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2008年2月12日 (火)

ショスタコーヴィチ 交響曲第10番 ラトル指揮

East_i 仙台駅で見た「East i」
軌道検測車ということらしい。
私はいわゆる「鉄ちゃん」じゃないけど、こういう変わった車輌を見ると嬉しくなっちゃう。
 以前、取引先の方にかなりの「鉄ちゃん」がいて、その方、酔っぱらって通勤電車に乗っていたら、子供のようにシートに逆座りになって窓の外を見てしまっていた自分を発見して愕然としたことがあったそうな・・・・。
さらにその方、家の中のひと部屋を、激しいくらいのジオラマ・ルームにしているんだそうな・・・。

ちなみに、その方の部下も「人知れず、私も鉄ちゃんなんですぅ」と語ってくれたもんだ・・・。

Rattle_shostako10 久しぶりに、ショスタコーヴィチの交響曲を。
若き、サイモン・ラトル指揮のフィルハーモニア管弦楽団の1985年録音。
交響曲第10番は、1953年の作品で、今となっては馬鹿らしいくらいに、当時のソ連国内ではイデオロギー論争となったらしい。

前作の9番が、その第9という重みに反して、軽快なくらいの小交響曲であったので、偉大な交響曲を望む世論の重圧があった。
そこで登場の10番は、内容が全編重い雲が立ち込めるような暗さに覆われていること、そして3楽章までの厳しさに反して、終楽章の軽さ。
こうしたことが論戦の対象となったらしい。
スターリンの死後の、いわゆる「雪解け」ムードとの兼ね合いでも、この曲の真意がどこにあるかの議論もあったし、ヴォルコフの「証言」では、スターリンについて書いたとされているが、これまた不明の「証言」の証言。

ムラヴィンスキーによって初演されたこの作品、欧米でも本国以外の初演権を巡ってかなり争われたらしい。
何気に、カラヤンが得意にしていて、2度も録音したりしているが、私は未聴。

結局、この交響曲の真意や背景は不明、ということになるのか、でもあんまり知りたくないけれど・・・・。

だからこそ、ショスタコーヴィチは、スコアを信じて、その万全の解釈をする演奏が、一番説得力ある演奏であると思うんだけれど・・・・、これも自信ないねぇ~。

ラトルのこの演奏は、そうした演奏の筆頭にあって、客観性と音楽性の絶妙な両立が、ロンドンのニュートラルなオーケストラから巧まずして表出されている。
ハイティンクの演奏に合い通じるものがある。
ベルリンに行き、少し大人しくなってしまったラトルだが、もしかしたらもっと違うショスタコーヴィチを聞かせてくれるかもしれない。

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