シューベルト 交響曲第3番 ヒコックス指揮
一見、荒れ果てた藪畑みたいですが、一応英国風の庭園の一角。
英国のガーデニングは、なすがまま、趣くがまま、みたいなところがあって、自然に任せてしまう大らかさがある。
それが、しかし野趣に富みながらも、植物本来の持つ美しさが生かされるところが、英国風なんです。
何もせずとも、ナチュラルなところの美しさがあるんですね。
実は、今日、神奈川フィルの定期会員でありながら、仕事で行き着くことができず聴くことができなかった。
楽しみにしていた、聖響さんのモツレクは、豪華な歌手陣だったし・・・。
いつもの仲間たちのレヴューを楽しみたいとは思いますが、しかし、波乱の一報が・・・・。
今日は、シューベルトの交響曲第3番。
地味な曲だけれど、この曲を、カルロス・クライバーの演奏で好きになったという方も多いのでは。
未完成とのカップリングだったカルロス盤。
しかし、未完成以上に、はじけ飛ぶ俊敏さと意欲に溢れていたカルロスの演奏。
そして、今日は、亡きリチャード・ヒコックス指揮するシティ・オブ・ロンドン・シンフォニアの演奏で。
これがまた実に素晴らしい演奏なのです。
この短めの交響曲に溢れる歌心と、リズム感あふれる躍動感を、ごく自然に、なんらの作為も感じさせずにサラリと引き出し演奏して見せた洒落た桂演。
古典派の延長上にありながら、いかにもシューベルトチックな歌謡性に満ちていて、いつもどこかで聴いていたいような曲であります。
この古典とロマンの端境期の音楽に、いまは、いろんなアプローチが可能です。
リズム感の良さは、いかにもピリオド風にスコンスコンとやりたくなるところですが、ほんのちょっとしたところにもあふれ出ているシューベルトの歌心が置いてきぼりにされてしまうような気がします。
「合唱の神さま」みたいな存在だったヒコックスが描き出すシューベルトは、先にも書いたとおり、気負いのないサラリ感がとってもいいのです。
無味乾燥なところは一切なく、従来奏法によりながら、塵や埃にまみれておらず、実に新鮮なシューベルトを聴かせてくれます・
もちろん、「未完成」もすっきりした名演でございます。
あぁ、ヒコックスの死が悔やまれます。
そして聖響モツレク、結果はともあれ聴いてみたかったです・・・・。
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コメント
お早うございます。マエストロ・ヒコックスがシューベルトの3番を録音していたとは存じませんでした。私も(確か)高校時代にカルロスのグラモフォン盤で3番を好きになったクチです。未完成も強烈でしたね。アバドやアーノンクールの演奏も好きです。
ショルティ&シカゴのツァラは、私が(忘れもしない)中1の時に生まれて買ったR・シュトラウスの楽曲でした。カセットテープでした。当時まだCDプレーヤーを持っていなかったので・・・このテープと中2のときに買った小澤さんとボストンの英雄の生涯(CD)ですっかりR・シュトラウスが好きになりました。
ブログ主様が言われるようにCDが本当に安くなりましたね。バッハのカンタータを全部そろえるなんて(それも複数セット)夢のまた夢だと中学時代は思っていました。確かに嬉しいと同時に一枚一枚丹念に聴いていた時代が懐かしくもなります。
投稿: 越後のオックス | 2011年10月 8日 (土) 08時56分
越後のオックスさん、こんにちは。
ヒコックスのシューベルト交響曲は、ほかにもあるようでして、血眼になって探してます。
おもわぬ名演に驚いてます。
実は、カルロスではちょっとイキが良すぎるため、本来はアバドやサヴァリッシュなどが好きだったりするのですが、ヒコックスの演奏はそれ以上かも、でした。
ショルテイのシュトラウスは、デッカの録音も加わって、オーディオ的にも注目の的でした。
小澤さんのシュトラウスもレコードで集め、その素晴らしい録音に喜んだのですが、いまや1枚のCDの廉価盤ですね。
文句言いつつも、聴き方さえ間違えなければ、いい時代なのかも、です。
投稿: yokochan | 2011年10月 8日 (土) 20時20分