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2007年5月27日 (日)

ワーグナー 「神々の黄昏」 ブーレーズ指揮

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ブーレーズの週末リングも「神々の黄昏」にたどり着いた。
ともかく長い。
マシタージンガー、黄昏、パルシファルと続いた3作ともに、4時間を越える大作で、3幕がそれぞれ、2時間・1時間・1時間20分と、配列こそ違え、みな同じ長さ。

ワーグナーがもう少し長生きしてたら、次はどんな超大作を書いたろうか?
え?もう勘弁してくれって?そりゃそうだ・・・・。

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シェロー
は、黄昏の舞台となるギービヒ家のある街を、20世紀初頭の港街にしてしまった。
群集は、港湾労働者やスーツを着込んだサラリーマンたち。武器はライフル銃に何故か槍。
いつも思うが、ワーグナーがモティーフまで与えている重要なアイテムは剣や槍、頭巾だったりするので
時代設定を変える場合に、そのアイテムが無視されてしまうか、滑稽な場違いなものとして登場してしまうか、難しい問題である。
 あのウォーナーのリングでは、槍のようなものは出てきたが、ウォータンはそれをいつまでも、ほったらかしにしたりして、見ている私をやきもきさせくれたもんだ。

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シェロー演出は、昨今のものほど過激でないから、そのあたりの違和感はあまり感じくて済む。

黄昏だけは、録音が1979年のものでアナログ録音である。CDで楽しむ限り、前3作の80年デジタル録音となんら変わりない鮮明な録音が楽しめる。
 そして相変わらず、ブーレーズの指揮は冴え渡り、この長大な作品を弛緩なく見通しよく振りぬいている。
ブーレーズの棒を持たない指揮は、拍の取り方が明確なために、リズムがしっかりしている。彼の音楽がいつも明晰で、かつ若々しさを失わないのはこのリズムの徹底からであろうか。最近のマーラー演奏もそうしたことが言える。ベルリンシュターツカペレを振って、「千人交響曲」を録音したらしいから、いまから楽しみでならない。

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ミーメが好きなように、私は人のよいギービヒ家の兄・妹「グンターとグートルーネ」が好きである。
優柔不断で、異母兄弟のハーゲンにまんまと騙される二人が、ここでも哀れ。
歴代の歌手達を見ると、録音では名手が起用されるツボの役柄なのだ。
グンターは、F=ディースカウ、ステュワート、ヴァイクル、ハンプソン。
グートルーネは、ヤノヴィッツ、ワトソン、ドヴォルジャコーバ、ステューダー。
いずれも、ウォータンやオランダ人、ジークリンデやエルザを歌うような人々。
こちらブーレーズ盤は、「フランツ・マツーラ」と「ジャニーヌ・アルトマイア」のコンビ。
特にマツーラは、私は最高のグンターと思う。少し陰りを帯びた声は、名家に生まれた凡人の悲しみをよく歌いだしている。パンチの効かないくたびれたヒューブナーのハーゲンより、立派に聞こえるのも皮肉なもんだ。
このマツーラ、クリングゾルとシゴルヒのスペシャリストだ。まさに性格バスバリトン。
ウォータンも時おり歌っていたらしいので、音源があれば聴いてみたいもんだ。
 アルトマイアーも良い。ジークリンデ役がグートルーネを歌う。母に恋するこれまた、お人よしジークフリート。

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長大作品も3幕に入ると、ドキドキしてくる。
ラインの光景と原初の響きも鳴り懐かしい。そしてジークフリートの記憶の回復とともに、鳥の歌が再現され、ジークフリートは槍に倒れる。葬送行進曲は目をつぶって聴きたい音楽だ。舞台の不要な動きはいらない。
ヴィーラントは舞台を暗闇の無の状態にしてしまったという。そして、ブリュンヒルデの最高の聞かせ所が最後の大団円とともにやってくる。

シェローは、群集を登場させ、燃えるワルハラを傍観させた。そして最後に群集はこちらを向き、聴衆に問題を投げかけるかのようなエンディング。
グィネス・ジョーンズ」のブリュンヒルデは私にとって、相変わらず、いぶし銀中低音域が魅力だが、第2幕の激昂する場面では「歌いとばし」がかなり気になった。

音楽だけ聴いていると、ともかくリングを聴き終えた達成感もこみ上げてきて、最後に救済の動機清らかにが鳴り響き、静かに終わると感激の渦に飲み込まれてしまう。
こんなことをこれまで何度繰り返したかわからない。そしていつかまた「ラインの黄金」の自然の動機にまた舞い戻る自分がいる。

 ワーグナー  楽劇「神々の黄昏」

  ブリュンヒルデ:グィネス・ジョーンズ   ジークフリート:マンフレート・ユンク
  ハーゲン   :フリッツ・ヒューブナー  グンター   :フランツ・マツーラ
  グートルーネ :ジャニーヌ・アルトマイア 
  ワルトラウテ :グヴェンドルン・キレブリュー

  
          Ⅰ:110分   Ⅱ:61分   Ⅲ:72分

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コメント

>ブーレーズの週末リングも「神々の黄昏」にたどり着いた。
お疲れさまですが、好みの演奏だとそれほどには長さを感じないのではありませんか^^?!

>「歌いとばし」
こういう批評、けっこう目にしますが、ほんとうに納得できるブリュンヒルデだと思います。

TBしましたので、よろしくお願いします。

投稿: edc | 2007年5月27日 (日) 22時04分

eurideceさん、こんにちは。TBもありがとうございます。
4部作をお付き合いくださり、感謝です。
確かにおっしゃるとおり、日曜の午前中にすいすいと全曲を聴き終えてしまいました。人は呆れるでしょうな(笑)

デイム・ジョーンズのことは、大好きなんですが、久方ぶりに聴いてちょっと気になった次第です。あの時期にあれだけのブリュンヒルデは、リゲンツァを除いていなかったのですから。

TB拝見して思い出しました。トーキョーリングのトレーケルのグンターを忘れちゃいけませんでした。ありがとうございました。

投稿: yokochan | 2007年5月27日 (日) 23時57分

こんばんは。
シェローの「神々の黄昏」の最後の群集の場面で、初めてビデオ観たときに感動のあまり大泣きしてしまった者です。シェローはいいっすよね。
役柄でいうとグンターはいいやつかもしれませんが、私はやっぱりワイルドなハーゲンが好きでえす。「そうだとも!私が殺したのだ!」と最後に開き直るとこなんかたまんないす。

投稿: naoping | 2007年5月28日 (月) 23時20分

naopingさん、こんばんは。
そうですか、泣きましたか! 私は確か、言葉が出ずに唖然としました。
不可思議な思いに囚われたんですよ。
でもシェローのリングは歴史に残る名演出ですね。

ハーゲンできましたね。開き直りと往生際の悪さは素直に悪いヤツですな。
笑い声もデカイし、どこの会社にもいる、嫌な上司って感じです。

投稿: yokochan | 2007年5月29日 (火) 00時26分

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「神々の黄昏」(パトリス・シェロー演出、ピエール・ブーレーズ指揮、バイロイト音楽祭1980年収録)ニーベルングの指環全曲&ドキュメンタリー これも前半二作ほどではないですが、気に入ってます。とにかくギネス・ジョーンズのブリュンヒルデには惹き付けられます。頭空っぽ、なかなか色っぽいグートルーネも好きです。 新国立劇場の「神々の黄昏」は、非常に印象的でしたが、その最大の理由は、おそらく、グンターの飛び抜けた視覚的説得力ではなかったかと思います。それと対照的な強烈さでハーゲンが今も記憶のなかに... [続きを読む]

受信: 2007年5月27日 (日) 21時58分

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こんなのもありますね。 [続きを読む]

受信: 2007年5月31日 (木) 05時46分

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