マーラー 交響曲「大地の歌」 バーンスタイン指揮
今日はまず、TBを頂戴した記事と、そちらでご紹介されていた新聞記事を。
「観劇レビュー&旅行記」からいただきました。
神奈川フィルハーモニーが直面している問題と、日刊工業新聞という業界紙での黒岩神奈川県知事の書かれた記事をご案内いただいております。
神奈川フィルのファンとして切実な問題をこれをお読みいただければ、弊ブログで毎度、悲喜こもごも記事にしているこのオケの現実をご理解いただけるものと存じます。
金さん以前から充実していますよ、と一言いいたいところではありますが・・・。
特例公益法人から新制度上の公益法人への移行期間5年間のリミットは、来年11月。
いまさらながら切迫感あります。
日本の文化芸術が、経済の逼迫、企業の競争論理、政治の不在、そして何よりも文化を享受するわたしたちの心のゆとりのなさ・・・・、こんなことから特定の人たちだけのものとみなされるようになり、危機的になってきております。
オーケストラを聴く人なんて、そんな一部に税金をつぎ込んでいいのか?
平気でそんな風に思い発言する方もいらっしゃいます。
あまりに悲しいじゃありませんか。
わたしたちは、幼稚園や小学生の頃、音楽の授業などでクラシックの名曲を学び、斜に構えることなく、純心な気持ちで、それを嬉々として受け止めたのではないでしょうか。
プロのオーケストラのほとんどが、全国津々浦々、学校訪問をして日々多忙な活動をされております。
オケの皆さんは、一音一音に目を輝かせる子供たちの姿を知っているはずです。
子供たちは、お家に帰ったら、お父さんお母さんに、今日聴いたオーケストラのことを興奮してお話するかもしれません。
そのあと、子供たちがクラシックから離れて、ほかのジャンルの音楽に心惹かれていくかもしれませんが、オーケストラに感じた気持ちはきっと、ずっと変わらないかもしれません。
大人が、オーケストラのことを無用だと思ってしまってはお終いであります。
なんとかうまい着地点を見いだせることを切望しております。
自分は自分にできる応援の仕方でサポートしていきたいと思ってます。
先週金曜日の、マーラーが、実はまだ耳に残っていて、ことに「告別」には完全にまいっているんです。
聖響&神奈川フィルのマーラーの総決算が、あの美の極致のような「告別」にあったのだ。
儚くも美しくきらめくマーラーでした。
神奈川フィルなんて・・・、と少しでも思う方に、是非とも耳の穴かっぽじってでも聴いてもらいたかった。
再度取り上げますが、バーンスタインの演奏を。
マーラー 交響曲「大地の歌」
Ms:クリスタ・ルートヴィヒ
T :ルネ・コロ
レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
(1972.5 @テルアヴィブ)
フィッシャー・ディースカウとのバリトン盤に続いて、望まれていた女声版の「大地の歌」は、イスラエルでのライブ。
映像も出てます。
当時高校生のわたくしは、レコード即買い。
SQ4チャンネルという、いまや死語と化した方式による録音で、響きが多く音はキンキンして薄っぺらで困ったものだった。
CD化してかなりよくなったものの、硬い音ではあります。
バーンスタインIPO過去記事は→こちら
しかし、そんな録音状態を飛び越えて、バーンスタインの描き出す濃密なるマーラーの世界は独特のエモーションを醸し出していて、告別に向けてどんどん引き込まれていってしまう。
ヘルデン・テカテカとした輝かしいルネ・コロと、ヴィブラート多めながら、お馴染みのルートヴィヒの情のこもった名唱。
「告別」はもう涙なくしては聴けませぬ。
オケの楽員ひとりひとり、楽器のひとつひとつがルートヴィヒの歌唱と同次元に情に溢れていて、聴くこちらも同じ境遇にすっかりおかれて別れの同一感にさいなまれる。
先般の神奈川フィルの透明感あふれるすっきりマーラーとは、かなり異なる趣向にありますが、こちらも聴くわたしの心かき乱す壮絶なる演奏。
そして、慎重にレコードを取りだし、ターンテーブルに乗せ、慎重にカートリッジの針を落として学校帰りの毎夕、日暮れとともに聴いたこのレコードがともかく懐かしく、遠い昔が蘇ってくる想いがする。
いまや、しょうもなく、八方塞がりの大人になってしまったものだ。
(皇居外苑の八重桜~先週末のこと)
神奈川フィルの演奏もそうだが、アバドとベルリンフィルの繊細かつ静的な美演が典型なように、オッターの透き通った歌唱も含めて、最新のマーラー演奏は、大きく変わったものだと、このレニー盤を聴いて実感している。
がんばれ神奈川フィル。
「神奈川フィルを勝手に応援する会サークル」Facebookやってます~ワタクシ練習中。
http://www.facebook.com/yurikamome122
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