交響曲第1番「HIROSHIMA」 金聖響指揮 神奈川フィルハーモニー
暑さも一息の横浜。
神奈川フィルの本拠地、みなとみらい地区の賑やかな休日の光景も、これから参列する厳かなコンサートの前には、浮ついたものとしか感じられず、一心にホールへと向かう。
今日、日曜日は、佐村河内守さんの交響曲の全国ツアーの一環の、横浜公演にいってまいりました。
大友さんと、日本フィルの2月の演奏会に続いて2度目の演奏会体験。
交響曲第1番 「HIROSHIMA」
金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
(2013.7.21 @みなとみらいホール)
震災後、このブログで被災地の方からコメントいただき、教えていただいて以来、2年と4カ月。
ネットで聴けた2つの楽章、余震のなかで録音された大友さんの初録音CD、本年2月の東京全曲初演。
これまで、わたしが聴いてきたすべてですが、初聴きのときから思ってきたこと、それは、神奈川フィルでいつか聴いてみたい、ということでした。
その思いが、思いのほか早く実現しました。
大手プロモーションによる急とも言える全国ツアーに、それまで静かに熱く聴いてきたあり方が変わってしまうのではないか、という不安がありました。
しかし、それは杞憂に終わるのではないかと、今日は納得し、思いました。
会場入りする長い列、満員御礼のホール、通いなれたコンサート会場が、いつもと違う雰囲気なのはいうまでもありませんが、最初の苦悶の一音から、最後の輝きのエンディングまで、まんじりとせず、この大交響曲にじっくりと集中して、聴衆が一体化してしまったことを、そこに居合わせた一員として身をもって感じました。
このようにして、幅広い聴衆をひきつけ、そして全国のコンサート会場に足を運ぶことへのきっかけになること。
さらに、これまで、パイオニアとしてこの交響曲の普及に努めた大友さんと、そして東京交響楽団の手を離れて、新たな指揮者、異なる全国のオーケストラによって、コンサート演目のスタンダードとして歩み始める。
このツアーには、そんな効能と意味合いもあるのだと思うようになりました。
そして、異なる演奏を経て、聴く側にもいろんなメッセージを届けることができるように、さらに聴く側も、その自身のさまざまの体験によって、いろんな思いをここに感じるようになる・・・・、ということで、この交響曲自身も進化し続けていく、というような気がしてなりません。
聖響さん指揮する神奈川フィル。いつものホールで聴くという安心感もあり、出てくる音はどこをとっても、いつもの神奈川フィル。
木管・金管はレギュラーメンバーで、9本のホルンは圧巻だし、トランペット、トロンボーン、チューバも鉄壁。
弦楽器はチェロの門脇さんをのぞいて主席はお休み。
ゲストコンマスは、2度目の崎谷さんで、文句なく神奈川フィルに溶け込んでる方。
そして驚くべきは、今回もゲストティンパニの神戸さん。
イスラエルフィルのこの方、これで3度目の登場ですが、実に目覚ましいティンパニで、その鮮やかさと艶やかな音色に、しばしばこの曲で炸裂する打楽器群が、オケの中でも神々しく輝いておりました。このオケ自慢のいつもの打楽器メンバーも最高でした。
話は前後しますが、神奈川フィルの弦で聴く、この曲最後の浄化された安らぎの旋律は、期待にたがわぬ美音で、温もりと微笑みさえ漂う素晴らしいシーンでした。
当然にわたくしも、お約束の涙ひとしずくでしたが、ここに感じたのは、不思議に明るい希望という帰結でした。
まわりをチラ見しましたら、涙をぬぐう方、鼻をすする方、ちらほら。
わたくしも、こうして余裕をもって、この曲を受け止めることができるようになりました。
大友さんの、CDや、2月の演奏会では、希望の光の結末には、浮かれてはいけない、次なる物語がさらに続くのだ、終わりは始まりのような、気を引き締めなくてはならないという力強さを感じた。
しかし、聖響さんの指揮には、その局面局面のドラマを劇的に、美しく、破壊的に、ドラマティックにわかりやすく描き出すことにかけては万全の出来栄えで、神奈フィルの充実の高性能ぶりも、大いに寄与しています。
先日の日本フィルよりは、神奈川フィルの方が上だと正直言えます。
あっという間の80分は、ほんとうに早かった。
すっかり耳になじんだこの交響曲、聴いていていろんな場面がどんどんと自分に入ってくる面白さがあって、難所もどんどん決まってゆく。
このコンビでずっと聴いてきたマーラーのように、作為なく、自然体で、音楽の力だけでもって、一気に演奏してしまった快演に思いました。
でも、この交響曲には、恐怖や深淵な悩みや、悲しみ、怒り、破滅、人の及ばない暗闇もあって、そして最後の本当の輝きがある。
そうした複雑な多面性を引っかかりがなさすぎるくらいに、通り過ぎてしまったような気もしなくもない。
そこが聖響さんたるところといえば、それまでですが・・・。
神奈川フィルを今回はじめて聴かれた方もいらっしゃるかもしれません。
そして多くの方が、そのうまさとともに、音色の美しさにも驚かれたかもしれません。
美しいだけでなく、もっと深みのある響きや、やる気に満ち溢れた能動的なサウンドを聴かせてくれることもあります。
次の回には、この曲にも慣れて、さらなる素晴らしさを味わえることと確信します。
今回、佐村河内さんご夫妻の来場もあり、ご挨拶はできませんでしたが、気がついたら、わたしのすぐ後ろでした。
スタンディングの大きな拍手でもって、ステージに上がられ、オーケストラの方々とも丁寧に握手をされ、感謝の思いを指揮者、楽団、そしてホールの聴衆すべてにあらわされてらっしゃいました。
このホールで、神奈川フィルで、この曲を、あと何度も、何度でも聴いてみたいと思えるコンサートでした。
神奈川フィルは、来年4月と5月に、静岡、東京(サントリー)、大宮で、連続してこの曲を演奏予定です。
ホールを出て、地に足がつかなかったのは、2月のコンサートでも同じことでした。
この浮遊感は、電車に乗って人心地ついても同じでした。
8月のお盆明けに、ミューザで、大友&東響。
9月は、ピアノソナタの初演を、みなとみらいで。
※本記事は、執筆当時のままにつき、事実と異なる内容が多く含まれております。
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コメント
yokochanさん、貴重なご報告ありがとうございました。この交響曲のみならず、神奈川フィルへの熱い想いが強く伝わってきました。yokochanさんが仰っている「この交響曲自身が進化し続ける」こと......7/6のコンサートを経て、僕自身も同様に感じています。この曲は「きっと世界標準の古典になる」と自らのFBで書きましたが、世界進出への大切な道程の1つ1つが、着々とこなされている気がします。
あと、神奈川フィルのパーカッション群の秀逸な出来栄えについて....。この交響曲は、打楽器の効果を最大限に導き出している傑作だと思いますが、その意味で真に感動的な演奏だったのでしょうね! これは、その場にいる者でないと、決して分らないと思います。神奈川フィルの佐村河内、凄く聴いてみたくなりました。大宮でもあるんですね!
この夏月1回の佐村河内とは、充実していますね。また、ご感想を楽しみにしています。有難うございました。
投稿: 山元 光 | 2013年7月22日 (月) 23時04分
山元さん、こんばんは。
こうして回を重ねて、音楽ファンのみならず、テレビで気になった方々に、確実のこの曲は浸透しいって、その感動が心に刻みこまれていっていることを確信してます。
いろんなこだわりを捨てて、虚心に聴くことで、つぎつぎに姿を見せるものが、この音楽にあるような気がします。
国内戦略も、まだ驚きが秘められているようですし、世界もまたしかりとのことです・・・・・。
空ごとにならず、聴き手からはあらたな交響曲の出現が認知されていってますね。
そして神奈川フィルのことも、そのようにお読みいただき、とても嬉しいです。
先の話ですが、是非、大宮でお聴きいただければと思います。
淡々とこの夏の佐村河内音楽を受け止めていきたいです。
投稿: yokochan | 2013年7月22日 (月) 23時20分
こんばんは。私もみなとみらいに参りました。フルオケのパワーと繊細さを堪能しました。やはりこの曲は凄いです。神奈川フィルの高機能も素晴らしかったです。実は、こちらのブログで神奈川フィルのことを読んでいましたので、神奈川フィルを聴くためにわざとみなとみらい公演を選んだのです。yokochanさんのお陰です。ありがとうございます。ティンパニは、イスラエル・フィルの方だったのですね。素晴らしい打撃でした。
投稿: Shushi | 2013年7月22日 (月) 23時27分
Shusiさん、どうもこんばんは。
ご一緒だったとはつゆ知らず、失礼いたしました。
あの響きのきれいなホールで聴く、佐村河内交響曲は、激しくもあり、美しくもあり、聴き惚れてしまいました。
そして神奈川フィルをお聴きいただき、そしてこの公演を選んでいただいて、わがことのように嬉しいです。
応援団のはしくれとしても、めちゃくちゃ嬉しいです。
このオーケストラは、まだまだいろんな可能性と顔を秘めてますので、また是非、お聴きください。
それにしても、あのティンパニ氏はすさまじかったですね!
投稿: yokochan | 2013年7月24日 (水) 00時15分
残念ながら、所用で行けなかった地元での演奏。
これほどまでの熱いコメント、
さぞかし神奈川フィルの演奏は素晴らしいのだろうな、
と、次回を聴いてみたくなりました。
それにしても、
驚きを秘めた国内戦略とは気になります。
この曲に出会ってまだ半年も経っていないというのに、
私の人生にとって「なくてはならないもの」となりました。
それ以前の生活が考えられません。
頭のてっぺんからつまさきまで、
全身くまなく流し入れたく貪り聴いた春、
今でもやっぱり染み渡らせるかのように聴いてます。
この感覚はなんなのだろう、
と我ながら不思議です。
たくさんのご縁を経て、世に出た曲。
氏はもとより、ご縁をつむいだみなさまに感謝の日々です。
投稿: いるか | 2013年7月24日 (水) 17時38分
いるかさん、こんにちは。
ある意味、客観的に、そして演奏精度の高い演奏でした。
こうして数々の演奏を経て、スタンダード化していくわけですが、聴く側のすそ野も広がっていくことが一番うれしいです。
国内外の戦略は徐々に明らかになってゆくと思いますが、少しだけ長く聴いているわたしは、この曲の受け止め方も変化していってる気もします。
すっかり、自分の中に入り込んだ証しかもしれません。
いるかさんも、きっと聴き進めるうちに、いろんな変化が起きてくると思います。
こうした感覚こそが、この音楽のスゴイところなのかもしれません。
おっしゃるとおり、3年前にはこんなことになるとは思いもしなかったことですから、関係者のご尽力、なによりも作曲者ご自身にも感謝したいですね!
コメントありがとうございました。
投稿: yokochan | 2013年7月25日 (木) 09時16分