ブルックナー 交響曲第2番 ジュリーニ
ジュリーニが亡くなってもう1年が経つ。
現役引退して、文字通り、仙人のような生活であったろう。
トスカニーニやデ・サバータ後、アバドに始まるイタリア指揮者界の興隆の狭間を埋めた名匠ジュリーニ。弧高のイメージが付きまとうが、それも70年代後半からだ。それ以前は、特定のポストを受けなかったせいもあり、地味な印象しかない。でも最近復刻している、フィルハーモニア時代の演奏を聴くと、明るくしなやかな演奏ぶりに驚く。ドビュッシーやチャイコフスキーなんて美しい歌に満ちていて素敵な演奏に思う。
そんなジュリーニが得たオーケストラのポストのひとつが「ウィーン交響楽団」である。数少ない録音から、「ブルックナーの第2交響曲」を今晩は取り出してみた。
74年の録音で、このあたりからDGとEMIでシカゴとの本格録音が再開され、真の巨匠として輝きだした。ブルックナーの2番は、6番と並んで日陰者のような存在だが、私は大好きなのだ。以前シュタインの6番を取り上げたが、ここでも2楽章のアルプスの自然を思わせるような美しさが際立っている。
ジュリーニはウィーン響の明るい音色を充分に活かして、牧歌的な雰囲気を造りながらも、時おり聞こえる唸り声でもわかるように気合と祈りにみちた演奏を聴かせてくれる。
小休止を多用した曲だが、それが立ち止り、黙考し、また歩み出す、といった風情を感じさせてくれる。ジュリーニの指揮棒を握りしめ、目をつぶった姿が思い起こされる。
1975年、ジュリーニはウィーン響を率いて来日した。ワルベルクも同行し、ウィンナー・ワルツをやった。
高校生だった私は、大好きなアバドの先輩、ジュリーニはどんなだろうと思い、チケットを握り締め「文化会館」に向かった。
長身のジュリーニは遠めにも紳士然とした、ダンディーな雰囲気で、後ろ姿からも音楽がにじみ出てくるような指揮姿だった。
ブラームスの1番は今でも生々しく覚えている場面がある。終楽章のコーダに入る前の決然とした思い切った一音。 ここに賭けていたかのような音を聴かせた。これにはドキリとさせられた。その後の録音ではこうした音は聴かれない。
そんな緊張にみなぎった、ブラームスの後に「美しき青きドナウ」がアンコールとして演奏された。ジュリーニの青きドナウなんて珍品だ。
こんな曲でもジュリーニの指揮ぶりは変わらなかった。
演奏終了後、ジュリーニは観客の拍手に応えて、手を揚げ指先でバイバイをしてくれた。その滋味深い笑顔をいまだに覚えている。
青きドナウやマーラー第9といった、ウィーン響とのFMライブがカセットにあるはずなので、探して聴いてみたい。ジュリーニは私にとって、カッコいい指揮者である。
| 固定リンク
コメント
garjyuと申します。
ジュリーニの日のジュリーニの記事のTBありがとうございました。
ブルックナーの2番も本当に大好きな演奏です。
そして、おっしゃられるように、今、フィルハーモニア時代の演奏を振り返ると本当に素敵な演奏が多かった。それが、なかなか日本で人気が出なったのが不思議ですね。
今後とも、よろしくお願い致します。
garjyu
投稿: garjyu | 2006年5月17日 (水) 21時57分
garjyuどうもありがとうございます。ジュリーニといえば、DG等への第九シリーズでの、とりわけマーラーなんですが、フィルハーモニア時代のものをこれから聴きんでみたいです。これまで未知であった、ブリテン、ファリャ、ラヴェル、旧ブラームスなどです。ワーグナーに日々揺れる毎日なのですが、考えたらジュリーニほどワーグナーに無縁の人はいないのでは? またよろしくお願いします。
投稿: yokochan | 2006年5月18日 (木) 00時27分
おはようございます。
確かに、ジュリーニとワーグナーは無縁な感じですね。私自身は、決してワーグナー嫌いではないので、ネガティブに捉えられると困るのですが、ある意味ハッタリが必要な音楽、ジュリーニには合わないんでしょうね。
それとちょっとニュアンスが違うかもしれませんが、スカラ座の指揮者であったにもかかわらず、ジュリーニ、プッチーニはレパートリーになかったようなんですよね。
(私、プッチーニも好きなんですけど・・。)
garjyu
投稿: garjyu | 2006年5月20日 (土) 11時39分
garjyuさん、こんにちは。そういえば、プッチーニやヴェリスモ系はまったく取り上げなかったんですね。アバドもそうですが、やはりヴェルディの人だったんですねぇ。
投稿: yokochan | 2006年5月21日 (日) 13時23分