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2008年12月20日 (土)

ブルックナー 交響曲第2番 ヴァント指揮

2a  隅田川にかかる「永代橋」。

調べによれば、この橋は元禄時代綱吉の時代に架けられた由緒ある橋。

美しいアーチの流れるような姿は、ブルーにライトアップされ、揺れる川面も美しく、背景の佃島の高層マンション群との対比もいい。
トレンディードラマのシーンをいくつも飾った場所でもありますな。

ブルックナーのシリーズ。ショスタコと併せて、その交響曲第2番を聴いてしまおう。
何度も書きますが、ブルックナーの日蔭者のようなマイナー番号がたまらなく好き。
1・2・6番の3兄弟は、ともにブルックナーの中でも最美ともいえる緩徐楽章をもっていて、それだけを日曜の晩寝る前などに、しんみりと聴いたりすると、眼前に山々や田園風景が広がって、とても心が安らぎ、嫌な月曜日の目覚めもよろしい。
ヒーリング音楽というわけではないが、自然と宗教に根ざしたブルックナーの音楽の真髄的な部分だと思っている。

Sym2_want 1872年、ブルックナー48歳の作品で、翌年初演されたもののすぐに改訂し、さらに77年にも第2稿が出版され「ノヴァーク版」のもととなっている。
さらに、後年92年にも手を入れて出版されていて、悩めるブルックナーの典型的な作品となっている。さらにややこしいことに、「ハース版」も存在するという複雑な第2番なのである。
例によってトレモロのブルックナー開始でスタートする第1楽章から、とても詩的な音楽だ。おおらかでリズミカルな第1主題が、休止によって一斉に止むと、緩やかな第2主題がチェロで始まり、やがて弦の刻む印象的な音型のうえに木管が美しく歌い始める・・・。
次々に魅力的な場面が管に弦に繰り広げられる。
約20分間にわたってこうした素晴らしい楽想が、橋渡しされるように流れては消えてゆく。
 そして、魅力的な第2楽章アダージョは柔和な祈りに満ちた賛美歌のようである。
後年の深みに満ちた荘厳なアダージョ楽章ではなく、ここには愛らしささえ漂う純な祈りの気分と鳥のさえずる緑豊かなアルプスの自然が横溢している。
 無邪気な農民の踊りてきな3楽章。まさにブルックナーのパターンである。
かなり速くと指定されたフィナーレは、少しも速くなくて、あわてず騒がずの宗教音楽のようである。正直、1・2楽章とのギャップを作品的に感じるけれど、ミサ曲ヘ短調のキリエの主題が神々しく登場するとなかなかに感動するものだ。

なかなか不人気だったこの2番も、近頃はCDや演奏会にも登場するようになった。
先頃のウィーンフィルの来日公演でもムーティが取り上げたので、お聴きになった方も多いのではなかろうか。
私は古い演奏ばかりを聴いているから、最近のCDはまったく未聴。
シャイーやミスターS、ヤング、デイヴィスなど気になるが、きりがない。
私の刷り込みは、スウィトナーとN響のライブ放送とジュリーニ、シュタイン、そして今日のヴァントとケルン放送響の演奏である。
 ハンブルクに赴く前の81年の録音で、神々しさよりは、自然に任せた伸びやかな演奏で、ケルンの西部ドイツ風な明るい色合いが、ハンブルクのそれとは違って、味わいが深い。若杉氏やベルティーニが振っていた頃の、この機能的なオーケストラは、ヴァントとともに活気と若さに満ちたブルックナーを演奏した。
この頃のヴァントも良かった。
ハルモニアムンディの廉価版でレコード発売されたおりに、全曲を揃えて1枚1枚楽しんで聴いたものだ。

過去記事
 「ジュリーニ&ウィーン響」

4 永代橋から体を反転させると、清州橋が見える。
東京の川に架かる橋は、どれも美しい。

 

Photo しまった

ブルックナーに蕎麦のシリーズだった。
思い出したように貼り付けたのは、銀座の老舗「吉田」のおろしそば。

山盛りのおろしがすごい。
ここは銀座だけど、安くてうれしい。
芸能人もよく来る。
私は、至近で吉本多香美さまを拝見しました。
ウルトラマンの娘さんですな

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コメント

 今晩は。
 ブルックナーの第2番は、名盤と言われるジュリーニ盤で聴いてもいまひとつ良く分からなかったので私には分からない曲なのだと諦めかけていました。それが今話題のカラヤンエディション38枚に収録されている演奏で初めて楽しんで聴くことが出来ました。こんなにいい曲だったのかと思いました。カラヤン&ベルリンフィルの豊麗で磨きぬかれた響きに言葉を失いました。2番と6番が苦手だったのですが、カラヤンのおかげで好きになれそうです。カラヤンのブルックナーは人によって好みがわかれそうですが、私は好きです。

投稿: 越後のオックス | 2009年4月 5日 (日) 00時49分

越後のオックスさん、こんばんは。
2番、いい曲でしょ!
私は大好きです。
ですが、カラヤンは未聴なんです。
カラヤンの全集はまったくの未聴。
アンチに走っていたころの全集録音なのでひとつも聴いたことがないんです。
いけませんね。
機会をみて、まずは好きな1・2・6あたりを確認したいです・・・。
ありがとうございました。

投稿: yokochan | 2009年4月 5日 (日) 01時49分

 yokochan様今晩は。
 2番をますます好きになってしまいました。デニス・ラッセル・デイヴィス&リンツ・ブルックナーのCDで聴いたのです。磨きぬかれた豊麗な響きが魅力だが、少し人工的な感じがしないでもないカラヤンとは、全く違うタイプの演奏で、明るい響きでさっぱりとしたフレッシュな感じのする演奏です。上手くいえませんがとてもナチュラルな感じがします。基本的にデイヴィスは1番と同じく速めのテンポで颯爽とやっています。スケルツォだけは何故か遅めのテンポをとっていますが。オケの響きは薄めで重厚長大作曲家と言う既成のブルックナーのイメージにデイヴィスは果敢に挑戦しているようです。全集完成が楽しみになってきました。ちなみに3番も名演だと思います。これほどの名演が六百円を切る安価で購入できるとは本当に驚きです。
 私事ですが、私は高校時代、不登校になる不良文学&クラヲタ少年でした。高一の時、不登校児や非行少年が集団生活をする施設で2ヶ月ほど暮らしていたこともあります。姉で親友のような存在だった例の恩師にも心配をかけっぱなしでした。先日その施設に実に二十年ぶりに行ってまいりました。東京で中学の先生をしていたご夫婦が、山奥で旅館を経営する傍ら、もう一つの事業としてやっている施設で、二十数年で五百人以上の悩める若者が巣立っていった実績のある施設です。当時の私以上の重症の若者たちが社会復帰のために頑張っているのを目の当たりにして持病の抑うつ症がしばしの間吹き飛ぶほど元気が出ました。十代のときは不良少年、今は抑うつ症という持病を持つクラヲタおじさんという激動の(?)人生を送っております(笑)
 長文で申し訳ありません。

投稿: 越後のオックス | 2009年8月 4日 (火) 00時49分

越後のオックスさま、こんばんは。
DRデイヴィス(DRD)のブルックナーは気になりつつも未聴です。
個々に集めると、いずれ大廉価全集として放出されてしまいそうで、さんざん懲りてしまいましたし・・・・。
DRD氏は、バイロイトでクプファーのオランダ人のプリミエを指揮した人ですが、最初の1年でWネルソンと交替してしまいました。切れ味いいユニークなオランダ人だったのですが残念でした。作曲家であり、オペラ指揮者でもある彼は、ブーレーズのようになるのではと思ったりもしてます。
ご感想を拝読し、そんな思いがよぎりました。

越後のオックスさまの激動人生をお教えいただきました。
私のこれまでなんて、甘っちょろいものかもしれません。
無為に歳を重ねてしまった思いが最近つくづくとします。
音楽の味わい方も、さまざなな人生経験を経ると、また格別なものになるのではないでしょうか。
激動も大いにプラスかもですよ!


投稿: yokochan | 2009年8月 4日 (火) 23時48分

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