シュレーカー 「ロマンティックな組曲」 ムント指揮
夜の公園。
このところ、天候・気温の変転が激しいのだけれど、暖かい晩にふらふらと、さまよえるワタクシにございました。
あの日以来、感情の機微も大きく揺れるようになってきてて、以前にも増して涙もろくなっていると思う。
と同時に、ふりかかる不合理・不条理の数々に、なすすべなく、その怒りをどこへぶつけていいかわからず、またそれを押し殺しているものだから、その抑圧にそろそろ耐えきれず、変調を来たしかねない時期になりつつあると思う。
夜、快調に眠りにつくのですが、夜中に目が覚めてしまう。
それから、寝ようとしても、うとうと眠りで、時計とにらめっこ。
しまいには、日曜日、余震がきたりして、「キターーッ」とばかりに本格的に目覚めてしまう。
だから、昼から夕方にかけて、無性に眠くなり失態をおかすこともあるんです。
このところ、どうもこんな繰り返しなんです。
私的なことですが、こんな風に書いて曝すことで、気を紛らわそうとしてます。
どうぞ、あしからず、です。
でも、音楽があるから救いですよ
大丈夫です。
フランツ・シュレーカー(1878~1934)のシリーズ。
しばらくぶりに取り上げます。
シュレーカーの人となりは、過去記事をごらんください。
世紀末を完全に挟んで生きた作曲家で、ドイツを中心に作曲・指揮・教育者として順風満帆の時を過ごしたけれど、1920年台以降、ナチス台頭とともに下降線をたどり、ついには退廃音楽のレッテルをいただき要職を解雇され、失意のうちに静かに世を去り、以来、忘れられてしまったシュレーカー。
9作品あるオペラのうち、6作品までは聴いているが、残り1作は入手困難。ほかは、音源なしの状態。
オペラ以外は、小品が多いなか、それらも音源は限られていて、寂しいものだ。
おそらく、今後も期待できないシュレーカー作品のレコーディングだけれど、一番入手しやすい1枚をご紹介。
旧マルコポーロ盤、現ナクソスのこちらは、最後のオペラ的作品になるはずだった「メムノン」への前奏曲と、比較的初期の作品「ロマンティックな組曲」。
エジプト時代に題材を求めた「メムノン」は、晩年の作品で怪しげなムードをもちつつも聴きやすい音楽であるが、わたしなどは、実はもっと何かを求めたい少し中途半端な雰囲気。
オペラ全体があればまた違ったかもしれない。
1902年の「ロマンテッィクな組曲」は、4編からなる1902年の作品。
3つ目の「間奏曲」のみが1900年に先だって書かれたが、いずれもオペラで言うと、初作の歌劇「炎~Flammmen」の前にあたる。
実は、その「炎」は、室内オケを使いシュトラウスの大幅な影響下にあることを感じさせるものだった。
でも、この組曲は、あとの「遥かな響き」の先取りを予感させるし、シェーンベルクやウェーベルンの表現主義的なそれこそ甘味なるロマンティシズムを感じさせる桂品なのだ。
Ⅰ.「牧歌」
Ⅱ.「スケルツォ」
Ⅲ.「インテルメッツォ」
Ⅳ.「舞曲」
27分ぐらいの「ロマンティックな小交響曲」と思ってください。
先に記したような新ウィーン楽派っぽい部分は1楽章。
ウェーベルンの「夏風・・」風で、魅惑的な曲です。
そしてスケルツォは、大先輩シューベルトを思わせる爽快なもの。
最高の聴かせどころは、インテルメッツォ。
北欧音楽のようなメルヘンと自然の調和のような優しい雰囲気に包まれます。
最後の舞曲は、快活で前への推進力ある、シンフォニエッタの終楽章的存在に等しい。
日本でもおなじみ、ウーヴェ・ムントが指揮する低部オーストリア音楽家管弦楽団。
ウィーンは地元指揮者になかなか厳しく、他国での活躍が目立つムントさん。
N響や京響でも親しいけれど、先輩グシュルバウアーと同様に、少年合唱団の出自でもあり、同じく、ウィーン以外の南欧での活躍も目立つ存在。
オケは変な名前だけれど、ウィーン・トーンキューンストラ。
ウィーン周辺の数あるオケの中で、地味な存在だけれど、ムントやのちのルイージなどに鍛えられ、現在、家系指揮者クリスティアン・ヤルヴィが主席で、ますますユニークな存在になっていると思う。
かつてはおなじみワルベルクもここで活躍してました。
そんなコンビのシュレーカー。
オケの柔らかい響きに巧みな遠近感と繊細さを誇るの木管と金管。
強奏の少ない、なだらかな音楽に感じたけれど、どこをとっても、後々のシュレーカーそのひとのドラマ性の存在と、鋭い視線に満ちたシニカルさを感じることができる。
万人向けの作品(某先生みたいだ)ではないけれど、ベルリンフィルあたりの明るくバリっとした響きで聴いてみたい気もします。
今回の演奏が、少しばかりローカルっぽいものですから・・・・。
| 固定リンク
コメント
管理人さん おはようございます。
私も最近は夜半に目がさえ 睡眠リズムがやや狂ってます…今回の大災害のツケは日本だけではなく世界中に大きい影響を残すと思います。
ムント出ましたね。ヴェルディ・レクィエムですが歌手が粒揃いでバランスよくムントも劇的な表現でなかなかな演奏です。
モナコ命様、山王の幻想は当時の吹奏楽界のプログラムに多大な影響を与えました。
私より二つ下の学年で楽友が多数居りました。
投稿: マイスターフォーク | 2011年5月25日 (水) 04時58分
マイスターフォークさん、おはようございます。
今朝も早起きしてしまいました(笑)
ムントにヴェル・レクの録音があるのですね。
知りませんでした。
N響に来ていたころは、印象はさっぱりでしたが、今のムントを聴いてみたいものです。
こちらのシュレーカーはなかなかのものでした。
いつもお世話になっております、モナコ命さまのおっしゃる「山王の幻想」。
秋田の吹奏楽界はスゴイものなのですね。
なんだか、とてもうらやましく存じます。
投稿: yokochan | 2011年5月26日 (木) 05時58分
こちらにも。来月、再来月に、こちらで取り上げられているBBC演奏のCDを買う予定でいます。
さて、メムノンの前奏曲は、1曲でみると長いのですが、シュレーカー作品のなかで、主題労作とポリフォニックな展開をする作品だと思います。人気がシュレーカー作品の中で低い理由は、宝捜し、遥かな響きと言った作品と比べて官能的、耽美ではないことに由来するように思います。
シュレーカー作品は、とりはけ晩年の作品に関して、演奏の伝統が断絶されていることが過小評価の原因だと記憶しています。遥かな響き日本初演時の主催者のHPに書かれていたと記憶しますが、今それを私自身実感しています。
この曲は、ハリウッド映画のように、楽器が鳴り渡りますが、その絶妙なさじ加減が好きです。シュレーカーのオペラ、ヴァルス・レンテの趣きにも似た室内交響曲も好きですが。
投稿: Kasshini | 2013年9月17日 (火) 15時50分
Kasshiniさん、こちらにもありがとうございます。
このCDは、ナクソスということで手頃ですが、それ以上に、シュレーカーファンには大切な1枚です。
メムノンは、それが完成されていたらと思うと、絶筆が残念なのですが、シュレーカーの後期のイマイチ感は、濃厚な世紀末後期ロマン派から、次世代への遅ればせながらの過渡期であったのではと思ったりもします。
しかし、自ら台本もものする劇作の才あるシュレーカーですから、オペラという概念をまた違う方向に導いたかもしれません。
そう思うと、毎度ながら残念なる歴史の渦を感じます。
ありがとうございました。
わたしもBBCフィルの2枚は愛聴やみません。
投稿: yokochan | 2013年9月19日 (木) 00時04分