたんですよ。」当時のこのレコードの小沢のキャッチコピーだったように記憶している。
「ロメオ」は「ペレアスとメリザンド」と並んで、多くの作曲家が取上げた原作だ。
小沢もあと、グノーやディーリアスなども取上げたら完璧だったのに・・・・。まあ地味過ぎか。

Ozawa 70年代の小沢は、実に輝いていた。どんどんステップアップしていく様が、われわれ日本人にとって、頼もしくも誇らしく感じた。小沢本人は、それこそ日の丸を背負っていて意気込んでいた訳で、その努力たるや並みのものではなかったろう。

そんな時代の最良の姿が、この「ロメオ3曲」にあふれ出ているように思う。
一気呵成に聞かせるチャイコフスキーは、ティンパニの強打が凄まじく、両家の争いなどはかなりドラマテック。でも味付けがアッサリしていてもたれないのは小沢ならでは。
プロコフィエフでは、弾むような独特のリズム感が素晴らしく、オケも乗せられて熱演。
一番いいと思ったのが、ベルリオーズの清冽な演奏。どこまでも流れるように、なめらかに拡がる歌。でも情熱は失ってはいない。

そう、小沢のベルリオーズは素晴らしい。今こそベルリオーズを再び取上げて欲しいぞ。
1972年、カリフォルニアでのDG録音。

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2006年12月27日 (水)

チャイコフスキー 交響曲第5番 ケンペ指揮

Dsc01242 今日は、昨日の大雨とうってかわって朝から晴天。空気が澄んで気持ちいい、はずが、風が強く気温も20度近くまであがり、春一番の陽気!!
何じゃこれ? 季節感がないにもほどがあるし、連日猫の目のように天候がかわる。
仕事の途中で、寄り道した「竹芝桟橋」から見た「お台場」。変だけどいい天気。

S4_w06_gross_1

バイロイトのテーレマン・リングも「ジークフリート」。いよいよ、ヒーロー登場。今年は昨年まで、同じティーレマンの元で「タンホイザー」を歌っていた「ステファン・グールド」がチャレンジ。これが実によろしい。
少し破滅型のヘルデンだけど、このところなかったタイプで、何度も言うが軸足が少し過去に向いたティーレマンの音楽にピタリとあっている。
先日の新国の「フィデリオ」を観たのもこの人が出演するから。
同じ新国のリングで健闘した「リンダ・ワトソン」のブリュンヒルデも驚くほど立派だし、チョイ役の藤村さんもファンとしては嬉しい歌唱。

Kempe_tschaiko5 ジークフリート後、チャイコの5番を聴くという離れ業。
更新もズルして時間を遡ります。バイロイト放送のおかげで忙しいのだ。
もうほとんど、国民行事のオリンピック状態。
放送が終わったら寝りゃいいいいものを、そうは行かぬ、つらいが楽しい。

ケンペがバイエルン放送響を指揮したライブは、亡くなる前年1975年。
NHKでも放送されたはず。放送局音源だけに、ヘラクレスザールの素晴らしい響きをとらえた録音は、最近のものと遜色ない。ともかく音楽的。

ケンペの作り出すチャイコフスキーは、4楽章がきっちりバランスよく、姿形がとてもきれいだ。ドイツ人にドイツのオケだ、なんだかんだいう前に、虚心に耳を傾けたい。
チャイコフスキーってほんとに、しっかりした音楽を書いたんだなぁ、と実感できる。
同時期のカラヤンとベルリン・フィルのチャイコフスキーが、音の練磨と劇性に磨きを掛けていったのに比べ、ケンペは書かれた音符ひとつひとつをしっかり鳴らしながら、チャイコフスキーの音楽が自ら語りだすのに任せてしまっているような趣きがある。

2楽章なんてお涙ものでなく、普通に緩徐楽章しているし、終楽章も仰々しさがなく潔い。

バイエルンの明るく、積極的な音もいい。
当時、「放送響はクーベリック」、「フィルハーモニーはケンペ」、「シュターツオーパーはサヴァリッシュ」、「放送菅はアイヒホルン」といった具合にミュンヘンは名指揮者の坩堝だった。今とくらべて、スゴイ時代だなぁ。

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2006年11月 5日 (日)

チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」 アバド

Abbado_tyhaiko6_ さて今日は名曲を一発。
「悲愴」ほどの名曲となると、なかなか改まって聴く機会がないし、ちょっと濃いから田園や新世界のような訳にいかない。
でも名曲の名曲たる由縁、愛好家が必ずとおる道にこの作品はある。

今の若い方々はどうかしらないが、私のような年代だとおそらく「悲愴」には泣かされたのではなかろうか。悲哀に満ちた旋律に胸かきむしられるような感情を持ったものだ。私の最初のレコードは、コロンビアのダイアモンド1000シリーズ(知ってますかねぇ)のパイ原盤による「バルビローリ」盤だった。やるせなくなるような悲愴だった。
今思うと、バルビ節だった。
 これに親しんだ私が、大好きな「アバド」の「悲愴」が出て飛びついた。しかもウィーン・フィルだった。

Abbado_tyhaiko6 1973年、ちょうどこのコンビの来日のあと、ムジークフェラインでの録音。
黄色がトレードマークだった、当時の日本グラモフォンは、大いに売り出したものだ。
 高校生だった私は、まず一聴して、その生々しい録音の素晴らしさに目を剥いた。安いステレオが実によく鳴った。それも、まだ見たことも聴いたこともなかったホールのややデットながら柔らかな音をまともに捉えた音だった。ウィーン・フィルといえば、デッカのゾフィエンザールの分離のよい明晰な録音のイメージが強かったが、DGはコンサートの本拠地での録音を敢行し、見事な成果をあげていた。

録音ばかりでない、アバドの明るく、今生まれたばかりのような新鮮な解釈は、当時チャイコフスキーなんてほとんど演奏したことがなかったウィーン・フィルの面々を夢中にさせ、正にウィーン・フィルの魅力満載の滴り落ちるような美音を響かせることになった。

ウィーンの管楽器の独特の音色で聴くチャイコフスキーは本当に魅力的。
アバドの指揮もおそらくこれらの美音を意識しつつ、旋律をいとおしむように歌うところは、若いこの時期ならではのもの。
しかし、センチメンタルな憂愁はこれっぽちもなく、ここにあるのは、純粋に楽譜に書かれたチャイコフスキーの美しい音だけである。
 第1楽章の素晴らしい第2主題が次々と展開される場面は、さながら夢のような美しさ。
それが事切れ、ファゴットの下降する音が止む。指揮者とオーケストラが次のフォルティシモに向けて身構えるところは、緊張の瞬間が捉えられている。そのあとに続く生々しい展開も、威圧的にならない。
 中間部の弱音の部分の歌い方が豊かな第2楽章、騒々しくなく平常心の第3楽章、重苦しい情感がなく、淡々と染み入るような第4楽章。

久々の「アバドの悲愴」は、若き日々に聴いた通りだった。

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2006年9月20日 (水)

チャイコフスキー 交響曲第4番 バレンボイム

Barenboim_tchaiko4 チャイコフスキーも久しぶりにちゃんと聴くといいもんだ。
なんだかんだで、好きなのだから。

今日は変わりダネの演奏で、バレンボイムがニューヨーク・フィルを振った4番の交響曲を。
バレンボイムがピアニストから本格的な指揮者になるまでは、イギリス室内管でモーツァルトあたりでじっくり練習しながら、大きな編成のものにチャレンジしていった。70年代に入ると、ロンドンのオケやアメリカのメジャーを振り始め、EMIからDGに鞍がえしたのもその頃。その狭間に、CBSに録音したのがこの1枚。
今では考えられないNYPOとの共演。1971年の録音である。

Barennboim ちょうどその頃、日本にイギリス室内管とやってきた。
その画像がコレ。
もじゃもじゃ頭に、自信たっぷりの反り返った演奏ぶり。
同時にN響に客演し、今日のチャイコ4番を中心とするプログラムを振ってみせた。ズッカーマンとのメンデルゾーンもやったように記憶する。
テレビで見てたが、今でも思い出す力瘤のはいった指揮。拳を下に向けエイッとばかりに決める姿は頼もしかった。現在の薄毛の円熟した姿とは似つかない。

演奏は、ほぼ上記の印象のとおり。開放的なオケだから、結構野放図に鳴ってしまうが、時おり巧く押さえ込んでカラヤンばりの抑制の効いた上手な演奏となっている。
注目の終楽章のコーダは、極端なアッチェランドはかけずに、じっくりとした盛上げになっていて好ましい。オケの明るさも良いところだが、若きバレンボイム君、もう少し若気の至りがあってもよかったのでは?
しかし、バレンボイムの貴重な録音であることは確か。若い頃から大人びたもじゃもじゃ君だったのである。

Odate 先日、秋田の大舘の居酒屋で食べた「馬刺し」。比内地鶏の産地ながら、ちょっと足を伸ばせば、青森。下北の岩手寄り南部は馬の産地だ。
程よい肉感と脂身のサシが微妙に美味い。ニンニク生姜でいただく。
大舘の地酒「北鹿」のシャープな味との相性は抜群だった。

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2006年6月26日 (月)

チャイコフスキー「ロメオとジュリエット」、スクリャービン「法悦の詩」 アバド