ドビュッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」 アバド指揮
ヨーロッパの各国は、島国の我々からすると、驚くほど近く、そして遠い。
陸続きなのに、言語・文化がまるで違う。
河川や山脈による分断は、海以上に大きい。
フランスとドイツも国境を接していながら異質といえるほどの違いがある。もちろん、ストラスブールのように両者が融合したような都市もあって、緩衝材みたいだけれど。
こんなことを今更に思うのは、音楽紀行シリーズがフランスに至ったから。
ことに、オペラや歌曲になるともう、フランス語の語感は、ドイツのそれと極端に異なる。同じ語源ながらイタリア・スペインとも違う。
すべての文字を発音しなくては気が済まぬドイツ語、書いてあるのに?なんでそう発声するの?のフランス語。
私にはさっぱり、わかりません。あの鼻母音の特徴を覚えれば、それっぽく聞こえるけれど。
画像は、大昔パリに行ったときのもの。凱旋門あたりの公園にて。
そんなフランス語の魔力が満載なオペラが、ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」。
10年の歳月(1892~1902年)をかけて作曲した、ドビュッシーの最高傑作は、ワーグナー後の新たな音楽の地平線を築いたとされる。もともと、熱心なワグネリアンだったドビュッシー、トリスタン的な、半音階和声やライトモティーフなどの影響は伺えるものの、ワーグナーから一線を画し、いわばワーグナーからの決裂と旅立ちをこのオペラで実践した。
音楽はフォルテの部分は決して多くなく、嫉妬に狂ったゴローの場面くらいで、全体は緩やかな波のように、押しては引いていく極めて微妙なもの。
歌唱も絶叫する場面や聴かせどころのようなアリアもない。レシタティーボでもない、歌唱ともいえない歌(朗唱)が全編にわたって展開する。ここにフランス語の絶妙でニュアンス豊かな語感がどれだけ寄与していることだろうか!
ワーグナーには、リアルなドイツ語こそが相応しいが、ドビュッシーの切り開いた世界はフランス語あってのものと痛感する。
歌ばかりに気を取られてばかりいると、背景のオーケストラの千変万化する精妙かつ繊細な響きを聴き逃してしまう。
森の深さ、木々のざわめき、泉の清冽さ、清らかな愛の囁き、実際の闇と人の心に巣食う闇の恐怖、生と死・・・。これらをドビュッシーは見事な筆致で描き尽くす。
そのキャンパスは、淡いが耳には実に鮮やかなものだ。
なんて素晴らしい音楽!
ドビュッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」
メリザンド:マリア・ユーイング
ペレアス:フランソワーズ・ル・ルー
ゴロー :ホセ・ファン・ダム
アルケル:ジャン・フィリップ・クルーティス
ジュヌヴィエーヌ:クリスタ・ルートヴィヒ
イニョルド:パトリシア・パーチェ
クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
アバドは、特定のオペラ作品に異様に入れ込み、執念のように没頭し名演を極めることが多い。シモン、ボリス、ヴォツェック、トリスタン、そしてペレアスもそのひとつ。
ウィーンフィルのあたたかくもニュアンス豊かな響きを手にいれて、アバドはしなやかな指揮ぶりで、音の強弱をいくつもの段階に渡って紡ぎ出している。
恣意的な要素はひとつもなく、あくまで自然に、感じたままが音になっていると思わせる。
欲をいえば、ベルリンフィルとも録音して欲しかった。
歌手はいずれも良い。若いル・ルーは繊細でその若い熱さがペレアスそのもの。
ファン・ダムは押し付けがましいゴローになり切っていて見事なはまり役。
ことさら、よかったのは、クルーティスの慈悲深いアルケル。
肝心のユーイングのメリザンドは、悪くはないが、少し濃いかもしれない。
F・シュターデだったら・・・・。
最後の場面は、アバドの押さえ込んだ弱音の美しさが、レクイエムのように悲しくもあり、優しくペレアスの死を包み込むようでもあって、心に響く。
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コメント
そう、このCD、メリザンドがシュターデだったらどんなによかつたことか・・・。でも、カラヤンで使われてしまったのですね。
今メリザンドだったら誰がいいんだろう。
投稿: IANIS | 2007年8月 6日 (月) 22時45分
そうなんです。カラヤンは聴いたことないんですが、さぞかし人工美に満ちた演奏なんかなと・・・・。
そこに使われてしまったシュターデ、口惜しいですな。
スカラ座の非正規盤にはでるようですが。
今メリザンドは? そうですね、ナタリーが神妙にうたったらいいかも。
イメージとして芸達者のプティボンも??
間違っても、フレミングはいかんです。
投稿: yokochan | 2007年8月 6日 (月) 23時40分
こんばんは。アバドと何度か絶頂期のシュターゼと共演している頃にカラヤンに録音を奪われてしまい、ベルリン・フィルの芸術監督に就任した頃にはシュターゼの声も落ちてしまい、実現できなかった。
ゴロー役のファン・ダムはカラヤンの時も出演しているのでそういったところが「ペレアスとメリザンド」はアバドがカラヤンの線でいるのだな、と感じます。
アバドもポスト期間中は緊張感を抜かず、恥のないサウンドだったが、結果的には帝王であるカラヤンに録音が勝てなかったのが不遇でなりませんね。
投稿: eyes_1975 | 2009年7月20日 (月) 21時54分
eyes_1975さん、こんばんは。
アバドとシュターデとのペレアスは実現せず残念でした。
このコンビでのマーラー4番はこの曲最高の演奏のひとつになっていると思います。
ファン・ダムも共通してますね。
やはり前任が偉大しぎると何かと不利です。
でもアバドは負けずに独自の路線を徐々に築き、ベルリンフィルの持ち味も時代に応じて変えていったのが隠れたる功績だと思います。
投稿: yokochan | 2009年7月20日 (月) 23時41分
「お笑原理主義」からちっと出てきました。
この演奏のCDは聴いたことは実は全然ありません(笑)。でも当時の実演は3回以上は現地で見ているはずですね。暑い夏が終わった9月頃でした。スコアもドイツから持っていってスコア席に座って見た記憶があります。ドイツのオケとは違いウィーンのオケはフランス物にも極めて精巧に綺麗に合わせますのでとても聴きやすいです。
投稿: 菅野茂 | 2009年10月10日 (土) 04時55分
菅野茂さま、はじめまして。
コメントどうもありがとうございます。
素人の私がかってなことばかり書いてしまい恥ずかしいですが・・・(笑)
ウィーンで実際にお聴きになられたとのこと、極めて羨ましく存じます。
アバドがウィーン時代に、この録音を残してくれて、とてもよかったと思います。
ウィーンフィルのフランス物は、今では普通かもしれませんが、その美しさは格別ですね。
投稿: yokochan | 2009年10月10日 (土) 23時55分
当時Wienに半分住んでいたのですね。いつも170円ぐらいの立ち見で入って、その前の600円ぐらいのスコア席が空いていますから、いつもそこに座ってランプつけてスコア見ていました。
日本は音大出身でない素人の批評家が大部分批評をやっているので、どんどん普通の人もやれば良いんじゃないかと思います。少なくとも話のネタになればこちらの方で展開しやすいで面白いです。
投稿: 菅野 | 2009年10月11日 (日) 18時57分
菅野さま、ご丁寧にありがとうございます。
ウィーンにお住いになってらっしゃったんですね。
そして、有名な立ち見って、そんなに安かったのですか。
さらにスコア席などというものあるのですか。
知らないことづくしですいません(笑)
評論家諸氏も勝手に書いてますよね。
職業としてやってるのに、あのご勝手ぶりは羨ましいものがあります(爆)
投稿: yokochan | 2009年10月11日 (日) 23時10分