ヴェルディ 序曲聴き倒し
わたくしの育った町の海。
ここでは1度引っ越してますが、最初のお家は、もう海辺まですぐ。
いつも海風に揺れる松の木のこずえの音が聴こえたものです。
台風のときは、それは怖かったですよ。いまと違ってすぐ停電しちゃうので蝋燭一家でした。
それはそうと、ここしばらく音楽が忙しい。
毎度書きますが、わたしの人生、最初で最後ともいえるアニヴァーサリー作曲が3人もいる年ですから。
ブリテンは、いずれまた集中することとなりますが、いまはワーグナーとヴェルディ。
ワーグナーの誕生日を22日に迎えたばかりのところへ、24日は、神奈川フィルの演奏会がヴェルディなんですから。
ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲
Vn:三浦 文彰
ヴェルディ 「アイーダ」序曲 「シチリア島の晩鐘」序曲
「運命の力」序曲 「ナブッコ」序曲
「ラ・トラヴィアータ」前奏曲
「アイーダ」凱旋行進曲とバレエ音楽
現田 茂夫 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
2013年 5月24日 PM7:00 みなとみらいホール
ちょっと奥手なベートーヴェンの協奏曲。
若い三浦君は超越技巧ばかりでない、なにかをきっと聴かせてくれそう。
わたしのこの曲への苦手意識を解いてくれ!
そして、後半は、聴くわたくしもお得意の、現田さん自家薬籠中のヴェルディ!
悪かろうはずがありません。
輝かしい神奈川フィルの音色もきっと満開になる初夏の夕べ。
しかも、「アイーダ」はシンフォニア(序曲)バージョンをやってくれちゃう。
ほかのオケでは考えられない、すんばらしいプログラムじゃありませんか!
ヴェルディ愛のワタクシ、きっと椅子に座っていられないくらいに興奮してしまうかも。
ブラボーこいちゃうかも。
現田さんに抱きついちゃうかも?
昨日のワーグナー生誕祭に続いてのヴェルディ祭り。
今年上半期のわたくしの音楽生活のひとつのピークであることは間違いありません。
以前、「運命の力」序曲をイタリア5大指揮者で聴きまくる記事を書きましたが、こんかいも、それらの音源をベーズにコンサート演目の序曲をそれぞれに聴きまくりました。
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮フィルハーモニア管弦楽団
(1959)
クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団
(1977年)
クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(1995年)
リッカルド・ムーティ指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団
(1993年)
リッカルド・シャイー指揮ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団
(1982年)
ジョゼッペ・シノーポリ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(1983年)
イタリア人指揮者たちのこれらの演奏。
正直言って、どれも素晴らしくって、これより上手い演奏、(たとえばカラヤン、)はあるだろうけれど、イタリア人が持つ生来の歌魂がここにはあると思う。
母親のお腹のなかにいるときからきっと聴かされてきたヴェルディの音楽、いや、その母親もオペラの一節を口づさんでいたに違いない歌がそのDNAに完全に血肉化しているゆえの歌心。
お国ものは、ときに停滞やルーティン化を生んでしまうものでありますが、彼ら優秀な指揮者たちは、オペラを指揮する一方で、偉大なコンサート指揮者でもあります。
オペラティックであるとともに、シンフォニックなその切り口は、オペラの幕開きを予見させるとともに、その序曲一曲だけでも完結感にあふれた演奏を行ってまして、こうして連続して次々に聴いても飽きることがないのです。
それぞれに、わたしが感じる特徴を端的に述べると、歌いまくりの熱いヴェルディが意外や若きジュリーニ、シンフォニックななかに歌を解放して見せた高度な演奏のアバドLSO。
オケの機能を活かしきって光彩陸離たる輝かしさを弾き出しつつ、ヴェルディならでは爆発を聴かせるアバドBPO。
遊びが少なく楽譜の力を信じつつ、これまた意外にも味わい深いムーティ。
構えが大きく、一番コンサート映えする勇壮な若きシャイー。
ウィーンの柔らかな音色と鋭い切れ味の指揮とのアンマッチングが面白いシノーポリ。
そして、「運命の力」にはもうひとつ忘れられない演奏が。
ヴェルディ 「運命の力」序曲
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(1974年)
カラヤンのヴェルディ序曲集は実は未聴。
「運命の力」のみ、その少し前に癌撲滅運動チャリティーのレコードで新録されたものを、それこそすり減るほど聴いた。
ドイツ人が、ヴェルディの序曲をこんなに輝かしく、力強く、美しく演奏するんだ!
それが真っ先の驚きで、べらぼうにウマいベルリン・フィルの威力にひれ伏すばかりの高校生でした。
その少し前、ハイティンクとコンセルトヘボウの同曲のレコードがお馴染みとなっていましたが、それは立派な演奏ながら、上には上があるもんだと感嘆することしきりでありました。
もうひとつ、この曲の思い出を。
1975年のウィーンフィルの来日。伝説のベーム公演に往復はがきで何枚も応募したけれど、すべてハズレ。ついでに出したムーティの日本デビュー公演はいとも簡単にアタリ。
ごく普通の名曲のコンサートのアンコールは、「運命の力」。
この鮮やかさと、駿馬のような見事な快走っぷりに、ムーティの本領を見て聴いた。
ともかくカッコいい以外のなにものでもありませんでした。
その演奏会のライブがCD化されたそうな。
嬉しいやらなにやら・・・・。
よし、神奈川フィルのコンサートは、思いっきり楽しむぞーー
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コメント
いいなー^^この演奏会を地元のオケで生で聴ける!しかも演奏水準も一流!
私のような田舎者には本当に羨ましい限りです。神奈川県民を心から羨ましいと思います。
しかも、何?ベートーベンのバイオリンも聴けるの?いいなー。。。
ヴェルディの序曲のコンサートとか!
最高じゃね(←イカレタ女子高生風)
投稿: モナコ命 | 2013年5月24日 (金) 23時32分
モナコ命さん、こんにちは。
おかげさまで、出身県のオケだけに、力入りまくりです。
オーケストラの運営は、安定の放送系や新聞系、メトロ系をのぞけば、みんな大変なのですが、地元オケを盛り上げる活動の一助に参画できるのも楽しいものです。
今回のプログラムで是非お聞かせしたかったです!
投稿: yokochan | 2013年5月25日 (土) 20時34分
yokochan様
愛寵しているヴェルディ序曲集、ムーティ指揮NPOに依る、『椿姫』第一幕への、『ナブッコ』『シチリアの晩鐘』『運命の力』(東芝・TOCE-7027)でございます。若い時期ならではの活気と沸き立つようなリズムの刻み、こうで無くちゃ!と聴き返す度、感嘆して仕舞います出来映えです。LP二枚分のアルバムから、上記のポピュラー曲を『ロッシーニ序曲』の埋め草的に収めて居る感じですが、割愛された『レニャーノの戦い』や『ジョヴァンナ・ダルコ』もつい耳にしたく成ってしまいます。
投稿: 覆面吾郎 | 2022年5月29日 (日) 11時19分
いまにいたるまでムーティの熱心な聴き手ではありませんが、ヴェルディだけは別です。
現在の厳格な指揮より、おっしゃるように若き頃の颯爽とした指揮ぶりも目に浮かぶようでEMI時代のものが好きです。
あとレヴァインの若い頃のヴェルディにも惹かれますね。
序曲集的な録音が残されなかったのが残念です。
投稿: yokochan | 2022年6月16日 (木) 08時17分
アーティストに色眼鏡は禁物と、フィラ管常任時代の『ベートーヴェン交響曲全集』(EMI)を聴いて見ましたが、『第9』の高揚感に目を見張った以外、他の諸曲は魅力とセールス・ポイントを欠くような気がしました。実は先日、1995年頃出たスカラ座Oとのヴェルディ序曲&前奏曲集(SONY)やっと聴きましたが、重複する曲目は旧盤の方がより魅力的な感も致しました。スカラ座盤は表現上の風格と恰幅の良さは在るものの、生き生きとした躍動感が、間引かれてしまった感も‥。お詫びに訂正です。NPOとのヴェルディ序曲集はLP一枚分のみだったようです。『椿姫』第一幕への前奏曲は、のちに成された全曲盤から引き抜いて来た‼️
投稿: 覆面吾郎 | 2022年6月20日 (月) 10時14分
引き抜いて来た‼️→引き抜いて来た物のようです。Rec.1975、1979~1980としか表記されておりませんので。‥以上の誤りでございます。
投稿: 覆面吾郎 | 2022年6月20日 (月) 10時18分
スカラ座時代のムーティさんは、最初の頃はよかったですが、だんだんと隙間風が吹いて、最後は決裂してしまいましたね。
スカラ座はアバド!と自分で決め込んでいたので、正直あまり聴かなくなったコンビでしたが、演目によって落差があったようにも感じてました。
あと、EMIとCBS、ともに録音があまりさえなかったのもイメージとしてはあります。
2枚に及びスカラ座との序曲集は珍しく取得しましたが、ご指摘のとおり、ややおとなしめな感じでした。
イタリアでも南北で、その気質が大きく変わるやに思いますので、そうした相性もあるかもです。
投稿: yokochan | 2022年6月28日 (火) 08時53分
yokochan様
オペラハウスの音楽総監督は、劇場支配人との確執や対立、我の強い歌手たちとの軋轢など、厄介なトラブルに見舞われ、厄介極まりないポジションなのでしょうね。
それに見合う報酬、高い知名度と名誉があるのも、事実ですけれども。
投稿: 覆面吾郎 | 2024年10月 3日 (木) 09時42分
あきらかにオペラの音楽監督、さらには総監督まで兼ねるとなると、広範な業務、支援者や行政との付き合いなど、ほんとうに骨の折れるポジションだと思いますね。
オペラの指揮だけに専念したいという思いは、アバドやムーティも同じだったでしょうね。
ミュンヘンで長く君臨したサヴァリッシュも、オペラを卒業してせいせいしたような発言をしていたかと記憶します。
フィラデルフィアでは生き生きと活動していたのが、サヴァリッシュらしいところでした。
投稿: yokochan | 2024年10月 7日 (月) 22時34分