望郷のディーリアス
私のフェイヴァリットのひとつ、イギリス音楽。
料理と同じで、おいしくないイメージが音楽にもあるのかどうか、日本では好まれて聴かれません。
でも最近はエルガーの交響曲や協奏曲がコンサートで取り上げられることが増え、うれしい限りであります。
が、しかし、余り人気が出ても困るのよ。
ひそやかに、楚々と一人楽しむのがイギリス音楽の聴き方なのであります。
私とイギリス音楽の出会いは、ディーリアスを通じてです。
私が中学生だった頃、父が職場より、LPのサンプル盤を大量にもらって来ました。
父がホテルマンだったため、館内で利用していたLPだったようです。
大半がEMIやキャピトルのもので、赤の半透明の盤もあり、そのほとんどは、ジャズやビアホール向けの軽音楽でした。
そうした中に混じって、フルトヴェングラーや、ミルシュテイン、フェラス、そして何故かビーチャムのディーリアスのLPがありました。
ジャケットなど白の厚紙にマジックで「ビーチャム・ロイヤルフィル、ディーリアス」としか書かれてません。
ディーリアスが何者なのか、曲名は何かなどがわかったのは、後年です。
ともかく、多感(?)な当時、幽玄でモヤモヤとした雰囲気の音楽に何故か惹かれ、何度も繰り返し聴いたものでした。
今を去ること30年以上も昔の話なり。
その後長じて、EMIから廉価盤でディ-リアスの一大アンソロジーが発売され、もう立派なオトナになっていた私は、狂気してそのすべてを買い揃えました。
もちろん、懐かしいビーチャム盤もそこに入ってました。
またいずれ、書き改めたいですが、このシリーズは「ターナー」の絵がジャケットに使われ微妙な光を描いた画風とディ-リアスの音楽がぴったりと寄り添うようでした。
もう涙もの。
「ブリッグの定期市」という曲の冒頭、懐かしげなフルートがハープに乗って歌い始めると、私は過去の思い出や、かつて過ごした故郷を思い浮かべ陶然としていまう。
ディーリアスのLPを運んできた父も今はもういない。
私の故郷は海と小さな山に囲まれたそれこそ小さな町。
実家の部屋からは、山越しに「富士山」の頂が覗える。
そこに日が沈み富士や周辺の山が赤く染まり、あたりが夕闇に包まれるのを見ながら、ディーリアスを聴いたものだ。
「夏の歌」や「楽園への道」「高い丘の歌」などが壮絶なほど美しく、こうした景色に映えるものであった。
音楽はもう帰れない昔や場所、会えない人を懐かしく思い起こさせてくれる。
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コメント
「ブリッグの定期市」は懐かしいです。ビーチャム盤でよく聴きました。「丘を越えて遙かに」や「春初めてのカッコウを聴いて」なども、このシリーズのレコードで知りました。
この春、CD2枚組のバルビローリ盤を手に入れて聴いています。いつ聴いても、優しくデリケートな音楽、大事にしていきたいです。
投稿: mozart1889 | 2005年12月 8日 (木) 07時56分
バルビローリの唸り声も聴こえる彼のディーリアスもたまらなく良いですよね。私も2枚組CDを愛聴してます。今は彼等のようにディーリアスの真髄を聴かせる人がいなくなりました。
投稿: yokochan | 2005年12月 8日 (木) 12時59分