
7月24日から8月26日まで、今年も話題を振りまいたバイロイト音楽祭。
バイロイト劇場創設から150年の今年は、第9(ティーレマン指揮)で始まり、フリーマン教授の講演「沈黙の声」でビシュコフのジークフリート牧歌ほか、「リエンツィ」(シュトッツマン)、「ニーベルングの指環」(ティーレマン)、「さまよえるオランダ人」(リニフ)、「パルジファル」(カサド)、キャサリン・フォスターの歌うワーグナー作品(辺境伯劇場)、新作のパロディ風オペラ「ブリュンヒルデは燃える」など多彩なプログラム。
頼りにしているバイエルン放送のライブは、第9、リエンツィ、リングのみで、オランダ人とパルジファルは放送されなかったのが残念。
数年前まで、すべての演目を放送してくれていたのに、年末のNHKFMもちょっと寂しいことになります。
ということで、放送音源はすべて聴いたのでリングを中心に例年どおり、身勝手極まりない総括なんかをしてしまいます。
「現地に行ったわけじゃない、行ったこともない、きっとこの先も行くことはないだろうバイロイト」ですがね。
「第9」と「リエンツィ」については、前回に書きましたが、今回は「リング」となるわけですが、特殊すぎた今年のリングは音でしか確認できず、その舞台の様子はさっぱりわかりません。

今年のリングのパンフレットは音楽祭のサイトからダウンロードできます。
下方にナゾの一文「RING 10010110 - VON MYTHOS ZUM CODE」
1と0の羅列はデジタルでの2進法で「150」のことだそうで、次のドイツ語は、「神話からコード」。
コードは、AIへの指示や命令とでもいうべきもの。
これだけでもう嫌な感じですがね、今年の記念すべきリングは、「演出」が特定の演出家にゆだねられることはなく、「リング」の4部作の音楽に対し視覚的な映像や画像を投影させるという手法だった。
その映像的なスクリーンの前と後ろで、歌手たちは演出による動作はなく、無味乾燥な衣装をまとって歌うだけ。
演出家的な存在は、キュレーター的な管理者としてマルクス・ロブスという舞台芸術研究家が担当。
舞台装置はなく、キュレーターが素材や指示を与えたAIが作り出す映像や画像が音楽の流れに沿って千変万化しつつイメージを作り上げる、という仕組み。
紗幕だけが装置といえる。
新作の「リエンツィ」が相当に手の込んだ演出や装置だったので、まさにコストカットが巧みになされたともいえるだろう。
海外評でも詳しくは報じられておらず、どんな映像が流れたかは想像するしかないが、ともかくすぐに、つぎつぎと切り替わる映像や光で歌手たちの声やオケの音にゆったりと浸れる状況ではなかったとか。
その映像は、音楽祭のサイトで一部画像公開されているが、過去のリングの上演舞台の画像や、ワーグナー家の人々などで、ヴィーラントの新バイロイト様式の2度の演出のもの、シェローの革命的な演出、クプファーの社会性に富んだ演出、カストロフの取り止めのない演出、これらを確認できた。
以下、音楽祭HPからの引用
「150年もの間、バイロイトでは「ニーベルングの指環」が絶えず再解釈され、再検討され、再演されてきた。
しかし、舞台そのものが思考を始めたらどうなるのだろうか?
バイロイト音楽祭150周年を記念して、観客は先見の明に満ちた実験的な試みを期待できるだろう。
それは、リヒャルト・ワーグナーの楽劇を上演するだけでなく、絶えず変化し、拡大し、再構成される視覚的なレイヤーを通して、その受容史をその中心に据える「プロダクション」である。音楽祭史上初めて、人工知能が舞台に登場する。
登場人物としてではなく、イメージを創造する力として参加する。
存在感と投影の間
歌手たちは、静かで、まるで彫刻のような存在感で、パフォーマンスの中心に立つ。
彼らの身体は、光、質感、歴史、そして連想が織りなす、視覚的に鮮やかな宇宙の中心となる。
次々と現れ、変化し、融合していく映像の中で、舞台装置以上のものが映し出される。
それは150年にわたる言説の反映なのだ。それらを生成するAIは、無数の画像、音声、文書、そしてパフォーマンスから学習してきた。
映し出されるのは単一の「指輪」ではなく、多くの指輪だ。国民的神話、社会政治的激動、芸術、爆発的な力、ロマンチックなユートピア、解体された影。
イメージや連想は固定的なものではないため、すべてのパフォーマンスは唯一無二のものとなる。」引用終わり
これを読んで、なるほどとは思えず、ぜったいうまくいかないだろうな・・・としか思えなかった。
最初だから、前提条件を与えるのは人間、あとは「AI」がみんな考えてくれる。
「AI」は自分で学習し、進化していくから。この先どんな風に考え次のものを作りだしていくか、それはそれで楽しみではあるが・・・・
このプロダクションに接したバイロイトの聴衆の反応は極めて厳しく、演奏陣にはブラボーが、キュレーター諸氏には盛大なブーイングが飛んだ。
ティーレマンも一緒に出たときにも壮大なブーで、さすがのティーレマンも戸惑ったのだそうな。
3度の上演サイクルだったので、初回を経て、AIに対する修正指導もなされたのだそうだ。
これっていいのかね?
最初に観た人は損したみたいじゃんね。
もう「リングの演出やって」とAIさまにひと言でいいんじゃね?
というわけには今後とも絶対にいかないし、やってはダメと思う。
明らかに「AI」は、人間社会を、仕事のあり方を中心に変えつつあるし、この先もっと劇的に変えてしまうだろう。
資格は肩書だけのものとなり、人間の手作業でしかできない技術的な手仕事や芸術の創作的なもの、人間の情でしか判断できない分野以外は、「AI」が取って変わることが起きうる。
巷間でいわれるとおり、ホワイトワーカーの仕事はなくなり1割ぐらいで済むようになってしまう。
演出家の存在も危機に瀕するのか・・・・
それではいけない。
文化・芸術の創造・再現の担い手は、ともかく人間であるべきだ。
AIも組成の当初は人間が絡む。
その最初がいまのAIの2大強国である、C国かUSAかで、とんでもないくらいに違いが出ると思う。
「AIシンギュラリティ」(人間を追い越すとき・・・)が到来してしまった場合(それは避けたいが)、そのAIがどちら側のものなのか、それによって人類の命運すら左右するのではないかと懸念もする。
演出に社会性を持ち込む昨今の風潮だから、AI任せにすることの将来の危険性を感じますね。
本来の実験劇場たる「バイロイト」が「AI」に取り組んだ、その前向きなる姿勢は多いに評価すべきだが、「オペラとAI」はよくよく慎重に対処すべきと考えます。
オペラは人間の編み出した、最高の総合芸術ですからね。
いまこそ、新バイロイトの時期に立ち戻り、簡潔でシンプルな舞台と演出で、ワーグナーの音楽にすべてを語らせ任せるような、そんな再現を観てみたい。
時代錯誤でしょうか・・・・
ワーグナー 楽劇 四部作「ニーベルングの指環」
クリスティアン・ティーレマン指揮
バイロイト祝祭管弦楽団/合唱団
序夜「ラインの黄金」

ウォータン:ミヒャエル・フォレ
ドンナー:アレグザンダー・グラサウアー
フロー :シャボンガ・マキンゴ
ローゲ:クラウス・フローリアン・フォークト
フリッカ:アンナ・キスユジット
フライア:エヴァエリン・ノヴァク
エルダ :クリスタ・マイヤー
ファゾルト:ミカ・カレス
ファフナー:ペーター・ローゼ
アルベリヒ:ヨッヘン・シュメッケンベッヒャー
ミーメ :ゲルハルト・シーゲル
ウォークリンデ:カタリーナ・コンラディ
ウェルグンデ:ナタリア・スクリッカ
フロースヒルデ:マリー・ヘンリエッテ・ラインホルト
(2026.7.27)
第一夜「ワルキューレ」

ジークムント:クラウス・フローリアン・フォークト
ジークリンデ:エルザ・フォン・デン・フィーヴァ
フンディンク:ミカ・カレス
ウォータン:ミヒャエル・フォレ
フリッカ:アンナ・キスユジット
ブリュンヒルデ:カミラ・ニールント
その他ワルキューレのみなさん
(2026.7.28)
第二夜「ジークフリート」

ジークフリート:クラウス・フローリアン・フォークト
ミーメ:ゲルハルト・シーゲル
さすらい人:ミヒャエル・フォレ
アルベリヒ:ヨッヘン・シュメッケンベッヒャー
ファフナー:ピーター・ローゼ
エルダ:クリスタ・アイヤー
ブリュンヒルデ:カミラ・ニールント
森の小鳥:ヴィクトリア・ランデム
(2026.7.30)
第三夜「神々の黄昏」

ジークフリート:クラウス・フローリアン・フォークト
ブリュンヒルデ:カミラ・ニールント
グンター:ミハエル・クップファー・ラデツキー
ハーゲン:ミカ・カレス
アルベリヒ:ヨッヘン・シュメッケンベッヒャー
グルトルーネ:マクダレナ・ヒンタードブラー
ワルトラウテ:クリスタ・マイヤー
第1のノルン:アンナ・キスユジット
第2のノルン:アレクサンドラ・ロニス
第3のノルン:マクダレナ・ヒンタードブラー
ウォークリンデ:カタリーナ・コンラディ
ウエルグンデ:ナタラリア・スクリッカ
フロースヒルデ:マリー・ヘンリエッテ・ラインホルト
(2026.8.1)
4部作を通じクラウス・フローリアン・フォークトが出演。
ローゲ→ジークムント→ジークフリートを歌った。
この3役をバイロイトで歌ったのはヴィントガッセン、イェルザレムについで3人目というフォークトの今回の快挙。
フォークトのローゲは初めて聴いたけれど、なかなかサマになっているが、生真面目な歌い口とマイルドな声質がローゲのイメージとはちょっと合わないような気もしました。
抜けめない油断ならないローゲというよりは、優しくて、いいつでも助けてくれるお兄さんみたいな感じか(笑)
ここ数年で歌いこんできたフォークトのジークムントとジークフリート、ジークムントの悲劇的な歌い口、その息子の楽天的な存在から愛を知り、死に直面するまでの変化をうまく歌いこんでいたと思う。
シャガーとフォークトに頼らずとも、次のジークフリートの登場も数年後のリングには期待したい。
いまがピーク時にあると思われるフォレのウォータン、巧みな歌い口は、若々しいウォータンとして意気揚々とした序幕に相応しい存在だったし、なめらかな声でありつつワルキューレでの厳しい歌と、機知に富んださすらい人、3つのウォータンの歌いわけも楽しい聴きものだった。
キスユジットのこれも若々しいフリッカもよき発見だった。
超ベテランのシーゲルのミーメは懐かしいと同時にまだまだ健在と感じられる優れた歌唱。
シーゲルはなかなか器用な歌手で、ヘルデンの領域までカバーできる力強さもあり、トリスタンも歌えるくらいなので、ずっと活躍を願いたい存在だ。
ニールントのブリュンヒルデは、チューリヒの頃と比べると安定感が増し、その素直で美しい高音域をうまく生かしていてリリックでユニークなブリュンヒルデとなりつつあるように思えた。
20年前に新国で聴いたマルシャリンでの華奢で、声もスマートだった頃を思うと同じ歌手とは思えないです。
あと目立ったのはミカ・カレスの大活躍でグロイスベックが出なくなった今、バイロイトのバスをツェッペンフェルトとともに牽引する歌手となった。
強烈な声ではないが黒光りするような魅力ある声質でハーゲンはカレスなくしては成り立たないくらいの当たり役となった。
来年はグルネマンツを歌うそうだ。
4つの画像は、公開されたものからチョイスしましたが、それにしてもこれだけ見ると不思議な画像で、こんなのを次々に見せられたら観客は音楽どころじゃないと思いますね。
劇の進行と関係ないものと、炎や水、リンゴなどリングのモティーフに即したものが、まぜこぜになっていて、AIさんはどう思ってこれを組成したのか、いちいち説明してもらわないといけない、そんなレベルのものだったと推定してます。
ティーレマンの指揮の安定ぶりは毎度の安心感をもたらすものですが、手持ちの音源でみるとテンポ感は速く感じたがリスとにしてみたら、各楽劇でムラがあった。
紗幕越しの歌手たちに演技がないから、タメや思いをつぎ込むのも控えめになったのか、それともティーレマンの変化なのか・・・・
ベルリンでバレンボイムに替わって指揮をしたリンデンオーパーでのリングが明らかに長尺。
チェルニアコフ演出の微に入り細に入りと、こだわりある舞台に即したのだろうか、こうして比較するとバイロイトでの演奏時間がほぼ均一であることが面白い。
ともかく不可思議かつ異例だらけの2026年のリングなのでした。
資金的なことを思えば、AIには1951年の新バイロイトのヴィーラント演出を再現させて、先に書いたように簡素な舞台装置と演技で上演してもよかったのではないか。
それなら映像作品としての記録にもなるだろうし、新バイロイトの革新の「リボーン」にもなったのでは・・・・
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放送なしの「オランダ人」と「パルジファル」は音楽面では安定的な高い評価を得たようだ。
リニフの指揮で5年目のチェルニアコフ演出のオランダ人は、グリゴリアンが帰ってきて、ザルツブルクでのカルメンと忙しい掛け持ち。
カサドの指揮が、きっとまたよかったろうと想像するしかないジェイ・シャイブ演出のパルジファルは、4年目の今年で終了。
まったく好きでない演出だったので安心した。
2027年の予定
2作づつ新作を投入するとの予告どおりに、「ローエングリン」と「パルジファル」が新演出。
イタリア人の女性演出家イラリア・ランツィーノによる「ローエングリン」は、26歳のペルトコスキが早くも登場。
マルチなテノール、スパイアーズがタイトルロール、注目のエルザ・ドライジヒがエルザ、これもまた注目のメゾ、ユディット・クタシのオルトルートなど、まことに目が離せない上演となりそう。
マゼールの30歳での最年少バイロイト登場記録を塗り替えるペルトコスキが先物買いに終わるか本物か・・・
演出は恐ろしそうな感じが予見。
「パルジファル」は急速に欧米で名を上げてるエルサン・モンタグで、今年のザルツブルクで舞台を火星に置き換えたアリアドネをやったばかりの演出家。
怖いもの見たさで期待するが、指揮にティーレマンを配し安全弁を確保してる。
パルジファルはベチャワと次世代の期待のヘルデン、アメリカのソコロフスキのダブル。
あとはヒット作クラッツァーの「タンホイザー」をグッガイスが指揮し、ホロウェイがヴェーヌス。
明るくサイケな「マイスタージンガー」が戻ってきて、シモーネ・ヤングが指揮。
なんだか記念の年2026年より面白そうな来年のバイロイトなのでした。
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