ミャスコフスキー 交響曲第6番 N・ヤルヴィ指揮
せせらぎのたもとに佇む「彼岸花」
郊外を走っていて、ちょっと道をそれると、道端にはこの時期たくさん見かける光景だ。
繁殖力の強い植物だけに群生している。
遠くからはきれい。
でも近づいてよく見ると、なにやら怪しげな恰好の花だし、危険な様相も呈している。
台風は去ったが、無念なのは、札幌で行なわれた札響の「ピーターグライムズ」に行けなかったこと。
実は、チケットも早々に購入して、マイレージを利用して、ついでに仕事もしての札幌計画を練っていた。ところが、なんということでしょう! 息子の運動会と重なってしもうた。
最後の運動会だし、二人の子供で通算10年目の最終運動会に。
音楽への欲望は、家族愛が勝る。当然至極の出来事だったが、台風で運動会は順延に! あらら・・・・・。
歌入り交響曲シリーズ。
本日は、ポーランド生まれのロシアの作曲家、ニコライ・ミャスコフスキー(1981~1950)の交響曲第6番を聴く。
このシリーズ、出だしは甘くみていたが、マーラー以降、歌入りシンフォニーは、あるわあるわ!
ベートーヴェンとマーラーは、やはり交響曲のジャンルにおいて、超偉大な存在なのだな、これが。
ミャスコフスキー(名前がややこしいし、打ちにくい名前なのだ)は、交響曲をなんと27曲も作った人で、交響曲分野における絶倫ぶりは、次に登場予定のブライアンと双璧!
ガチガチの軍人の家庭に生まれたゆえに軍人経験を経ての音楽志望で、学業中はプロコフィエフとご学友となり親友となった。
ロシア→ソビエトという体制の流れにもまれながらも、うまいこと体制に乗りつつ、神秘主義的音楽、アヴァンギャルド風、社会主義リアリズムにのっとったロマン主義風、古典派風と巧みに作風を変えていったという。
私は、ミャスコフスキーには奥手で、この交響曲がはじめて。
1921~23年の作曲で、伝統的な4つの楽章に、最後は合唱が登場する70分をようする大曲。社会主義リアリズムの路線で書かれたというが、初聴きのワタクシには、そんな概念はさっぱりわかりませぬ。
とてつもなく長大で、くどく、濃厚、甘味さも悲壮感もシニカルなユーモア感も、どれもこれもが満載の寄せ鍋のような音楽に聴こえる。
出張・通勤の車内で何度となく聴き、その勇壮でかっこいい第1楽章の旋律が頭にこびりついてやまない。この楽章は、私の愛するバックスの音楽のようで、荒涼とした人間を突き放すような大自然の音楽のように感じる。この楽章だけでも22分もある。
次のスケルツォ楽章は、慌しく悪魔的な雰囲気。急転直下の中間部は、チェレスタがチロンチロン鳴り、フルートが涼しげに歌ういい場面が現れるが、それも束の間。
3楽章の不安な出だしは、ちょっと落ちつかないが、1楽章の旋律が再び熱っぽく現れ、クラリネットがラフマニノフばりの憂愁溢れる旋律を奏で出して、音楽はロシア風の熱っぽい憂いを満ちた雰囲気になり、「怒りの日」までがうまいこと引用され、実にいい雰囲気。
ところが、終楽章がこれまでの深刻・シニカル・憂鬱の雰囲気を打ち捨ててしまう。
あまりにあっけらかんとしたホルンの咆哮で始まる。
あれれ?の思いだが、フランス革命の音楽が鳴り響き、聴く側はもう気分的に追いつけなくなってしまう。革命成就の讃歌なのだ・・・。
ところが暗雲たちこめ、「怒りの日」が低弦にはっきりとあらわれ、再び不安の様相を呈するが、またもや明るい讃歌で打ち消され、やがて合唱がシリアスに登場し、神々しい雰囲気となって終了する。
その詩は、「我々は見た、死の体から魂が分離し、神のさばきのもとへ、そして体は母なる大地へ・・・」というようなもの。(と思う)
27曲をスヴトラーノフが全曲録音しているが、さすがの親父ヤルヴィもそこまではできまい。エーテボリ響とDGに録音したこの演奏は、相当に気合もはいり、デティ-ルも美しい最上の演奏に思う。録音も最高によろしい。
まだ聴き込みが足りないが、悪くはない。でもそんなに好きではない。しかし怪しくて気になる。
ほかの諸作はどうなってんだろう?
詳しい方ご教授のほど、お願いします。
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コメント
最近読んだ本に彼岸花について書いてあったのですが、この植物は何月に植えても同じ日に一斉に咲くそのシステムが未だに解明されていないそうです。一月に植えた種でも八月に植えた種でも一斉に彼岸の頃に咲く。ということはどこかで成長が調整されている訳だし、何らかの形で暦を理解していることになりますな。植物の世界はすごい・・・。
投稿: リベラ33 | 2008年9月21日 (日) 08時12分
ご無沙汰しています。
ミャスコフスキーのこのCDの写真に目が止まりました。私も持っていたからです。しかし一度聴いたのみです(涙)。
ただ、この作曲家で唯一知っているのが、「チェロ協奏曲」です。知った当時、かなりはまりました。
今も時々聴きたくなります。これから晩秋にかけて聴くのにいい感じかも。
ご参考に、以前の記事をTBさせてもらいました。
投稿: 丘 | 2008年9月21日 (日) 09時15分
りべらさん、彼岸花ってそんなに能力の高い植物だったのですか!
昨年の今頃も彼岸花について書きましたが、その時は、有毒植物としての彼岸花。
その毒を嫌い、虫や動物が近づかないので、お墓の周りに植えられたと書いたものです。
なかなか、植物というのは、深みのある世界ですねぇ。
投稿: yokochan | 2008年9月21日 (日) 22時18分
丘さま、こちらこそご無沙汰をしております。
私はこれが初ミャスコフスキーでしたので、他の曲を知りません。貴ブログの記事を拝見しました。
チェロ協奏曲、とてもよさそうですね。
秋に聴く音楽。いいですね。今ネタを仕込み中につき、ご教授いただきましてありがとうございます(笑)
投稿: yokochan | 2008年9月21日 (日) 22時40分
yokochan様お早うございます。
ヤルヴィ指揮のミャスコフスキーの6番、私ももっております。国内盤です。マイナー交響曲が好きなので国内盤がでるとほぼ同時に買いました。全曲を通して何が言いたいのか良く分からない交響曲という印象が強いです。私はyokochan様と逆でアッケラカンとした革命成就の凱歌の終楽章が好きで、第1楽章がよく分かりません(笑)。エルガーのようでリヒャルト・シュトラウスのようでフランクのようでもある不思議な音楽ですね。ミャスコの交響曲はこの6番の他にナクソスから出ている第25番&26番のCDを持っています。どちらも全三楽章の交響曲で歌入りではありません。プロレタリア映画の伴奏音楽みたいな感じがします。これが社会主義リアリズムというものなのでしょうか。演奏はドミトリー・ヤブロンスキー指揮ロシア・フィルです。レコーディングのために結成されたオケだそうですが、なかなか優秀な楽団だと思います。スヴェトラーノフ御大の全集で全交響曲を聴けば印象が変わるかもしれませんが、貧乏人の私にはお金が…(笑)
投稿: 越後のオックス | 2008年10月15日 (水) 04時14分
ナクソスのミャスコフスキーの交響曲は24番&25番でした。訂正とお詫びをいたします。
投稿: 越後のオックス | 2008年10月15日 (水) 04時32分
越後のオックスさま、コメントありがとうございます。
このCDのジャケットはインパクトありますね。
ミャスコフスキが何者かわからずに、このシリーズのために購入しました。
印象はお読みの通りですが、越後のオックスさんと逆なところがまた面白いですね。
何度も聴ける音楽ではないですが、終楽章だけ聴いてみましょう。
この曲、コンドラシンもあるらしいです。非常に興味ありますね。スヴェトラ全集は、私には時間も金もついてゆけません(笑)ナクソス盤ならばいけそうです。ロシアフィルの由来も知りませんでした。機会があれば聴いてみます。
ありがとうございました。
投稿: yokochan | 2008年10月15日 (水) 23時59分
今晩は。
先日スヴェトラーノフのミャスコフスキー全集を購入してしまいました。先輩方のブログなどを参考にしながら聴き始めました。まだ5番と19番と27番しか聴いていないのですが。以前から持っているCDと合わせてこれでやっと6曲聴いたことになります。歌が入るのは6番だけですね(スヴェトラ御大はコーラス抜きで演奏していますが)。非常に全体像を掴むのが難しく、評価も難しい作曲家という印象を受けています。似たような交響曲を何作もつくったという点ではブルックナーを思わせます。響きが地味で渋めという点ではブラームスを思わせます。プロコフィエフやショスタコほど偉大な交響曲作家かと言われると「それはどうかなー」と思いますが、無視してもかまわないほどの弱小作曲家でもなさそうです。スヴェトラ御大が私財を投げ打ってまで全集を作っただけの作曲家ではあるのかもしれません。
投稿: 越後のオックス | 2009年6月 3日 (水) 01時35分
越後のオックスさん、毎度ありがとうございます。
スヴェトラさんの全集を手に入れたのですね。
なかなかに評価の難しいミャスコフスキーですが、いくらなんでも曲が多すぎまして、いまの私には手が回りませんね・・・。
>似たような交響曲を何作もつくったという点ではブルックナーを思わせます。<
そうですか、ますます手が回りません・・・・。
もう人生、先が見えてきたわたくしなものですから(笑)
若い越後のオックスさんなら、全曲踏破は可能ですね。
その印象をまたお聞かせいただければ幸いです!
投稿: yokochan | 2009年6月 3日 (水) 21時23分
ブログ主様、ご無沙汰しております。
今年2月にコルンゴルトのチェロ・コンチェルトにコメント
書かせて頂いて以来の書き込みになります。
スヴェトラ御大のミャスコフスキー全集、やっと
15曲聴きました。
あと12曲です!
ネットをやっとおりますと熱烈なミャスコフスキー・ファンの方はかなりおられます。
「ミャスコは素晴らしい作曲家だ。心して聴いてください」
というコメントもちょくちょく目にします。
「それはどうかなー」というのが今の私の感想です。
最初は結構聞くのが楽しいこともあったのですが、
同じような曲が多すぎて食傷ぎみになってしまうのですね。
残念ではありますが、スヴェトラ御大のこの全集、
資料的価値以上のものはあるのかな?というのが
15曲頑張って聴いた私の感想です。
たくさん交響曲を書いた作曲家がみなツマラナイと
申し上げているのでは決してありません。
アラン・ホヴァネスなんかは私が聴いた限りでは
なかなか素敵な曲を書いた人だと思います。
ミャスコさんの曲、私なりに真面目に聴いたつもりだった
のですが、もう少し頑張って聴いても良かったのでしょうか…
投稿: 越後のオックス | 2017年9月25日 (月) 22時53分
越後のオックスさん、こんにちは。
過去記事へのコメントありがとうございます。
昨今、音楽に埋没する時間がめっきり少なくなり、過去に聴いた音楽たちも、忘却しつつあります。
そんななかで、過去の視聴歴を振りかえることができました。ありがたいことです。
で、ミャスコフスキー・・・ぜんぜん覚えておりません。
全交響曲を聴かれたとのこと、まことにおめでとうございます。
でも、予想通りのご視聴後の感想のようで、やっぱりか・・・、との思いとともに、なんだかうれしかったりします。
当たりがあっても、その作者のすべてがいけてるとは限りませんし、これまで日の目があたらなかった由縁も納得感ありますね。
でも、自分の好きな、アタリを探す旅、ともかく、その意欲だけは自分も忘れたくないです。
投稿: yokochan | 2017年10月 1日 (日) 21時50分