ベートーヴェン、ベルク 協奏曲 アバド&MCO
アバドの愛した若者オーケストラのひとつ、マーラー・チェンバーは、その能力からして、これまでアバドが携わった若者オケのなかでは、最強なのではないでしょうか。
ルツェルンの主力メンバーにもなっているほか、ルツェルンのベテランたちも、時に応じて参加したり、首席をはったりする。
いわば、コンパクト・ルツェルンかも。
ですから、その規模も変幻自在のフレキシビリティ満載、可能性も満載の、高機能オケでした。
アバドは、このオケで、ルツェルン発足前は、モーツァルトのオペラばかりでなく、「シモン・ボッカネグラ」や「ファルスタッフ」を上演したりと、その下準備にあてていたのでした。
ベルリンフィルを中心とする凄腕が集まることになったのですから、アバドとしては、律儀にも、まずは、手兵のマーラー・チェンバーという形が最良だったのでしょう。
ルツェルンが本格スタートしてからは、マーラ・チェンバー(MCO)を母体とする形態にして、さらにMCOは、ハーディングやほかの指揮者たちに徐々に任せるようになりました。
MCOとの録音は、名手たちのバックをつとめる協奏曲録音が多いです。
今夜、そんななかのふたつを。
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第2番、第3番
マルタ・アルゲリッチ
クラウディオ・アバド指揮 マーラー・チェンバー・オーケストラ
(2000.2、2004.2 @フェラーラ)
アルゲリッチとアバド、最後の録音も、このコンビだったし、ふたりのDGへの初録音の一環もそう。
これまで、いくつもの共演と録音をしてきた、まさに朋友でした。
こんな関係は、いずれ、ポリーニに代表される、アバドと共演者たち、という特集をしてみようと思ってます。
いまから59年前、アバド21歳、アルゲリッチ13歳。
フリードリヒ・グルダのザルツブルクでのピアノスクールにて、同門で、知りあったことがきっかけ。
奔放なアルゲリッチ女史ですが、アバドの前では、時に女性らしくしとやかに、でも、時に、熱く燃え上がり、アバドを煽動してしまいます。
かつてのショパンやリスト、プロコフィエフ、チャイコフスキーがみんなそうだった。
ここでのベートーヴェンでは、アバドの目指す、若いオーケストラとのベートーヴェンの新風に、むしろアルゲリッチが感化されたかのように、はじけ飛ばんばかりの活力と、生まれたばかりのような高い鮮度のピアノを聴かせてます。
過度のノンヴィブラートの息苦しさに陥らず、ベートーヴェンの若い息吹を、伸びやかに、そしてしなやかに聴かせるアバド。
2番は、病に倒れる術前、3番は、術後安定した時期。
そんな、時系列を少しも感じさせることのない活きのいいオーケストラです。
アルゲリッチの3番は、これが唯一。
でも、このふたりの気質からしたら、2番の方が弾みがよろしく、ベートーヴェンの青春の音楽の本質を突いているように感じますがいかがでしょうか。
ことに、2楽章の抒情と透明感は素晴らしいのですよ。
ベルク ヴァイオリン協奏曲
ストラヴィンスキー ヴァイオリン協奏曲
コリヤ・ブラッハー
クラウディオ・アバド指揮 マーラー・チェンバー・オーケストラ
(2003.10 @フェラーラ)
こちらは、うってかわって、近現代の協奏曲。
こんな先鋭の音楽にも、MCOは、ごく普通に取り組み、アバドとともに、嬉々として演奏してしまうのです。
ベルクについては、このCDが発売されてすぐ、2006年にすぐさま記事にしました。
さほど大きくはない編成のオーケストラが、ストラヴィンスキーで見せる小気味いい痛快なまでの、爽快感は、ストラヴィンスキーの音楽の持つラテン的な透明感と、軽やかさを完璧に表出してます。
ベルリン・フィルを、コンサートマスターとして、アバドとともに引っ張ってきたブラッヒャーの高性能かつ、隙のないヴァイオリンは、完璧でありすぎるところが、また困ったもので、文句のつけようがないのです。
欲を言えば、オーケストラともども、ベルクの甘さ、バッハへの思慕みたいな、どこかこの曲にあるロマンティックなところが申し少し出ていれば・・・という思いがあります。
アバドは、ベルリン時代のムローヴァとの演奏、2010年のファウストとの共演もあり、後者が敏感すぎる超名演になってます。
わたくしの大好きなこの曲に、アバドが、3つの演奏を残してくれたこと、いまは感謝にたえません。
コンチェルトに、オペラ、合わせものの達人、アバドのもとで、MCOのメンバーたちは、きっと多くのものを学び、そして進化していったことでしょう。
マーラー・チェンバー。
センターに、オーボエの吉井瑞穂さん、いつもにこやかにいらっしゃいます。
アバドの追悼、次は、いよいよルツェルンにまいります。
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