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2011年3月17日 (木)

ドヴォルザーク 「スターバト・マーテル」 クーベリック指揮

Chidorigahuchi1

先々週の皇居のお堀。
半蔵門あたりからの写真です。
都会のど真ん中にあって、静謐な光景。
いったい誰が、いまのこの惨状を予想できたでしょうか。
いや、こんなことを言っては怒られてしまうけれど、日本が陥ったマイナス状況に、もしかしたら周期的に予想されるもっともヤバイ地震が来てしまったら、さらに拍車がかかる。
と、ここ数カ月私は仲間にも言い続けてきました。

それが現実となってしまった。

選んでしまった政治に、あれこれもう文句をつけても始まらない。

いよいよ、画像左手におられます、天皇陛下のメッセージも下り、国中あげての問題であることが、ますます鮮明になりました。
そのことを議論する余裕もなく、この国のオーナー兼地主(大家)さまのご出動は、この国の危急存亡の時の悲壮感をいやでも増します。
さしもの内閣も、これで褐が入ったのでしょうか。。。と思いたい。

どんな奇抜な策を講じても、世界が注目する原発の問題はクリアして欲しい。
注水が抜本策ならば、それをなす人材を広く求めればいいじゃないか。
人道や人権は、この際議論をあとにして。
ならばおまえが、と言われたら・・・どうしよう。
でも、このスパイラル的な経済停滞にあって、明日の見えない私なぞ、思いきって飛び込んでしまいたい衝動にも駆られるのだ。
こんな明日のない人間や、死刑囚、無謀な若者、右系の方・・・・。
こんなこと書いたら絶対叱られるけれど。

進化したロボット技術は、こんなとき、いったいどうしたのだろう。
だれしも予測しえなかったことだけれど、利益を生まない、そうした発明技術への経済保障も今後、課題となりました。

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千鳥ヶ淵のまだ「つぼみ」もない桜。
その先にある国会議事堂。

ともかく無情なまでの厳しい寒さと降雪。
普段なら積もることも少ない仙台周辺。
自然はどこまでも、東北地方に無情なのだ。
義援活動はクリック継続してますが、銀行メカニズムがパンクしちゃうし、都市機能は電力不足で今宵マヒ寸前だし。
都心は、一時空洞化しそうであります。
気のせいか、どこでも聞かれた隣国2国の言葉が、街でも電車でもまったく聞かれなくなりました。
かつて、与信上、世界の国々に「カントリー・リスク」を付与して国情をトータルに評価していたけれど、いまや政情が均一化しつつあるなか、あらたな「カントリー・リスク」は自然災害を主なるものにしなくてはならないのかもしれない。

そうした意味では、日本はかなりの上位でリスクある国なのかもしれない。

でもがんばる国が日本なのだ!

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ドヴォルザーク(1841~1904)の名作「スターバト・マーテル」。

古今「悲しみの聖母」には、名曲名品が多いが、その中でも長大さにかけてはトップクラス。
そればかりか、旋律の美しさと抒情性においてダントツなのがドヴォルザークのその作品。

ドヴォルザークは、これまでさんざん書いてきた、マーラー時代の作曲家でもあり、そこそこ先輩でありまして、亡くなったころは、5~7番にかけてのマーラー作品時代。
ブラームスとマーラーの中間。
でも、革新的な技法を誇るわけでもなく、その膨大な作品のほとんどが調和のとれた自然と郷土を愛する人間の本質=土着心、といったようなものを常にもった愛すべき音楽ばかりを残した。

この「スターバト・マーテル」は、ドヴォルザーク39歳の壮年期の作品で、90分、10の部分からなる大作。
大きいけれどひるむ必要はまったくなくって、どこかで聴いたことあるような素朴で懐かしい旋律がこれでもかとばかりに溢れだしてくる歌謡性にとんだ名作なのでした。

相次ぐ愛する子供たちの死に、何度か筆を置きつつも5年をかけて、その子供たちを思い、偲びながら書いた「スターバト・マーテル」は、全編に愛が満ちてます。

愛するイエスの死を嘆く聖母マリアに寄せた哀歌は、いまのわたしたち日本人の心境に相和する内容ではないでしょうか。
マスコミが、リアルなまでに被災者にスポットをあて、その涙を放送によって全国に伝えている。

そうして、いままだ行方知れずの被災者同士の情報交換の場になればいいし、なによりも他人事となりがちな他県の人々に、直接的に語りかけるたどたどしい東北の言葉が、いやでも涙を誘い、心を奮い立たせることとなる。

音楽を聴くことを始めた昨日から、個人的に聴くことの意義をどこかに求めてきた。

でも、聴きながら思ったことを、こうしてブログにして、読んでいただいて、ほんの少しでも共感していただければいいのではないかと思い日々のことと音楽のことを書いている。
アクセス状況をみると、東北方面からのアクセスは極端に減ってます。
非被災地同士が、同じような思いを抱いて、被災地の皆さんを応援していきたいと思い、音楽を聴くことにしてます。

いまも、関東は千葉沖で大きな地震がまたありました。

クーベリックとバイエルン放送響の明るい南ドイツサウンドは、ドヴォルザークの本質をとらえています。
マティス、レイノルズ、オフマン、シャーリー=クァークの各国70年代歌手たちの真摯な歌は心打つほどに素晴らしいものです。

個々の場面の素晴らしさは、今日ここでは記すことができません。
なにやら、なにもかもが愛おしくなってくるような、ドヴィオルザークのメロディアスな「嘆きの聖母」なのでした。





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コメント

これはいいですねぇ。ホント、美しいことでもピカイチですね。どこか田舎臭さも漂うあたり、ノスタルジーというか追憶というか、楽しかった、幸せだった過去を感じてこの時期なお切ないです。
九千トンもの水がいるプールにあとどれくらい水があればいいのかよくわかりませんが、数トンの水をたった四回上から振りかけてみたり、ブリュッセルの小便小僧のような放水をしていて、学校のプールに水道のホースで水を入れているようななんだか冗談のような、本気だったら悲しくて泣きたくなるように情けない気がするのですが、大丈夫なんでしょうねぇ。
やっとポンプに電気がいくそうですが、ポンプが壊れていないことを祈ります。
本当にマリア様に祈りたくなります。

投稿: yurikamome122 | 2011年3月18日 (金) 06時07分

yurikamomeさん、こんばんは。
ほんと、このドヴォルザークの作品は素晴らしいです。
あのころはよかった的なムードが溢れてます。
復興なったときにも是非聴きたい音楽です。

しかし、その気持ちにまさに水を差す原発のしょぼい放水。
本日の成果もままならず、本当のことが不明なまま時が過ぎますね。
今時点で、ポンプへの通電は報じられてませんが、その際またなにか起きるのではないかと不安でしょうがありません・・・。
神頼みの域に入ってしまいました。。。。

投稿: yokochan | 2011年3月18日 (金) 20時47分

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