ワーグナー 「さまよえるオランダ人」 バイロイト2012
今年もバイロイト音楽祭が始まりました。
初日は、新演出を迎えることも多く、話題に事欠きません。
レッドカーペットが引かれ、著名人が入場します。
それを楽しみに見守るバイロイト市民。
もう何十年も、こうしているんでしょう。
いつも報道写真のトップはメルケル首相。}
ヨーロッパの顔となったメルケルさん。
そして迎えるホスト側は、ワーグナーの曾孫たち。
異母姉妹ですが、その顔立ちは、完全にリヒャルト大ワーグナーそのもの。
ワーグナー家の血は、どこまで続くのでしょう。
ほかの作曲家にはできなかった、極めて稀なことを大ワーグナーのDNAは残しつつあります。
そして、ワーグナー家以外の演出家を広く迎えることで、劇場の存続をも巧みに図ってきたバイロイト劇場は、ときに頑なまでに強硬な姿勢をとることが今年も実践されました。
開演を直前に控えての、オープニング・タイトルロールの降板は、なにもそこまで的な思いとともに、ワーグナー家の、そしてドイツ人の根本にある思いを歴然と解らしめるものでした。
しかし、当のロシア人歌手ニキティンは、これからもドイツをはじめとする欧州各地のハウスで歌っていくことになりそうです。
音楽本位で考えれば、彼の実力からすれば当たり前なんだけれど、その全身に及ぶタトゥーは、正直肯定できません。
見苦しいのひとことですよ。
その急場を救った代役が、われらが東洋の同胞、サミュエル・ユン。
韓国系の歌手たちの台頭には目を見張るものがあります。
それはともかく、ニキティンを想定して進められたオランダ人の演出は、極めて若いジャン・フィリップ・グローガーという今年31歳の人。
1981年生まれですよ!!
1981年といえば、バイロイトではシェローのリングは終わっていたし、ポネルのトリスタンが始まった頃。
わたしにとっては、昨日のことのように思える年代に生まれた若者が、バイロイトのオープニング演出をする・・・・・って一体??
そんな思いがこの発表からあり、彼の少ない演出経験から、ドイツのハウス各地の「フィガロ」や「アルチーナ」のダイジェストや画像を見るにつれ、きっとまた・・・という嫌な感じを抱くのみでした。
それはヘンテコな読み替えはなさそうだが、時代を現在に変え、シンプルな舞台装置に見えましたが、バイロイトのオランダ人は・・・・。
夢見るゼンタが作った段ボール幽霊船ですよ。
これですよ、このショボそうな演出のモティーフともくされるのは。
バイエルン放送局や他局の速報画像から拝借してます。
左から、舵手、ダーラント、オランダ人。
完全にビジネスマンの諸氏で、オランダ人は海上ブローカーとして、カートにぎっしりコーヒー豆を詰め込んでいるそうです。
オランダ人に必須の海と船がまったく登場しそうにないと推察される舞台。
オランダ人の宿命はいったいどこに見つければいいのか??
ゼンタは、女工たちとともに、ベンチレーター(換気扇のようなもの)の工場の荷造り工程に働いてまして、そこには段ボールが一杯。
乳母マリーや、パートの女性たちも明るく楽しそうです。
マリーは、クリスタ・マイヤーで、彼女はベテランですが、いまや舞台で欠かせない名メゾです。
職工の上着を脱ぎ捨て、ゼンタは真っ赤なドレスで、段ボール船を掲げてます。
みんな、引いちゃってますね。
海を股にかける商人の親父ダーラントが連れてきたオランダ人。
まるで宇宙人みたいに無表情。
頭には変な模様があるし、手には大きな傷跡があって出血が止まらない・・・。
なんなんだ、この血だらけの舞台?
船乗りたちは、三つ揃いのビジネスマンたちで、整然としすぎてます。
しかし、バイロイトの合唱団の威力は、相変わらず、すごいものがありますぜ。
でも、ラスト、ゼンタのワーグナーが思ったところの自己犠牲はどうなったのでしょうか。
その核心部分の画像は、当然ですがどこにも公開されてませんでした。
肖像画は、なさそうで、血染めの段ボールオランダ人を愛おしく思い歌うゼンタ。
アウトロー的でホームレスな存在のオランダ人は、永遠に呪われ、その象徴が治癒することのない傷=出血ということなのでしょうか。
赤いゼンタのドレスもそれを受け止めるというあらわれか?
序曲も最終場面も、しっかり救済の動機が感動的なまでに演奏されてます。
ということは、傷を負ったオランダ人は、ゼンタによって救済され、ふたり昇天したのでしょうか。
毎年、画像を先取りして、あれこれ想像してしまう。これもまた遠いところでも、本場の音源と画像をその日のうちに確認できることの喜び。
その喜びも、こうしてファンタジー不足の、そしてエコロジー効果抜群の無機質な舞台の様子を確認するにつれ、がっかり感とともに、その陳腐さに腹立ちすら覚えるわけだ。
演出家は、これをロマンスと解釈するようですが、とんでもない。
ふたりは、もしくは、死なずに、愛とともに生きながらえるという仰天解釈でもしたのでしょうか?
もしそうだとしても、「海」や「船」をそこに感じさせない舞台には、ワーグナーの初期オペラの持つロマンティシズムは表現できないとわたしは思いますね。
(音楽は、しっかりロマンティック・オペラとしての本質を捉えているのに・・・・)
ワーグナーの意匠を代々継いできた天下のバイロイトでこれかよ。
もちろん舞台を見ずに、数枚の画像のみで判断してはいけませんが、でもですよ、長年ワーグナーとともにあれば、だいたい想定できます。
今後映像やほかの画像が出てきて、またその思いが変わるかもしれません。
ダーラント:フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒ エリック:ミハエル・ケーニヒ
ゼンタ:アドリアーネ・ピエチョンカ マリー:キリスタ・マイヤー
舵手:ベンヤミン・ブルーンス オランダ人:サミュエル・ユン
クリスティアン・ティーレマン指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
バイロイト祝祭合唱団
合唱指揮:エバーハルト・フリードリヒ
演出:ジャン・フィップ・グローガー
(2012.7.15 バイロイト)
ユンは、ねずみの「ローエングリン」で、あまりにも朗々とした式部官を歌った人。
今回、セカンドキャストで、準備万端だったともいいます。
そのなめらかで明るい色調の声は、きっとバイロイトの木質の劇場にピタリとマッチしていたのではないでしょうか。
宿命的な暗いバリトンとしてのオランダ人からは、ちょっと遠いイメージですが、イタリアもので培った素晴らしい声は、オランダ人としてユニークな解釈となったと思います。
それとピエチョンカの繊細で細やかな歌いぶりも素敵なものでした。
周囲から浮いてしまう不思議ぶりは、強靭な声で歌わずとも、こんなふうにしなやかに歌うことによっても表現できるんですね。
素晴らしいゼンタだと思います。
ゼーリヒとケーニヒの安定感ある歌唱も、音で聴くには十分に舞台を引き締めるものですし、わたしのお気に入り、クリスタ・マイヤーもよかった。
こんなかんじで、歌は抜群に評価します。
で、ティーレマンの指揮。
音で聴く分には最高のワーグナー。
ずしりと重く、要所要所で、テンポを落としたり加速したりの、おなじみの指揮は、ワーグナーにおいては、聴く人の熱狂や官能をくすぐる巧みなもの。
あの、画像さえ見なければ、それは実に素晴らしいものなんだけど、舞台が段ボールでエコな感じで軽々しいもんだから、重厚なティーレマンとの整合性がどうも理解不能。
情報不足のまま、記事書いてますので、推測にすぎる部分も多々ございます。
新しきバイロイトは、ますます実験劇場の名前をおとしめながら、いまの風潮を後追いしつつ、ドイツの単なる一劇場の存在と化すようになってきているように思います。
バイロイトならでは、ご本家ならではの新たな潮流はこれからも生まれ得ないのでしょうか。
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コメント
ついに私に待望の夏休みが来ました!1年を通じて今のシーズンが私の休暇なのです。待っていました!
さまよえるオランダ人。LPやCDの情報しかない私にはご紹介の演出はビックリ大会です。ウィーン国立の演出は古典的なものばかりだったので、てっきりご本家バイロイトはもっと保守的で中世的な風景と思っていました。
そういえば「ねずみ」のローエングリンでしたね。。。
バイロイト詣は実現しないまま生涯を終えそうです。悲しいなー。学生のころから「いつかはバイロイト!そして指環全曲鑑賞を!」と思っていたのですが。
予算不足の学芸会といった感じがします。確かにメルケル首相も吝嗇家というイメージが。。(怒られますね)
ワグナーが生前書いていたスケッチのようなステージをバイロイトでやってくれたら仕事を休んででも行きたいのですが。その日はどんどん遠のいているようですね。
投稿: モナコ命 | 2012年7月28日 (土) 16時12分
モナコ命さん、こんにちは。
夏休み、おめでとうございます。
しがないワタシには、盆休みしかございません。
せっせとブログに励むことが楽しみのひとつとなってしまいました。
バイロイトのヘンな演出は、いまに始まったことでもないのですが、画像を見る限り、確かに学芸会ですよね。
この演出家は、ほかの舞台でも、似た感じですので、きっと持ち味なんだろうと思われます。
見た目は、こんなんでも、人の動きや心理的な描写など、きっと特徴があるんだろうとは思われますが、こんなファンタジー不足の舞台はちょっと勘弁ですね。
わたしも、バイロイトは歳とともに、遠ざかっている感じです。まして、頑張って行ったら、こんな舞台だったりしたら・・・・・。
ワーグナーのト書きや、スケッチに近いものは、いまや保守的なメットでしか味わえないかもしれませんが、そのメットも、いまのリングでは変化しつつあるようです。
投稿: yokochan | 2012年7月29日 (日) 10時49分
こんにちは。
ラジオ放送録音を聴きました。ひさしぶりの「オランダ人」ですが、やっぱり聴きがいのある?というか退屈しない曲ですね。
メモ程度の記事を書きました。こちらの記事をリンクさせてください。TBもします。よろしくお願いします。
投稿: edc | 2012年7月30日 (月) 10時26分
euridiceさん、こんばんは。
TBならにびにご案内ありがとうございます。
音で聴いた今年のオランダ人。
レヴェル的には出色だったと思います。
NHKの放送は、2年越しぐらいのタイミングのようで、来年はきっと「タンホイザー」、そのまた来年が「オランダ人」って感じでしょうか。
投稿: yokochan | 2012年7月30日 (月) 22時01分
yokochanさん
はじめまして。安倍禮爾という者です。お噂はかねがねうかがっていましたが、8月4日の「クラオタ暑気払い会」でお会いした皆様と話しているうちに、yokochanさんのお名前も出て、今日初めて書き込みをさせていただきました。どうぞ宜敷くお願いします。
「新しきバイロイトは、ますます実験劇場の名前をおとしめながら、いまの風潮を後追いしつつ、ドイツの単なる一劇場の存在と化すようになってきているように思います。
バイロイトならでは、ご本家ならではの新たな潮流はこれからも生まれ得ないのでしょうか。」
まさにそれですね。私、1995年にバイロイトに住んでおりまして、タンホイザーを観ました。衣装もバックも中世の設定で、完全にヤラレました。これは今でも「一生の寶」なんですが、最近のドイツのオペラハウスの演出や衣装、等々の「ぶっ壊れかた」には辟易しております。ベルリンドイツオペラ、ハンブルグ州立歌劇場、バイエルン州立歌劇場、みんな「ぶっ壊れ」ていました。ローエングリンなど、白鳥は遂にどこにも出て来ず、大体設定が「三年B組金八先生」の学内恋愛に置きかえられていました。最後は制服を着たこの二人の(馬鹿)高校生の教室結婚式で終わる、という「コワレかた」でした!
実は私、そんなわけで、途中からずっと目をつぶって聴いておりました。曲はローエングリンでしたので。yokochanさんもこのような傾向を嘆いておられると思います。これからもまたご意見を期待しております。
投稿: 安倍禮爾 | 2012年8月 5日 (日) 19時26分
安倍禮爾さん、こんばんは。コメントどうもありがとうございます。
安倍禮爾さんのお名前は、ブログ仲間の皆さんや、訪問先のブログなどでも拝見いたしておりました。
このところクラヲタ会には欠席しておりますが、前回よりのご出席の報も受けておりましたので、気になっておりました。
直々にコメント頂戴いたしまして、恐れ入ります。
バイロイトに住んでいらしたとのこと、まったく憧れでしかございません。しかも95年のタンホイザーは、シノーポリで始まったウォルフガンク演出の最終年と記憶します。
毎年残らずFMで聴き、録音してますが、90年代はまだ保守混在の懐かしい時期でしたね。
羨ましい経験をお持ちです!
そして教室ローエングリンは、コンビュチュニーでしょうか。
噴飯ものですが、わたしは、コンビュチニーの驚きの解釈は、騙されたい自分がいて、なぜだか好きだったりします。
件のローエングリンはDVDにもなってるようですが、まだ未聴です。怒る自分も予想されますが、一度経験してみたいです。
ドイツの風潮は、他国をも巻き込みつつありますが、存外、日本の劇場が一番まっとうな存在かもしれませんね。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
投稿: yokochan | 2012年8月 6日 (月) 22時41分