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2006年4月15日 (土)

バッハ「マタイ受難曲」 スワロフスキー

Swarowsky_matthew 「パルシファル」のあとは「マタイ受難曲」。人間が生み出した宗教という糧。そのひとつであるキリスト教は、今我々が好んで聴く西洋音楽の根幹を担っている。それ以上は話が大きくなり、議論も多次元に及ぶのでやめるが、キリスト教があって、その残された音楽の偉大さに感謝せざるを得ない。
バッハのマタイ受難曲はその中でも最も高みにある作品であろう。
マタイ伝のうちから、キリストの受難を描いたこの作品は、原典のもつ内省的な特徴を完璧に描きだしており、聖書の原典部分を読むテノールの福音書家のレシタティーヴォが要である以上に最大の聴き所に思われる。この役にどんなテノールが来るかで、全体の印象が変わってくる。私としては、劇的な歌いぶりよりは、第三者的に冷静・沈着な歌がいい。福音書家以外の通常ソロも、劇性を抑えた歌いぶりが好ましい。
アルトのペテロのイエスの否認を悔やむアリアは、人間が作りえた心の底を深く覗く、揺さぶられる音楽だと思う。

今回のCDは、懐かしい「コンサート・ホール」原盤の抜粋CDである。
アバドやメータのウィーンの師「ハンス・スワロフスキー」指揮のウィーン国立歌劇場管とウィーン少年合唱団。
           福音書家:クルト・エクィルツ
           ソプラノ :ヘザー・ハーパー
           アルト  :ゲルトルート・ヤーン
           バス(イエス):ヤコブ・シュテンプリ

こんな面々は、この作品にうってつけである。楽譜を信じ、淡々と指揮をするスワロフスキー、清潔で感情移入を抑えた歌手陣。鄙びてありふれたウィーンの香りをともなったオーケストラと合唱。おそらく60年代当時、ウィーンで日常何気なく演奏されていたバッハの姿であろう。

私のマタイの核心演奏は、ご多分にもれず「リヒター」であるが、あれだけの演奏はめったに取出す勇気がない。そんなときには、この何気ない「スワロフスキー」や「リリング」がいいのかもしれない。

  

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コメント

スワロフスキー社のラインストーンはやはり別格ですね。

投稿: スワロフスキー | 2009年3月 4日 (水) 19時46分

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