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2010年11月 1日 (月)

ツェムリンスキー 抒情交響曲 クレー指揮

Nihonbashi2

夕暮れ、お江戸日本橋。

今日から、来年4月の建造100年を前に、橋の大規模洗浄作業が始まったとのこと。
1ヶ月もかかるんだそうな。

橋の上をすっぽりふさぐ首都高速。
歴史的な場所の上を、こんな風にしてしまう国ってないでしょうな。
今の日本なら絶対にやらないことだけど、高度成長期にあっては、こんなのはありだったんだろう。
河も浄化されたし、暗くなると光が河に映って、こんな具合にキレイなんです。
きっと、洗浄水は河にそのまま流れてしまうから、洗浄技術や洗浄液はきっと自然由来の高度なものなのでしょう。
ドイツ企業が行うみたいですよ!

Zemlinsky_lyrisch_sym_klee

ベルンハルト・クレーのシリーズ。
クレーのドイツ音楽。
そして、わたしがもっとも好きなクレーの音盤のひとつが、ツェムリンスキー「抒情交響曲」

        S:エリザベス・ゼーデルシュトレム
        Br:デイル・デュージング

     ベルンハルト・クレー指揮 ベルリン放送交響楽団

この素晴らしい作品を清潔なる紳士クレーが録音を残してくれたことは感謝に堪えませぬ。
そして、大好きなこの作品、このブログでもこれで3度目の登場となります。
曲のことは、過去記事をご参照くださいませ。

 「シャイー&コンセルトヘボウ」
 「エッシェンバッハ&パリ管」

この表現主義的で、悩ましいくらいの官能と甘味な瞬きに満ちた連作歌曲シンフォニーがこんなに人気曲になるなんて思いもよらなかった。
この曲、しいてはツェムリンスキーがブレイクしたのは、いうまでもなく、DGへのマゼールとベルリンフィル、FD・ヴァラディ夫妻のレコーディングで、1981年のこと。
ベルリンでの定期演奏会に併せての録音。
あのカンディンスキーの絵のジャケットとともに、私には、この曲の刷り込みレコードとして、酒を飲みつつ、擦り切れるくらいに聴き、楽しんだ1枚として忘れえないものなのだ。
同じころに、マゼール・BPOのラフマニノフ3番も聴きまくったのだ。
ブルー系のクールでひんやりするようなマゼールのツェムリンスキーは、いまでも大好きな演奏です。
ただし、ヴァラディはふるいつきたくなるけれど、F・ディースカウがうまいけれども、テカテカしすぎで、独特の陰りが欲しいところでありました。

でも、同じ頃に、同じベルリンで、ベルンハルト・クレーがこの曲を録音しているんです。
今は亡き、独コッホ・シュヴァンのレーベルは、当時かなり珍しいレパートリーばかりを取り上げていて、これもその一環で当CDには記載はないものの、81年の録音と推測される。
あと、この後ぐらいに、G・フェッロも録音していて、このあたりが「抒情交響曲」のパイオニア的な録音でありましょう。
マゼールだけが注目されてしまった。メジャーの強みとしかいいようがない。

で、このクレー盤は、マゼール盤や、その後多々あらわれた演奏に決してひけをとらない、きちんとした折り目正しい名演奏なのです。
伝統に根ざしたそうした様相も持ちつつ、歌ものを得意とする指揮者ならではの歌手を中心に据え、ときには控えめに、時には音を抑えつつ繊細に。
しかし、全7曲を一本筋の通ったまとまりのよさで聴かせてしまうところが素晴らしいのだ。
ここがどうの、あそこはどうの、という微細なこだわりはなくて、劇性にあふれた連続する7つの歌による交響曲としての作品を強く感じさせる。
 強い個性の歌手たちを起用していないことも成功の要因。
バリトンに比重ある曲だが、デュージングの素直で、クセのない歌声は私にはとても好ましく感じ、クレーの音楽性にもとても合っているように思われる。
デュージングは、ベームのドン・ジョヴァンニに出ているくらいしか記憶にないが、このツェムリンスキーの歌唱は、まったく素晴らしく、美声バリトンを堪能できるし、歌詞の内容への歌の乗せ方が濃厚すぎない気持ちの入れ込み方で、とても好ましい。
「Ich bin friedlos」とか、「Du bist」とか、決め台詞のような出だしからして、まさに見事に決まっていて、一緒に歌いたくなってしまうナイスな歌唱。
 そして、世紀末歌手と勝手に思っているゼーデルシュテレムのヴィブラートのかからない直線的な歌唱も、ある意味濃密でありながらも、不感症的な醒めた眼差しを感じさせて、私には素晴らしいと思えるのだ。

この曲のバリトンは、ゲルネと、このデュージング。
ソプラノは、シェーファーとヴァラディ、そしてゼーデルシュテレムが最高であります。

マーラーの「大地の歌」と同じようで、まったく違う音楽。
あちらは「生への告別」をうたった厭世的な曲。
こちらは、リアルな死や告別でなく、終末観ただよう濃密な男女の結びつきと神秘主義。
どちらも、いかにも世紀末でございましょう。

「心の休まるときがない 遥かなるものを渇望し 
 我が魂は暗きかなたの縁に触れようとし
 あこがれの中をさまよいまわる・・・・・」


辛い毎日。
わたしには、こうした音楽が一番の慰めであります。
ついでに申さば、ワーグナー、シュトラウス、プッチーニ、世紀末系、英国音楽などがわたしの本当に好きな音楽なんだな、とつくづく思うのでございます。
これらは、ファエヴァリット演奏家とはまた違う次元での音楽の嗜好に関すること・・・・。

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コメント

こんばんは。「抒情交響曲」はシノーポリが唯一の手持ちです。他がないので比較は出来ないが、ウィーン・フィルの流麗な響きが、オーストリア作曲家ということでマッチしているかと思います。
コルンゴルド、新ウィーン派と同じ系統がここへ来て再評価されているようです。マゼールは確か、タワレコ企画で今は出ているのかな。
ツェムリンスキーを録音した中でシノーポリは故人で後は現役指揮者だと思います。

投稿: eyes_1975 | 2010年11月 2日 (火) 20時08分

こんばんは。
大好きな曲ですが、一度も生で聴いたことがありません。シェーファーの声が、最も好みです。このSACDで当方のオーディオの音決めにしています。廃盤になりそうでしたので、もう一枚ゲットしておきました。今週のInvernizzi楽しみです。かみさんもウキウキしているようです。

投稿: Mie | 2010年11月 2日 (火) 21時55分

eyes_1975さん、おはようございます。
シノーポリ盤は、わたしも好きですよ。
ご指摘のとおり、ウィーンフィルが魅力ですね。
この時代の音楽は、ウィーンの響きで聴くのが最高であります!
新ウィーン楽派、はかねてより聴かれてましたが、それ以外の周辺作曲家は、マーラー人気が定着してから、マーラーあっての受容ではなかったかと思います。シノーポリが、いてくれたら、ツェムリンスキーのオペラやシュレーカー、コルンゴルトを取り上げてくれたかもしれず、残念ですね。

投稿: yokochan | 2010年11月 3日 (水) 08時41分

Mieさん、おはようございます。
エッシェンバッハ盤は音もいいし、歌手もいいしで、最高の1枚ですね。
もう1枚、と言われるのがよくわかります。
わたしのボロ装置でもよく鳴りますが、SACDで聴くなんて夢のようです!
この曲、実演では、唯一、飯守先生で聴いたことがあります。
毎度、ご夫婦でのお出かけ、羨ましく存じます。
我が家は、亭主がオペラやコンサート通いをしてることなんか知らないのですから(笑)

投稿: yokochan | 2010年11月 3日 (水) 08時49分

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