バッハ ブランデンブルク協奏曲第4番 アバド指揮
ベニバナ(紅花)のドライフラワーです。
山形県の県花として、あちらでは油や食用にと多く使われてます。
濃い黄色からオレンジの色は、とても秋の色合いでございました。
レストラン紅花もござますが、こちらは、東京駅グランルーフにオープンした山形蕎麦とお酒の店の店頭にあったオープン記念の花々のひとつです。
このお隣には、山形交響楽団音楽監督飯森範親より、というきれいな花も飾られてましたよ。
バッハ ブランデンブルク協奏曲第4番
クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
(1975、76 11、5 @ミラノ)
6曲のブランデンブルク。
最初は5番がお気に入り。華やかだし、バロック風だし、チェンバロの活躍も素敵だし。
3番とか6番の渋いところも好きになっていった。
次は、2番のキンキンのトランペットの世界も悪くないと思うようになったし、そこにリコーダー(フルート)やオーボエが組み合わせられるとこがスゴイと思った。
で、一番かわいらしい4番は、実はこっそりと常に好きだった。
そして、いまだによくわからないのは規模の大きい1番。
ブランデンブルク協奏曲は、かつてはオーケストラ・レパートリーとしてよくのっていて、コンサートオケが演る際は、通常楽器で代用するのでリコーダーはフルートで演奏された。
かつての多くの録音がそういうことになっていた。
かねてより聴いてきたアバドの第一回目の録音もまさにそうで、コンサートスタイルとしてのブランデンブルクで、4番や2番では、フルートが演奏してます。
アバドとスカラ座の蜜月の時代。
この録音のころ、いまや伝説的な名演の「マクベス」と「シモン・ボッカネグラ」が録音された。
座付きオーケストラのコンサート活動は、どこでも珍しくはないけれど、オペラの殿堂スカラ座のバッハというのは録音上、今もって希少なものです。
当時、古楽奏法は今のようには確立されていなくて、古楽器合奏団はあっても先鋭さというよりは緩やかな古雅な雰囲気が先立つものでした。
当然に、このアバド盤は現代楽器による通常奏法で、フォルムの美しさと歌心に満ちたおーソドックな解釈です。
こうした演奏に、懐かしさを感じてしまうのは、嬉しいことでしょうか、悲しいことでしょうか。
それだけ、いまのわれわれの耳が異なる演奏・奏法にすっかり馴染んだということでしょう。
バッハ ブランデンブルク協奏曲第4番
リコーダー:ニコラ・ペトリ、ニコラーイ・タラソフ
ヴァイオリン:ジュリアーノ・カルミニョーラ
クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト
(2007.4 @ヴァーリ市立劇場、レッジョ・エミリア)
こちらは、前回ミラノ盤より30年が経過したアバドのライブ演奏。
ふくよかなお顔は、すっかりシャープになり、病で全身がシェイプされたので、小柄で、その指揮姿はむしろキビキビしたものに拝見します。
今年の来日は延期(と思いたい)になってしまったけれど、この演奏は、前回来日のあの2006年の翌年のもの。
指揮棒を持たず、楽員さんと同じ平土間で、最小限の動きでキューだしぐらいしかしてない。
アバドももう、そこにいるだけで・・・・的なオーラを発する超存在になっていることを痛感します。
とりたてて何もしていないように見えるけど、演奏者ひとりひとりと目を合わせ、心を通わせて、音楽だけに打ち込んでいるのが映像と出てくる音楽でよくわかる。
到達した領域は高みすぎて、凡人の及ばぬところですが、アバドはどこまでも謙虚で、微笑みを忘れません。
華やかな2番で終わる、このコンサートの拍手喝采は、常に楽員さんたちと同じ位置か、むしろそれより一歩後ろ。
どこにいるかわからないくらいの立ち位置なのです。
そしてここでのバッハの演奏の響きに、いまのわたくしの耳は、これこそ馴染みます。
旧来の演奏の粋にいまや留まったスカラ座盤に比して、こちらの若い楽団とキラ星のごとくのアバド仲間の名手たちの新盤は、いまこの時代に普通に違和感なく聴かれる普遍的な古楽演奏様式なのです。
行きすぎた先鋭さもないし、鈍長さもない、リズムに敏感で歌う気持ちも満載。
誰にも納得できる、「今」が行き着いた普通のバッハ演奏だと思います。
ともかく、音楽の活きの良さと、気持ちの充分入った若々しい表現もまたアバドならではです。
少女のようだった、ニコラ・ペトリさまが、アバドと共演して落ち着いたリコーダーを聴かせてくれちゃう。
ペトリちゃんが、デビューのころの35年くらい前には、こんな構図、夢にも思わなかった。
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