2026年6月16日 (火)

東京交響楽団定期演奏会 ヴァンスカ指揮

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いつも楽しみにしているサントリーホールのカラヤン広場の飾り花壇。

季節に応じた花を配したその見事さは、素人にはできない見事さ。

6月に聴くラフマニノフに相応しい紫陽花の色どりです。

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  東京交響楽団 第741回定期演奏会

 ベートーヴェン 交響曲第8番 ヘ長調 op.93

 ラフマニノフ  交響曲第2番 ホ短調 op.27

   オスモ・ヴァンスカ指揮 東京交響楽団

     コンサートマスター:小川ニキティングレブ

        (2026.6.13 @サントリーホール)

昨年3月に東響に初客演したオスモ・ヴァンスカ、私もなんどかその機会を図っていた指揮者でしたが、そのときが初ヴァンスカ。
都響とのシベリウスを聴き逃してしまったが、早くも実現した1年後の東響への登場は、その素敵なプログラムとともにおおいに楽しみだった演奏会でした。

昨年夏にノット指揮で聴いたベートーヴェンの8番。
そのときにアクティブで攻めの姿勢に富んだ8番と違い、同じく比較的大きめな編成ながら、ヴァンスカの方はヴィブラートは控えめながらも、おおらかで音もたっぷりと響かせた大人な演奏だった。
東響で聴くベートーヴェンは、この1年間でマルッキの田園、ノットの第8・第9、ヴィオッテイの1番と、そのどれもがまったく異なり、オーケストラのフレキシビリティの高さもわかるわけだが、ベートーヴェンの音楽がそのアプローチの仕方でまったく違って聴こえるということも味わえたことで、会員になっているありがたみも痛感した次第。
 ヴァンスカの指揮は、その指示ぶりなどを見ていると、強弱へのこだわりと、旋律線ばかりか内声部を際立たせたりして、オーケストラもそれに瞬時に反応して、聴き慣れた音楽でも息が抜けず、耳に新しい発見を伴わせてくれる。
これは1年前に感じたことだけれど、ベートーヴェンとラフマニノフでは、それがさらに徹底されていた。

たっぷりと鳴り渡った1楽章、正確なリズムを刻みつつも低弦の動きが面白く楽しめたりもした2楽章。
ソロに向かってまるきり指揮していて、きっと緊張したろうなと思いつつも、それに応え見事だった上間さんのホルン。
スピード感あふれつつも、どの楽器もそれぞれに浮きあがるように引立って聴こえた終楽章。
ミネソタ管とのベートーヴェン全集をこれは聴いてみなくては、と思いましたね。

シベリウスやマーラーのCDを聴いてきて思うヴァンスカの音楽造りの緻密さ。
いろんな声部を巧みに響かせ、新鮮な驚きを与えつつも、旋律線は明快に澄んで聴かせる北欧の音楽家ならではの手腕。
こうした印象が、そのままラフマニノフで感じ取ることができた。
これまで数えきれないほど聴いてきたラフマニノフの2番。
プレヴィンとスラトキンは、思い入れが先行したという感情が入り込んだものだったので、それらを別格にして、これまででいちばんの演奏だったと思う。

甘さや旋律に溺れることのない、むしろ渋い演奏。
ゆったりめの運びで克明な演奏に徹した1楽章。
当然にくり返しあり、演奏時間も他音源に比べても長いのではなかったか。
ラフマニノフの音楽は、ヴィオラがとても重要な存在だと思っていて、そのあたりの思いを確信させてくれるように、そのヴィオラとチェロを浮き上がらせるように、よく鳴らしていたし、首席3人を揃え、お馴染みの青木さんがセカンドプルトにいるという豪華版は、ますますヴィオラ陣のしっかりした音に力を与えていたと思う。
 久々のコンマス・ニキティンさんもノリノリで、ヴァイオリンを立てるようにして激奏、ヴァイオリン陣は第1も第2も、今宵はともかく熱演で、気持ちよくみなさん弾いているのが拝見できました。
 速めにズバズバ進行した2楽章は、おおらかな前の楽章と対比もあざやか。
打楽器も小気味よく、ヴァンスカの指示も各奏者に向け細かに振り分けている。

甘美な旋律に溺れることなく客観性を保ちつつも、しかしラフマニノフの音楽の旋律のよさをとことん味わわせてくれたのが3楽章。
ヌヴーさんの鮮やかだけど、繊細なるクラリネットソロに導かれ、ともかくまんじりとせずに思い切り集中して聴いた。
指揮棒を置いての丁寧な指揮ぶりは、やはりソロ奏者にむけて振るので、当事者はそれこそ大変だなとも思ったが、なにがおこるか毎回わからないノット監督に鍛え上げられた東響はヴァンスカの厳しい指揮に動じることなく、完璧に応えていた。
のめり込むようにして夢中になってしまうこの楽章のクライマックスは、そこに至るまでが着実な積み重ねで浮つきがまったくなく、その流れの必然として頂点が築かれたように感じ、この音楽の真の美しさとラフマニノフが得た自信のようなものまで思いをはせることができた。
ビューティフルなプレヴィンとはまた全然違う精緻な美しさに酔った、涙も出た。
終わらないで欲しいと思った。

カッチリじっくりやるだろうと思った4楽章は、終始熱がこもり、この作品の総決算とも呼ぶべき完全無欠ぶりで興奮誘うものだったのだ。
大好きな第2主題、これはもう指揮者もオケもみんな、ここにむかってやってきたといわんばかりの気持ちいい歌いっぷり。
各章を回顧するシーン、3楽章の振り返りのあと、かなり長く感じられた休止を置いたのが印象的。
聴き手にも間違いなく緊張感が高まったのは事実で、その後から展開される怒涛のフィナーレへと期待とワクワク感が高まりました。
もうあとは、わたくし、指揮者にオーケストラのみなさまにと、きょろきょろしつつ興奮のしっぱなし。
徐々に高まり、ついにあの第2主題が高らかに!
もうダメだ、わなわなしっぱなしの大興奮。
かなりの追い込みをかけたヴァンスカの棒が振り下ろされるや否や大ブラボー大会でした。
ワタクシは慎ましく、一声のみ参加。

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いやぁ、素晴らしいラフマニノフが聴けた。
今回ライブ録音されたらよかったが、ヴァンスカさんには、ミネソタ管で正規録音を残して欲しい。
ノットやヴィオッテイとタイプのまったく異なる職人気質でありつつ、オーケストラの力を巧みに引き出すヴァンスカさん。
常連指揮者になって欲しいです。

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むかしのふくよかなイメージの強かったヴァンスカさん。
ずいぶんスリムになられました。
また登場して、シベリウスならクレルヴォやレンミンカイネン、プロコフィエフは6番やネフスキーなどをやって欲しい・・・

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関東は梅雨本番を迎えます。

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2026年6月12日 (金)

ラフマニノフ 交響曲第2番 プレヴィン

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紫陽花の季節。

よく通る場所でして、毎年、いろんな色彩の紫陽花がまとめられていて奇麗に開くんです。
ちょっと虹を加工して添えてみましたよ。

アルカリ、酸性、とかその土壌によって色が変わると言いますが、ここはいったいどうなってんでしょうね。

梅雨の時期を美しく彩どる紫陽花、日本らしい風情です。

次のコンサートは、ヴァンスカが指揮するラフマニノフの2番。
ずっと好きだった交響曲ですが、ちょっと聴きすぎてしまい、飽いてたところに接したのが昨年の都響来演のスラトキンの名演。
スラトキンのラフマニノフには、思い入れもあり、やっとその指揮で聴くことができた喜び。
セントルイス響をメジャー級に鍛え上げ、録音した一連のラフマニノフ。
そしてN響に来演し指揮した鮮やかなな第2番はリズム感あふれる若々しい演奏だった。

そして「ラフマニノフの第2番」がいまのような人気曲になった、その立役者がアンドレ・プレヴィン(1929~2019)。
プレヴィンが生涯に何度も指揮してきたこの曲を聴ける限り聴いてみた。

  ラフマニノフ 交響曲第2番 ホ短調 op.27

     アンドレ・プレヴィン指揮

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①ロンドン交響楽団 (1973.1)  59分

いうまでもなく、この1枚がラフマニノフの2番という音楽の評価を定着させ、人気曲へと決定づけたといっていいだろう。
2度目の録音で、作者自身もやむなく認め、第2次大戦後にはもう慣例となっていた短縮版によるものでなく、カットを復元し繰り返しをすべて行う完全全曲版による初の演奏だった。
73年の録音だが、それに先立つ1971年にこのコンビは来日してこのラフマニノフを演奏した。
まだ小学生だったワタクシ、NHKがテレビ放送したものを見た記憶があり、大木正興氏が解説だったと思うが、曲や演奏はもうまったく覚えてませんが、ともかくこんな曲を指揮する若いプレヴィンって何者だろう・・・そんな風にしか思わなかった。
当時は、ポップスあがりの指揮者なんて・・・ってな目でしか見てなかったし、ビートルズのようなマッシュルームカットの髪型や太いストライプのシャツなどもクラシックの本流とは違うんだと思い込んでいたのです。

このレコードを手にしたのは長じて、もっとあとのこと。
社会人になってアパートで独り暮らしをするようになり、FMで録音したこの曲。
演奏は、ヤン・クレンツ指揮のケルン放送響で、曲の素晴らしさにいまさらにほれ込み、同時にその演奏があまりに素晴らしくて、カセットテープを何度も何度も聴いたものだ。
都会の寂しいわび住まいを癒すあまりに美しい旋律に酔いしれ、毎晩のように酒を飲みながら聴いた。
 そして、やっぱりこの曲はプレヴィンだよな、ということでレコードを購入。
実家に装置を置いてあったので、週末になると帰って貪るように、すり減るくらいに聴いたプレヴィンの演奏は、それこそ私の体に刷り込まれたこの曲のイメージなのでありました。

「ラフマニノフの音楽の抒情と憂愁、そしてリズムと熱狂、これらを、迷うことなく思いきり聴かせてくれる。
この曲の持つすべての魅力が過不足なく描きだされていて、昨今のすっきり・かっちり系とは違う、私のとって懐かしさにも似た大人社会へ導かれた演奏なんだ。」
以前に書いた私のブログ記事を引用、ほんとそのままの印象をそのまま抱きます。
プレヴィンとロンドン響のラフマニノフとその音楽への愛にあふれたビューティフルなこの演奏は、まさにエヴァーグリーン。

②ロンドン交響楽団 (1966.4) 50分

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指揮者としてまだ駆け出しの頃、それでも37歳のプレヴィンのRCA時代の録音。
日本国内盤のジャケットはこれ。
プレヴィンの71年の来日記念盤のレコ芸広告から抜き出しました。
カットありの50分の演奏で完全版より10分短い。
始めて聴いたときはカット部分が物足りなく感じたけれど、そんなことは気にならなくなるほどに感性にあふれ、振幅も大きく、ナーヴァスでありつつ曲への没頭感も感じさせる秀演。
ケルテスがLSOを率いていた頃で、同時期にアバドもデッカに録音を始めた頃。
かなりよく歌わせる一方落ち着きもあり、やはりプレヴィンらしい柔和さもある。
捨てがたい1枚です。

③ロンドン交響楽団 (1977 @ザルツブルク) 58分

ロンドン響の熱心なファンが公開しているアーカイブで、ザルツブルク音楽祭での貴重なライブ。
音はイマイチながら、その熱気たるや並々ならない。
3楽章でのうねるような情熱、終楽章での燃え盛るような追い込みなど、スタジオ録音とはまた違うプレヴィンの姿。

④ロンドン交響楽団 (1979 @ロイヤル・フェスティバルホール)59分

これは素晴らしいライブ。
当時のLSOの本拠地で、いつものようにナイスな指揮ぶりで、情熱の込め具合も充分で、3楽章のクライマックスでは感涙したくなるほど。
70年代のプレヴィンとLSOがいかに素晴らしかったか。

⑤ロイヤルフィル (1985.3)  62分

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ロイヤルフィルの指揮者時代のテラーク録音は、音質が生々しく、かつてのEMIの響きの拡散してしまう音と違いリアル感や迫真性が増した。
またテンポも少し動かしたりして全体に勇壮感が増しスケールアップ。
すべてにおいてLSO正規盤よりも成熟度が増しているが、すり減るほどに聴いたEMI盤が録音もふくめどこか懐かしく感じられるのも事実だ。
この音盤単体でいうならば、この曲1,2を争うべき完成度と感性の高さを持った演奏なのだが、自分の人生のなかのひとコマにあったEMI盤の存在感には及ばないのです。
レコードやCDを聴く、保有するということは、そういう意味あいでもあるのかなと・・・

⑥ウィーン・フィル (1992 @ムジークフェライン) 58分

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NHKFMからのエアチェック音源で音質は上々です。
これはステキな演奏で、ウィーンフィルとの蜜月の頃、オーケストラは慣れない曲ゆえに指揮者に全幅の信頼を置きつつも、自ら気持ちよく歌い弾んでる感じ。
おおらかなプレヴィンの指揮は、連綿とせず、それでいながら3楽章の聴かせどころでは泣かせてくれるし、2000年以降の演奏に比べると覇気と勢いも感じられる。
ウィーンフィルの貴重なラフ2です。

⑦ロンドン交響楽団 (2002 @バービカン) 58分

ますます雄大さも加え、自在の域にあると感じさせる。
ホールのデッドな響きが残念だけど、プレヴィンとロンドン響は常に変わらぬ高貴さを感じさせるお馴染みの演奏。

⑧オスロ・フィル (2002)  59分

NHKFMから録音したもので、演奏年度を記録していなかったが、オスロ在任は2002~06なのでその間の演奏。
⑧のLSOの演奏とほぼ変わらずだが、録音が良い分だけ、音の充実度が高い。
このコンビの録音は1枚程度しかないので貴重。

⑨ NHK交響楽団 (2007 @サントリー) 58分

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この場に居合わせました。
サントリーホールのP席でプレヴィンを真正面から見つめつつ、その魔法のような指揮、というかそこにプレヴィンがいて、ラフマニノフの2番を指揮しているというだけでオーケストラが柔和でかつリズム感あふれる演奏をしてしまうのがすごいと思った。
武満徹のセレモンディアル、アパラチアの春、そしてラフマニノフというプログラム。
正面から拝見していて、椅子に座りながら、譜面を見ながらの指揮ぶりも、ラフマニノフとなると見違えるばかりにシャキーンとした顔付きと棒さばきになった。
N響への客演はかなり聴いたけれど、この演奏会がいちばん素晴らしかった。
そのときの過去記事はこちら

⑩ ロンドン交響楽団 (2015 @バービカン) 59分

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亡くなる3年半前、プレヴィン最後のLSOへの客演。
当時の妻であったムターと自作のヴァイオリン協奏曲とラフマニノフの2番というプログラム。
ほぼ変わらないスタイルに、都会的な洗練度も増していて、当時86歳という年齢にもかかわらず、弛緩したところやテンポの伸びや揺れもない。
完全にできあがったプレヴィンのラフマニノフ2番に、メンバーは変わっても半世紀あまり連れ添ってきて、プレヴィンのラフマニノフを知悉したロンドン響のしなやかな反応の良さ。
フレーズのひとつひとつに感じる優しさ、愛おしさ、そして微笑み。
演奏者もきっと感無量だったのでは・・・
でも悲しいかな、73年のあのときの録音にある輝きや喜びの爆発はありません。
これがプレヴィンという演奏家の最後の夕映えだった・・・・・

73年のレコード録音のときに、プレヴィンは語った。
「私は惜しみなく、また熱をこめてこう告白します。私はこの作品を愛している。LSOもまた同様である。
そしてわれわれは、これから先も長い間この曲を演奏し続けるであろう」

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レコード発売時のレコ芸の広告。

完全全曲盤との売り込みでありましたが、当時のレコ芸の月評ではまったく評価されず、大衆的と断じられてしまう。

50年前は、そんな時代だった。

音楽の需要の仕方、聴かれる音楽の裾野の広がり、あてにならない頑迷な評論家などなど、いまはほんと変わった。

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2026年5月25日 (月)

東京交響楽団特別演奏会 ヴィオッテイ指揮

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先週に引き続き、東京交響楽団の新任音楽監督のロレンツォ・ヴィオッテイの指揮による演奏会。

サントリーホールからミューザ川崎に場所を移して双方のホールの響きの違いや、東響の音がどう響くなどを確認できた。

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創立80周年の東京交響楽団。

秋山和慶、スダーン、ノットと続いた歴代音楽監督の歴史に、新たな顔ヴィオッテイを迎え、踏み出したまた次の一頁。
その最初に立ち会うことができて、ほんとうによかったし、満足感で一杯のふたつのコンサートでした。

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 東京交響楽団特別演奏会 ヴィオッテイ音楽監督就任披露

    R・シュトラス 4つの最後の歌

      S:マリーナ・レベカ

    ラヴェル バレエ音楽「ダフニスとクロエ」

   ロレンツォ・ヴィオッテイ指揮 東京交響楽団
                 東響コーラス
         
         合唱指揮:河原 哲也
         コンサートマスター:小林 壱成

     (2026.5.24 @ミューザ川崎シンフォニーホール)

シュトラスとラヴェル、ともにオーケストラの作曲技法の限りを尽くした作曲家ふたり。
しかし、晴れやかな作品でなく、ともに内省的な局面もある音楽が選ばれたところが面白い。

世界のオペラハウスで活躍中の第1級のソプラノ、マリーナ・レベカは、この2日間のコンサートのために来日。
いくつかの音源で彼女の声は聴いてきたけれど、そのレパートリーはロッシーニやベッリーニ、ヴェルデイにプッチーニとイタリアもの、あと、私が気に入っていた役はオネーギンのタチャーナ。
琥珀色の声とも言いたくなるような魅惑の歌声なんです。
 シュトラスの絶美とも呼ぶべき彼岸の極にある歌曲集、透明感ある軽めなソプラノで聴くのが好きだけれど、レベカの声は軽やかさよりは、歌の深みを感じさせる豊かな中音域が実に説得力あるもので、その声域でのこの歌手の魅力を堪能できた。
L席という場所のせいなのか、高域がやや響かなかったが、正面で聴いた方はどうだったろう。
タブレット端末で楽譜を確認しながらの歌唱だが、横から拝見していて、ササっと入力操作して開くさまが実にカッコよかった。
 そして何よりもヴィオッテイ指揮する東響が絶対的に美しい。
シュトラウスオケであるこことを再認識したし、レベカを支えるシュトラウスの音楽の晴朗さ、軽やかさは、むしろオーケストラの側にこそあった。
ホルンも素晴らしかったが、小林コンマスの「眠りにつくとき」における絶美のソロには、涙が出てきた。
レベカもこのソロに耳を傾け、その美しさに浸っていたし、指揮者も同じくだった。
かつての昔に聴いた、横浜でのシュナイトと神奈川フィルのときの石田コンマスのソロの繊細さにも増して素晴らしかった小林ソロでした。
息がとまるほど、さらには遠くに思いや目線が行くほどに、感動したのが「夕映えのなか」。
レベカが美しく歌いきったあとの、去り行く夕焼けを思わせる最後、東響の木管の軽やかさはいかばかりか。
長い沈黙が支配した素敵なエンディングでした。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーー

1時間を要するダフニスとクロエ全曲。
合唱入りの完全全曲盤でいどむヴィオッテイの強い意欲。
合唱なしでの全曲演奏は、もう20年近く前にプレヴィンとN響で聴いたことがあるが、やはりアカペラとはいえ合唱が入ることで、音の広がりと迫真性が格段にあがるというものだ。
 第2組曲だけでは味わえない、物語性のあるよどみなく進むラヴェルの佳曲を、ストーリテラー的に舞台に即したわかりやすい音楽づくりに終わることなく、すべての音を磨き上げ東響の実力を極限に引き出した、精緻で美しい演奏だった。

冒頭から混沌ではなく、明快なサウンドで原初的な新鮮な響きをかもし出す。
そこから合唱も声を強めて盛り上がりゆくさま、もうここからして私は鳥肌物だったし、そのあとすぐの弦による旋律の優美さともなう優しさ。
もうウットリでしたね。
そこから高まるフォルテの築き上げ方や、若者たちの踊りでのリズミカルな反応のよさ。
でもまだまだ抑え気味っだったし、曲は始まったばかりなのだ。
 ダフニスの恋敵のファゴットや金管によるユーモアあふれる場面も案外に淡々と進むが切れは実によろしい。
一方のダフニスの踊りのまったり感と優美さも、その対比として面白かったが、決して誇張なく、音楽的。
ダフニスも油断してしまうほどのお姉さんの登場も、外敵襲来の予見とともになかなか緊張の高まりを味わうこととなりました。

 このあと、戦いの踊りまではちょっとダレてしまう場面だけれど、神秘感の表出やウィンドマシンの効果的な使用などを眺めつつダイナミックな爆発を待ち受けました。
オーケストラがしばし休息し、アカペラ合唱によるミステリアスなシーン。
始めて聴いた高校時代は、夜に聴くと、ここ怖かった。
ヴィオッテイはそこそこの数の東響コーラスを充分に抑え込み、金管が不穏な雰囲気を出しつつ、海賊軍団の踊りへの備えを築く。
そしてきましたよ、金管の咆哮と打楽器軍団の炸裂。
その後ピッコロやクラリネットの狂乱ぶりも重なり、饗宴の度合いを高め、男声合唱も加わりスリリングな展開に息を飲みました、
でもまだ力は8分目ぐらいかな、と。
捉えられたクロエの許しを乞う踊りのシーンでの、管や弦のしなやかさと歌わせ上手、ラヴェルの筆致の見事さも味わえる。

 このあたりから、第2組曲へと向かって音楽が聴き知った夜明けへと準備を進めていくシーンの演奏の精妙さといったらなかった。
あのフルートによる流麗かつ清々しいモティーフがついに出てくると、私は鳥肌が立つほどの感動を味わうのでした。
そのあとの弦楽器による日の出の煌めくような美しさ、そこに合唱も加わり築かれる高まり、ほんと感動的だったし、ヴィオッテイ氏も大きく腕を広げて音楽を浴びるようにして指揮してました。
 そして、今宵のハイライトと言ってもよかった竹山さんのフルートによる無言劇。
ただただ美しく、透明でデリケートでもあり、素晴らしすぎた。
4人のフルートとピッコロによる息の合った掛け合いも素敵すぎた。
さあ、こうなるともう、全員の踊りの興奮の坩堝を待ち受けるばかりだ。
高まりゆく音楽の盛り上がりに、指揮もオケも合唱もすべてを全開、まさに歓喜爆発を見せてくれました。
この喜ばしい音楽が最後に待ち受けるようにして書いたラヴェルも素晴らしいが、そこに焦点を持ってゆき、物語の大団円よろしく華々しいフィナーレを作り上げたヴィオッテイの手腕もすごかった。
一瞬誰も拍手ができず、間ができたことも余韻としてすごくよかった。

音が響きとして包まれるように聴こえるサントリーホール。
音がリアルにそのまま届き、さらには上からも降り注ぐようにして降ってくるように聴こえるミューザ。
どちらも優秀なホールです。
そんなことも、この2週間で確認ができた。
また、声楽作品、歌へのこだわりなども感じることのできたヴィオッテイの才能。
ヴィオッテイと東響の2ウィークが終わってしまい、とても寂しくもありました。

ヴィオッテイはこのあとは、オランダでこの前までの手兵のネーデルランドフィルに客演。
ラフマニノフの交響的舞曲を指揮する予定。

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ノット監督との深い絆で結ばれたコンビとはまた違った、まるで仲間のような親密な関係をきっと築きそうなヴィオッテイと東響です。

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会心の演奏を祝う東響のみなさん。
完璧でした、ありがとう。

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このあと、ヴィオッテイを拍手で呼び出し、ふたたび大喝采。

次は7月にまた帰ってきてね。

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2026年5月23日 (土)

ヴィオッテイの音源を確認する

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少し前のバラの花、真っ盛りの秦野の公園

暑かったり、寒かったりで、体調管理が大変な今年の初夏でした

来日中のロレンツォ・ヴィオッテイの次のコンサートを控えて、ここ数年で録音した海外の放送音源を確認してみた。

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ヴィオッテイが常連となっているウィーン交響楽団との演奏会。

ムジークフェラインの黄金カラーが似合う男。

2022年の客演で東響で演奏されるダフニスとクロエ全曲を指揮したときのもので、このときにORFでの放送を録音して聴いてます。
57分の演奏時間、華美に傾かず、渋さすら感じられる堂々たる演奏です。
スイスの時計職人と呼ばれたラヴェル、まさにそんな緻密さとエーゲ海の青も感じさせる明晰さ、そんなダフニスです。
実演がほんとに楽しみ。

数種あるDVD作品はまだ未入手。
正規CDもまだほとんど出ていない状況で、個人で楽しむその前提の放送音源は貴重です。

【音源】

・コルンゴルト シンフォニエッタ ウィーン放送ORF響 (2018)
・ヴェルディ 聖歌四篇 ウィーン響 (2019)
・シェーンベルク 浄夜 ウィーン響  (2019)
・ドビュッシー 夜想曲 ネーデルランド・フィル  (2021)
・チャイコフスキー 悲愴 ネーデルランド・フィル   (2021)
・ツェムリンスキー 人魚姫  ウィーン響 (2021)
・ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番 ヴォンドラーチェク ウィーン響(2022)
・ラヴェル ダフニスとクロエ ウィーン響 (2022)
・ベートーヴェン 英雄 東響 (2023 ニコ響より)
・R.シュトラス 英雄の生涯  東響 (2023 ニコ響より)
・プッチーニ 三部作 ネーデルランドオペラ (2024)
・ヴェルディ シモン・ボッカネグラ ミラノ・スカラ座 (2024)
・ラフマニノフ  死の島 ウィーフィル (2024)
・R.コルサコフ スペイン奇想曲 ウィーフィル (2024)
・ドヴォルザーク 交響曲第7番 ウィーフィル (2024)
・サン=サーンス チェロ協奏曲 ガベッタ ウィーン響 (2025)
・R.コルサコフ シェエラザード ウィーン響 (2025)
・ツェムリンスキー 春の埋葬 ウィーン響 (2025)
・ブルックナー ミサ曲第3番 ウィーン響  (2025)

たくさん逃しているはずなので、もっと放送されてると思います。
近現代ものが多くありますが、ハイドンやモーツァルトもたくさん指揮してますね。
マーラーは6、8、9番以外は全部やってます。

【映像】

・マーラー 交響曲第7番 グルベンキアン管
・ウィンナ・ワルツ、ラ・ヴァルス ウィーン響
・チャイコフスキー テンペスト ネーデルランドフィル
・ラフマニノフ 死の島 ネーデルランドフィル
・ブリテン シンフォニア・ダ・レクイエム ネーデルランドフィル
・ツェムリンスキー 小びと ネーデルランドオペラ

映像で見ると実演でも感じた通り、大ぶりせず、表情豊かで的確な指揮ぶりがよくわかります。
ツェムリンスキーのオペラがすばらしいです。
来シーズンあたりに、ツェムリンスキーの人魚姫か抒情交響曲を期待したいですね。

ネーデルランドオペラで取り上げた演目も調べてみました。
「ツェムリンスキーのこびと」「サロメ」「トスカ」「トゥーランドット」
「ばらの騎士」「ローエングリン」「三部作」「ピーター・グライムズ」「こうもり」

ヴェルディも得意なので、チューリヒオペラでのさらなるレパートリー拡充が期待できます。
ちなみにコルンゴルト「死の都」もチューリヒで上演したばかり。
こちらはチェルニアコフの演出なだけに映像化して欲しいです。

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                         (From the website of the Netherlands Opera)

ヨーロッパの街並みに似合う、まるで60年代の頃のようなダンディマン。

これからは日本で素晴らしい演奏と、日本の景色でナイスな写真もたくさん残して欲しいです。

東響での抱負を語ったヴィオッテイは、チクルス的な一定のテーマやコンセプトは設けない、劇場以外でのオペラ上演は現実的でないと語っている。
今回、羅列した最近の演奏記録からは、そんな姿勢がうかがえます。
確たる信念を持っていて、それが今シーズン、次のシーズンとどんな風に展開されていくか、ますます楽しみに。
ホールでのオペラを期待していたワタクシですから、この際、東響がピットに入る時期に新国に是非にも登場して欲しい。

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2026年5月19日 (火)

東京交響楽団定期演奏会 ヴィオッテイ指揮

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気温も上がった5月の中盤。
サントリーホールのカラヤン広場も初夏の様相。

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創立80周年の東京交響楽団。
そして、新音楽監督ロレンツォ・ヴィオッテイを迎えての初定期演奏会
たくさんの花がロビーを飾ってました。

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      東京交響楽団 第740回 定期演奏会

 ベートーヴェン 交響曲第1番 ハ長調 op.21 

 マーラー    交響曲第1番 ニ長調 「巨人」

   ロレンツォ・ヴィオッテイ指揮 東京交響楽団

     コンサートマスター:景山 昌太朗

    (2026.5.16 @サントリーホール)

ファンと楽員さんとに大いに愛されたジョナサン・ノットに次ぐ第4代の東京交響楽団音楽監督に就任したヴィオッテイの就任披露。

90年の隔たりのあるふたつの1番という演目で、スタートに相応しいコンサートとなりましたが、そんな初々しい新コンビの幕開けは、めったに出会えないほどの熱気と興奮とに包まれる結果となりました。

スイス出身のロレンツォ・ヴィオッテイは、今年36歳。
2023年にこのコンビの「ダブル英雄」を聴いたおりの紹介文章を再度転記編集します。
 2世指揮者で、父親は早逝してしまったオペラの名手、マルチェロ・ヴィオッティ(1954~2005)。
母親もヴァイオリニスト、姉もメゾソプラノ歌手(マリーナ・ヴィオッテイ、美人さん)という音楽一家で、音楽家になるべくして育ったロレンツォ君は、自身も打楽器奏者からスタートしている。
指揮者として初のプロオーケストラ指揮が日本での2014年の東京交響楽団への代役出演、新国でもトスカを振っており、ともかく日本、なによりも東響と結びつきの深いロレンツォなのでした。
グシュルバウアーやコルボでお馴染みだったリスボンのグルベンキアン管弦楽団の指揮者、そしてネザーランド・フィル、オランダオペラの首席指揮者としてすでに活動してきて、ウィーンのすべてのオケ、ベルリンフィルなど、ヨーロッパの名だたるオーケストラにも客演を続けている。
2028年からはノセダのあとのチューリヒ・オペラの音楽総監督に就任予定。

ノット監督のときは対向配置がほぼ常であったが、今回はチェロがいちばん右翼で、いわゆるかつてのストコフスキー型。
妙な話ですが、これからして新鮮だった。

これからも輝かしいキャリアを築き上げ続けるであろうヴィオッテイ。
長身、ともかく長い手と足、すっきりやせ型のスリムなスポーツマンタイプで、颯爽とそしてにこやかに登場。
爽やかにも思われる第1音は澄み切った美しい東響のハーモニーによる序奏、そのあとテンポをあげて主部に突入するが、リズムの刻みが鮮やかで弾むような躍動感あふれる楽章となりました。
極端にヴィブラートを抑えたりしていないのでゆとりあふれる愉悦感も漂い心地よいのだ。
2楽章では弱音への心配りが大きく、とても大切に響かせていて、強弱の対比、リズムと緩やかな旋律との対比も面白く、ベートーヴェンの緩徐楽章がいつも美しいということを認識させてくれるような演奏だった。面白かった。
一転、きっぱりとした3楽章はまさにスケルツォの先取りと感じる鮮やかさ。
そして最後の音が終わると同時にアタッカで終楽章へ突入。
これには驚かされた、そう来たか!と思いましたよ、目が覚めるほどの効果あり、まさにベートーヴェンの意欲がそんな一瞬にも吹き出して見えた。
その終楽章がスピード感と躍動感あふれる俊敏な演奏で、これまた最高ときた。
古典の域を脱することなく感じてるベートーヴェンの1番が、こんなに作曲者のやる気の詰まった意欲作に聴こえたのが驚きの演奏。
かつて神奈川フィルで大家シュナイトさんのこの1番を聴いたことがあるが、そのときは、びっくりするくらいの大交響曲に聴こえた大人(たいじん)の演奏だった。
今宵のヴィオッテイの1番は、駆け抜ける若さと青竹のようなきっぱり感、そして音楽表現への強い気持ちを感じる、そんな前向きな演奏なのでありました。
早くもブラボー飛んでましたよ。

ベートーヴェンが1800年30歳、マーラーが1888年28歳、ともに壮年期に差し掛かったこの先やったるぜ、と意欲満々の時期の1番。
年月の経過は、通常版による4管編成でずらりと勢ぞろいしたオーケストラを眺めるだけで実感できる。
1楽章の冒頭、同じ序奏を持つ曲ながら、ヴィオッテイはこの序奏を極めて抑えて細心の注意をもって聴きとるべきような弱音で開始したので、聴き慣れてルーティン化した思いでいどんだワタクシは、緊張しつつもものすごく集中して聴くという術中にはまることになった。
ステージ外のトランペットの遠近感も見事。
そして徐々に雲間から明るさが兆すようにして、おもむろに登場するさすらう若人の歌のメロディと晴れやかさ。
冒頭からワクワクさせてくれるじゃないか。
しっかりくり返しも励行し、その後の不安の様相の中からまた起こるファンファーレは抑えめで、終楽章でのさらなる爆発を予見、楽しみにさせるもの。
かなりの猛ダッシュでラストを駆け抜けた1楽章。
 ともかくノリのよかった2楽章。
メリハリを思い切りつけるような指揮者の指示っぷりもあって、歯切れよい主部。
そして美しく愛らしくもあった中間部、優美な展開が主部の切れ味との対比で面白い。
このように、ヴィオッテイの指揮は各部のメリハリの付け方がうまく、それが嫌味やあざとさにつながらない自然さがあるというところがよい。
 コントラバスはトゥッティで一音も乱れることなく整然としていた3楽章。
ここでも強弱の対比、またシニカルさとシリアスさとの共存のマーラーの音楽の面白さもまた創出。
東響の各セクションの精度の高さも光りました。
 そしてシンバルの乾坤一擲とも呼びたくなるような一撃で始まった終楽章。
吹き荒れ具合も上々で、ヴィオッテイの大きな指揮ぶりに一糸乱れず東響もついてゆく。
それにしても、燕尾服の裏地のエンジ色が大きな動きをするたびに翻って見える。
お洒落だ。
カウスボタンのところもエンジ色で、これまたおしゃれ。
そして、これだけ指揮をしているのに、汗もあまりかかず、背中にも汗はまったく浮いてこない。
身体能力もほんとに高い人で、日々鍛えているんだろう。
 とつらつらと思っていたら、第2主題が弦によって連綿と、そしてそれが徐々に思いの丈をどんどんと込めていって情熱的になってゆく場面となっていった。
ここ、ほんとうに美しく、思い切り感動して、涙ぐんでしまった。
今宵いちばんのシーンだったと思う。
ずっと続いて欲しかった。
そして来たる第1の爆発のクライマックスはまだまだ余力を残しつつ冷静さを保つもの。
1楽章の序奏の再現ではまたあの静寂にも似たピアニシモが。
何度も書きますが、こうした場面の鮮やかな対比がマーラーの音楽の面白さを際立たせるととともに、ベートーヴェンから90年後のマーラーという作曲家の奇矯なところなのだろうし、時代の先駆けでもあったと痛感できる。
再びの美しいシーンもまたよかった。
ヴィオラ部による不穏な雰囲気の組成では、これから始まる大フィナーレを予見させ、嫌でも期待と興奮の高まりを味わう。
そして始まりましたよ、期待を裏切らないどころか、輝かしき勝利宣言のような鮮やかなクライマックスが。
オーケストラも指揮者も、新しき船出を自ら歓声を持って歌い上げるかのような眩しさ。
横一列に並んだ7つのホルンが一斉に起立し、われわれ聴衆の興奮もマックスに!
炸裂する打楽器陣、力を込め満身で弾き、奏する弦楽器に管。
眩しいエンディングにブラボーが飛び交う。
ワタシも一声参加!

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ノット前監督とはまた違ったある意味即興性にも富んだヴィオッテイの指揮。
しかし存外に緻密であることも確認できた。
マーラーの1番を実演で聴いて、こんなに心躍るような気持ちの高まりを味わったのは、ライブで初聴きの82年のドラティと読響、そして83年のアバドとロンドン響の演奏以来かもしれない。
それは東響とヴィオッテイに対する私の今現在の思いも加わってのことでもありますが。

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親譲りのオペラ指揮者としての才能を、全体の構成力と豊かな歌いまわし、聴かせ上手でもある音の鳴らし方や届け方などに大いに感じた。

ノット監督と同じように、コンサートオペラを毎年やって欲しい。
きっとやってくれるだろう。
古楽から現代まで広大なレパートリーを持つ姉とカルメンなんか話題になりそうだし、CDにしても世界展開できそう。
得意のコルンゴルトやツェムリンスキーのオペラもやって欲しい。

次のシュトラウスとラヴェルもめちゃくちゃ楽しみ

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ワタシ、お腹が空きました、このあとメシなww

おちゃめなロレンツォさんなのでした。

【過去記事】

「ヴィオッテイ&東響 英雄と英雄の生涯」

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2026年5月15日 (金)

ベートーヴェン 田園と第7 長老指揮者の若き日

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過ぎ去った春を偲んで

近場の桜をめぐって沢山写真を撮ったのでストックはたくさんあるんですが、賞味期限切れです。

天気のよい平日の早朝に、町内の吾妻山へ。

菜の花から桜の時期、休日ともなると大変な人出となるものですから平日に。

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相模湾に右手は伊豆半島、大島も左には見えます。

少し下ったところにある吾妻山神社は、倭建命と橘姫命に由来する由緒ある聖地でありますが、先ごろ不届きな輩により、神社の銅板が大量に盗まれてしまった。
心痛むことばかりが起きます。

ベートーヴェンの6番と7番を懐かしい演奏で聴きました。
現在98歳と90歳の指揮者ふたりの若いころ。

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 ベートーヴェン 交響曲第6番 ヘ長調 op68 「田園」

  ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団

      (1977.6.6 @ルカ教会、ドレスデン)

もうジャケットからして泣けてくる。
田園ジャケットの大賞をあげてもいいくらい。
オリジナルのレコードジャケットだけれども、私はCD時代のブロムシュテット画像のものしか保有せず。
レコ芸の当時の広告のモノクロ写真をAIでカラー化してもらったらびっくりするくらいに美しく再現できた。
そして、刷新されたジャケットを眺めつつ、いまから49年前のアナログ最盛期、ブロムシュテット50歳のときの演奏を聴きながら、私は過去にタイムスリップしたかのような懐かしい風景を見たような感動に包まれたのであります。

驚くべきは、もうじき99歳にして若々しい指揮活動を続けるブロムシュテットは、いまも変わらぬ瑞々しい音楽を作っていることで、曲は違えど、ブルックナーやブラームス、マーラーといった大作にいどんでもサラリとした淡麗系の演奏であり、かつてのドレスデンでのベートーヴェンにも同じものを感じたことだ。
ゲヴァントハウスとの全集や、いくつかのライブなどで確認したが、テンポは版や研究成果に基づくもとであろうが、あきらかに早くなっている。
私は中庸でおっとりして、すべてにおいて過不足のないドレスデンでの田園がいちばんと思う。
田園にイメージされるものが、すべて備わったエヴァ―グリーンサウンドであります。
しかも加えて、ここではまだ東ドイツ時代のドレスデンの古雅でありつつ、豊かな厚みある低音と克明でありつつも少しくすんだ音色が味わえるという喜び。
まいどのことで言いたくはないが、ウィーンフィルと同じように、かつてのドレスデンの方がよき時代のヨーロッパを感じさせ、ふたつのオーケストラはともにアナログ時代の方が好きなのであります。

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  ベートーヴェン 交響曲第7番 イ長調 op.92

   ズビン・メータ指揮 ロサンジェルス・フィルハーモニック管弦楽団

      (1974.4 @ロイスホール ロサンジェルス)

今年の4月に90歳を迎えたズビン・メータも衰えを見せることなく活躍中ですが、ときおりの体調不良でキャンセルをすることも多くなってきた。
つい先ごろも、ミュンヘンでのトゥーランドットやマーラーをキャンセルし、90歳祝賀コンサートも演目を変えるなどしたばかり。
菜食主義のブロムシュテットに、メータはカレーパワーなのかと前々から思っていた。
同時代の朋友アバドと小澤が亡きいま、私のクラシック音楽人生のよき伴侶であったメータの存在は大きいですので、ずっとお元気でいて欲しい。

70年代はじめ、ツァラトゥストラ、ハルサイ、惑星と次々に大ヒットを飛ばし、メータとロスフィルは近現代ものにおけるグラマスな演奏でもって強烈な印象を与え続けた。
デッカによる鮮やかな録音もその一助となりました。
 そんなメータが初の古典系ロマン派にいどんだことで話題を呼んだのがベートーヴェンの7番。
当時は、そんなジャンルのメータの演奏は眼中になく、私が聴けたのはそんなに昔でないCD化された音源によるものです。

ゴージャスなイメージとはほど遠い、しごくまっとうで、慎重なメータがここにはありました。
くり返しもすべて行う丁寧な演奏で、熱血漢のベト7を期待すると裏切られます。
というか、メータのこの時期のレコーディングレパートリーでリスナーに刷り込まれてしまった印象の悪影響かと思う。
イスラエルフィルとのモーツァルトなんかも、レコ芸ではけちょんけちょんにされてたけど、もともとは柔軟性あふれるメータの音楽性ですし、どんな音楽でも、その音楽をあるがままにわかりやすく聴かせるという指揮者ですから、このベートーヴェンもしごくまっとうな演奏なんです。
それでもメータとアメリカのオケらしいところは、その音色の明るさや、ホルンやティンパニの強奏ぶりで、そこはなかなかの迫力と聴く側への快感となります。
また終楽章での熱狂は冷静でありつつ、アッチェランドのかけっぷりもそこそこにあり熱いです。
ただリズム的には、全体にもっと軽やかに弾んでもいいかなと思い、全般に重厚にすぎて、そこが今風でないところか。
あっけらかんとしたロスフィルでなく、ウィーンでやったらまったく違う演奏になっていたでしょう。

長老になってもあまり変わらず、むしろサラサラ感の増したブロムシュテットに対し、メータの昨今はテンポがゆったりとなり、スケール感あふれる印象は変わらぬものの、やや弛緩した印象も与えるようになったと思う。

ふたりの偉大なマエストロのますますのご健勝を祈ります!

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2026年5月 9日 (土)

ディーリアス ピアノ協奏曲 シェリー&デイヴィス

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過ぎ去った春

今年の桜はどこも美しかった。
隣町の湿生公園は、幼少時代によく遊んだ場所。

当時はよそ者は入れないような、そんな閉ざされた雰囲気と神聖さすら子供心に感じた場所。
丹沢山系の由来する水源は耐えることなく、清らかさを保っているのは昔と同じく。

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  ディーリアス ピアノ協奏曲 ハ短調 (初稿版)

     Pf:ハワード・シェリー

   アンドリュー・デイヴィス指揮
  ロイヤル・スコテッシュ・ナショナル管弦楽団

     (2011.11 @グラスゴー)

ディーリアス(1862~1934)には、協奏曲作品は4つあり、それらのなかで一番はやく作曲されたのがピアノ協奏曲。
1897年、ディーリアス35歳の作品。
父親の跡継ぎとして実業家になるという縛りから解放され、音楽で生きていくことに舵を切って始めたヨーロッパでの生活。
ドイツで多くの演奏家や作曲家と交わり、影響を受けたが、なかでもグリーグとの出会いは大きく、グリーグ自身もディーリアスの才能を高く評価し支援もした。
ついで生活と活動拠点をパリに移し、そこで本格的に作曲に打ち込むようになり、同時にその頃、1896年にのちに伴侶となるイェルカ・ローーゼンと出会う。
そんななか、ピアノとオーケストラのための幻想曲を作曲。
それは、フロリダ時代にすでに構想されていてスケッチとして残されていたもので、ディーリアスはこの幻想曲をさらに拡大し、3楽章形式のピアノ協奏曲として完成させる。

その初演は、デュッセルドルフの東部、エルバーフェルトにて1904年に行われた。
ドイツで何度か演奏されたが、ディーリアスはこの作品に満足はしていなかった。
その2年後に3楽章を削除して、さらなる改訂を施して、最初の単一楽章形式のものに戻した。
友人でありピアニストでもあったサントー(ブゾーニの弟子)の協力を仰ぎ、ピアノパートがよりヴィルトゥオーゾ風にサントーによって書換えられ、これをディーリアスも承認。
このような曲折を経て、現在演奏されているディーリアスのピアノ協奏曲は、元に戻された1楽章形式の作品ということに落ち着いているわけで、ビーチャムが手を入れたりもしている。
1906年の単一楽章バージョンが23分ほど。
1897~1904年の3楽章オリジナルバージョンは30分。

3つの楽章のテイストを連続する形で巧みに、協奏曲としての形式を真ん中に緩徐楽章的な美しい場面を入れつつ構成した幻想曲ともとれるような1906年版。
以前の記事でも書いてますが、グリーグやシューマンと同じような幻想味と叙情味を簡潔に味わえるロマンテックな通常版でした。

そして3つの楽章がはっきりと分かれている初稿版は、幻想曲というよりはやはり協奏曲としての立ち位置がしっかりあり、規模は大きくなり、3つの楽章の性格とその対比がより明確となっている。
フロリダ時代のアメリカ生活の一端を感じさせるような牧歌的な印象が1楽章ではより強くなった。
 そして、美しく、いかにもディーリアスを思わせる幽玄な2楽章は、改訂版にあるような終結部へのつなぎ的なイメージがなくなり、これだけで独立して取り出して聴きたくなるような、ディーリアス好きにとっては至福を感じるたゆたう儚さの音楽なのであります。 
 3楽章はいくぶんシリアスに、そしてときに5拍子になったりで大胆な雰囲気もある。
オーケストラは複雑な動きを見せ、ピアノも技巧的に、ときに華麗さすら感じさせる。
このあたりがややまとまりに欠け、最終稿における簡潔さのほうが優るような気もしなくもない。
ピアノソロによる長いカデンツァがあるが、この部分をのちにヴァイオリン協奏曲にイメージ転用している。
その後に現れるオーケストラは、静かに印象的に入りつつも、徐々に1楽章の印象的な第2主題を晴れやかに、高らかに奏で始め、勢いを増してそのまま終結。

ディーリアスは青白いもやのようなヴェールにつつまれているような曲、と言ったというが、その言葉が2楽章のことを言ったものだと思いたい。
このハワード・シェリーの献身的なピアノ、ディーリアスへの愛情に満ちた亡きサー・アンドリューの素敵な指揮による演奏と、詩的なジャケットとで、このディーリアスの言葉を受け止めたい。

初稿版の録音はあとピアーズ・レーンのものがありますが、未聴。
改訂版は、カールス、同じくレーン、P・フォークの3種を聴いてます。

 過去記事

「ピアーズ・レーン&ハンドレー」

「ルドルフ・カールス&ギブソン」

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まだ1カ月と少ししかたってないけれど、桜の季節がもう懐かしく、そして愛おしい。

日本の巡りくる季節の移り変わりは美しい。

次のディーリアスは、少し間をおいて二重協奏曲を。


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2026年4月28日 (火)

東京交響楽団 定期演奏会 エラス-カサド指揮

Hibiya

いつもの東響サントリー定期は土曜の晩で、ミューザ川崎が日曜。

今回は、その逆となりました。
土曜に一瞬忘れたとビックリしてチケットを見返して安心したりもしてました。

この日のホールまでのお散歩は、新橋から日比谷公園を経ての虎ノ門。
都会の真ん中でネモフィラ。

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  東京交響楽団 第739回 定期演奏会

 シューベルト 交響曲第7番 ロ短調 D759 「未完成」

 ブルックナー 交響曲第6番 イ長調 (ノヴァーク版)

   パブロ・エラス-カサド指揮 東京交響楽団

     コンサートマスター:小林 壱成

    (2026.4.26 @サントリーホール)

楽しみにしていたエラス-カサド。
N響には何度か登場していたけれど、私は初カサド。
広範なレパートリーを持つカサドは、私にとっては優れた最先端オペラ指揮者との認識。
モンテヴェルディからモーツァルト、ワーグナー、ヴェルディ、ドニゼッティ、ビゼー、リゲティと、なにが得意なのか、まったく焦点を定めることのできない現状でのオペラへの取組ぶりで、なんといってもウィーンでのモンテヴェルディ3部作とリゲティのグラン・マカーブル、バイロイトでのパルジファルが驚異的な演奏ぶりだと思っていた。
リングへの取組も始めていて、パリで来年、バイロイトで2028年に指揮する予定。

そんなカサドがよく演奏している2曲。
シューベルトとブルックナーという相性のいい2曲。
シューベルトはフライブルクの手兵と、ブルックナーはSWR響とでのエアチェック音源を持ってましたが、今回の東京交響楽団との演奏は、それらよりはるかに上をゆく素晴らしさだった。

タクトを持っての指揮は予想外。
音を極限に絞ったかのようなピアニシモからスタートした「未完成」。
繊細なタッチでよく歌いつつ、一方でフォルテはとても強く、まるで深淵を覗き込むようなドラマチックなその対比に、聴く側もいや、おそらくはオーケストラにも強い緊張を強いるような、そんなカサドの音楽造りだった。
当然にヴィブラートは少なめだけれど、フライブルクのバロックオケに比べると古楽的な奏法はずっと控えめ。
柔和さよりは、清澄な透明感を感じた2楽章は歌にあふれ、でも同じく突然のフォルテは強烈で、そこでも対比は鮮やかでハッとさせられる瞬間があった。
 奏でられる音たちは、すべてピュアで清冽だし、音の絡み合いも美しく、すべての音がよく聴こえ混じり気なく耳に届いた。
このあたりの指揮者の耳の良さや、音を混じり気なく聴かせる才能は、カサドならではで、さらにはオペラなどで強く感じられる独自の即興性は、このシューベルトよりも次のブルックナーにおいてよく感じられたのです。
東響も演奏しなれたこの名曲を緊張感を持って高い集中力をともなって演奏。
その演奏が終わったあとの静かな間も、この演奏の流れのひとつで、とても美しき静寂の間でした。

一転、後半のブルックナーは攻めに徹した積極的かつ陽光あふれる眩しい演奏。
ブルックナーでは後期の3作品は別格として、私は、1番、2番、6番の3曲がとても好きで、地味ながらも可憐さや美しさを常に感じてるのです。
3曲のなかで6番だけが長調で、隅々までブルックナーらしくない朗らかさがあると思ってます。
 そんな6番を指揮するカサドをタクトを見ていて、拍子は極めて明快でしっかり振り分けているし、強弱の付け方、強調したいヶ所への明確な指示など、ともかく開放的な指揮ぶりで、その姿だけを音無しで見ていたらブルックナーを指揮してるとは思えないのが面白いところ。
明るく駆け巡るような1楽章、でも木管のさりげないフレーズなどすべてに面白さや意味があるように鳴るので、ほんとに耳が離せないし、リラックスさせてくれない。
 大好きな自然美あふれる第2楽章。
葬送のような哀しみあふれる第3主題での旋律を支えるピチカート、こんなに楚々とした雰囲気を醸し出すなんて驚きだった。
総じてこの楽章では、旋律の歌わせ方も非常に見事だったが、それを下支えする各セクションが極めて克明で、聴いていてこんなに面白かったっけ、という場面がいくつもあった。
そしてこの楽章の儚くも極めて美しい終結部は東響の精緻さもあり、わたしは息もできないほどに感動し、アルプスならぬ、ピレネーの山のなかの緑の草原で風に吹かれている、そんな気分になってしまったのでした。
 ホルンの素晴らしさが際立った3楽章。
カサドのリズムの良さは抜群で、だからノリのいい楽章となったが、メリハリありすぎで疑問符をいだく方もいたかもしれない。
でもこの軽快さは好き。
 やや速めのテンポで突き進みつつも、おおらかさと、細部へのこだわりも随所に見せる終楽章。
この楽章は短いし、終楽章として座りのよろしくないものであるが、わりと千変万化する楽想を丹念に追って仕上げていくと、実に壮大な音楽になると思っていた。
カサド&東響は、まさにそのあたりが実にうまくて、ブルックナーを聴いていてこんなにワクワクさせてくれるのって初めてかもしれない。
最終コーダでは金管群がリミッター解除したみたいに咆哮を見せ、輝かしいばかりの終結を迎えたのだ。
 この輝かしいブルックナーに、唖然として拍手できなかったし、ホールの一瞬の静寂もそんな思いの聴き手が多かったからかもしらん。

金管も増強していたし、鳴らすときはバンバンいく、こんなブルックナーに好悪はわかれるかもしれない。
私は好きでした。
こんなに1音一音に耳が、そして指揮姿から目を離せないブルックナーがとても刺激的でした。

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そしてジョナサン・ノットと長年連れ添った東響のフレキシビリティの高さや、即興性ある指揮者への高度な適応力などを、こうした感度高い指揮者との共演でよくわかりました。
コンマス小林氏のSNSでは、カサドが東響を気に入ってくれたとの書き込みあり、今後再びの客演も期待できますね。

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ノット前監督とのブルックナーチクルスは、6番を残したままで、こうしてカサドの指揮で補完。
しかし、ノットさんは、この秋に都響に客演してその6番を・・・
秋山さんの急逝もあったが、ノットさんには、早く名誉称号授与を、と願います。

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カサドさん、N響でなく次も東響に来てね。

そして東響は、5月はいよいよヴィオッテイです。

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2026年4月25日 (土)

東京都交響楽団定期演奏会 カラビッツ指揮

Toranomon

都響の演奏会へ、混雑満員の地下鉄を避けて外歩きでサントリーホールへ。

途中、虎ノ門ヒルズを抜けて向かいました。

車がないと不便なそこそこ田舎にいるものですから、都会人より足腰が弱くなります。

都会に出た時ぐらいは、ともかく歩きます。

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   東京都交響楽団 第1043回 定期演奏会 Bシリーズ

    ブラームス ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 op.15

       Pf:久末 航

    サーリアホ 「地球の影」

       org:オリヴィエ・ラトリー

    プロコフィエフ 交響曲第4番 ハ長調 op.47

         キリル・カラビッツ指揮 東京都交響楽団

      コンサートマスター:矢部 達哉

          (2026.
4.24 @サントリーホール) 

前半に長い協奏曲、後半に現代・近代の音楽と、実に渋いプログラム。
プロコフィエフの音楽をここ数年大系的に聴き進めている自分にとって、そのスペシャリスト的存在であるキリル・カラビッツの来日は絶対に聴き逃すことができないものだった。
そのためには、たぶん実演で初聴きとなる苦手なブラームスの1番の協奏曲を苦難をもって耐えるしかないとの覚悟でいどんだのだ。

ティンパニと思わぬほど強く響いた低弦で開始された長い序奏でまず驚きのカラビッツ指揮の都響の分厚い響き。
しかし、久末氏の爽快なピアノが入ってきてからも、やはりこの曲は自分との相性がよくないのか、どうにも身が入らずに聞き流してしまう。
高校生のときから2番ばっかり聴いていたことからこうなったのか・・・
でもこの日の2楽章の演奏の美しさに目を見張るほどの驚きだった。
リリシストという言葉がピタリとくる、そんな久末氏の繊細かつ、丁寧で心のこもったピアノ。
対する都響の木管と弦セクションの美しさ。
終楽章も1楽章以上に苦手意識があるけれど、オーケストラはなかなかに情熱的だったし、久末氏のピアノの粒立ちのよさ、あざとさの一切ない誠実な演奏がとても好ましく感じました。
この大曲に、アンコールはなしで、ピアノの蓋をそっと閉じた久末氏の爽やかな演奏を讃えたいです。
ほんというと、ブラームスでなく、プロコフィエフの協奏曲をやったらよかったのに・・・と思いました。

日本初演となるサーリアホの「地球の影」という3章からなるオルガンと大オーケストラの作品。
2014年に今宵のラトリーのオルガンとケント・ナガノの指揮でモントリオールで初演されている。
サーリアホは2023年に70歳という若さで亡くなってしまったが、そのときの欧米の楽壇での追悼演奏などの頻度を見て自分としては驚きだった。
そのときに放送された作品をいくつか録音もしたりして聴いていたが、なかでもオペラ「イノセンス」のサスペンス仕立てのドラマとそのクールな音楽に驚き、感心を持ったものです。
そして同郷のフィンランドの演奏家たちがこぞって取り上げていて、サロネン、サラステ、リントゥ、マルッキ、マケラなどがそうで、その点でも興味ある作曲家でもあります。

  ①影は飛び去る
  ②ドーム
  ③花、遺跡、彫像

作者はオルガン協奏曲的なものでなく、まったく性格の異なるオーケストラとオルガンの共存関係と語る。
モノトーンで銀色に輝くようなそんなイメージを抱いたし、独特のヒンヤリとした感触はサーリアホならではとも思った。
多くを語る言葉もないが、腹にも響く重低音から清らかな高音まで、自然に抱かれるような安心感と包容力とを身体のなかから感じとるオルガンの音。
そこにオーケストラが多様な打楽器の奏法をともなって相対してゆくさまを、ホールの右手上の席から眺め、全身で感じ取った18分間は、ある意味、快感ですらあった。
演奏の良し悪しを言えるものでないが、初演者のラトリー、カラビッツと都響に賛辞を。

ほんの少しのインターバルですぐにプロコフィエフ。

数日前のブログで、「放蕩息子」と4番の初稿版について書きつくしたばかり。

カラビッツの本領発揮、その指揮ぶりにも水を得た魚のような軽快な動きと音楽への共感の度合いの深さを感じるものだった。
おおらかにでも、深みも感じさせつつ始まった1楽章。
やがて疾走感あふれる主題は、その変わり身の鮮やかさとオケの反応のよさに感嘆。
ずっと聴いてきたボーンマス響の演奏よりも切れ味よく俊敏に感じたし、終結部も痛快このうえない!

優しい2楽章での柔和な演奏は、放蕩息子の帰還を許す寛大な父親のシーンなのであるが、その場面が思い起こせるような優しい演奏。
そしてチューバや打楽器がそこを支えるが、実演だとその空気感がホールを満たして気持ちよかったのだ。
同様に、放蕩息子をたぶらかす乙女の踊りの場面かなる可愛い3楽章では、踊るような仕草の指揮ぶりで、マッチョなカラビッツがかわゆく見えた(笑)
多くの方が、この楽章ではバレエ音楽のように感じたでしょうが、プロコフィエフの音楽の神髄のひとつは、こうしたバレエの舞台を感じさせるリアリティと親しみやすさだろう。

切迫感あふれる開始の4楽章では、ワタクシはもうワクワクしっぱなしだった。
都響はきっれキレだったし、カラビッツの指揮も縦横無尽に指示を出し、小さくジャンプもしながらの軽快ぶり。
あまり知られてない4番、25分ぐらいのシンフォニエッタサイズの初稿版で、トリを飾って盛り上げるのは至難の業かと思ったが。スピード感を常に保ち、ユーモアと緊張感も持たせたカラビッツの指揮はたいしたものだった。
終楽章コーダでテンポをあげてゆき、独特なリズムを刻みながら徐々にクレッシェンドしていって、わたしはドキドキだ。
そのあとの鮮やかな終結に、カラビッツはどうだと言わんばかりに、身体を観客の方へ向かせつつ指揮を切り上げた。
わーお、ナイスじゃん、と思ったワタクシ。
小声でブラボー!

Karabits-tmso

昨年に聴いたヤルヴィとN響の演奏は厚塗りの改訂版だったせいもあるが、あちらは重戦車のような逞しさがあったが、カラビッツ&都響は、小気味よく爽快で、しかも中身も濃い鮮やかな演奏だった。

Karabits-tmso-2

もっといろんな曲でまた聴きたいカラビッツ。
ベネデッテイのコルンゴルトでバックを務めてたカラビッツ&ボーンマス。
エルガーやチャイコフスキー、ラフマニノフ、ショスタコーヴィチなんかもレパートリーですからして。

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2026年4月22日 (水)

プロコフィエフ 交響曲第4番(初稿)・放蕩息子

Koubouyama-0308

3月8日の富士山
まだ寒かった頃、冠雪は増え広がりを見せてました。
なにより空気も冷たかったので、景色も澄み渡ってましたね。

Koubouyama-0408

そして、桜も終盤となった4月8日の富士は、裾野まで広がった雪がかなり減りました。
なによりも、気温も上がるようになり空気感はやや霞みがち。
これからは、ほんとの早朝でないとクッキリした富士は拝めないようになります。

プロコフィエフ(1891~1953)の作品シリーズ

略年代作品記(再褐)

①ロシア時代(1891~1918) 27歳まで
  ピアノ協奏曲第1番、第2番 ヴァイオリン協奏曲第1番 古典交響曲
  歌劇「マッダレーナ」「賭博者など

②亡命 日本(1918)数か月の滞在でピアニストとしての活躍 
  しかし日本の音楽が脳裏に刻まれた

③亡命 アメリカ(1918~1922) 31歳まで
  ピアノ協奏曲第3番 バレエ「道化師」 歌劇「3つのオレンジへの恋」

④ドイツ・パリ(1923~1933) 42歳まで
  ピアノ協奏曲第4番、第5番、交響曲第2~4番、歌劇「炎の天使」
  バレエ「鋼鉄の歩み」「放蕩息子」、「エジプトの夜」

⑤祖国復帰 ソ連(1923~1953) 62歳没
  ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第5~7番、ピアノソナタ多数
  歌劇「セミョン・カトコ」「修道院での婚約」「戦争と平和」
 「真実の男の物語」 バレエ「ロメオとジュリエット」「シンデレラ」
 「石の花」「アレクサンドルネフスキー」「イワン雷帝」などなど

プロコフィエフを年代別に聴いていこうのシリーズ。
好きなジャンルであるオペラと交響曲に偏って集中して聴いてますが。
シンフォニストとしてブレイク、ポスト・マーラーの存在として定着したショスタコーヴィチに比して、プロコフィエフの存在はやや影に回り勝ちだと思う。
このおおあまかな年譜のとおり、プロコフィエフの作風は、ロシア時代とロシアを出てからの時代、祖国回帰でもソ連だった時代とで大きく変転した。
ショスタコーヴィチが国を出ずに仮面をかぶったかのように謎をはらんだ作風で通したのに対し、プロコフィエフの音楽はもっとシンプルで正直だったと思う。
大きく分けて、祖国回帰の前とあと。
それが端的によくわかるのが交響曲第4番かもしらん。
アメリカ滞在中に書かれた作品番号47の初稿、ソ連時代の改訂版の4番の作品番号117。

改訂稿は、作曲時期の順番では6番の後なので、本blogではまたあらためて取り上げることにして、今回は初稿の方を。
そして4番の素材となったバレエ音楽「放蕩息子」も併せて聴いてみた。

Prokofiev-prodigal-son

  バレエ音楽「放蕩息子」 op.46

 ミハイル・ユロフス指揮 ケルンWDR交響楽団

         (1996.1 @ケルン)

1929年、ディアギレフのバレエ・リュスのために作曲されたもので、バレエ・リュスのために書かれたバレエとして3作目(道化師、鋼鉄の歩み)にあたるもの。
パリで同年に初演され大成功となるが、制作チームは台本のコフノ、振り付けのバランシン、装置・衣装のルオーという黄金トリオ。
いうまでもなく、聖書のルカ伝15章でイエスが語る「放蕩息子」がベースになっていて、まよえる羊・ステレイシープ、神から見た人間のたとえなのです。
放蕩息子を題材にした作品には、ストラヴィンスキーやブリテンもあります。
物語としてシンプルなことや、身につまされ、人を感動させる内容でもあることからもパリっ子たちはプロコフィエフのこの音楽にも熱狂。
プロコフィエフは祖国を離れ彷徨った自分の境遇などにも重ね合わせて共感しつつ作曲し、「シンプルで、明快、旋律的」と自ら評した。
3場10シーンからなる40分ほどの作品。

「厳粛な父親の元から喧嘩をして財産分与も受けて飛び出した息子。放浪し仲間もできて、さらには美女の誘惑にも負け、財産すべてを巻き上げられてしまい無一文になってしまう。おおいに反省し悔恨の末、父の元に帰還しその足もとに崩れ落ちる。父はすべてを許し息子を抱く」

 ①旅立ち→②友たちと出会う→③美しい乙女→④男たちの踊り→⑤放蕩息子と乙女→⑥酒盛り→⑦略奪→⑧目覚めと後悔→⑨略奪品の分配→⑩帰還

音楽だけ聴いているとサラサラと進んでしまうが、このタイトルをにらみながら聴くと、なるほどそういう感じね、ということになります。
さらに理解を深めるために、ネット上で視聴できるバレエの舞台を見ると実に面白かった。
2013年のニューヨーク・シティバレエの上演だが、1929年初演時の演出や装置・衣装のままで、いま見てもなかなかに斬新だし、身体能力的にも極限の動きで踊りまくるバレエダンサーたちに舌を巻くことになる。

その素材にもよるかもしれないが、プロコフィエフのこの音楽は先鋭さがなく、わかりやすく平明であり、炎の天使でのような刺激的な音楽はみじんもない。
酒盛りや略奪シーンがやや暴力的なのをのぞけば、優しく抒情的でもあり、そんなシーンは乙女の登場や、帰還での父の許しの場などに聴かれ、後者は感動的であります。
悪くないけれど、決定打に欠ける、そんな作品かも。
できれば、この素材でソ連帰還前のこの時期にオペラを書いて欲しかった。
父ユロフスキの指揮は万全です。

Prokofiev-45-karabits



  プロコフィエフ 交響曲第4番 ハ長調 op.47

    キリル・カラビッツ指揮 ボーンマス交響楽団

       (2015.4 @ライトハウス、ドーセット州プール)

オペラ「炎の天使」の素材を交響曲にした3番がそうであったように、プロコフィエフは「放蕩息子」を元に交響曲第4番を作曲。
作品番号は連続していて、放蕩息子作曲中に交響曲を思いつき、1929年のバレエ初演のあとすぐ翌1930年に完成。
バレエと交響曲、ふたつをほぼ同時に書きすすめた姉妹作なのです。

ボストン交響楽団の創立50周年シーズンの1931~32年に演奏することを前提に、セルゲイ・クーセヴィツキーから公共作品の委嘱を受けた。
プロコフィエフはボストン交響楽団に初演権を与える報酬を受け取ったものの、提示された金額は委嘱作品とみなすには低すぎると考えていたらしいが、ともあれ1930年11月にボストンで初演された。

クーセヴィツキとディアギレフ、そしてプロコフィエフの3人はともに「セルゲイ」なのであるが、ともにロシアを去りパリで活動して成功した3人なのであり、この交響曲4番は、この3人が生み出したと言ってもいいのかもしれない。
放蕩息子からひも解いてきて、そう思いますね。

プロコフィエフはボストン初演には出席しなかったが、クーセヴィツキーにプログラムノートの指示を送っている。
楽曲の使い回しだという批判を恐れ「交響曲のいくつかの箇所で、バレエで使用された音楽を用いました。しかし交響曲では、バレエという形式では不可能だったことを交響曲的に展開することができた。このようなアプローチの先例としては、ベートーヴェンのプロメテウスと交響曲第3番に見出すことができます。」
評論家筋の批判を恐れ、プログラムに書いてねと予防線をはったのでした。

しかし、この交響曲の初演のすぐあと、同じ委嘱作であるストラヴィンスキーの「詩篇交響曲」が演奏され、こちらはプロコフィエフのの作品よりも高く評価され、もともとがストラヴィンスキーと競争関係にあったプロコフィエフはさぞかし落胆したであろう。
放蕩息子初演のあと、ディアギレフが亡くなってしまい、父のように慕ったクーセヴィツキもボストンに居つくようになり、ヨーロッパでのプロコフィエフは孤独や寂しさを覚えていた。
さらに立ち会わなかったアメリカでの初演が思わしくなく終わったと聞き、次ににブリュッセルでのモントゥー指揮による欧州初演も芳しい評価を得られなかったことなど、ふたりの頼りになる「セルゲイ」も近くにいなくなったこともあり、プロコフィエフは祖国でこそ成功が再び得られると思い、母国回帰も考えるようになる。

全4楽章、25分ほどの4楽章形式によるシンプルな構成。
調性も長調であり、2番や3番のような不協和音はみあたらず、放蕩息子と同じようにプロコフィエフが自ら呼んだように簡素ですらあります。
バレエの全10場の音楽やバレエには使用しなかったモティーフなども追加して、バレエの筋立てや曲順などは構わずに再構築。
この点は炎の天使と第3交響曲に同じです。

ソナタ形式の1楽章では、バレエにはないおおらかな雰囲気の旋律による序奏から開始し、その次に来る、この交響曲でいちばんカッコいいリズミカルで疾走感あふれる速い主題には痺れます。
これは④「男たちの踊り」から使用されているし、それに対比する旋律的な優しい旋律がでてくるが、それは⑦「略奪」の乙女のシーン。
こんな感じでスピード感あふれ、小又の切れ上がったような1楽章で、2番や3番のプロコフィエフを期待するとそうではなかったのが2楽章。

緩徐楽章であるアンダンテ・トランクィロは、クールではなく、優しい叙情に満ちた音楽で、それもそのはず、⑩「帰還」の父の大きな博愛を描いた旋律がメインになっているし、そこに⑧「悔恨」の反省著しい内向的なムードも反映されてる。

3楽章は、まんま③「美しい乙女」の音楽で、バレエでは乙女がしゃなりしゃなりと登場して、魅惑的な踊りを披露する。
バレエを見てしまうと、まさにそのイメージのままに、この楽章があるのでこの可愛い楽章が愛おしく感じるようになる。

終楽章は、バレエ冒頭の主題から始まるので切迫感と推進力あり。
おもに①「旅立ち」の活気ある音楽をうまく使い倒して巧みなロンド形式へと仕立てている。
打楽器も効果的に加わりテンポアップして熱狂していくかと思うと、急転直下終了。
実にいさぎよい結末となります。

全4楽章、無駄なものがひとつもなく感じるユニークな交響曲だと思います。

こののちの17年後、交響曲第6番のあとに、大幅改訂を行い、作品番号も112としました。
25分の曲を40分ぐらいの長さとし、ピアノや打楽器も増強し、デラックス化した。
終楽章のコーダも壮大になり、簡潔さが失われた結果となってます。
多くの録音や全集が改訂版を取り上げるのみだが、最近は初稿版も演奏頻度もあがってきていて、カラビッツが都響にやってきて演奏します。

手持ちのプロコフィエフ全集のなかで、いまいちばんはカラビッツとボーンマスの演奏だと思ってる。
切れ味よく、プロコフィエフの抒情味もよく感じて引き出している。
2,3,4番というプロコフィエフのユニークな3つの傑作がカラビッツの共感あふれる指揮で、そのあるべき姿で混じり気なく聴くことができるのだ。
ほかの手持ちの初稿版は、ロストロポーヴィチとゲルギエフであります。
改訂版は、まだだいぶ先に取り上げる予定。

Nakai-fuji

富士の頭に太陽が沈む、ダイヤモンド富士ではなかったけれど、結構いい感じになりそうでした。

しかし、無情にもこのあと雲が増え、お日様は隠れてしまいました。

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