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2006年4月13日 (木)

ラヴェル 夜のガスパール エッシェンバッハ

Eschenbach_ravel 6月にやって来る「メトロポリタン・オペラ」。豪華歌手陣付きでチケットはバカ高い。おまけに最近食傷気味の太っちょレヴァインの指揮とあって、ワーグナーを演るのにまったく食指動かずの状態であった。チケットも売れ残り。そんなに日本の聴衆は甘くないっていうの!!
 何て言ってたら、レヴァインが転んで肩に怪我して来日不能に。
代わりの指揮者は、なんと「エッシェンバッハ」と「A・デイヴィス」という発表が本日あった。これを「災い転じて福」と言うのだろうか、ともかくコケテよかった。って言ったらレヴァイン・ファンに怒られるだろうか。
そうとわかったら、NHKホールの極悪環境ながら、朝からチケットを押さえにかかり見事にGET。しかし、高い、高すぎ。ドミンゴ一人のおかげで何なんだ!けしからん。同様の怒りは、ジンマン/チューリヒ・トーンハレのチケットにも言える。全部の公演にヨーヨーマが付いてくるためバカ高い。何でや?という気分で、純粋にトーンハレ・サウンドを味わいたい人にあまりに失礼な価格設定なのだ。バカヤローと言いたい。

それはともかく、指揮者エッシェンバッハが好きなのである。髪ありのピアニストであった頃の神経質で繊細な若者は、スキンヘッドの何かをやってくれる爆演オジサンに変貌してしまった。今の指揮者としての彼から遡って、ピアニスト・エッシェンバッハを振り返るとなるほどと思わせる。ピアノという鍵盤だけに限られた表現手段から、同じ両手でも100人の音楽家を自由に導ける立場になったのだから、有り余る表現意欲が滝のように溢れ出すわけである。
同じ立場のバレンボイムやアュケナージも根本は、同じかもしれないが、この二人は身の丈以上のことを無理してしようとしているように感じる。エッシェンバッハの場合は幼少の体験やドイツ人としての血などが複雑に入り混じって、計り知れない何かを感じる。どこまでが彼の本質なのかわからないのである。こうしたことは、いずれ出てくる数々の演奏でじっくりと聴かせていただくとして、パリ管とのラヴェルである。

メインが「夜のガスパール」の管弦楽版(M・コンスタン編曲)で、原曲の雰囲気をうまく引き出した作品。曲間に原曲がインスピレーションを得た「詩」が朗読されている。この朗読、美しいフランス語で意味はまったく解せないが、香りが漂うような語り口なのだ。繊細なオーケストレーションを慎重にエッシェンバッハは扱っているのがわかる。最後に「ツィモン・バルト」のピアノで原曲の一部「オンディーヌ」が収められている。
 他の収録曲も渋い。「クープランの墓」「古風なメヌエット」「亡き王女・・」「道化師・・」である。いずれもやや腰が重いが、そこはパリ管、キラキラした管楽器に瀟洒な金管、滑らかな弦楽器でエッシェンバッハのくまどりの濃い指揮ぶりに答えていて、微妙な化学反応を起こしているように感じる。このコンビで行われた「リング」はどうだったのだろう?
 フィラデルフィアでのラヴェルも聴いてみたいもの。

 

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