マーラー 「嘆きの歌」 ハイティンク指揮
横浜コスモワールド。
演奏会に行く前に、ちょいと覗いてみました。
ブルー系のイルミネーションがとてもキレイ。
クリスマスまであと2ヶ月。
この前まで猛暑だなんだと言ってたのに。
そしてまだ台風シーズンなんだから、季節感はむちゃくちゃに。
マーラー カンタータ「嘆きの歌」
S:ヘザー・ハーパー A:ノーマ・プロクター
T:ウェルナー・ホルヴェーグ
ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
オランダ放送合唱団
(1973.2 @アムステルダム)
ネットで、懐かしいジャケットを見つけて、お借りしてきました。
高校生の時にレコード発売されたハイティンクのマーラー。
交響曲は、8番でもって全曲録音が終わり、あとは「大地の歌」を残すのみのところへ、出てきたこのレコード。
興味はありつつも、買うまでには至らなかったこの音盤は、CD時代になって期せずして、ふたつ持つこととなりました。
3番とのカップリングと、エロクワンスの廉価盤での10番とのセット。
マーラーの残された完成作品としての第1作。
1878年、18歳のマーラーは、ウィーン音楽院在籍中に、ワーグナーに魅せられるが、ワーグナーが自ら劇作をものし、台本を書いたように、自身も台本創作欲につかれ、素材を「グリム童話」に求めた声楽作品となりうべきものを書きあげた。
「子供と家庭の童話」の中から「歌う骨」という物語を選んだ。
そこに、マルティン・グラーフという人の詩「嘆きの歌」を織り交ぜた。
そして作曲は、その2年後20歳の年に完成し、ウィーン音楽院の作曲賞に応募したものの見事に落選。
傷心のマーラーは、それでも、指揮やピアノでもって地方のどさ廻りをして生活を成り立たせる努力をする・・・・。
この音楽に聴こえてくる1番や2番のフレーズ、それらの完成までは、あと4年です。
3部からなる大作で、Ⅰ「森のメルヘン」、Ⅱ「吟遊詩人」、Ⅲ「婚礼のできごと」からなってます。
Ⅰ.むかし、誇り高く美しい女王がいた。彼女と結婚するには、森に咲く赤い1本の花を見つけた者のみ。
ふたりの騎士の兄弟が、森へ勇み立つ。弟は優しい心根の青年、兄は邪悪な心を持つ男。弟は見事、花を見つけ、帽子に刺して、柳の陰でまどろんでしまう。
それを見つけた兄は、弟を剣で一太刀。
Ⅱ.ひとりの楽士が、柳の下を通りかかり、白々と輝く骨を見つけた。
木の管と思い、それを横笛にしようと彼は取り上げた。
そしてその横笛を吹いてみた。
笛は歌い出した。「親愛なる楽士よ・・・兄がこのおれを殺してしまった、やがて素晴らしい女性と結婚をする、なんという悲しみ・・・・・」
楽士は、各地でこの悲しい笛を吹き広め、やがてお城へ登る。
Ⅲ.婚礼のただなか。かまびすしく賑やかな楽隊に合唱。
王は青ざめて、ふさぎこんでいる。
そこへ楽士がやってきて、横笛を吹くと、あの歌が・・・。
王は玉座を飛び降り、笛を取り上げ、邪悪な笑みを持って横笛を口にする。
すると、「ああ、兄上、親愛なる兄上よ・・・、あなたは私の若い命を死に委ねてしまった・・・」
女王は倒れ、人々は逃げ去り、城壁は崩れ、王は下敷きになってしまう。
なんたる悲しみ、嘆き!
こんな感じの、まさに残酷かつ、嘆きに満ちた、ドイツ中世独特の物語。
この奇嬌なドラマにマーラーが付けた音楽は、オペラを書かなかった作曲家の、一番オペラに近い作品と思われるくらいに、ドラマティックでかつロマンティック。
そして、マーラー独特の明暗・悲喜・唐突・・・、二面性、いや多面性を秘めた複雑な音楽の運びも、この若書きでは明らかになってる。
この3部作を、後年2度ほど改訂していて、3度目、1901年の作曲後20年を経た初演時には、第1部を削除してしまい2部構成としました。
アルマとのお付き合いのさなか、残虐な場面を削除し、破綻に終わる結婚の物語を少しでも薄めようという気持ちもあったのでしょうか。
今日のハイティンク盤は、この最終稿の2部構成版によるものです。
約40分くらいで、ちょうど聴きやすい長さ。
原典の3部版は、ブーレーズやラトルです。
わたしの手持ちのラトル盤は65分もかかりますので、第1部が長いのです。
正直、中だるみしますが、よりグロテスクな雰囲気は3部版の不均衡さの方にあるかと思います。
牧歌的な雰囲気や、婚礼のシーンでの激しさや、バンダ別動隊の巧みな効果など、後年の交響曲の雰囲気にも通じる面白さがあります。
ソロたちの扱いが、情景を述べたり、登場人物になったりと、やや劇的要素に乏しいが、微笑ましいところもありです。
「本当は残酷なグリム童話」とは裏腹に、マーラーの音楽は、ほのぼのとしていますが、マーラー好きには堪らないシーンも続出しますよ。
最後の、思わぬエンディングもイイです。
ハイティンクとコンセルトヘボウ、そしてフィリップス録音は、期待を裏切らない、ふくよか、ヨーロピアンサウンドでもって、耳に心地よく、味わいも深いです。
テノールが弱いですが、ふたりの女声は素晴らしいです。
| 固定リンク
コメント
嘆きの歌を手持ちのCDで探したら、14枚組のAnthology of the RCO 1970-80という放送録音集に、ハイティンク指揮、ボルク(s)、プロクター(a)、ヘフリガー(t)、オランダ放送合唱団で、73年2月のライブがありました。ソプラノとテノール以外は時期もメンバーもLPと一緒です。今まで持っていただけで、きちんと聴いていなかったのですが、クラヲタ様の記事に触発され聴き、20歳の作品でも、既にマーラーらしい音がしていて、気に入りました。今度、第1部のあるCDも勝ってみようと存じます。
投稿: faurebrahms | 2013年10月26日 (土) 07時38分
お早うございます。嘆きの歌はまだ初心者の越後のオックスです。初期の室内楽なども未聴です。中学時代に柴田南雄先生の名著「グスタフ・マーラー現代音楽への道」を読んで、この作品の存在は、早くからしっておりました。中学時代にブーレーズ盤がCD化され、高校時代にシャイーやシノーポリの新録音盤が出たのですが、今も昔もお金が無くて買えませんでした。最近やっとラトルのマーラー全集に入っている演奏とブーレーズ指揮ロンドン響の演奏をCDで聴くことが出来ました。どちらも3部版で演奏しています。18歳の時にこんな猟奇的な物語を劇音楽のテキストに選ぶマーラーは本当に変わり者ですね。小学生の時に「将来なんになりたいか」ときかれて「殉教者!」と答えた人ですものね。でも音楽はとても若々しくて微笑ましいところさえありますね。ハンス・ロットの交響曲や、シュトラウスのグントラムに通じるものがあると思います。でも9番や10番を書いていたころの晩年のマーラーがこのテキストでオペラなりオラトリオなりを創っていたら…考えただけで怖いですね。ルルを書いていたときのベルクも、マクベス夫人を書いていたころのタコ先生も真っ青の怖い曲になっていたような気がします。
投稿: 越後のオックス | 2013年10月26日 (土) 09時55分
faurebrahmsさん、こんにちは。
ハイティンクにはそちらのライブもあるんですね。
歌手が、往年のボルクというところが興味深いです。
この曲の初々しさは、1番や2番の先ぶれのようでもあり、あらためていい曲だなと思いました。
第1部があると長いですが、是非チャレンジしてみてください。
投稿: yokochan | 2013年10月27日 (日) 09時33分
越後のオックスさん、こんにちは。
若書きの作品ですが、劇の内容は濃厚ですね。
やはり、台本を自分で起こすという意味でも、ワーグナーに刺激された部分が大きくて、若気の至り的な濃さになったのでしょうね。
たしかにグンドラム的なとこもあります。
大作曲家の初期作は、ワーグナーもシュトラウスも初々しくて、たまに聴くと新鮮な喜びや驚きがあります。
そこが魅力でしょうね。
投稿: yokochan | 2013年10月27日 (日) 09時51分