ブルックナー 交響曲第7番 アバド指揮
大急ぎで仕事を終え、せめて行きたい観光スポット。
しかし残念ながら、5時で門が閉まってしまった後。
宵闇迫るなか、ひとり産寧坂を下り八坂方面へ。
もう一歩きすれば、祇園が待ってる・・・・。
アバドの交響曲、今日はブルックナーの第7番。
剛より柔のアバドの資質からして、ブルックナーのなかでも一番アバド向きの曲。
おまけに、ウィーンフィルという、ブルックナーには理想的な伴侶を得てこれぞ「7番」という演奏を残してくれた。
ウィーンフィルのまろやかな響きは、南ドイツ的なあたたかいブルックナーの特質にピッタリで、ことにホルンを中心とする管とやわらかな弦とのハーモニーは、ほかには替えがたい。
ブルックナーが7番を仕上げたのは、1883年。ワーグナーの亡くなった年。
その死が近いのを予見し、その悲しみを長大な第2楽章に込めた。
そして作品は、ワーグナーのパトロン、悲劇のルートヴィッヒ2世に捧げられた。
これだけキャストが揃うと、ワーグナー好きとしては捨ておけない作品だが、その音楽はワーグナーの雄弁さとは次元を異にして、自然と宗教を賛美する慎ましさに満ちていて、人間臭さがまったくない。これはブルックナーの音楽すべてに言えることだけれども。
4つの楽章は、長さの点でアンバランスだけれども、アバドはそんなことはまったく感じさせない。そしてアバドの指揮で聴く終楽章が、本当に素晴らしい。
終楽章は、いろいろな主題が小刻みに交錯しつつ、音楽は常にゆったりとした呼吸をもっていなくてはならない。アバドはこうした部分は、最も得意とするところ。
伸びやかに歌いつつ、リズムの良さは抜群で、音楽がどこまで拡がっていくのかわからないくらい。
ウィーンフィルを信頼して、その響きに乗ってしまったアバド。そしてアバドの歌心がウィーんの面々を解放してしまう。そんな幸せな結びつきのブルックナー。
一部のブルックナー・ファンからは、ダメのレッテルが貼られそうだが、私は大好き。
ウィーンを離れてしまい、ベルリンも卒業したアバドは、ルツェルンでまたこの「7番」をとりあげた。そこでは、ウィーンフィルとの共同作業はもうなく、アバドの感じた、純粋な「音楽」だけが鳴り響くようになった。
このウィーン盤が64分、ルツェルンでは60分を切る演奏時間となったが、中身が濃いから短く感じない。
ルツェルン盤は、「アバドの音楽への奉仕」に心から共感する楽員による最上級の音楽。
そして、今日の旧盤は、いまだに進化を続ける「アバド」のウィーン時代の美しい録音。
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コメント
yokochanさん、おはようございます。
TBを有り難うございました。
アバドのブルックナーは、自然な息づかいと新鮮な響きで、長大なブルックナーをちっとも飽きさせずに聴かせてくれます。
「ロマンティック」も大好きな演奏でした。
ウィーン・フィルとの美しい時代の記録として、貴重な演奏ですね。
投稿: mozart1889 | 2007年6月22日 (金) 04時22分
mozart1889さん、こんにちは。
コメントとTBありがとうございました。
アバドはブルックナーを5曲録音しましたが、あと可能性があったのは3番くらいで、おそらくは8番などは取り上げないタイプに思えます。
「ロマンテック」も実にすがすがしい演奏でしたね。
あらためて聞き直してみようと思います。
投稿: yokochan | 2007年6月22日 (金) 14時09分