バッハ 「ヨハネ受難曲」 シュナイト指揮コーロ・ヌオーヴォ演奏会
バッハの「ヨハネ受難曲」を聴く。
74年創立、故佐藤浩太郎氏が初代指揮者で、バッハを中心に宗教音楽を中心に歌いつんできた「コーロ・ヌオーヴォ」の公演である。
そして、何たって、先頃まで神奈川フィルの音楽監督を務めたおなじみのシュナイト師のバッハの宗教曲が聞けるとあって、発売早々チケットを手配した演奏会。
本来なら、ロ短調ミサもシュナイト・バッハ合唱団で演るはずだったけど、こちらは、9月に延期になってしまった。残暑厳しい日本に翁は帰ってきてくれるだろうか?
今回来日では、あと神奈川フィルでのシューマン。
そのあとはドイツに引きこもる予定とか。
シュナイト師が聴ける貴重な機会、慈しむような思いでいどんだ。
福音史家:畑 儀文 イエス:成瀬 当正
ソプラノ :佐竹 由美 アルト:小川 明子
テノール :鏡 貴之 バス(ピラト):山田 大智
ハンス=マリティン・シュナイト指揮 アンサンブルofトウキョウ
合唱:コーロ・ヌオーヴォ
合唱指揮:石川 星太郎
合唱指導:金子 みゆき
オルガン:身崎 真理子
(5.9 @文京シビックホール)
季節もよくなり具合のよさそうなシュナイト師、元気な足取りで登場。
受難を予兆させ、たゆたうような足取りで始まる冒頭の素晴らしい合唱が始まる。
そしてこれが、異常なまでの遅いテンポだった。
シュナイト・テンポには慣れてはいるつもりだったが、最近バッハの音楽は古楽による軽やかな演奏を聴くことが多かっただけに、いきなりガツンとやられてしまったのだ。
だがそこに重々しさや悲壮感が伴わず、明るい音色で、よく歌おうとするがゆえの必然としてこうしたテンポになったという納得感があるところが毎度のシュナイト節。
永遠に続くかと思われた第1曲が終わると、福音史家・エヴァンゲリストによるレシタティーフが歌われ、イエスの捕縛から物語が始まる。
こちらの畑さんの福音史家がまったくもって素晴らしい。
関西中心に活動されているものの、その名を知らなかったことが恥ずかしい。
オランダの名エヴァンゲリスト、ファン・エグモントに学んでいるとあって、その柔らかな声に沈着な中にもみなぎる同情を込めた歌いぶりには本当に感動した。
ペテロの否認の場面の慟哭にも似た語りには胸を突かれるものがあって私は涙が滲んできてしまった。
それと、シュナイト師の薫陶を受けたとあるオルガンの身崎さん。イエスのレシタティーフの場面に光輪をあらわすように伴われるが、その音色の緩やかで優しいこと。
全曲にわたって、通奏低音としての要的な役割を示していたように思える。
もちろん、チェンバロ、チェロ、コンバス、ファゴット皆さん達者で、独唱や合唱がこれで引き立つ。
「ヨハネ」は「マタイ」と違って合唱が活躍する受難曲で、よって静のマタイ、動のヨハネなどと思っているが、その劇性の高さを、コーロ・ヌオーヴォの精度の高い見事な合唱は充分に歌いこんでいた。
シュナイト師がそのひとつひとつに、心を込めて指揮をするものだから、普段は単調に聞こえるコラールの数々もそれぞれに血が通い、みな違って聴こえる。
それと、群衆としての合唱。集団の恐ろしさ残酷さが合唱によって引き立つ。
第1部は、福音史家と柔らかなバスのイエスの成瀬さん以外、独唱の皆さんやや声が届かなかったように思えたが、第2部では皆さん完璧。
ヴィオラ・ダ・モーレを伴ったテノールのアリアは、鏡さんの日本人離れしたリリカルな美声で堪能し、合唱との掛け合いを伴ったバスのアリアを山田さんのマイルドな歌声で楽しんだ。
そして、大泣きしました・・・・。
イエスがこと切れる場面。「なし遂げられた」とイエスが語り、そのあと沈痛なアルトのアリア。ヴィオラ・ダ・ガンバとリュートの楚々とした伴奏で小川さんが心の限りに歌う。
この歌が、私の心の琴線にしっかりと触れ、涙が溢れた。その涙は口に達し、おっ、久々に涙はしょっぱい・・なんぞと思ったりもしたものだ。
あと、「融けて流れよ、私の心よ・・・」のソプラノのアリアにも逝きました。
はかなげでリリカルな佐竹さんの声が染み透るようで、またもや涙が滲んだ・・・・。
最後の優しくも慰めに満ちた合唱。
「ルーエ・・・、ゆっくりお休みください・・・」シュナイト師は、この大団円の合唱曲を段々と音を弱くしていって静かに閉じると、次の最後のコラールを静かで丁寧な出だしでつなげた。
この神を称える最終コラール、2分に満たないものだが、徐々にクレッシェンドしていって最後には輝かしいまでの高みに達し、感動的に終結した。
これぞ、シュナイト・マジック。
手持ちのCDをいくつか確認したが、これほどまでに合唱曲とコラールの二つをつないで、カーブを描くような高まりを築いている演奏はなかった。
演奏終了後、観客ともども全員動きを止めてシュナイト師の祈ったかのような腕が下がるのを待つのが、シュナイト教の信者の務め(??)ではあるが、今宵は後方や2階席より、音が終結するとすぐさま拍手が起きてしまい止めようもなかった。
しかし、それでも動かず、やがて独唱者たちに一人一人眼で挨拶するシュナイト師の動かない背中に、拍手はパラパラと止んで、静かになった。
ようやく、指揮者が動き、ここで私や周りの方々は暖かな拍手に興じた次第。
不思議な光景ではあったが、演奏があまりに素晴らしかったので、そんなことは気にならない。
祈りの音楽をつねに訴求する師、シュナイト師の音楽の真髄を、こうした宗教作品に見た思い。指揮棒をもたず、日頃に似ず細かい指揮ぶりで、指先の動きも表情豊か。
78年にアルヒーフにこのヨハネを録音している。
レーゲンスブルクの聖歌隊とオケはコレギウム聖エメラムという古楽オケであるが、これはCDにはなっていない。同時期にクリスマスオラトリオも録音しているので、これらは是非とも復活してほしいものだ。
ピリオド奏法に背を向けた今や懐かしいバッハであったが、新しい演奏がそぎ落としてしまった大事な何かを今宵はしっかりと受け止めることが出来た。
その何かとは、歌であります。
神奈川フィルでいつもご一緒のスリーパーさんが、図らずも斜め前の席に。
ほぼ同じ思いで、休憩後・終演後語らいました。
来週が終わると、帰独して、活動はほとんどないとのこと。
健康(?)のためにも、来日して叱咤して欲しいもの・・・と笑い合いました。
一昨日の、ショスタコの激烈な音楽とあまりに違う音楽。
聖と俗、でもどちらも人間の本質のドラマだ。
救いのまったくなかった「ムツェンスクのマクベス夫人」、「ヨハネ受難曲」によって救済され心が浄化された思いがする。水と油の極端に異なる音楽だが、私に耳にはどちらも共存しているところが、これらの音楽の強さと素晴らしさか。
次週は、大作「パルシファル」に、横浜でシューマン。
5月の演奏会ラッシュが終わると、懐にやさしく、しばらく大人しくしております。
「ヨハネ受難曲」の過去記事
「ヘレヴェッヘ指揮シャペル・ロワイヤル」
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コメント
本当に素晴しい演奏でしたね。
これぞ、シュナイトマジック!って感じで。
最後のコラールはこれ以上ないくらいに上質な演奏で、
まさに荘重というにふさわしいと思いました。
普段、宗教曲や合唱曲はあまり聴かないのですが、
あの演奏は別格。
日本であれだけのヨハネは今後聴けるかどうか・・・。
貴重な経験だったと思います。
次回は、いよいよの「音楽堂シリーズ」ですね。
今回の演奏を聴くと、期待しちゃいますね。
投稿: スリーパー | 2009年5月11日 (月) 00時23分
スリーパーさん、先日はどうもでした。
またしても、マジックひと振りの名演。
そんなシュナイトさんと、あと1回でお別れになるかもしれないのは切ないですねぇ。
合唱の活躍具合からしたら、シュナイト翁にはマタイよりはヨハネなのかもしれませんね。
まさに、こんなヨハネは今後巡り合えないかもしれません・・・。
投稿: yokochan | 2009年5月11日 (月) 22時53分