コルンゴルト 弦楽六重奏曲 フレッシュSQ
京都の御池通りにある人工的な風景。
下は地下鉄と地下街が広がる。
数々の歴史を刻んできた街なのに、新しいものにどんどん上書きされてしまう。
昼夜問わず、外国の方々が京を求めてやってくる。へたをしたら、その方々の方が日本の情緒を愛し、その歴史も含めて、よく理解しているかもしれない。
河原町あたりの日本のどこにでもある繁華街を歩いていると、日本のどこにでもいる、若い「にいちゃんやねぇちゃん」が屈託なく過ごしている。
かたわらで、日本の歴史が満載のガイドブックに見入る外国人がいる。
観光地ならではだけど・・・・。
エーリヒ・ウィルフガンク・コルンゴルト(1897~1957)は、私の好きな作曲家の一人。
ウィーン生まれのユダヤ系で、ツェムリンスキーに学び、そのウォルフガンクの名前通り、神童としてもてはやされた。
ヨーロッパ時代は、ワルターやワインガルトナーも好んで演奏したくらいの人気作曲家。
だが、ナチスに退廃音楽として目を付けられ、アメリカに渡り、ハリウッドで活躍したものの、戦後もヨーロッパの本流に復帰できずに不遇のまま世を去った。
後期ロマン派の時代の真っ只中を生き、アメリカではその甘く、爛熟かつゴージャスな響きがハリウッド受けした。ヨーロッパでは、無調や12音技法が、トリスタン・マーラー後の主流となり、アメリカのコルンゴルトは、逆に過去の遺物的なウィーンの世紀末の濃密なサウンドにこだわり続け、取り残されてしまった。
しかし、音楽の受容センスが多様化した現在、マーラーやツェムリンスキー、新ウィーン楽派、シュトラウスのオペラなどを心から共感して楽しめるのと同じに、コルンゴルトの残した様々なジャンルの音楽も心に響いてやまない。
室内・器楽の分野にもそこそこの作品がある。
今日は、若書きの弦楽六重奏曲を。
どう若いかって、1914年、17歳の作品だから。
17歳で作曲は、もしかしたらありえるかもしれないが、曲の内容がとうてい年齢を思わせないからなのだ。
ブラームスの同曲をモデルにしていて、4つの楽章からなり、各2挺ずつの楽器が対等に活躍する、35分あまりの堂々たる作品。
そして驚くべきは、2楽章の甘くて切ないロマンテシズム。「死の街」をも彷彿とさせる旋律が静かに、とうとうと流れる。若くしてこの円熟。末恐ろしいませた青年。
まさにブラームスのような、内声部の充実した1楽章、間奏曲風の洒落た3拍子の3楽章はウィーンを思わせる。
終楽章は、リズムが楽しく、どこかで聴いたようなフレーズがポンポン出てくる。
後のかっこいい大交響曲の旋律の先触れも聴かれるし(解説書によれば)、最後は1楽章の旋律が回帰してきて、なかなかのエンディングとなる。
英国のフレッシュ四重奏団にヴィオラ、チェロの二人のメンバー加わっての演奏は、とても美しく覇気があっていい。
音楽とともに、楽しめた1枚。
30年後に作曲された、弦楽四重奏曲第3番は、コルンゴルドの筆致もやや複雑な様相を呈しているが、それでも聴きやすく、甘い音楽に満ちていた。
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