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2009年1月24日 (土)

ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 スラットキン指揮

14 夕日を迎える前の瞬間。

太陽が山に沈む前、日の出と並んで、もっとも輝かしい瞬間かも。

逆光だけど、あえて撮ってみた。
バカチョンデジカメでも、自在に撮れちゃうもんだ。

デジイチ欲しいよう。

でもオペラに行くようがいいか・・・。
悩ましい、両方ガマンすりゃいいんだけどねぇ~ 
富士山も見えます。

Shostakovich_sym5_slatkin ショスタコーヴィチ(1906~1975)の交響曲シリーズ。
本日は一番の有名曲、交響曲第5番である。
ショスタコ入門は、誰しもこの曲。
私も、しっかりこの曲。
もう耳タコ状態の、タコ5であるからして、最近はもう何だかなぁ~っていう気分なのである。
初聴きは、たぶんN響のテレビ番組「コンサートホール」で、岩城宏之かラインハルト・ペータースだったかと思う。それと、オーマンディとフィラデルフィアのCBS盤のエアチェック。
ともかくもう、そのかっこよさに夢中になったもんだ。当然に、終楽章である
でもいまや、その終楽章にシラケテしまうのであるから困ったものだ。
大仰な始まりや、ティンパニ・太鼓の連打するエンディングがそうだ。
 歳とともに、そうした音響が辛くなっているのと、どうも、例の「証言」が意識の根底にあるからなのかもしれない。

1937年の作曲と初演。初演を引っ込めてしまった前作4番と、プラウダキャンペーンによる批判などで、名誉挽回をねらった大交響曲とされ、ベートーヴェンの第5と同じ、最後には歓喜の勝利を勝ち得ると評された。
私が、この曲を聴きはじめたのは70年代前半だから、演奏者はみなそうした下地をもって演奏していたのだろう。晴れがましいエンディングに歓喜したものだもの。
 それが79年の「ヴォルコフの証言」では、喜びを強制された仮面を被った歓喜であるとされたものだから、さあ大変。
私は文庫版になってから苦心のすえに読んだが、その証言もいまや偽物であるという説の方が強いのであるから、その証言を意識した演奏もまたいったいどーなっちゃうんだろ・・・、とかなんとか考えちまうと、この曲がめんどくさくなってしまった訳なのであります。

プラウダ批判以降、自分の声を封じてしまった作曲者なものだから、そして体制そのものが崩壊してしまったものだから、こんな諸説が氾濫してしまうのであろう。
ゆえに、ショスタコーヴィチの曲は、ハイティンクのように音楽をスコアを信じて純粋に演奏したものが、私には一番安心。
ハイティンクが全集を録音しつつあるときに、証言は飛び出したのだが、それに惑わされない頑固な指揮者だったのだな、ベルナルト氏は。

本日は、名匠レナート・スラットキンとセントルイス交響楽団の86年録音のCD。
この演奏も予想通りに、スマートに美しく、そして生き生きとよく書けているスコアを再現している。スラットキンは、旋律の浮かびあがらせ方や、主旋律以外の部分を強調したりで、ともかく聴いていて、面白い解釈を時に施すことがある人だ。
かつてのN響への客演もいずれも名演揃いだったが、CDには最近なかなか恵まれない。
 オーケストラ・ビルダーとしての才能もあり、セントルイス響をシカゴに次ぐ実力とまで言わしめるまでに育てあげた人ながら、ビッグタイトルを意識して避けているとしか思えない経歴、でもデトロイト響の指揮者になるというのは朗報。
しかし、ほんとうは、ロスフィルかニューヨークだろうな。
 この演奏は、実はテンポが遅い。約54分。(私の聴いた最短は、ヤンソンスとレニングラードの来日公演の放送で、40分を切っていた~これ超爆演!)
通常45分前後なのに、かなりテンポを動かして入念なのだが、出てくる音は、スラットキンらしく爽快で、3楽章のラルゴも深刻さよりは、抒情の勝った雰囲気になっていたし、問題の終楽章も、超スローで始まったかと思うと徐々にスピードをあげて、エンディングは普通にまとめあげていて私には嬉しい仕上げであった。
ともかく普通がよろしく、妙にコテコテしていないのがいい。
それでも、終わったあとに、空しさが残るのが、ここ数年の私のタコ5の印象であります。
この曲のファンの方、申し訳ござらぬ。
私には、みょうちくりんな「4番」の方が未開の喜びも満ちていて好きなのでございます。

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コメント

 yokochan様お早うございます。
 スラットキン盤は初出時は、あまり評判が良くなかったのを覚えています。レコード芸術で「飽食と贅沢の時代である現代を象徴するような演奏だ」云々と酷評した評論家もいました。作曲家の西村朗氏のようにロストロストロポーヴィチ&ワシントン・ナショナル響と同じぐらい面白いと褒めていた人もいましたが…私はスラットキン盤を欲しいと思っていたのですが買いもらしてしまい、未だに聴いていないのであまり偉そうなことは言えませんが…そういえば西村氏一押しの演奏もハイティンク盤でした。
 私のような団塊ジュニアかそれより若い世代になるとタコ5初体験はレニーの79年の東京文化会館ライヴと言う人が多いと思います。実は私のタコ初体験もそうでした。実演も含めて色々な演奏を聴きましたが、ショルティ&ウィーンフィル、バルシャイ&ケルン放送響、アシュケナージ新盤が最近は好きです。ショルティにはタコ全集を完成させて欲しかったです。アシュケナージの新盤は旧盤よりも格段に聞かせ上手な演奏になっていますので、アンチ・アシュケの人にこそ聴いていただきたいと思っています。

投稿: 越後のオックス | 2009年1月25日 (日) 10時06分

越後のオックスさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
スラットキンは、デビュー時より日本での評論家受けはあまりよろしくないですね。
ハリウッド系の音楽一家としての出自が、日本のような本場主義を好む方々からは好まれないのでしょうかねぇ。
私は、かねてより好きな指揮者ですし、親父のフェリックスもFEN放送などで大いに聴いたものです。
 このショスタコも知的でありながら大らかで、小難しいことを考えずに楽しめるところが好きです。
4番もなんとか入手したいと思ってます。
バーンスタインは、私の世代では59年のスタジオ録音ですが、79年盤は大学時代、友人がこの演奏会を聴いて興奮してました。
アシュケナージを見直すためには聴きたいところですが、いかんせんこの曲が私には食傷ぎみなものですから、またの機会とさせていただきますね(笑)

投稿: yokochan | 2009年1月25日 (日) 22時53分

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