ブルックナー 交響曲第5番 アイヒホルン指揮
これはですな、奥に蕎麦がちらりと見えますね。
そう、鴨汁そばなのです。
少し食べてしまって、美しくはないけれど、こんなに鴨がたっぷり満載の鴨のつけ汁は、食べたことがないかも。
し、かも、ローストした鴨プラス、鴨のミンチ、いわゆる「つくね」が惜しげもなく入っているんだ。
実は少し前の冬に食べたのだけれど、あまりのおいしさに、ここの再登場させてしまったの。
柏市の名店「竹やぶ」の暖簾分けの店、茨城の守屋の「竹やぶ」。
車でしか行けない鬼怒川のほとりにある超マニアックな場所。
ともかく、おいしいです。(食べ物ブログになってしもうた、かも)
ブルックナー連続シリーズは、交響曲第5番変ロ長調。
自然と宗教を秘めこんだブルックナーの交響曲にあって、この第5番ほど、祈りと教会建築のような大伽藍を感じさせる曲はないのでは。
4番に続きすぐさま1878年に書きあげられた。
他の番号より、改訂癖が作者にもたげなかったこともあり、ややこしい版の問題はあまり存在しない。
原典版といわれるのがハースでありノヴァークであるようだ。
私には、さっぱりわからないし、どっちでもいいと思うくらい。
でも、初演者シャルクによる版はどうもいけない。
シンバルやトライアングルが空々しく空転して聴こえるし、短縮化も味気ない。
クナッパーツブッシュのレコードは、不思議な存在に感じる。
時代もあろうが、パルシファルを深遠なくらいまでに指揮したクナが何故?という気分。
この作品のイメージを総括するような低弦のピチカートの上に、オーボエがうら寂しく歌う。
やがて、コラールのようなファンファーレが響きわたり、いよいよ5番のシンフォニーが本格的に始動する。
このあたりのわくわく感は、なかなかのもので、ブルックナーらしくないとも感じるが、続いて第1主題が低音で出てくるともう教会で聴くオルガンのような雰囲気にのまれてしまうこととなり、その後の第2主題の神秘的なムードや、管による歌うような第3主題が発展していってリズミカルな動きに転じてゆく様なども大いに楽しい。
この第1楽章はこの5番のイメージをひとえに決定づける素晴らしい音楽だと思う。
そして第2楽章の祈りの篤さ!寂しげな管の主題に続き、休止のあと現れる旋律の素晴らしさはいかばかりであろうか。
第3楽章の激しさと、呑気な中間部は常套的すぎて、本当は2楽章との落差と全体の中での対比感がちょっと薄く思うのは私だけ?
終楽章は幻想的な様相が強く、これまでの楽章の集大成的な巨大な存在あり、もう建築物さながら。
どこまで行くのだろうかと思わせるくらに幾層にも重ね合された圧倒的なフーガ。
まさに教会内部で、天井を見上げアーチ形式のように上へ伸びてゆく、その壮麗ぶりに感嘆するのと同じ心境を持つ。
そこに、一条の日の光でも差したらもう完璧なものだ。
私の世代において、クルト・アイヒホルンはオペラ指揮者であり、オルフのエキスパートというイメージが強かったが、その晩年、急速にブルックナー指揮者として大注目となった。
オペラは不明なれど、近現代ものに強かったヴァントがブルックナー指揮者として崇められて亡くなっていったのと似ている。
リンツのオーケストラと晩年にいつくか録音を残したが、その前のバイエルン放送響との90年ライブ録音が今夜の5番。
5番を聴くとき、マタチッチやヴァント、シュタイン(ある方のご厚意で入手)とともに一番取り出すのが、このCD。
なんたって、聖フローリアン教会でのライブで、その教会の高い空間をありありと感じさせる残響の豊かな録音が素晴らしい。
休止の多い5番。しっかり止まって、残響を味わえます。ほんとうに、5番に相応しい。
アイヒホルンのじっくりと構えつつも、情熱も込めた指揮が、その響きと相まってこちらの心にじんわりと届いてくる。
ヴァントのような厳しさのかわりに、南ドイツ風の暖かく、ちょっとユルイところがアイヒホルンのいいところ。
オーケストラの技量も完璧で、いつもながらの機能性プラスの明るさが、ブルックナーにはピタリとくる。
オケは放送管だけれど、アイヒホルンの「ヘンゼルとクレーテル」の心温まる演奏をも思い起こしてしまった。ドイツの森と村の教会の響きがする。
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コメント
過去記事に書き込み失礼いたします。
アイヒホルンの演奏は恥ずかしい話ですが、全く聴いたことが無いのです。得意だったオルフもブルックナーもです。晩年にリンツ・ブルックナー管弦楽団と録音していたブルックナー全集にも興味があったのですが、お金が無くて買えませんでした(笑)。第9番のフィナーレをアイヒホルンの演奏で聴いてみたいですね。再発売されないかな・・・バイエルン放送響を指揮したライブがあったのですね。全く知りませんでした。
私が愛聴しているのはマタチッチ&チェコフィルとインバル&フランクフルト放送響です。インバルは最近5番を東京都響と再録しており、それが名演だと聞いていますが未聴です。カラヤンのブル全は最強のブル全の一つだと思うのですが、5番はあまり関心出来ません。並外れて美しいのですが、実演とは全然違う音になってしまっているような気がします。あくまで再現芸術ということでしょうか。ただ5番いがいの曲はさすがですね。
前から不思議だったのですがどうしてクナは改悪版ばかり使って演奏したのでしょうね?友人でクナ&ウィーンフィルのブル5を持っていて、真っ当な楽譜を使って録音していれば神CDなのに!と嘆いている人がいます(笑)。
投稿: 越後のオックス | 2010年8月12日 (木) 23時43分
越後のオックスさん、こんばんは。
アイヒホルンは、ドイツのカペルマイスターでしたが、案外器用な人だったみたいです。
リンツとの選集は私も未聴ですが、タワーより少し安くなって再発されてますよ。
5番は、文中以外では、アバド盤を書き忘れてました。
スマートで気持ちいい演奏です。
クナの5番もレコード時代聴いてましたが、確かにあのシャルク版はどうもいけません。
いまほど、ブルックナーの版の研究が進んでいない頃でしたし、おおらかな時代でしたからね。残念です。
投稿: yokochan | 2010年8月13日 (金) 00時16分
ブルックナーの5番について、アイヒホルン/バイエルン放送響の演奏が一番しっくりくる。私にとってはベストの演奏。絶妙な間の取り方もさることながら、豪壮さと繊細さが綾をなしてなんとも心地よい。フィナーレのテンポを落としながら堂々と締めくくる部分は、他のいかなる指揮者の演奏よりも「そうあるべき」と思わせるもの。アイヒホルンは放送局に録音が多く残されているようなので、ぜひ、発掘してリリースして欲しい。
投稿: Ristenpart | 2010年10月 1日 (金) 12時59分
Ristenpartさん、こんばんは。
ブルックナーの5番は、このアイヒホルン盤を推す声が私のまわりでも多いです。
ご指摘のとおり、>そうあるべき<というブルックナーの姿を感じますね。
バイエルン放送管の方との共演も長かったですから、放送局からの音源復刻がシリーズ化して欲しいものです。
ワーグナーやオペラの伴奏なども復活して欲しいと熱望します。
ありがとうございました。
投稿: yokochan | 2010年10月 1日 (金) 23時03分