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2008年1月13日 (日)

プッチーニ 「マノン・レスコー」 シノーポリ指揮

Pucini_manon_sinopoli 今年は、ジャコモ・プッチーニ(1858~1924)の生誕150年の年。
あんまり騒がれないし、そうしてほしくもないけれど、私のブログで順次取上げるとしよう。

ヴェルディ後のイタリアオペラ界を担ったプッチーニは、3部作をひとつと考えると、全部で10のオペラを作曲した。
ヴェリスモの流れをくみながらも、ヴェリスモを越え独自の音楽を作り出してしまった。
旋律は、天性のメロディーメーカーさながら、あふれるように満ちているし、美しくもある。
和音は、マーラーやR・シュトラウスとも合い通じる、分厚くもあり、繊細でもあり、甘味でもあり、と私のお気に入りゾーンにはまっている。

「妖精ヴィッリ」「エドガー」の2作が、あまり成功せず友人のマスカーニやレオンカヴァルロらが成功作を出していたのに、焦りを感じていたプッチーニ。
一方、プッチーニをイタリアの新しい星として売り込んでいこうと考えていた、出版業者のリコルディ。新作が出てこないプッチーニとの契約を解除するまでの意見が出た社内を、当主のリコルディが「プッチーニをおいて、ヴェルディの後継者はいない」と演説をおこなって役員連中を説き伏せたという。

この信頼に応えて、プッチーニはアヴェ・プレヴォの有名な恋愛小説「マノン」を題材としたオペラ「マノン・レスコー」を書くことを決意。
先達マスネに敬意を表したのか、題名に「レスコー」を付し、マスネが扱った場面とは異なる内容になるようにした。
原作は、奔放で千の顔を持つ女性として描かれているが、プッチーニは彼好みの、そう、ミミのような一途な女性に近付けた。
台本が出来あがるまで、2転3転したが、最後には、今後名コンビとなるイルリカとジャコーザによって完成した。

1893年トリノで初演され、大成功を収める。
そしてわずか数日後、ミラノではヴェルディの最後のオペラ「ファルスタッフ」が初演された。ワーグナー没後10年、イタリアでは、まさに、新旧の交代の年であった・・・・。

簡単なあらすじ
第1幕 パリの北方アミアン
Manon_wien1 広場で、デ・グリューを始めとする学生たちが集っている。
そこへ、馬車に乗った尼僧院に向かうマノンとその兄レスコー、老財務官のジェロントがやってくる。ジェロントは、マノンを狙っているわけである。
そしてマノンの美しさに釘付けになったデ・グリュー。言葉を交わすうちに気持ちが通じたふたり。
仲間たちの助けを借り、二人はジェロントを出し抜いてパリへ向かって出奔する。兄は、ジェロントに、行き先はわかっているから安心して、と抱き込む。

第2幕 パリ
 逃亡先を突き止められ、ジェロントの愛妾となっているマノン。
兄がやってきて、マノンはデ・グリューの消息を尋ねる。ジェロントなんてより、貧しくとも愛のあったデ・グリューとの日々を懐かしむマノン。
ひとりになったマノンのもとへ、デ・グリューが突然現れる。二人は激情の愛を交わす。
そこへ、ジェロントが帰ってきてしまい、マノンは爺さんはもうやだ!と言い切ってしまう。
怒った爺さんは出てゆき、かわりにレスコーが青ざめて入ってくる。
ジェロントがマノンを追放するという。慌てる二人、デ・グリューはいずれマノンを助けることになるから逃げろとの兄の指示で、逃げる。

第3幕 ル・アーヴル
Manon_wien3 フランス追放の命を受けたマノン。アメリカ行きの船の待つ港。
レスコーの手はずで、救いだすこととなっていたが、それもあたわず、他の娼婦などと共に点呼を受けるマノン。
そのいわれは、群集も皆知って同情している。
そこへ、飛び出すデ・グリュー。
船長の下に平伏して、涙ながらに、自分を船員のはしくれとしてでもいいから、乗船させて欲しいと訴える。
船長は、懇願を受け入れ乗船を許可する。

第4幕 アメリカ ニューオルリンズの荒野
Manon_wien4 問題を起して逃げ出したマノンとデ・グリューは、追っ手を逃れて荒野をさまよう。
歩き疲れたマノンをおいて、デ・グリューは水を探しにゆく。
ひとりマノンは、寂しくここ砂漠で死んでゆくわが身を嘆く。
何も見つけられなかったデ・グリューが戻ってきて、絶望の二重唱を歌う。すでに死の影濃いマノンは、「私の罪は忘却の中に埋もれるでしょう。でも私の愛は、決して死なない・・・」と言い残して息絶える。デ・グリューはマノンを抱きしめて慟哭する。

ドラマの飛躍が激しいが、筋は、どことなく「ボエーム」に似てなくもない。

1幕のデ・グリューのアリア、2幕の二重唱、3幕への間奏曲、4幕のマノンのアリア。
これらは、甘味な旋律に溢れた素晴らしい音楽だ。
ことに間奏曲は、私の大好きな音楽のひとつ!

 マノン・レスコー:ミレッラ・フレーニ   デ・グリュー:プラシド・ドミンゴ
 レスコー    :レナート・ブルソン   ジェロント :クルト・リドゥル
 エドモンド   :ロバート・ギャンビル  歌手:ブリギッテ・ファスベンダー
 
   ジュゼッペ・シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団
                    コヴェントガーデン歌劇場合唱団
                         (1983年録音)

こうした顔ぶれの録音に何の不満もあろうか。
表現豊かで、劇的な歌唱も素晴らしいフレーニ、若々しくも力強いドミンゴは、プッチーニこそお似合い。ブルソンの味のあるレスコー。まだリリカルだったギャンビルと立派な声のリドゥルは、先ごろドレスデンとともにやってきたばかり。

マーラーやシュトラウスを指揮するように、プッチーニを演奏したシノーポリ
時おり大きくルバートをかけつつ、オペラティックな雰囲気に事欠かない。
彼の早世は、惜しみても余りある。
プッチーニにシュトラウス、ワーグナーをすべて演奏し、録音してくれたはずだろう。
1986年、ウィーン国立歌劇場と来日し、この「マノン・レスコー」を指揮した。
私はそのNHKホールでの公演に居合わせたが、そのエキセントリックとも思える激しい指揮ぶりに釘付けだった。でも出てくる音楽は、ウィーンの音色も手伝ってか、当CDよりかなりまろやかだった気がする。
その時も、フレーニがマノンだった。相手は、お馴染みのコンビ、ドヴォルスキー。
3幕のデ・グリューの懇願のものすごい熱演と、最後のマノンの死に涙が出るほど感激したものだ。

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コメント

いいですね、マノン・レスコー。
プッチーニでいちばん好きなオペラです。
コヴェントガーデン&シノーポリといったら、キリ・テ・カナワがマノンを歌った映像が真っ先に思い浮かぶのですが(アレンがレスコーですしねw)、フレーニのマノンも聴いてみたいです。

マノン・レスコーは子どもの頃にTVで観て、4幕に圧倒された記憶があります。上記のキリ・テ・カナワのやつです。
ストーリーなんて理解しちゃいませんでしたが、以来「オペラって面白いだけじゃなくて、何かとてつもなく凄いモノなんだ…」と感じるようになりました。

投稿: しま | 2008年1月14日 (月) 12時35分

しまさん、こんにちは。
マノン・レスコーは旋律の宝庫ですね。いいオペラです。
新国で早く上演されることを望みます。

コヴェントガーデン上演後にすぐ録音されたのがこのCDです。
映像はNHKで放映されましたね。私は、一応社会人でした。
フレーニのマノンは、キリより劇的で、うまいですよ。

>以来「オペラって面白いだけじゃなくて、何かとてつもなく凄いモノなんだ…」と感じるようになりました<
なにか、とてもわかります。
皆さんそれぞれ、オペラとの出会いや開眼のストーリーをお持ちですね。
私はよく覚えていませんが、ワーグナーだったから今の自分がありますね。

投稿: yokochan | 2008年1月14日 (月) 17時30分

今晩は
プッチーニ生誕150年は知りませんでした。
偉大なプッチーニのために音楽業界はもっと取り上げて
ほしいですね。

投稿: 風車(かざぐるま)2号 | 2008年1月15日 (火) 21時29分

風車(かざぐるま)2号さま、こんばんは。
今年は、例年のように大物作曲家のメモリアルはありませんが、唯一、このプッチーニではないかと。
おっしゃるように、どんど上演して、テレビでも放映して、多くに人に涙してもらいたいと思います。

投稿: yokochan | 2008年1月15日 (火) 23時34分

このオペラ、冒頭が自作の『交響的奇想曲』、第2幕に同じく『グローリア-ミサ』の終わりの部分が転用されていて、プッチーニ-フリークならニヤリとさせられますね(笑)。LPでM-プラデッリ、セラフィン、バルトレッティ、CDでシノーポリ、レヴァインと、まぁ取っ替え引っ替え聴き比べた次第です。各メジャーレーベルが収録当時御抱えの花形カシュヲ惜し気もなく投入の、これ等一連のディスクに安易な順位付けや、優劣の判定など出来ようもございません。

投稿: 覆面吾郎 | 2019年10月 1日 (火) 08時54分

カシュヲ→歌手を‥の誤りです。謹んで御詫びと訂正を‥です。

投稿: 覆面吾郎 | 2019年10月 1日 (火) 08時56分

プッチーニの管弦楽曲の音盤は大好きで、そこに出てくる旋律が、初期からボエームあたりまでのメロディーにも満ちているので、なおさらです。
マノンレスコー、情熱的にすぎて、ちょっと苦手なところがありますが、そろそろあたらしい感覚の録音が欲しいところですね。
セガンあたりのメットでの上演に期待です。

投稿: yokochan | 2019年10月 4日 (金) 08時42分

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