カテゴリー「チャイコフスキー」の記事

2019年12月10日 (火)

ヤンソンスを偲んで ③ロンドン、ウィーン、ベルリン

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ヤンソンスの追悼シリーズ、今回はヨーロッパの各都市。

ロンドンでは、ロンドン・フィルハーモニックの首席客演指揮者に1992年に着任し、97年までそのポストにありました。
同時期に録音されたものは、EMIにそこそこありますが、いずれもヤンソンスらしい瑞々しさと、オーケストラの落ち着いた響きがとてもいい感じなんです。

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  チャイコフスキー 「くるみ割り人形」

 マリス・ヤンソンス指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

        (1991.10 @アビーロード・スタジオ)

弾むリズムに、全編に通じる親しみやすさ、わかりやすさの表出。
誰しもを、ほっこりさせてしまうヤンソンスの音楽づくりです。
そして、ロンドン・フィルのノーブルかつ、ややくすんだ音色が、チャイコフスキーの普遍のメロディの数々に温もりを添えます。
数ある「くるみ割り」のなかで、大好きな1組です。

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 ショスタコーヴィチ 交響曲第15番

 マリス・ヤンソンス指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

        (1997.4 ロンドン)

関わりのあるオーケストラと全集を造ったヤンソンスのショスタコーヴィチ。
ロンドンフィルとは15番を録音しました。
ハイティンクのもとでも、シンフォニックな演奏で素晴らしい15番を残したが、このヤンソンス盤も浮つくことのない見事なものです。
シニカルななかに、キラリと光る抒情の雫、この曲の第2楽章は、ヤンソンスを送るに相応しい涙に濡れたような葬送の音楽です。

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  ラフマニノフ 交響曲第2番

 マリス・ヤンソンス指揮 フィルハーモニア管弦楽団

         (1986.11.19/20 オールセインツ教会

これぞ、ラフ2の隠れたる超名演。
42歳のヤンソンスが、オスロでのチャイコフスキーと併行してシャンドスレーベルに録音した、フィルハーモニア管との一期一会のような演奏。
完全版によるもので、ヤンソンスのファンになりたての頃、2006年にようやく入手できたCD。
そのときのブログで、「指揮者もオーケストラも、一緒くたになってラフマニノフ・ワールドにどっぷりつかりながら、思い切り音楽に夢中になっている。勢いや感情だけではこんな演奏は生まれない。ヤンソンスの音楽へのひたむきさと、楽員をその気にさせるエモーションがあってこその名演奏」と書いてます。
ヤンソンスの音盤のなかで、この時期のひとつのピークの記録であると思います。
この10年後の、サンクトペツルスブルクとの再録は、かなりおとなしい。
コンセルトヘボウとの再々録音は未聴であります。

ロンドンのオーケストラでは、あとロンドン交響楽団にもよく客演し、マーラーの6番のライブもありますが、こちらも未聴。

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  ショスタコーヴィチ 交響曲第5番

 マリス・ヤンソンス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

         (1997.1 @ムジークフェライン)

ヤンソンスは、ウィーンでもベルリンでも、オーケストラと聴衆から人気を博しました。
5番だけは、当時もよく演奏していたウィーンフィル。
テンポの自在、ライブならではの感興あふれる活気に満ちたショスタコ。
ここでも、ウィーンの弦で、しっとりと第3楽章を聴き、ヤンソンスを偲ぶこととします。

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ウィーンフィルのヤンソンス追悼のツィッター。
2006、2012、2016年と3回のニューイヤーコンサートの指揮でした。

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こちらは、ベルリンフィルの追悼ツイッター。

カラヤンコンクールに入賞したヤンソンスにとっては、ベルリンフィルは格別の存在であったでしょう。
そんなに録音は多くは残しませんでしたが、定期演奏会の常連で、アバドのあとにも最有力候補としてノミネートされたり、演奏旅行に同伴したりと、ずっと蜜月な関係を保ちました。
日本にも、2006年にアバドとともにやってきましたが、わたくしは、アバドのトリスタンに全資力を投入してしまったので聴くことはありませんでした。

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  ベルリオーズ  幻想交響曲

 マリス・ヤンソンス指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

         (2001.5 @イスタンブール)

ベルリンフィルが毎年5月の行うヨーロッパコンサートから、トルコのイスタンブールの雰囲気あふれる教会でのライブ。
汗をかきつつ、夢中の指揮ぶりで視聴するヤンソンス得意の「幻想交響曲」。
いろんなオーケストラとずっと取り上げ続けた「幻想」。
バイエルンとのライブ録音と並んで、このベルリンフィル盤は、ベルリオーズの熱狂と抒情を見事に表出しつくした名演です。

ヤンソンス追悼、次はアメリカへ飛びます。

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2019年12月 8日 (日)

ヤンソンスを偲んで ②オスロ

Oslo

ヤンソンスを偲ぶシリーズ②

レニングラードを拠点としつつ、1979年にノルウェーのオスロ・フィルの音楽監督に就任。
メジャーでない、ある意味ではローカルなオーケストラの指揮者になって、やりたいことをやる、そしてオケとともに育っていく。

自国や北欧系の指揮者が歴代指揮者で、調べたらブロムシュテットやカムのそのなかにあった。
そんななかでのバルト国系からのヤンソンス。

客演して、すぐさまに人気を博し、マーラーやチャイコフスキーなどに挑戦し、オーケストラとの絆を急速に深めていったようです。

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シャンドスレーベルにオーケストラとともに売り込みをかけ、それが、シャンドスでのチャイコフスー全集につながりました。
個別に全曲をそろえましたが、後期のものより、前半の3つのほうがいい。
なかでも、1番は、さわやかかつ、瑞々しい歌心と、ほどよい爆発力もあって、若さあふれる爽快な快演です。
ティルソン・トーマスと並んで、大好きな「冬の日の幻想」です。

  チャイコフスキー 交響曲第6番 「悲愴」

 マリス・ヤンソンス指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

           (1984.1.26,27 オスロ)

でも、今回は、追悼の意味合いで「悲愴」を聴きました。
「悲愴」は、後年もずっと指揮をし続けた得意の曲目で、わたくしも、コンセルトヘボウとの来日で2004年に聴いておりますし、バイエルンとの再録音もCDで聞いてます。
40歳のオスロのヤンソンスと、60歳を過ぎたコンセルトヘボウやバイエルンでのヤンソンスの「悲愴」。
後者はずっと彫りが深くなり、痛切さも増した、スタンダードともなりうる「悲愴」ですが、オスロ盤はもっとさらりとした印象で、「悲愴」というタイトルを意識させることのないシンフォニックなスマートな演奏に思います。
43分の快速でもあり、入念に演奏されると辟易してしまう「悲愴」のような名曲のなかでは、私には、少しばかり青臭さの残った「哀しみ」の表出が妙に好ましく感じる好演です。
オケにも北欧オケならではの、澄んだ響きと、少々の野暮ったさがまだあるのもいい感じです。

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   レスピーギ  ローマ三部作

 マリス・ヤンソンス指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

          (1989,1 1995,1 @オスロ)

ヤンソンス&オスロフィルの新たなコンビは、次はEMIというメジャーレーベルとの専属契約にも成功し、次々と新録音を繰り出すようになりました。
ヤンソンスにとっても、オスロフィルのポストは、コンサート指揮者としてレパートリーの拡充に大いに役立つものだったし、メジャーオケでは挑戦できないこともできたわけですが、そこにレコーディングで世界に発信できるステージをえたことは、ほんとうに大きいことだったと思う。

録音映えするオーケストラ作品の数々を次々に残したこのコンビのCDのなかで、一番好きな1枚が、ローマ三部作です。
オスロフィルが一流オケにも引けをとらない名技性を発揮し、レスピーギの音楽の面白さを素直に引き出したヤンソンスのストレートな指揮も的確であります。
 このコンビのEMI録音、結構そろえて聴きました。
ハルサイ、ドヴォルザーク、シベリウス、展覧会、サン・サーンス、オネゲル、ワーグナーなど、たくさん。
なかでは、ヤンソンスの得意技ともいえるアンコール・ピース集は、ノリノリのこのコンビを象徴する1枚かもです。

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  マーラー 交響曲第9番

 マリス・ヤンソンス指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

         (2000.12.13 @オスロ)

レニングラードではやれなかったこと、マーラーをヤンソンスはオスロでは存分に指揮することができた。
全作のサイクル演奏をしたし、録音もいくつか残しました。
シャンドスに2番、シマックスに1、7、9番、そして3番も登場するようです。
何故、EMIがこのコンビのマーラーを録音しなかったのか。
晩年のテンシュテットと被ったのも、その要因のひとつかもしれませんし、いまほどの多用化したマーラー演奏の需要にマーケティングが追い付かなかったのかもしれません。

それほどに思うほど、ヤンソンス&オスロのマーラーは、のちのコンセルトヘボウやバイエルンとのマーラーと違う、直球の勝負ぶりがあって面白いのです。
指揮者とオペラ歌手の2世として生まれたマリス・ヤンソンス。
非ロシアでありながら、ガチガチの共産体制のなかで育まれた少年期の音楽体験。
でも、モスクワからは遠いレニングラードは、西側の風も吹きやすく、いろんな風も受けたであろうし、父の指揮者としての姿も、そして引き上げてくれたムラヴィンスキーの指揮も成長とともに、多面的に見ていたことでしょう。

そんな恵まれた環境と裏腹の多面的な環境が、マリスのマーラーへの想いを育んでいったものと思います。

歴代指揮者陣を見るに、そんなにマーラーをやってなかったと想像しますが、もしかしたらマーラーに慣れていなかったオスロフィルは、自分のマーラー像を新鮮に反映させるオーケストラとして最良の存在だったかもしれません。
 こうして出来上がった「9番」は、彼岸の第9ではなく、9番目のマーラーの作品として聴いてみて受け止められます。
オケの精度にはまったく問題なし。
シャンドスのいい意味のひなびたチャイコフスキーの頃とは大違いに、主体性をもってヤンソンスの指揮に応える力強さと強靭なアンサンブルがあります。
2楽章と3楽章が、ヤンソンスがテンポを揺らしながら、効果的な雰囲気をだしつつ、いままで聴いたことないような場面も聴こえて面白いです。
この作品の神髄たる両端楽章の緻密さや深みは、後年のものにはかないません。
でも、ヤンソンスとオスロの共同関係が感じたままのマーラーの第9は、とても新鮮で、淡々と切り込む音楽への埋没ぶりがとても気持ちがよくって、こんなマーラーの第9も日常に聴けるリファレンスとして大いに賛同できるものでした。

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オスロフィルでは、ファンの声を募集中です。

ヤンソンスの思い出が書き込めるそうです。

そう、ヤンソンスとともにあった自負では、オスロは負けてはいません。

マーラーの音源の続々の復刻を望みます。

オスロフィルは、ヤンソンスのあと、プレヴィン、サラステときて、いまはヴァシリー・ペトレンコ。
好調ペトレンコのあとは、フィンランド系のクラウス・マケラで、彼は来春4月に都響客演予定で、シベリスとショスタコーヴィチ。
パヌラ門下の、逸材で23歳。
勢いの増す、指揮者の世代交代のなかにあっても、もっとも若い部類を指名したオスロフィル。
ヤンソンスとのコンビのような、麗しい関係を長く築けることを祈ります。

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2019年12月 5日 (木)

ヤンソンスを偲んで ①レニングラード

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マリス・ヤンソンス(1943~2019)の逝去を悼んで、同氏の音源を聴きつつ、その歩みを偲びます。

現在のラトヴィアのリガ生まれのマリス・ヤンソンスは、その父が、親日家だったアルヴィド・ヤンソンス。
母はユダヤの出自のオペラ歌手で、ラトヴィアの地政上、母の親族は、ナチスからもその親族が追われるという境遇であったという。

マリス・ヤンソンスの音盤からのみ判断すると、映像以外のオペラ録音が大きく欠落している印象を受けるが、ヤンソンスは母の舞台やオペラの現場を幼少より体験しており、その音楽や舞台が自身に血肉化していると自ら語ってます。

心臓の病に早くから罹患したことから、オペラの指揮もなかなか厳しかったかもしれないし、コンサートオーケストラからのオファーがひきも切らなかったので、ハウスの指揮者としての時間が取れなかったのかもしれません。
 タラレバですが、キーロフかドイツのどこかのオペラハウスが、若い頃のヤンソンスを射止めていたら、ヤンソンスの活動領域はまた違ったものになっていたかもしれません。
コンセルトヘボウ時代、そのシチュエーションに恵まれ、オペラ指揮にも心血を注いだのも、ヤンソンスのオペラ指揮者の姿のあらわれだと思います。

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 二世指揮者ヤンソンスは、父に伴われてのレニングラードでの勉学と、ウィーン留学。
スワロフスキー門下でもありますが、指揮者と活動の原点はカラヤン・コンクールでの入賞。
そこから、父のいたレニングラードフィルへのデビューとつながり、当時のムラヴィンスキーとの出会いにもつながります。
 ソ連時代のレニングラードフィルの最盛期に、ムラヴィンスキーの元で副指揮者となり、70年代以降、テミルカーノフ時代の90年代後半まで、ずっとこのオーケストラを指揮し続けました。

レニングラードフィル=サンクトペテルブルクフィルとの正規録音は、そう多くはなくて、そのなかでも一番の演奏は、ショスタコーヴィチの7番です。

  ショスタコーヴィチ 交響曲第7番「レニングラード」

   マリス・ヤンソンス指揮 レニングラード・フィルハーモニー交響楽団

             (1988.4 @レニングラード)

まだ、ソビエト連邦崩壊前にEMIが乗り込んでの録音。
シャンドスにもレニングラード時代の録音はありますが、それは未聴。
のちに、コンセルトヘボウ、バイエルンでも再録してますが、おとなな演奏の後のものにくらべ、血管が浮き出たような熱くて、濃密な感じで、随所に聴かせどころを設けて、聴き手を飽きさせない巧さも感じます。
でも、全体の構成がしっかりしていて、最後には堂々たるフィナーレを迎えます。
カラヤンがこの作品を指揮したら、かくや、とも思わせるじょうずな演奏でもあります。

この録音の2年前。
1986年に、ヤンソンスは、本来同行者であった来日公演で、急病で来日が出来なかったムラヴィンスキーに替わって、すべてのプログラムを日本で指揮しました。
ちなみに、急遽、あの幻指揮者のガヒッゼも呼ばれて少し分担しました。
 このときの演奏会がNHKで放送され、このエアチェックテープを最良の状態で、自己音源化してます。

  ショスタコーヴィチ 交響曲第5番

  チャイコフスキー  交響曲第4番

   マリス・ヤンソンス指揮 レニングラード・フィルハーモニー交響楽団

            (1986.10.16 @サントリーホール)

自分のヤンソンス体験は、この放送録音が原点でありまして、演目は、ショスタコーヴィチの5番とチャイコフスキーの4番という、ヘヴィーな2曲で、当時、90分のカセットテープに、片面に1曲ずつ収まる快演でした。
文字通り、血わき、肉躍る、躍動感と力感、生命力にあふれる演奏で、あの完璧なレニングラードフィルも、あたふたとするくらいに、ひっくり返っているか所も見受けられます。
チャイコ4番など、もう、もう、すさまじいばかりの猛進ぶりで、そこではさすがの鉄壁のレニングラード魂が発揮され、恐ろしいアッチェランドと段階を完璧にふんだ幾重もあるフォルテの威力に圧倒されます。
 ヤンソンスのオーケストラドライブの見事さと、統率力の確かさを、このライブに感じ、マリスの名前がわたくしの脳裏に刻まれることとなりました!

レニングラードフィルとは、1977年にムラヴィンスキーとともにやってきたのが初来日。
このときのNHKホールでのムラヴィンスキーを、学生時代に聴いております。→過去記事
もしかしたら、若きヤンソンスもその会場にいたかもしれません。

その後も、都合、5回、レニングラードフィルとサンクトペテルブルクフィルとで来日しております。

ちなみに、ムラヴィンスキーは、何度も来る、来るいいながらやってこなかった巨人で、そのたびに、父アルヴィドが代わって来日しており、その父も東京交響楽団にも何度もやってきて、親日ヤンソンス家ができあがりました。
父アルヴィドは、NHKテレビで何度も見てまして、指揮棒を持たない自在ぶりと、汗だくの夢中の指揮姿をいまでも覚えてます。

ムラヴィンスキーは、自由度の高いテミルカーノフよりも、マリスの直截かつ完璧な楽譜の再現という意味での指揮の方を評価していたといいます。
情熱的な、ちょっと爆演系の若きマリス・ヤンソンスが、それに加え、知情意、バランス感覚の優れた名指揮者になることを、ムラヴィンスキーは見越していたのだと思います。

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 ヤンソンスと、ソ連崩壊後のサンクトペテルブルクフィルは、EMIにラフマニノフの交響曲とピアノ協奏曲全集を録音しました。

これは、実にビューティフルな演奏で、でもロシアのオーケストラがここで必要なのか?と思うような、洗練されたスマートな演奏に、ロシアの憂愁や歌を求めた自分には、ちょっと違うと思わせるものでした。
EMIの録音の角の取れすぎたのっぺりした響きにも、その不満はあります。
ほかのレーベルだったら・・・という思いがあります。

ヤンソンスのラフマニノフは、ほかのオーケストラとのものがよく、違う記事で取り上げましょう。

 サンクトペテルブルクフィルは、ヤンソンスを悼んで、今日10月5日に偲ぶ会を催したようです。

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       (サンクトペツルスブルクでの追悼会 BR放送より拝借)

最後のサンクトペテルブルクフィルへの客演は、今年2019年2月。

そのときの画像を、同フィルのHPから拝借いたしました。
サンクトペテルブルクフィルは、テミルカーノフを統領に、いま、デュトワを客演指揮者に指名し、ロシアとヨーロッパの結合点としての存在をヤンソンス親子以来の伝統としつつあるようです。

Jansons-stpetersbrug-2019

ヤンソンス、次はオスロへ。

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2019年11月 9日 (土)

フィラデルフィア管弦楽団演奏会 セガン指揮

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11月4日、晴天の振り替え休日、午後のサントリーホールのカラヤン広場には、日の丸と星条旗が並んでおりました。

あいにく、というか風もない好天で、旗はなびかず、静かなままでしたが、コンサートはパワフルなアメリカ魂に熱気の渦に包まれました!

Philadelphia

  チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 ニ長調

  マチャヴァリアニ ジョージアの民謡より Doliri

     Vn:リサ・バティアシュヴィリ

  マーラー     交響曲第5番 嬰ハ短調

    ヤニック・ネゼ=セガン指揮 フィラデルフィア管弦楽団

           (2019.11.04 @サントリーホール)

憧れのフィラデルフィア管弦楽団。
70年代、80年代初め、オーマンディとの来日を横目で見ながら、ついぞその実演に接することが出来なかった「フィラデルフィア・サウンド」。
その後のムーティは、当時、あんまし好きじゃなかったし、サヴァリッシュのシュトラウスも聴きそびれ、結局、エッシェンバッハとの2005年の来日でフィラデルフィア管を初めて聴くこととなりました。
その時の演目が、マーラーの第9です。
ほかのプログラムでも、マーラーの第5を演奏していたはずで、憧れのゴージャス・フィラデルフィアは、自分では、マーラー・オーケストラへと転じていたのでした。
 その後の破綻を経て、セガンのもとに復調したフィラデルフィアのマーラー、ほんとうに楽しみでした。
ちなみに、今回のオーケストラ配置は、ストコフスキーの通常配置で、まさにアメリカのオーケストラ、フィラデルフィアの伝統配置。
右から左へと低音楽器から並びます。
そして、私の記録から、2005年のエッシェンバッハとの来日では、対抗配置となっておりました。
このあたりもとても興味深いですね。

あとの楽しみは、初バティアシヴィリ。
予定されていたプロコフィエフの2番から、奏者の希望でチャイコフスキーに変更されましたが、これがまた度肝を抜かれる凄演でした!
最初のひと弾きで、明らかに違う、音色の輝きと音の強さ。
フィラデルフィアを向こうに回して、オケがどんなにフォルテを出しても、その上をゆく、いや、そのオケと溶け込みつつも、しっかりと自分のヴァイオリンの音をホールに響かせる。
それに煽られるようにして、セガンとフィラデルフィアも輝かしいチャイコフスキーを聴かせる。
1楽章の全奏なんて、こんなに聴き古し、聴きなれた旋律に心躍るなんて、自分には考えようもなかったことです。
(ムターとプレヴィンの、チャイコとコルンゴルト、いまだにそのチャイコだけ聴いたことがありません(笑))
そしてフルートソロのべらぼうな美しさといったらなかった。
 しかし、フィラデルフィアの弦は分厚く、そしてうまいもんだ!
繰り返しますが、それにも負けないバティアシヴィリのヴァイオリンって!
ビターな辛口の演奏だった2楽章も素敵だったし、ますますオケとの掛け合いが面白くて、興奮させられた3楽章。
完璧な技巧に、冷静・的確ななかにも、だんだんと熱を帯びてゆくバティアシヴィリ。
ショートカットの御髪を左右に乱しつつの一気呵成のフィナーレは、聴き手を夢中にさせてしまうまったく見事なものでした。
 曲が終わると同時に、サントリーホールは、ブラボーとともに、おーーっ的などよめきに包まれました。
セガンも彼女に、王女様に接するかのように、ひざまずいて最上級の賛辞を送り、会場も笑いとさらなる興奮を呼び起こし、指揮者が団員のなかに腰を据えるなか、エキゾティックなグルジアの民謡を演奏してくれました。
 バティアシヴィリ、大好きになりました♡

マーラーの第5番。
前半もそうですが、後半もオーケストラは多くの団員がステージに乗って、腕鳴らしをしています。
それむ、むちゃくちゃ真剣で、マジで練習してる。
先日のBBC Scottishのオーケストラもそうでした。
とくにアメリカのオーケストラは、各奏者の腕前が高く、ソロがオケのなかで目立つこともしばしばで、まさに個人主義の観念が行き届いていると思いますが、その代わり、プロ意識は極めて高く、いざというときの団結力が強靭なまでの合奏力となってあらわれるんだろうとも思います。
日本のオケや、ドイツのオケなどは、指揮者によって演奏のムラが出たりすることが多いと感じますが、アメリカのオケは、どんな指揮者にも全霊でもって答え、高水準の演奏を達成しますし、まして、有能な指揮者にかかると、とんでもない能力を発揮します。
そのようにして、アメリカのオーケストラは、一定の指揮者と長く続く関係を築くのであろうと思います。

さて、指揮なしで開始した輝かしいトランペットに、雄弁な女性のホルンが大ブラボーを浴びたマーラー。
セガンは、その頂点を3楽章に持ってきて、大きく3部にわかれるこの作品の姿を明快にしたと思います。
1楽章と2楽章は、アタッカで繋ぎ、一気呵成に悲劇的な要素を強調しつつ描きました。
2楽章の大破局のような悲観的なムードの表出では、うなりを上げるフィラ管の弦に圧倒されたし、セガンの隆々たる指揮も極めて大きな動きでもって、オケを煽るようにしてました。
マッチョな体のセガン氏、筋肉もりもりすぎて、燕尾服では背中が破れちゃんじゃないかしら。
良く伸びる素材の衣装をいつも着てるし、あのモリモリの指揮ぶりに、オケのフォルテも無尽蔵なのだ。

一転、平和とのどかさが訪れるスケルツォ楽章。
先のホルンも朗々として素晴らしかったが、ここでは、フィラ管の弦と木管の各ソロたちの妙技に耳を奪われました。
この長大な楽章が、いささかもだれることなく、いわば万華鏡を覗くかのような楽しみとともに聴けたのも、セガンの自在さとオケの自主性とがあってのもの。

ハープを弦セクションの真ん中に置き、フィラ管の弦セクションの美音を堪能したアダージェット。
自分的には、先日のダウスゴーのスリムな抒情の方が好きだったけれど、終盤の第2ヴァイオリンから再現されるメインテーマが、ほかの弦の伴奏を伴いつつ、じわじわと全弦楽による感動的なピークに達するところが、目にも耳にも、素晴らしいご馳走でした。
 終楽章は、ともかく明るい。
アダージェットの副主題が容をかえて、なんども登場する際には、セガンとオケはノリノリで、こちらも気分がはなはだよろしい。
そして最終クライマックスでは、またもや隆々セガンが両腕を大きく広げて大ピークを創出。
で、驚きのアッチェランドで大曲は、瞬く間に終了!

ブラボーの渦で、サントリーホールを聴き手は、アメリカのビッグ5オーケストラの実力をまざまざと見せつけられ、感嘆したのでした。
これでいいのかな?との思いもよぎったし、先日のダウスゴー&BBCSSOの方が美しかったとの思いも捨てきれないが、でもこれはこれでよろしい。
「セガンとフィラデルフィアのマーラー」を聴いたのだから。

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熱気冷めやらぬホールを出ると、外はもう夜空で、そこには相変わらず星条旗が無風で静かに掲げられておりました。

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2019年11月 1日 (金)

BBC Proms Japan BBCスコテッシュ交響楽団演奏会 ダウスゴー指揮

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ロンドンのロイヤルアルバートホール(RAH)を中心に、イギリス各地で行われる、BBC放送局がバックについた夏の大音楽プロジェクト。

その催しが、この秋、日本にやってきました。

英国音楽好き、Proms好きには逃せない引っ越し公演です。

ネットの普及で、ここ10年ぐらい、毎年7月の終わりから、9月半ばまで、連日のRAHのコンサートをリアルタイムとオンデマンドで聴くことが出来る喜びを満喫しておりました。
年々、音質も向上し、楽章ごとに起きてしまう拍手にも、最近は苦笑とともに、新鮮な聴き手のストレートな感想として素直に受け止めるようになりました。

毎年、大きなテーマを定めて曲目が決められるものだから、ある作曲家の交響曲が全曲とか、主要オペラのほとんどとかが、まとめて聴けるという利点もあり、そして、私のような英国音楽好きには、毎年、例外なく取り上げられる英国作曲家の作品の数々の魅力にあります。
有名どころから、私ですら知らない作品、さらにはBBCの委嘱作といった新作も、惜しげもなく演奏され、放送されます。

その引っ越し公演ですが、印象としては、まずは無難なところに着地を目指したという感じです。
本場でのレジデントオーケストラは、BBC交響楽団ですが、今回は、スコットランドのグラスゴーからBBC局傘下の、BBCスコテッシュ交響楽団が、現在の首席指揮者、トマス・ダウスゴーに率いられて来日。
ラグビー・ワールドカップに萌えるさなかの、ナイスなタイミングでもあります。

ちなみに、連邦制のイギリスには、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドという4つの自治国があって、オーケストラでいうと、それぞれにBBC局のからんだ団体があります。
イングランドには本拠本元のロンドンのBBC響とマンチェスターのBBCフィル。
ウェールズには、尾高さんでおなじみとなった、カーディフのBBCウェールズ響。
スコットランドには、グラスゴーのこのたびのBBCスコテッシュ響。
北アイルランドには、BBCの直接のオーケストラはない(はず)で、アルスター管。

こうしたBBC系と自治国オーケストラのほかにも、イギリスには、ロンドンのBBCを含む5大オケに、BBCコンサート響、ボーンマス響、ハレ管、バーミンガム市響、ロイヤル・リヴァプールフィル、ロイヤル・スコテッシュ響、そのほかもオペラの座付きオケもありますので、イギリスのオーケストラはほんとにたくさん!

前置きが長すぎますが、そんななから、今回のProms Japanの座付きで来日した、BBCスコテッシュ響を聴き逃すわけにはいかなかったのです。

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  メンデルスゾーン 序曲「フィンガルの洞窟」

  チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調

      P:ユリアンナ・アブデーエワ

  マーラー     交響曲第5番 嬰ハ短調

  エルガー     行進曲「威風堂々」第1番

   トーマス・ダウスゴー指揮 BBCスコテッシュ交響楽団

          (2019.10.30 @文化村オーチャードホール)

来演第1弾のプログラムは、ご覧のとおりの豪華盛沢山。
ご当地もの、旬の奏者による超有名曲、指揮者も得意とする人気曲、そしてお約束の定番。
午後7時にスタートし、終演は9時30分。

本ブログは2部に分けて書きます。

①まず、良かったこと、褒めたいこと。

・デンマークの指揮者、ダウスゴーはこれまで毎年promsや一部のCDで聴いてきたけれど、余剰な感情に走らない、ストレートな解釈が、かえって音楽の本質に迫ることで、マーラーやシベリウス、ブラームス、ツェムリンスキーなど、とても気に入ってました。
昨年のpromsでもこのコンビで演奏した5番が、この日の演奏会でも、わたしには、とても新鮮かつ気持ちのいい演奏となりました。
人によってはそっけなく聞けるかもしれない快速基調のマーラーだが、指揮姿を見ていると、かなり細かく、丹念に振り分けているし、奏者への目配りやキューも的確。
バーンスタインやマゼール、パーヴォなどと対局にあると思われるスッキリ系だけど、マーラーのスコアや、音楽自体が透けて見えるようなクリアーかつ客観的な演奏なのだ。
おまけに、速いか所ではたたみ込むようにしてメリハリをつけながらも、3楽章は、ホルン氏の艶やかな見事なソロが光り輝き、ワルツの楽しさと、ピアノ部分の静けさの描き方がとても素晴らしく、オーケストラの精度の高さも、ここで発揮されたように思う。
さらに、その良き流れでアダージェットは、連綿たる抒情ではなく、透明感の勝る抒情で聴かせる今宵イチの名演であったと思う。
5番のコンサートは、これまで何度聴いたかわからないが、アダージェットで目頭が熱くなり思わず落涙したのは初めてではないかと記憶します。
ほかの楽章も、いずれも自分には鮮度高い、素敵な聴きものであったことをここに記しておきます。
対抗配置もことさらに効果的だった。
そして、ホルン首席氏、大きなブラボーをひときわ浴びてました!

・マーラーのあとに、アンコールなんて、あんまりありえないことだけど。
ダウスゴー氏が進み出て、本場では、これ!、みなさんご一緒に、ってようなことをお話しして、「威風堂々」。
思わず、手拍子も起き、そして、あのメロディーでは、観客席を向いて指揮。
一部、歌っている方もいらっしゃったけど、大半はハミング、わたしは、GodとGloryとHopeぐらいしか記憶にないから、むにゃむにゃ言いながら歌いましたよ。
オーケストラも、ホールの聴き手も、ここではノリノリで、深刻なマーラーのあと、こんなに開放的になるなんていいのかな?なんて思いは言いっこなしでした。
コンマス(ミストレス)の態度は??でしたが、スコットランドの方がどれほどいらっしゃるかわからないが、メンバーの開放的な明るさも、とても印象的でした。

・アブデーエワ、髪をまとめあげて、黒のパンツスーツに赤いパンプス。
遠目にも美人、そしてその演奏も美人な演奏。
技巧の鮮やかさをひけらかすような、みてくれだけの演奏でなく、指揮者の早めのテンポにのりながらも、チャイコフスキーの抒情を弾きだす美しいピアノでした。
ここでも2楽章が、オーケストラとのやりとりも含めて、とても素敵なものでした。
彼女のアンコールを期待したけれど、あっさりコンミスが、真っ先に席を立ち、後味いまひとつ。

・冒頭の、メンデルスゾーンは、オケも聴き手も、まだ腕も耳も温まってないから、手さぐり的な状態。
それよりも、間接照明のステージライトアップがのっけから気になった・・・。

②良くなかったこと、指摘しておきたいこと。

・ステージライトアップは、本場のアルバートホールでも、よくやっていることだけど、曲によってはナシもあるはず。
メンデルスゾーンは海を思わせるマリンブルー、チャイコフスキーは赤、マーラーは薄いブルー、エルガーは忘れた。
こんな感じで、ステージの両サイドと、正面に掲げられたPromsのロゴマークがライトアップされたわけだが、わたしは好きじゃない。
ことに、マーラーはやめてほしかった。
音楽祭だけど、普通のコンサートステージでよかったんじゃないかな。
それよりも、オーチャードホールという選択肢が・・・・、大阪がうらやましい

・曲目からして、長い演奏会になることから、最後の時間が運用側やオーケストラのサイドからも厳しく決められていたのであろう。
オーケストラは休憩時間内に席についていたし、先にも書いたが、コンサートミストレスが、拍手を打ち切るようにして、挨拶もそこそこにステージを去ってしまうから、強制終了となるイメージ。
エルガーの終演後、余韻にひたりたかった団員は、われわれに深々と挨拶したり、お互いに成功を祝ってハグしたりしてたのに・・・・
たくさん聴けたのはうれしいことだけど、もっと余裕のあるプログラムの設定や、会場サイドの特別例外処置なども検討すべきでは?

・会場運営側といえば、極度の写真撮影の禁止。
ロビーにある、ホール内を映すモニターすら、撮影禁止の札。
終演後、団員も引き上げたステージを映そうとした方に気が付いた係員が、飛んでいって、止めてくださいと制止している光景もみた。
ロビーにあった大きな看板はOK。
promsのロゴやデザインの使用に関する運用上の約定があるのかしらんが、ここまで厳密にやる必要はあるのか?
それともオーチャードホールっていつもそうなのか?
ほかのコンサートでも、毎度思うけど、演奏者を映すことはダメだけど、ホールや奏者のいないステージの様子などは、聴いた方の思い出や、それをSNS等で紹介したり、また宣伝効果にもつながるので、過度でなければ多少のことはいいのではないかと思いますが。
なにごとにも厳密すぎる日本人ではあります・・・
自分はパンフで隠して映しちゃったけどさ・・・

・プログラムを買うのに行列しなくてはならない苦痛と、その内容のイマイチっぷり、グッズも高いしイマイチ。
ちなみに、威風堂々は最終日にプログラムに載っているが、イギリスで歌われる歌詞は、そのプログラムに記載あり。
しかし、アンコールでこれをやるのなら、歌詞をあらかじめ配るか、字幕を出すなどすればいい。
 そして、そのプログラム誌、メイン演奏者は、今回の音楽祭を通じ、オーケストラと指揮者であるはずなのに、その彼らの紹介が数行で、わずかちょっとしか出ない日本人演奏家たちと同じような扱いと配列になっている。
さらに、オーケストラのメンバーの一覧すらなく、CDや音源の宣伝もなし。
大きなページを占めているのは、特別協賛の会社の宣伝、しかもGOALSときた、すきじゃない。

・主催者の実行委員会のメンバーを明かしておこうじゃないか。
ぴあ、テレビ朝日、博報堂DIY、読売新聞、BS朝日がメンバーで、協賛がKDDI、特別協賛が大和証券・・・・
クラシック系の音楽事務所の名前はなし。

妙な商業主義を表に出すのでなく、アーティストと聴き手第一のプロモーションを心がけて欲しいものだ。
日本の聴き手は、もっとレヴェルが高いよ。

文句ばっかりになったけれど、ともあれ、「Proms」の名を冠したコンサートの企画自体はありがたく、これが今後も発展形で継続してくれるといいと思うのでありました。

Shibuya

ハロウィン前夜、渋谷の街に降りて行ったら駅前はこんな感じ。
正面のセンター街へ繰り出す人、そこからこちらへ向かってくる人。
音楽祭を楽しんだけど、こんな祭りはいやだな・・・でも楽しそうじゃないか、若者は。
学生時代を過ごした街、渋谷はいずこへ・・・

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2018年12月24日 (月)

チャイコフスキー バレエ音楽「くるみ割り人形」    プレヴィン指揮

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六本木ヒルズのけやき坂のイルミネーション。

この冬はシルバーブルーの1色で、これが強弱をつけてゆっくりと点滅。

ヴィトンのお店の鮮やかさと、その間に東京タワー。

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      チャイコフスキー バレエ音楽「くるみ割り人形」

      アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団

             (1972.5 @キングスウェイホール)


クリスマスの音楽のひとつといえばこれ。
そして、みんな大好きチャイコフスキーの「くるみ割り人形」。

おそらく、多くの方が、小学校の音楽の授業で聴いたことでしょう。
わたくしも、小学5年か6年に組曲版で聴きました。
もちろん、その時はバレエ音楽から抜き出した組曲とかいう認識や知識はありません。
 大いに気に入った小学生のワタクシは、町のレコード屋さんに飛んで行って、毎度お世話になったコロンビアのダイアモンド1000シリーズのなかの1枚、「白鳥の湖&くるみ割り人形」を買い求めたのでした。
ハンス・ユイゲン・ワルター指揮のプロ・ムジカ交響楽団の演奏。
いまや聴けなくなってしまい、どんな演奏だったか覚えてもませんが、この隠れた名指揮者の演奏は、ほかの盤もいくつか聴きましたが、平凡だけど外れがなく、優しいものであったとの思いがあります。
 その後、カラヤンとウィーンフィルのレコードを手に入れて、J・ワルターの廉価盤は、まったく聴かなくなってしまったけれど、同時に、全曲版が視野に入るようになり、その一番手がプレヴィンとロンドン響によるものでした。

これまで、いくつもの「くるみ割り人形」を聴いてきましたが、ジャケットも含めて、これが一番というのが自分の結論です。
 最近出たデゥダメル&LAPOは、ジャケット含めよさそうですが、でも何となくその演奏はだいたい予想がつき、自分には合いそうもなさそう。
これから録音されそうなものとしては、ネルソンスとボストン響、セガンとフィラデルフィアあたりに期待です。
しかしまぁ、今後の人生もそんなに長くないから、自分の「くるみ割り」は、プレヴィンの旧盤ということでとどめ置きましょう。

プレヴィンは、このあと86年にも、ロイヤルフィルと再録音をしてます。
その演奏も聴いてますが、ステレオからデジタルになったように、演奏もデジタル化したみたいな気がして、14年前のロンドン響のほうが、懐かしく、暖かいもののように感じました。

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53歳で没してしまったチャイコフスキーの晩年の傑作群のひとつ。
有名どころでは、「眠れる森」とともに、5番や「スペードの女王」と、「イオランタ」「悲愴」に挟まれた時期である1891年の作曲。

舞台音楽としてバレエ上演した場合、初演当時は、ファンタジー感が再現されにくかったり、さらには、主役の持っていきかたが難しかったりで、なかなか苦心したらしいが、舞台美術や装置、テクノロジーの発達した現代では、誠に美しい舞台が再現でき、大人から子供まで、みんなが楽しめるバレエ上演が世界中でなされている。

そして一方、コンサートでも全曲版が、一夜のプログラムとして乗ることが近年多くなりました。
また、コンサート後半の演目に、第2幕だけを演奏するのもあり。
いずれも、シンフォニックな演奏でも、十分に楽しめ、聴きごたえがあるからです。

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私の好きなシーンをいくつか。

       第1幕

①おなじみの序曲とそれに続くワクワク感満載の「クリスマスツリー」の情景。

②祖父ドロッセルマイヤの踊り。こんな楽しいお爺ちゃんになりたい。

③お客さんが帰り、夜。そしていよいよの高揚感。

④冬の松林~チャイコフスキーならではの情景描写

⑤雪片の踊り~こ洒落たワルツ、女声(児童)合唱を入れたところ、天才的

       第2幕

⑥お菓子の国と魔法の城~城を見渡せる高台にいるかのような気分でわくわく

⑦クララと王子~さあさあ、主人公たちの登場ですよって感じ

⑧ディヴェルティスマン~各国のダンスが勢ぞろい、いずれの筆致も神がかり

⑨花のワルツこそ、チャイコフスキーの代名詞か。
  ステキすぎるだろ、このワルツ。

⑩パ・ド・ドゥ~ロマンティックなアダージョで夢見る少女な気分になれるよ、
         こんなオジサンでも。
         そしてタランテラときて、金平糖さんは可愛いチェレスタ
         でもって、急転直下のコーダ
         この展開好き♡

⑪終幕のワルツにアポテオーズ~ドラマチックになりすぎない可愛い終幕
         夢から覚めた夢を見た感じ

こんな感じで、オヤジでも、何度でも夢をみることができます、そんな愛らしいバレエ音楽が「くるみ割り人形」。
この作品の2年後に、53歳で亡くなってしまうチャイコフスキー。
もう少し、長命だったらば・・・・
交響曲を9曲まで、オペラをあと3つ、バレエをあといくつか・・・・

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プレヴィンとロンドン響の名コンビは、この作品一のビューティフルな演奏だと思う。
心憎いほどのメロディの歌いまわしのよさで、テンポも順当なので、穏やかな安心感に包まれます。
冬の一夜、部屋を暖かくして、そしてちょっと暗くして、ツリーでも眺めながら聴くと、ほっこりすること間違いない演奏です。

このところ、プレヴィンの名前を聴かなくなった。
去年の秋の海外ニュースで、オレゴン響への客演が体調不良でキャンセルとの報を見たのと、同時期の作曲活動にこと、離婚したオッターとの良好な友達関係などを語ったインタビューのニュースを見て、その後1年。
89歳という年齢もあって、事実上の引退状態にあって、ちょっと心配。
いろんな思いでを残してくれた音楽家だけに、お元気で安泰であってほしいです。

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よきクリスマスを🎄

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2017年3月29日 (水)

チャイコフスキー 交響曲第1番「冬の日の幻想」 ユロフスキ指揮

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ようやくほころんだ今年の桜。

いま2~3分咲きぐらい。

でも、まだ冬の名残は、朝に晩に強いです。

だから、終わってしまう冬に、まだ聴いていなかったこの曲、まだいけます。

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  チャイコフスキー 交響曲第1番 「冬の日の幻想」

     ウラディミール・ユロフスキ指揮ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

                         (2008.10@RFHホール、ロンドン)

しかし、3月ももうじき終わるのに、風が冷たい。

例年なら、桜はもう咲いて、コートも薄手のスプリング系に、コートなしもちらほらなハズなのに、真冬の恰好じゃないと寒い。

繰り返しますが、この曲を冬気分で聴けてよかった。

「冬の日の幻想」は、チャイコフスキーの交響曲、いや、作品のなかでも、5番と並ぶくらいに好き。

  第1楽章 「冬の日の幻想」~アレグロ・トランクィロ・・・

  第2楽章 「陰鬱な地方、霧深い大地」

  第3楽章 「スケルツォ」

  第4楽章 「フィナーレ」

ロシア風のむせ返るような憂愁のかわりに、さらさら感のあるパウダー・スノーのような軽やかな抒情があるし、素晴らしい旋律が全編みなぎっていて、メランコリックな感情にも浸ることができる。
冒頭の木管で奏される旋律からして素敵だし、その後の展開も夢のよう。
2楽章のオーボエの歌とそれに続く夢想するような展開は、暖炉にあって、窓辺の雪景色を見るかのような想いになる。
3楽章のスケルツォでは、中間部の憧れに満ちた場面が愛らしくも、いじらしい。
そして全曲ファンファーレのような元気のいい終楽章は、くどいくらいのエンディングが用意されていて、微笑ましい。

抒情と夢想、哀愁と、ほどよい劇性、ともかく好き。

これまでたくさん聴いてきたけれど、西欧式の演奏ばかりである。

ロシア(ソ連)系のオケ&指揮者のものは、どうも分厚い響きと重厚感、それと威圧するような金管やヴィブラートが苦手なものだから・・・・。

そして、今日は、最近のお気に入りの演奏で。

今後活躍する次代を担う指揮者たちのひとり、ウラディミール・ユロフスキで。

Vladimirjurowski

モスクワ生まれのサラブレット指揮者、ユロフスキは、父親も高名な指揮者、祖父は作曲家。
18歳にして、ドイツに移住して、ベルリンとドイツに学び、本格デビューは、R=コルサコフの「五月の夜」で、オペラ指揮者としてであった。
以降、ヨーロッパを中心に、オペラハウス、オーケストラの一流どころと共演をかさね、以下のポストを歴任中。

 2001年~ グラインドボーン音楽祭(ロンドン・フィル)音楽監督

 2005年~ ロシア国立交響楽団 首席客演
             〃        芸術監督(2011~)

 2005年~ エイジオブエンライトメント 特別指揮者

 2007年~ ロンドン・フィルハーモニック 首席指揮者

 2017年~ ベルリン放送交響楽団 首席指揮者

もうじき、45歳にして、このポスト。

いかにその才能と、辣腕ぶりが高く評価されているか、わかります。
ことに、ヤノフスキが、東側のオケを高度なオケへと変貌させたベルリン放送響との関係は、注目に値します。
そして故国の名門オケも率いつつ、オペラのポストや、古楽奏法のオケとの関係、それから、しのぎを削るロンドンのオーケストラも、巧みに率いている。

画像は、かなり濃い雰囲気ですが、映像などで、その指揮ぶりを拝見すると、大きな動きはなく、抑制された棒さばきで、細やかな目線や表情で、オーケストラを導いてゆくタイプと伺えた。

その音楽も、そんな指揮姿に符合して、スタイリッシュでありつつ、なめらかかつ、初々しい。
どこにも、曖昧なところはなく、音楽の運びは自信にあふれ、でも、爽快なところが、この人の特徴でありましょうか。
2楽章の連綿たる抒情も、クールでありながら、暖かな雰囲気を感じさせ、3楽章の中間分の麗しさとスケルツォ部分の切れ味との対比も見事なところ。
 で、まわりくどい終楽章は、アゴーギグを充分に効かせつつ、熱狂と、驚きの最終結末を迎えるのでありました。

という訳で、ロシア人でありながら、イギリスのオケのくすんだ響きとマイルドさを、チャイコフスキーに素晴らしく、融合させたユロフスキの見事な才能でした。
やはり、この人は、オペラ指揮者としての才覚が高い。
しっかりとした全体の見通しを構築しつつ、知らぬ間に、聴く人を乗せてしまい感興に引き込む手練れでありました!!

今年秋、ユロフスキ&ロンドンフィルが来日しますが、メインは、チャイコフスキーの5番と6番。
そして、それぞれに、辻井伸行さんがソリストで、同じチャイコフスキー。
うーーーーん、なんだかなぁ~
東京公演は完売。
そして、このコンビにしてはチケット高め・・・・

いつも思う、外来公演の弊害。

客を呼べる、人気ソリストをセットにする→有名曲のオンパレード→外来側は、こんなもんか的に10日ぐらいの滞在スケジュールをこなす→高いチケットをありがたがって購入して悦に入る聴衆。

ユロフスキとロンドンフィルという、10年を迎える、世界楽壇でも高度に優れたコンビなのだから、彼らの本質を聴かせてくれるような、本格的なプログラミングを持ってきてほしかった。
2番じゃないラフマニノフとか、今回の冬の日とかマンフレッド、スクリャービン、プロコフィエフやショスタコ、さらに、マーラーにシュトラウス、ツェムリンスキー、タネーエフなどなど・・・

難しいものですな・・・・・・。

「冬の日の幻想」過去記事

「マリナー指揮 アカデミー・セント・マーティン 

「メータ指揮  ロサンゼルス・フィル」

「ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ」

「M・ティルソン・トーマス指揮 ボストン響」

「秋山和慶 指揮 札幌響」


「ユロフスキの惑星」


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2017年2月26日 (日)

チャイコフスキー 交響曲第5番 ネルソンス指揮

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2月26日、東京マラソン。

どうしてもこの先に行かざるを得なかったので、観戦。

いやはや、スゴイですよ!

ぎっしりの人の波が、ずっとずっと続いてる。

ピカチュウも、力士も、セーラーも、コスプレたくさん。

沿道も応援する人たくさん、企業などは、自社の前で、よさこいや、チアリーディング、笛や太鼓の鳴り物で、にぎやかなこと!

平和でなにより、お祭りであります。

来年は、ちょっと鍛えて出ちゃおうかしら。

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下を歩いていたら、偶然に、林家たい平師匠を真近に見ましたよ。

こんなビックイベントだから、交通規制も大変で、警察も物騒なことのなきよう、かなり厳重な様子でした。

で、東京マラソンとは、関係ないけど、久しぶりに、アレ行っちゃいます♪

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   チャイコフスキー  交響曲第5番 ホ短調

      アンドリス・ネルソンス指揮 バーミンガム市交響楽団

                       (2008.10.16 バーミンガム)


いま、あげあげ、人気実力急上昇中の指揮者ネルソンスの初期の頃の録音。

1978年生まれだから、30歳。

多くの名音楽家を排出しているラトヴィアの出身。

この録音の年に、バーミンガム市響の音楽監督になり、その後はもう破竹の勢いの大活躍をみせるわけで、録音もたくさんあるし、38歳にして、この人は、これからどうなってしまうんだろうと思ってる今日この頃なんです。

バーミンガムとのものは、この演奏しか聴いたことがないけれど、私は、バイロイトでの「ローエングリン」と、ルツェルンでのアバドの追悼演奏会で、この指揮者のことがとても気に入ってしまった。

そして音楽監督となったボストン響との演奏を、いま、ネット上でいくつも聴いていて、そのことはまた後日に記事にしますが、それらの演奏がまたピカイチなんです。

 ネルソンスの指揮は、奇をてらうところが一切なく、オーソドックスなものなんだけれど、醸し出される音楽の鮮度がとても高くて、どこもかしこもイキイキと躍動し、そして磨き上げられた音色の美しさも保っている。
このバーミンガムとのチャイコフスキーも堂々たる演奏で、現在のボストンとの共演からすると、ちょっと荒削りなとこがあって、そこが、若き日のヤンソンスみたいなところを思わせる。

 そうそう、指揮する姿も、譜面の置き方も、師ヤンソンスそっくり。

スマート・スタイリッシュな第1楽章、むせぶようなホルンが印象的な第2楽章、流れるように美しい第3楽章、思わずゴツゴツした感じの終楽章、しかも、かなりリズミカルで、乗せられてしまう。

 バーミンガムのオケも、かなり巧いし、金管も実によく鳴っている。
ラトル、オラモ、そして、ネルソンス、そのあとが女性指揮者のミルガ・グラジニーテ=ティーラ。
彼女は、ネルソンスと同じく、30歳にして、バーミンガムの指揮者に。
しかも、同じバルト三国のひとつ、リトアニアの出身。
昨年のプロムスで、チャイコフスキーの4番を指揮するのをネット視聴したけれど、堂々たるもので、爆発力もたっぷりだった!

 大巨匠の時代はもう去り、いや、その現存する大巨匠たちも、若い人たちの音楽を意識したかのような、若々しい音楽造りをするようになった気がする。

さて、ネルソンスは、今年、ゲヴァントハウスの指揮者に就任し、ボストンと掛け持ちとなる。
DGは、ボストン響とショスタコーヴィチを、ゲヴァントハウスとブルックナーを、ウィーンフィルとベートーヴェンを、それぞれ録音する予定と聞く。

ますますもって楽しみな指揮者であります。

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2016年11月 5日 (土)

チャイコフスキー 交響曲第5番 K・ペトレンコ指揮

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芝浦埠頭からみた、秋の日の東京湾、夕方のレインボーブリッジ。

そして、あっという間の11月。

また歳を重ねる月だし、思えば、ていたらくのこのブログも、開設11年となる月。

さてさて、秋晴れの高い空をみながら、ほんとうに久しぶりにあの曲をば・・・・。

Petrenko

  チャイコフスキー 交響曲第5番

   キリル・ペトレンコ指揮 バイエルン国立歌劇場管弦楽団

                    (2016.9.20 @ミュンヘン)


ネットでライブ配信されたものを聴き、録音しました。

日本では、まだ謎の多い、次期ベルリンフィル芸術監督、キリル・ペトレンコ。

バイエルン国立歌劇場の音楽監督であり、バイロイトでもリングを指揮していたので、欧州から遠い日本では、オペラの指揮者という感じを持っているが、ドイツ国内では、かなりのコンサートも指揮してますね。

youtubeでは、かなりの放送音源が見つかりますよ。
シェエラザードや、ショスタコ7番、ツェムリンスキー抒情交響曲など、実に興味深い演奏がありまして、そのレパートリーの鮮やかさもさることながら、真摯でかつ新鮮味にあふれた演奏は、その豊かな才能の片鱗を知ることができます。

わたくしは、あと、3年間のバイロイトのリングを全部PC録音して、ときおり聴いていたけれど、いままで聴こえなかったフレーズやライトモティーフのうまい響かせ方など、もしかしたら、昨年のベテラン、ヤノフスキよりも面白く聴けたものです。

そして、ほやほやのライブでは、手兵のバイエルンとのチャイ5。
この日の演目は、リゲティのロンターノ、ダムラウ独唱の「4つの最後の歌」、そしてチャイコフスキー。

 このチャイコフスキー、実にすばらしい演奏なのだ。

乗りやすい、ほどよい疾走感を伴った、くどさのない歌いくちのうまさ。
強弱の巧みさ、わずかに揺らすテンポ。

2楽章では、スムースに流れるなか、美しく光る抒情の輝きが。
それと、すべての音が、万遍なく聴こえるすっきり感も。

終楽章は、そこに皆が求める、カッコよさも。
終結部コーダの前、思いのほか長い休止。
そして、思い切り謳歌する大主題は、聴くこちらも思い切り気持ちがいい。
エンディング、じゃじゃじゃじゃぁん!があまりにステキだ。

聴衆のブラボーも半端ない。

あと、オーケストラの明るい音色と、機能性の豊かさ。

ミュンヘンのオーケストラは、みんな巧い。
ヤンソンスの放送響、オペラのペトレンコ、フィルハーモニーのゲルギエフと豪華な顔触れだ。
かつての昔も、クーベリック、サヴァリッシュ、ケンペの3人がミュンヘンにいた黄金時代があったし。

ということで、キリルの方のペトレンコ、あらたな正規音源が待ち遠しいですね。

来年9月には、国立歌劇場と来演して、「タンホイザー」を指揮しますよ。
しかも、タイトルロールは、フォークト。

ということで、お久しぶりのチャイ5でした。

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2016年3月30日 (水)

大好きなオペラ総集編

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桜は足踏みしたけれど、また暖かさが戻って、一気に咲きそう。

まだ寒い時に、芝公園にて撮った1枚。

すてきでしょ。

大好きなオペラ。

3月も終わりなので、一気にまとめにはいります。

Tristan

  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

ワーグナーの魔力をたっぷりと含んだ、そう魅惑の媚薬のような音楽。
この作品に、古来多くの作曲家や芸術家たちが魅かれてきたし、いまもそれは同じ。
我が日本でも、トリスタンは多くの人に愛され、近時は、歌手の進化と、オーケストラの技量のアップもあって、全曲が舞台や、コンサート形式にと、多く取り上げられるようになった。

わたくしも、これまで、9度の舞台(演奏会形式も含む)体験があります。

そして、何度も書いたかもしれませんが、初めて買ったオペラのレコードがこのトリスタンなのであります。
レコード店の奥に鎮座していた、ずしりと重いベームの5枚組を手に取って、レジに向かった中学生を、驚きの眼差しでもって迎えた店員さんの顔はいまでも覚えてますよ。

ですから、指揮も歌手も、バイロイトの響きを捉えた、そう右から第1ヴァイオリンが響いてくる素晴らしい録音も、このベーム盤がいまでも、わたくしのナンバーワンなんです。

次に聴いた、カラヤンのうねりと美感が巧みに両立したトリスタンにも魅惑された。
あとは、スッキリしすぎか、カルロスならバイロイトかスカラ座のライブの方が熱いと思わせたクライバー盤。ここでは、コロの素晴らしいトリスタンが残されたことが大きい。
 それと、いまでは、ちょっと胃にもたれるバーンスタイン盤だけど、集中力がすごいのと、ホフマンがいい。
フルトヴェングラーは、世評通りの名盤とは思うが、いまではちょっと辛いところ。

あと、病後来日し、空前絶後の壮絶な演奏を聴かせてくれたアバド。
あの舞台は、生涯忘れることなない。
1幕は前奏曲のみ、ほかの2幕はバラバラながら聴くことができる。
透明感あふれ、明晰な響きに心が解放されるような「アバドのトリスタン」。
いつかは、完全盤が登場して欲しい。

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  ワーグナー 「ニーベルングの指環」

わたくしの大好きなオペラ、ナンバーワンかもしれない・・・

興にまかせて、こんな画像を作っちゃいました。

オペラ界の大河ドラマとも呼ぶべきこの4部作は、その壮大さもさることながら、時代に応じて、いろんな視点でみることで、さまざまな演出解釈を施すことができるから、常に新しく、革新的でもある。
 そして、長大な音楽は、極めて緻密に書かれているため、演奏解釈の方も、まだまださまざまな可能性を秘めていて、かつては欧米でしか上演・録音されなかったリングが、アジアや南半球からも登場するようになり、世界の潮流ともなった。

まだまだ進化し続けるであろう、そんなリングの演奏史。

でも、わたくしは、古めです。
バイロイトの放送は、シュタインの指揮から入った。

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そして、初めて買ってもらったリングは、73年に忽然と出現したベームのバイロイトライブ。
明けても覚めても、日々、このレコードばかり聴いたし、分厚い解説書と対訳に首っ引きだった。
ライブで燃えるベームの熱い指揮と、当時最高の歌手たち。
ニルソンとヴィントガッセンを筆頭に、その歌声たちは、わたくしの脳裏にしっかりと刻み付けられている。
なんといっても、ベームのリングが一番。

そして、ベーム盤と同時に、4部作がセットで発売されたカラヤン盤も大いに気になった。
でも、こちらと、定盤ショルティは、ちょっと遅れて、CD時代になって即買い求めた。
歌手にでこぼこがあるカラヤンより、総合点ではショルティの方が優れているが、それにしても、カラヤンとベルリンフィルの作り上げた精緻で美しい、でも雄弁な演奏は魅力的。

あと、忘れがたいのが、ブーレーズ盤。
シェローの演出があって成り立ったクリアーで、すみずみに光があたり、曖昧さのないラテン的な演奏だった。歌手も、いまや懐かしいな。
 歌手といえば、ルネ・コロのジークフリートが素晴らしい、そしてドレスデンの木質の渋い響きが味わえたヤノフスキ。

舞台で初めて味わったのが日本初演だったベルリン・ドイツ・オペラ公演。
G・フリードリヒのトンネルリングは、実に面白かったし、なんといっても、コロとリゲンツァが聴けたことが、これまた忘れえぬ思い出だ。

舞台ではあと、若杉さんのチクルスと、新国の2度のK・ウォーナー演出。
あと、朝比奈さんのコンサート全部。
みんな、懐かしいな。。。

以下、各国別にまとめてドン。

ドイツ

 モーツァルト   「フィガロ」「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」「魔笛」

 
 ワーグナー   「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」 「ローエングリン」
           「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
            「ニーベルングの指環」「パルシファル」

 ダルベール   「低地」

 R・シュトラウス 「ばらの騎士」「ナクソスのアリアドネ」「影のない女」「アラベラ」
            「ダフネ」「ダナエの愛」「カプリッチョ」

 ツェムリンスキー 「フィレンツェの悲劇」 (昔々あるとき、夢見るゾルゲ2作は練習中)

 ベルク      「ヴォツェック」「ルル」

 シュレーカー   「はるかな響き」 「烙印された人々」「宝探し」

 コルンゴルト  「死の都」「ヘリアーネの奇蹟」「カトリーン」

 ブラウンフェルス 「鳥たち」

 レハール    「メリー・ウィドウ」「微笑みの国」

イタリア

 ロッシーニ   「セビリアの理髪師」「チェネレントラ」

 ヴェルディ   「マクベス」「リゴレット」「シモン・ボッカネグラ」「仮面舞踏会」
           「ドン・カルロ」「オテロ」「ファルスタッフ」

 カタラーニ   「ワリー」

 マスカーニ   「イリス」

 レオンカヴァッロ  「パリアッチ」「ラ・ボエーム」

 プッチーニ   「マノン・レスコー」「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」「三部作」
           「ラ・ロンディーヌ」「トゥーランドット」

 チレーア    「アドリアーナ・ルクヴルール」

 ジョルダーノ  「アンドレア・シェニエ」「フェドーラ」

 モンテメッツィ 「三王の愛」

 ザンドナーイ  「フランチェスカ・ダ・リミニ」

 アルファーノ  「シラノ・ド・ベルジュラック」「復活」

 レスピーギ   「セミラーナ」「ベルファゴール」「炎」

フランス

 オッフェンバック 「ホフマン物語」

 ビゼー      「カルメン」

 グノー      「ファウスト」

 マスネ      「ウェルテル」

 ドビュッシー   「ペレアスとメリザンド」

イギリス
 

 パーセル   「ダイドーとエネアス」

 スマイス    「難破船掠奪者」

 ディーリアス  「コアンガ」「村のロメオとジュリエット」「フェニモアとゲルダ」

 R・V・ウィリアムズ  「毒の口づけ」「恋するサージョン」「天路歴程」

 バントック   「オマール・ハイヤーム」

 ブリテン    「ピーター・グライムズ」「アルバート・ヘリング」「ビリー・バッド」
          「グロリアーナ」「ねじの回転」「真夏の夜の夢」「カーリュー・リバー」
          「ヴェニスに死す」

ロシア・東欧

 ムソルグスキー 「ボリス・ゴドゥノフ」

 チャイコフスキー 「エフゲニ・オネーギン」「スペードの女王」「イオランタ」

 ラフマニノフ    「アレコ」

 ショスタコーヴィチ 「ムチェンスクのマクベス夫人」「鼻」

 ドヴォルザーク   「ルサルカ」

 ヤナーチェク    「カーチャ・カヴァノヴァ」「イエヌーファ」「死者の家より」
             「利口な女狐の物語」「マクロプロス家のこと」

 バルトーク     「青髭公の城」

以上、ハッキリ言って、偏ってます。

イタリア・ベルカント系はありませんし、バロックも、フランス・ロシアも手薄。

新しい、未知のオペラ、しいては、未知の作曲家にチャレンジし、じっくりと開拓してきた部分もある、わたくしのオペラ道。
そんななかで、お気に入りの作品を見つけたときの喜びといったらありません。

それをブログに残すことによって、より自分の理解も深まるという相乗効果もありました。

そして、CD棚には、まだまだ完全に把握できていない未知オペラがたくさん。

これまで、さんざん聴いてきた、ことに、長大なワーグナー作品たちを、今後もどれだけ聴き続けることができるかと思うと同時に、まだ未開の分野もあるということへの、不安と焦り。
もう若くないから、残された時間も悠久ではない。
さらに、忙しくも不安な日々の連続で、ゆったりのんびりとオペラを楽しむ余裕もなくなっている。
それがまた、焦燥感を呼ぶわけだ。

でも、こうして、総決算のようなことをして、少しはスッキリしましたよ。

リングをいろんな演奏でツマミ聴きしながら。。。。
 

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