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2013年11月14日 (木)

シューベルト 交響曲第4番「悲劇的」 マリナー指揮

Yudepea

いきなり、いつになく食材にて失礼しますよ。

ビールはわかりますね。

そして、その相方は、落花生。

今が旬、冬には炬燵入って、ぬくぬくとして、落花生とみかんで、お茶。

こちらは、その落花生を煮た、「ゆで落花生」。

わたしたちは、それを「ゆでピー」と呼びます。

その落花生の最大の産地は、千葉県八街市。
その街に、うちの息子は通ってます。
そして、私のいま住むお家は、そのほぼ隣。

そもそも落花生は、中国から伝わり、日本で初の栽培地は、神奈川県大磯町。
いまでは大磯では、さほどではありませんが、より土壌が適した内陸の秦野市が、神奈川県の落花生の生産中心地。
それに次ぐのが、わたしの育った二宮町。

というわけで、わたしの人生には、落花生が着いてまわっているのです。

子供時代、学校から家まで、何軒も落花生屋さんがって、豆を炒る香ばしい匂いと、機械の音を毎日聞いて過ごしました。

Syoutou_daining

地鶏としめじ、にんにくの焼き物、自家製さつま揚げ。

これも肴に飲むんだな。

ゆで落花生とともに、こんな素敵なツマミで楽しめる店を渋谷でみつけてしまった。

学生時代を過ごした若者の街なのに、いつしか敬遠してた渋谷で、こんな大人も楽しめるお店を確保した喜びは、思わず、朗らかにシューベルトを聴きたくなる心境ですよ。

Schubert_marriner

  シューベルト  交響曲第4番 ハ短調 「悲劇的」

   サー・ネヴィル・マリナー指揮
     
       アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

                        (1981@ロンドン)


「悲劇的」というタイトル。
なんで悲劇的なんだろうと思う。
抒情性と優しさが、ハ短調という非劇の曲調に勝っていると思う。

なのに、なぜか、シューベルト自身が、この曲の完成後、「悲劇的」のタイトルを自ら冠した。

同じ「悲劇的」の名前を持つ身近な曲は、ブラームスの「悲劇的序曲」がニ短調、マーラーの交響曲第6番がイ短調。
シューベルトは、ハ短調で、思えばベートーヴェンのようでもあります。

それでも、悲劇的な様相は、マーラーがいちばん。
ついで、いつもいかつめらしいブラームス、そしてなによりも苦虫かみつぶしたベートーヴェンさんは、悲劇的というタイトルはないけれど、やたらと暗の部分でのマイナス嗜好がその音楽に現れてます。
もちろん、その半面の突き抜けた勝利や、明晰さが生きてくるのがベートーヴェンなのですが。

そして、われらがシューベルトは、自分が悲劇と思いつつも、その音楽の底には必ず、豊かな抒情に裏打ちされた優しさがあるものだから、決して暗くもないし、切実さもありません。
でも、どこかに死の影を見出すことにもなる。

そんな優しさと、陰りのあるシューベルトが大好きです。

そして、アバドとサヴァリッシュとともに、マリナーのこの交響曲演奏は、スマートできびきびとしつつ、英国的なノーブルな清々しさがありまして、こちらもとても大好きなのです。
陰りの部分は、ちょっと弱め。

第2楽章の滔々たる抒情の素晴らしさは、いつまでも浸っていたい、緩やかなる慈しみの世界です。マリナーのさりげなさが実にいい。
終楽章の、ちょっと不安を感じさせ、ちょっと先を急ぐかのような風情は、アカデミーの俊敏なサウンドが実によく生きてます。

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コメント

神奈川県民にとって落花生と言えば秦野。
「はたの」では無く「はだの」なのですが、どうも他県の方々は「はたの」と読まれる方が多い。特に西。
神奈川県民はよもや「はたの」などと読まれませぬでしょうね。
ま、兎に角落花生であります(笑)

あぁ、いやシューベルトの「悲劇的」でしたね。彼が20歳前に書いた曲。
私も聴き始めた頃はこの曲のどこが「悲劇」なんだ?って思ったものです。
どうも、青春のメランコリックさからシューベルト君が付けちゃった、って感じも無きにしも非ず・・・なのか?

それでも回数を重ねて聴いてみれば、仰るとおり、翳りがうっすら隠し味として効いてくるって言う、ナイスな曲でもあります。

う~ん、マリナー卿のものは聴いたことが無い私の愛聴盤はケルテス殿。ちょいと、サッパリしてますかね・・・。

シューベルト、良いですよね。

投稿: スリーパー | 2013年11月14日 (木) 23時58分

スリーパーさん、ご安心ください。
100%「はだの」と聞いて行って大きくなりました。
小田原を「おたはら」と読む人には、あきれ引いてしまいましたが、「はたの」のよく言われちゃいますね。

シューベルトの交響曲のなかでは、悲しみの色が強い風に思われがちですが、全然そんなことのない、優しい抒情が勝った桂曲でありますね。
神奈川フィルも、誰かさんの指揮のときは聴けません(聴きません)でしたが、今度は、若い彼やゲッツェルさんで是非聴いてみたいところです。

投稿: yokochan | 2013年11月15日 (金) 19時29分

悲劇的 の対義語は、楽劇的(がくげきてき)??

重ーーい、ワーグナーの世界かな??

**
シューベルトの悲劇的。バブル期のアバド指揮ヨーロッパ室内管で聴きました。

シューベルトの交響曲第1番 と 4番「悲劇的」。その間に、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番を挟み込んでいましたね。マレイ・ぺライアのピアノでしたっけ。この演奏会、シューベルト・チクルスの中でお客さんの入りが良くない部類でしたよね。今でも覚えています。

今から思えば、こういう企画があったこと自体、贅沢でしたね。。

こういう豪華な顔ぶれ、今じゃー、無理。

自分が演奏会から遠のくのも無理もない。まして田舎に居ますし。。

*****
田舎に引っ込んで正解。。

投稿: 気分的に真ん中人 | 2013年11月15日 (金) 22時09分

悲劇も喜劇もともに味わってる進行中のわたくしです(笑)

お聴きになられた、アバド&ECOのシューベルトチクルス、わたくしも1演目行きましたよ。
当時はバブルの頃でした。
コンチェルトは2番、でグレートの日。
ペライアの研ぎ澄まされた美音に驚きました。

ほんと、ああいう味わい深いコンサートは、いまや希少です。
豪華な来演公演より、いまは、身近な地元オケが楽しく思います。

投稿: yokochan | 2013年11月16日 (土) 10時18分

今日は。マリナーのシューベルト全集、私も欲しいです。未完に終わった曲の補筆完成版が入っていますものね。しかもマリナーのノーブルな指揮が楽しめるのでしょうし。
 実は持病の躁うつ病がまた悪化して6日から入院しております。主治医の許可をいただいて、一時帰宅しております。市立図書館での市民読書会に出るためです。実は10年もお世話になった病院の臨床心理士の先生を好きになってしまいました。もちろん女性で笑顔がとても素敵な方です。以前は臨床家として有能な方だけど、女性としては意識していませんでした。でも心理士と患者は深い仲になってもいいが、親しい仲になってはいけないという鉄則があるのです。切ないですね。私はあまり惚れっぽいタイプではないのですが、私よりもずっと頭がよくてインテリジェンスの高い女性に弱いようです。2010年に入院した時、この先生とのカウンセリングは終了しました。とてもショックでした。でも今は、たまに病院の中ですれ違って挨拶を交わしてこの先生の笑顔が見れるだけでいいかななどと思ったりしております。

投稿: 越後のオックス | 2013年11月22日 (金) 10時51分

越後のオックスさん、こんにちは。
一時帰宅とのこと、お加減はいかがですか。
わたくしのような年齢になると、もう女性への憧れ的な思いは、カサカサになっきてしまって、過去へ思いが飛ぶばかりです。
とてもうらやましく、微笑ましく思いますよ。
秋から冬、いえもうそちらは充分冬でしょうか・・、そんな季節には、人を思う気持ちが増します。
そんなときに、シューベルトの暖かい抒情の旋律はいいですね。
部屋を暖かくしてシューベルトを聴いて、気持ちもゆるやかにお過ごしください。
マリナーの押し付けがましくない演奏がぴったりだと思いますよ。

投稿: yokochan | 2013年11月24日 (日) 11時40分

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