「宮廷の愛」 ディヴィッド・マンロウ
ブルゴーニュワインでございます。
かなり前に贅沢しちまった時の画像。
バルーンのようなグラスに注ぐと、芳香が立ち上る。
ボルドーのように重厚にならず、さわやかさを残しながらも濃厚さをも味わえた。
ワインには、相当に凝った時期がありまして、もうかれこれ20年以上前。
ワインの場合は、食するものが、どうしても洋風、そして赤が好きだったから、肉やソース系になりがち。
お金も底なしにかかるのもさることながら、体のことを考えたら恐ろしくなった。
そこで、ワインから泣く泣く身を引き、日本酒になった。
あれれ?
変わんないじゃん。
だって、今みたいにおいしい焼酎なんかなかったんだもん。
いまや、量は減ったけれど、あらゆるアルコール類(とあれば何でも)をたしなむオヤジになりました。
夢は、娘や息子と居酒屋で盃をくみかわすこと。 です。
いまや、ディヴィッド・マンロウのことをご存じの方は少ないかもしれない。
すでに、亡き人だからである。
1942年にバーンガムで生まれ、1976年、33歳の若さで自殺してしまった。
彼こそは、天才と呼ぶに相応しい才気煥発の古楽演奏家だった。
リコーダー奏者にして、中世ルネサンス音楽の研究家・指揮者。
その発端は音楽学者サーストン・ダートとの出会い。
ダートは、ネヴィル・マリナーの斬新なヴィヴァルディやバッハ演奏の元になった人。
もともとファゴット奏者だったマンロウは、ダートから古楽器を紹介してもらい、その魅力にとりつかれた。
やがて、ホグウッドらとともに、ロンドン古楽コンソートを立ち上げたが、ここからは、現在活躍する古楽演奏者たちが綺羅星のごとく巣立っている。
BBCのメディアにもうまくのって大活躍し、EMI、アルヒーフに数々の名録音を残し、まさに当時の中世ルネサンス音楽ブームの中心的存在だったのだ。
ワーグナーやオペラ、英国音楽をフェイヴァリットとする私が、中世ルネサンス音楽に目覚めたのは、すでにマンロウ亡きあと。
EMIが、彼のすべての録音を@1800円の廉価盤としてシリーズ化してから。
そのレコードすべてを購入し、同時にハルモニア・ムンディの@1500円のシリーズから、PCAの演奏ばかりを集中して購入。
皆川達夫先生の本も読み漁り、ともかく聴きまくった。
そして、かならず、葡萄酒を飲みながら
CD化されても廃盤久しいそのシリーズの未開封盤を某店で発掘して、即聴き。
ルネサンス音楽の栄華とも呼ぶべきブルゴーニュの地。
フィリップ善良公のもと、その宮廷にまつわる音楽、それは世俗音楽であるが、それらを集めたシリーズ第3作。
作者不詳の舞曲を交えながら、デュファイ、バンショワなどの名歌曲が13曲。
楽器は今の耳で聴けばやや現代風であるけれど、ハリと活気にみちあふれていて、まったく見知らぬ、楽譜も確としれぬ曲が、生き生きと鮮やかに蘇る。
こういうのを聴いてしまうと、時代考証がいまとなってはどうのこうの、と言ってもまったく意味がない。
音楽する喜びと、確信をもって当時の現代に広めようとする心意気。
中世の人々の、純朴で素直、清らかな思いが、600年もたった今、真っ直ぐに伝わってくる思いがする。
いまの演奏は、もっと先鋭だし、そしてもっと泥臭いかもしれないが、純粋音楽としてしっかりと演奏されているところが、マンロウの真骨超だった。
「宮廷の愛」とは、当時の貴族の世界でのこと。
市井の人々とは違う、取り澄ました、オブラートに包まれたような愛の社会だったのだろう。でもそこはおんなじ人間。
マンロウの生気あふれる音楽は、そのあたりの機微にあふれた感情の豊かさを味あわせてくれるもの。
マンロウが、まだ存命ならば67歳。
きっと古楽ジャンルの最先端を走り、多ジャンルとのクロスオーバーもこなし、押しも押されぬ存在となっていたことでありましょう。
マンロウの音源は、また折にふれてとりあげてみたい。
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コメント
おお、マンロウ!
LP時代、中世ルネサンス音楽を中心にカリスマ的な存在でしたよね。
33歳の若さで何故自ら命を断ってしまったのかは、今も謎のようですね。
CDの復刻盤を見て、今の古楽演奏とどう違い、どう同じなのか聴き直してみたいと思っておりました。
是非また他の音源もご紹介下さいませ。
投稿: golf130 | 2010年3月 2日 (火) 07時35分
こんばんは。
マンロウの死は、あとから知りましたが、あんなに快活な音楽を作っていたのに、そのギャップが大きすぎると思います。
その表現能力には驚きです!
実はね、いまわたしは仙台にいまして、さっきまで左党さんと飲んでましたよ
投稿: yokochan | 2010年3月 3日 (水) 00時12分