モーツァルト ピアノ協奏曲第15番 ゼルキン&アバド+アジサイ写真集
咲き乱れる紫陽花。
東京は蒸し暑い日々が続くけれど、湿度の加減で体感温度が全然違う。
こうしたことを、ほんとうに身をもって感じるのも的確な天気予報のおかげかも。
でも、異常な気象は地球を覆ってる。
梅雨といえば、5月の陽光より薄ら寒く感じるしっとり感があるんだけれど、このところの梅雨は熱帯性で、降るときは降る、降らなきゃカンカン晴れ・・・・。
鮮やかでしょ!
こちらは、王子駅からすぐの、飛鳥山の麓の「飛鳥の小径」。
JR沿いだから、車中からご覧になる方も多いのではないのでしょうか。
ともかくこの小道に、紫陽花の花が連続で咲き競ってるんです。
それもいろんな種類の紫陽花が。
桜は、お花見で、日本中大賑わいになる人気者だけど、紫陽花は、雨につきものとあって、風情はあるけれど、お花見のようにはいかない。
花じゃなく額だったりで、なんだか詳細を知ってしまうと地味な存在なんだけど、このパステルなカラーリングが実は季節をしっかり演出してて、日本の四季の景色にはなくてはならない存在なんですね。
咲いてる時は、濃いめの緑の葉もあわせて、生き生きと瑞々しくとてもキレイなんだけど、枯れるときは実に憐れで、焦げたような褪せたような感じで、しょんぼりと生気を失ってゆく。
そう思うと、とても愛らしく、梅雨という時期をひさぐ悲しい存在に感じられたりもしますね。
アバド特集。
紫陽花が中心になりました。
今日は、さわやかにモーツァルトのピアノ協奏曲第15番変ロ長調K450を。
ピアノ協奏曲を生涯万遍なく書いたモーツアルトの中期の傑作が15番。
いや、12、13,14、16、17、あっ、27番まで、いやいや、8番あたりからずっと、ピアノ協奏曲は素敵で音楽的にすぎる作品ばかり!
この15番も、のびやかで愉悦に満ちていて、思わずニコニコとしてしまう愛らしい作品なんだ。
変ロ長調というと、最後の27番の夕映えのような名作と同じ調性だけれども、この15番も聴きようによっては空を茜色に染めるような、暮れゆく詠嘆とともに、明日は晴れるという明るい気持ちを抱かさせる快活なムードにもあふれている曲。
聴いていて、そんな気持ちになるんです。
ステキなモーツァルト。
特に第2楽章はたまらなく愛らしい・・・・。
人生の夕映えを迎えたルドルフ・ゼルキンが、DGと契約し、味わい深い録音の数々をその生涯の最後に残した80年代。
70歳代にして始めたモーツァルトのピアノ協奏曲全集の録音のパートナーに選ばれたのは、クライディオ・アバドとロンドン交響楽団。
技巧の衰えを補ってあまりある味わいの深さ。
それは色がなく、淡々としつつも、ピアノから出てくる純粋な音だけしか感じさせない。
それ以外はなにもない、蒸留水のようでいて、その水は時に甘かったり、軟水だったり硬水だったりと、変幻自在だったりするのだかれど、ぶれない強さが音の芯にあるものだから想いのほか強い音楽になっている。
そんな自在なゼルキンのバックを、無垢なるアバドとやたらにニュートラルなロンドン響が務めているわけで、アバディアンとしては、歴史に残るモーツァルトに心躍るのみであります。
いまや、アバドがゼルキンの境地にあり、奏者は若者。
酸いも辛いも味わったアバドは、あらゆる奏者を包み込む大らかなるオーラを発揮するのであります。
ガクアジサイ。
こんな風にJRが真横を走ってる紫陽花の小路でございました。
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コメント
ゼルキン!よいですねー。その昔、義父殿のアドルフブッシュ卿とのデュオでブイブイいわせておりましたが、ソロもよい^^オヤジ心をくすぐるピアニストです。ご紹介のモーツァルトの8,10,12,13,15のピアノ協奏曲は縁がありまして、何回かオケで伴奏したこともあります。いやいや、あんまりCD化されていないけど、いずれも名曲ぞろいです。さまよえる様!目の付け所がシャープです(古い!)あじさいの季節ですね。私の街にもそこかしこで咲き誇っています^^
投稿: モナコ命 | 2010年6月25日 (金) 22時28分
モナコ命さま、こんばんは。
紫陽花、いまが旬、きれいです!
親父ゼルキン、よいですよね~。
あの風貌と音楽がぴったりのピアニスト。
息子もあんな風になる予感です。
初期~中期の協奏曲、伴奏されたんですか!
なかなか演奏機会もない曲たちですが、20番以降に劣らず、愛らしく捨てがたい魅力がありますね。
シャープとお褒めいただき恐縮ですが、このところ老眼来てまして、ますますフラット化しておりまして、日々目をこらして生活しております(笑)
投稿: yokochan | 2010年6月25日 (金) 23時32分