バッハ マタイ受難曲 レオンハルト指揮
葉桜と十字架。
今年のイースターは、暦の関係でちょっと遅めで、24日が復活祭。
そして、今日が聖金曜日。
前夜の木曜に、イエスは12使徒と最後の晩餐を行ったわけだが、最近それは水曜日ではないかとの説が出されたようだ。
当時のユダヤ歴でなく、太陽暦からだけで伝来してきたゆえの齟齬とするもののようだ。
それは、西暦33年4月1日のこと。
イエスの受難は、悲しむべきことで、幾多の音楽がここに寄せられてきたわけだが、その受難の悲しみも、二日後の復活という慶事があるからこそ成り立つ音楽だったであろう。
そもそも、復活を否定してしまったら、キリスト教自体が存在しえないのだから・・・。
こうした宗教の定説に、新説を持ち込むのはタブーだし、すぐに排斥されるのが常で、そうして人々の心の糧として生き残り、存在してきたのが宗教なわけです。
普段は、それぞれが思う神様に手を合わせるわけであるが、今回のような人類史上に並び立つような震災や災害を目の当たりにして、いったいそれぞれの多様な神様は何をして下さっていたのだろうか・・・・。
想像だにできなかった自然の猛威を前に、神様も人間も、なすすべがなかった・・・・のか。
「主は奪い、そして与える。主の御名は誉むべきなり」
ヨブ記にあります。
そして「沈黙」の神は、語らない。
福島では、避難区域が策定され、生まれ育ち、暮らしてきた方々がその場所を失ってしまうこととなった。太古の国を追われた民族を思わざるをえない・・・。
御利益や守り神的な信仰を求める日本人には、なかなか理解しずらいキリスト教社会の神様への思いかもしれない。
バッハの「マタイ受難曲」。
この極めて偉大な作品に対して、わたしは何を語ればいいのでしょうか。
頭を垂れ、ただひたすらに耳を傾けるのみ。
昔より、「無人島に持ってゆく1枚」といえば、多くの方が「マタイ」と答えておりました。
わたしも、そのひとり。
欲張りなわたしは、「マタイ」と対局にある音楽の一種として、「リング」と「トリスタン」と「パルシファル」の帯同も許していただきたい。
ついでに、フィンジとディーリアスのどれか1枚も許して欲しいデス。
同じバッハの「ヨハネ」も大いに心揺さぶる作品なのですが、「マタイ」の静に対して、「ヨハネ」の動。
独唱やソロの登場人物が活躍する「マタイ」に対し、合唱=群衆のドラマテックな存在が際立つ「ヨハネ」。
福音書の性格に応じたバッハの見方だったのかもしれない。
共観福音書のひとつがマタイであり、4つある新約の福音書の中で唯一独自な存在がヨハネ。
そう、ついでに思えば、「ルカ伝」を中心にイエス生誕のくだりに基づいたのが「クリスマス・オラトリオ」で、「マルコ受難曲」もバッハは残しているが、その楽譜は消失。
「ヨハネ受難曲」は、そんなに身がまえなくてもいつも聴けるけれど、「マタイ受難曲」は、姿勢を正して、特別な思いのもとに聴くような類の作品と自分で決め付けちゃってる。
「3時間全編が聴きどころであり、どこかを抜き出して聴くことなんてわたしにはできない。
だからよけいに早々に聴けない。
A)福音史家=エヴァンゲリストによる福音書の朗読
B)福音書の登場人物による福音書の朗読=語り
C)独唱者によるレシタティーボとアリア
D)合唱曲
E)コラール
この5つの組み合わせを基本に、それぞれにまたバリエーションがある。
多くの方と共通するかもしれませんが、わたしの愛する場面を列挙しておきます。
第1部
・冒頭の合唱「Kommt, ihr Tochter, helft mir klagen」(D)
~来たれ娘たちよ、われとも嘆かん~
暗いけれども、荘重・荘厳。これから始まる厳しいドラマの幕開きに相応しい合唱。
・アルトのアリア「Buβ und Reu」(C)
~悔いと悲しみは~
フルートのオブリガートソロをともなったアリア、
人間だれしも罪を重ね、そして悔いるのであります。
・ソプラノのアリア「Bute nur ,du liebes Herz」(C)
~流れよわが血、いとしい御心~
ここでもフルートをともなった淡々とした中にも悲痛な歌。
・ソプラノのアリア「Ich will dir mein Herze Schenken」(C)
~われ、汝に心を捧げん~
最後の晩餐の場面。オーボエダモーレの掛け合いのもとに明るさまでも。
イエス讃歌。
・ペテロの裏切りの預言 (A)(B)(E)
この受難曲の最大のクライマックス「ペテロの否認」の伏線をなす部分。
イエスが鶏が鳴く前に3度わたしを知らないというだろうと・・・・
この場面の前後に「受難コラール」が置かれていて、いやでも感動が増す。
・テノールのアリアと合唱「Ich will bei meinen Jesu wachen」 (C)(D)
~イエスのもとに目覚めていよう~
テノールの甘味なるアリアに、合唱が掛け合う。
・ソプラノとアルト二重唱、合唱「So ist men Jesu nu gefangen」(C)(D)
~かくしてイエスは捕えられたり~
切迫した民衆と、捕縛を客観的なまでに歌う独唱者たちの対比
・合唱「O Mensch ,bewein dein Sunde Groß」(D)
~人よ、汝のおおいなる罪を悲しめ~
涙が出てきてしまう。合唱というよりはコラール。
悲しいくらいに美しく心に響く。
第2部
・アルトのアリアと合唱「Ach nun ist mein Jesu hin」 (C)(D)
~ああ、わがイエスは行っていまわれた~
イエスを失った悲痛な喪失感ななかにも、イエスへの甘味なまでの愛。
・ペテロの否認 (A)(B)
心配で師を追ってきたペテロのもとに女中が寄ってきて、この人も一緒だったと。
群衆も加わり、3度否認してしまう。
そのとき、鶏が泣き、イエスの言葉を思い出し、ペテロは外へでて
激しく泣いた。
淡々とした運びのなかに、追い詰められるペテロと、その後の涙。
エヴァンゲリストのペテロの涙を代弁するような語り。
そして、あのヴァイオリンのソロが始まる・・・・
この人間の悲しみを射抜いたような素晴らしい場面に、幾度涙を流したかわからない。
聖書を読んでも一番ぐっときてしまう。
誰しもが、ペテロと同じなのだから。
・アルトのアリア 「Erbarme dich」 (C)
~憐れみたまえ、わが神よ わたしの苦い涙をお認めください
心も、目も、ともに御前にひざまずき、激しくないております~
なんという歌でありましょうか。
ペテロの涙、それは、われわれ人間存在の涙なのです。
父が死んだときも、この旋律が頭の中に流れました。
そう・・・・、多くを語らずです。
・バスのアリア 「Gebt mir meinen Jesum wieder」 (C)
~わたしのイエスを返してください~
ヴァイオリンの技巧的なソロが華麗なまでに聴こえるけれど、
バスの歌は明るくもありながら渋いもの。
・ピラトの裁判 (A)(B)
ピラトはイエスとかかわりになりたくなかったが、
ユダヤ長老たちが群衆を扇動。
「バラバ!!」「十字架に!!」
という合唱の劇的かつ無慈悲な叫びにぞっとしてしまう。
・ソプラノのアリア 「Aus Liebe will mein Heiland sterben」(C)
~愛により、わが救い主は死のうとされてます~
無垢で透明感ただようソプラノの歌。
木管の背景は、無常感すら漂わせている。
・アルトのアリア 「Konnen Tranen meiner Wangen」(C)
~頬つたう涙が・・~
単調なる弦楽器の繰り返しが妙に忘れられなくなる。
アルトソロには、さほどの苦しみさや悲しみはないが、
悲しみのそこはかとない表出が、歌手の聴かせどころのひとつかも。
・受難コラール
5つあるこの曲の中の有名なコラールは、イエスが辱めを受け、
耐えておられる場面のあとに歌われるものが一番長く、本格的。
これもまた、涙誘う。。。
・バスのアリア 「Komm,sußes Kreuz ,so will ich sagen」(C)
~来たれ、甘き十字架~
ヴィオラダガンバの古雅な調べに乗せてバスが、
イエスと十字架への思いを歌う。
前段の福音史家の語りでは、「十字架」の言葉を装飾的に扱っている。
キリスト者にとっての、十字架は計り知れないほどの重みをもっている。
・イエスの死
福音史家は、いよいよ神妙となり通奏低音にも緊張と神性が満ちてくる。
イエスの言葉「エリ エリ ラマ サバクタニ」
福音史家の訳「Mein Gott , Mein Gott warum hast du mich verlassen」
~わが神よ、何故に我をお見捨てになったのですか・・・~
福音書の不思議のひとつ、ゲッセマネで血の汗を流すほど
恐怖にあったのに、死を覚悟し、神に殉じたのに。
バッハのこの部分の描き方は、あっけないほどだが、
その静けさが深遠さをよびさます。
・受難コラール
イエスの磔刑による死を悼むレクイエムのような曲調。
・バスのアリア 「Mache dich , Mein Herze , rein」 (C)
~わが心よ、おのれを清めよ~
イエスを埋葬したあとの清涼感ただようバスの名アリア。
不思議なほどに、すっきりした心情を歌いこんでいる。
わたしも、歌いたい。
・独唱者と合唱 レシタティーボ
大団円を迎えるかのように、物語を、イエスを回顧し、
人間の戒めとして、イエスへの感謝を淡々と歌う。
・合唱 「Wir setzen uns mit Tranen nieder」
~わたしたちは、涙を流してひざまずき、
お墓のなかのあなたに呼びかけます
お休みください 安らかにと ~
時が時だから、この最後の沈痛かつ慰めに満ちた合唱がこたえる・・・。
Ruhe sanfte~安らかに お休みください
この慰めに満ちた言葉が繰り返される。
これこそ、バッハの人間への優しさであります。
そして、それは、イエスの優しさでもあるんです。
とかく、峻厳な音楽と思われがちだけれど、この受難曲には、
何度も何度も躓いてしまう人間への愛情と、そんな悲しい存在の人間への
優しさが満ちているのではないでしょうか。
福音史家:クリストフ・プレガルディエン
イエス、バス:マックス・フォン・エグモント
アルト:ルネ・ヤーコブス
アルト:デイビット・コルディエール
テノール:マルクス・シェーファー
テノール:ジョン・エルウェス
バス:クラウス・メルテンス
バス:ペーター・リカ
グスタフ・レオンハルト指揮 ラ・プティット・バンド
テルツ少年合唱団
「マタイ」といえば、リヒター。
それが染み付いているけれど、最初からリヒターだったわけじゃありませぬ。
この音楽をよく知るところになったのは、NHKが呼んだリリングとシュトットガルトの演奏がテレビやFMで何度も放送されたとき。
こんなすごい音楽だったんだ、と驚き、聖書も読んだ高校生。
その後に、リヒターにヨッフムだった。
古楽器演奏で初めて聴いたのが、レオンハルトの演奏。
これには、耳が洗われるくらいに感動した。
厳しいリヒターや、穏やかなリリングやヨッフムなどとも全然違う次元にある清らかで、混じりけのないピュアなバッハとでもいいましょうか。
劇的な場面も、さらりと流しつつ、実はとても心がこもっていて、一音たりともおろそかにしてないので、核心に踏み込んでいるように聴こえる。
先鋭でギスギスしたピリオド奏法とは遠いところで、バッハの音楽が息づいているのを感じる。
歌手も真摯なものです。
ことしのイースターは、なにか特別なものに感じ、マタイも大いに心に沁み入りました。
そして、スーちゃんも亡くなってしまった。
安らかに・・・・。
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コメント
こんにちは。
聖金曜日の夜、バッハに限らず何か受難曲を聴こうと思っていたのですが、何か疲れがたまっていて早々に寝入ってしまいました。大震災もあり、日本人にとってはとても特別な受難な聖金曜日だったはずですなんですが。
そうですね。スーちゃんもなくなりましたね。小中学のころからクラシック党のいけすかない子どもだった私、それほどキャンディーズに思い入れがあったわけではないのですが、スーちゃんが亡くなったと聞いてひとつの時代が終わったのかなと呆然としています。
投稿: garjyu | 2011年4月23日 (土) 08時53分
こんばんは。
私もこのところマタイを聴いています。リヒター盤もレオンハルト盤も未聴なんですが、こないだ買ったマウエルスベルガー盤はなかなか滋味深い名演です(現時点でまだ全部聴いてませんが)。若きシュライヤーが凄くいい。このところの日本の苦しい暗い情勢からすると、ホントにバッハの声楽曲は心にしみますね。
昨年のマタイの日本でのライブを聴き逃したのが今さら悔やまれてなりません。生きてるうちにもう一度、全曲ナマで聴きたいな、マタイ。
投稿: naoping | 2011年4月23日 (土) 21時32分
garjyuさん、こんにちは。
聖金曜日に焦点を合わせて、受難曲をいくつか聴いてきましたが、やはりバッハは格別でありました。
キャンディーズは、わたしの世代よりちょっと上のおねいさんでしたから、高校時代は3人のうち、誰が好きとかいうことで、盛り上がってました。
わたしは、スーちゃん派でしたね。
とっても寂しいです。。。
投稿: yokochan | 2011年4月24日 (日) 07時47分
naopingさん、こんにちは。
バッハの音楽は辛いことがあると、ことさらに心に沁み入りますね。
マタイはその頂点にある曲です。
マウエルスベルガーは、発売時NHKFMで放送されたものを録音して聴いてました。
当時の東ドイツの古雅で禁欲的なバッハは、いまの風潮にきっとぴったりなのかもしれませんね。
わたしも聴いてみたいです。
後年の調子乗ったシュライアーより、当時の方が絶対にいいと思いますし。。
わたしも地味で滋味あふれるマタイを、教会あたりで聴いてみたいです!
投稿: yokochan | 2011年4月24日 (日) 08時00分
こんにちは。
バッハは作品番号からすると1%ぐらいしかレパートリーはないのですが、心の整理をしたい時の最後の砦としてフーガの技法を聴きます。
マタイはアーノンクール盤(いろいろ異論はございましょうが)で聴き始めたばかり。
今回の貴ブログが大変役立ちそうです。っていうかプリントアウトして聴かせていただきます。
投稿: Tod | 2011年4月24日 (日) 16時53分
Todさん、こんばんは。
バッハの作品は数限りないですが、その懐の深さも底知れません。
マタイ受難曲はその最もたる存在かもです。
恥ずかしながらの拙文です。全曲をしっかりレヴューしたサイトもたくさんありますから、そちらを本流にしてご覧になってくださいまし。
フーガの技法は、私にとって、いまだ立ちはだかる名峯です。若干の苦手意識が残ってます。
投稿: yokochan | 2011年4月24日 (日) 21時30分
お久しぶりです。マタイ、泣けます。最近私の父が亡くなり聴く機会が増えています。私はさまよえる様がご紹介の「・テノールのアリアと合唱「Ich will bei meinen Jesu wachen」が大好きなんです。愛聴盤はミュンヒンガー指揮のヴィンターリッヒのテナーです。心が洗われます。リヒターのヘフリガーはどうしても好きになれない。でもリヒターの合唱の扱い方というか歌わせ方がすごすぎでどうしても繰り返して聴いてしまいます。
投稿: モナコ命 | 2011年4月27日 (水) 22時18分
モナコ命さん、どうもこんばんは。
マタイ、泣けますよ。
あのテノールのアリア。
ヴンダーリヒとくりゃ、最高ですね。
シュライアーだったら初期の方、そして、わたしは、意外とリリングのA・クラウスが好きだったりします。
リヒター盤は、わたしの永遠の青春~壮年の名盤です。
キャンディーズを聴き、リヒターのマタイでした。
投稿: yokochan | 2011年4月27日 (水) 23時49分