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2008年8月 8日 (金)

マーラー 交響曲第9番 ジュリーニ指揮

Tachikawa_garufu鹿児島ラーメンでごわす。
桜島の噴火は怖いけど、鹿児島は、北海道と同じように自然と人が懐かしく、一度行くとやみつきになる県であります。
何よりも酒と食が最高にいい。
みなさん熱いし、ゆるい。
そしてその豚骨ラーメンは、クリーミーで味わい深く、あっさりした中にコクがあってとてもおいしい。
ガルフと読むこの店は、鹿児島発信のラーメン店で都内やイオンに出店中。
かごんま、ほんのこて、うまいでごわんしょ。

Mahler9_giulini マーラー交響曲第9番は、多くの愛好家にとって特別な曲であり、すべてのクラシック音楽の中でも上位にくる人気度の高い作品。
私とて例外でなく、昨年のマイベスト音楽選の交響曲部門5傑の中にノミネートされた曲(なんじゃ?)

私のような古くさいクラヲタにとって、マーラーは途中からやってきて、いきなりホームランバッターになってしまったような作曲家だ。
若い愛好家の方々の中には、マーラーが普通に4番バッターで、モーツァルトやベートーヴェンが3番5番、そして地味な7番バッターくらいにブルックナーがいたりするのではないだろうか。

そんな日本のマーラー受容史において、画期的な演奏会は、1970年の万博の年に来日したバーンスタインとニューヨークフィルによる第9の演奏だろう。
小学生の私が行けるはずもなく、購読を始めたレコ芸の記事で吉田秀和氏が絶賛していた。それは、演奏がどうのこうのでなく、マーラーの音楽のすごさを書いていたものに思う。
そして演奏会は真夏のことで、バーンスタインとNYPOの面々は白い夏用の燕尾服を来た写真だった。

マーラーの第9とはいったいどんな曲なのだろう??
押さえようもない興味にかられ、初めて聴いたのが、その数年後のFM放送で、なんとコンドラシンとモスクワフィルのレコードによるものだったが、驚くべきことに終楽章の終わりのほうでちょん切られてしまった・・・・、という風に記憶する。
その無常観を抱きつつ、バーンスタインの演奏のさわりを、サンプラーLPで聴いたり、N響が森正の指揮で演奏したテレビを見たりしていた。
 そして75年に、クーベリックとバイエルン放送響の来日公演の放送や、ジュリーニがウィーン交響楽団と演奏した録音の放送を録音し、すっかりこの音楽に馴染んでいった。

そして、満を持して購入したジュリーニとシカゴ響とのLPは、アバドの復活とともに、当時、私の心を震わせたマーラーのモニュメント的な2枚組である。
同じオーケストラを振ったジュリーニもアバドと同様明るい音色が基調となっていて、歌に満ちあふれている。野放図に歌うことに傾注しているわけでなく、しっかりした構成感の元、堅固な造型の中にあるので、全体像が実に引き締まっている。
ルネッサンスの巨匠ミケランジェロを思わせる音の大伽藍。
テンポはゆったりと、沈着で、品格が漂う。
こんなに長い1楽章はないが、それを遅いと感じさせないのは、歌が豊かだからなのだろう。
諧謔と自嘲にあふれた第2と第3楽章は、慌てず騒がず堂々としたもんだ。
3楽章の中間部は、僥倖のようでとても美しく、終楽章への伏線として納得感のある表現だ。
そしてその終楽章は、音楽を慈しみつつも歌に傾注していて、目を閉じて聴いていると、指揮棒をぐわっしと握りしめ顔をかしげたジュリーニの指揮姿がまぶたに浮かんでくるようだ。弦はボウイングを思い切り使い鳴り切っていて、粘りも充分。
だがその粘りは、情念系のバーンスタインのように胸掻き毟るようなことがなく、どこまでもスッキリかつ明晰。
「死」を意識するというよりは、諦念の後にやってくる澄み切った境地を感じる。
70年代後半レコードで聴いていた頃は、音楽の持つスゴサに平伏してしまって、ジュリーニの音楽がこんなに歌に満ちていたなんて思わなかった。
その後に様々な第9を受容してから、CD化されたジュリーニ盤を聴いてみての今回の印象が以上である。

古典派から脈々と続いた純粋交響曲のピークを飾るに相応しい演奏がジュリーニ。
アバドは、この曲のあとに新ウィーン楽派が控えていることを意識させる点で、ジュリーニの完結型の演奏と異なるように思ったりしている。

例によって実演体験を。
なんといっても、バーンスタインとイスラエルフィルの超絶的な名演が忘れられない。
まさにジュリーニと正反対にあるセルフイマジネーション的なバーンスタインの指揮は、ユダヤの同朋たちと完璧に溶け合い怒涛のような演奏をしてのけた。
ユダヤ人司祭による儀式に参列したかの思いだった・・・。
 ベルティーニ&都響、若杉&N響、エッシェンバッハ&フィラデルフィア、ヤルヴィ&フランクフルトなどなど。
名曲名演目白押し。皆様も思い出がたくさんおありかと思います!

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コメント

バーンスタインの「マーラー9番」日本公演については2度悔やまれます。1度目の1970年(NYPO)は、当時中学生の私は「巨人」はよく聴いていましたが「9番」の魅力がまだよく分からず別のプロにしました。2度目の1985年(IPO)は、一緒に行く友人との協議の結果、また別のプロになりました。2度もバーンスタインの「マラ9」のチャンスがありながら…。1970年の来日時、アンコールはしないのにサイン会をしていたのが、バーンスタインらしくて面白かったです(笑)

投稿: EINSATZ | 2008年8月 9日 (土) 12時22分

9番がジュリーニというのが嬉しい!
とはいえ、晩年のシノーポリ(本人は全然意識していなかったと思いますが)にはまっている現在、この超名曲のCDを薦めるにあたって誰にしようかと迷っている私であります。シノーポリとドレスデンが出なければ文句なくジュリーニ=シカゴなのでありますが。DVDではアバドとマーラー・ユーゲントの凄い演奏も忘れられません。特に、終楽章を徐々に照明を落としていって、ほとんど暗闇状態で(当然、楽譜スタンドにはライトがついてますが)演奏されるラストの感動。
と、ここまで書いてきたら、ジュリーニ、シノーポリ、アバドと全部イタリア指揮者でありました。これから物凄い演奏が聴けるとしたらハイティンク=シカゴなのでしょうが、2011年でハイティンクはシカゴを去っていく。せめてそのフェアウェル・コンサートで第9をふって演奏=録音を残してくれないかなぁ。
ちなみに、ライヴ体験は僕の場合飯森君=TSO(りゅーとぴあ)とチョン・ミョンフン=東フィル(サントリー)でありました。チョンの凄い気迫の篭った棒で普段は危なっかしい東フィルが異常に緊迫したマーラーを演奏してましたっけ・・・。
ところで、10番は俎上に乗っけるのかしら? 

投稿: IANIS | 2008年8月 9日 (土) 15時42分

こんばんは。
マーラーの第九という音楽、そしてジュリーニという指揮者を初めて知ったのが、このDGのLPでした。
そもそもはレコードアカデミー賞をとったことで、名前を知ったのでした。
シカゴの明晰な演奏が印象的でありましたが、それは今聴いても変わりません。
その後、いろいろな演奏を聴きましたが、この演奏の価値は揺らぎません。

バーンスタインとイスラエルの第九、私も聴きました。およそジュリーニとはかけ離れた激情的演奏でしたが、あのテンションの高さは忘れられません。

投稿: 吉田 | 2008年8月 9日 (土) 22時02分

EINSATZさん、こんばんは。
さすが年季あるエピソード。
70年のバーンスタインは、幻想、ベト7など、すごい曲ばかりだったようですね。
イスラエルとのブラ1もテレビで観ましたが、あの頃が一番充実していたバーンスタインですね。
サインがまた羨ましい!

投稿: yokochan | 2008年8月 9日 (土) 22時53分

IANISさん、毎度です。
シノーポリとカペレ盤は未聴ですが凄まじいそうですね。
アバドの3種とジュリーニ、バーンスタインBPOで満足でしたが、またまた気になる1枚です。
ハイティンクは必ずやCSOでやってくれちゃうでしょうな。

10番・・・・さていかに・・・。

投稿: yokochan | 2008年8月 9日 (土) 22時56分

吉田さん、こんばんは。
レコード時代よりの愛聴盤がこれです。
ジュリーニはこの頃第9シリーズを録音しましたね。
いずれも晩年より覇気があってよかったです。

どうも同じ頃に、吉田さんとは、マーラー実演にはまっていたようですね。
バーンスタイン、すごい演奏でした。

投稿: yokochan | 2008年8月 9日 (土) 22時59分

 yokochan様今晩は。
マーラーの9番の実演、実はまだ聴いたことがないのです。レニーの伝説的な公演をお聴きになったのですか。
うらやましい限りです。
私がマーラーの9番を始めて聴いたのは中学生のころ、ショルティとシカゴのLPでした。色々な演奏を聴きましたが印象に残っているのは、件のショルティのと、カラヤン&ベルリンフィルのライブCDと、それとレニーがベルリンフィルを指揮したCDとコンセルトへボウを指揮したCDです。
以外に思われるかもしれませんが、マズア&ニューヨークフィルの演奏が以外にいいです。一枚千円のCDなので軽い気持で買ったのですが、予想を上回る演奏なので驚きました。いい意味で素直でケレン味の無い演奏ですね。カラヤンの華麗さやレニーの感情移入の激しさに抵抗を感じるときに私はマズア盤を聴きます。マズアは日本では評論家うけが良くないせいか過小評価されているような気がしてなりません。でも近い将来評論家受けの良くないマズアやスラトキンが日本でも巨匠扱いされる日が来そうな気もいたします。朝比奈先生やヴァント師だって神様扱いされるようになるにはかなり年月がかかりましたし。あのレニーだってCBS時代は万年若造扱いだったそうですし・・・

投稿: 越後のオックス | 2009年3月27日 (金) 23時40分

越後のオックスさま、おはようございます。
コメントありがとうございます。
バーンスタインのライブは、私にとって大事な思いでです。
記事にも書きましたが、まるで司祭のような姿と顔でした。

この偉大な作品は、いろんな解釈を受け入れるものに思います。マズアのあっさり演奏も充分アリかと思いますね。
聴いたことはないのですが・・・。
どうもあの方は、イメージが先行して受けがよろしくないですね。かつて、ゲヴァントハウス時代、始終来日してたものですから、「来ると、まずい」な~んて言われてました(笑)

投稿: yokochan | 2009年3月28日 (土) 09時50分

マイ ベスト 音楽で 検索しています。
クラッシック いい音楽なのだけれど たくさんあって
私好みの音を探すのが 難しいです。ラーメン同好会

投稿: 村石太マン | 2010年10月18日 (月) 08時48分

村石太マンさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。

人気作曲家で、今年記念の年を迎えているマーラーと、誰もが好きなラーメンを組み合わせてみました。

気楽に聴くのが一番いいと思います。
難しそうな曲でも何度も何度も聴くと、見えてくると思います。
よろしくお願いします。

投稿: yokochan | 2010年10月18日 (月) 23時14分

今晩は。最近ノリントンから目が離せなくなりました。マーラーといったらレニーやテンシュテットだろうと思っていた時期が私にもあり、彼らのマーラーが嫌いになったわけでは決してありませんが、故人ではショルティ、クーベリック、現役の人だとブーレーズ、ノリントン、ケント・ナガノといった人達のマーラーを好むようになりました。情緒過多でないスリムでスマートなマーラーを好むようになったようです。最近病みつき気味なのがノリントンです。彼のマーラーはまだ第9番しか聴いておりませんが、新鮮で斬新な解釈にノックアウトされてしまいました。全曲を72分10秒、第4楽章アダージョを前人未到の19分台で演奏しています。ちなみにレニーと&コンセルトヘボウの演奏は全曲を約89分で演奏しています。ノリントンは名門シュトゥットガルトのオケに完全にノンビブラート奏法をやらせています。ネット上には「こんなのマーラーじゃない!」と怒っている人も見受けられますが、レニーやクラウスへのアンチテーゼとしてこういうマーラーが在ってもいいような気がします。とにかくノリントンは、アーノンクール以上に何をしてくれるか分からない人です。彼の指揮でマーラーの3番や8番も聴いてみたくなりました。

投稿: 越後のオックス | 2011年7月 4日 (月) 00時55分

越後のオックスさん、こんにちは。
わたしは、世代的に情念系しかなかった時代のマーラー・デビューで、アバドやメータ、レヴァインのマーラーに衝撃をうけ、その流れでずっときてます。
でも。レニーやテンシュテット、インバルも忘れてません。
マーラーの音楽の許容範囲の大きさゆえでしょうね。

さすがに、ノリントンまでは手がまわりません。
シュトゥトガルトとの来日公演で1番を聴いてますが、あんまり印象に残っておりません。
いまCDもそろいつつありますね。
いつかは、ちゃんと聴きたいと思ってます。
第9はとても興味深いです。

投稿: yokochan | 2011年7月 5日 (火) 16時42分

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