チャイコフスキー 交響曲第5番 マリナー指揮

皇居に架かる和田倉門橋から。
遠くに見えるタワーのようなものは、東京電力。
いつのまにやら、お国の直轄となってしまった東電。
値上げもすんなり通ってしまう環境に、われわれ需要家=お客様はなすすべない。
公共料金徴収業者のように扱われたこの民間企業は、思えばノンキなもので、選択の自由のないものを買わされ、不買抗議もできず、あげくのはては放射能を巻き散らかされてしまい、実質国有化の傘のもとに入り込んでしまう。
大事なインフラを担う業態ではあるけれど、民間であるならば、厳しい競争のもとにさらされて、安穏とできない状況に追い込まれるべきだった。
規制緩和の後押しが生む、際限無い競争は、あのバス事故を思い起こすものではありますが、それ以前の、緩い体質の改善こそ、東電、しいては日本の大手企業に喚起したいものなのに、待ったなしの状況に追い込まれ、うやむやのまま。
中小や個人は、努力以前の問題で、まったく立ちうちできない競争社会は、ますますエスカレートしていると思う。
お堀の石垣を捉えてみました。
今日の、ほんの数分で天候ががらりと変わってしまう空模様を、しっかりとらえた天気予報は立派です。
天気予報の精度は、日に日に上がってゆくように思いますね。
あとは伝え方だけと思われます。
いまの世の中も、お天気と同じように、こうすればこうなると、しっかりと捉えられているのではないかと思うんです。
でもそうならないのは、人間がそこに介在するから。
電力の問題もそう、続々と発見される活断層の問題なんかもそう。
何が本当で、真実かわかりません。
チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調
サー・ネヴィル・マリナー指揮
アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ
ある時、突然に無性に聴きたくなる音楽。
前にも書いたかもしれない、それは、ケンタッキー・フライドチキンやマック、おせち料理に飽いた時のカレーやラーメンのように、わたしたちの体に入り込み染みついたもの(?)
そうでない方もいらっしゃるでしょう、ご笑覧まで。
どんな風に演奏しても、面白いし、第一カッコいい音楽は、演奏の当り外れが少ない。
そして、本当に気の入った演奏を聴いちゃと、どうしようもなく感動しちゃう。
小学生時代に聴いて、今日まで、ずっとこんなにフェイバリットな音楽って、ほかにないのではないかと思います。
それは、わたしにはベートーヴェン以上、ワーグナー&ディーリアス・フィンジ以下、いまならマーラー並みだったりします。
訳わからん喩えなれど、ともかく「大好きチャイコの5番」、なんです。
そして、そんなわたしの嗜好は、ロシアの本場ものをあえて遠ざけて聴く風潮があります。
ムラヴィンスキーはCDも実演も経験してますが、それをあんまりありがたがることもなく、スヴェトラさんや、ロジェヴェンも辛い。ゲルギーはもってのほか。
コバケンも聴いたことなし。
でも現田&若杉&尾高は、日本人指揮者の中で最高のチャイ5指揮者。
そして、わたくしは、ヨーロッパ系のチャイコフスキーが好きなのです。
こんな嗜好もまた馬鹿にされちゃいますね。
チャイ5のフェイバリット演奏は、アバド(LSO)、ハイティンク、カラヤン(BPO)、ヤンソンス、メータ、プレヴィンなどです。
その系譜に連なる、マリナー盤などは、きっと誰も聴かない、評価もしない音盤なのではないかと思います。
そんな、マリナーが好きなんです。
万能指揮者マリナーが、真摯に取り組んだチャイコフスキー全集は、大規模編成ではないアカデミー管弦楽団の濃淡薄目のスッキリサウンドに拍車をかけるような、すいすいすらすらぶり。
この第5も、歌いどころや、タメどころを軽くスルーしてみたりで、ロシアの濃厚な風土とは遠い、イギリスのジェントルで緩やかな自然を思わせる穏やかぶり。
でも、決めどころはしっかり歌い、ガンガン鳴らせてます。
そして、3楽章がやたらと小粋で、お洒落なんです。
そんな、マリナー&アカデミーのチャイ5も、わたしのフェイバリットの準推薦盤に位置する桂演なのでありました。
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