2026年4月 5日 (日)

バッハ 復活祭オラトリオ

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霊南坂教会の十字架。

先週のサントリーホールへ行く前にホール裏手の庭園から。
プロテスタント系の教会なので、バッハが似合います。
土曜日には翌日の礼拝に向けてオルガンの練習も行われていて、よく佇んで聴き入ってしまいます。

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コンサートの後は、桜坂の桜と美しいコラボレーション。

復活祭に聴くバッハ。

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  バッハ 「復活祭オラトリオ」 BWV249

             S:ジュディス・ラスキン
      A:モーリーン・フォレスター
      T:リチャード・ルイス
     Bs:ハーバート・ビーティ

  ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団
                テンプル大学合唱団

      (1963.4.17 @アスレチッククラブ、フィラデルフィア)

1725年4月1日、この年の復活祭主日に初演。
ヨハネ受難曲の初演の3日後ということで、まさに受難と復活をそのままになぞった、まさにバッハらしい、また音楽と生活に根ざした宗教という当時の風潮をまさに体現した機会音楽でもあります。
いまから300年前。
日本では徳川第8代将軍「吉宗」の治世で、暴れん坊将軍の享保の改革の最中。
そう思うと、日本にも独自の成熟した文化があり、浄瑠璃などが興隆し、和楽器も盛んになり、また寺社と結びついた尺八の演奏も普遍化。
西欧音楽が楽譜という形でしっかり残ったが、日本での音楽も記録として残されていると思うので、最近は日本の音楽史なんてのにもやたら興味が沸いてます。

曲は50分足らず.
大作の受難曲のように身構えることなく、全体に明るい色調の音楽。
しかし、内容は聖書の人物たちが登場し、磔刑後のイエスを見守り、その復活に歓喜する喜ばしい内容なのです。
マタイ伝とヨハネ伝、マグダラのマリア、もうひとりのマリア、弟子のシモン・ペトロ、ヨハネの4人が登場し、4人の歌手が担当。
冒頭のトランペットが活躍するシンフォニアと、美しいオーボエソロを伴なったアダージョ。
復活の様子を歌うレシタティーボとアリア、合唱曲。

抒情的な様相もともない、峻厳なバッハの顔でなく、明るく前向き、そして優しいバッハの姿がある屈託ない佳曲。

たくさんの宗教的な作品も録音したCBS時代のオーマンディとフィラデルフィア。
いずれも煌びやかさよりは、生真面目で渋いほどによくまとまった演奏が多いです。
私の長年の愛聴盤はオーマンディの「メサイア」なんですが、あちらはほどよく華麗でゴージャス。
でもこのバッハ、ほんと渋く、こじんまりとまとまっている。
フィラ管の名手たちのソロも浮き立つことなく、バッハの音楽に真摯に寄り添う演奏であります。
女声ソロはいいが、男声陣がややアメリカナイズされて聴こえるのが面白いし、合唱団はもうまさに、ザ・アメリカでありました。

手持ちのCDのカップリングは、バーンスタインのマニフィカトで、濃厚さと思い入れ、爆発力がユニークです。

いまから60年以上前のバッハ演奏。
たっぷりと音楽を鳴らして聴かせるスタイルは、古典派もロマン派も同じ。
ややムーディに流れ、野放図にも思いましたが、案外と新鮮な気持ちで聴きました。

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             S:バーバラ・シュリック
      A:カイ・ヴェッセル
      T:ジェイムズ・タイラー
     Bs:ペーター・コーイ

  フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮 コレギウム・ヴォカーレ

        (1994.4 @ゲント、ベルギー)

ほぼ20年前に記事にしてたヘルヴェッヘ盤。
オーマンディのあとこれを聴くと、30年の録音の年月の隔たり以上に隔世の感を感じる。
靄が晴れてスッキリしたかのような印象。
でもこれでも今から30年前の録音で、現在の古楽的演奏はさらに進化している。
ここで思うのはこの演奏の美しさと透明感。
オーマンディの方は、熱心な宗教心あふれるアメリカの人々が日曜日にカジュアルに教会に集っているかのような光景が浮かぶ。
ヘルヴェッヘの方は、ヨーロッパの街や村の教会で、篤信あふれる住民たちが静かに祈ってるような、そんな光景。
でもどっちもバッハなんだよな。
いまでもアメリカのオーケストラでは、オーマンディのようなバッハが演奏されているはずだ。

300年のバッハの音楽の歴史、そして60年前、30年前のバッハ演奏の変化、そのあたりも楽しめた今回のイースターです。
バッハ偉大なり。

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コンサートのあと夜桜を求めて散策。

スペイン大使館近くのスペイン坂あたり。

東京の夜は奇麗だな、1時間かけていま住む神奈川の夜は真っ暗の街に帰りましたよ。

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2026年3月30日 (月)

東京交響楽団定期演奏会 原田慶太楼指揮

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サントリーホールまで新橋から歩きました。

途中ホテルオークラとアメリカ大使館の間の霊南坂を抜けて歩きます。

そこで見つけた桜と大使館で1枚。
風がなく、星条旗はなびいてませんでした。

コンサートの前半がアメリカ音楽なので、このルートを偶然あるいてニンマリした自分です。

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    東京交響楽団 第738回 定期演奏会

 コープランド  「アメリカの古い歌」第1週

 バーンスタイン 「チチェスター詩篇」

     カウンターテナー:彌勒 忠史

 ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 ニ短調 op.47

    原田 慶太楼 指揮 東京交響楽団

            東響コーラス

       合唱指揮:根本 卓也
       コンサートマスター:小川ニキティングレブ

     (2026.3.28 @サントリーホール)

なかなかにユニークなプログラムで、こういうの好き。
しかもいつも機会を逃していた私にとっての初・原田慶太楼だったんです。
いやぁ、面白いコンサートだった。
アメリカで多彩に活躍してる原田さん、オペラ、声楽系にも強いことがまさによくわかった演奏会。

前半はアメリカ、後半はソ連。
この対比が曲目も演奏も鮮やかだった。
そして3つの作品に通じるのは自作であることはもちろんだが、バーンスタインという音楽家であること。

バーンスタインの朋友でもあり、作曲家の先輩でもあったコープランド
「アメリカの古い歌」という作品は初聴きの合唱曲でした。
19世紀のアメリカの民謡や讃美歌、古謡・ミンストなどを歌曲として編曲、独唱曲集だったものをのちにオーケストラ版にしたもの。
アパラチアの春に出てくるメロディも出てきて懐かしいムードも満載。
5つの曲がそれぞれに特色あり短いながら楽しい作品だった。
メリハリつけてわかりやすい音楽造りをした原田氏、いつものように暗譜で熱心に歌う東響コーラス。
曲によっては、パフォーマンスも伴いながら楽しく歌うさまに、われわれもほっこりしましたよ。

そしてシリアスな宗教曲のジャンルにあるチチェスター詩篇
コンサートでは初めて聴くし、今宵のコンサートではいちばん楽しみだったし、いちばん心動かされた演奏であり音楽だった。
また昔話しで恐縮ですが、1975年8月9日にショスタコーヴィチは亡くなりました。
8月13日、バーンスタインはロンドン響とザルツブルク音楽祭に登場するのでしたが、ショスタコーヴィチ追悼のため、急遽、交響曲第5番の3楽章を演奏したのでした。
前半がその追悼演奏、本来のプログラムのチチェスター詩篇、弾き語りでモーツァルトのK453。
後半にシベリウスの第5番。
このように前半がやたらと長い演奏会となり、この模様はその年の年末にNHKFMでも放送され、私も興奮隠せずエアチェックに成功したのでした。
いまでも自家製CDRとして大切にしてます。
16分もかけたショスタコーヴィチの3楽章の深遠極まりない演奏には驚嘆します。
そして、初めて聴いたチチェスター詩篇で、バーンスタインの音楽のメロディのわかりやすさと、ダイナミックさ、静謐さなど、高校生ながらに何度も聴いて感銘を受けていたものです。
 そして実演で聴くと指揮者の姿があの踊るようにして指揮するバーンスタインとかぶって見えてくる。
冒頭からバーンスタイン色全開の音楽で、爆発的な喜びを発散するかのような合唱に、打楽器を伴った輝かしい金管に心躍った。
2章で立ち上がった彌勒さん、真摯かつ神々しい声で、氏の声を聴くのはもう17年ぶり。
手持ちで聴ける音源では、ほとんどがボーイソプラノなので、無垢なる天上の声のように思って聴いているが、カウンターテナーで聴くとまずうまい!その第一印象となりました。
そして同時に思ったのが、ブリテンの音楽のように聴こえてしまったこと。
どこか怪しく、そして一方で厳しく痛恨でもあるように。
 その後のシリアスな3章へと続く流れもこの歌唱であれば実に自然だと思った。
このあたりの対比は原田さんの指揮も実によくって、このシリアス感の中から見出される平安の調べへの移行も実にスムースで、感動のあまり涙ぐんでしまった。
同時にバーンスタインの音楽のうまさ、天才性も実感。
ヘブライ語による東響コーラスの共感あふれる合唱もほんと素晴らしかった。
詩篇・ダヴイデ、旧約、ユダヤ教ということになるが、ここでバーンスタインが祈りとともに込めた平和への思い。
それがいま、世界を混沌に陥れているのがユダヤの国であるという事実に、天上のバーンスタインはどう思うだろうか・・・・
 曲が静かに閉じると、ホールは静寂のまま。
この「間」がほんとうに美しいと思いました。

後半は、みんな大好きショスタコ5番
前に書いたこと「若い若い頃に聴きすぎて、長じて大人となってからは、どうも醒めてしまった名曲のひとつ。ともかく大好きになって、中・高時代に聴きすぎた。演奏会では、大物指揮者でいくつも聴いたものの、いずれもぼんやりと聴いてしまうのでした。」
こんな自分ですから、うまいこと印象が書けません。
まず、とてもスタイリッシュであり、客観性もあり、オーケストラの奏者たちの技量の高さもあってとてもいい演奏でした。
マゼールに学んだ原田さん、だからその影響もあるかと思い、遠い昔のニューヨークフィルとの来演でのその演奏をblogを読み返したりして思い出したり、クリーヴランドとの音盤なんかも確認してみた。
だがいい意味で原色にそまった、いつものナイスなマゼールらしい変幻自在の演奏とはまったく違う正統派の演奏だった。
またバーンスタインが愛したこの5番、ふたつの音盤にあるこれもまたバーンスタインらしい思い入れたっぷり、熱血演奏ともまったく違う素直でありつつ自然な盛り上げとスピード感や立ち上がりのいい演奏だった。
 私がいちばん気にいったのは、やはり3楽章。
弦がいろいろに分奏するのも拝見していて発見があったし、なによりも抒情的で音楽が隅々まで美しく、磨きあげられた音が清冽にも感じた。
2楽章の終結でテンポを思い切り落としたのはユニークだったし、終楽章のフィナーレでは快速にならず、堂々たる歩みでホールを圧する響きを聴かせてくれた。

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合唱団が抜けたP席はすっきり寂しめ。
音響もより響いて感じました。

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熱い拍手に応え登場したマエストロ慶太楼氏。

東響の正指揮者の任期最後ともあり、感極まって思わず・・・
わたしもグッときてしまいました。
愛される指揮者、また東響で聴いてみたいと思います。
神奈フィルでのコープランドが聴きものだ。

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帰りは桜通りを散策して余韻にひたりました。

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2026年3月25日 (水)

外来オーケストラ

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桜の満開身近、公園の色合いも多彩に華やかになってきました。

今日は、外来オーケストラの演目やその在り方について不満をこぼしてみたい。

2025年の2月にも「なんでやねん!」ということで書いてます。
→こちらの記事
今回も似た内容になりますが、外来オケへのワクワク感がなくなってしまった現実を憂い書きました。

クラシック愛好家なら、ここ数年ずっと不満に思っていたこの同じ思いが、今年の2月、思わずある出来事をきっかけに炎上し、いろんな議論を呼びました。

「ヘルシンキ・フィル」来日ツアーが10月に予定され、プロモーターが制作した公演のチラシに、ヘルシンキフィルと共演の角野隼斗の名前しか記載がされていおらず、指揮のユッカ=ペッカ・サラステの名前がなかった。
クラシックファンなら、外来オケが来る場合、指揮者が誰で、どんな演目をやるか、それが一番の注目点だろう。
いうまでもなく、人気と実力を兼ね備えた角野氏がソリストで帯同するなら、どの協奏曲をやるんだろうと注目もする。
しかし、今回炎上したのは、指揮者の名前がないのに端を発し、高額になったチケットが客寄せとしての角野氏のせいではないかという批判も出た。
角野氏は、すぐにこれにたいするコメントを表明し、その内容は実に真摯で納得できるものだった。
しかし、プロモーション側の回答はやや遅れ、「見やすくするためにわかりやすさ重視にした、オケとソリストのみをSNSなどでは記載することは当社では珍しくなかった。あらたな気づきをいただいた」などと釈明し、こちらはクラヲタ(わたしもそうですぜ)の怒りをさらに買った。

このプロモーターの考え方こそが、いまの日本の外来オケ招聘の悪しき流れを物語っていると思う。

角野クン以外にも、外来オケには、もれなく日本人ソリストがついてくる公演がたくさんあり、超メジャー級オケ以外はみな同じ傾向にある。
彼らが出るとチケット代が高騰する・・・これは正直ほんとのところは検証ができない。
でも人気にあやかって企画していることは事実だろうし、企画側も商売だから採算が上がるからだろう。

私は、どんなソリストが出てもいいと思う。
問題は、そのプログラムなのである。

2025年は数えただけで30団体、2026年は同じく27団体(2027、3月まで含む)が来日。
パリ管、ロスフィル、コンセルトヘボウ、ベルリンフィル、ウィーンフィル、バイエルン放送、ロンドン響などには付いてこない。
調べたら、それ以外にはもれなく付いてくるピアニスト中心の日本人奏者たち。

演奏される協奏曲のランキング
2025年 
①ラフマニノフ2番 ②ショパン1番 ③ショパン2番 ④チャイコフスキー1番
2026年
①ラフマニノフ2番 ②ブラームスVn協 ③皇帝

ダントツでラフマニノフ。
外来オケが来てショパンかよ、ほんとそう思うよ。

ソリストの登場ランキング(2年まとめて)
①辻井 ②反田 ③角野 ④亀井 ⑤藤田・・・韓国系も多し

メインプログラムのランキング
2025年
①ブラームス4番 ②ベートーヴェン7番、ブラームス1番、マーラー5番、チャイコフスキー5番、新世界
2026年
①チャイコフスキー5番 ②巨人 ③ブラームス1、4番、新世界、ショスタコーヴィチ5番、運命

ブラームスの1番と4番、チャイコ5番が強い。
でもね、もう同じような曲ばかりなんでやんのよ。
前半を聴いたソリストのファンが帰ってしまわないように、彼ら彼女らでもわかりやすい名曲を、そんな風にしか思えない。

さらに文句をたれよう。
このオケ、この指揮者なのに・・・
ユロフスキとベルリン放送なのにブラームスの1番と4番
フルシャとバンベルクなのにブラームス1番とベートーヴェン7番
シャニとロッテルダムなのにブラームスの4番と新世界
ワルシャワフィルなのにブラームス1番と新世界
オルソップとポーランド放送なのにブラームス4番
スカラ座フィルなのにブラームス4番と悲愴
ウィーン響なのに運命と新世界
シャニとミュンヘンフィルなのにブラームス4番と巨人
ラニクルズとドレスデンフィルなのにブラームス4番と巨人
スロヴァキアフィルなのにブラームス1番と新世界、未完成
イル・ド・フランスというレアオケなのにブラームス1番と英雄、泣けるぜ
ペトレンコとロイヤルフィルなのにチャイコフスキー5番とラフマニノフp2、s2
ベルギー国立菅なのにチャイコフスキー5番
プラハ響なのに皇帝・新世界、泣けるぜ
エルプフィルなのにブラームス4番と新世界、旧北ドイツ放送響ですぜよ

一方、日本人奏者の付いてこないオーケストラのプログラム

マケラとパリ管 幻想とサンサーンス3番
ヤマカズとバーミンガム エルガーのチェロ協とヘンリ・ウッド編の展覧会
マケラとコンセルトヘボウ オケコン、ブラームスp協1、マーラー5番
ペトレンコとベルリンフィル マンダリン、ペトルーシュカ、ワーグナー、ブラームス1番
ドゥダメルとロスフィル 復活、火の鳥&ハルサイ
パッパーノとロンドン響 復活、ショスタコ5、ブルックナー9 Himariちゃん来るけどモーツァルト1番
ムーティとウィーンフィル ブルックナー8番、チャイコフスキー4番、モーツァルト40番、内田光子でベートーヴェン
ラトルとバイエルン放送 復活、グレート、ハルサイ、ラフマニノフ3番

自慢じゃないけど、触手が動くのは後段の「付いてこない方」のプログラムだ。
日本人奏者が付いてくるのはいいかれど、せめてメインプロには、そのオーケストラの持ち味が出る曲やお国ものを取り上げるべきだろうし、もしくは奏者なしのオーケストラだけのオケの特色の出るプログラムも用意すべきだろう。
そうするとチケット代の格差が出て浮き彫りになってしまうから呼び屋さんはいやがるだろな。

外来オケに行かなくなって久しい。
最後に行ってるのは、2019年のフィラデルフィアとBBCスコテッシュで、もう7年も行ってない。
チケット代がますます高額化しているので、よけいにそうなってるし、日本のオーケストラをチョイスして好きな演目を聴きに行く方がほほど楽しいと思うようになった。
ベルリンフィルがS席5万円、最安席でも3万円・・・後段の有力オケのお値段はみんなこんな感じ。

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クラシック音楽の需要衰退が言われて久しい。
東京と大都市への文化の集中もこの衰退の動きに拍車をかけている。
連日のように行われるコンサートは、そこそこに埋まってるが、自分も含めて聴衆の高年齢化は否めない。

音楽関係者はそんななかで、いかに集客をしていくか
人気アーティストを軸にした企画に舵を切るのもわからなくはない。
でもそれでは特定の層にしか訴求できず、いまの私の気持ちのようなコアなクラシック音楽好きをがっかりさせるだけ。

 前述したワタシらの不満を解消できる後半演目の見直し
そのオケがその時に演奏している定期のプログラムをそのまま持ってきてもらう

いまの高年齢層の後に続く、社会的にも忙しくお金もかかる中年齢層をいかに熱心な音楽好きに仕立てていくか

 このあたりがいちばん難しい。
私も結婚と子育ての時期にはコンサートから遠ざかり、音楽も聴く余裕がなくなったときだった。
クラシック音楽が日本の生活に密着してないゆえだろう。提案も思いつかない。

短いもの、瞬間を楽しむ風潮にある若年層にいかにクラシック音楽を聴かせるか

 中学生には音楽教育の一環として、プロオケの演奏を定期的に必ず聴いてもらう。
全国各地に立派なホールはあるし、いまでも文科省が企画しているプロオケの巡回音楽会はある。
変な団体に公金チューチューされるより、こうしたお金の使い方がまさに適正なのだ。
本格的な交響曲や入門音楽でなく、こま切れでいいから、瞬間瞬間を興味を持って興奮ししてもらう曲ばかりにする
アンコールピースばかりでもいいし、いろんな音楽のフィナーレ集でもいい。
ハルサイ、惑星、ツァラトゥストラ、ベト7、チャイコ4~6、巨人などなど、盛り上がるところだけチョイスでいい。

地方の活性化につながるコンサート開催
 外来オケは、地方巡りもしてもらう。ホールは潤沢にあるだろう。
もちろん日本人ソリストも帯同する。
おっかけファンにも帯同してもらおう。
そして地域のいいところを楽しんでもらおう。
昔は、メジャーオケも驚くほど地方巡回をしていた。
それこそ文化の東京一極集中を見直す機会にもなるし、珍しいプログラムを組めば客は広域から集まる。
地方でも本物が味わえること、それこそが大切だと思う。
私の今住む小さな町でも、N響メンバーが来て周辺地域の演奏家とアンサンブルコンサートを毎年開いてます。
毎年満席になるし、どうみても音楽とは縁遠い雰囲気のオジサン・オバサン方も集まりますよ。
文化を育て、根付かせるには、採算などは度外視できる予算執行や投資の観念も必要かと・・・

話がふくらみすぎました。

ともかく音楽の楽しみ方の幅がひろがった、いや広がりすぎたと言っていい。
コンサートに行かなくても、ネット同時配信が行われ同じ時間をホールの聴き手と共有できる。
今日も東京の春の「グレの歌」をライブ視聴した。
音質もよく、第一級のソロ歌手たちの歌も最高だった。
でもホールにいるとき味わうあの空気感はまた別物ではある。
多くの人が気軽にクラシック音楽を楽しめる場所、それが日本各地にあれば、それがどんなに素晴らしいことでしょうか。

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2026年3月20日 (金)

東京都交響楽団定期演奏会 インキネン指揮

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朝に雨、ちょっとのお湿りがありがたい夕刻のコンサートホール。

風はまだ冷たいけれど、気温は上昇中でいい感じで、早めの桜の季節を迎えようとしてます。


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   東京都交響楽団 第1039回 定期演奏会 Bシリーズ

  ラヴェル  ラ・ヴァルス

  サン=サーンス ピアノ協奏曲第4番 ハ短調 op.44

          左手のための6つの練習曲~第2番「フーガのように」

     Pf:キット・アームストロング

  プロコフィエフ 交響曲第3番 ハ短調 op.44

   ピエタリ・インキネン指揮 東京都交響楽団

        (2026.3.19 @サントリーホール)

一見、風変りなプログラムですが、いずれもパリにおいて初演されたパリ・フランスにゆかりのある作品。
前半はまさにわかりますが、プロコフィエフはロシアから亡命し、アメリカからドイツやフランスで過ごした期間が10年間あり、その間で独創的な作品を多く作曲していて、オペラ「炎の天使」とその素材を元にした交響曲第3番がまさにこの時期のものです。

ハ短調と作品44が共通しているのは、都響の発表だと偶然だそうな。

そのプロコフィエフの3番狙いのワタクシ。
全部プロコフィエフで決めて欲しかった気持ちもありましたが、どうしてどうして、前半も抜群に面白かった。

インキネンとラヴェル、まったくイメージはなかったですが、きらびやかさとは遠い、淡々としたなかに入念できめ細かな味付けもあるユニークなラ・ヴァルスだった。
インキネンを実演で聴くのは初めてですが、シベリウスやドヴォルザーク、ワーグナー、プロコ3番の専門家みたいに思ってたけど、丁寧な仕上げの渋めのラヴェルは悪くないと思った。
演奏会の終わりに晴れやかにやるのでなく、冒頭にホールの空気感をあげるようなこうした選曲は悪くないし、次のサン=サーンスの音楽の舞踏性との対比でも面白かった。

そのサン=サーンス、奏者のアームストロング氏もわたしは初だし、恥ずかしながらお名前も知らなかった。
作曲もなし、オルガン奏者でもある天才肌の音楽家。
小柄な少年のようにサクッと登場し、ササっと弾き始めたそのピアノは、転がるような軽やかなタッチで実に心地よい音色をかもし出す。
これまたコンサート初聴きのサン=サーンスの4番という渋い作品で、変奏形式の第1部の前半とやや難渋な後半ではちょっとワタクシ退屈しかけたけれど、それでもピアノは明快で曇りなし。
楽しい雰囲気になる第2部は、いかにもサンサーンスらしい屈託のない音楽となり、ピアノもオーケストラもウキウキ感が満載だ。
飛翔するがごとく高い技巧に裏うちされたアームストロング君のピアノは、もはや耳に心地よさをもたらす快感ですらあり。
インキネンのオーケストラもここでは煌めきを尽くし、この作品のベースにある循環形式などといった小難しいことは抜きに明るく楽しくアームストロング君を支えてる。
あっという間に盛り上がって、あっという間に終わってしまう協奏曲だったけれど楽しい30分間だった。
 アンコールは驚きの左手作品。
左手だけで演奏してるとはまったく思えない鮮やかなタッチの演奏に舌を巻きましたよ!

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

お楽しみのプロコフィエフ
自慢じゃなけど、「炎の天使」を完全マスターしてから交響曲第3番の楽しみ方も増した。
まして今回は、実演初のプロコ3番。
奏者のみなさんが、あんなことしてる、こんな風に弾いてるんだみたいにキョロキョロしながらワクワク忙しくも聴いたものです。

いうまでもなく、8作ある完成されたプロコフィエフのオペラ(ほかに少年時代に4作あり)のなかで、いちばん刺激的でかつ傑作といわれる「炎の天使」だが、三角関係の恋愛、悪魔主義、騎士道精神、キリスト教、これらがないまぜになった筋立ての複雑なオペラです。
堕天使となるヒロインに振り回される騎士、このヒロインの性格がややこしく心変わりも激しく目まぐるしい。
だから、このオペラのモティーフを随所に折り込んだ交響曲第3番も、まさに目まぐるしいほどに、いろんな旋律や動機が交錯し、とつぜんの心がわりのように音楽はつねに変転する。

そのあたりの差配が、インキネンの指揮ぶりを見ていても、曲を完全掌握している感じで頼もしいものがありました。
指揮台にあがるや否やすぐに指揮棒を振り下ろしすぐさまに、ベルを伴うあの強烈なサウンドが開始された。
オーケストラの準備も万端だった。
ヒロインが悪霊にとりつかれたようにして歌うシーンの音楽、そこに低弦はそれをなだめる相方のリベラメの祈り。
もう冒頭からその描き方が着実で一挙に音楽に気持ちが入っていった。
そのあとのヒロインの愛の旋律がいやでも美しく抒情的に奏でられ、オーボエも見事でした。
ミステリアスな緩徐楽章は、修道院入りしたヒロインのシーンで、こうして聴くとオペラでの禍々しさは後退し、抒情的でクールな演奏も手伝い、シンフォニーとして実によく書けてるものだなと感心。
ときおり怪しいムードになるのは、悪魔文献を読み漁るヒロインの姿なのだな、これが。
はい、みなさんお待ちかねの目まぐるしくも弦の分奏による変転グリッサンドの激しい3楽章。
これこそ見て聴いてみたかった。
なるほどなるほどと思いながら聴き、中間部の束の間の正気に戻った抒情味の対比もうまい描き方だ。
オペラでは霊魂の召喚で鳴らされるドアのノックがわりの3つの太鼓、このあたりの腹にずしりとくるところ、打楽器各種の活躍もライブならではの興奮のしどころ。
オペラの眩しい最終シーンで終わる3楽章だが、ラストとそう感じさせることなく、アタッカで終楽章になだれ込むことでよけいに終楽章の奇怪な姿を浮き彫りにできたものと思う。
いうまでもなく、最終幕の悪霊と惑わされた修道女たちのトランス状態の酩酊的な強烈な音楽が入乱れるのであるが、都響の整然としたアンサンブルがあって、またインキネンのアクセルぶかしが生きてくるというものだ。
強烈なエンディングにあっけにとられるホールは、音楽が消えても、インキネンが指揮棒を下ろして構えを解いても、しばしの間がありました。
ブラボー一声かましました。

爆発的な演奏というよりは、冷静さも保ちつつ整然とした抒情味も大切にしたクールで熱い演奏だったように思う。

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都響は次はヴァンスカが来てシベリウス。
インキネンは、次はシベリウスを聴きたいものだ。

さらに都響の4月はカラビッツがやってきてプロコフィエフの4番の初稿版をやります。
これ行きます。

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ホールのうしろの公園には終わりかけのモクレンが。

次は満開の桜坂です。

過去記事

「プロコフィエフ 交響曲第3番」

「プロコフィエフ 炎の天使」音源

「プロコフィエフ 炎の天使」映像

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2026年3月17日 (火)

モーツァルト ピアノ四重奏曲 ヘブラー

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3月16日、早咲きの桜が満開の芝公園。
毎年、桜の開花が早まり、なんだか気ぜわしく感じるのは、私の歳のせいなのか・・・

春を迎えるにふさわしいモーツァルトの大好きな作品を

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 モーツァルト ピアノ四重奏曲第1番 ト短調 K.478

        ピアノ四重奏曲第2番 変ホ長調 K.493

      Pf:イングリット・ヘブラー

      Vn:ミシュエル・シュヴァルベ

      Vla:ジュスト・カッポーネ

      Vc:オトマール・ボルヴィツキー

            (1970.4 @ベルリン)

ト短調と変ホ長調というモーツァルトらしい調性によるふたつのピアノ四重奏曲が昔から好き。

いずれも3楽章からなるピアノ協奏曲の延長線上にあるような作品。
ハイドンに献呈した珠玉の弦楽四重奏のあとぐらいに書かれたが、この頃のモーツァルトは生活に困窮していて、その糧として作曲したようだが、あまり評価を得られず2曲目は少し遅れてしまったという。
そんな苦しみのなかとはまったく感じさせない、短調であっても屈託ない音楽をさらりとかけてしまうモーツァルトが好き。

「ト短調」の1番は、深刻なのは1楽章だけで、その重い雰囲気は、2楽章ですでに軽くなり、3楽章に至っては明るいロンド形式となり、爽やかなる気分になることを約束してくれちゃう。
前にも書いたが、休日の朝などにおいしい朝食を取りながら聴くとまったくよろしいのです。

くわえて冒頭から気楽に気持ちよくさせてくれるのが2番の「変ホ長調」。
ウィーンの薫り漂うギャランとさと気品を感じさせる屈託ない美しくも可愛い作品。

どちらの曲も深刻にならず、リラックスムードで聴くに限る音楽で、モーツァルトが身体や脳によろしいという効能を満喫させてくれる。

レコード時代にすり減るほどに聴いた演奏が、今宵のヘブラー盤。
モーツァルト弾きともいえるヘブラーに、ベルリン・フィルの首席たちとの共演はいまや懐かしい。
すご腕のベルリンフィルのメンバーたちは、室内楽の演奏も数々グループ化してやっていたけれど、なかでもベルリンフィル八重奏団は録音も多く親しみあり、いまでも継続する伝統あるグループだろう。
カラヤンの指揮する映像で、弦楽器の首席ポジションで必ずその姿を見ることができる3人です。
絶対的な指揮者の元から解放され、いかにも気持ちよくモーツァルトを楽しんでる3人の名手たち。
お馴染みの顔を思い浮かべて聴くのも一興だ。
これが録音された1970年の4月。
翌月には、カラヤンとベルリンフィルは大阪万博で来日し、ベートーヴェンチクルスを繰り広げましたが、小学生のワタクシは憧憬をもってレコ芸の特集を読み、カラヤンの指揮真似をしたものですよ。
そんなことを考えるのも楽しく、主役のヘブラーが浮き立つことなく、まさに4人の室内楽的な融和のなかに拡張高いピアノを聴かせてます。
ヘブラーさんは、3年前の2023年に93歳で亡くなってますが、モーツァルトばかりでなく柔和なシューベルト演奏も大好きです。
昨今の個性あふれる、いや個性を競うピアニストなどとは、次元の違う人間味あふれる豊かなあたたかいヘブラーのピアノは、ほんとうに癒しです。
この演奏、遊びの部分が少なめで真面目すぎなのが玉にきずの贅沢すぎる不満かな。

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2026年3月11日 (水)

あの日から15年

未曾有の災害から15年
あの震災をまったく知らない世代が中学卒業の年にまでなったことになる。
世界でも稀なる3重災害にみまわれた日本。
震災の前後は自分は何をして、なにを思っていた?
ときおり見返すことの多いあの時期です。
逆に15歳も歳を重ねた自分、あのときのようにもう体は俊敏に動けない。
もしものときにどうしたらよいか、などと考えるきっかけにもなる。

あのときのブログ記事を再掲したい。

2011年3月11日 「大変なことに」

震災最中ながら、被災がこれ以上広がりませんよう、祈るばかりです。

大手町と神田の間くらいで、客先と面談後、ビルを出たとたんに揺れました。
現実とは思いたくない、あぁ、これでもう・・・と思うくらい・・・・。

建物がら人々が出てきて、おろおろとしていて都内はパニック状態。
当然に、携帯はつながりません。
東京駅にむかうと、JRも地下鉄もすべて止まってる。
タクシー乗り場は、延々と続く長蛇の列。

事務所のある田町まで休みながら歩くこと2時間。
街は、人であふれかえり、道路は雑踏のようだ。
車も超渋滞。
ビックカメラやヤマダ電気は、シャッターを降ろしている。
カフェやラーメン屋さんは満員。
コンビニやパン屋さんも満員。
スーパーには、買い出しの若手社員がチラホラ。
頭巾をかぶったおびえた小学生に付き添う母親。

テレビで刻々と流される各地の被害。
背筋が寒くなります・・・・。
被災されている地域の方にはお見舞いの言葉もありません。
                       17:30

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地震発生時の様子です。

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千葉の自宅から見えた市原製油所の火災。
25Km離れてますが。
「この影響で有害物質が雨に混ざって降ってくる・・・」という風評が出て、わが住宅にも管理組合が注意を促すように貼り出してます。
しかし、これはどうも間違いらしい・・・・。(コスモ石油のHP)
むしろ心配は、原発。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーー

2011年3月12日 神奈川フィルハーモニー マーラー6番 演奏会

いまも続く大震災の余震。
そして、被災の甚大さが次々に明らかになっていて、むごいくらいの映像が報道されています。
その被害はまだ継続中だし、連鎖する地震も不安をあおって、今後、何がおこるかわからない・・・。
私の住む千葉や、職場の東京では、スーパーやコンビニに食品がまったくなくなっている。
物流が寸断され、日常ではなくなってしまった。
赤水だし、都市ガスは停止、電気も計画的に停電の予告・・・・。
交通機関もまだ不完全。
帰れなかった自宅に戻った土曜、食器は割れ、お気に入りの置物も落ち、部屋は混乱。
身近に起こっている事象です。

それでも、こうしてネットはつながっている。
この強いインフラは、災害時の教訓となろうか。

でも、こんな思いは生ぬるい。
むごたらしい映像を見るにつけ、東北・茨城の皆さまにみまわれた惨状に、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。
親戚もいますし、仕事柄、仲間も多いし、始終伺うことが多かった地。
青森から福島までの太平洋沿岸。いずれも訪問したことがある思い出深い地です。
どうか皆さん、ご無事でいらっしゃってください。

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  マーラー 交響曲第6番

 金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
       (2011.3.12@みなとみらいホール)

今日、12日土曜日は、神奈川フィルハーモニーの定期演奏会の日。

開催が危ぶまれましたが、yurikamomeさんから、決行のご連絡。
帰宅しなかったもので、都内から横浜まで、スムースに移動。
ひと気の少ないみなとみらい地区(ほとんどのお店がクローズしてます)、そしてみなとみらいホールは、3割~4割の入り。

こんな時に、音楽を聴くという、どこか後ろめたい感情・・・・。

今朝から、そんな思いにとらわれ、中止も半ば期待していた。

しかし、主催者側と演奏者側の熱い思いが、そんな思いを払拭してしまう、たぐいまれなるコンサートとなったのであった。

正直いって、わたしには、いま、言葉がありません。
特殊なシテュエーションが作用し、演奏する側と聴き手が一体となって、高みに達してしまう。
不謹慎ではありますが、マーラーの6番ほど、そんな思いを高めてしまう曲はありません。

この曲は、何度も実演に接して、「もう封印」などと思ってきた演奏ばかりなのです。

アバドとルツェルンの来日公演は、わたしのコンサート経験No1で、病後、復調のアバドが喜々として笑みを浮かべながら指揮するもと、その無垢な指揮者に、全霊を尽くす奏者たちが無心で、夢中になって演奏する神がかった演奏。

ハイティンクとシカゴの完璧極まりないなかに、スコアのみがそこにあるといった完全演奏。

どちらも忘れえぬ体験。

そして、聖響&神奈川フィルのマーラー6番は、そのどちらでもない、悲しいくらいに美しく、痛切で、感情のこもった真っ直ぐな演奏だった。

それでいて、流れの良さを大切にしたスマートさも。

正直、こんなに心のこもった、全身全霊の演奏が聴けるとは思わなかった。

わたしは、指揮者と演奏者が一体化しているのが、うれしくって、まぶしくって。

そして、音楽が素晴らしくって。

そしてなんといっても、この震災が悲しくって、恐ろしくって、テレビで何度も見た映像が、辛くって、何度も何度も鳥肌が立って涙ぐんでしまうのであった。

 しかし、音楽への前向きな取り組みは、マーラーの絶望的な思いとは逆に、明日もある未来を予期させる若さと逞しさを感じさせました。

ハンマーで心かきむしられた終楽章。
あの、あまりに特異なエンディング。

指揮者も奏者もすべて動きを止め、その静寂がいつまでも、永遠に思われました・・・・・。

演奏会の冒頭。
聖響さんは、いまのこのとき、演奏家にとってなにができるか・・・、それはいい音楽をすること。義援金の募集のこと、などを話され、わたしたちも一緒に、長い黙祷を捧げたのでした。

この演奏会。
開催を決意した主催者側、果敢に一心不乱の演奏を繰り広げた聖響&神奈フィル、ホールに集まった音楽を愛する聴衆・・・・、心が一体になりました。
こんな時に、コンサートなんて・・・、という思いを一蹴してしまうような、心のこもった、愛に満ちた演奏に救われました。
どうか、奏者と聴き手が達したこの思いが、被災地の皆さまに少しでも届きますように。
そう、明日も、明後日も、まだあるんですから!

アフターコンサートは、意を決して集まったいつもの神奈フィル応援隊の皆さんに、首席チェロの山本裕康さんをお迎えして、短いながら充実の時間を過ごせました。
その間にも、お店のテレビでは、第一原発のガス爆発を報じるなど、まったくもって尋常ではない状況にありました・・・・。

こうしている間にも、余震や余波の揺れが起きてます。
家人ともども不安で寝不足です。
みなさま、ご養生ください。

そして、被災地のみなさまには、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。

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ひと気のない、みなとみらい地区。

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以上 2026年3月11日

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2026年3月 5日 (木)

マリア・キアーラ アリア集

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満開の河津桜🌸

隣の隣の町、大井町の山頂は毎年こうして桜が満開となり、本来なら富士もきれいに見えるのですが、この日はあいにく薄曇り。

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ソメイヨシノよりもピンクが濃く、よけいに春の訪れを感じさせますな。

近くのひな祭り会場で甘酒もいただきましたよ。

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 マリア・キアーラ アリア集

  ドニゼッティ 「アンナ・ボレーナ」
  ベッリーニ  「清教徒」
  ボイート   「メフィストフェーレ」
  プッチーニ  「ラ・ボエーム」「マノン・レスコー」「トゥーランドット」
  
      チレーア   「アドリアーナ・ルクヴルール」
  ジョルダーノ 「アンドレア・シェニエ」
  マスカーニ  「友人フリッツ」
  レオンカヴァッロ 「パリアッチ」
  カタラーニ  「ラ・ワリー」
  マスカーニ  「イリス」

      S:マリア・キアーラ

  ネロ・サンティ指揮 ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団

  クルト・ヘルベルト・アドラー指揮 ナショナル・フィルハーモニー

        (1971.6,9 @ゾフィエンザール、ウィーン
         1977.7 @ヘンリー・ウッドホール、ロンドン)

録音にあまりに恵まれなかった不遇の大ソプラノ、マリア・キアーラを久しぶりに聴く。
1939年ヴェネチアの北あたりのオデルツォという美しい町の生まれ。
まだご存命でして、ともかくデビュー時から美人の誉れ高く、数年前のお姿も確認できましたが、じつに美しくお歳を重ねておいでのご様子でした。
リリコからスタートして、80年代にはアイーダを歌うまでになりドラマティコとなった、その経歴は、先輩のミレッラ・フレーニと同じ。
スコットが1934年、フレーニが1935年、それぞれの生まれなのでキアーラはその少し下。
キアーラと同時期に鮮烈なデビューをし、レパートリーもかぶったリッチャレッリは1946年の生まれです。
ちなみに、リッチャレッリの生まれ故郷はヴェネチアの南西部にあるロヴィーゴという町で、ふたりは案外と近くの生まれなのでした。

少し後輩のリッチャレッリが、カラヤンやアバドに重用され、たくさんのレコーディングに恵まれたのに、キアーラには正規録音がほんとに少なく、あまりに不当で無念すぎる。

71年にデッカに2枚のアリア集、72年にオイロディスクに「蝶々夫人」、76年にデッカにW.フェラーリの「スザンナの秘密」、77年にデッカにヴェリスモアリア集、そして86年の「アイーダ」。
これがすべてで、これしかないのである。
レパートリーはかなりひろく、純正ベルカント系からヴェルディ、プッチーニ、ザンドナイ、ワーグナー(エルザ)、ヘンツェまでを歌った履歴があるという。
1989年にはアレーナ・ディ・ヴェローナ引っ越し公演がバブリーにもありアイーダで来日しているが、当時の自分は、代々木の体育館での見世物みいな上演を小ばかにして観ようとも思わなかったので、残念なことをしたものだ。

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アリア集はレコードとして国内発売されず、キアーラの日本でのレコードデビューは、73年発売の「蝶々夫人」です。
デッカがあまり積極的にならないなか、ドイツのレーベルから、ドイツのオケ、ドイツオペラ系の歌手たちと録音された蝶々さん。
3枚組で当時中学生だったので、なかなか手が伸びなかった。
一方のリッチャレッリはRCAレーベルが推す看板歌手として次々に新録音がでてました。

デッカがもう少し積極的に動いていれば、とも思いますが、キアーラのマネジメントサイドの力量などもあったのかもしれない。

うらんでもしょうがないから、残されている音源を大切に聴くとします。
今回は、アリア集ですが、「蝶々さん」と「アイーダ」は近くまた取り上げるつもりです。

今回のCDは3枚残されたアリア集のうち2枚分を収めたもので、あと1枚はヴェルディですが、未入手であります。

キアーラの声は、ともかく清潔で清純そのもの。
ドニゼッティやベッリーニに聴かれる、若き日のフレーニをも思い起こすようなリリシズムにあふれたベルカント唱法はまさに耳も洗われるほどにフレッシュな魅力にあふれてます。
「清教徒」のエルヴィーラのアリアなど、まことに素晴らしく、デッカはサザーランドでなく、キアーラで録音すべきだったと叱責したくなる。

得意のプッチーニでは、ドラマテックな歌い方よりは、抑制された静的な感情表現がとても慎ましく、愛すべきプッチーニの各タイトルのロールをあまりにも素敵に歌ってます。
ミミなんて、もう理想的な感じでして、ほんの数分のアリアのデリケートな表現に耳をそばだて涙してしまうのでした。
ほんと美しい声だし、ガラスのような儚さもにじませる声なんです。

一転、アドリアーナやマッダレーナあたりになると、ドラマテックな切れ味や恰幅のいい表現力にこの時期のキアーラはまだ不足。
でも無理せず、優しく彼女ならではの声で自分のできる表現に徹しているのが好ましく、ピュアな情感にあふれてます。

リッチャレッリの声は、ややほの暗さ感じる低音が魅力でドラマテックな役柄では常に無理がつきまとった感じがしていたが、キアーラは蝶々さんとアイーダに聴かれるとおり、自分のリリカルな声を活かした優しさと瑞々しい感情表現につくしていて、クレヴァーな歌手だったと思います。

なんどもなんども言いますが、録音が少ないのが悔しすぎます。
キアーラさんには、美しく、いつまでもお元気でいて欲しいです。

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少ししたら富士が顔をだしてくれました。

アンジェリカを歌うキアーラさん。

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2026年2月23日 (月)

神奈川フィルハーモニー 定期演奏会 沼尻竜典 指揮

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世間の連休初日の横浜は、陽気にもめぐまれ、多くの人で賑わってました。

神奈川フィルの定期演奏会へ、ローマ体験に行ってきた4276

1か月間続けた当ブログでの「イタリア」シリーズ。
アバドのメンデルスゾーン→ルスティオーニのローマの祭り→アバドのチェネレントラ→ルスティオーニのヴェルディ→レスピーギのオペラ。
そして仕上げは「ローマ」新説4部作。

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 神奈川フィルハーモニー みなとみらいシリーズ定期第411回

  ベルリオーズ 序曲「ローマの謝肉祭」op.9

  レスピーギ  交響詩「ローマの松」

         交響詩「ローマの噴水」

         交響詩「ローマの祭り」

   沼尻竜典 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

      コンサートマスター:石田 泰尚

        (2026.2.21 @みなとみらいホール)

ローマにまつわる4部作。
レスピーギの三部作を一度にやるのはよくあることですが、ベルリオーズを加えたところが、今回のプログラムの肝です。
ベルリオーズを一緒にやるのは、ploms2014で、デュトワがロイヤルフィルを指揮したものを録音済みですが、そのときはさらにウォルトンのイタリアにまつわる協奏交響曲も加えたという強烈さ。
打楽器、鍵盤楽器多数のフルスペックのオーケストラを要するので、やるならすべてやってしまうのがよろしいようで。

陽気なオペラ「ベンヴェヌート・チェッリーニ」の素材を使った「ローマの謝肉祭」はともかく楽しい演奏。
なにも考えずに受け入れるのがいちばんで、ダブルのタンバリンの妙技も実演では引立ちます。
鈴木さんのコールアングレもほのぼのしててよかった。
この曲は、短いながらベルリオーズならではの歌謡性とハチャムチャ具合をいかに両立させるかが聴きものですが、そこは沼尻マエストロ、神奈フィルの明るいサウンドを得て万全でした。

ベルリオーズから80年の時を隔てた「ローマの松」、その第1音から感じる年月の経過。
音の煌びやかさや、手に取るようにわかるリアルな音楽描写、このあたりは多様な楽器やオーケストラ能力の進化などによるものでしょう。
まばゆさでいけば、神奈川フィルの持ち味だし、みなとみらいホールの明るい響きもおおいにプラスされるので、最高の「松」の演奏が展開されました。
舞台外から聴こえるグレゴリオ聖歌を奏でるトランペットも神々しく見事に決まり、その後の分厚いサウンドも決して威圧的でないまでも目覚ましいものがありました。
そして静まるなか奏でられる斉藤さんのクラリネット、この幻想的なシーンの展開が極めて美しく、いつまでもどこまでも浸っていたいと思いました。
レスピーギの抒情性に着目すると他の作品への視野も広がり、併せて古代の旋法なども絡めて、私の興味はその歌曲やオペラへの興味へと向かったのでした。
そんなきっかけは「ジャニコロの松」なんです。
ナイチンゲールのさえずりも、ホール内のどこからともない方向から聴こえてきて至福のひと時でございました。
そしてひたひたと迫る行進と高まりゆくクレッシェンド、もうあとは眼前の素晴らしき展開に身も心も任すのみ。
決して濁ることのないクリア―な神奈フィルサウンドのシャワーを浴びつくしたのでございました。
あーー、気持ちええーー
コールで出てきた、鳥さんの担当、お魚にみえたけど可愛い鳥のイラストと鳥笛を掲げて4人。
録音だとばっか思ってた、リアル鳥さんでしたよ。

「ローマの噴水」は3部作のなかではいちばん渋いところ。
しかし、幻想味と抒情感では、この曲が随一なので、これもまたかなフィル向き。
朝のまったりとした雰囲気が室内楽的に表現され、各ソロの瞬きも素敵です。
それを打ち破るホルンも見事に決まり、ピアノの活躍も心地よく聴こえるトリトン噴水。
ここから始まるレスピーギの音楽の巧みさを沼尻さんは着実な盛り上げで表現。
音がだんだんと眩しくなってゆくのが丸わかりなのがライブのいいところで、まさに音のシャワーで水しぶきを感じることができるという贅沢。
真昼のトレヴィの高揚感は半端なかった!
オルガンの低音、弦楽器のものすごいパッセージの連続を各奏者さん、とくに石田コンマスの激しい動きを見てるだけで興奮してしまう自分。
その後の急速な静まりと、そこに伴うどこか寂しい雰囲気と安らぎ、この落差の表現も見事。
暗くなってきたので、このままお家に静かに帰りましょう・・ということにはならないよお客さん、祭りだよ!

ということでいちばん大好きな「ローマの祭り」が、楽員さんが補充され準備万端。
指揮台にあがるや、すぐさま開始されるローマ時代への異次元パラレルワールド。
この切迫感ある「いきなりローマ祭り」の始め方は気にいったぞ。
暴力的なチルチェンセスはうるさくならず、弦主体の祈りの歌にかぶる金管や打楽器の咆哮、音が重なってもぜんぶクリアーなところが実によく、沼尻さんの耳の良さと分厚くならいオーケストラの持ち味ゆえか。
寂し気な五十年祭は、ここでも各ソロの巧みさ、独特のレスピーギのエキゾシズムなどなど、見て聴いて楽しむのでした。
徐々に増し行く喜びと祭りへの予感、このあたりのいろんな要素が同時進行しつつ歓喜への方向に持ってゆくレスピーギの筆の冴え。
実演だとほんと楽しく、音楽のすぐれた出来栄えが丸わかりなのです。
夕暮だけど、音楽は酒気を帯びてウキウキしてきたぜ、十月祭。
そして始まりましたよ神奈フィルのウィンドアンサンブルによるセレナーデの蕩けるような美しさと豊かな歌心。
マンドリンの第一人者、父・青山忠さん、先だっての都響の祭りでも登場。
マーラーの7、8、大地の歌でも必ず青山さん。
この方、この親子なくして「祭り」と「千人」「夜の歌」は日本では成り立ちません。
ありがたくイタリアのそよ風をマンドリンで味わい、そのあとは石田コンマスと上森チェロの素敵すぎるソロ。
徐々に漂うカーニヴァル臭、主顕祭。
素っとん狂な音楽に転じるこの鮮やかさも素晴らしく、いやもうワクワクしてきた。
やべえ、手回しオルガン風なところで、身体が泳いじまった。
ユニゾンによる大アリアに酔い、狂乱の一途をたどるどんちゃん騒ぎに色を添える、日本人の心くすぐる多彩な打楽器の大活躍のお囃子に目をみはりつつ、私はもう興奮の坩堝でして、案外冷静に指揮するマエストロよりも、久しぶりに眼前にした石田コンマスの立ち弾きや、オーケストラの皆さんを見回しつつ祭りに参加、堪能したのでござる。
思わず「ブラボー」!
先月のルスティオーニの「祭り」もすさまじかったが、今回は、ローマの旅の終結という完結感もあり、極めて満足感も高く、ホールが一体となった高揚感に満たされたのでした。

あー、おもしろかった!

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アフターコンサートは、久々の神奈フィル応援メンバーに、遠来の音楽仲間も交え、横浜地ビールで乾杯🍺

あんな興奮のあとは、ウマすぎるだろ。

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街はもう夜となってました。

楽しかった「ローマ物語」

過去記事

「ルスティオーニ&都響 ローマの祭り」

「ローマの祭り 聴きまくる」

「川瀬健太郎 ローマ三部作」

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2026年2月20日 (金)

大阪フィルハーモニー東京定期演奏会 尾高忠明 指揮

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ホール前の花壇も春を先取りする色どりになってきました。

大阪フィルの東響定期オール・エルガー・プログラムを聴いてきました。

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  大阪フィルハーモニー 第58回 東京定期演奏会

    エルガー 弦楽のためのセレナード ホ短調 op.20

      「海の絵」 op.37

     Ms:林 眞瑛

       交響曲第3番 ハ短調 op.88
                          (A・ペイン補筆完成版)

  尾高 忠明 指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団

        コンサートマスター:崔 文洙

                             (2026.2.17 @サントリーホール)

エルガーの世界的権威、尾高さんらしいプログラム。
札響時代の東京演奏会でもエルガーは何度か取り上げてましたが、2008年の演奏会では、RVWとディーリアス、そして3番という組み合わせでした。
この日は、3回にわたって満場の聴衆を集めたインバルの千人と被ることになりましたが、平日という同じ日にともにクオリティーの高い演奏会が行われている東京という都市に驚きも禁じえません。

エルガー35歳の愛すべき佳曲、弦楽セレナード愛する妻アリスに捧げられた。
エルガーらしい気品と優しさがたっぷり詰まった名作、そのメロディアスで抒情的な曲想を尾高さんは、まさに優しい目線でもって指揮をしてました。
大フィルストリングスの柔らかな響きもとても素敵でして、どこか間もない春を予見させる、そんな演奏でした。

コンサートでは初めて聴く「海の絵」
ふだん音源で聴いてるとあまり意識しない打楽器を目にすると案外と大きなオーケストラ編成であることに驚き。
予定された昨年にマタイで素晴らしい歌唱を聴いたアンナ・ルチア・リヒターが健康上の理由で来日不可となり、林眞瑛さんが引き継いだ。
初めてのお名前だったのですが、初「海の絵」だったという彼女の歌に大いに惹かれ、とても感心をしました。
「海」をめぐる5つの連作歌曲ですが、歌詞の内容自体は小難しいものではないが、そこに付けたエルガーの瀟洒ともとれる音楽がすばらしい。
短いけれど、これもまた愛らしいアリスの詩につけた2曲が可愛くて、そして素直な林さんの歌が微笑ましくほっこり、オーケストラも泣きたくなるほどに優しい。
戻っての1曲目、精妙なるオーケストラ、尾高さんは抑制された響きを低弦のうごめきでも巧みに引き出し、林さんのスタートを支えた。
3曲目は神々しいオーケストラにのって、林さんの明瞭な発声で聴く英語の語感の素晴らしさも堪能。
いろんなモティーフがさまざまに出てくるエルガーの慎ましいなかに、豊かなオーケストラの展開に感動。
4曲目も2曲目に通じる可愛さがあって、短いかれど、そのいいリズム感に体が反応しそうになってしまう。
一転、エルガーの書く終章の素晴らしさをここでも味わえる5曲目。
決然とした歌唱、ストレートな声がよく響く林さん、いちばんの高域をいくつか通過しなければいけないけれど、いずれもよく決まり、それを支えるキリリとしたオーケストラ。
高揚感も味わえ、わたしは、この歌曲集がこんなにいい曲だったんだと改めて思い、併せて林さんの大健闘にブラボー一声。
多くのブラボーもかかりましたよ!

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世界一の「3番」の指揮者といってもいい尾高さん。
大阪フィルとのエルガーシリーズの一環でもあり、ライブレコーディングも本拠地での演奏ととも行われた様子。
この演奏を聴いて確信した。
この交響曲は、エルガーテイストの作品ではなく、完全に「エルガーの3番の交響曲」なのだと。
尾高さんの自信にみなぎる的確な指揮、大フィルの全霊をかけた熱意あふれる演奏、これを目の当たりにして。

1楽章冒頭のあのひきづるような特徴的な旋律からして尾高&大フィルにはノーブルな慎ましさと抑制された美しさとがある。
いくつもの海外ライブやCDを聴いているが、この冒頭部を結構激しくやる演奏があり、その結果において次の柔和な第2主題との対比が鮮やかになるというものだが、札響との演奏に比してもなお、尾高さんの第1主題と第2主題の扱い、その対比はなだらかで劇的になることを拒絶しているみたいだった。
このふたつの主題が交錯する長い1楽章、曲を完全に理解し愛情を持って指揮している尾高さんの動きは少なく、まるで音楽のなかのエルガーと見つめ合っているのかと思うくらいで、その思いを大フィルも受けとめて夢中になって演奏しているのが奏者の皆さんをみていてよくわかった。
上昇する音型で終わるこの楽章の最後の飛翔感は見事に決まり素敵だった。

可愛らしい2楽章、打楽器の活躍も目視できて楽しいし、中間部との対比もさわやか。
そして、私がこの作品の白眉と思っている3楽章。
曇り空の沈鬱ななか、見え隠れする抒情、それが瞬きするように現れては消えてゆくその明滅感。
そしてクラリネットに導かれでてくる愛おしくなる旋律、その後に橋渡しされてゆく美しいシーン。
ともかくどこも美しい瞬間が連続し、また沈滞ムードに陥り、シリアス度を増してゆくし、はたまた幻想味・ファンタジー度合いも深める。
こうした流れを尾高さんの指揮は、淡々と振りつつも指揮棒、指先、すべてのタッチに優しさと共感がにじみ出ている。
聴いていて、これは枯淡の域にある、そう枯山水のような渋い水墨画の世界だと思った。
欧米人には描けない日本人ならではのエルガーなのだ。

深淵な3楽章とのギャップがでかい終楽章。
金管のファンファーレで曇り空が晴れてしまうような鮮やかさを感じる。
大フィル歯切れのよさ、スカッとした切れ味をここでは堪能。
一方でエルガーらしいユニゾンの豪放な心地よさと、慈しむような旋律の歌いまわしなど、次々に堪能。
エルガーのスケッチが少なく、諸作を参考にしたやや張り合わせ的なイメージを受けることの多い4楽章ですが、この日の演奏にはそんな雰囲気はまったく感じさせないほどに、スムースであり毅然とした演奏からは隅々までエルガーを演奏しているという自信と気概が感じられた。
なによりも奏者のみなさんの表情がとてもよくて、音楽を楽しんでいるのがわかるし、尾高さんに全幅の信頼を寄せて、「尾高のエルガー」をともに打ち立てようという姿勢が眩しかったのです。
1楽章の冒頭主題と、ドラの一音。
長い静寂がありがたく、感動もひとしおだった。

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エルガー・ナイト、実にいい演奏会でした。

以前のように大阪・関西に行かなくなってしまったので、早くも来年の東京定期が楽しみだ。

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2026年2月 6日 (金)

レスピーギ 「ラ・フィアンマ」(炎)

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ある日の壮絶な夕焼け空の太陽。

妖しくも、なにか起こるんじゃないかと心配してしまったのですが、なにごともなくその夜も次の朝も平準でした。

2026年はレスピーギ(1879~1936)の没後90年。
そんなにエポックな節目でもありませんが、演奏会ではそこそこに取り上げられます。

もちろんローマ三部作ばかりが有名で、だれしもが好きな作品でありますし、私も例外ではありません。
しかし、レスピーギはイタリアの作曲家であり、オペラ作曲家でもありました。
そこに着目して、以前より何度も記載してますが、プッチーニだけじゃないヴェルディ以降のイタリアのオペラ作曲家たちを務めて聴くようにしてました。

そんななかで、レスピーギの存在はかなり後期にあり、同時代のイタリアオペラ作曲家としては、マリピエロやピッツェッティらがいて、さらに後輩としてはメノッッティあたりとなります。

56歳という短い生涯にあって、オペラ的な作品は9作残したレスピーギ。
なかなか音源を集めずらいのですが、最近は映像で登場するようにもなり、徐々にコレクションできてます。
今回は完成された最後のオペラ、「ラ・フィアンマ」を取り上げました。

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  レスピーギ 歌劇「ラ・フィアンマ」 ≪炎≫

    シルヴァーナ:ネリー・ミリチオウ
    ドネッロ:ガブリエル・シャーデ
    エウドシア:マリアーナ・ペンチェーヴァ
            バジーリオ:デイヴィッド・ピットマン=ジェニングス
    アグネーゼ:チンツィア・デ・モーラ
    モニカ:オルガ・ロマンコ
    ヴェスコーヴォ:パータ・ブルチュラーゼ ほか

  ジャンルイジ・ジェルメッティ指揮 ローマ歌劇場管弦楽団
                   ローマ歌劇場合唱団

        (1997.12  @ローマ歌劇場)

イタリア人として祖国の風土、歴史、街々を愛したレスピーギ。
ローマ三部作でローマを謳歌した名作を残したが、レスピーギの後半生の心のなかにあった都市はラヴェンナでしょう。
ローマとは半島の反対側、アドリア海に近いエリアでボローニャの東側に立地するのがラヴェンナ。
「ラ・フィアンマ」の舞台はそのラヴェンナです。

1934年、レスピーギの心臓麻痺による56歳の早過ぎる死の2年前にローマで初演。
妻エルザとこのオペラの台本作者グワスタッラと3人でラヴェンナに長期滞在し、この歴史ある街に魅せられたレスピーギ。
オペラの時代設定は7世紀で、その頃はビザンチン帝国=東ローマ帝国と西ローマが対決していた頃。
ラヴェンナはコンスタンティノープルを首都とする東ローマ帝国の総督府があった都市で、帝国は完全支配下になっていなかったイタリア半島をなんとか統治するためにラヴェンナにその機関を置いた。

そんなラヴェンナだから、ビザンチン様式の史跡やモザイク画など、初期キリスト教の東方の文化をにじませた中世前期の色合い残るステキな街とのことで、世界遺産の都市ともなっている。
この機にいろいろ調べてみたけど、メジャーなイタリアの都市を外して、ラヴェンナとか近くのフェラーラを観光するのは実に魅力的だと思った。

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「ラ・フィアンマ」の物語の内容は、ラヴェンナを舞台に、総統一家の悲劇と外部が攻め入る民族との抗争、さらにいちばん大きな軸は、魔女狩りをドラマの核心として描いている。
7世紀の頃は、もしかしたら12~13世紀の中世時代の本格的な魔女狩り・魔女裁判・異端審問などとは違ったかもしれず、多分に台本のフィクション性が高いものとも思われる。
その原作は、ノルウェーの作家ハンス・ヴィアーズ=イエンセンが1908年に書いた「アンヌ・ベダースドッター」という小説で、英訳されてからは「魔女」というタイトルになったもの。
1590年にベルゲンで起きた史実をもとにしたもので、継母が義息子と関係を持ち、そこに魔法がからんでいたとして魔女と告発されて火刑にあってしまう女性を描いている。
 レスピーギのオペラは、それがこの物語の中心となっている。

登場人物を整理・紹介しときます

    シルヴァーナ:総督バジーリオの年若い妻
    ドネッロ:総督バジーリオの前妻との息子、シルヴァーナと幼馴染
    エウドシア:総督バジーリオの母にして、シルヴァーナの義母
             バジーリオ:ラヴェンナ総督府の長
    アグネーゼ:魔女とされ火刑。シルヴァーナの母の知り合い
    モニカ:バジリオ家の若い使用人
    ほかに、悪魔祓い、司教、息子が急逝した母親

東と西の両ローマ帝国の対立軸のなか、バジーリオは皇帝の命により、首都コンスタンティノープルを離れ、ラヴェンナに長期赴任している。
妻は亡くなり、息子のドネッロはコンスタンティノープルで政治や戦略を勉強中。
バジーリオは粗末な家庭出身の若いシルヴァーナと結婚することになり、母エウドシアは最初から反対していた。

第1幕

義母エウドシアは、義理の娘が家政婦に対し必要だとする厳しさが足りないと叱責する。
彼女は亡くなった息子の前妻を、高貴な貴族出身といこともあり規律の模範として考えている。
シルヴァーナは義母のそんな態度に息苦しさを感じ、家の使用人の一人、モニカに打ち明ける。
その時、群衆から怒りの叫び声が聞こえてくる。
アグネーゼ・ディ・チェルヴィアを火刑に処せ、彼女は魔女だと主張する者たちだ。
使用人の娘たちが飛び出して行くと、追いかけていた老婆が突然シルヴァーナの前に現れ、群衆から自分を救い、かくまってくれるよう懇願する。
シルヴァーナは最初は拒否するが、アグネーゼがシルヴァーナの母親もかつて魔女の容疑をかけられていたことをほのめかした途端、その願いに屈し、彼女を匿うことにする。
 バジリオの息子、ドネッロがラヴェンナに帰ってきた。
同い年のふたり、シルヴァーナはバジリオに、まだ子供だった頃に会ったことがあると告げる。
その時も二人は互いに惹かれ合っていて、今回の再会もまさにその通りの展開となる。
エウドシアがやってきて再開した二人の会話に割り込んで、孫のドネッロを歓迎する。
 その時、教会の悪魔祓いに率いられた群衆が、アグネーゼを追って家に押し寄せてきて、彼女が幼い少年チェザーリオに魔法をかけ、死においやったと母親は叫ぶ。
ついに群衆は老女を見つけ出し、火刑場へと引きずり出す。
アグネーゼは厳格なエウドシア、息子のバジリオ、孫のドネッロ、そしてシルヴァーナにも併せて呪いをかけ、いつかお前も火刑に処されると予言し、火刑に処せられる・・・・

第2幕

ドネッロは使用人のモニカと情事を始めていた。
シルヴァーナはこれを知ると、モニカに厳しくあたり、嫉妬に狂ったようになり非難し、ついに友人のようだったモニカを修道院に追放する。
一方、バジリオは息子にローマ教皇に対する戦いに加わるよう命じ、コンスタンティノープル行きを考えさせる。
アグネーゼが炎に倒れる少し前に、シルヴァーナの母親と総督との関係について奇妙なほのめかしをしていたのをシルヴァーナは気にしていた。
バジリオはついにシルヴァーナに、彼女の母親が魔法を使って彼を家に誘い込み、当時まだ成人にもなっていなかった自身の娘と結婚させたことを告白する。
数年後、シルヴァーナの母親が魔女の罪で告発されたとき、バジリオは彼女を擁護し、火刑から救った。
しかし、彼は当時彼女が自分に呪いをかけたと確信しており、自分の信仰によれば罪人を火葬場からは救えたが、地獄の煉獄からは救えなかったという思いにいまでも苛まれていると告げる。
 混乱したシルヴァーナは、なぜ母の死に悲しみを感じなかったのかを理解し始める。
同時に、彼女は母の魔力を受け継いでいると信じはじめ、夢の中で願うことが実現するのは、その力によるものだと確信する。
彼女は義理の息子ドネッロをいまここに出現させようとすると、突然彼が目の前に現れる。
二人は抱き合い、一夜を共に過ごす。

第3幕

シルヴァーナとドネッロは情事を続け、互いに離れることができないくなっていた。
エウドシアはとっくにその事実を知っていたが、息子バジリオのことを思い秘密にしていた。
しかし、彼女は政治的影響力を行使し、いまこそドネッロをコンスタンティノープルへ帰還させるよう仕向けた。
孫にこのことを伝えようとした日、彼女は孫の部屋でシルヴァーナを見つけてしまう。
明かになった二人の不倫関係はもはや隠し通すことができなくなる。
義母の陰謀によってドネッロと引き離されることを知ったシルヴァーナは、怒りと絶望に打ちひしがれ、バジリオに不倫の事実を白状する。
そしてバジリオと過ごした幸せな瞬間はまったくなく、彼の誘いに屈するたびに彼を軽蔑していたと告げ、バジリオを罵倒する。
老いたバジリオは精神的に混乱し崩壊し、心臓麻痺を起こしてしまいそこで息を引き取る。
 エウドシアは息子の死をシルヴァーナのせいにし、彼女を殺人鬼、さらには魔女と罵倒する。

暴徒と化したの群衆の裁きに引き渡されたアグネーゼのときとは異なり、シルヴァーナは司教のもと正式な裁判を受けることとなる。
彼女は姦通に関しては告白するが、魔女の嫌疑は一切を否定する。
彼女の自己の弁護は愛の炎に屈したことが唯一の罪、ドネッロと彼女は愛で結ばれており、この愛に生きると主張。
ドネッロも同じ思いとなり、感動してシルヴァーナを弁護すると、司教と聴衆は心動かされ、シルヴァーナを無罪放免にしようとする。
しかしそのとき、義母エウドシアが口を開き、魔女として有罪判決を受けたアグネーゼとの関係、そしてシルヴァーナの魔女のような母親にまつわる噂を、激しく言いつのり、その過去を全員に思い出させる。
そして最後に、彼女は「魔女!魔女の娘!」という言葉で告発を終える。
ドネッロもこといたっては、シルヴァーナを疑い始め嘘だと言ってくれと責め、シルヴァーナはもはや彼を信頼できないことを悟る。
愛への夢は砕け散ってしまい、自暴自棄の心境となったシルヴァーナ。
司教が十字架を彼女に差し出し、魔女を糾弾する最後の機会を与えた時、彼女はその誓いの言葉を発することができない。
彼女の沈黙は告白とみなされた。
人びとは、神は正しく下された!魔女!と叫ぶ。
シルヴァーナは火葬場へと運ばれる・・・・

                

救いのない絶望的なドラマ。
2度も魔女狩りの火刑があり、不倫あり、突然死あり、義母のいびりあり、嫉妬あり、愛のシーン・・・・
人間の心のなかにある迷信や超常現象的なものに対する恐れと不安のおののき、そして期待と不安への憧れ。
そんな心情もあって、このオペラの初演とその後の各地で世界戦争前夜当時の上演ブームにつながったんだと思います。
それは人々の集団ヒステリーでもあり、キリスト教と邪教との聖邪の対立、厳しい家父長制、女性の心の自立、フェニミズムなどなど、いまでも通じる普遍的な事象をあらわしてもいて、このオペラに社会性をまとわらせた演出が可能であることも証してます。
忘れ去られたこのオペラ、ローマでのライブをメインに聴きましたが、2024年のベルリン・ドイツ・オペラ上演も視聴できました。
研ぎ澄まされたクリストフ・ロイのシンプルな演出の説得力と歌手たちの迫真の演技があまりにも素晴らしく、度肝を抜かれました。

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レスピーギの音楽の素晴らしさ。
冒頭から宿命的なサウンドで、このオペラの逃げようのない苛烈さをすぐさまに感じさせる。
そしてすぐさま、エキゾシズム漂う東方ムードに覆われる使用人たちの女声の歌声。
歌手たちには、アリアなどひとつもなく、独白的な場面でつながれているが、義母エウドシアのまるでワーグナー作品のオルトルートの存在を思わせるような邪悪な雰囲気の音楽や、ドネッロのやたらと甘い役回り、表向き強権ムードのバジリーオ爺さんが、若い妻にはメロメロだったりするシーンなど、ともかくよく書けてる。
そしてヒロインのシルヴァーナの音楽は、とても同情的な側面で書かれている一方で、暗い情念をにじませるような二面性もあり、この役柄を歌いこむ大変さも感じるのであります。
交響詩でも存分に発揮されているオーケストレーションの見事さは、オペラでも各シーンの鮮やかなまでの描き分け、事象を彷彿とさせるリアル感など、ここでも満載です。
 あとなによりも、美しいのは愛を語るシーンでのとろけるような甘美かつ抒情的な音楽。
1幕の若いふたりが、子ども時代を語るシーンでは森や鳥のさえずりなども模写され美しいく清々しい一方、結ばれてしまったあとの3幕での二重唱は濃厚なトリスタン的後期ロマン派の音楽となっている。
 そして、1幕の最後、終幕でのエンディングの強烈さもすさまじいです。

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97年のローマでのライブは舞台の熱気をそのまま感じる優れもの。
ロッシーニ指揮者でもあり近現代ものが強かったジェルメッティは2021年に75歳で亡くなってます。
存命ならばイタリアを代表する巨匠であったでしょう。
ここでのレスピーギは、切れ味よろしくローマのオーケストラとは思えないくらいに鋭い音がでてるし、また歌心もたっぷり。
歌手では実績あるミリチオウが圧倒的な歌声で、清楚さから妖気と諦念もうまく表現していた。
ほかはデコボコあり。

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        シルヴァーナ:オレシア・ゴロヴネヴァ
    ドネッロ:ゲオルギー・ヴァシリエフ
    エウドシア:マルティナ・セラフィン
             バジーリオ:イヴァン・インヴェラルディ
    アグネーゼ:ドリス・ゾッフェル
    モニカ:スア・ジョー   ほか

  カルロ・リッツィ指揮 ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団
             ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団

      演出:クリストフ・ロイ

        (2024.9.29  @ベルリン・ドイツ・オペラ)

私のヒットゾーンの作品を次々と上演してくれてるベルリン・ドイツ・オペラでのライブ。
ドイツ放送から録音し、さらにその舞台もネット視聴することができました。
この視聴で、ラ・フィアンマの作品理解をかなり深めることができた。
無駄なものをいつもそぎ落とすミニマル演出家ロイ。
室内仕立てのサスペンスを見るかのような求心力と音楽への集中を妨げないシンプルな演出は、ここでも見応え充分。
女声3人とモニカを加えた4人がすばらしい。
役柄に没頭し迫真すぎる演技と柔らかさと強烈さも併せ持ったロシアのゴロヴネヴァはビジュアルもよい。
大ベテランのゾッフェルが鬼気迫る魔女役に、ドラマテックソプラノのセラフィンが、ここではメゾの領域で本ドラマでの悪役に挑戦し、複雑な心境を歌い演じる。
ローマ盤より録音が最新のせいか、バリっとした鮮やかさがあるオーケストラがうまい。

いつかDVD化を望みたい。

音源としては、85年頃のガルデッリ盤があり、当時フンガトロンレーベルにレスピーギのシリーズを録音中だった。
聴きたいのですが、そちらは入手難。

ヴェルディ(1813~1901)以降のイタリアオペラ作曲家

  ・ボイート     (1842~1918)
  ・ポンキエッリ   (1843~1886)
  ・カタラーニ    (1854~1893)
  ・レオンカヴァルロ   (1857~1919)
  ・プッチーニ    (1858~1924)
  ・フランケッティ  (1860~1942)
  ・マスカーニ    (1863~1945)
  ・チレーア     (1866~1950)
  ・ジョルダーノ     (1867~1948)
  ・モンテメッツィ   (18751952)
  ・アルファーノ    (18751954)
  ・ヴォルフ=フェラーリ(1876~1948)
  ・レスピーギ     (1879~1936)
  ・ピツェッティ    (1880~1968)
      ・マリピエロ     (1882~1973)
  ・メノッッティ     (1911~2007)

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まるでゴジラのような雲。

ドラマテックにすぎる空でした。

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