2026年7月19日 (日)

東京交響楽団定期演奏会 ヴィオッテイ指揮

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サントリーホールまでいつものように新橋から徒歩でのアプローチ。

日陰を選びながら歩きましたが、ホール裏手まで来ると坂も多く正面のアークヒルズでしばし身体を冷やしました。

楽しみだったブラームスとドヴォルザークの素敵なシンフォニー・プログラム。

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   東京交響楽団 第743回定期演奏会

 ブラームス     交響曲第3番 ヘ長調 op.90

 ドヴォルザーク 交響曲第7番 ニ短調 op.70 

 ブラームス   ハンガリー舞曲第1番 ト短調
          (アンコール曲)

         ロレンツォ・ヴィオッテイ指揮 東京交響楽団

       コンサートマスター:小林 壱成

        (2026.07.18  @サントリーホール)

ありそうでなかったように思えるこの2曲によるプログラム。
ドヴォルザークが影響を受けたブラームス、とりわけ3番の交響曲には大いに触発され、ブラームスもドヴォルザークの才能を認めるという、そんな仲の作曲家による作曲年代もほぼ同じ時期という2曲。
ヴィオッテイはかつて東響で同じドヴォルザークを指揮しているし、各地でも何度も取り上げている得意の曲目。
どちらも譜面台を置かずに暗譜での指揮。

①私のようなオールド・リスナーは名曲全集などの解説本に、ブラームスの英雄交響曲などと書かれていた時代を音楽聴き始め時期として過ごしたのですが、そんなことを一笑に付したくなる、そんな柔和で洗練された演奏だった。
冒頭のモットーは、やわらかく、ふんわりとした感じで扱われスタート。
ここでこの演奏の抒情性を重んじた方向性がわかった。
くり返しはせず、テンポは中庸からゆったりめ。
おおらかに、よく歌い、すみずみまで磨き抜かれた東響の各セクションの音が実に美しい。
この演奏に闘争的な要素はゼロなのだ。
美さは、大好きな2楽章に最大にあらわれ、微笑むような吉野さんのクラリネットを主体とする木管陣の中間色の音色はまさに至福の美さ。
次の3楽章とともに、ヴィオッテイのなかにあるヨーロッパ、その音楽であることも認識できてしまう。
その3楽章は甘くならず、むしろ渋い演奏だったが、ここでもよく歌わせるので音楽が心地よく、ホルンも見事。
アタッカ気味に一瞬の間のみおいて開始した終楽章のダイナミックな展開が、これまでの精妙な美しさとの対比で引立つ。
ここでの情熱的な様相は、次のドヴォルザークにも引き継がれるが、ブラームスの3番の面白さは華やかな大団円でなく、1楽章を回顧しつつ後ろ髪を引かれつつ穏やかに収束していって曲を静かに閉じるところだ。
こうして、柔らかな演奏に徹したヴィオッテイの意図もよくわかったような気がした。
静かな終結に、音が鳴り終わってもホールは静寂に。
この3番の交響曲、すべての楽章が静かに終わる、そんな作品なんです。

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ロビーにはこんなパネルが。

②ドヴォルザークは、1楽章から指揮の気合の入れ具合が違って感じ、うしろから見ていても左右に指示が細かくなされていた。
ブラームスの影響下にあるものと、ボヘミア的なもの、そこに情熱のほとばしりがある、そんな交響曲が7番だと思います。
克明ななかにも、ヴィオッテイらしい洗練されたセンスの良さを感じさせる1楽章は、第2主題の展開が牧歌感よりはもっと純音楽的な美しさであり、やや厳しい曲調の第1主題との展開が聴いていてとても面白く、しいてはドヴォルザークの曲作りはすごいな、うめぇもんだなぁと感心する始末で、コーダの追い込みから寂しげな終結まで、ヴィオッテイと東響の息も抜群。
 その感心でいうと、ブラームスと同じくこれまた大好きな第2楽章がともかく素晴らしく美しく、ワタクシは涙ぐんでしまうのでした。
竹山さんのフルートが最高でした。
ここにおけるドヴォルザークの調べもまさにヨーロッパ、それも中欧を思わせる音楽。
ヴィオッテイは音楽と一体化したような指揮ぶりで、ときに指揮を止めオーケストラに任せ、自ら聴き入るような様子。
ソロのあったみなさんは、それこそ大変だったでしょうが、このあたりのオケの導き手としての指揮者の存在感やあり方、楽員の主体性を重んじ引き出すようなそんな指揮に、今後続くこのコンビの幸せな結びつきを見た思いだ。
それから、この楽章にチェロとヴィオラの分奏があるのを、何度か演奏会で聴きながら、いまさらながらにわかりました。
 メランコリックな3楽章も素敵な演奏で、指揮者のリズム感のよさ、オーケストラの反応の良さを味わう。
そして、いつものように休止はほどんど取らずに緊張感を保ちつつ終楽章へ突入。
ただならない熱気を伴い維持しつつブラームスのときとはまた異なる情熱の吐露。
一転チェロによるステキな旋律の第2主題では、思い切り歌うように大きく両腕を広げ、楽員さんたちもほんと心を込めて演奏しているのがよくわかり、観て聴いて、こちらも心躍る思いだったのだ。
次の展開で打点のよく効いたメリハリ感豊かな追い込みも迫力あり、この楽章の楽想の展開の早さで耳も忙しいが、オーケストラも指揮者の厳しい要求に次々と応えついてゆく。
そして迎えた大団円では大見得切る様子も堂に入っており、その盛り上げ方もごく自然に沸き起こったものと感じ、オーケストラの夢中っぷりもこちらの興奮誘うもの。
この曲の終結でも、ホールはしばしの静寂があり、ヴィオッテイが腕を下ろし、楽員さんも構えを崩したのを見計らっての盛大な拍手とブラボー。

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スラブ舞曲でもやらないかな?と真剣に願っていたら、なんとリトル・サプライズと一言で、ハンガリー舞曲。
聴衆のおっ!という声も。
それがまた興奮誘う快速ハンガリーで、息もつかせぬ鮮やかさとオケの超名人芸っぷりをワタクシ、体を揺らすようにして堪能したのであります。
もう大ブラボー大会でございましたよ。
聴き手の心を鷲掴みにしてしまうヴィオッテイ兄貴に参りました。

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次はサマーミューザです。
暑いし、熱い演奏になりそう。

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2026年7月 4日 (土)

メンデルスゾーン、チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 ミルシテイン&アバド

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梅雨まっさかりの関東。

ちょっとした雨の休止時の散歩。

晴れ間が愛おしいけれど、あと1ヶ月もしたら曇りや雨がそのように思えるようになる暑い夏がやってくる。

チョー久しぶりに「メン・チャイ」を聴く。

中学の音楽の授業で聴いた(聴かされた)メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。
あの哀愁感じるメロディにすぐさま惚れ込みレコード屋さんに走りました。
もちろん少ないお小遣いで買えるのはコロンビアレコードのダイヤモンド1000シリーズの1枚。
もう手もとからなくなってしまったが、ブロノスラウ・ギンペルという往年のヴァイオリニストのソロに、バンベルクのオーケストラの演奏。
カップリングはチャイコフスキーで、まさに私の初メン・チャイ。
ジャケットはまだ覚えていて、アルプスを背にした教会の屋根だったと記憶。
チャイコフスキーはよくわからなくて、メンデルスゾーンばっかり聴いていた。

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 メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 op.64

 チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.35

    ナタン・ミルシテイン

 クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

              (1972.9,12 @ムジークフェライン、ウィーン)

このレコードが発売されたのは1973年で、この年来日をしたアバドのファンにすでになっていたワタクシ。
聴いたのはもっと後年ですが、久方ぶりに録音に登場した超ベテランのミルシテインが、若手のアバド、しかもウィーンフィルでの演奏ということで大いに話題になった1枚。
68歳のヴァイオリニストと40歳の指揮者というDGの仕組んだ組み合わせの妙。

ミルシテインは中学生の自分ながら、その名はすでに知っていて、父が職場からもらって来た大量のEMIのレコードの中の1枚に、シャコンヌや熊蜂などの技巧的な小品を集めたものがあり、それをよく聴いていたのでした。
ちなみに、このレコードたちのなかにあったのがビーチャムのディーリアスで、ディーリアスとの出会いもこのときだったのです。

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このレコード発売時のレコ芸の広告。
ついでながら、ジャケットには、ウィーンフィルのコンマスのヘッツェルとキュッヘルも写ってまして若い。
こんな風に大いに宣伝されたものですが、レコ芸の月評ではミルシテインのヴァイオリンは絶賛されましたが、アバドの指揮はけちょんけちょんにけなされましたね。
そう、協奏曲担当は当時U氏でしたから。
唯一、チャイコフスキーの2楽章だけ、ウィーンフィルの美さで絶賛するという捻りぶり。
当時、聴いてもないのに腹立ちましたねぇ。
U氏、同様のことは、アバドのほかのレコードでもずっと続きましたがロッシーニだけは手放しで絶賛。。。。

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ヴィルトゥーゾという印象の強かったミルシテインが、ベテランの域に達しDGに残した70年代の一連の録音。
このメンチャイも久しぶりに聴いてみて、その音色の鮮明さ、艶っぽさに驚いた。
達観していい年齢にも達していたのに、その瑞々しさと、名曲を演奏しながらも客観性を感じる知的な演奏。
ミルステインのバッハの無伴奏を聴いたのもここ10年ほどのことで、そこでのスケール感とともに感じた集中力のすごさ。
そのイメージともまた違う若々しさは、曲ゆえか、名曲への姿勢か、アバドという共演者のゆえか。
好々爺とせず、アバドとともに柔和でしなやかなメンチャイを作り上げた感じ。

今回、結構な大音量で聴いてみた。
ミルシテインの艶のあるヴァイオリンもよいが、それ以上に70年代のウィーンフィルの柔らかなな音色とうるさくならないチャイコフスキーでの響き。
ともかく録音がとてもよく感じたし、アバドの強弱を豊かにつけた明快な指揮ぶりもよくわかった。
弱音へのこだわりと、その歌いまわしの美さはアバドならではで、2曲ともに緩徐楽章が極めてステキなもので、躍動感あふれる3楽章との対比もこれも2曲とも鮮やか。
グルダとのモーツァルトにも通じる、アバド&ウィーンフィルの素晴らしさ、ムジークフェラインでの録音の良さです。

このあとミルシテインが録音したブラームスは、指揮がヨッフムに変わり、それはそれで滋味あふれるものでしたが、アバドでも聴きたかったし、ベートーヴェンやモーツァルトもDGに残して欲しかったものです。

それにしても、メン・チャイ、いい曲だわ。
とくに、メンデルスゾーンのあふれるメロディーと屈託のない明るさは、新緑と梅雨空の先に来る青空を感じさせましたよ。
気分いいです~

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ピントを遠くの厳島神社に合わせてみました。

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2026年6月26日 (金)

ブルックナー 交響曲第1番 アバド指揮

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紫陽花シーズンも最盛期、日本は北海道をのぞいて梅雨本番。

近くの町、開成町のあじさい、今年は行けなかったので以前の写真です。

6月26日は、クラウディオ・アバドの誕生日。

1933年生れ、93回目の生誕祭。
私の世代では、若手三羽烏と呼ばれた同世代の、アバド、小澤、メータ。
メータのみが存命で、つい先だって90歳を迎え、現役で活躍中。

 ブルックナー 交響曲第1番 ハ短調

  クラウディオ・アバド指揮 ウィーフィルハーモニー管弦楽団

              ルツェルン祝祭管弦楽団

今年のアバド生誕祭は、ブルックナーの1番。

若い頃からブルックナーは1番のみを好んで指揮していて、4つの録音を聴くことができます。
いつもお世話になっておりますアバド資料館のデータを拝借しますと、ウィーンフィルとは69年を皮切りに、70,72,73,96年。
ローマRAI放送と69年、ロンドン響と70年、ニューヨークフィル、クリーヴランドで70年、シカゴ、フィラデルフィアで71年。
ベルリンフィルで72年と70年代初頭に各地で指揮してます。
その後は96年のウィーンで録音も見据えて取り上げるまで空白あり。
ベルリンではほとんどやらず、晩年のルツェルンでのブルックナーチクルスの一環で2012年に指揮してます。

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この1番ほどには、録音を残した4,5,7,9番は演奏頻度が高くなかった。
もちろん30~40代の頃に1番は集中してますが、90年代とルツェルン時代は録音も見据えたブルックナーチクルスの一環であり、アバドのブルックナーへの取組で、円熟期にもっとも打込んでいたのは、5番と9番ではなかったのではないかと思います。

1番の作品ついては過去記事より引用しておきます。

1866年、ブルックナー42歳の作品。
オルガニストとしての活動の一方、その合間に作曲法を勉強し、ミサ曲や序曲、無印習作交響曲、第0交響曲などを書いていた。
リンツでオルガン奏者を務めつつ、1865年、「トリスタン」の初演に立会い、大いなる感銘を受け、ビューローとの接点もできた。
ワーグナーに触発されつつ完成したのが正式に番号をふった1番。
68年に自身の指揮で初演されたものの、その指揮のまずさとオケのショボさもあり評価は得られず。
その後に77年や84年に改訂をしており、これらの版を「リンツ版」といい、手直し職人の名のとおり、1890~91年、66歳になってから手を入れた版が「ウィーン版」といわれる。
このウィーン版の改訂時には8番がすでに完成し、9番にとりかかる時期。
ブルックナーの音楽のスタイルは30年経っても変わらないことが、1番の改訂を最後の交響曲のあたりでやったという事実でもってわかりますね。
ハ短調に始まり、最後にはハ長調に転じて、勝利宣言のようになるという交響曲の常套を踏んでいるところも妙に愛らしい。

原始霧と呼ばれるブルックナー開始は1番はなく、軽やかさもある刻みで始まり、推進力にあふれる1楽章は、優しく歌謡性にもあふれた第2主題が素敵だし、木管の鳥のさえずりのような動きが随所にあって好き。
 抒情的な2楽章は、ブルックナーの緩徐楽章のなかで、2,6番と並んで大好きでして、もう大昔に行ったスイスアルプスの景色をいつも思い起こしながら聴いてしまう、まさにヨーロッパの音楽と感じる。
 いかにもなブルックナーらしい弾みの良いスケルツォ楽章は、ほかの番号にも通じる変わることないブルックナーらしい音楽。
この楽章のよいところは、中間部のおおらかさ、呑気さ、牧歌感でしょう。
 火のようにと指定された4楽章は気合い充分にみなぎった激しさと苛烈さがありつつ、全体を見通してフィナーレを築き上げようとするシンプルさが後年の作品たちの威容からすると物足りなさがある。
しかしこの推進力と大胆さは、ブルックナーの青さ、若々しさがみなぎっていて捨てがたい。
大家による大人な演奏より、若い指揮者が大胆に指揮することで1番の良さが引立つものと言っていい。
リズムのよさ、軽やかさ、抒情性、歌謡性、大胆さ、このあたりが1番では求められると思いますね。

アバドは一貫して多くの指揮者と同じく「リンツ版」による演奏だったが、最後のルツェルンでは「ウィーン版」を取り上げた。
2012年のルツェルンでの演奏、そしてその翌年2013年は未完成とブルックナーの9番。
その年の秋には日本公演も予定され、私もチケットを確保してましたが体調悪化で中止・・・
そしてその半年後の2014年1月にアバドは亡くなってしまう。
9番の前に改訂したウィーン版をアバドが指揮したかったのは、ルツェルンでのブルックナーチクルスに第9で区切りを付けると言う流れがあったからではないかと思う。
2014年以降は、ブラームスを取り上げる計画だったとか。

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  1969年 ウィーンフィル

ともかく活きがよく、意欲にあふれた演奏。
老舗オーケストラを前に臆することなくやりたいことをやってしまった感じ。
ベートーヴェン7番のリズム感、ロッシーニのような軽快さ、そんな大胆なブルックナー。
動画で70年頃の演奏を観ることができるが、コンマスはボスコフスキーで、ウィーンの面々は何食わぬ顔で演奏。
若い頃のアバドはともかく指揮ぶりがダイナミックで、その姿を見てるととてもブルックナーを指揮しているとは思えないところが面白かった。
第2楽章の清涼感感じる若々しい抒情が素敵だし、スケルツォもノリノリでよろしい。
なんだかんだで、1番好きな演奏かも。
録音はデッカのゾフィエンザール録音のイメージそのものだが、やや古くも感じる。

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  1972年 ウィーフィル・ライブ

数年まえに忽然とあらわれた音源で、ウィーン芸術週間でのライブ。
前半がオイストラフとのブラームスの協奏曲で、この演奏会はNHKFMで放送された。
エアチェック小僧になりたての自分だけれど、これは録音してなかった。
この頃のアバドはウィーフィルと蜜月の度合いを深めていて、前年にパーマネントコンダクターとなり、73年には来日した。
生々しい録音で、デッカのスタジオ録音より、ムジークフェラインでの演奏ということもありウィーンフィル丸出しの印象。
柔らかな響きと丸っこい音色は、いまは失われし70年代のウィーンフィルの音だと感じる。
アバドはライブでは燃えちゃうので勢いがあり、演奏時間は変わらぬが煽るようなところもあり、速めに感じる。
熱さと懐かしさ感じるブルックナー。
終楽章が熱い。

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  1996年 ウィーフィル

1月のライブ録音で、11月には9番を録音して、それがウィーフィルとは最後のレコーディングとなりました。
若い時の録音となんら変わらぬ若々しい表情を持つ演奏で、それこそがアバドの個性ともいえると思う内容。
節まわしのゆとりや、より増した自然さ、間の美しさなど、やはり30年間の重みも感じ充実度が高い。
ウィーフィルはウマくなった感あり、ローカル感は減退。
でもよりインターナショナルになったいまのウィーフィルよりはずっとウィーンしてるし、DGのムジークフェライン録音は潤いも豊かで素晴らしいものだ。
この時期に、いっそのこと、2,3,6番にも挑戦して欲しかった。
8番はアバドが絶対にやりそうもない曲だったけれど。。。

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  2012年 ルツェルン祝祭管弦楽団

ウィーン稿を取り上げたルツェルンでのブルックナーチクルス。
先に触れたとおり、1番を書いたときは、トリスタンに接しワーグナーへの心酔を深めた頃。
このウィーン版では、そのワーグナーへの思いがより強く感じるようにオーケストラの厚みと響きがグレートアップしている。
私の持つ唯一のウィーン版は、ヴァントの録音だが、このアバド&ルツェルンの方が洗練の度合いが増し、壮麗さがあるのは録音の良さばかりでもあるまい。
なんといっても腕っこきのオーケストラの面々が肩の力を抜きつつも、真剣にブルックナーに向き合ったときの音のすごさは、特に4楽章に感じるし、最初から最後まで69年録音のときと同じ若々しさと推進力があるのが驚き。
その4楽章ですが、このウィーン版は大曲然となりすぎていて、屋上屋を重ねるように感じなくもなく、やはり若々しいちょっと青いリンツ版の方がいいと思う。
2楽章での透明感は、病後のアバドが到達した境地であり、翌年の第9もかくやと思わせる無為の域を感じます。
最初の録音と、この最後の録音とで2楽章を何度も聴いて、ここ数日の晩を過ごしました。

ブルックナーの1番を愛したアバドが、とても微笑ましく、アバドという指揮者が最後まで若々しさとしなやかさを保った演奏家であった。
今年の生誕祭には、そんな思いをあらためて強くしました。

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2026年6月16日 (火)

東京交響楽団定期演奏会 ヴァンスカ指揮

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いつも楽しみにしているサントリーホールのカラヤン広場の飾り花壇。

季節に応じた花を配したその見事さは、素人にはできない見事さ。

6月に聴くラフマニノフに相応しい紫陽花の色どりです。

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  東京交響楽団 第741回定期演奏会

 ベートーヴェン 交響曲第8番 ヘ長調 op.93

 ラフマニノフ  交響曲第2番 ホ短調 op.27

   オスモ・ヴァンスカ指揮 東京交響楽団

     コンサートマスター:小川ニキティングレブ

        (2026.6.13 @サントリーホール)

昨年3月に東響に初客演したオスモ・ヴァンスカ、私もなんどかその機会を図っていた指揮者でしたが、そのときが初ヴァンスカ。
都響とのシベリウスを聴き逃してしまったが、早くも実現した1年後の東響への登場は、その素敵なプログラムとともにおおいに楽しみだった演奏会でした。

昨年夏にノット指揮で聴いたベートーヴェンの8番。
そのときにアクティブで攻めの姿勢に富んだ8番と違い、同じく比較的大きめな編成ながら、ヴァンスカの方はヴィブラートは控えめながらも、おおらかで音もたっぷりと響かせた大人な演奏だった。
東響で聴くベートーヴェンは、この1年間でマルッキの田園、ノットの第8・第9、ヴィオッテイの1番と、そのどれもがまったく異なり、オーケストラのフレキシビリティの高さもわかるわけだが、ベートーヴェンの音楽がそのアプローチの仕方でまったく違って聴こえるということも味わえたことで、会員になっているありがたみも痛感した次第。
 ヴァンスカの指揮は、その指示ぶりなどを見ていると、強弱へのこだわりと、旋律線ばかりか内声部を際立たせたりして、オーケストラもそれに瞬時に反応して、聴き慣れた音楽でも息が抜けず、耳に新しい発見を伴わせてくれる。
これは1年前に感じたことだけれど、ベートーヴェンとラフマニノフでは、それがさらに徹底されていた。

たっぷりと鳴り渡った1楽章、正確なリズムを刻みつつも低弦の動きが面白く楽しめたりもした2楽章。
ソロに向かってまるきり指揮していて、きっと緊張したろうなと思いつつも、それに応え見事だった上間さんのホルン。
スピード感あふれつつも、どの楽器もそれぞれに浮きあがるように引立って聴こえた終楽章。
ミネソタ管とのベートーヴェン全集をこれは聴いてみなくては、と思いましたね。

シベリウスやマーラーのCDを聴いてきて思うヴァンスカの音楽造りの緻密さ。
いろんな声部を巧みに響かせ、新鮮な驚きを与えつつも、旋律線は明快に澄んで聴かせる北欧の音楽家ならではの手腕。
こうした印象が、そのままラフマニノフで感じ取ることができた。
これまで数えきれないほど聴いてきたラフマニノフの2番。
プレヴィンとスラトキンは、思い入れが先行したという感情が入り込んだものだったので、それらを別格にして、これまででいちばんの演奏だったと思う。

甘さや旋律に溺れることのない、むしろ渋い演奏。
ゆったりめの運びで克明な演奏に徹した1楽章。
当然にくり返しあり、演奏時間も他音源に比べても長いのではなかったか。
ラフマニノフの音楽は、ヴィオラがとても重要な存在だと思っていて、そのあたりの思いを確信させてくれるように、そのヴィオラとチェロを浮き上がらせるように、よく鳴らしていたし、首席3人を揃え、お馴染みの青木さんがセカンドプルトにいるという豪華版は、ますますヴィオラ陣のしっかりした音に力を与えていたと思う。
 久々のコンマス・ニキティンさんもノリノリで、ヴァイオリンを立てるようにして激奏、ヴァイオリン陣は第1も第2も、今宵はともかく熱演で、気持ちよくみなさん弾いているのが拝見できました。
 速めにズバズバ進行した2楽章は、おおらかな前の楽章と対比もあざやか。
打楽器も小気味よく、ヴァンスカの指示も各奏者に向け細かに振り分けている。

甘美な旋律に溺れることなく客観性を保ちつつも、しかしラフマニノフの音楽の旋律のよさをとことん味わわせてくれたのが3楽章。
ヌヴーさんの鮮やかだけど、繊細なるクラリネットソロに導かれ、ともかくまんじりとせずに思い切り集中して聴いた。
指揮棒を置いての丁寧な指揮ぶりは、やはりソロ奏者にむけて振るので、当事者はそれこそ大変だなとも思ったが、なにがおこるか毎回わからないノット監督に鍛え上げられた東響はヴァンスカの厳しい指揮に動じることなく、完璧に応えていた。
のめり込むようにして夢中になってしまうこの楽章のクライマックスは、そこに至るまでが着実な積み重ねで浮つきがまったくなく、その流れの必然として頂点が築かれたように感じ、この音楽の真の美しさとラフマニノフが得た自信のようなものまで思いをはせることができた。
ビューティフルなプレヴィンとはまた全然違う精緻な美しさに酔った、涙も出た。
終わらないで欲しいと思った。

カッチリじっくりやるだろうと思った4楽章は、終始熱がこもり、この作品の総決算とも呼ぶべき完全無欠ぶりで興奮誘うものだったのだ。
大好きな第2主題、これはもう指揮者もオケもみんな、ここにむかってやってきたといわんばかりの気持ちいい歌いっぷり。
各章を回顧するシーン、3楽章の振り返りのあと、かなり長く感じられた休止を置いたのが印象的。
聴き手にも間違いなく緊張感が高まったのは事実で、その後から展開される怒涛のフィナーレへと期待とワクワク感が高まりました。
もうあとは、わたくし、指揮者にオーケストラのみなさまにと、きょろきょろしつつ興奮のしっぱなし。
徐々に高まり、ついにあの第2主題が高らかに!
もうダメだ、わなわなしっぱなしの大興奮。
かなりの追い込みをかけたヴァンスカの棒が振り下ろされるや否や大ブラボー大会でした。
ワタクシは慎ましく、一声のみ参加。

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いやぁ、素晴らしいラフマニノフが聴けた。
今回ライブ録音されたらよかったが、ヴァンスカさんには、ミネソタ管で正規録音を残して欲しい。
ノットやヴィオッテイとタイプのまったく異なる職人気質でありつつ、オーケストラの力を巧みに引き出すヴァンスカさん。
常連指揮者になって欲しいです。

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むかしのふくよかなイメージの強かったヴァンスカさん。
ずいぶんスリムになられました。
また登場して、シベリウスならクレルヴォやレンミンカイネン、プロコフィエフは6番やネフスキーなどをやって欲しい・・・

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関東は梅雨本番を迎えます。

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2026年6月12日 (金)

ラフマニノフ 交響曲第2番 プレヴィン

Ajisai-nakai

紫陽花の季節。

よく通る場所でして、毎年、いろんな色彩の紫陽花がまとめられていて奇麗に開くんです。
ちょっと虹を加工して添えてみましたよ。

アルカリ、酸性、とかその土壌によって色が変わると言いますが、ここはいったいどうなってんでしょうね。

梅雨の時期を美しく彩どる紫陽花、日本らしい風情です。

次のコンサートは、ヴァンスカが指揮するラフマニノフの2番。
ずっと好きだった交響曲ですが、ちょっと聴きすぎてしまい、飽いてたところに接したのが昨年の都響来演のスラトキンの名演。
スラトキンのラフマニノフには、思い入れもあり、やっとその指揮で聴くことができた喜び。
セントルイス響をメジャー級に鍛え上げ、録音した一連のラフマニノフ。
そしてN響に来演し指揮した鮮やかなな第2番はリズム感あふれる若々しい演奏だった。

そして「ラフマニノフの第2番」がいまのような人気曲になった、その立役者がアンドレ・プレヴィン(1929~2019)。
プレヴィンが生涯に何度も指揮してきたこの曲を聴ける限り聴いてみた。

  ラフマニノフ 交響曲第2番 ホ短調 op.27

     アンドレ・プレヴィン指揮

Rachmaninov-2-previn-lso-1973

①ロンドン交響楽団 (1973.1)  59分

いうまでもなく、この1枚がラフマニノフの2番という音楽の評価を定着させ、人気曲へと決定づけたといっていいだろう。
2度目の録音で、作者自身もやむなく認め、第2次大戦後にはもう慣例となっていた短縮版によるものでなく、カットを復元し繰り返しをすべて行う完全全曲版による初の演奏だった。
73年の録音だが、それに先立つ1971年にこのコンビは来日してこのラフマニノフを演奏した。
まだ小学生だったワタクシ、NHKがテレビ放送したものを見た記憶があり、大木正興氏が解説だったと思うが、曲や演奏はもうまったく覚えてませんが、ともかくこんな曲を指揮する若いプレヴィンって何者だろう・・・そんな風にしか思わなかった。
当時は、ポップスあがりの指揮者なんて・・・ってな目でしか見てなかったし、ビートルズのようなマッシュルームカットの髪型や太いストライプのシャツなどもクラシックの本流とは違うんだと思い込んでいたのです。

このレコードを手にしたのは長じて、もっとあとのこと。
社会人になってアパートで独り暮らしをするようになり、FMで録音したこの曲。
演奏は、ヤン・クレンツ指揮のケルン放送響で、曲の素晴らしさにいまさらにほれ込み、同時にその演奏があまりに素晴らしくて、カセットテープを何度も何度も聴いたものだ。
都会の寂しいわび住まいを癒すあまりに美しい旋律に酔いしれ、毎晩のように酒を飲みながら聴いた。
 そして、やっぱりこの曲はプレヴィンだよな、ということでレコードを購入。
実家に装置を置いてあったので、週末になると帰って貪るように、すり減るくらいに聴いたプレヴィンの演奏は、それこそ私の体に刷り込まれたこの曲のイメージなのでありました。

「ラフマニノフの音楽の抒情と憂愁、そしてリズムと熱狂、これらを、迷うことなく思いきり聴かせてくれる。
この曲の持つすべての魅力が過不足なく描きだされていて、昨今のすっきり・かっちり系とは違う、私のとって懐かしさにも似た大人社会へ導かれた演奏なんだ。」
以前に書いた私のブログ記事を引用、ほんとそのままの印象をそのまま抱きます。
プレヴィンとロンドン響のラフマニノフとその音楽への愛にあふれたビューティフルなこの演奏は、まさにエヴァーグリーン。

②ロンドン交響楽団 (1966.4) 50分

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指揮者としてまだ駆け出しの頃、それでも37歳のプレヴィンのRCA時代の録音。
日本国内盤のジャケットはこれ。
プレヴィンの71年の来日記念盤のレコ芸広告から抜き出しました。
カットありの50分の演奏で完全版より10分短い。
始めて聴いたときはカット部分が物足りなく感じたけれど、そんなことは気にならなくなるほどに感性にあふれ、振幅も大きく、ナーヴァスでありつつ曲への没頭感も感じさせる秀演。
ケルテスがLSOを率いていた頃で、同時期にアバドもデッカに録音を始めた頃。
かなりよく歌わせる一方落ち着きもあり、やはりプレヴィンらしい柔和さもある。
捨てがたい1枚です。

③ロンドン交響楽団 (1977 @ザルツブルク) 58分

ロンドン響の熱心なファンが公開しているアーカイブで、ザルツブルク音楽祭での貴重なライブ。
音はイマイチながら、その熱気たるや並々ならない。
3楽章でのうねるような情熱、終楽章での燃え盛るような追い込みなど、スタジオ録音とはまた違うプレヴィンの姿。

④ロンドン交響楽団 (1979 @ロイヤル・フェスティバルホール)59分

これは素晴らしいライブ。
当時のLSOの本拠地で、いつものようにナイスな指揮ぶりで、情熱の込め具合も充分で、3楽章のクライマックスでは感涙したくなるほど。
70年代のプレヴィンとLSOがいかに素晴らしかったか。

⑤ロイヤルフィル (1985.3)  62分

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ロイヤルフィルの指揮者時代のテラーク録音は、音質が生々しく、かつてのEMIの響きの拡散してしまう音と違いリアル感や迫真性が増した。
またテンポも少し動かしたりして全体に勇壮感が増しスケールアップ。
すべてにおいてLSO正規盤よりも成熟度が増しているが、すり減るほどに聴いたEMI盤が録音もふくめどこか懐かしく感じられるのも事実だ。
この音盤単体でいうならば、この曲1,2を争うべき完成度と感性の高さを持った演奏なのだが、自分の人生のなかのひとコマにあったEMI盤の存在感には及ばないのです。
レコードやCDを聴く、保有するということは、そういう意味あいでもあるのかなと・・・

⑥ウィーン・フィル (1992 @ムジークフェライン) 58分

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NHKFMからのエアチェック音源で音質は上々です。
これはステキな演奏で、ウィーンフィルとの蜜月の頃、オーケストラは慣れない曲ゆえに指揮者に全幅の信頼を置きつつも、自ら気持ちよく歌い弾んでる感じ。
おおらかなプレヴィンの指揮は、連綿とせず、それでいながら3楽章の聴かせどころでは泣かせてくれるし、2000年以降の演奏に比べると覇気と勢いも感じられる。
ウィーンフィルの貴重なラフ2です。

⑦ロンドン交響楽団 (2002 @バービカン) 58分

ますます雄大さも加え、自在の域にあると感じさせる。
ホールのデッドな響きが残念だけど、プレヴィンとロンドン響は常に変わらぬ高貴さを感じさせるお馴染みの演奏。

⑧オスロ・フィル (2002)  59分

NHKFMから録音したもので、演奏年度を記録していなかったが、オスロ在任は2002~06なのでその間の演奏。
⑧のLSOの演奏とほぼ変わらずだが、録音が良い分だけ、音の充実度が高い。
このコンビの録音は1枚程度しかないので貴重。

⑨ NHK交響楽団 (2007 @サントリー) 58分

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この場に居合わせました。
サントリーホールのP席でプレヴィンを真正面から見つめつつ、その魔法のような指揮、というかそこにプレヴィンがいて、ラフマニノフの2番を指揮しているというだけでオーケストラが柔和でかつリズム感あふれる演奏をしてしまうのがすごいと思った。
武満徹のセレモンディアル、アパラチアの春、そしてラフマニノフというプログラム。
正面から拝見していて、椅子に座りながら、譜面を見ながらの指揮ぶりも、ラフマニノフとなると見違えるばかりにシャキーンとした顔付きと棒さばきになった。
N響への客演はかなり聴いたけれど、この演奏会がいちばん素晴らしかった。
そのときの過去記事はこちら

⑩ ロンドン交響楽団 (2015 @バービカン) 59分

Previn-lso-2015

亡くなる3年半前、プレヴィン最後のLSOへの客演。
当時の妻であったムターと自作のヴァイオリン協奏曲とラフマニノフの2番というプログラム。
ほぼ変わらないスタイルに、都会的な洗練度も増していて、当時86歳という年齢にもかかわらず、弛緩したところやテンポの伸びや揺れもない。
完全にできあがったプレヴィンのラフマニノフ2番に、メンバーは変わっても半世紀あまり連れ添ってきて、プレヴィンのラフマニノフを知悉したロンドン響のしなやかな反応の良さ。
フレーズのひとつひとつに感じる優しさ、愛おしさ、そして微笑み。
演奏者もきっと感無量だったのでは・・・
でも悲しいかな、73年のあのときの録音にある輝きや喜びの爆発はありません。
これがプレヴィンという演奏家の最後の夕映えだった・・・・・

73年のレコード録音のときに、プレヴィンは語った。
「私は惜しみなく、また熱をこめてこう告白します。私はこの作品を愛している。LSOもまた同様である。
そしてわれわれは、これから先も長い間この曲を演奏し続けるであろう」

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レコード発売時のレコ芸の広告。

完全全曲盤との売り込みでありましたが、当時のレコ芸の月評ではまったく評価されず、大衆的と断じられてしまう。

50年前は、そんな時代だった。

音楽の需要の仕方、聴かれる音楽の裾野の広がり、あてにならない頑迷な評論家などなど、いまはほんと変わった。

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2026年5月25日 (月)

東京交響楽団特別演奏会 ヴィオッテイ指揮

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先週に引き続き、東京交響楽団の新任音楽監督のロレンツォ・ヴィオッテイの指揮による演奏会。

サントリーホールからミューザ川崎に場所を移して双方のホールの響きの違いや、東響の音がどう響くなどを確認できた。

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創立80周年の東京交響楽団。

秋山和慶、スダーン、ノットと続いた歴代音楽監督の歴史に、新たな顔ヴィオッテイを迎え、踏み出したまた次の一頁。
その最初に立ち会うことができて、ほんとうによかったし、満足感で一杯のふたつのコンサートでした。

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 東京交響楽団特別演奏会 ヴィオッテイ音楽監督就任披露

    R・シュトラス 4つの最後の歌

      S:マリーナ・レベカ

    ラヴェル バレエ音楽「ダフニスとクロエ」

   ロレンツォ・ヴィオッテイ指揮 東京交響楽団
                 東響コーラス
         
         合唱指揮:河原 哲也
         コンサートマスター:小林 壱成

     (2026.5.24 @ミューザ川崎シンフォニーホール)

シュトラスとラヴェル、ともにオーケストラの作曲技法の限りを尽くした作曲家ふたり。
しかし、晴れやかな作品でなく、ともに内省的な局面もある音楽が選ばれたところが面白い。

世界のオペラハウスで活躍中の第1級のソプラノ、マリーナ・レベカは、この2日間のコンサートのために来日。
いくつかの音源で彼女の声は聴いてきたけれど、そのレパートリーはロッシーニやベッリーニ、ヴェルデイにプッチーニとイタリアもの、あと、私が気に入っていた役はオネーギンのタチャーナ。
琥珀色の声とも言いたくなるような魅惑の歌声なんです。
 シュトラスの絶美とも呼ぶべき彼岸の極にある歌曲集、透明感ある軽めなソプラノで聴くのが好きだけれど、レベカの声は軽やかさよりは、歌の深みを感じさせる豊かな中音域が実に説得力あるもので、その声域でのこの歌手の魅力を堪能できた。
L席という場所のせいなのか、高域がやや響かなかったが、正面で聴いた方はどうだったろう。
タブレット端末で楽譜を確認しながらの歌唱だが、横から拝見していて、ササっと入力操作して開くさまが実にカッコよかった。
 そして何よりもヴィオッテイ指揮する東響が絶対的に美しい。
シュトラウスオケであるこことを再認識したし、レベカを支えるシュトラウスの音楽の晴朗さ、軽やかさは、むしろオーケストラの側にこそあった。
ホルンも素晴らしかったが、小林コンマスの「眠りにつくとき」における絶美のソロには、涙が出てきた。
レベカもこのソロに耳を傾け、その美しさに浸っていたし、指揮者も同じくだった。
かつての昔に聴いた、横浜でのシュナイトと神奈川フィルのときの石田コンマスのソロの繊細さにも増して素晴らしかった小林ソロでした。
息がとまるほど、さらには遠くに思いや目線が行くほどに、感動したのが「夕映えのなか」。
レベカが美しく歌いきったあとの、去り行く夕焼けを思わせる最後、東響の木管の軽やかさはいかばかりか。
長い沈黙が支配した素敵なエンディングでした。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーー

1時間を要するダフニスとクロエ全曲。
合唱入りの完全全曲盤でいどむヴィオッテイの強い意欲。
合唱なしでの全曲演奏は、もう20年近く前にプレヴィンとN響で聴いたことがあるが、やはりアカペラとはいえ合唱が入ることで、音の広がりと迫真性が格段にあがるというものだ。
 第2組曲だけでは味わえない、物語性のあるよどみなく進むラヴェルの佳曲を、ストーリテラー的に舞台に即したわかりやすい音楽づくりに終わることなく、すべての音を磨き上げ東響の実力を極限に引き出した、精緻で美しい演奏だった。

冒頭から混沌ではなく、明快なサウンドで原初的な新鮮な響きをかもし出す。
そこから合唱も声を強めて盛り上がりゆくさま、もうここからして私は鳥肌物だったし、そのあとすぐの弦による旋律の優美さともなう優しさ。
もうウットリでしたね。
そこから高まるフォルテの築き上げ方や、若者たちの踊りでのリズミカルな反応のよさ。
でもまだまだ抑え気味っだったし、曲は始まったばかりなのだ。
 ダフニスの恋敵のファゴットや金管によるユーモアあふれる場面も案外に淡々と進むが切れは実によろしい。
一方のダフニスの踊りのまったり感と優美さも、その対比として面白かったが、決して誇張なく、音楽的。
ダフニスも油断してしまうほどのお姉さんの登場も、外敵襲来の予見とともになかなか緊張の高まりを味わうこととなりました。

 このあと、戦いの踊りまではちょっとダレてしまう場面だけれど、神秘感の表出やウィンドマシンの効果的な使用などを眺めつつダイナミックな爆発を待ち受けました。
オーケストラがしばし休息し、アカペラ合唱によるミステリアスなシーン。
始めて聴いた高校時代は、夜に聴くと、ここ怖かった。
ヴィオッテイはそこそこの数の東響コーラスを充分に抑え込み、金管が不穏な雰囲気を出しつつ、海賊軍団の踊りへの備えを築く。
そしてきましたよ、金管の咆哮と打楽器軍団の炸裂。
その後ピッコロやクラリネットの狂乱ぶりも重なり、饗宴の度合いを高め、男声合唱も加わりスリリングな展開に息を飲みました、
でもまだ力は8分目ぐらいかな、と。
捉えられたクロエの許しを乞う踊りのシーンでの、管や弦のしなやかさと歌わせ上手、ラヴェルの筆致の見事さも味わえる。

 このあたりから、第2組曲へと向かって音楽が聴き知った夜明けへと準備を進めていくシーンの演奏の精妙さといったらなかった。
あのフルートによる流麗かつ清々しいモティーフがついに出てくると、私は鳥肌が立つほどの感動を味わうのでした。
そのあとの弦楽器による日の出の煌めくような美しさ、そこに合唱も加わり築かれる高まり、ほんと感動的だったし、ヴィオッテイ氏も大きく腕を広げて音楽を浴びるようにして指揮してました。
 そして、今宵のハイライトと言ってもよかった竹山さんのフルートによる無言劇。
ただただ美しく、透明でデリケートでもあり、素晴らしすぎた。
4人のフルートとピッコロによる息の合った掛け合いも素敵すぎた。
さあ、こうなるともう、全員の踊りの興奮の坩堝を待ち受けるばかりだ。
高まりゆく音楽の盛り上がりに、指揮もオケも合唱もすべてを全開、まさに歓喜爆発を見せてくれました。
この喜ばしい音楽が最後に待ち受けるようにして書いたラヴェルも素晴らしいが、そこに焦点を持ってゆき、物語の大団円よろしく華々しいフィナーレを作り上げたヴィオッテイの手腕もすごかった。
一瞬誰も拍手ができず、間ができたことも余韻としてすごくよかった。

音が響きとして包まれるように聴こえるサントリーホール。
音がリアルにそのまま届き、さらには上からも降り注ぐようにして降ってくるように聴こえるミューザ。
どちらも優秀なホールです。
そんなことも、この2週間で確認ができた。
また、声楽作品、歌へのこだわりなども感じることのできたヴィオッテイの才能。
ヴィオッテイと東響の2ウィークが終わってしまい、とても寂しくもありました。

ヴィオッテイはこのあとは、オランダでこの前までの手兵のネーデルランドフィルに客演。
ラフマニノフの交響的舞曲を指揮する予定。

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ノット監督との深い絆で結ばれたコンビとはまた違った、まるで仲間のような親密な関係をきっと築きそうなヴィオッテイと東響です。

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会心の演奏を祝う東響のみなさん。
完璧でした、ありがとう。

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このあと、ヴィオッテイを拍手で呼び出し、ふたたび大喝采。

次は7月にまた帰ってきてね。

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2026年5月23日 (土)

ヴィオッテイの音源を確認する

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少し前のバラの花、真っ盛りの秦野の公園

暑かったり、寒かったりで、体調管理が大変な今年の初夏でした

来日中のロレンツォ・ヴィオッテイの次のコンサートを控えて、ここ数年で録音した海外の放送音源を確認してみた。

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ヴィオッテイが常連となっているウィーン交響楽団との演奏会。

ムジークフェラインの黄金カラーが似合う男。

2022年の客演で東響で演奏されるダフニスとクロエ全曲を指揮したときのもので、このときにORFでの放送を録音して聴いてます。
57分の演奏時間、華美に傾かず、渋さすら感じられる堂々たる演奏です。
スイスの時計職人と呼ばれたラヴェル、まさにそんな緻密さとエーゲ海の青も感じさせる明晰さ、そんなダフニスです。
実演がほんとに楽しみ。

数種あるDVD作品はまだ未入手。
正規CDもまだほとんど出ていない状況で、個人で楽しむその前提の放送音源は貴重です。

【音源】

・コルンゴルト シンフォニエッタ ウィーン放送ORF響 (2018)
・ヴェルディ 聖歌四篇 ウィーン響 (2019)
・シェーンベルク 浄夜 ウィーン響  (2019)
・ドビュッシー 夜想曲 ネーデルランド・フィル  (2021)
・チャイコフスキー 悲愴 ネーデルランド・フィル   (2021)
・ツェムリンスキー 人魚姫  ウィーン響 (2021)
・ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番 ヴォンドラーチェク ウィーン響(2022)
・ラヴェル ダフニスとクロエ ウィーン響 (2022)
・ベートーヴェン 英雄 東響 (2023 ニコ響より)
・R.シュトラス 英雄の生涯  東響 (2023 ニコ響より)
・プッチーニ 三部作 ネーデルランドオペラ (2024)
・ヴェルディ シモン・ボッカネグラ ミラノ・スカラ座 (2024)
・ラフマニノフ  死の島 ウィーフィル (2024)
・R.コルサコフ スペイン奇想曲 ウィーフィル (2024)
・ドヴォルザーク 交響曲第7番 ウィーフィル (2024)
・サン=サーンス チェロ協奏曲 ガベッタ ウィーン響 (2025)
・R.コルサコフ シェエラザード ウィーン響 (2025)
・ツェムリンスキー 春の埋葬 ウィーン響 (2025)
・ブルックナー ミサ曲第3番 ウィーン響  (2025)

たくさん逃しているはずなので、もっと放送されてると思います。
近現代ものが多くありますが、ハイドンやモーツァルトもたくさん指揮してますね。
マーラーは6、8、9番以外は全部やってます。

【映像】

・マーラー 交響曲第7番 グルベンキアン管
・ウィンナ・ワルツ、ラ・ヴァルス ウィーン響
・チャイコフスキー テンペスト ネーデルランドフィル
・ラフマニノフ 死の島 ネーデルランドフィル
・ブリテン シンフォニア・ダ・レクイエム ネーデルランドフィル
・ツェムリンスキー 小びと ネーデルランドオペラ

映像で見ると実演でも感じた通り、大ぶりせず、表情豊かで的確な指揮ぶりがよくわかります。
ツェムリンスキーのオペラがすばらしいです。
来シーズンあたりに、ツェムリンスキーの人魚姫か抒情交響曲を期待したいですね。

ネーデルランドオペラで取り上げた演目も調べてみました。
「ツェムリンスキーのこびと」「サロメ」「トスカ」「トゥーランドット」
「ばらの騎士」「ローエングリン」「三部作」「ピーター・グライムズ」「こうもり」

ヴェルディも得意なので、チューリヒオペラでのさらなるレパートリー拡充が期待できます。
ちなみにコルンゴルト「死の都」もチューリヒで上演したばかり。
こちらはチェルニアコフの演出なだけに映像化して欲しいです。

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                         (From the website of the Netherlands Opera)

ヨーロッパの街並みに似合う、まるで60年代の頃のようなダンディマン。

これからは日本で素晴らしい演奏と、日本の景色でナイスな写真もたくさん残して欲しいです。

東響での抱負を語ったヴィオッテイは、チクルス的な一定のテーマやコンセプトは設けない、劇場以外でのオペラ上演は現実的でないと語っている。
今回、羅列した最近の演奏記録からは、そんな姿勢がうかがえます。
確たる信念を持っていて、それが今シーズン、次のシーズンとどんな風に展開されていくか、ますます楽しみに。
ホールでのオペラを期待していたワタクシですから、この際、東響がピットに入る時期に新国に是非にも登場して欲しい。

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2026年5月19日 (火)

東京交響楽団定期演奏会 ヴィオッテイ指揮

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気温も上がった5月の中盤。
サントリーホールのカラヤン広場も初夏の様相。

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創立80周年の東京交響楽団。
そして、新音楽監督ロレンツォ・ヴィオッテイを迎えての初定期演奏会
たくさんの花がロビーを飾ってました。

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      東京交響楽団 第740回 定期演奏会

 ベートーヴェン 交響曲第1番 ハ長調 op.21 

 マーラー    交響曲第1番 ニ長調 「巨人」

   ロレンツォ・ヴィオッテイ指揮 東京交響楽団

     コンサートマスター:景山 昌太朗

    (2026.5.16 @サントリーホール)

ファンと楽員さんとに大いに愛されたジョナサン・ノットに次ぐ第4代の東京交響楽団音楽監督に就任したヴィオッテイの就任披露。

90年の隔たりのあるふたつの1番という演目で、スタートに相応しいコンサートとなりましたが、そんな初々しい新コンビの幕開けは、めったに出会えないほどの熱気と興奮とに包まれる結果となりました。

スイス出身のロレンツォ・ヴィオッテイは、今年36歳。
2023年にこのコンビの「ダブル英雄」を聴いたおりの紹介文章を再度転記編集します。
 2世指揮者で、父親は早逝してしまったオペラの名手、マルチェロ・ヴィオッティ(1954~2005)。
母親もヴァイオリニスト、姉もメゾソプラノ歌手(マリーナ・ヴィオッテイ、美人さん)という音楽一家で、音楽家になるべくして育ったロレンツォ君は、自身も打楽器奏者からスタートしている。
指揮者として初のプロオーケストラ指揮が日本での2014年の東京交響楽団への代役出演、新国でもトスカを振っており、ともかく日本、なによりも東響と結びつきの深いロレンツォなのでした。
グシュルバウアーやコルボでお馴染みだったリスボンのグルベンキアン管弦楽団の指揮者、そしてネザーランド・フィル、オランダオペラの首席指揮者としてすでに活動してきて、ウィーンのすべてのオケ、ベルリンフィルなど、ヨーロッパの名だたるオーケストラにも客演を続けている。
2028年からはノセダのあとのチューリヒ・オペラの音楽総監督に就任予定。

ノット監督のときは対向配置がほぼ常であったが、今回はチェロがいちばん右翼で、いわゆるかつてのストコフスキー型。
妙な話ですが、これからして新鮮だった。

これからも輝かしいキャリアを築き上げ続けるであろうヴィオッテイ。
長身、ともかく長い手と足、すっきりやせ型のスリムなスポーツマンタイプで、颯爽とそしてにこやかに登場。
爽やかにも思われる第1音は澄み切った美しい東響のハーモニーによる序奏、そのあとテンポをあげて主部に突入するが、リズムの刻みが鮮やかで弾むような躍動感あふれる楽章となりました。
極端にヴィブラートを抑えたりしていないのでゆとりあふれる愉悦感も漂い心地よいのだ。
2楽章では弱音への心配りが大きく、とても大切に響かせていて、強弱の対比、リズムと緩やかな旋律との対比も面白く、ベートーヴェンの緩徐楽章がいつも美しいということを認識させてくれるような演奏だった。面白かった。
一転、きっぱりとした3楽章はまさにスケルツォの先取りと感じる鮮やかさ。
そして最後の音が終わると同時にアタッカで終楽章へ突入。
これには驚かされた、そう来たか!と思いましたよ、目が覚めるほどの効果あり、まさにベートーヴェンの意欲がそんな一瞬にも吹き出して見えた。
その終楽章がスピード感と躍動感あふれる俊敏な演奏で、これまた最高ときた。
古典の域を脱することなく感じてるベートーヴェンの1番が、こんなに作曲者のやる気の詰まった意欲作に聴こえたのが驚きの演奏。
かつて神奈川フィルで大家シュナイトさんのこの1番を聴いたことがあるが、そのときは、びっくりするくらいの大交響曲に聴こえた大人(たいじん)の演奏だった。
今宵のヴィオッテイの1番は、駆け抜ける若さと青竹のようなきっぱり感、そして音楽表現への強い気持ちを感じる、そんな前向きな演奏なのでありました。
早くもブラボー飛んでましたよ。

ベートーヴェンが1800年30歳、マーラーが1888年28歳、ともに壮年期に差し掛かったこの先やったるぜ、と意欲満々の時期の1番。
年月の経過は、通常版による4管編成でずらりと勢ぞろいしたオーケストラを眺めるだけで実感できる。
1楽章の冒頭、同じ序奏を持つ曲ながら、ヴィオッテイはこの序奏を極めて抑えて細心の注意をもって聴きとるべきような弱音で開始したので、聴き慣れてルーティン化した思いでいどんだワタクシは、緊張しつつもものすごく集中して聴くという術中にはまることになった。
ステージ外のトランペットの遠近感も見事。
そして徐々に雲間から明るさが兆すようにして、おもむろに登場するさすらう若人の歌のメロディと晴れやかさ。
冒頭からワクワクさせてくれるじゃないか。
しっかりくり返しも励行し、その後の不安の様相の中からまた起こるファンファーレは抑えめで、終楽章でのさらなる爆発を予見、楽しみにさせるもの。
かなりの猛ダッシュでラストを駆け抜けた1楽章。
 ともかくノリのよかった2楽章。
メリハリを思い切りつけるような指揮者の指示っぷりもあって、歯切れよい主部。
そして美しく愛らしくもあった中間部、優美な展開が主部の切れ味との対比で面白い。
このように、ヴィオッテイの指揮は各部のメリハリの付け方がうまく、それが嫌味やあざとさにつながらない自然さがあるというところがよい。
 コントラバスはトゥッティで一音も乱れることなく整然としていた3楽章。
ここでも強弱の対比、またシニカルさとシリアスさとの共存のマーラーの音楽の面白さもまた創出。
東響の各セクションの精度の高さも光りました。
 そしてシンバルの乾坤一擲とも呼びたくなるような一撃で始まった終楽章。
吹き荒れ具合も上々で、ヴィオッテイの大きな指揮ぶりに一糸乱れず東響もついてゆく。
それにしても、燕尾服の裏地のエンジ色が大きな動きをするたびに翻って見える。
お洒落だ。
カウスボタンのところもエンジ色で、これまたおしゃれ。
そして、これだけ指揮をしているのに、汗もあまりかかず、背中にも汗はまったく浮いてこない。
身体能力もほんとに高い人で、日々鍛えているんだろう。
 とつらつらと思っていたら、第2主題が弦によって連綿と、そしてそれが徐々に思いの丈をどんどんと込めていって情熱的になってゆく場面となっていった。
ここ、ほんとうに美しく、思い切り感動して、涙ぐんでしまった。
今宵いちばんのシーンだったと思う。
ずっと続いて欲しかった。
そして来たる第1の爆発のクライマックスはまだまだ余力を残しつつ冷静さを保つもの。
1楽章の序奏の再現ではまたあの静寂にも似たピアニシモが。
何度も書きますが、こうした場面の鮮やかな対比がマーラーの音楽の面白さを際立たせるととともに、ベートーヴェンから90年後のマーラーという作曲家の奇矯なところなのだろうし、時代の先駆けでもあったと痛感できる。
再びの美しいシーンもまたよかった。
ヴィオラ部による不穏な雰囲気の組成では、これから始まる大フィナーレを予見させ、嫌でも期待と興奮の高まりを味わう。
そして始まりましたよ、期待を裏切らないどころか、輝かしき勝利宣言のような鮮やかなクライマックスが。
オーケストラも指揮者も、新しき船出を自ら歓声を持って歌い上げるかのような眩しさ。
横一列に並んだ7つのホルンが一斉に起立し、われわれ聴衆の興奮もマックスに!
炸裂する打楽器陣、力を込め満身で弾き、奏する弦楽器に管。
眩しいエンディングにブラボーが飛び交う。
ワタシも一声参加!

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ノット前監督とはまた違ったある意味即興性にも富んだヴィオッテイの指揮。
しかし存外に緻密であることも確認できた。
マーラーの1番を実演で聴いて、こんなに心躍るような気持ちの高まりを味わったのは、ライブで初聴きの82年のドラティと読響、そして83年のアバドとロンドン響の演奏以来かもしれない。
それは東響とヴィオッテイに対する私の今現在の思いも加わってのことでもありますが。

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親譲りのオペラ指揮者としての才能を、全体の構成力と豊かな歌いまわし、聴かせ上手でもある音の鳴らし方や届け方などに大いに感じた。

ノット監督と同じように、コンサートオペラを毎年やって欲しい。
きっとやってくれるだろう。
古楽から現代まで広大なレパートリーを持つ姉とカルメンなんか話題になりそうだし、CDにしても世界展開できそう。
得意のコルンゴルトやツェムリンスキーのオペラもやって欲しい。

次のシュトラウスとラヴェルもめちゃくちゃ楽しみ

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ワタシ、お腹が空きました、このあとメシなww

おちゃめなロレンツォさんなのでした。

【過去記事】

「ヴィオッテイ&東響 英雄と英雄の生涯」

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2026年5月15日 (金)

ベートーヴェン 田園と第7 長老指揮者の若き日

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過ぎ去った春を偲んで

近場の桜をめぐって沢山写真を撮ったのでストックはたくさんあるんですが、賞味期限切れです。

天気のよい平日の早朝に、町内の吾妻山へ。

菜の花から桜の時期、休日ともなると大変な人出となるものですから平日に。

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相模湾に右手は伊豆半島、大島も左には見えます。

少し下ったところにある吾妻山神社は、倭建命と橘姫命に由来する由緒ある聖地でありますが、先ごろ不届きな輩により、神社の銅板が大量に盗まれてしまった。
心痛むことばかりが起きます。

ベートーヴェンの6番と7番を懐かしい演奏で聴きました。
現在98歳と90歳の指揮者ふたりの若いころ。

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 ベートーヴェン 交響曲第6番 ヘ長調 op68 「田園」

  ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団

      (1977.6.6 @ルカ教会、ドレスデン)

もうジャケットからして泣けてくる。
田園ジャケットの大賞をあげてもいいくらい。
オリジナルのレコードジャケットだけれども、私はCD時代のブロムシュテット画像のものしか保有せず。
レコ芸の当時の広告のモノクロ写真をAIでカラー化してもらったらびっくりするくらいに美しく再現できた。
そして、刷新されたジャケットを眺めつつ、いまから49年前のアナログ最盛期、ブロムシュテット50歳のときの演奏を聴きながら、私は過去にタイムスリップしたかのような懐かしい風景を見たような感動に包まれたのであります。

驚くべきは、もうじき99歳にして若々しい指揮活動を続けるブロムシュテットは、いまも変わらぬ瑞々しい音楽を作っていることで、曲は違えど、ブルックナーやブラームス、マーラーといった大作にいどんでもサラリとした淡麗系の演奏であり、かつてのドレスデンでのベートーヴェンにも同じものを感じたことだ。
ゲヴァントハウスとの全集や、いくつかのライブなどで確認したが、テンポは版や研究成果に基づくもとであろうが、あきらかに早くなっている。
私は中庸でおっとりして、すべてにおいて過不足のないドレスデンでの田園がいちばんと思う。
田園にイメージされるものが、すべて備わったエヴァ―グリーンサウンドであります。
しかも加えて、ここではまだ東ドイツ時代のドレスデンの古雅でありつつ、豊かな厚みある低音と克明でありつつも少しくすんだ音色が味わえるという喜び。
まいどのことで言いたくはないが、ウィーンフィルと同じように、かつてのドレスデンの方がよき時代のヨーロッパを感じさせ、ふたつのオーケストラはともにアナログ時代の方が好きなのであります。

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  ベートーヴェン 交響曲第7番 イ長調 op.92

   ズビン・メータ指揮 ロサンジェルス・フィルハーモニック管弦楽団

      (1974.4 @ロイスホール ロサンジェルス)

今年の4月に90歳を迎えたズビン・メータも衰えを見せることなく活躍中ですが、ときおりの体調不良でキャンセルをすることも多くなってきた。
つい先ごろも、ミュンヘンでのトゥーランドットやマーラーをキャンセルし、90歳祝賀コンサートも演目を変えるなどしたばかり。
菜食主義のブロムシュテットに、メータはカレーパワーなのかと前々から思っていた。
同時代の朋友アバドと小澤が亡きいま、私のクラシック音楽人生のよき伴侶であったメータの存在は大きいですので、ずっとお元気でいて欲しい。

70年代はじめ、ツァラトゥストラ、ハルサイ、惑星と次々に大ヒットを飛ばし、メータとロスフィルは近現代ものにおけるグラマスな演奏でもって強烈な印象を与え続けた。
デッカによる鮮やかな録音もその一助となりました。
 そんなメータが初の古典系ロマン派にいどんだことで話題を呼んだのがベートーヴェンの7番。
当時は、そんなジャンルのメータの演奏は眼中になく、私が聴けたのはそんなに昔でないCD化された音源によるものです。

ゴージャスなイメージとはほど遠い、しごくまっとうで、慎重なメータがここにはありました。
くり返しもすべて行う丁寧な演奏で、熱血漢のベト7を期待すると裏切られます。
というか、メータのこの時期のレコーディングレパートリーでリスナーに刷り込まれてしまった印象の悪影響かと思う。
イスラエルフィルとのモーツァルトなんかも、レコ芸ではけちょんけちょんにされてたけど、もともとは柔軟性あふれるメータの音楽性ですし、どんな音楽でも、その音楽をあるがままにわかりやすく聴かせるという指揮者ですから、このベートーヴェンもしごくまっとうな演奏なんです。
それでもメータとアメリカのオケらしいところは、その音色の明るさや、ホルンやティンパニの強奏ぶりで、そこはなかなかの迫力と聴く側への快感となります。
また終楽章での熱狂は冷静でありつつ、アッチェランドのかけっぷりもそこそこにあり熱いです。
ただリズム的には、全体にもっと軽やかに弾んでもいいかなと思い、全般に重厚にすぎて、そこが今風でないところか。
あっけらかんとしたロスフィルでなく、ウィーンでやったらまったく違う演奏になっていたでしょう。

長老になってもあまり変わらず、むしろサラサラ感の増したブロムシュテットに対し、メータの昨今はテンポがゆったりとなり、スケール感あふれる印象は変わらぬものの、やや弛緩した印象も与えるようになったと思う。

ふたりの偉大なマエストロのますますのご健勝を祈ります!

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2026年5月 9日 (土)

ディーリアス ピアノ協奏曲 シェリー&デイヴィス

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過ぎ去った春

今年の桜はどこも美しかった。
隣町の湿生公園は、幼少時代によく遊んだ場所。

当時はよそ者は入れないような、そんな閉ざされた雰囲気と神聖さすら子供心に感じた場所。
丹沢山系の由来する水源は耐えることなく、清らかさを保っているのは昔と同じく。

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  ディーリアス ピアノ協奏曲 ハ短調 (初稿版)

     Pf:ハワード・シェリー

   アンドリュー・デイヴィス指揮
  ロイヤル・スコテッシュ・ナショナル管弦楽団

     (2011.11 @グラスゴー)

ディーリアス(1862~1934)には、協奏曲作品は4つあり、それらのなかで一番はやく作曲されたのがピアノ協奏曲。
1897年、ディーリアス35歳の作品。
父親の跡継ぎとして実業家になるという縛りから解放され、音楽で生きていくことに舵を切って始めたヨーロッパでの生活。
ドイツで多くの演奏家や作曲家と交わり、影響を受けたが、なかでもグリーグとの出会いは大きく、グリーグ自身もディーリアスの才能を高く評価し支援もした。
ついで生活と活動拠点をパリに移し、そこで本格的に作曲に打ち込むようになり、同時にその頃、1896年にのちに伴侶となるイェルカ・ローーゼンと出会う。
そんななか、ピアノとオーケストラのための幻想曲を作曲。
それは、フロリダ時代にすでに構想されていてスケッチとして残されていたもので、ディーリアスはこの幻想曲をさらに拡大し、3楽章形式のピアノ協奏曲として完成させる。

その初演は、デュッセルドルフの東部、エルバーフェルトにて1904年に行われた。
ドイツで何度か演奏されたが、ディーリアスはこの作品に満足はしていなかった。
その2年後に3楽章を削除して、さらなる改訂を施して、最初の単一楽章形式のものに戻した。
友人でありピアニストでもあったサントー(ブゾーニの弟子)の協力を仰ぎ、ピアノパートがよりヴィルトゥオーゾ風にサントーによって書換えられ、これをディーリアスも承認。
このような曲折を経て、現在演奏されているディーリアスのピアノ協奏曲は、元に戻された1楽章形式の作品ということに落ち着いているわけで、ビーチャムが手を入れたりもしている。
1906年の単一楽章バージョンが23分ほど。
1897~1904年の3楽章オリジナルバージョンは30分。

3つの楽章のテイストを連続する形で巧みに、協奏曲としての形式を真ん中に緩徐楽章的な美しい場面を入れつつ構成した幻想曲ともとれるような1906年版。
以前の記事でも書いてますが、グリーグやシューマンと同じような幻想味と叙情味を簡潔に味わえるロマンテックな通常版でした。

そして3つの楽章がはっきりと分かれている初稿版は、幻想曲というよりはやはり協奏曲としての立ち位置がしっかりあり、規模は大きくなり、3つの楽章の性格とその対比がより明確となっている。
フロリダ時代のアメリカ生活の一端を感じさせるような牧歌的な印象が1楽章ではより強くなった。
 そして、美しく、いかにもディーリアスを思わせる幽玄な2楽章は、改訂版にあるような終結部へのつなぎ的なイメージがなくなり、これだけで独立して取り出して聴きたくなるような、ディーリアス好きにとっては至福を感じるたゆたう儚さの音楽なのであります。 
 3楽章はいくぶんシリアスに、そしてときに5拍子になったりで大胆な雰囲気もある。
オーケストラは複雑な動きを見せ、ピアノも技巧的に、ときに華麗さすら感じさせる。
このあたりがややまとまりに欠け、最終稿における簡潔さのほうが優るような気もしなくもない。
ピアノソロによる長いカデンツァがあるが、この部分をのちにヴァイオリン協奏曲にイメージ転用している。
その後に現れるオーケストラは、静かに印象的に入りつつも、徐々に1楽章の印象的な第2主題を晴れやかに、高らかに奏で始め、勢いを増してそのまま終結。

ディーリアスは青白いもやのようなヴェールにつつまれているような曲、と言ったというが、その言葉が2楽章のことを言ったものだと思いたい。
このハワード・シェリーの献身的なピアノ、ディーリアスへの愛情に満ちた亡きサー・アンドリューの素敵な指揮による演奏と、詩的なジャケットとで、このディーリアスの言葉を受け止めたい。

初稿版の録音はあとピアーズ・レーンのものがありますが、未聴。
改訂版は、カールス、同じくレーン、P・フォークの3種を聴いてます。

 過去記事

「ピアーズ・レーン&ハンドレー」

「ルドルフ・カールス&ギブソン」

Itsukushima-03

まだ1カ月と少ししかたってないけれど、桜の季節がもう懐かしく、そして愛おしい。

日本の巡りくる季節の移り変わりは美しい。

次のディーリアスは、少し間をおいて二重協奏曲を。


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