« ブラームス 交響曲第2番 ヤンソンス | トップページ | ジョナサン・ノット バンベルク交響楽団 演奏会 »

2006年5月29日 (月)

スクリャービン ピアノ協奏曲 オピッツ&キタエンコ

Skriabin

 

 



月曜はどうにも冴えない。雨や晴れが目まぐるしく、気温の上下もあって、皆疲れている。今朝の電車も、運良く途中座れたら、即寝。爆睡である。
普段は1時間立っていて、座っている人が羨ましいが、自分が座れたりするともうそんなことはお構いなしに眠る。行き帰りの電車睡眠は誠に快楽。

今晩は、スクリャービンのピアノ協奏曲を聴く。ゲルハルト・オピッツのピアノに、キタエンコ指揮フランクフルト放送響の93年の録音。ジャケットには表記ないが、キタエンコの交響曲全集の1枚から。フランクフルトは全集をインバルとも録音していて、偶然ながら珍しい。

さて、この曲は何といったらいいのか? 一言でいうと、ショパンなのである。
そう、まるでショパン。さらに言うと、「ショパンを弾くラフマニノフ」といった風情。
1896年の作であるから、かなり後ろを振り返ったような作風なのだ。
後年のまがまがしい、神秘的・感覚的な作風には到底結びつかない。そしてあの一連の後期のピアノソナタ群ともかけ離れている。何が変貌の要因か、私はそこまでスクリャービンを知らないのでわからない。
ここに聴かれる、全編に溢れる詩情と情熱。作曲者24歳、青春真っ盛り。
ともかく、ショパンの第3協奏曲のようだが、素直に美しい音楽と思う。
オーケストレーションはかなりのもので、北国風の鄙びた管の雰囲気などなかなかだし、1楽章の魅力的な旋律を弦が透き通るように歌うところなどは、一度聴くと忘れられない。
 ピアノもさほどの技巧を要求されない雰囲気だが、ショパンのようにキラキラ弾いてはうまくいかない。程よく陰りや朴訥さも必要なのかもしれない。
終楽章の最後のピアノの和音が、オーケストラが鳴り終えても、しばらく残響のように伸ばされるのが印象的だ。

演奏は、二人ともカチッとしすぎており、もう少し柔軟さが欲しい気もするが、これはこれで曲が曲だから、まあいいのだろう。キタエンコの他の交響曲の演奏は、それは見事なもので、いずれじっくりと取り上げてみたい。
 この曲には、ピアニスト専任の頃のアシュケナージがマゼール/ロンドン・フィルと録音したものがあり、その昔FM録音して何度も聴いた。聴く私も青春してたわけ・・・。

|

« ブラームス 交響曲第2番 ヤンソンス | トップページ | ジョナサン・ノット バンベルク交響楽団 演奏会 »

コメント

スクリャービンは随分作風が変遷したんですね、交響曲1番なんかが結構好きです。
ピアノ曲が多彩であまり聴き込んではいませんが面白いです。

投稿: びーぐる | 2006年5月30日 (火) 22時09分

こんばんは。そうです。ちょうど1番に近い作風かもしれません。ともかく不思議な作曲家で、あまり深入りしない方がいいと、かつてに思ってます(笑い)

投稿: yokochan | 2006年5月31日 (水) 00時18分

 今日は。
アシュケナージが共演しているオケはロンドンフィルではなく、ロンドン響だったと思います。指揮者はマゼールですが。アシュケナージが指揮者としての活動を始めたばかりの70年代初めの録音ですね。私は、スクリャービンの5番と4番とピアノ協奏曲が収録されたCDを持っています。あまり頻繁には聴きませんが・・・確かにショパンの協奏曲の延長線上にある作品ですね。ムーティ指揮の交響曲全集を持っていますがまだ全部は聴いていないです。コンドラシン&コンセルトヘボウの第3番ももっています。演奏は抜群ですが、音質がいまひとつなのが残念ですね。

投稿: 越後のオックス | 2009年12月 1日 (火) 03時24分

越後のオックスさん、こんばんは。
スクリャービンは年代とともに作風が変わり、別人状態になりました。
面白い人だと思います。
交響曲もソナタも結構聴いてますよ。
色彩と音楽を結びつけたりとアイデアもナイスです(笑)

アシュケナージの初期LPを持ってますが。
実家にあって手元にないのですが、ロンドンフィルだったような気がしてますが、私も自信がないですね(笑)

投稿: yokochan | 2009年12月 2日 (水) 02時07分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: スクリャービン ピアノ協奏曲 オピッツ&キタエンコ:

« ブラームス 交響曲第2番 ヤンソンス | トップページ | ジョナサン・ノット バンベルク交響楽団 演奏会 »