ヴォーン・ウィリアムズ 「海の交響曲」 ハイティンク指揮
外洋に漕ぎ出さんとする船。
といっても、こちらは連絡船みたいだからそんな大きな航海ではないけれど、横浜の大桟橋を出てベイブリッジを背景にしたその姿はとてもサマになる。
人間は、海を脅威としつつも、その先には未知の世界や希望があると、ずっと信じてきた。
今の世の中のように、通信手段も進化し、世界のどこにでもアクセスができるようになっても、海はやはり神秘と憧れの源だ!
夢も希望も薄くなった現代こそ、海に思いを託して、そう音楽好きなら、海を歌った音楽に身を任せるのもいい。 その名も「海の交響曲」。
ラルフ・ヴォーン・ウィリアムズ(RVW)の交響曲第1番である。
RVWも過去の先達と同じように9曲の交響曲を残した。
でも宿命的な9という数字に抑え込まれた9曲でなくて、長生きしたRVWが普通に交響曲を9曲書きました的な結果としての番号である。
9つの作品は、驚くほど多様で、多彩。
今泣いたと思ったら、もう怒ったり、泣いたりで、番号ごとに様相があまりに異なる。
自然の賛歌あり、田園あり、戦争あり、モダニズムあり・・・・。
でもその根底には英国作曲ならではの、抒情と民謡に根ざしたカントリータッチの懐かしい雰囲気が必ず聞こえる。
その配分がRVWの魅力であり、交響曲以外の分野では、そうした特徴が全開になった作品が多くて、それらがまたたまらない魅力となっているのだ。
1910年の完成。その完成には7年を費やした。初の交響曲に力が入ったのであろうし、その間も有名な作品をたくさん書いているから、ほんとにじっくりと腰を据えて作曲したのであろう。
ホイットマンの「草の葉」を元にした、壮大でありながら望郷と憧れに満ちた合唱交響曲。
オラトリオのようでもあるけれど、4つの楽章にはっきり分かれている。
「すべての海、すべての船によせる歌」
「ただ一人夜の浜辺に立って」
「スケルツォ 波」
「冒険者たち」
この曲の印象は、幣ブログのプレヴィン盤の記事をご参照ください。
いまもまったく同じ気持ちで聴いております。
外洋に旅立つ壮大な1楽章、深遠な深みを見せる第2楽章、スケルツォの3楽章は、今回よく聴いたらツェムリンスキーを思わせるような大胆な和声を聴かせるカ所があった。
そして長大な終楽章。この感動的な音楽をなんと表現したらいいのだろうか。
寄せては引く波のように、静かに始まりつつも、途中輝かしい盛り上がりを見せ、眩しいくらいの瞬間を迎えるが、最後には静かに、静かに船が遠くへ去って行くかのように、音楽は余韻を残しつつ消えてゆく。
いつも涙なしでは聞けない素晴らしい音楽。目を閉じれば、夕日の沈む海と外洋に浮かぶ船が見える・・・・・。
その詩は、とても印象深いので、あらためてここに再渇。
「アジアの園からくだり、アダムとイヴが、その多くの子孫達が現れる。さまよい、慕い、絶えず模索し、疑問を抱き、挫折し、混沌として、興奮し、いつも不幸な心を持ち、”どうして満たされない心は、おお偽りの人生はどこに?”」
「行け、おお魂よ、ただちに錨をあげよ!・・・・向こう見ずな、おお魂よ、私はお前と、お前は私と一緒に探検する。・・・われわれは水夫もまだ行こうとしなかったところにむかい、船も、われわれ自身も、すべてを賭ける。・・・おおわが勇敢な魂よ!おお遠く船を進めよ!」
S:フェリシティ・ロット Br:ジョナサン・サマーズ
ベルナルト・ハイティンク指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
ロンドン・フィルハーモニック合唱団
(89.3@アビーロードスタジオ)
RVWにも全集を作り上げてしまったハイティンク。
ドイツ系の音楽ばかりでなく、アムステルダムとロンドンの二都に基盤を置いて長く活躍しただけに、英国ものもとても得意にした。
弦主体に重厚な低音を築き、そこにふくよかな響きを乗せてゆくハイティンクの音楽が、このRVWのピタリとくる。
ロンドンフィルのいくぶんくすんだ音色も、ハイティンクと一体化している。
二人のノーブルな歌手に、ロンドンでも一番かもしれないロンドンフィル合唱団。
ヴォーン・ウィリアムズの交響曲シリーズは、ハイティンクの素晴らしい1番で始まった。
じっくりいきます。
夏は、海と山。明日は山いきます。
「海の交響曲」過去記事
「プレヴィン&ロンドン交響楽団」
「大友直人&東京交響楽団 演奏会」
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