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2014年1月20日 (月)

さようなら、アバド

Abbado_20140120

まさか、ベルリン・フィルのサイトに、こんな画像が載る日が来るとは・・・・。

いつかは来ると思っていたけれど、そして、そんな日は絶対に来ないとも思っていたけれど。

クラウディオ・アバドが、本日1月20日、療養中のボローニャで亡くなりました。

享年80歳と半年。

42年間に渡って、ずっとアバドを聴いてきました。

その真摯な生き様は、いつも、私の範ともすべきものでした。

そして、兄のように心から慕ってました。

もう何も手につきません。

音楽を聴くことすらできそうにありません。

いま、できることは、マエストロ・アバドの魂が安らかならんこと、お祈りすることだけです。

さようなら、クラウディオ・アバド。

これからも、ともにあらんことを。

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コメント

やっぱり。と思いました。

1992年のとき、3月公演でホヴァンシチナ、ヴォツェックを観ることが適いませんでした。何故なら、ウィーンを辞任していたからでした。

ウルフ・シルマーのホヴァンシチナ、ハインリヒ・ホルライザーのヴォツェックに指揮者差し替えになっていたので、パリ(チョン・ミュン=フン指揮のムチェンスク・・)・ウイーン(パヴァロッティ)・ロンドン(ヴェニスに死す)に変えた経緯があるから、辞任したことを残念に思ったものでした。。

投稿: T.T | 2014年1月20日 (月) 21時05分

 初来日でしたっけ。73年のウィーンとのベートーヴェン8番・7番を聴きました。若々しいスタイリッシュな表現が印象に残りました。晩年までそのスタイルはあまり変わらなかったですよね。
ご冥福をお祈りしたいと思います。

投稿: コバブー | 2014年1月20日 (月) 21時50分

お慰めする言葉もございません。

ブログ主様の最愛の音楽家でアニキですものね。

でも大丈夫です。

マエストロが亡くなられてもその芸術は不滅ですし、

こんな弱くてダメダメな人間の私でも、芸術上の

師とも父とも仰いだ辻邦生先生の件から立ち直っているの

ですから…

投稿: 越後のオックス | 2014年1月20日 (月) 21時56分

訃報を知り、来るべき時が遂に来たかとの思いでした。

サントリーホールでのマーラーの6番-あれが僕の一生に一度のアバド体験。もっと聴きたかった・・・。

マエストロの魂が安らかならんことを願うばかりです。

投稿: IANIS | 2014年1月20日 (月) 22時15分

追悼。
1981年スカラ座日本公演
アバド指揮
ロッシーニ《セビリアの理髪師》より
http://www.youtube.com/watch?v=yGgjTUELIdQ
http://www.youtube.com/watch?v=CwCtBABrUWQ
http://www.youtube.com/watch?v=6X2y-F-cGNo

投稿: 苹 | 2014年1月21日 (火) 02時02分

私も、女子クラ部のツィートで知りました。もともとツィートを取った理由は、勝手にフォローされたからですが。
私はアッバードの演奏をCDでもほとんど聴いていませんが、近年レコード芸術の人気投票でもトップに挙がっていた、ベートーヴェン 交響曲第8番 90年代ベルリンフィルは、とても素晴らしい演奏でした。唯一ヴィーンフィル演奏のグレの歌も、手に入れてみたいと思っています。
他だと、マーラー交響曲第3番か4番、グルダと組んだモーツァルト ピアノ協奏曲で数多くの名演を残し、多くの室内管弦楽団で若手を育成し、ウィーン・モデルンも、アッバードが始めたものですよね。

そうしたことから、私も、マエストロが亡くなられてもその芸術は不滅ですと、考えています。

私も、ブルックナー交響曲第9番第3楽章を聴きながら黙祷していました。さきほど、ブルックナー交響曲第9番について記事を書きましたが、タイトルと記事の一部に、クラウディオ・アッバード逝去に贈ると綴らせて頂きました。
逝去にブルックナー交響曲第9番とした理由は、ブルックナーで記事を最近綴っていたのと、第3楽章で奏でられる第1楽章第1主題を暗示したワーグナーチューバに荘厳なコラール風の主題を、ブルックナー自身が、「生への告別」と述べたエピソードからです。今、体で聴こえる音がおぞましい不協和音以外ないであれば、佐村河内守作品から選ぶと思います。

長くなりましたが、私自身1曲しか聴いていませんが、その曲の素晴らしい演奏に敬意を表して、ご冥福をお祈り申し上げます。

投稿: Kasshini | 2014年1月21日 (火) 15時52分

本当に残念です。あと4・5年生きてルツェルンで
頑張って欲しかったですね。
今日はマーラーの9番、最後のアプローズに合わせて、拍手でお送りしました。

投稿: snowman | 2014年1月21日 (火) 16時38分

こんばんは。
大変お辛いとは思いますが。いつか来る日だと。
当方にとっては、日々がそういう毎日です。
ランスへの旅が1番素敵でした。

投稿: Mie | 2014年1月21日 (火) 19時34分

クラシック系のブログはもう長いこと見て歩かなくなっておりますが、
アバドの訃報に触れた今日、こちらにだけはお伺いせねばと思いました。

深く御愁傷のことと、お悔やみを申し上げます。

Condolences.

投稿: さすらいのジーン | 2014年1月21日 (火) 20時23分

T.Tさん、こちらにもありがとうございました。
アバドがウィーンを離れたのは、とても残念なことでした。
純粋なひとでしたから、新体制との相性と、ザルツブルクでの楽員さんが一定しないこと、などが不満だった。
オペラもからむ、ウィーンという存在は鬼門ですね。
でも、たくさんの音源も残され、いまではいい時期にウィーンの任期にあったと思ってます。

投稿: yokochan | 2014年1月21日 (火) 20時36分

コバブーさん、こんにちは。
73年の公演を聴かれていらっしゃるとはまた、素晴らしい。
わたしは、テレビ観劇でした。
ブラームスとベートーヴェンの3番に青きドナウ。

当時、「オーケストラがやってきた」で、山本直純さんが、布施明が指揮をしたのを見て、アバドのようだと言っていたのを思いだしました。

投稿: yokochan | 2014年1月21日 (火) 20時39分

越後のオックスさん、こんにちは。

あたたかき、お言葉、ありがとうございます。

夕べは、ほんと、ショックで、しかも、忙しかったものですから、頭の中が真っ白になってしまってました。

芸術家・創作家は、こうして記録が残り、それをずっと味わえるのが、なによりの慰めです。
例えるのも変ですが、一般人は、右から左ですが、そうでない方々は、永遠に残るものがありますからね。

お言葉、ありがとうございます。

投稿: yokochan | 2014年1月21日 (火) 20時45分

IANISさん、まいどです。

きてしまいました・・・・

どーしょーもない空白感です。

昨年のルツェルンとの来日中止。
あの直前あたりからの不調なのですね。

テレビでみた、そのルツェルンとの昨年のエロイカでは、どこか疲れた陰りある表情を感じましたが、字にするのがはばかられましたから、なにも表明してませんでした。

わたしにとっては、完全に時代がひとつ終わりました。

投稿: yokochan | 2014年1月21日 (火) 20時53分

苹さん、こんにちは。

81年の舞台の映像のご案内、ありがとうございました。
ネットで見れるのですね。
懐かしいです。
シモンしか行けなかったもので、ほかの3作や、レクイエムはテレビ&FM鑑賞でした。
主役3人が、この上演で、その存在が日本に知れ渡ったスタート地点のものです。

悲しみのなかに、ロッシーニの微笑み。
ありがとうございました。

投稿: yokochan | 2014年1月21日 (火) 20時57分

Kasshiniさん、こんにちは。

追悼のお言葉と、ブルックナーの第9、ありがとうございました。
アバドは、ルツェルンで第9を指揮して、そのあと、日本にそれを携えてくる予定でした。
アバドにとっての白鳥の歌ともなってしまいました。

ウィーンフィルとのCDも素晴らしいですが、さらに凄かったのが、以前記事にした、ベルリンフィルとのライブです。

あらためまして、ありがとうございました。

投稿: yokochan | 2014年1月21日 (火) 21時03分

snowmanさん、こんにちは。
80では、思えば、若すぎる逝去。
ルツェルンでのオケとの共同作業は、次はブラームスでしたし、欲を言えば、マーラーも8番が残されてました。

常に潔いアバドでしたが、きっと音楽への思いは、心残りがあったかもしれません。

マーラーの第9、アバドを送り出すに、いまは相応しい音楽かもしれませんね。
ありがとうございました。

投稿: yokochan | 2014年1月21日 (火) 21時11分

Mieさん、こんにちは。
お言葉ありがとうございました。

いつかは、と思ってもう何十年でしたが、実際にきてしまうと、辛い半面、まだともにいる感覚があります。

アバドの日本でのオペラが、全部観れなかったのが残念です。
ランスの豪華メンバー、行きたかったです。

投稿: yokochan | 2014年1月21日 (火) 21時16分

さすらいのジーンさん、わざわざご訪問いただき、ありがとうございました。

あたたかきお言葉と、ご配慮、いたみいります。

寂しいものです。
この空白感は、いかにしても埋まりませんが、いつかは時間の経過とともに、変化していくのでしょうね。

わたくしも、あらためまして、アバドのために祈りたいと思います。

投稿: yokochan | 2014年1月21日 (火) 21時20分

1つの時代が終わりましたね。2003年のイースター音楽祭の天国的に美しいシューマンの「ファウストからの情景」を聴けたことは私の中で宝物です。出来れば、マーラーの3番や9番も聴きたかったです。

投稿: vvvf | 2014年1月21日 (火) 21時52分

通りすがりの者です。コメント失礼致します。
昨日朝、ラジオニュースでアバド氏の訃報を知り、
驚いた一人です。
クラシック音楽のCDを結構複数持っているのですが、
残念ながらアバド盤はさほど多くないので、私が
コメントする資格があるか否かは心許ないのですが。

今、その数少ないディスクのうちアルゲリッチと共演
したショパン&リスト(いずれも第1番。1968年録音)
のCDをかけています。
若々しく瑞々しい、今も決して色褪せていない名演
かと個人的には感じています。
この録音を含めて数多の録音を遺して下さったアバド氏
に「ありがとうございます」と申し上げたいです。

末筆ながら、謹んでアバド氏の御冥福をお祈り申し上げます。
(長文失礼しました)

投稿: mau | 2014年1月22日 (水) 12時07分

ここしばらくテレビ・新聞・パソコンとも縁遠い生活をしていて今日初めてアバドの訃報を知りました。私の20歳年上と知っておりましたが、まさかの出来事です。熱心なアバドファンではありませんでしたが、ロンドン響やシカゴ響時代のレコードである「セヴィリア」や「ランス」がいい! そして何よりミラノスカラ座時代のアバドのCDを今でも何度も耳にしています。「シモン」と「ドン・カルロス」は最高です。今彼の訃報を知って、当時初めて「アバド」を知ったCDを聴いています。ベルク組曲、3つの管弦楽曲、そしてアルテンベルク歌曲集が収まったアルバムです。これまであまり耳にしたことがない響きで.
重苦しくない透明な響きに感動させられ、新ウイーン楽派理解の門戸を開いてくれた貴重なレコードの1枚でした。

投稿: ornellaia | 2014年1月22日 (水) 14時42分

通りすがりの者です。こちらのブログでアバドの訃報を知りました。
闘病中であることは勿論知っていましたが、驚きました。とても残念です。
月並みな物言いですが、若い頃から大病を患ったのちまで、一貫してアバドの音楽には透明感と歌があり、また、自己憐憫や厭世には程遠く、常に若々しさと前へと進む推進力にあふれていました。良い意味で屈折がなく、音楽に真正面から向き合った人という印象でした。
名盤は数多く、どれも思い出深いですが、今、ベルリンフィルとのブラームス4番を聴き、渋く鈍く光るこの交響曲にあふれている素晴らしい歌に改めて浸っています。ご冥福をお祈りします。

投稿: soltifan | 2014年1月23日 (木) 00時04分

こんばんは。
お悔やみ申し上げます。
中部圏に住んでおりますので中日新聞を購読しています。
その中日春秋というコラムに、クラウディオ・アバドさんの死を悼む一文が掲載されていました。7歳でドビュッシーに魅せられ、あの舞台の魔法使いになろうと決心されたとか。少年の心を満たした音楽は、その類まれな心を通して多くの人の心を満たし、また、これからも満たし続けるのだと思います。
yokochan さま、お慰めする言葉もありませんが、どうかお力落としのなきよう…

投稿: 聖母の鏡 | 2014年1月23日 (木) 00時06分

合掌。

私は今年で38になる若輩者(立派な中年?)なのですが、クラシックの魅力がぼちぼち分かり出す頃にはすでにカラヤンやバーンスタインが最晩年を迎えており、アバドがカラヤンの後を襲いベルリンフィルの常任指揮者に就任したニュースなど、私のクラシック歴の最初期の記憶として鮮烈に残っています。
yokochanさんとは付き合いの濃さ、長さを比べるべくもありませんが、わたしにとっても非常に大きな存在でした。

大して聴き比べをやらないにわかの私でも、ポリーニとのバルトーク、BPOのマーラー9、ドヴォルザーク8、プロコフィエフのロミオとジュリエット、LSOのメンデルスゾーンなどなど思い入れのある音源がいくつか思い浮かびます。

今更ではありますが、ベルリンフィル勇退、闘病復帰後の音源などにもあたり、彼のことを偲びたいと思います。
中古、廉価版ばかりあさって、リアルタイムのマエストロといささかの距離があったことが情けないことこの上ないです。テレビなどではそのすごみのあるというか。一種脂の落ちた、核心に迫る、それでいて変わりなく若々しい演奏に接して興味を持っていたのに…。

投稿: あかがね | 2014年1月23日 (木) 02時24分

vvvfさん、こんにちは。
シューマンのファウストをお聴きになられたよし。
とてもうらやましいです。
この地味な作品が蘇ったのもアバドのおかげかもしれません。
アバドが愛し続けた作品のひとつですね。
わたしも、久しぶりに耳を傾けたいと思います。
ありがとうございました。

投稿: yokochan | 2014年1月23日 (木) 08時01分

mauさま、こんにちは。
こちらに、追悼のお言葉ありがとうございます。

わたしのアバドの初レコードは、そのアルゲリッチとの共演盤でした。
今でも鮮度の高い素敵な名演ですね。

わたくしも、アバドには、感謝の言葉しかありません。
多くの音楽をいただきました。

投稿: yokochan | 2014年1月23日 (木) 08時17分

ornellaia さん、こんにちは。
アバドの本領はオペラにこそありましたね。
ロッシーニの軽やかさと、ヴェルディの高貴な歌。
そして、ご指摘のとおり、ロンドンとシカゴ時代は輝いてました。

アバドのベルクは、ブーレーズしか目ぼしい演奏がなかったときに、登場した驚きの1枚でしたね。
わたくしも、レコードが擦り切れるくらいに聴き、ベルクの音楽の美しさに目覚めていきました。

ありがとうございました。

投稿: yokochan | 2014年1月23日 (木) 08時24分

soltifanさん、こんにちは、はじめまして。

まったく、ご指摘のとおりに、生真面目なアバドは、いつもまっすぐに音楽に向き合い、そして明るく透明感ある音色を基調に、いつも若々しい演奏をしておりました。

ルツェルンでの次のチクルスは、ブラームスでした。
新たな高みに達したブラームスが聴けなくなったことは無念ですが、ベルリンとロンドンでの4番の演奏は、歌心にあふれた素晴らしい演奏でした。

わたくしも是非に聴いてみようと思ってます。
ありがとうございました。

投稿: yokochan | 2014年1月23日 (木) 08時35分

聖母の鏡さま、こんにちは。
あたたかいお励ましのお言葉、ありがとうございます。
感謝にたえません。

アバドの自叙伝の一節だと思います。
夢見る少年クラウディオが偲ばれますね。
ピアニストだった母親が語る絵本や、母方の祖父から教えられたことが大きく影響した少年時代だったそうです。

そうですね、少年の夢が大きく叶い、いま世界中の私たちにその音楽を届けてくれました。

マエストロ・クラウディオに感謝いたしたく思います。

投稿: yokochan | 2014年1月23日 (木) 08時40分

あかがねさん、こんにちは。

アバドの訃報、極めて残念ですね。

付き合いの長短に係わりなく、アバドの音楽は、その真摯な人柄とともに、聴く者、演奏する者の心をとらえてしまいますね。
アバドのもとで演奏した人々が、アバドを慕い、今後世界中のオーケストラでその思いを紡いでゆくのではないでしょうか。

いろいろな有力ポストについてましたから、エピソードもたくさん。
わたくしも、それらを思いだしつつ、これからもずっとアバドを聴いていきたいと思います。
あげられた音源の数々、わたくしも、いずれも大好きなものばかりです。

ルツェルンとモーツァルト管での、軽やかさまで感じる純度の高い演奏の数々、まだまだこれから聴けると思ってました。

アバドを愛したわたくしたち。
これからもずっと聴いていきましょう。
ありがとうございました。

投稿: yokochan | 2014年1月23日 (木) 08時49分

yokochanさん

 アバド氏の逝去、私もクラヲタの一人として、心からお悔やみ申し上げます。
 私が初めて聴いた録音は、ウィーンフィルとの1960年代のベートーヴェン:第7でした。偶然カセットで2つ入手し、モントゥ・ウィーンフィルと続けて聴くことになり、ヘンな聴き比べになったのでした。
 ただ、一つ挙げるとすれば、やはりポリーニと組んだ、ブラームス:ピアノ協奏曲第2番ですね、ウィーンフィルの方。これほどブラームスの明るい心理状態をはっきり表現した演奏は、他にないと信じています。余談ですが、アバド氏の逝去を伝えたページの一つに、写真は何故かポリーニの写真で、「!!!」と思いました。

投稿: 安倍禮爾 | 2014年1月23日 (木) 18時25分

安倍禮爾さん、こんにちは。
そしてお悔やみのお言葉、ありがとうございます。
世界中で、アバドを偲ぶ言葉があふれてます。
大巨匠なのに、そんな風な存在ではなかったアバド。

軽やかなベートーヴェンの7番あたりが、その音楽性の原点だったかもしれませんし、あげられたブラームスの協奏曲もしかりですね。

とんだミスショットですね。
しかし朋友ポリーニもきっと悲しんでいるのでしょうね。
ともかく寂しい毎日です。

投稿: yokochan | 2014年1月24日 (金) 08時52分

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