マーラー 交響曲第10番 金聖響指揮
みなとみらい、クィーンズ・スクエアを歩いて行くと、この時期、遠くに大きなツリーが見えてきます。
そのツリーの斜め下が、みなとみらいホールの入口です。
シンギングツリー。
クリスマス・ミュージックに合わせて、文字通りイルミネーションが七変化します。
みなとみらいホールの音響が、すっかり自分の耳に馴染み、いまはサントリーホールよりおなじみになってしまいました。
ホールとオーケストラの関係は、きってもきれない間柄。
ホールの音響によってはぐくまれる、色や響きの特徴もあります。
よく言われるのが、アムステルダム・コンセルトヘボウとウィーンのムジクーフェライン。
ベルリンや、ボストンもそうですね。
日本では、巨大なNHKホールの隅々に音を満たすことで、かのオケの特徴も生まれたものと思います。
そして、われが神奈川フィルには、みなとみらいホールがあります。
かつては、音楽堂と県民ホールという、どちらかというとデッドなホールが本拠地だった。
みなとみらいは、繊細なくらいに響きが豊かで、ある意味女性的な柔和さも感じます。
そんな本拠地で、聴きなれた神奈川フィルのマーラー・ライブがついに発売されました。
マーラー 交響曲第10番 嬰ヘ長調 (デリック・クック補筆完成版)
金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
(2013.2.14,15 @みなとみらいホール)
2月15日が本番。
ホールに居合わせましたよ、当然に。
マーラーの10番全曲版は、わたしにとっては、遅れてきた存在で、長く、アダージョしか聴かない時期がありました。
全曲をひとつひとつ集めて楽しんだ、アバドやバーンスタイン、テンシュテット、当初のインバル、ベルティーニなどが、補筆全曲版を手掛けなかったことにもよります。
ライブでは、飯森&東響のみで、それはそれでよかったのですが、まだ遠い存在の10番。
それが、近くにやってくることになったのは、聖響&神奈川フィルのマーラー・チクルスのおかげです。
それに先駆けて、何種類もの音源を聴きまくり、ようやく全貌が見えだして、そのうえでの演奏会でした。
そして、このときの演奏ほど、自分の中に、10番がすらすらと入ってきて、しっかりと、マーラーの交響曲の一員として根付くのを実感できたものはありません。
ちょっとそのなり立ちと存在に、眉に唾してた、10番ですが、エルガーの3番がそうであったように、いまや完全に、「マーラーの10番」として、強く自分のなかに存在してます。
そのライブが、こうして超優秀録音によって蘇り、いま自分の聴きなれた装置で、あのときの感動がさながらにして再現できるという、えもいわれぬ喜び。
みなとみらいホールの音像を、くっきりと、きれいなカーブを描くような響きを、忠実に捉えたこの録音は、わたくしのおんぼろ装置でさえも、ヴェールが1枚取れたかのような、すっきり、くっきりの明るい色調のものでした。
きっとSACDで、ちゃんと聴いたら、もっともっとすごいんでしょう。
音の芯も、しっかりとらえてますし、打楽器の迫真の音も風圧とともに、びんびんきます。
もちろん、平尾さんの叩いた、バスドラムの容赦ない数撃は、適度に乾いて、そして、ウェットでもあり、虚しくもあって、あの晩の印象そのものに、いまもこの録音から耳に響いてきます。
このときの演奏の白眉であった、第5楽章は、そうしてバスドラムから始まり、不気味なテューバ、諸行無常の哀しみのフルート、弦につながってゆき、やがてカタストロフの再現。
そのあとに訪れる平安と安らぎが、しずかに広がってゆく光景。
あのコンサートのとき、涙して、しまいには慟哭しそうになった場面。
自宅では、さすがにゆとりをもって聴きましたが、それでも、この終楽章の美しさは、神奈川フィルの音色あってのもの。
とくに弦楽器の美しさ。
CDだと、耳だけなので、よけいに全体を見渡すことができますが、その全曲にわたって、はりつめた緊張感と、音楽へ打ち込む熱のようなエモーションを感じる一方、細かなところでの精度にいま一歩を求めたくなるのも心情。
当日も、感じたのはその点で、ファンとしては耳に痛いことも書いておかなくては。
会場では聴こえない、聖響さんのうなり声も繁茂に聴こえますが、指揮者が、ちょっと没頭しすぎてしまうんでしょうか、やばいと感じた演奏会での特に2楽章は、ここでは違うテイクになっているようです。
ですが、わたくしには、そうした演奏の精度をあげつらってどうのこうのは、まったく意に関することではございません。
聖響&神奈川フィルの8番以外のマーラーを全部聴いてきた集大成の音源という意味で、感無量の思いとともに、オーケストラがマーラーを通じて、確実にオケとしての一体感を勝ち取ることができたと思うから。
聖響マーラーは、過度な思い入れを廃し、早めのテンポですっきりと快適に進行する、嫌味のまったくない健康的なものだと思います。
番号でいえば、若い方の番号が似合っていて、後期のものになると、もう少し辛口の味付けと濃淡を求めたくなります。
そこを補っていたのが、神奈川フィルの持つ能動性と、音色の美しさではなかったかと思うのです。
そうした諸々の総轄を、わたくしには、この10番の演奏に聴いてとることができました。
細かなところは、またいずれ書き足そうと思ってます。
日本のオーケストラ初の10番全曲版の録音。
これからも、コンサートの思い出とともに、大切にしていきたいCD音源となりました。
欲をいえば、素直な3番と、震災翌日の異様なエモーションに包まれた6番。
このふたつを是非ともCD化していただきたい!
過去記事
「2013年2月 定期演奏会」
こちらは、去年2012年のシンギング・ツリー。
グリーンな感じです。
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コメント
放漫なことしていません。実は、ガタイがいいけど豊満なからだでもありません。
さて、バブル期のマーラー・ブーム。全曲演奏会 10番は含まれてはいなかった気がしています。
2011年、没後100年のマーラーの演奏会。インターネット上のLIVEまたOnDemand配信では、10番を全曲で演奏した楽団。そうでない第1楽章のみ、演奏もしない の3パターンに分かれましたね。
国内のオーケストラ は、楽団の体力(実力=集客状況、集客体力、企画力)でも、マーラーの取り上げ方が違いましたね。。
<震災翌日>ではなくて、震災当日に演奏会を開いた、新日本フィルのD.ハーディング指揮の マーラーの5番。音が悪くても、現れて欲しいですね。ドキュメンタリーとしてNHK番組にもなったけど。
僕は<震災翌日>、新日本フィルから電話がかかってきてました。「中止。」の話。まー、丁寧な応対だと思って感心した。
音楽史上では、ロマン主義音楽は、マーラーの頃まで。それ以後は、台頭していたモダニズム音楽が主流へと変化していきますよね。
ロマン派音楽をひきずった作曲家は、多かったですね。
**
神奈川フィルの10番、貴重ですね。なかなか普通は作らないだけに。。最上級永年定期会員にでも無料配布しても、喜ばれたりして。。コミュニケーションのうたい文句次第ですけど。
投稿: ’浪漫’派音楽を聴く’放漫で’豊満’な人 | 2013年12月22日 (日) 09時56分
夏に出る予定だったのが、年も押し詰まってのようやくの発売にほっとし、そしてあの日の感動に浸りました。
精度の面と仕上げに、アフターでは幾分不満を述べておられた実演でしたが、僕にはこの音楽の場合、適度な“暴れ”があってよかったと思います。
その点、プローベの演奏に差し替えたのか、随分聴きやすいものにはなってしまいましたが。
ともかく、堪能させて頂きました。ハーディング=ウィーン・フィルの演奏より、僕的には「上」です。ギーレン=北ドイツが最高なのは譲れませんが。
投稿: IANIS | 2013年12月23日 (月) 01時36分
浪漫’派音楽を聴く’放漫で’豊満’な人さん
世間で認知された10番は、いまだに進化系ですが、とりあえず、クック版にて、こうして日本オケ初CD化されたことが快挙です。
N響がいまだに取り上げてないのが不可解です。
都響のインバルシリーズではどうなるんでしょ。
震災当日の新日はテレビで見ました。
翌日昼の方が、震災の様子がいきわたっていたし、交通インフラが機能しだしてすぐのことでしたので、その間隙をぬってホールに駆けつけました。
津波の映像をフラッシュバックさせながら、涙を流しながら聴いた6番は、生涯忘れられません。
投稿: yokochan | 2013年12月23日 (月) 22時46分
IANISさん、まいどです。
発売まで、いろいろとあったみたいです。
でも、こうして手にすると喜びもひとしおでした。
あの日、聴いていただいて、ほんとう嬉しかったです。
完成度の高い、このCDが残され、日本のマーレリアンに多く受け入れられることを願ってやみません。
確かに、ギーレンのライブは素晴らしいですね。
切れ味が違います。
わたくしも兄貴のように、10番をもっと極めたいと思いますので、引き続き、ご指南のほどお願いいたします。
投稿: yokochan | 2013年12月23日 (月) 23時01分