« パトリシア・プティボン フランス・バロック・アリア集 | トップページ | チャイコフスキー 交響曲第1番「冬の日の幻想」 メータ指揮 »

2007年12月 9日 (日)

コルンゴルト 「死の都」 ラニクルズ指揮

Korngold_die_tote_stadt

















今年、メモリアル作曲家、エーリヒ・ウォルフガンク・コルンゴルト1897~1957)の代表作、オペラ「の都」を久々に聴いた。
「死の都」または「死の街」とも訳される。
ベルギーの都、ブリュージュを舞台にするサスペンスチックかつ、幻想的な物語にコルンゴルトが音楽を付けたのは1920年のこと。
作曲者23歳!!
アマデウスにちなんだ名前を持った、早熟のコルンゴルドは、すでにオーストリアで大作曲家の地位を確立していた。

1920年は、マーラー没して9年、シュトラウスでいえば「インテルメッツォ」作曲中、「影のない女」は初演済、ベルクの「ヴォツェック」と同時期。「モーゼとアロン」の10年前。プッチーニは最終作「トゥーランドット」を作曲中。こうして見ると、シュトラウスの保守性が浮かびあがるということも判明するが、コルンゴルドの立ち位置がよくわかるというもの。

全3幕、2時間10分の大作は、主役にヘルデン級のテノール、ヒロインにリリコ・スピントのソプラノを擁する本格ドイツオペラで、ナチス台頭によるコルンゴルドの亡命までは、欧米さかんに上演されたという。
マーラーの復興や、それに伴なう後期ロマン派系音楽の見直しで70年代後半から、このオペラ、しいてはコルンゴルドの名前が生き返った。
いうまでもなく、RCAが録音した、「ルネ・コロ」をタイトルロールとしたラインスドルフ盤がもたらした影響はあまりにも大きい。
たしか、77年頃だったが、国内盤が出たけれど、当時ワーグナーとヴェルディ、プッチーニに夢中で、大好きなコロには惹かれつつ、手が伸びなかったレコードなのだ。
 ついでに言うと、ラインスドルフ盤でマリエッタを歌っている「キャロル・ネブレット」はアメリカ歌手で、「アバドとシカゴ」のマーラー第1弾「復活」でデビューした歌手で、その後、メータとのプッチーニ「西部の娘」なども歌い、世紀末系の音楽にやたら適性を示したソプラノだ。さらに彼女は、相当の演技派で、そのためには脱ぐこともいとわない体当たり的なやる気満々の歌手だった。

 

そんなタイトルロールを、このライブCDでは、トルステン・ケルルアンゲラ・デノケが歌っていて、コロやネブレットを唯一忘れることが出来る没頭的な名歌唱を成し遂げている。
ライブならではの熱気と、ライブとは思わせない精度の高さに舌をまく。

 

第1幕
ブリュージュに住む中産階級の男パウルの家。先頃亡くした若い妻マリアのことが忘れられず、自宅に亡妻の肖像や遺髪をあしらった部屋を設け悔悟に浸っている。
友人のフランクや、家政婦から、生き続けてマリアを偲ぶことこそが幸いだと言われるが、パウルはまだ妻の死を受け入れられない。
その証拠に、街でマリアに似た女に会い、今日この家に招待したと言う。
 そこへ、マリーとパウルが思い込むマリエッタがやってくる。
彼女は快活で美しい踊り子なのである。
もう夢見心地で錯乱的なパウルに戸惑いながらも、マリエッタはそれでも大切なお客の気を惹こうと踊りや歌を披露する。このとき高名な「マリエッタの歌」が歌われる。
これで恍惚としてしまうパウロ、その彼を残して、マリエッタは立ち去ってしまう。
 以降は完全に、パウロの幻想の中・・・・。
マリーの肖像画から亡霊のようにマリーが出てくる。自分を忘れないように・・・・。
一方でマリエッタへの興味もありつつのパウロ。ますます困惑していく・・・・。

 

第2幕
幻想のまま、2幕に突入。
マリアは、しっかり生きて・・・と言うが、パウルはマリエッタにぞっこんだ。

方のマリエッタは、仲間を引き連れて賑やかに登場。
道化や二枚目、ダンサーたち。彼らに請われて、蘇りの寸劇を躊躇しながらもすることに。
しかし、パウルはここに現れ(夢の中で、目覚めて)、嫌悪感を示し、マリエッタは、一同を去らせる。
二人きりになったマリエッタは抵抗せずにパウルを受け止めるが、これも実はまだ、パウルの幻影の中の出来事なのだ。

 

第3幕
幻影と現実が入り乱れる。パウルの幻影のは続行中、マリエッタと暮らすようになったが、パウルがあまりに変なものだから、マリエッタも愛想をつかしつつある。
亡き妻の遺髪を引っ張り出したものだから、パウルも切れてしまいマリエッタの首を締めてしまう。ここで「亡きマリーにそっくりだ」と驚くパウル。
 殺してしまった・・・・と、夢から覚めるパウル。実は悪夢の中に漂っていた・・・・。
ここでようやく夢から覚めて我に返る。
実はまだ、1幕から時間がちょっとしか経っていない。
そのマリエッタもちょっと前に忘れた傘を取りに来て、さりげなく去る。
パウロは友人フランクの勧めを受け入れ、「死の都ブリュージュ」を立ち去ることを決心し、死者は安らかに止まり、自らはこの家を離れ生き続けることを歌い、幕となる。

 

あまりに私人的な出来事を仰々しく劇にしているものだが、この女々しい男の数時間の「まぼろし」を、コルンゴルドの音楽は見事なまでに描ききっている。
全曲中数回現れる、マリエッタの歌の旋律が、聞かせどころのツボになっているが、それ以外にピアノ・チェレスタ・鉄琴・ハープといった、コルンゴルト・サウンド特有の音色が全曲に渡って効果的に支配している。
この革新の音色をどう表現したらよいのか。あまりに美しさに卒倒しそうになってしまう。

 コルンゴルト 歌劇「死の都」

  パウル:トルステン・ケルル     
  マリエッタほか:アンゲラ・デノケ
  フリッツほか:ボー・スコウウス   
  ブリギッタ:ダニエラ・デンシュラーク

 ドナルド・ラニクルズ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
                 (2004.ザルツブルク・ライブ)

全曲が静かに終わると、盛大なブラボーに包まれるこのライブ。
ウィーンにネグレクトされたコルンゴルトが、こうして多国籍とはいえオーストリアの音楽祭で喝采を浴びている。
惜しむらくは、せっかく最美であるはずのウィーン・フィルながら、録音があまりにお粗末。
舞台の歌は完璧にとらえながら、ピットのオケはバランスがあまりに悪く、金管と打楽器ばかりが鳴り響く。ウィーンの弦や木管はどこへいった・・・・・・。
この貧血気味の録音は本当にマイナスなのだ。
続けてラインスドルフ盤を聴いたら、その潤いある響きとの違いに唖然としてしまう。
どっちがウィーンなのよ???

でもラニクルズの的確かつ俊敏な指揮ぶりは見事で、ちょっともっさりしたラインスドルフと水をあけている。
歌唱は先に述べたとおり、ケルルの素晴らしい歌唱に息を飲む。
デノケも同様で、そんなに歌いこんで大丈夫かいというくらいにのめり込んでいる。
バリトンの暗い響きをもって全霊をもってこれまた、のめりこんだケルル、サロメをも思い起させるすさまじい表現意欲のデノケ。
スコウウスはプライの万能ぶりには及ばないけれど、性格歌手ぶりを充分発揮している。

 

返す返すも録音が残念。豊富な舞台写真も、特にデノケの演技ぶりがうかがえて楽しい。
このオペラ、新国で、若杉さんか井上ミッチーあたりで是非上演すべし!!!

Sizuoka_3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静岡市の青葉シンボルロード。
色とりどりのイルミネーション。
これはごく一部だったけれど、それはそれは見事なものだった。
エリアを分けて、カラーが違うのだもの。

|

« パトリシア・プティボン フランス・バロック・アリア集 | トップページ | チャイコフスキー 交響曲第1番「冬の日の幻想」 メータ指揮 »

コメント

yokochanさま こんばんは

この前の『ダナエの愛(恋)』、愉しく読ませていただきました。それに、今回の『死の都』初めて、筋を知りました、爆~。有名なアリア以外は聴いたことがありませんでした。あのロッテ・レーマンもアリアは録音していますよね。確か1930年代であったと思うんですよ。それくらい、受けていたオペラであったんでしょうね。

yokochanさんの記事を読んでいると、ラインスドルフ盤が良さそうですね、こちらを注文して、聴いてみようかと思っています。

ミ(`w´)彡 

投稿: rudolf2006 | 2007年12月10日 (月) 00時09分

こんばんは。
この曲を愛してやまない私なのですが、何故かこの盤は持ってません(←え)。同じデノケとケルルの出演しているDVDを持っているので、これで満足してしまって・・・。この映像はとても面白いです。お人形さんフェチのパウルとか、演出が怪しいです。
でも、映像ではレーザーディスク(←死語)で持っていたジェームズ・キング様主演のベルリン・ドイツ・オペラ盤が良かったんですが。DVDで再発売してほしいです。

投稿: naoping | 2007年12月10日 (月) 20時16分

rudolfさま、こんにちは。
「ダナエ」もごらん頂きありがとうございます。
こうしたオペラを楽しむにつけ、ワーグナーやマーラーの偉大さも実感できます。国内盤がないことは本当に痛手です。
同じような曲や演奏ばかりが何度も発売されていて、一度でいいからこうした名作達にも日の目が当たってほしいと思う次第です。
是非ラインスドルフ盤をお聴きください。
コロとプライ、体当たり的なネブレット、素晴らしい歌唱ですよ。
ロッテ・レーマンも歌ってますよね。第一次大戦後の荒廃と退廃が生んだ名曲かもしれません。

投稿: yokochan | 2007年12月10日 (月) 22時04分

naopingさま、いらっしゃいませ。
このオペラがお好きなnaopingさんのページで、J・キングのパウルの映像を拝見しましたのをやたらに覚えてます。
ピストル自殺を思わせるシーンに結構ドッキリでした。
是非ともDVD化して欲しいですね!!

それにしても魅力的な音楽です。
通勤・出張のお供に何度も何度も聴いてますぜ。
今回のライブは映像もあるはずですので、そちらも楽しみです。
デノケのスキンヘッドが出てきます(カツラでしょうが)。

投稿: yokochan | 2007年12月10日 (月) 22時19分

私もケルルとデノケの映像盤(2001年、ストラスブール歌劇場)の方を愛聴しています。演出と舞台美術がとても斬新なのが気に入っています。ラストシーンでは原作と異なり、パウルは死をもって自らを解放する(らしい?)のです。謎だ・・・。

投稿: YASU47 | 2007年12月10日 (月) 23時30分

YASUさま、こんにちは。コメントありがとうございます。
原作では、街を後にして終わりますね。
今回聴いたザルツブルクライブでは不明ですが、ストラスブールでは、死を匂わせるわけですね・・・・。
ブリュージュ=マリア、街と妻の同質化が意図されているのが原作ですから、そこから立ち去って生き直すのか、死の呪縛から逃れられないのか・・・、どちらもありえる演出ではありますね。
DVDで是非観てみることにします。
ありがとうございました。

投稿: yokochan | 2007年12月10日 (月) 23時45分

 今晩は。持病の不眠症が悪化して今夜は眠れそうにありません。明日は仕事を休むかもしれません。受診する日ですし。過去記事に書き込み失礼いたします。
私はストラスブールのDVDしか持っておりません。
でも凄いオペラですよね。R・シュトラウスとプッチーニを足して割ったような豪華華麗な響きがします。
市立図書館に在ったホルライザー指揮のLDを見て
仰天しました。すぐにストラスブールのDVDを購入しました。
私の親友でコルンゴルト、ガーシュイン、ピアソラを
三大中途半端作曲家といっている人がいますが、
コルンゴールトが可哀想です。ガーシュインも可哀想です。ピアソラのことはよく知りませんが。

投稿: 越後のオックス | 2010年2月 2日 (火) 01時35分

越後のオックスさん、こんばんは。
眠れないということは、大変ですね。
気持ちを楽にして、好きなことを目一杯やるということでもダメなのですか?
素人が申し訳ありません。お大事にどうぞ。

このオペラは本当に素晴らしいです。
しかし、ストラスブールのDVDはまだ持っていないのですよ〜
フリードリヒ演出のLDはキングが歌っているというじゃないですか!
ぜひにも、DVD化してもらいたいです。
何作あるかわかりませんが、コルンゴルト全作品制覇を狙ってます。
中途半端と言われれば、その立ち位置からしてやむを得ないかもしれませんね。わたしには、最高の作曲家ですが。

投稿: yokochan | 2010年2月 2日 (火) 19時17分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: コルンゴルト 「死の都」 ラニクルズ指揮:

» コルンゴルド・『死の都』 [オジ・ファン・トゥッテ♪]
昨年は生誕250年のモーツァルトに明け暮れた一年間でした。今年はぐっと地味にエー [続きを読む]

受信: 2007年12月10日 (月) 23時22分

« パトリシア・プティボン フランス・バロック・アリア集 | トップページ | チャイコフスキー 交響曲第1番「冬の日の幻想」 メータ指揮 »