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2010年2月28日 (日)

シュレーカー 「烙印を押された人々」 デ・ワールト指揮

7

東京フォーラム。
青いツリーが、ちょこっと見えちゃうところが、昨年画像でばればれだけれども、この位置から見た光景が好きだ。
こんなに長いランドイルミネーションは、そう近未来チックな感じもして。
人通りも多いから、誰も入らないように、じっくりとチャンスを窺うオッサンでありました。

一時、退廃音楽という言葉が流行ってデッカからもシリーズが出たりした。

1930年になってナチス政権が、主としてユダヤ人芸術家に対して貼ったレッテルで、その音楽に対してこれを禁じたものである。
メンデルスゾーンやマーラーも含まれ、そのためカラヤンが長く取り上げなかったことは、いろいろ取り沙汰されもしたのだ。
過去の作曲家はまだしも、当時活躍していた音楽家はまったくもって気の毒で、スイスやアメリカへ逃れた作曲家もいることはご承知のとおり。
なかには、倒れ、病んでしまい、亡くなってしまった人もいる。
フランツ・シュレーカー(1873~1934)がその人。
キリスト教徒のユダヤ人を両親に、父が優秀で宮廷写真家の称号を得ていて、生まれたときはモナコにいた。
ツェムリンスキーの師フックスに学び、ウィーンとドイツワイマールて活躍し、9つのオペラ、オーケストラ曲、声楽作品などを残すも、いまやちょっとマイナーな存在になってしまった。
ナチスに目をつけられる1920年代後半までは、その作品がさかんに上演された人気作曲家であった。
シュレーカーが見直されるようになったのは、79年にギーレンが取り上げたときから。
さらにアルブレヒトがさかんに演奏そして録音し、アバド時代のウィーンでも世紀末特集で取り上げられ、リバイバルなったシュレーカー。
日本では、いうまでもなく若杉さんが、そのあとは大野さんが、何度か演奏していたので、これがさすがと思わせる。

でも、また沈みこんでしまった感があるのが宿命的でもあり、寂しいものだ。 
その音楽は、表現主義的で、ワーグナーに流れを発する濃厚な後期ロマン派風。
シュトラウス、マーラー、ツェムリンスキー、初期新ウィーン楽派などと相通じるもので、この手の系統が異常に好きなわたくしのウルトラヒットゾーンなわけであります

Schreker_die_gezeichneten

オペラの中での一番の代表作が、「烙印を押された
人々」。
最初は、ツェムリンスキーから自作のオペラの台本にと、醜い男の悲劇のような具体的リクエストをもって作成の以来があった。
だがやがて、シュレーカーは、オスカー・ワイルドの戯曲などを参考に、台本を作成するうちに自分でオペラにしてみようと思うようになり、ツェムリンスキーに断りを入れてこのオペラの音楽も作るようになった。
ツェムリンスキーも魅力ある素材を捨て切れず、似たようなモティーフでもって音楽を作ったのが面白い。
1915年に完成し、18年にフランクフルトで上演されセンセーションを巻き起こしたオペラであります。

この作品の音源は、本日のワールト、アルブレヒト、ツァグロセク、ナガノ(DVD)の4種があるが、ナガノ以外はいずれも廃盤。
今回は、英語訳を必死に見ながらの鑑賞はこの1カ月。
未知作品を手のうちに入れる作戦の常として、何度も繰り返し聴くという意味で音楽に親しむこと半年。
この作品も、すっかりなじんで夢にまで出てくるようになり、こうしてようやく記事にできました。手間暇かけてものにしたオペラは愛着あるんです。
RVW「毒入りキッス」、コルンゴルト「カトリーン」に続き、最近では3作目。
素晴らしい音楽に痺れるような快感を覚えてしまう。
これって危険なことだろうか(笑)

以下は、このオペラのあらすじを音楽も含めて書いてしまいますが、毎度ながら長くなりますので、嫌な方はスルーしてくださいまし。

ところは、ルネサンス期、イタリアのジェノヴァ。

第1幕 貴族アルヴィアーノ・サルヴァーノの館

 「しかめっ面、せむしの私に、どうしてこれほどの感情、欲望があるんだろう・・・」と一人悩むアルヴィアーノ。
そのまわりでは、仲間の貴族たちが、面白おかしく、おれたちは街の娘や夫人たちをつまらない恋人や、技巧に不慣れな夫たちから解放してやってると言っている。
 アルヴィアーノは、かつて金で娼婦を買ったとき、その時の自分への嫌悪感を思っていて、いまでも嫌な思い出と次元の違うことを話す・・・。
そこへ、公証人到着の知らせに、貴族連中は、何事かと色めき立つので、アルヴィアーノは、「楽園島」~それは人工噴水、庭園、芸術のステージ、自然の配合からなるパラダイス~をジェノヴァ市へ寄贈することにしたと語る。
 貴族たちは、「え? おいおい、わかってるんだろうな、それは裏切りだぜーー」「事が露見したらどうすんだ!」、とせっかくの私財をなげうった施設を惜しむとともに、必死に食い止めようとして、なんとか手を打たなくてはならないと語り合う。
そこへ、貴族タマーレが遅れてやってきて、美しい女性を見て惚れてしまったとひとり大騒ぎする。

市長と娘、元老院議員がやってくる。
市長はアルヴィアーノに、娘があなたにお願いがある、まったく奔放で困ったヤツだ、そりゃそうと今回の寄贈は素晴らしいと長口舌。
その話の中で、最近女性がさらわれ行方不明となっている事態も語られる。
島の譲渡を受けるには、アドルノ公爵の了解も必要、こちらは自分が責任もって対処しますと市長は請け負う。

タマーレが見染めたのは、実はその市長の娘、カルロッタ。
彼は、そこで、これ幸いと言い寄るが、彼女は、私の好きなのは酬いを求めて苦しみ、犠牲となる男性、あんたが死んだらそうなるかもね」、と厳しくも不可解な態度。
ますます彼女に夢中になるエロいイタリア男、タマーレであった。

貴族の雇った刺客ピエトロとアルヴィアーノの家政婦マルトゥッチはいい仲で、スパイとなることが予見される。
彼は冒頭に出てきた悪い貴族メナルドと間違えられ、ある女性に追いかけられていると語る・・・・

 アルヴィアーノとカルロッタが二人になり、彼女は、いろいろ絵を描いているけれど、一番描きたいのは「魂」と歌う。この場面の彼女の危ういほどの情熱の歌は素晴らしい。
だから、あなたを描きたい、と語るが、アルヴィアーノは自分が醜いというコンプレックスがあるものだから、ばかにされていると思いこみ、なら道化に描いて欲しいと嘲笑する。
カルロッタは、ある朝、あなたが私のアトリエの前を通り過ぎそこに朝日が昇るのを見た。その時の巨大な姿を私は絵にしたけれど、顔がないの、太陽に向かって進むアルヴィアーノを描きたいと熱烈に語り、ついにアルヴィアーノも絵のモデルになることを同意する。。。

第2幕 アドルノ公爵家の広間


 アドルノ侯爵の館から市長と元老議員が怒りながら出てくる。
島の譲渡に関して貴族仲間への配慮もあり、慎重な姿勢を崩さなかったことへの憤りである。
 そのアドルノに貴族タマーレがやってきて、またもやある女性への熱愛を語り、友人ゆえに公爵は協力を約束。
でも相手が市民の市長の娘とわかると貴族の立場ゆえの自戒を伝える。
それでも、あの女をものにしたいと語るので、アドルノは引いてしまう。
どうせわかりゃしないし、昨晩も一人、こっちに知らないうちに娘がかどわかされたのだと。
え??、おまえ、まさか一連の事件に」、とアドルノ。
そうとなりゃ、仕方あるめぇ、じつはあの島の地下洞窟に愛の宴の巣窟があるんですよ。アルヴィアーノが、解放してしまったらすべてがバレちまうのですわ。だから、市への譲渡を阻止していただきてぃんですよ~。
 アルヴィアーノ7は関与してるのかとの問いに、ヤツは加わってません。今や後悔してるかもしれませんぜ。アドルノは怒り、おまえは愛を覚えたから悪い奴らとは違うと思うし、一度は助けるといってしまったのだ、でも暴力はイカンぞ」、と不愉快ながらクギを刺す。

カルロッタのアトリエ
 アルヴィアーノがモデルとなっている。
彼女は、「かつて心臓を病んだ友人がいて、彼女は風景や人物も描くが、人の手を描き、あるとき干からびた枯れ枝のような死んだ手を描いた。その手は死に怯え飢えていたようだったし、赤い筋のようなものも見えたのだ」、と語る。
アルヴィアーノに、「視線をのがれてはいけない、こっちを見て、自信をもって」と言い、情熱的な音楽(前奏曲に同じ)になる。
「そうそう、その調子」。
でも、すっかり思いが高ぶり、彼女に詰め寄ろうとするアルヴィアーノ。
それを制し、絵の仕上げにふらふらになりながらのカルロッタ。
彼女は危ない雰囲気で倒れそう。
やがて出来上がり、倒れこむカルロッタが傍らの画架に手をすがると、その布のあいだから、やせ細った手が見える。
すべてを察知したアルヴィアーノ
ぎこちない抱擁。かわいそうな優しい人を大事に守る決意を歌う・・・・。

第3幕 楽園島にて

市民たちが解放された楽園島にやってくる。
そこでは、怪しいしいニンフやパンたちのマイムが行われていて、市民たちも、これじゃなんだかななぁ、の意見。
行方不明となった女性に関し、ご主人に危害が及ぶかもしれないと警告しようと家政婦が出てくるが、悪漢ピエトロに捕えられてしまう。
奴はいまや、完全にアドルノの手下なのだ。
 むしょうに、いなくなってしまったカルロッタを心配するアルヴィアーノが市長とともに出てくる。
市長は、今宵アドルノのある告発があるのを知っていて警告するが、アルヴィアーノは娘さんは最高の女性、自分の罪は自覚していると語り、市長は混乱する。

そのあとそこには、アドルノとカルロッタ。
絵が出来上がってから、自分の中で何かがしぼんでしまった、アルヴィアーノはもう私にすべて最高のものを与え、これ以上は期待できないとぶちまける。
同情というヴェールが包んでいたのに、それを破り捨ててしまうと、かつてアルヴィアーノが自嘲して語った「花々の中にある醜い毒虫・・・」という言葉を思い出すのよ。。と語る。
それを聴き、アドルノは、アルヴィアーノはもう情欲の僕となっている劣等肝と語るが、彼女はがぜん、それを否定し、アルヴィアーノの高貴さと気品を称え怒りすべてを否定する。
揺れ動く女心は難しいのだ。
でも夏の蒸し暑さに火照り、灼熱に浮かれたようになってしまう・・・。

狂おしく花嫁のカルロッタを探しまくるアルヴィアーノ。

祭りの催しに熱狂する市民、そこで夢遊するカルロッタを見つけだした、マスクをかぶったタマーレ。
彼は狂おしく迫り、あらがうカルロッタだが、しかし負けてしまい抱かれてしまう。

民衆は、この島譲渡の善行に、アルヴィアーノ万歳、あんたは祝祭の王だ、とはやし立てる。
でもかれは、自分はそんな立派なものではないと言いつつ、それどころでなく、カルロッタが不明となり、「彼女を探し出せば私財をすべてやる」と混乱の極み。市長やその女中連中も必死に探している。

そこへ8人の屈強の覆面男が、司法警察の隊長とともに登場。
アドルノの起訴をもとにやってきたのだ。


アドルノは民衆に向かい、「おまえらはたぶらかされている。この男はお前らの嫁や娘をさらい、たらしこんだヤツだ」と告発する。
 しかし、民衆は逆に、いまある快楽をねたんで奪う盗人と逆ぎれし証拠を示せとさわぐ。
そこで出ました、刺客が悪漢貴族のために誘拐した女性が、アルヴィアーノ邸にいたの証言で、スパイの仕業が見事に。
これで、はめられたとわかったアルヴィアーノ。

民衆をともない地下室へと降りてゆくアルヴィアーノ。
そこには乱痴気騒ぎが中断され茫然自失の女たちと、すでに捕えられた貴族たち。
その中には、タマーレもいるし、倒れたカルロッタもいる。

アルヴィアーノは、彼に、彼女がおまえを愛したということであれば、最初から自分は何も所有しなかったということで、元のみじめな日々に戻るだけ」、と語る。
タマーレは不敵にも、「これは宿命、おまえは自分が一時強者だと思ったろ、でも違うんだ、喜びにしり込みしたのさ、なぜ、彼女を奪わなかったのだ?」と強く攻める。

アルヴィアーノは、「自分は人生の深淵を見てきた人間だからだ。

対するタマーレ、そんなことぁ知らねぇ。強烈な抱擁のうちに至福の死を彼女は求めてきたんだ。彼女は自由になり、死を与えられたのだ。

アルヴィアーノは、「きさま、彼女の心臓の病、そのことを知ってやがったのか、このくそやろう!!」

タマーノは、まるでばかにしたかのように、道化のヴァイオリン弾きの女を奪うために、そのヴァイオリンでたたき殺したと歌う。
ついにアルヴィアーノは、タマーノを刺殺し、その断末魔の叫びに正気に戻ったカルロッタ。
彼女に、「大丈夫、自分ならここに」、というものの、「近寄らないで、妖怪、失せて、あの赤い糸が・・・」、「いとしい人よとタマーラに・・・・。

ここで茫然とするアルヴィアーノ。
私はヴァイオリンが欲しい、それと赤く鮮やかな、隅に鈴の付いた帽子も。
どこへ行った? あれ、ここに死体が・・・」
皆さん死体がありますよ・・・・

怖れ、道を開ける人々の間をぬって舞台奥へ消えゆく、正気を失ったアルヴィアーノ・・・・・


静寂から、やがて虚無的なまでのフォルテに盛り上がって後ろ髪引かれるようにして音楽は終わる。

                        幕

ここで重要なターニングポイントは、死の手はカルロッタが描いたもので、彼女こそが心臓の持病を病み、熱愛が出来ないと思い込んでいた。
アルヴィアーノは、それを瞬時に理解し、同情し愛した。
そして、女はみんなこうしたもの。さらなる愛を求め、カルロッタはタマーラに気を許してしまい、熱愛のすえ倒れてしまう・・・。そんな彼女の体を知っていたタマーラを許せなかったアルヴィアーノだったのだ!!!!

このややこしいドラマを理解し、解析するのに2カ月かかった。

烙印とはなにか、誰がそれを押されているのか?
聴くからに、その被烙印者は混濁の度合いを強めたが、こんな具合か。
まず、主要人物の3人。

アルヴィアーノ)自分が醜男であり、コンプレックスのかたまり。
表面上の美や形式を求め、人工島パラダイスを企画。
 でもそれも彼を癒すことはなく、結局、一人の女性を愛することで解決することに。
 それが不幸を招く。

カルロッタ)その弱い体ゆえに、愛に求めるものが消極的に。
 奔放さの裏がえし。その気持ちを絵画の中にもとめ、醜いアルヴィアーノもその中で
 昇華されてしまい、純粋な彼との間で悲劇を生むこととなる。

タマーノ)単純極まりない快楽男。
 でも、女性に対してはやたらと鼻がきき、カルロッタの弱みをも完全に掌握。

 スカルピア的、かつ勝者のバリトン、ほかにいたっけ?

民衆)子供たくさん、ひごろ不平不満ばかり、金もなし、喜びもなしの衆が、アルヴィアーノによって無償の楽園を与えられた。最初はその官能にとまどいつつも、それを偽政者に奪われるのではと思いだすと猛然と反発。どこにもある勝手な衆。

貴族)ここでは悪逆。誘拐・監禁とやりたい放題。しかも、友を売ってしまい、お縄にもなる。

アドルノ)自分の立場に最後まで固執。本オペラ一番の悪党かも。


     シュレーカー 歌劇「烙印を押された人々」 

 アドルノ:チャールズ・ファン・ターセル 
 タマーレ:ジークムント・コーウェン
 市長:ヴォート・ウースターカンプ    
 カルロッタ:マリリン・シュミーゲ

 アルヴィアーノ:ウィリアム・コックラン その他多数

 エド・デ・ワールト指揮 オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団/合唱団
        (1990.2~3@アムステルダム・コンセルトヘボウ)


ここで、熱狂的なアルヴィアーノを歌うのは、コックラン
クレンペラーの未完ワルキューレのジークムントであり、英国ヘルデンで、ちょっと病的なまでの夢中な歌唱が魅力的。
シュミーゲの無垢だが、ゼンタを思わせる一途感もいいし、ほかの地味歌手もやたらと熱いのです、このCDは!!。
彼らを司る、デ・ワールトの指揮は普通に素晴らしい。
先鋭さはまったくなく、時代の位置づけとしての後期ロマン派作品を丹念に扱っている。

このところずっと聴いてるこのオペラ。
その前奏曲だけでも、日に何十回も聴いてるんだ。
私こそ、退廃の烙印をレッテルされた人間かもしれない。

 

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コメント

う~ん、難しい

シュレーカー(というか「退廃音楽」)に興味はあるんですが、これは難しい!(繰り返し)


でも興味はわいてきました。
確か隣の市の図書館にツァグローセク盤が架蔵してあったよなぁ…
なんてことを思い出しました。

次の休みにでも借りに行っちゃいそうです(^^;

投稿: ライト | 2010年2月28日 (日) 11時48分

ライトさん、こんにちは。
シュレーカーの音楽はそんなに難しくないです。
私は、まったくの虜になってしまいました。

ただ、筋立てがややこしく、それを理解するまで数カ月かかりました。
また国内盤がないのも困りましたが、図書館にあれば是非借りてみてください。
オークションでは高値が出てますね。
私は次はDVDに挑戦です。

退廃の世界へどうぞ(笑)

投稿: yokochan | 2010年2月28日 (日) 15時45分

出ましたね、烙印を押された人々!
以前図書館で借りて凄い音楽だなと思い、いずれ是非CDを入手したいと思っておりました。
CDが廃盤続きというは残念です。もっと注目されてしかるべき作曲家だと思うのですが…。

投稿: golf130 | 2010年2月28日 (日) 16時16分

golfさん、こんばんは。
出しました、準備すること半年、じっくりと聴き込み、モノにしました。
いまや、すっかり魅せられてしまい、大好きなオペラの仲間入りです。
シュレーカーは、ツェムリンスキーと並んで、シェーンベルクへと通じる作曲家です。
もう少し長生きしていれば、アメリカに亡命してどのようになったか。
戦争ゆえに埋もれてしまった作曲家です。
同じような境遇の作曲家を掘り起こすのも楽しいものです。

投稿: yokochan | 2010年2月28日 (日) 22時14分

お晩です。このディスク、持ってます。ザグロセクが出ましたが、持ってないんだなぁ。もっとも、ワールトで十分と思っているので、特に必要とは思わなかったのだけれど。DVDは当然持ってます。DVDだと理解が早いですし。シェーンベルクの義父と並んでもっと聴かれる(観られる)べき作曲家ですよね。ただ、この人の音楽、どこかマイアベーアのような立場なんではないかと思ったりするんです。名前のみ知られていて、オーケストラ(マイアベーアのオーケストラの響きの立派さは「リエンツィ」とよく似ています)の扱いはとても上手い、でも旋律が心を捉えない-そんなところが。

投稿: IANIS | 2010年3月 1日 (月) 00時22分

シュレーカーのオペラにはまだ手を出しかねているのですが、CDは一枚だけ持っています。ギーレンとリッケンバッハーが2曲ずつ振り分けたベルリン放響盤。
そのなかの「ドラマへの前奏曲」が「烙印を押された人々」の前奏曲に演奏会用に手を入れたものと解説にありました。「夜曲」は「遙かな響き」の間奏曲に手を入れたものらしい。
その他「室内交響曲」「ヴァルス・ラント」も含めてその作風には、夢の中を漂い彷徨うようなとりとめのない雰囲気とどこかしら官能的な響きに独特の魅力がありますね。わたしは好きな感じなのでたまに取り出して聴きますが、これといったつかみどころがないので人気は出にくいのかもしれません。

投稿: 白夜 | 2010年3月 1日 (月) 19時21分

シュレーカーってそんなにたくさん、オペラ書いてたんですね。
初めて聞く名前でした。(^_^;)
今度の5月にチューリッヒ歌劇場では、シュレーカーの「遥かなる響き」が
上演されますよ。楽しみです。

投稿: 恋するオペラ | 2010年3月 1日 (月) 22時22分

IANISさん、こんばんは。
マイアーベーアですか。
私は、ワーグナーが真似したグランドオペラスタイルでもありつつ、反ワーグナーだしで、聴いてみたけれど、まったく歯が立たず、というかつまらなくて、今後も聴くことのない作曲家となってる人です(笑)
 シュレーカーも、そんな曲がたしかにありそうですが、まだ未開拓なので、烙印を大いに気にいった私としては、本当は期待したい人なんです。
たぶん、オペラ全部聴くつもりです。
バカですね。

当曲のDVDは、是非欲しいところですが、読み替えがある由で、音楽を掌握してからと思っておりました。
シュヴァンネヴィルムスが歌っているので楽しみです!

投稿: yokochan | 2010年3月 1日 (月) 23時37分

白夜さん、こんばんは。
「ドラマへの前奏曲」は、かつて都響で若杉さんが取り上げていました。
当オペラの前奏曲なのですが、これがまた私は気にいってまして、何度も聴いてます。
3人の主人公のライトモティーフが中心となった曲でして、この前奏曲を覚えておくと、オペラ全曲の中に何度もそのフレーズがあらわれます。
とても感動的な使われかたもしてます。
今もまた聴いてます(笑)

私もいくつかの管弦楽作品を持ってますが、正直イマイチ作品もありまして、ご指摘のとおり、つかみどころないんです。
ですが、歌がありドラマがることで、この「烙印」はとても感銘を受けました。
ほかのオペラにも順次チャレンジしていこうと思います。

投稿: yokochan | 2010年3月 1日 (月) 23時46分

恋するオペラさん、こんばんは。
こちらは日付変更間近、そちらはお昼ですね(笑)

シュレーカーにハマってます。
そして、なんですと、「遥かなる響き」が上演されるんですか!
調べたらメッマッハーの指揮のようですね。
いいなぁ、きっと面白い演出だったりするんでしょうね。

シュレーカーの音楽はとても聴きやすく、濃厚ロマンティシズム満載です。
5月のレビュー、いまから楽しみにしております。
ありがとうございました。

投稿: yokochan | 2010年3月 1日 (月) 23時57分

こんにちは。
私ももちろんこの曲はウルトラスーパーストライクゾーンです(とくに前奏曲と第3幕の頭のほう)。でもこのデ・ワールトは持ってないです(ウチのはツァグロセク盤です)。デッカ「頽廃音楽シリーズ」のオペラは初回発売の時に国内盤を結構買い集めました。売ってしまったのもあるのですが、今となっては対訳ってありがたいなあと思います。私もシュレーカーの Irrelohe(狂える炎)の記事書くときは対訳なくてすご~く苦労しましたっけ。アレもロマンティックないいオペラです。廃盤かもしれませんが。

投稿: naoping | 2010年3月 6日 (土) 13時57分

naopingさん、こんにちは。
ウルトラにスーパーが付きましたな(笑)
さすがnaopingさん、魅惑の国内盤をお持ちですか、いいなぁ。ほかにもお持ちのようで・・・・
国内盤はおろか、私もツァグロセク盤が欲しくてたまらないのですがどこにもありません。
タワー行っても、シュレーカーは高いCPO盤だったりで、この手は対訳がないと大変ですね。

 それにしても、魅力あふれる音楽ですねぇ。
私も前奏曲をいまだに毎日聴いてます。
あと1幕と2幕の終わりに、カルロッタの3幕の歌。
次のシュレーカーは、「はるかな響き」か「Flammen」を計画してます~
タワーあたりが、退廃シリーズ、復刻しないですかね。

投稿: yokochan | 2010年3月 7日 (日) 12時23分

今晩は。シュレーカーのCD、一枚だけ持っています。
エドガー・ザイペンブッシュがスロヴァキアフィルを指揮した序曲集です。「烙印を押された人びと」前奏曲も入っています。選曲はいいのですが、演奏と録音はイマイチのような気がします。2003年ごろに買い求めたものですが、ブログ主様が取り上げなかったら未聴で終わっていたかもしれません。聴いていてそこそこ楽しいのだけれどコルンゴルトなどと比べると少しとらえどころのない感じがします。
 余談ですが長い間廃盤になっていたリリング監修のバッハ大全集が廉価再発売されますね。バッハ大全集はブリリアントのものを持っているのですが、リリングのカンタータや管弦楽組曲も好きなのでまた性懲りもなくポチってしまいそうな自分が怖いです(汗)

投稿: 越後のオックス | 2010年8月30日 (月) 22時39分

越後のオックスさん、こんばんは。
ナクソスのもう1枚。
元マルコポーロ盤の、N響でおなじみのウーヴェ・ムントとキューンストラオケのものは、録音も悪くないし、なかなかの選曲ですよ。
「とらえどころがない」というのは、多くの方が抱かれるイメージかもしれません。
何度も繰り返し、そしていろんな曲を聴いてきて、大体のパターンを掴んでしまうと、愛着もうまれはまることとなります。

リリングのバッハ全集ですか。
壮大なものですね。
ヘンスラーのものの分売が、秋葉原の中古店で未開封で1枚格安に売られてましたが、全集となると大変なものですね。
わたしの余生ではとっても無理です(笑)

投稿: yokochan | 2010年8月31日 (火) 00時36分

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