ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 ヴァルヴィーゾ
トリスタンの無調に近付いた世界から、一転、ハ長の明るい調性の世界へ。「マイスタージンガー」は「トリスタン」と表裏をなすような姉妹作でもある。悲劇性と喜劇性、伝説と実話、媚薬と規則、ケルトと中世ドイツ、海と丘・・・、いろんな対比がなされるだろう。
リングやトリスタンで磨きのかかった、ライトモティーフ技法を駆使し作曲技法もいよいよ高度なものとなった。知らぬ人のいない前奏曲からしてそれは明らかだ。
この前奏曲に、4時間に渡る全曲のエッセンスが凝縮されている。
ここに出てくる旋律を完璧にマスターしてしまえば、4時間の全曲も怖くない。
問題は、歌われている歌詞が時に難解なことだ。ことに第1幕でのマイスター制度やマイスター歌曲の作り方・韻の踏み方等のくどくどとした説明は、ドイツ語の世界なので、我々日本人の感覚とかけ離れている。ザックスの哲学的なセリフや、第3幕でヴァルターに作詞を伝授するやりとりなども難解かもしれない。
しかし、そんなことは気にせずに、ワーグナーの書いた長調の世界に思い切り浸ればいいのだ。
ヴァルターとエヴァの若い二人の恋を応援し、それを影から見守り応援するザックスの複雑な心境を思いホロリとする。ベックメッサーの滑稽な歌唱にほくそえむ。
こんな聴き方が一番。
一方ドラマとして非常によく出来ているので、劇場で初めて見ると日本人は、人情ものや喜劇と勘違いしてしまう「おじさま、おばさま」がいる。
昨年の神国立劇場の上演ではそうした方々がかなり見受けられ少し閉口した。
ベックメッサーの滑稽な動きにところ構わず拍手してしまうのである。まあ、これもこの作品の持つ特製のひとつとしてよしか。
だがこの作品の見逃しえない一面は、「ドイツ国粋」を扱っていること。
これを「ヒトラー」が見逃すはずもなく、戦中の上演での歌合戦の場面では舞台に「鉤十字」の旗が無数にはためくこととなった。
現在の演出の時代にあっても、いろいろな解釈を呼びこんでいて、昨年、神国がオーソドックスに上演したのに、全く同時に来演したバイエルン国立歌劇場のものは「ネオ・ナチ」や「孤立するザックス」などを描いて、観る側に複雑な思いを抱かせた。
かつてのバイロイトでも、天才「ヴィーラント」はいろいろな工夫をこらしたが、この作品に関しては、折衷的な弟「ヴォルフガンク」の方が成功している。
事実、戦後バイロイトでこの作品だけがワーグナー兄弟だけの手で演出されている。数年後は誰の演出になるか楽しみではある。
そんな訳で、私としてはこの作品に演出は、ニュルンベルクの街があって、従来的な緑や丘、ドイツの人情に溢れたものが好きである。
そこで10種あるライブラリーから、ウォルフガンク・ワーグナーの成功作のライブである「シルヴィオ・ヴァルヴィーゾのバイロイト・ライブ74年」を取り出した。
「ヴァルヴィーゾ」は今はまったく名前も聞かれなくなってしまった、スイス生まれの名匠である。まだ存命中のはずだが、どうしているのだろう。
レコーディングにもあまり恵まれないが、イタリア・オペラのエキスパートとしてデッカに名演がいくつかある。そんな彼が、バイロイト?と訝んだものだが、モーツァルトやR・シュトラウスも得意にするオールマイティだったのだ。
バイロイトでは「オランダ人」「ローエングリン」を指揮している。
日本でも、ウィーン国立歌劇場に同行し「フィガロ」を指揮しているし、N響に客演して「イタリア」や「ドヴォ8」、「ダフニス」などを指揮している。
こんな経歴から覗えるのは、職人指揮者のイメージだが、この「マイスタージンガー」に聴く演奏は、そんな地味な枠を越えた「ユニークなワーグナー演奏」だ。
明るく、見通しよく、大オーケストラによる複雑なワーグナーの作曲技法が透き通って見える。重くならないが、ペラペラでなく、良く歌い、響きも豊かなので気持ちが上向きになる。そんなポジティブな演奏なのだ。
ザックス :カール・リッダーブッシュ
ポーグナー :ハンス・ソーティン
ベックメッサー:クラウス・ヒルテ
コートナー :ゲルト・ニーンシュテット
ヴァルター :ジーン・コックス
エヴァ :ハンネローレ・ボーデ
ダーヴィッド :フリーダー・シュトリッカー
マグダレーネ :アンナ・レイノルズ
夜 警 :ヴェルント・ヴァイクル
シルヴィオ・ヴァルヴィーゾ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
以上のような素晴らしい顔ぶれ!
史上最高の「ザックス」と私が思ってやまない、亡き「リッダーブッシュ」の人間味と包容力に満ちた、極めて美しいバスの歌唱。
若々しいが、これまたブリリアントなバス「ソーティン」。
そして、70年代のバイロイトのヘルデン・ロールを支えた「ジーン・コックス」の唯一とも言うべき歌唱の記録。「トーマス」や「キング」とともに「アメリカ生まれのワーグナー歌手」として活躍したが、録音には縁遠かった。「シュタイン」のバイロイト・リングの「ジークフリート」は彼の最大の成功作である。
若々しい声に恵まれ、張り切った歌唱の中でも、エーイとばかりに張り上げる高音は気持ちが良い。その彼の弱点はスタミナにあったらしいが、このCDではライブながら、あまり気にならない。
「ボーデ」の「エヴァ」ちゃんも当たり役。同時期に「ショルテイ」のスタジオ録音でも起用された。清潔で初々しい歌唱と高音域の美しさが際立っている。
この人も、録音に恵まれなかった。ハイティンクの第九でのソプラノも良かった。
のちに名ザックスとなる「ヴァイクル」が「夜警」のちょい役である。
フィリップスの劇場を知りぬいた録音も素晴らしい。ワーグナーが何故か指示した、第1ヴァイオリン右側配置もちゃんと分離してきこえる。これ以外とおもしろい。
画像は68年(たぶん)の新演出時のもの。歌手は何と「クメント」、指揮は「カール・ベーム」だった。非正規盤はあるが、オルフェオの正規発売をムチャクチャ期待している。できれば、ステレオで「ワルター・ベリー」がザックスを歌ったものを熱望している。
最終のザックスの演説は、先にあげたドイツ国精神の高揚賛歌であるが、そんなことは抜きに、長い時間聴いてきて、まさに前奏曲の終わりの部分とともに、「親方達を蔑んではならぬ・・・・」と歌い始めると、自分にお疲れさまの気分とともに、爽快な高揚感が味わえる。これって危険なのかしらん?
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コメント
これは長いのでいつも序曲だけでお後と交代になります。(^^♪
リーダーブッシュとゾーティンは素晴らしい歌手ですね。
投稿: びーぐる | 2006年7月17日 (月) 12時14分
びーぐるさん、こんにちは。
まだやってます、ワーグナー。
「お後と交代」笑えました。前奏曲にエッセンスが詰まっているので、たいていはそれでいいんですよね。
私は、ワ-グナーおバカなので、この長大な作品の男性歌手陣の歌いぶり、と最後の高揚感を味わずにいられません。
投稿: yokochan | 2006年7月17日 (月) 17時24分