ストラヴィンスキー 詩篇交響曲 バーンスタイン指揮
東名高速、静岡の由比あたりを上り方面に走る。
東名高速のルートの中でもこのあたりは一番風光明媚な場所。
下りは、海に向かって走るみたいだし、夕刻だと海が染まって美しい。
そして、上りは海の上に富士がそびえて見えて気持ちがいい。
うすぼんやりと、富士が見えます。
歌入り交響曲、今回はストラヴィンスキー(1882~1971)の「詩篇交響曲」。
ストラヴィンスキーはスタイルの異なる交響曲を5つ作曲している。
習作の第1番、管楽のための交響曲、3章の交響曲、ハ長の交響曲、詩篇交響曲。
合唱が用いられたのが、「詩篇交響曲」で、3つの楽章からなり、それぞれに合唱が旧約聖書の詩篇を歌う。
合唱曲のようで、どこが交響曲なんだとも思ってしまう。
ストラヴィンスキーは、合唱と楽器の合奏を対等に扱い、交響曲の形式から離れたいわば協奏交響曲のような形式を思い描いたらしい。
ヴァイオリンとヴィオラ、クラリネットを省き、ピアノ2台を加えた変則オーケストラに児童合唱と混声合唱。
くすんだ渋い響きに充たされた、宗教的な儀式めいた音楽。
ボストン響のクーセヴィッキーの委嘱により、1930年に書かれた。
様式を変転させていったストラヴィンスキーの第二期、新古典主義時代にあたり、「エディプス王」「ミューズ・・」「妖精の口づけ」「ヴァイオリン協奏曲」などが同時期に書かれている。
だから決して難解ではなく、弾むリズムとシンプルな楽想に溢れた聴きやすい音楽となっている。
第1楽章は、神の慈悲を乞う真摯な祈りの音楽。印象的な管のトゥッティとユニゾンが耳に残る。繰返しのオスティナート効果が特徴的で、ブリテンやバーンスタイン、映画オーメンの音楽を思い起してしまった。
第2楽章は、神への感謝。フーガである。オケの静かな場面に続き、神秘的な合唱がなかなかに聴きもの。最後には、フォルテでオケと合唱による賛美が強く現れ、ドキっとする。
第3楽章は、全能の神を称える音楽。オケと合唱が交錯し好対照をなす壮大な音楽に発展してゆき、そのリズムとともに、なかなかの高揚感が味わえる。
最後には、神を称える「ラウダーテ ドミニウム」が静かに歌われ曲を閉じる。
とっつきのいい音楽ではないが、冷静でシャープな演奏や曲に没頭し熱い演奏などで聴きたい。前者は、ブーレーズや未聴ながらギーレン、ラトルなど。
後者がバーンスタインだ。
さすが、ユダヤの使徒のような存在であっただけあって、こうした音楽や言葉への共感度の高さがその熱い音にストレートに跳ね返ってくる。
ロンドン響の反応がいいが、ニュートラルな響きもまたそれに相応しい。
合唱はイギリス・バッハ祝祭合唱団によるもの。
1972年4月の録音は、この曲が初演されてまだ42年しか経っていなかったし、作曲者がその前年に亡くなったばかりのもの。
もうこの頃、私は音楽ファンでして、ストラヴィンスキーが亡くなったこともよく覚えております。合掌。
(本CDは、「エディプス王」とのカップリングで、エディプスはいずれ取上げる予定につき、ジャケットなしです)
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コメント
yokochan様お早うございます。私は浪漫派人間のようで新古典主義時代のストラヴィンスキーには苦手な曲が多いです。作曲者の自作自演全集22枚組を持っておりますが、まだ全部聴いていませんし。ヴァイオリン協奏曲のように好きな曲もあるのですが…詩篇交響曲は作曲者の指揮で聴いてみましたが、うーむ、正直よく分かりません。ハ調の交響曲と三楽章の交響曲は中学時代からバーンスタイン&イスラエルのホットな演奏を愛聴しているのですが。詩篇交響曲もレニーのような熱い演奏で聴けば分かるのかもしれませんね。
投稿: 越後のオックス | 2008年11月16日 (日) 07時37分
越後のオックスさん、こんばんは。
私も実は、ストラヴィンスキーは3大バレエ以外は、ヴァイオリン協奏曲と交響曲、オイディプス程度のものです。
正直私も苦手でありますが、詩篇交響曲は好きですね。
音楽に同化してしまったような、バーンスタインあってのものです。聴いてみて下さい。LSOとの相性もいいです。
投稿: yokochan | 2008年11月16日 (日) 23時31分