J・シュトラウス 「美しく青きドナウ」 クライバー指揮
実際にあった携帯電話のお話を。
私は出歩くことが多いし、仕事先の方々もそう。
だから、携帯同士のやり取りが普通の毎日。
①ある時、そうした取引先のオジサンから電話がかかってきた。
「はい、Yです。」と出ると、先方は「いま、電車の中ですからあとでお掛けします。」と答えました・・・・・。
はぁあ~?
②仕事仲間に急ぎの電話をした。ほどなく出た彼は、「今、飛行機の中なので後で掛けなおします。」と答えました・・・・。 はぁあ~?あんたねぇ~!
③飛行機に乗っていたときの話。
前に座ったお婆さん。到着後まだ移動中に、いきなり携帯が派手に鳴りだした。
普通のけたたましい着信音で。
婆さんは、「はい、もしもし」と普通に出ちゃう。あんれまぁー。
周りもびっくり、ステュワーデスさんも駆け寄り大騒ぎに。
「おやめ下さい」と言うも、婆さんは、「だって、あたしが掛けたんじゃないよ。掛かってきちゃったんだよう。」と押し問答。無理やりきったら、また掛かってきちゃった。
婆さん、「はい、もしもし」・・・、「やめてください」、「いや、掛かってきちゃたんだもの」の繰り返し。そうこうするうちに、ゲートに到着し、押し問答を気にしつつ乗客は飛行機をあとにしましたとさ。あのあと、お婆さん、どうしたかしら。
ひょんなことからスタートした、ワルツ・シリーズ。
トリは、ワルツといえば、そう、J・シュトラウス。
それもニューイヤーの定番、いや、ウィンナ・ワルツの定番、「美しく青きドナウ」。
もう何も言いません。
1866年にシュトラウスは、合唱曲として作曲したこの作品。当時、パッとせず、オーケストラ編曲をしてパリの万博で披露したら、爆発的にヒットしてしまった。
1866年といえば、日本では幕末で、薩長同盟の年。西洋の音楽界では、ワーグナーはリング執筆中、ブラームスは第1交響曲を10年後に控えていたし、チャイコフスキーは素敵な「冬の日の幻想」を書いていた。
マーラーさんは、グスタフ君6歳です。
そんな年に、シュトラウスは41歳。
作品番号が314だから、一族もろともで作曲家だったことを差し引いても、すごい作品数であります。
カルロス・クライバーは、1989年と1992年の2回、ニューイヤー・コンサートの指揮台に立っている。
毎年、NHK様のおかげでウィーンのゴージャスなコンサートをすぐさま視聴できる。
私も数十年、酒を飲みつつ、へろんへろんで楽しませてもらっているが、マゼール、カラヤン、アバド、メータ、クライバーあたりまでは本心から楽しんだもんだが、最近はすっかり観なくなった。毎年録画してライブラリーの肥しとなるばかりで、観ていないんだ。
例外はヤンソンスだけど、実はアーンンクールも小沢もムーティも、そして評判のプレートルも今年のバレンボイムも観てない。
いつの日か、毎日、年ごとのニューイヤーを楽しんでみたい。
そんな晴れ晴れとした日々が来るかどうかわからない厳しい世の中を生き抜けたとしての話であります・・・・。
話はそれたが、手持ちの数種類の「青きドナウ」を聴き比べてみて、まずボスコフスキーなどの定番とアバド、カルロスでは演奏時間に1分以上の差がある。
これは繰り返しを励行したアバドやカルロスとの違いは明らか。
しかし、繰り返しを差っ引いても、カルロスの表情付けの豊かさは格別で、主部のワルツの表情豊かな出だしには、思わず体を預けてしまいそうになる。
テンポをあげると、すぐさまリズムが反応し、その弾みはいいようがないほどで、指揮するカルロスの棒の動き、体の動きが目に見えるよう。
3年を経たふたつの「青きドナウ」が聴けるが、最初の年の方が旋律への思い入れが相当にあって、緩急がとても豊か。
次の回では、テンポの揺らしはあまりなくなり、そのかわりスケール感が増し、大局から細部を見ているような掴みの大きな演奏になっている。
どちらも、10分数秒の演奏時間で、これだけ異なる演奏なのだから、カルロスのライブの面白さがうかがえるというものだ。
私はといえば、最初の年のほうが好きかも。
それと、同じく2度登場のアバド。こちらはほぼ同じように演奏してるが、オケに任せきっていながらも歌いまくりの開放感がとても好きだ。
以上、ワルツ終わり。
| 固定リンク
コメント
通りすがりものもと書き置いたほうがよろしいのかもしれませんが
すみません しばしば 拝読させていただいております。
三年ほど前に片方の耳が突然聞こえなくなった時に
クラッシックを聴くのをやめました。
しかしながら出向先に向かう車の中などで
それらがかかったりすると いきなり正座して聴かねばならない心境になったりします=師匠の教え(うそ)
まったくなにもしらないときに カルロス・クライバーをアバドとともに教えてくれた方がおりまして うだうだと交響曲なんざきいたこともねえわ と ほざくわたくしに んじゃ とりあえず これを きけ と渡してくれたのが チョン・キョン・ファの「コン・アモーレ」でございました。
いらい そういえば 亡き最愛の父は
自分より5歳年上の兄がわけあって 親戚筋に身を預けたときに慰めるべく まだ宅急便などないときに割れないようにと配慮して 小さい33回転両面のボロディンの韃靼人の踊りを送ったのだったわ レコードを入れてある紙袋にあかえんぺつで自分の気持ちを書いて
イーゴリ公は どうたら こうたらとか。。
ちなみに兄はまったく覚えてないそうだが
指揮者は忘れたけれど たしか ウィーン交響楽団だったきもして
まあ 長くなりましたが 言いたいことはひとつだった
こちらを読むとそのころの私に会える、、のかな?
ありがとう という ことです
耳は聞こえることはありませんが
まあ 片方あるからいっかということで いつか また楽しくクラッシックを聴けたらなあと思います。
もちろん 正座で=師匠の教え←だから、、
投稿: gavo-22 | 2009年6月12日 (金) 06時22分
こんにちは。
「青きドナウ」というと思い出すのが「2001年宇宙の旅」です。月へ向かう旅の途中だったか?宇宙ステーションの映像に重なったこの音楽。映画の内容はさっぱり分からずに「青きドナウ」の調べに良い気持ちになってしまい舟をこいていたあの時を思い出します。
投稿: 天ぬき | 2009年6月12日 (金) 13時59分
gavo-22さま、はじめまして。
そしてコメントありがとうございます。
耳が片方聴こえないとのこと。わたしなんぞ、頭は悪く酒に脳が侵食される一方ではありますが、耳だけは元気で、お話を拝見すると、誠に申し訳なく存じます。
私も父がすでに亡く、父の運んできたレコードで開眼したのが英国音楽だったりで、それらのレコードはいまだに大切な品々となってます。
ダッタン人の踊りのウィーン響は、ホルライザーというウィーンの指揮者の1枚だと思います。
今は廃盤ですが、ホルライザーはワーグナーを得意にした名指揮者です。
わたしなど、思い入れや思い出の1枚を探すことじたいにも喜びを感じてしまう今日この頃です。
是非またクラシックを聴いて下さい。正座でなくとも(笑)
投稿: yokochan | 2009年6月12日 (金) 22時42分
天ぬきさん、こんばんは。
「2001年・・」、私はテレビで観たくちですが、あの映画は不可思議でしたね。
人類の先達とも思える連中が宙に黒い塊を放りなげ、宇宙ステーションに画面が変わるのでしたっけ?
その時の音楽がコレでしたっけ?
うるおぼえですが・・・。
いまだにわからない映画ですが、ツァラトゥストラ等、音楽はよかったです。
投稿: yokochan | 2009年6月12日 (金) 22時51分
航空法(?)違反で、50万円以下の罰金になっても文句は言えませんね。そのおばあさん。
投稿: 亭主 | 2009年6月13日 (土) 10時11分
亭主さま、こんばんは。
罰金だなんて言ったら、あのお婆さんはさらに大騒ぎしそうです。そんな元気モリモリ婆さんでしたね(笑)
携帯はときに恐ろしいものであります。
投稿: yokochan | 2009年6月13日 (土) 22時33分
こんばんは
私もクライバーのニューイヤーは最初の年の方が好きです。
洗練されていて、美しく心が躍ります。
投稿: おぺきち | 2009年6月14日 (日) 00時47分
おぺきちさん、こんばんは。
やはり最初の年ですか!
>美しく心が躍ります<
まさにそう、心が躍る、カルロスならではの弾むような素敵な青きドナウですね。
投稿: yokochan | 2009年6月14日 (日) 01時25分