交響曲第1番「HIROSHIMA」 大友直人指揮 東京交響楽団 特別演奏会

8月18日の、ミューザ川崎の夕暮れ。
この日、わたくしは、白昼に、某交響曲を、こちらのホールで聴きました。
ただでさえ暑い毎日、巨大な音楽を聴いて、胸が高鳴り、火照った体を持て余して、お盆明け、日曜日の川崎の街で、冷たいビールを飲んでクール・ダウン。
再び、ミューザとラゾーナに舞い戻って、このような美しい夕空に巡りあいました。
今年、3回目のライブ演奏体験。
すぐさまに、チケットを入手したこともあって、佐村河内ご夫妻のほど近くの席。
すなわち、お近くでまみえるのも、これで3度目。
そうしたエポック的なことを差し引いても、自分とこの曲との関係が明らかに変化していっているのが、この猛暑の夏に確認ができた。
いままでで、一番、涙を流さなかった。
でも、静かな感動がふつふつと、心の中に芽生え、これまでの長いクラシック音楽受容の数々の体験と、そのあり方がともになりつつあることを確認できた。
「弦楽のためのレクイエム・ヒロシマ」~世界初演
交響曲第1番「HIROSHIMA」
大友 直人 指揮 東京交響楽団
(2013年8月18日 @ミューザ川崎シンフォニーホール)
弦楽オーケストラによって演奏された初演曲「弦楽のためのレクイエム・ヒロシマ」あ、そのタイトルが、いかにも武満作品を思わせるのでありますが、佐村河内作品は、それとは似ても似つかぬもの。
当初は「4声ポリフォニー合唱曲≪レクイエム・ヒロシマ≫弦楽合奏版」としてタイトルされておりましたが、初演にあたって、標題のものにかえられました。
この音楽の持つ清廉さと、高貴なまでの哀しさ。でも、その哀しさは、決して暗いものではなく、優しい哀歌のように聴かれるのでした。
バーバーの曲のような哀しみの美しさを感じさせましたが、より追悼感あふれる、直截な表現と優しさは、佐村河内音楽ならではと思いました。
約10分の短編。
休憩後は、長大な交響曲。
心して挑み、そしてその思いは100%かなえられました。
震災後、この曲と巡りあい、2年と5ヶ月。
あれ以降、大きく変わってしまった日本社会。
そして、それは、自分にもやってきました。
まったくの不堪な日々が、その前にも増してやってきました。
そんな毎日に、渇を与えてくれ、励まし、後押しし、活路を開かんとする力を与えてくれていたのが、この音楽なのです。
寒かった2月の東京全曲初演、暑い横浜の先月の神奈川フィルの演奏、そして残暑の今日、ジャンヌ・ダルクとも呼ぶべき大友さんの指揮。
ともに、これまで以上に心震わせる演奏でもって、明日への希望を開陳してくれるようでした。
繰り返し聴き続けて、すっかり、自分と血肉化してしまったこの「交響曲」。
長大な3つの楽章の隅々まで耳で覚えてしまったので、ライブで聴く楽しみとして、ここはヴィオラ、次は第2ヴァイオリン、そしてチェロ、バスクラ、ホルン・・・・・、次々と音の橋渡しを、ヴィジュアルで確認できる。
そんななかでも、本日、近くだったので、もっとも気になったのが、ハープ。
ハープという楽器から、清らかさと、終末観を、見事に引き出したスコアだと思います。
全曲にわたって、ハープは大活躍します。
このように、スコアがなくとも、オーケストラ全体を俯瞰しつつ、味わう佐村河内音楽は、耳にも素晴らしく刺激的で感動的・開放的でありますが、オーケストラがこうして万遍なく各パートの持ち分を発揮して、それぞれが見通しよく、すべてがよく耳に届くことも驚くべきこと。
こうして、ライブで聴くと、あきれ返るくらいにそれがよくわかる。
そして、帰宅後、CDで再確認すると、演奏会のリアル感そのままが、スピーカーやヘッドホンを通じて味わえる稀有の経験の追体験となります。
すべての場面に、大友&東響が、これまでこの曲を慈しんできた片鱗をうかがうことができる。
3楽章の、2度にわたるカタストロフの凄まじさは、最初は余裕を満ちながらも、本当の悲劇の力を見せつけてくれ、2度目の最終段階では、さらにまだあったフォルテッシモの高みを表出し、あのお約束の安らぎの旋律を導きだしました。
こうなるのがわかっていたので、涙はお預け。
しかし、東響の弦楽メンバーズと、大友さんの心のこもった指揮を見て、聴いていたら、もういけない。
涙の結界は破れ、頬には塩分を含んだ液体がひとしずく。
3楽章の、誰しもを興奮のはざまに導きだす場面以降は、この曲のひとつの鉄板の場面ですが、大友&東響の演奏は、そこはひとつの最終クライマックスとして、手慣れた表現として流しつつ、1楽章と2楽章のシリアスで、繰り返し訪れる絶望的な音楽を、最終章へのひとつの導きとして表現していたように思いました。
宿命的ともいえる怖れと不安が交錯する第1楽章。
音の彫りがとても深く、消え入るピアニシモと壮絶なフォルテとの対比が完璧で、オーケストラの技能も、耳に馴染んだCD以上の充実ぶりに感じる。
消え入る、この楽章と次の2楽章の終結部の研ぎ澄まされた感覚には、息を飲むこともはばかれるくらいの完璧さ。
わたしがいつも思う、ワーグナーの「パルシファル」のような、救われぬ苦しみや、自己批判の求道ぶりを2楽章にあらためて強く感じる痛みさえ思う演奏。
無常感に満ち溢れたトロンボーンに始まるコラール。
この場面の美しさと内面的な表現も素晴らしいものがあります。
東響のホルンセクションの神々しいまでの素晴らしさにも驚き。
しかし、打楽器は神奈川フィルの方が上か。(あの客演ティンパニは凄まじかった)
そして、3楽章は、その後半、先に述べたとおり、奏者ひとりひとりが、音楽を感じつつ、そして大友さんの導きによって聴衆とともに感動の大きな渦を引き起こしながら、ホールを光の波で埋め尽くしてしまった。
喝采の声と拍手に応えて、佐村河内さんも、登壇し、ホールを埋め尽くした聴衆ひとりひとりに、オーケストラの団員のみなさんに、感謝を捧げていらっしゃいました。
スタンディングして拍手していたわたくしも、つられてお辞儀してしまいました。
この大曲のすみずみまでを把握し、一音一音を自分のものにすることは、相当に難しいことですが、CDではなく、こうしてホールという共通空間で、多くの方々と共通体験を重ねることによって、自分の中でこの曲を冷静に受け止め、そして聴くことができるようになってきました。
暗から明、苦難から解放へ、希望の曲として捉えることも充分にありなのですが、そうした効能を持つ音楽、HIROSHIMAの名を冠した標題的な音楽、それぞれでもあり、いまはまた純粋な音楽、いや、いまの世に生まれた純粋交響曲として聴くことができている。
それは、もしかしたら交響曲というしっかりした枠組みは持ちつつも、まるでワーグナーの楽劇のような、ひとつの世界観を保持した音楽作品なのではないかと思っています。
今年生誕200年のワーグナー。
そのワーグナーとの付き合いも、もう40年近く。
今年は、ネットの恩恵もあって、「ニーベルングの指環」(リング)を、もう3回も通しで聴いてしまった。
そんな耳と頭で、この交響曲を聴くと、ここには、リングのような思想や哲学を感じてしまうこともあります。
「リング」には、ワーグナーが30年近くもかけて熟成させた叙事詩的な壮大な物語と思想がある。
「人間が愚かにも自然から奪った世界が手に入る黄金、その争奪戦のあげく、すべては消失し、最後にはその黄金ももとあったところに戻り、世界は平和を取り戻す」
そんなリングの物語は、人が常に陥る業と、そして諦めによる美化と終末感とに集約されます。
この交響曲にも、そのような人間の咎と救済があるように感じます。
そして、わたくしの場合、ある演出によって大いに影響を受けているのですが、救済=終末のあとには、再びまた始まりがあるということ。
「終わりの始まり」。
救いがもたらされ、終了した瞬間に、また次の、場合によっては形を変えてまた同じことが繰り返し始まる。
そんな思いを、この交響曲の暗澹とした始まりと、輝かしい終結部とに感じるのです。
ワーグナーの無限旋律のように、ここには、成長し派生してゆくかのような音楽が、しかも緻密に考えられたうえで成り立っています。
このような思い、希望を捉えて聴かれる方には、お怒りも感じられるでしょうか。
でも、この音楽には、わたしたちへの警鐘もあるということを常に感じていたいです。
汲めども尽きない交響曲の魅力。
素晴らしい演奏会でした。
※本記事は、執筆当時のままにつき、事実と異なる内容が多く含まれております。
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コメント
私自身、この前日の演奏は、ゲネプロを除くと初めて聴く生のオーケストラでした。名前をクリックして頂ければ、私の感じたことは、一通りわかると思います。私のいた座席は、2階席RA最後尾。チューバ、コントラバス、トランペット、打楽器がほぼ目の前で、ヴァイオリン、ホルンがこれらをくぐりぬけて聴こえる場所であり、トゥッティでは、結構かき消されていました。とはいえ、音の残響は、日本一のホールと言わしめるのがありますね。
私も、ハープはとりわけ注視して聴いていました。なんでかと言うと、一番遠いのに、埋もれずに、聴こえてきたからです。
佐村河内守作品のハープは、マラ6の使い方がルーツかなと思いながらも、コルンゴルト、バルトークで聴くような耽美な不協和音が聴こえてきます。実演で確認すると、チェレスタの出番が、あんなに少ないとはと思いながら聴きました。弦楽器だとヴィオラが印象的でした。私のいた席だとかなり近いので埋もれなかったというのもありますが、よく見るとリードもよくとっていて、ベートーヴェン「大フーガ」よろしく、他のパートの受け渡しで、重音もたくさんあって、縁の下の力持ちだなと思いながら聴きました。私は、オーケストラの楽器ですとホルンが一番好きだったりしますが、第2楽章6-7分で現れる神々しいフレーズがとりわけ素晴らしかったと思います。第3楽章のカタストロフと天昇コラールも素晴らしかったです。
前日、演奏終了後に、 交響曲第1番《HIROSHIMA》の世界展の会場である東京ミッドタウンにお父様、お母様、奥様とご一緒に来られて、閉場するまでいらっしゃいました。私自身、氏の体調を心配していましたが、一昨日は無事来られたようでホッとしています。創作に支障をきたさないか、毎日祈っています。
野本由紀夫氏のスペシャルトークではNスぺでは語られなかった解説も一通り聴けました。その内容は9割展示会会場で買えるブックレットに書かれているものでした。このブックレットは展示内容の要約にもなっています。個人的には、立ち寄られてはどうでしょう。私は、Facebookの氏の名前のコロムビア広報部のアカウントで知りました。コロムビアの公式サイトでもこの展示の紹介がされているようです。
私自身は、スペシャルトークが始まる前に、サインを頂けると言うことになり、長蛇の列の中、会場で手に入ったブックレットの氏の写真の下に、サインを頂いたのですが、私も人からは理解されにくいハンデを背負って生きていますと言い、その後に『Kasshiniへ 私たちに"小さな光"がありますように (省略) 佐村河内守』とサインを頂きました。この後、氏と握手を交わしましたが、とても力強く、手が温かったことは忘れられない記憶となりました。その時の御振舞は、ボランティアで障害を持った子どもたちと過ごされている時の姿、Nスぺで取り上げられた被災された少女と過ごされている時の姿そのものだと思います。
この時、また一人音楽の師と呼べる方が一人増えました。最高の、です。六本木から職場直行となりましたが、90分睡眠、26時間置き続けましたが、最高のひと時となりました。
投稿: Kasshini | 2013年8月20日 (火) 07時15分
Yokochanさん
生涯忘れらない、素晴らしく感激の年ですね。
思いのこもった内容を拝読し、想像して余韻に浸ることができました。
ありがとうございます。
「血肉化」
私が感じていたのは、まさにこの表現です。
身体の隅々にメッセージを行き渡らせたく聴き続けています。
それはもう細胞レベルで求めるという感じです。
少しづつでも結晶化されてきた頃かもしれません。
お守りになっています。
私も世界展初日に行きました。
1枚目のパネル
「精神、肉体、宿命の闇と向き合っているすべての人と、
今私は共にあります。
私たちに“小さな光”がありますように」
しばし立ち止まった場所となりました。
その後大変嬉しいことに、
ご本人にお会いすることができました。
氏と握手させていただくと、
氏と繋がっている、日々を懸命に生きる多くのみなさまと
気持ちがひとつになる気持ちがいたします。
氏の大きな輪に入れていただくようなイメージでしょうか。
大変に心に染み入ります。
支えられた奥様、見守られたご両親にも感謝でいっぱいです。
同時代に生きることができて、本当に感謝です。
真奈美ちゃんと歩く後ろ姿のパネルの前で
「ここがいい」と撮影に応じてくださり、宝物の一枚ができました。
背中を押してくださったスタッフさんに感謝です。
氏を愛する野本教授のトークも楽しかったです。
投稿: いるか | 2013年8月20日 (火) 18時56分
Yokochan師匠(ちょっと言いづらいー)お疲れ様! 師匠の新次元での感動がヒシヒシと伝わって来る、素晴らしいライナーノーツでありました。
つくづく思うのですが、Yokochanさんのブログ上での佐村河内氏の音楽に対する数々のコメントは、師匠を筆頭に、皆さんとても熱い思いを語られており、強く共感し感動致しております。
このようなコミュニティーを、共感の場を設けて頂いているYokochanさんに、本当に感謝感謝です!
自分的には、『レコード芸術』等の批評欄に載っても、決して遜色ないハイレベルの批評・感想になっていると思っています.....これはお世辞ではありませんよ! ある意味プロの音楽家さん達より、ずっと等身大で音楽を受止め、分析理解し感動しているのではと感じています。
ワーグナー音楽との関連性について語られている点は、とても新鮮に感じました。「人間の咎と救済」....やはり救済は強く感じますね。
恥ずかしい位にワーグナー音痴の自分としては、正直分ったような分らないようなレベルですが、これを機会にワーグナーの世界に飛び込んでみようかなとも思いました。
FB上でも書きましたが、自分は初めてのコンサートに際し、あくまでも「HIROSHIMA」にこだわって聴き、それはそれでもの凄い体験となりました。
しかし勿論、「絶対音楽」として聴くこの交響曲も、人々に色々なことを語りかけてくる懐の深いものだと感じています。
話は変わりますが、本曲CDをプロデュースした日本コロンビアの岡野博行氏は、現在ヨーロッパに行かれており、色々売り込みをされるとのこと。詳細は分りませんが、きっとこの交響曲も絡んでいるものと思われます。世界のより多くの人達と感動を共有できる日も近いのかもしれませんね。1人歩きをし始めたこの曲の行く先を見守っていく喜びを、これから皆様方と共に噛みしめていきたいと思っています。
投稿: 山元 光 | 2013年8月20日 (火) 23時38分
Kasshiniさん、こんにちは。
土曜日に続きまして、日曜日もたいへんに集中力の高い演奏が繰り広がられました。
鑑賞と展示会、睡眠時間の短いなか、どうもお疲れさまでした。
でも、さぞかし充実の1日でしたようで、本当にお喜びもうしあげます。
ミューザの音のよさは、震災による改築後、初めてでしたが、以前と変わりなくわたくしも感じました。
あのようなホールで、この曲を聴けることに大きな喜びを感じます。
ライブで聴くと、オーケストラの鳴りのよさと、どの楽器もその機能を最大限に発揮できるような活かし方を感じ、スコアのすごさにも感嘆します。
展示会での佐村河内さんとの出会い。素晴らしい体験をされましたね。
氏の優しさは、お会いして握手をしただけで、感じ取ることができるものだと思います。
本当に心の豊かで、繊細なお方だと痛感しますね。
いただかれたサインを、Kasshini さんが大切にお部屋に置かれているのが目に浮かびます。
われわれファンの心の糧にもなりますね。
コメントどうもありがとうございました。
投稿: yokochan | 2013年8月21日 (水) 18時44分
いるかさん、こんにちは。
そうですか!素晴らしいご体験をなさいましたね。
氏と会うと、この方があのような巨大な作品を・・・と思いますが、その優しい眼差しと握手の手とに、その音楽の本質のひとつもわかるような気がいたしますね。
是非とも、その思い出を大切になさってください。
氏の御家族や、いま周りで携わっている方々、そして氏の愛する子供たち、みなさんに、いまのこの大きな流れを感謝したくなります。
数年前までは、まったく存在しなかったのですから!
わたしも終末に時間が許せば展示会に足を運んでみたいと思います。
ありがとうございました。
投稿: yokochan | 2013年8月21日 (水) 19時07分
山元さん、こんにちは。
そしてまいどどうもです。
確かに、こっちだとぎこちなくなりますね(笑)
でも、そんに誉められちゃコソバイじゃないですか。
わたくしも、皆さまの多くの熱いコメントに助けられ、触発され、鼓舞されているところ大であります。
わたしなりの、ワーグナーを聴き続けた耳での聴き方ですが、音楽作りの巨大さと細分漏らさぬ緻密さ、そして人間の弱さや、そこに訪れる救済は、ふたりの作曲家に共通する部分だと思います。
これもまた一面、まだまだ聴き方もあるかもしれず、汲めども尽きぬ力を感じますね。
そして岡野プロデューサーの渡欧のお話。
なるほどですね。
ヨーロッパでこの曲が響く日も近いですね!
アジアやアメリカも含んで、世界の人々と共感できたらどんなに素晴らしいことでしょう!
素敵なコメントありがとうございました。
投稿: yokochan | 2013年8月21日 (水) 19時17分
Yokochan師匠こんばんは!!
FBとダブりますが、今日例の「世界展」に行ってきましたので、FBの記事を以下に載せさせて頂きます!!
(FB記事よりそのまま転載)
今日は、東京ミッドタウンまで、佐村河内守の「交響曲第1番(HIROSHIMA)の世界展」を見に行きました。
今回の最大の目的は、「野本由紀夫」教授によるスコアに基づく「アナリーゼ」。
展示内容はとても充実していて、一通り見て廻ると、佐村河内氏のこと、この曲のことが自然と理解できるもの。
正直「簡単な挨拶と握手程度が、おまけとしてあるのかなぁ?」と考えていました。ところが待っている間、「あれっ何か違う!?」 ......「時間が長い!」 スタッフの方から聞いたのですが、佐村河内氏の強い希望で、かなり時間オーバーで、一人一人と手話の方を通して会話をしているとのこと......。
手話の方がいるとは想定しておらず、短い時間で氏にメッセージを伝えようと、事前にiPadに自分の氏へのメッセージをアプリを使い「スライドショー」で用意しておりました。
iPadのメッセージを氏に見せると、「ありがとう!」とたいへん感動して頂き、自然と僕の手を強く握ってきました。「本当に純粋な人なんだなぁー」と、しみじみ感じました。氏の音楽を聴けば分りますが、彼は本物の「ヒューマニスト」だと思います。
なんと、時間にして3~4分もの間、コンタクトしていたことになります。
7/6の東京芸術劇場での公演を聴きに行った感想については、過去のFBで書きましたが、当日氏もホールで聴いて?いて、ベラルーシの指揮者「アレクサンドル・アニシモフ」の演奏の素晴らしさについて、熱く語っていたのがとても印象的でした。
演奏を見ることによって、音がどう鳴っているのかが分るんですね! 本当に凄いことです!
自分にとっては、アナリーゼといい、自分のメッセージを伝えられたことといい、とても充実した1日でした。
投稿: 山元 光 | 2013年8月25日 (日) 22時22分
山元さん、こんにちは。
ご返事が遅れてしまいました。
日曜の部も、佐村河内さんは、長時間、わたしたちとのふれあいを楽しまれたのですね。
山元さん、とても素晴らしい体験と忘れえぬ思いをされましたね。
わたくしも、まったく同じです。
リングのシリーズが終わったら、展示会のことを書こうかと思ってます。
わたしの行きました土曜日も、ひとりひとり、丁寧に対応されてましたよ。
4時の部へ、と思って3時半ぐらいに会場入りしたのですが、まだ前の部の方とお話をされていて、おかげ様で、その間、展示のすべてをじっくりと目に焼き付けるくらいに拝見し、野本氏の解説映像もしっかりと見ることができました。
わたしが、お会いできたのは6時を回ってましたが、氏の体調を心配するまでものなく、とても元気で、明るく、楽しい面談となりました。
お書きになられているとおり、ほんとうに優しく、純粋なお方です。痛感いたしました。
まわりのスタッフさんも、とても気配りよろしく、感激でした。
お互い、いい思い出ができましたね。
これでまた、この曲や室内楽が少しまた違って聴けるかもしれません。
可能性が多すぎる音楽です!
投稿: yokochan | 2013年8月27日 (火) 16時47分