コルンゴルト ヴァイオリン協奏曲 ムター&プレヴィン
今晩は「コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲」。このところ聴いてきた路線を継承しているが、1945年頃の作品に係わらず、調性は豊かでロマンテックな曲だ。昨晩のツェムリンスキーの弟子ではあるが、先鋭的なところが全くなく、マイルドで懐かしい作風の人である。
ウィーン生まれのユダヤ人で、ナチスに退廃音楽とのレッテルを貼られ、アメリカ亡命を余儀なくされ、ハリウッドで活躍した。映画音楽も数多く作曲していて、そうした軽いイメージを待つと大間違い。大交響曲もあるし、オペラもいくつかあって、それぞれが立派な作品である。中でも最近良く演奏されるのが、このヴァイオリン協奏曲とオペラ「死の都」である。戦後になっても故郷ウィーンで評価されず、郷里への復帰もかなわず、アメリカで寂しく世を去ったらしい。1957年のことだから、そんな昔でない。
ゆったりと昔を回想するかのようにヴァイオリン・ソロで始まる1楽章。オーケストラでも繰り返され、ソロが上昇するようなパッセージで印象深く付けて行く。この部分を聴くだけでワクワクしてしまう。2楽章のロマンツェと表された緩徐楽章は低弦から高弦まで実に豊かに歌いまくるヴァイオリン・ソロがあまりに美しい。おぼろげな眼差しではるか大西洋のかなたの故国を見つめるような作曲者の気持ちが込められたかのようなノスタルディックな曲だ。
一転、終楽章はプレストでユーモラスだ。ヴァイオリンのソロにからみつくような管楽器、繰返し鳴り響く主要主題だが、最後は楽しい映画のエピローグのように華々しく終わる。
この素敵な曲を「アンネ・ゾフィー・ムターとプレヴィン/ロンドン響」というおしどりコンビで聴く。この曲に関してはプレヴィンを置いて右に出るひとはいない。パールマン、シャハムに続き3度目の録音。いずれもロンドン響である。即座にハリウッドと結びつけてはいけないがクラシック指揮者の大家として認められたプレヴィンも、若い頃ハリウッドで活躍したがゆえに軽くみられがちだった。コルンゴルトとともに、その同質性を感じる。
こうした確かなバックを得て、ムターは思い切り弓を使いきり旋律を歌わせ、気持ちよく弾いている。少し真面目すぎる感もあるが、2楽章では若干の色気を感じさせるところがこれまでの彼女にないところか。1楽章の冒頭もふるいつきたくなるような感動に満ちている。
それにしても、このジャケットもいたく美人である。ほんと、いい女。14歳頃にカラヤンに見出されデビューしたころは、「イモねえちゃん」っぽかったが、それがどうだ。このところの一連のCDジャケットは、モード風のドレスが似合う「オトナの女」として実に見映えが良い。
おじさまキラーの本領であろう。プレヴィンももうお爺さんなのに元気なものだ。何度目の結婚なのだろう。そんな元気があるのなら、もう一度N響に来て欲しいのだ。
こうした大人の二人が奏でるコルンゴルトはちょっと過去も顧みつつ、あくまで前を見つめた健康的なロマンティシズムに満ちた演奏なのであった。うらやましーーー。
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コメント
このジャケを見て僕が言いたかったこともまさにそこ。ムターはいつの間にこんなにキレイになったのか・・・?昔レコ芸誌上のマンガでブサイクキャラで描かれていましたが、もし砂川氏がまだご健在だったら今のムターの変わりようをどう描いたのか興味があります。
今回、音楽の内容に無関係なコメントで申し訳ありません。
投稿: リベラ33 | 2006年3月 4日 (土) 12時20分
まったくおっしゃる通りで、いつの間にかイイおんなになってしまいました。使用前・使用後みたいです。今後はどんなオバチャンになって行くかが注目ですね。
投稿: yokochan | 2006年3月 4日 (土) 22時47分